地球の反対側から日本を見て-06 (2005年)




イラクそして朝鮮の問題も進展が無い2004年でした。2005年も世界の諸問題には大きな変化は無いのかも知れません。景気がある程度回復し、一時騒がれていたリストラも一段落している日本、ここでは2005年の日本を見つめます。

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65・人口の減少 (2005年12月31日)
今年日本は戦争の混乱期を除いて平和時において始めて人口が減少しました。そして国際結婚が15組に一組という現実があります。このまま推移しますと日本社会に劇的な変化が起きる事になると思います。昭和22年から24年に生まれたいわゆる団塊の世代がいよいよ60歳の定年を迎えます。これから老人層が急激に増えて行きます。

少子化対策として色々と言われていますが、子供を作らせない社会の在り方が問題なのでしょう。パラグアイではシングルマザーが多く居ます、何も問題があるわけではないので、このような女性に対して特に特別な目で見ることはありません。ごく自然にごく普通の事として対応しています。日本ですと世間体があり、なかなか同じようには行かないでしょう。経済的な面も指摘されていますが、一部の人を除き青春期に男女の触れ合いが足りない事が大きな要因のように感じます。カップルや家族にも色々な形態が在ることを認める社会、マイノリティーに優しい社会に変えて行く必要があるように感じるのです。

南米で見ていますと思春期になりますとごく自然に男女が楽しそうに会話しています。大きなグループとなり過ごしている光景を見ていますと日本とはかなり違うように見えます。女性は15歳になりますと大人の仲間入りとして盛大な誕生会を行なう習慣がありますが、このような機会を通じて大人として自然に付き合う方法を学んで行くのでしょう。日本で高校生を見ていますとグループは男女別々、男女が一緒に居るのはカップルだけというのが一般的のように見えます。女性のグループに一人だけ男性が居るというケースを時々は見掛けますが、多分この人はこれは男性を意識させないのでしょう。青春期にごく普通に混ざり合って過ごす経験が無いので男女関係もいびつになっているように思うのです。秋葉原にメイド喫茶がたくさんありますが、外国人には到底理解出来ない現象でしょう。性的な興味が極端な方向に行ってしまう傾向があるように感じます。はるか昔は衣服など無くそれでも自然に両性協調して生き抜いて来たのですから、ごく普通に付き合えるようにする為には思春期に手ぬぐい等を禁止にしてスッポンポンにして男女混浴、大人数で大きな風呂に一緒に入れるくらいの思い切った策が必要なのかも知れませんね。

少子化対策の一番は子供を産ませる、子供が居る親子が安心して暮らせる社会を目指す事でしょう。十代に楽しく集団で触れ合う機会を増やす事、マジョリティーとしての標準的と考えられる家族の形態以外の色々な家族のあり方に対しても暖かく見守る社会を作ること、そして最終的には諸外国では当然の国籍生地主義を検討する必要があるのかも知れません。外国籍同士の子供でも日本で生まれれば日本国籍を認めるというものです。



64・解散・総選挙 (2005年08月12日)
郵政民営化法案が参議院で廃案となり、同日衆議院が解散となりました。郵政法案がきっかけで解散したので「郵政解散」、小泉さんの爆弾のような解散そして投票日が9月11日なので「自爆テロ解散」など色々な名称が付いてますが多くの人は単なる脅しで「まさか本当に解散はないだろう」と思っていただけに議員の皆さんも実際に総選挙となり慌てているというのが本音でしょう。マスコミや反対派は最初は政界再編成と野党や廃案に追い込んだ勢力に風が吹くように煽っていましたが、いざ解散となると自民党はこのような反対した人達を造反者として公認しないと宣言、造反議員達は総選挙を前にしてまとまりを欠き腰砕けになっています、あれだけ明確に執行部に叛旗を翻すのあれば新党を結成するくらいの覚悟が無かったのか意外です。

各種世論調査の結果は事前のマスコミの予想に反するもので、小泉首相の支持率は上がり、郵政民営化法案に賛成する人が反対する人を上回っています。今までの自民党の政治は駆け引きがあり、密室での取引で最終的には穏便に事が進むという感じでしたが、今回の首相の手法は全て有言実行、直球勝負という感じでこれが国民に受け入れられたのでしょう。首相の「改革に賛成か反対か」という論理も分かり易い印象があります。このような流れの中でマスコミの論調も大きく変化しているように見えます。

今回の総選挙は今後の日本がどのように進んで行くのか方向性を決める大事な選挙であると見ています。これから各政党からマニフェストが出て来ます。この中で当方に取り一番の関心事は財政の健全化なのですが、何時もお題目だけでどのように健全化を進めて行くのか簡単な数値を示すだけでプログラムとして提示された事はありません。「福祉を切り捨てず年金額を維持して増税をしない」とするならばどのようにして赤字を解消し国債の発行高を抑えて行くのか具体的に資金繰り表でも作成して見せて欲しいものです。郵政民営化の真の狙いは何であるのか、官業を縮小して民間に移行して行く為に行なうのか、350兆円に上る巨額の資金の運用先の制限を廃止して米国にハゲタカ・ファンドに差し出すのが目的なのか見極める必要があるように感じます。

党首の発言などを聞いていますと与野党とも表面的な受けの良い言葉が多過ぎるのではないでしょうか。本音の部分、問題点の核心を避けていると選挙には勝てないと思います。日本の国地方その他公的機関の抱えている赤字額は1000兆円を大きく超えていると言われています。この問題をどのようにするのか真っ向から議論する必要があると考えます、今回の郵政民営化もこの問題と密接に繋がっているはずです。また公益法人が3千以上あると言います。一般会計が大きな赤字を記録していますが、不明朗な特別会計が数多く存在しています、まず最初に手をつける必要があるのは特別会計の廃止と財団法人の整理なのかも知れません。

この時点でもまだ候補者が出揃っておらず与野党は中央省庁の官僚など目ぼしい人物を物色し勝てる候補を擁立する事に奔走しているようです。候補者が未定では世論調査も出来ず、投票動向そして選挙結果に関しては全く予想がつかず、これから投票日までの丁度1ヶ月の動きで選挙の結果は大きく変化すると思います。いつもとは違う突発的な解散による総選挙、在外の我々でさえかなり関心を持っていますので日本に住んでいる多くの人は毎日の動きを見守っている事でしょう。流動的な要素が多いだけに注目しています。投票率が上がり民意が反映されます事を願っています。

確かに意外な解散ではありましたが、結果は意外に穏便な現状とさほどは変わらないものになると想像しています。自民・公明の与党側が過半数を押さえれば直後の臨時国会で再度郵政民営化法案を出す構えを示しています。そうなりますと衆議院の反対派の惨状を目の当たりにして参議院でも前回反対した議員の多くの賛成に廻る事になるのでしょう。多数の力で少数意見を蹴散らすのが民主主義の本質であるならば、これも仕方が無いのかも知れません。ただ一方では国民が政治が生活に直結すると感じ、政治に対して関心を持った事は良かったと思います。

 



63・現実と仮想の中で (2005年05月15日)
最近「変質者」が起こすような事件が多発しているように思います。少女を監禁して事件、小学生の少女を拉致して暴行殺人する事件など毎週のようにおかしな事件が続いています。そのような犯罪をした人の自宅を捜索しますとビデオやゲームなどが出て来てそれらとの関連が論じられます。ゲームにしてもビデオにしても主導権は自分自身にあり、思いのままに操作する事が出来ます。これらを自宅で楽しみ外に出るとそこは無表情の世界、誰もその人を相手にしない、そしてその人自身も自分の思いのままには到底ならない現実があります。

普通の人であれば現実をよくわきまえ、その中で自身の在り方を見出し、社会的な生活を送るのでしょうが、それから何らかの理由で社会の枠から漏れてしまうと現実から逃避してしまうのでしょう。昔であれば地域のコミュニティーが機能し、限られた範囲ではありますが、その中で社会性を持つ訓練が為されたのでしょうが、現代はそのようなものは無くなり、逃げ場は仮想世界のみになるのでしょう。インターネットの機能はすばらしいがこれを有効に生かしきれないケースがあるのは残念な事です。個々がバラバラに存在して社会の中の一員であるという意識が薄れているのでしょう。

日本社会において交流の機会、友人を作る機会が少々少ないように感じますが如何でしょうか?ローティーンの時代には知識の吸収ばかりではなく、社会性、人との付き合い方を学ぶ教育が必要なのではないかと思うのですが如何でしょうか?男女の交流に関しても何か社会の習慣で工夫する必要があるように感じます。男女共学でも男女が複数混合で居る姿は余り見掛けません。男女のカップルもしくは同性だけのグループが大半です。付き合いの不足から人間として個人として見る前に異性となってしまうのでしょう。

江戸時代から戦前まではある程度の年齢になると地域の若者が一箇所に集まり合宿生活を送るような習慣があり、それが軍隊に変わりそしてある程度「運動部」に引き継がれています。先輩から後輩に色々な情報が引き継がれ、様々な教育が為されていたのでしょう。ただし時代の経過と共に段々と拘束力が無くなり仲良しクラブ的な色彩が強くなっています。辛い事を避ける傾向は強まり参加者も少なくなっています、どうしてもカバーされていない人達が増えているのが実情であると思います。ボーイスカウト、ガールスカウトというのがありますが、あのような活動を義務化して行く様な事は出来ないものなのでしょうか?



62・日本の国際観 (2005年05月08日)
このところ日本はアジアに急接近して来ました。60年代から70年代まではブラジルを始めとする南米にその後は欧米に関心の比重を移し、バブルの時期には米国の不動産が大量に購入されました。10年くらい前からは周辺のアジア諸国、最初は東南アジアそして最近は誰も彼もが中国とインドに関心を持つに至っています。最近は世界の中で中国市場とインド市場だけが今後の発展市場でここを狙うべきであるという論調です。

昨年からこの動きにブレーキがかかって来ているように見えます。昨年中国で行なわれたサッカーアジア大会で中国でひどい反日行動があり、今年に入ってからは官民一体となって暴力行為を伴う反日デモが頻発しました。中国はこれを世界に発信して日本に揺さぶりをかけようとしたのでしょうが、官製である事は自明で欧米では到底受け入れられず作戦変更を迫まられています。韓国では竹島問題から反日行動が激しくなり、それまでの韓流などと称された雪解けムードが一変しています。日本人の多くの人には第二次世界大戦ははるか昔の過去の出来事、今は存在しない軍部と大日本帝国政府が起こしたものという認識なのでしょうが、周辺諸国にとってはそうでは無いのでしょう。日本側の意識と周辺アジア諸国の行動に大きな食い違いが出ているように見えます。

日本政府の援助は今後はアフリカに対して力を入れるということのようです。元来アフリカは欧州が荒らした場所、欧州の人達が責任を持ってその発展に努力するべきなのでしょうが、論理のすり替えで上手に日本が担ぎ出されたように見えます。日本としては国連で常任理事国入りを果たしたいという思いがあり、50ヶ国が加盟しているアフリカを重視することになったのでしょう。アフリカに対しては経済的な繋がりは余り期待出来ず援助のレベルの話で留まるでしょう。

それにしても南米に目が向きません。2004年には首相が2回南米を訪問しましたが、大型の投資などが為されたという話はほとんど耳にしません。地元に根付いた大きな日系社会がある親日的な感情があるこの地域は日本に取り経済的な補完性も高く進出するには最も適していると考えているのですが、「危ない、分からない、遠い」で敬遠されているように思います。しかしながらアジアでの反日に嫌気がさし、商売のやり方も必ずしもフェアでは無いことが知られるようになり、アジアブームにも翳りが見えて来ています。これから少しでも流れが変わるのではないかと期待するこの頃です。



61・世代間 (2005年04月09日)
世代間での齟齬が起きているように見えます。以前そうバブルの時代くらいまでは日本は国力も伸び成長しているという実感が国民の間でありました。問題はあるにしても十分に解決可能であると信じられていたように思います。経済的に日本の地位は向上し、ついには世界の中でもトップクラスと自他共に認める存在になりました。当時の若者はすばらしい日本を築き上げた先人達を誇りに思い、親として上司として敬意を持ち、彼らに続こうと考えていたのでしょう。

現在は色々な問題が噴出していますが、老人大国となり、日本の行く末に不安があり、自分の将来にも希望が持てない状況の中、責任ある大人達は問題を先送りにし、大きな失敗をしても誰も責任を取らない現状を見て上の世代に対して失望し大きな不満を抱くようになっているのかも知れません。若い人達は日本の失敗の責任を先送りにして自分達世代につけを押し付けられているという気分になっているのでしょう。国家財政、年金、失業、老人問題など雑多な問題があっても何とかなっているのは国際収支が黒字であり、国債も消化しているからでしょう。もしこの前提が崩れて立ち行かなかっくなった時にどうするのか、誰がその責任を取るのか前の世代にその責任を被せるだけで終わるのではないかと疑っている人が多いと思います。日本の地方における過疎、老齢化は非常に深刻です、これが国全体に広がり、近い将来には人者金が日本を出て行くのではないかと想像してしまいます。人材の流出はもう始まっているのかも知れません。経済が不活性になり、重税に年金の見通しが暗いとなれば出て行く事を考えるのは当たり前であると思います。ニート、フリーターそして引きこもりが増える中、どのように魅力ある国作りをするのか問われているように思います。

ただこのままではゆるやかな下り坂という状況が続くだけのように見えます、このようなジリ貧では若い世代のやる気を引き出すのはなかなか難しいでしょう。世間があっと言うような驚く政策を取るくらいでないと反転は難しいのかも知れませんね。EUに加盟するとか、合衆国に加わるくらいの事、それが不可能であるならばユーロに切り替えるとか、都道府県市町村の線引きを全て一から行なうとか、ポルノ・ギャンブルを奨励するとか良くても悪くても世間が驚くような事をする必要があり、今までの価値観を一変するような何かがあれば新しい流れが出て来るかも知れないと思うのです。



60・受験英語 (2005年01月02日)
日本人の英語力は低く、国際化の時代に大きなマイナスになっているという議論があります。受験英語が日本人の英語力を阻害しているという話もあります。多くの学生は大学を突破する為に受験英語を勉強します。穴埋め問題、書き換え公式、そして発音問題ととにかく大学に合格する為にはこれをやるしかありません。これが日本の英語力向上に役に立つのであれば大いに結構なのですが、阻害要因になっているのであれば考え直す必要があるように思うのです。

以前何かの雑誌で読んだのですが、米国からの帰国子女が日本の高校で戸惑いなかなか成績が上げられないのが「英語」だと書かれていたのを読んだ記憶があります。詳細の内容は忘れましたが、回答をし、「間違い」とされ、その生徒が「ここはこの表現でも正しいはずだ」「これは古い表現で現在はこちらの方が一般的だ」などと先生に質問・抗議しても正解にはならない、そして英語の成績が全教科の中で最低であったというものです。それまで日本の英語教育については「何か変だ」とは思っていましたが、なるほどと納得しました。語学を生きているものと捕らえ、コミュニケーションの道具とするという基本的な発想が無いのでしょう。現在なんとかスペイン語で生活していますが、上手とは言えませんが電話でも何とか応対しています。もしスペイン語で日本の受験英語のような試験を課せられれば多分惨憺たる成績しか残せないと思います。綴りは間違いだらけ、文法の知識も乏しい、動詞の活用形などはかなりあやふやです。しかしながら文章を書く時にはワープロソフトには「修正機能」が付いており、間違えれば即座に指摘し、修正してくれます。上手な文章は書く事が出来ませんが意思疎通を図る最低限の文章ならば書く事が出来、それで仕事上は何とか間に合っています。

日本では英語力を高める事が議論されていますが、現状に上に載せても良い結果は得られないように思います。一度現在の受験英語を廃絶する事から始める必要があるように感じます。「難しい英語を勉強するのは英語の文献を読むため」という議論がありますが、ごく普通の大学生にとり英語の文献が必要な場面というのは限られていると思います。理系の英語文献は専門的ではありますが、非常に平易な英語で書かれている事が多く受験英語をやるよりも平易な英語を多くこなして来た方がより実用的であるように感じます。しかしながら実際に日本の大学で勉強しましたが、大学院まで居ましたが英語の文献を解読する必要があった事はほとんどありませんでした。一部の研究者、博士号を目指す学生には不可欠なのでしょうが、それでも受験英語の知識は不要であるように感じます。

高校までの英語教育に関してはもう一度原点に戻り生きている言語として取り扱い、感情を込め、コミュニケーションの道具としての位置付けを徹底する必要があるように感じます。一番の近道は受験から英語を排除してしまう事であると考えています。英語を受験科目に入れている目的は英語力よりもこれで点数を付けて学生を選択するには好都合であるという事なのでしょう。英語力に関しては資格試験として点数を付けないようにすれば良いのではないかと思っています。大学受験以前に実用に足る英語の試験を課し、それをクリアーしていれば大学を受験出来るとするのです。基本的な英語の知識が備わりコミュニケーションの道具として使えるかを事前に別に試験するというものです。このようにすれば日本の英語力も他の教科の学力も向上すると考えますが如何でしょうか?



59・地理教育 (2005年01月01日)
地理という教科は小学校から高校まで教育されています。大学の入試科目にも「社会」として多くの大学では選択科目になっています。日本の国際化が進まない、日本人の外国への意識が余り無いのはこの地理教育の不備が原因になっているのはないかと疑っています。地理は大学入試の際には多くの大学では日本史や世界史と並んで選択科目になっています。日本史や世界史は歴史、地理は現在を扱い、勉強のやり方も大きく異なり歴史を選択する人と比較しますと人気も余り無いようです。高校の地理では大きく分けますと自然地理学と人文地理学いわゆる地誌を学びます。この二つは勉強の方法は全く違い、自然地理学は図表や記号を多く用い統計的な手法も出て来るなど理科系的な様子も強くこれが文科系の人に嫌われている要因なのかも知れません。逆に理科系の受験者の中では相対的に地理を選択する人が多いように見受けられます。

日本は外交が下手と言われていますが、これには多くの要素があるように思います。歴史的な事、戦前の負の遺産を引きずっている事などが挙げられると思いますが、国民の地理知識不足も大きく影響しているように思います。当方はパラグアイに住んでいますが、普通の皆さんはまず「パラグアイ」を知らない、南米の国であると即答出来る人がほとんど居ないくらいです。訪日して帰る際に空港のカウンターで「どちらまで?」と聞かれ、「アスンシオン」と答えた時に相手が知らないケースが増えて来ました。最近はカウンターは派遣か外注にしているという話ですが、首都の名前も分からないのでは失格でしょう。

地誌を勉強する、そして一家に一つ大き目の地球儀を置く事が必要なのではないかと考えます。国際化、グローバル化が容赦無く進む現代、相手の事を理解し戦略を練る事がますます大切になっているように思います。今までですと専門家もしくはアジテターが声高に叫ぶ方向に皆が進む、ベトナムと言えばベトナム、中国と言えばこぞって中国に進出するという状況があります。マスコミに登場しないので南米等は意識の外になっている。もしそこに大きな地球儀が一個あり眺めていただければ意識が変化するのはないかと思っています。教育の内容も変えて良いのではないかと思っています。教育内容に関しては地誌に重点を置き、観光ガイドになっても良いくらいの覚悟を決め日本そして世界の地域に対する理解を求めて行くのが良いのはないかと思います。楽しい話題を中心に興味を抱けば世界を知ろうとする人が増え国際社会に目を向ける機会も増えるのではないでしょうか?



58・紅白歌合戦 (2005年01月01日)
年末恒例となっている「NHK紅白歌合戦」、当地でも中継があり、大晦日の午前中に見る事が出来るようになりました。移住当初は南米の地は遠く、それでもこの番組は人気が非常に高く、8ミリの映画にして各移住地を巡回していたそうです。あちらこちらを廻りパラグアイの移住地に到着するのは5月であったそうで、それでも上映される公民館に家族総出で出掛けて楽しんだそうです。80年代の終わり、渋谷で会社員をやっていた時には担当しているブラジルのホテルで「紅白上映会」なる催しをやっていました。大晦日に放映された紅白を録画してそのビデオテープを1日の飛行機に乗せて発送し、ブラジル時間1月2日の夜には紅白をホテルで上映、駐在員や現地日系の方に楽しんでいただくという嗜好でした。そして現在は日本と同時になり、大晦日の午前中の番組になっています。

今回は第55回なのだそうですが、番組担当者の不祥事が発覚し、出直し、原点に戻った紅白というのがキャッチフレーズでした。結果は視聴率は40%割れ、第一部では20%前後と並みの番組に転落した事を示していました。一時は70%前後と絶対的な地位を確立し、お化け番組として君臨していたのが信じられない程の低落ぶりです。当時はテレビ自体が貴重なものであり、一台のテレビを家族がコタツでみかんを食べながら見るというのが一般的であったのでしょう。NHKも必死に番組を宣伝し、韓国の人気俳優を招待する等しましたが、この惨憺たる結果、人気低落傾向に拍車を掛ける事態となりました。

余り見られなくなった事には幾つか理由があると思いますが、時代の変化が一番の要因のように思います。いわゆる流行歌が消えた事が大きいように感じます。10年前くらいまではその年にヒットした歌があり、国民がそれを大体知っているというのが普通でした。またジャンルに関係無く紅白に出場する歌手は知られているというのが普通でした。マスコミの力が落ち、個々が自分に合ったものを選択している現在、音楽についてもテレビから歌番組がほとんど消え、最新の曲はレコードやCDを買うのでは無く、携帯に取り込む時代に変化しています。紅白を見て知らない歌手が登場するのが普通の事となっているのでしょう。

歌以外でも同じような現象が出ています。60年代は「巨人・大鵬・玉子焼き」と国民的に人気を集めるものは決まっていました。マスコミを通じてのみ情報を得られる時代においては必然なのかも知れません。現在はこのような国民的というものが消失しているように見えます。巨人の人気が落ちているのはテレビの中継は途中で初めて途中で終わる、選手はファンサービスをしない、オーナーが君臨し「選手ごときが何を言う」と選手やファンを見下す、見せてやるという姿勢が長年続いた事にあるのでしょう。

それでもこの紅白歌合戦が数年で無くなる事はないと思っています。なにしろまだ20〜30%の視聴率があり、この番組を楽しみにしている方も多いと思います。特に国際放送を見ている在外の我々にとっては他に選択肢が無いので続けて欲しいと思っている方が多いでしょう。ただし見方に変化があります。最近はずっと見るのでは無く、録画して飛ばし飛ばし見るのです。当方も演歌は全部飛ばし、ガキも飛ばし見ています。すると30分くらいで最後まで行ってしまいます。このような人が当地でも大半を占めるようになったと思います。




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