盛岡市-04(4/4) グルメ・県北部(岩手県)




盛岡市-04(4/4) グルメ・県北部(岩手県)



食の文化はユニークで有名なのが麺料理です。他の地方で人気がある麺は何と言いましてもラーメンですが盛岡では余りラーメンのお店は見掛けません。盛岡三大麺というのが名物なのだそうで、「わんこそば」「じゃじゃ麺」「冷麺」の3種の麺です。わんこそばは比較的昔から全国的に有名で要するにエンドレスにそばを食べるというもので食べ終わるたびに、給仕がそのお椀に次々とそばを入れ続け、それを客が満腹になりふたを閉めるまで続けるというスタイルが基本のようです。じゃじゃ麺というのは市内でどこの専門店も賑わっているのですが、中国東北地方発祥の麺料理でこれは食べた事が無いのでよく分かりませんが麺にたれを掛けてあるもののようでこれを混ぜていただくのでしょう。冷麺は朝鮮の麺料理が起源で在日朝鮮人の方が始めたようで日本人の口に合わせたものです。何で麺料理がここまで独自に発達したのかは興味深いですね。またパンも独自の発展を遂げており、コッペパンに具材を挟んで食べる福田パンなるものが広く食されていて県民食とまで言われています。じゃじゃ麺と福田パンのコッペパンで大きくなったという盛岡市民が多いのでしょう



美味しい蕎麦・冷麺・そして素敵な喫茶店(2017年 6月 6日)

蕎麦

この東家本店は、盛岡市民であれば知らない人はいないであろう創業は明治40年という老舗蕎麦店の本店なのだそうです。店の外観も素敵ですね、全国放送のテレビ番組でもわんこそば、盛岡の名店として度々取り上げられるお店で、店内には有名人のサインがたくさんあります。



(写真:東家本店・外観)



(写真:店内の様子-01)



(写真:店内の様子-02)



(写真:店内の様子-03)



(写真:多くの色紙-01)



(写真:多くの色紙-02)

有名なわんこ蕎麦を食べている人がいるか見回しましたが、皆さん普通に蕎麦を食べていました。天ぷら蕎麦をいただきましたが、かき揚げが絶妙な味で大変美味しかったです。



(写真:天ぷら蕎麦)

盛岡冷麺

盛岡冷麺は朝鮮半島北部(現・北朝鮮)の咸興生まれの在日朝鮮人1世の青木輝人さん(朝鮮名:楊龍哲(よう りゅうてつ、ヤン・ヨンチョル)が、1954年(昭和29年)5月に盛岡で「食道園」を開業し、店で出したのが最初なのだそうです。プロの料理人では無かった楊さんは、自分が子供のころに食べた咸興の冷麺を独力(独学)で再現しようとしたといいます。一般的によく知られている平壌式水冷麺の麺は、ソバが主原料で色が濃く、かさかさして粘りがなく、よく切れる反面、咸興式ビビン冷麺の麺は咸境道地方で多く生産されるジャガイモやさつまいもでんぷんが主原料で、ゴムのように歯ごたえがあります。 以前ソウルでいただいた咸興式ビビン冷麺(明洞に在るその名も咸興麺屋というお店のもの)と比較しますと確かに麺は白く似ていて、同系列だと思います。麺は盛岡の方が太目で味も日本人向けに変えている印象です。

ソウル咸興麺屋の冷麺はこちら

現在の食堂園の様子。この盛岡冷麺は平壌式では無く咸興式だと思うのですが看板には平壌冷麺とあります。これは朝鮮の代表都市で皆が知っている地名だからでしょうね。老舗だけあって開店前から行列が出来ていました。



(写真:盛岡冷麺発祥の店・食道園)



(写真:盛岡駅前・ぴょんぴょん舎・入口)



(写真:盛岡駅前・ぴょんぴょん舎・店内)



(写真:盛岡冷麺・ぴょんぴょん舎)



(参考写真:咸興式ビビン冷麺・ソウル明洞・咸興麺屋)



(参考写真:咸興式ムル冷麺・ソウル明洞・咸興麺屋)

福田パン・本店
いわゆるコッペパンに、甘いリームや総菜など、様々な具材を挟んだものが主力商品の福田パン、以前テレビのケンミンショーで取り上げられるなどして全国でも知られる存在になりました。何でも一日一万個パンが売れるそうで岩手県の県民食と言っても過言ではないようです。500種類以上用意されている具材の中から客が自由に選ぶことができ、注文を受けた店員がその場でパンに具材を挟んで提供する対面販売の形式で、また2種類の具材を一緒に挟むことも出来ます。





(写真:福田パン本店・外観)



(写真:福田パン店内-01)



(写真:福田パン店内-02)

多くの方が来店しています。写真を撮影している方もいます、多分観光で来たからでしょう。



(写真:福田パン店内-03)

選択肢が多いので相当迷うと思います。



(写真:福田パン店内-04)



(写真:福田パン店内-05)

手ごろなお値段ですね。



(写真:福田パン店内-05)

店員の方が注文に従って具を挟んで行きます。



(写真:福田パン店内-05)



(写真:販売しているパン-01)



(写真:販売しているパン-02)

普通の食パンもありますが、山パンと呼ぶようです。



(写真:販売しているパン-03)

けたる ¿qué tal?

スペイン語で「やあ!」と声を掛ける時に使う¿qué tal?、これをひらがなにして喫茶・軽食のお店の店名にしています。郊外の静かなのどかな住宅地にあり、ゆったりとしています。人気は平日のランチタイムに提供される「日替わりランチ」、ティータイムの手作りケーキ。ケーキは、シフォンとチーズケーキ等があるそうで、1杯ずつドリップで淹れるコーヒーとともに味わいたい一品ですね。。クラフトコーナーで展示即売をしているほか、ギャラリーでは、季節ごとにイベントを開催しています。蕎麦屋は多くの客が男性であったのに対してこちらはほとんどが女性客でした。

営業時間:10:30~17:30
休業日:日曜・祝日・第2、4月曜
盛岡市下太田榊48-2
電話/FAX 019-658-1280





(写真:けたる・外観)



(写真:けたる・看板)



(写真:けたる・店内-01)



(写真:けたる・店内-02)



(写真:けたる・店内-03)



(写真:けたる・店内-04)



(写真:けたる・店内-05)



(写真:けたる・店内-06)



(写真:けたる・日替わり定食)



岩手県北へ (2017年 7月 2日)
盛岡市から郊外へ、青森県との県境付近まで県北部を訪問してみました。

安比高原
安比高原は県北部・八幡平市にあるスキー場。バブル期にはスキー人気で1992年には年間で150万人が訪れたそうですが、ブームは去り現在では50万人を割り込むまでに落ち込んでいます。シーズン中はホテルの予約が取れない時期が続き別荘やマンション等が次々に建設されたそうですが、現在は価格が下がり20万円程度の物件もある程です。安比高原駅は花輪線の駅でかつてSLが走り、人気がありました。今は無人駅となりバス停の注意事項を見ますと夏のシーズン以外は運行していないようです。





(写真:安比高原駅正面)



(写真:安比高原駅・無人駅)

一日にたったこれだけです、三時間列車が無い時間帯もあります。



(写真:安比高原駅・発車時刻表)



(写真:安比高原駅・駅プラットフォーム)



(写真:安比高原駅・線路)



(写真:安比高原駅前・バス停)

荒屋新町



荒屋新町駅は岩手県八幡平市荒屋新町にあります、平成の合併以前は安代町の中心駅であったそうです。昔ながらのローカル駅の風情がしっかりと残っていますね。 安比高原駅とは異なり有人駅です。


(写真:荒屋新町駅正面)



(写真:荒屋新町駅舎内-01)

駅員が居るので緑の窓口があります。



(写真:荒屋新町駅舎内-02)



(写真:荒屋新町駅舎内-03)



(写真:荒屋新町駅プラットフォーム-01)



(写真:荒屋新町駅プラットフォーム-02)



(写真:荒屋新町)

天台寺

天台寺は創建728年、開基は行基と伝わる岩手県二戸市浄法寺町にある天台宗の寺院で山号は八葉山。1976年当時中尊寺貫主であった今東光さんが特命住職として晋山、復興に着手したが、着任から二年で遷化し、1987年、瀬戸内寂聴さんが住職として後任を勤め復興の責を果たしたことで知られています。なお、本堂と仁王門は保存修理工事中で平成31年度中(2019)の完成を目指しているそうです。





(写真:仮本堂など)



(写真:仮本堂)



(写真:境内-01)



(写真:境内-02)



(写真:境内-03)



(写真:境内-04)



(写真:境内-05)



(写真:境内-06)



(写真:工事中の本堂)



(写真:展示物-01)



(写真:展示物-02)



(写真:展示物-03)



(写真:展示物-04)



(写真:展示物-05)

滴生舎

滴生舎は天台寺・御山の山麓に建つ滴生舎は、「浄法寺漆」を使った漆器や漆芸品を厳選し、展示販売している施設です。漆器の需要が高まった大正時代から昭和にかけて、「御山御器」をはじめとする庶民の漆器が、国内外に広がり、戦後、浄法寺の漆器が途絶えそうな危機もありましたが、現在では、国産漆の約8割が浄法寺産なのだそうです。原料から製品まで生み出せる地域はほかにはなく、日本一の漆の里と称しているようです。



(写真:滴生舎外観)



(写真:滴生舎内部-01)



(写真:滴生舎内部-02)



(写真:滴生舎内部-03)



(写真:滴生舎内部-04)



(写真:滴生舎内部-05)

九戸城跡
豊臣秀吉天下統一の最後の合戦場となった九戸城、岩手県二戸市福岡城ノ内にあります。南部一族の南部氏と九戸氏が対立し、前田利家を介して秀吉に安堵された南部信直に対して天正19年(1591)九戸政実は挙兵し、これに対して九戸仕置きとして全国に出動命令を出しました。総大将に豊臣秀次以下、徳川家康・伊達政宗・石田三成・蒲生氏郷・上杉景勝・浅野長政・井伊直政・大谷吉継・堀尾吉晴・佐竹義重など、錚々たる戦国武将の名が連ねられていたそうです。現在は田舎の風景に埋もれていて400年以上も前にここで大きな戦いが行われてたとは想像も出来ません。





(写真:九戸城跡-01)



(写真:九戸城跡-02)



(写真:九戸城跡-03)



(写真:九戸城跡-04)



(写真:九戸城跡-05)



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