
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります。-03 (2004年)
2004年は新しい世紀の方向性が見えて来る一年になるような気がします。世界を見ていて、また日常感じた自分の意見等をコラム風に書いてみます。
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-01 (98-2002年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-02 (2003年)
35・環境問題 (2004年12月25日)
学生時代には汚染処理を勉強した関係もあり、環境問題にはそれなりに関心がありますが、どうも付いて行けない違和感もあります。環境問題を取り扱う際には人間が環境を破壊し、生態系に悪い影響が出ている、絶滅種が多く在る、自然環境を保護しなければならないという事が叫ばれています。まさにその通りであると思います。
それでも違和感を抱くのはその一方で全く触れていない問題があるように感じるからでしょう。発展途上国に行き環境が破壊されていると糾弾している人達も大量に石油を消費する飛行機に乗りその場所まで出掛けている訳です。日常使う自動車から日常品更に家屋に至るまで大量のエネルギーが消費されています。そして都市そのものが最大の生態系を乱す元になっているように思うからです。都市というのは人間に取り最高に住み易い環境になっており、人間が面倒を見ている動物以外はほとんど居ません。人間の居に反して居住しているのは若干のねずみ位でしょう。ほぼ全ての他の哺乳類を排除する事により安全で快適な空間を作り出しているという訳です。
本来の自然環境、生態系に戻せというのであれば人間自身も例外にするのはおかしいと思います。文明以前は人類も食物連鎖の中にあったはずです。食うか食われるかの世界で他の動物を捕食し、そして襲われて食べられる、そのような世界であったはずです。これであれば生態系を守る事も可能でしょう。人間だけを例外にして論じている、自分は別という発想での意見が多いので余り同調出来ないのでしょう。自分達は大量消費の生活を続けならば発展途上国にはそのままの生活をしろと共用するのではこれらの国の賛同も協力も得られないように思います。
パラグアイでヤシレタダムで多くの土地が水没する際に動植物を他の地域に移動する話がありました。自然環境を保護する取り組みで日本からも取材しに来ていました。受け入れを要請すると多くの地域が手を挙げましたが一つ大きな問題が生じました。可愛い動物は引き受けるが蛇などはお断りというのです。これは受け入れる方からすれば当然の要求ですが、生態系を出来るだけそのままにしたい実施団体は戸惑うばかりであったそうです。これに類する事が多く生じているのではないかと想像しています。
本当に地球の将来を考え生態系を保護して行くのであれば人口調整を行い、都市を無くし、自然に戻して行くくらいの取り組みが必要でしょう。高層の建物が林立する未来都市というのがよくアニメ等に出て来ますが実際には自然が豊かな田園都市となるのではないかと想像するこの頃です。
34・国家の理念そして大義 (2004年12月04日)
日本の多くの企業では「社是」なるものがあり、会社のオフィスに額に入れて掲げられています。会社に入った当時毎朝これを唱和させられましたが、馬鹿馬鹿しいとさえ思っていましたが、今では何故これをしなければならないのかよく理解出来ます。企業というのは勿論最終的には利益を出すのが目的でありますが、ただ単に儲ければ良いだけでは無く、社会に対して何かの貢献をして行く必要があります。企業の中でモラルが低下するしスキャンダルになることがありますが、企業倫理を保つためには社会に対する目的をしっかり持つ事が大切なのだと感じています。
国家も同じであると思います。国家というのはその成り立ちに大きく影響されるように思います。国家には「大義」要するに何が目的で将来どのようにするのか、したいのかを明確にしなければならないと思っています。それを為政者達は大義名分を常に国民に分かる形で示して行く義務があると思うのです。新しい国家が出来た時にどのように何故出来たのか国家の理念よく頭に入れておく必要があるように思うのです。明治維新により徳川幕藩体制が終了し大日本帝国が成立しました。従来、日本国内においては維新により一気に近代化が進んだ面を強調し、明るいイメージで捉えて来ました。清国や李氏朝鮮が近代化を進める事が出来ずに国力に差が出てその後の歴史の展開に大きな影響があったのは事実でしょう。ただ、明治維新に大義があったのか検証してみる必要はあるように思います。
薩摩と長州、主にその下級武士が反乱を起こして幕藩体制を打ち砕いた、この時起こした戦争、世に言う戊辰戦争により徳川幕府から政権を奪取しています。錦の御旗なるものを考え出し、官軍と称し東軍に戦を仕掛け、その多くは無用な戦いであったと思っています。(本丸の江戸城まで抗戦せずに無血開城したのですから)最後は北海道まで攻め上り武力で日本を制覇し、新政権が樹立しました。この「大日本帝国」という国家の理念は「富国強兵」、要するに軍隊を増強し制圧して行くというものでした。第二次世界大戦の敗戦までこの国家は77年間存続しました。明治維新により明治政府が成立してから最初の10年間は佐賀の乱等があり、西南戦争までは国内で反乱が続きました。これを収めると今度は対外戦争に明け暮れ、「日清」「日露」「第一次世界大戦」「日中十五年戦争」「第二次世界大戦」と戦争ばかりしていました。富国強兵は言い換えれば「戦争をして叩き潰せ」というのが国家の目的であり、明治維新の際に崇高な国家理念を打ち立てられなかった事が悔やまれます。
第二次世界大戦で敗戦し、現在まで続く「日本国」が成立しました。1945年に成立した政権ですので、来年で満60年を迎え、大日本帝国が存在した期間に近づいて来ました。日本国は米英に対して起こした戦争に敗戦したという事から出発しています。米英を中心とする欧米各国を見習い協力する事を最初に国家理念の中に刷り込まれました:「民主平和」これが富国強兵に代わる国家理念ですが、欧米で使われている民主主義にも平和主義にも欧米の思想そして欧米を中心とする世界観がベースになっています。無条件降伏を受け入れた当時の敗戦国・日本には「否」の選択肢はありませんでした。国家再建を米国主導で行なう以外に方法は無く、米国の用意した国家理念に基づき憲法等を作成し再出発しました。「脱亜入欧」というのは明治政府の国家戦略でしたが、実際に進行したのは戦後になってからだと思っています。
「平和」という言葉は日本独自のもので戦前、平定して和する、要するに武力で制圧した土地を力で押さえ込むのが本来の意味であったようです。中国では「和平」と反対になりますが、仲良くなって平穏が来る感じでこれの方が良いのかも知れません。英語のピースなどの語源はラテン語のパックスから来ているそうです。パックス・ロマーナとはローマ帝国の武力で世の中が治まっている印象を受けます。米国が望み、日本に与えようとしたのは「パックス・アメリカーナ」要するに米国が軍事力で世界を制圧し押さえ込むという感覚なのかも知れませんね。また民主主義に関しては下の「22項」に書いてある通りです。
現在の政権も米国に追随することが多いのですが、これは国家理念からみても国家の成立した課程から見てもある意味では当然であり、国民の理解も得易いのでしょう。これを国家の理念として受けれたお陰で戦後の混乱から急速に再建が出来、欧米諸国からはある程度仲間として受け入れられ、現在の経済的な繁栄があるのも事実です。多分これは与野党が代わるくらいでは変わらないでしょう。最近になり憲法改正が論議されていますが、国家理念に対する意識が少しづつ変化している表れであると思っています。憲法論議については小手先の条項の修正では無く、改正の根本的な意義をもう少し説明し、国家として将来の目標をどのように設定するのか論議を重ねて行けば国家の理念の変更が可能になり、現在の閉塞感は収束するのかも知れません。
米国の国家理念は色々な解釈があると思いますが、個人的には「フロンティア精神」ではないかと考えています。英国から独立した新生米国には西部に広大な大地が広がっていました。独立当初はこれを開拓して行く事が当面の課題であった事のでしょう。大陸を西に進み太平洋に到達し無尽蔵に見えた土地も開拓し尽され目の前のフロンティアが消失してもその理念は変わる事は無く、逆に対象に際限が無くなり米国の価値観をどこまでも広げて行くのが使命と考えているのではないでしょうか?この精神で果敢に未知の分野に挑戦し、科学開発の主なものは米国により成し遂げられています、特に宇宙開発関しては膨大な費用がかかるにもかかわらず、この精神があるが故に目先の利益にこだわらず国民のコンセンサスを得る事が出来るのでしょう。この点は評価します。
第二次世界大戦後、自国の価値観を日本に植え付けようとしたのもこのような善意の使命感から来ているのでしょう。現在米国はイラクに対しても日本に対して敗戦時に行なった事と同じ事を試そうとしています。イラクの人達は国家理念に対しては「イスラム教義に基づき理想的な社会を実現する事」と明確なイメージを持っているのだと思います。敗戦で国家理念が完全に崩壊した日本とは全く異なる状況にあり、欧米的な価値観をベースにし、彼らの良きパートナーになる事を意図する彼らの目指す「民主主義と平和主義」を容易には受け入れないでしょう。米国は自国流の民主選挙を実施し、欧米型の民主主義国家を作り出そうとしていますが、そのままイラクに当てはめるのはいささか無理ではないかと見ています。「イスラム共同体をベースとしての平穏な国家」文字で表しますとこのような感じですが、果たしてこれがどのようなものになるのか、具体的なイメージを描く事はなかなか難しいようですね。
33・国と国境 (2004年10月15日)
国というものは何であるのか?どこに住んでいるのかによって印象は相当違うように思います。当地のように内陸国に住んでいますと国境というのは非常に身近な存在で、首都のアスンシオンから一時間も行けば外国であるアルゼンチンに行けます。ここパラグアイは自身の確固たる歴史を持ち国民は自国民という意識はかなり高いように思います、それでも日本等とは相当異なる意識で国家の壁は低いと思っています。小さい時、日本で育った事もあり、国と国境というのは絶対なものであると言う意識がありました、多分20世紀的な世界観では当然の事なのでしょう。世界の争いというのは国家間で行なうものであり、幾つもの戦争が起き、20世紀に始まったオリンピックやサッカーのワールドカップも国家単位の争いになっています。
現在では国家の枠を超えて人・物・資金・情報が行き交っています。個人的には「移住」というのは余り好きな言葉では無く、当方はアスンシオンに来る時には「引越し」の意識しか持っていませんでした。「よく決意されましたね」という問いには実際にはかなり戸惑っています。当時も今も引越し以上の決意など持っていません、別の国に住むという事に対しても一世代前の人とは大きく異なっているのでしょう。
国と国境は今後は2つの道を辿り消失して行くと考えています。歴史をよく見て行きますと大きな揺れはありますが国家の規模が次第に大きくなっているように思います。欧州も小さな地域毎に国家が存在していましたが現在はEUという形でまとまりつつあります。政治よりも経済協力が中心でしょうが、同じような動きが東南アジア諸国連合(アセサン)そして当地でも南米共同市場(メルコスール)として形になって現れています。国家の規模をある程度にして市場が無いと競争出来ないという事情があるのでしょう。次第に世界が大きなブロックにまとまって行くのでしょう。そして最後には世界は一つになるというものです。
もう一つは国境そして国家自体の存在意義が薄れているとうい点が挙げられます。現代社会では物資情報が大量に移動しています。情報通信が発達する以前は物理的な位置が非常に重要でしたが、現在では通信の発達で精神的な人の内部の意識が重要になりつつあります。所属意識が距離を越えて存在するようになり、個人が地域や生活している社会だけでは無く複数のまとまりに対して所属意識を持つようになっている。例えば大リーグ・ヤンキースのファンという括りを考えてみますと昔は多分ニューヨーカーだけであったでしょうが、今ではここ南米にも日本にもそして全世界に広がっていると思います。国と国境というのは個人が生活している地域社会だけに所属意識を持っていた時代の遺物になっているように見えます。現在では人は自分の家族や生活を守る為には戦うでしょうが、国家そのものに対して忠誠を誓い戦うというのは一部の朝鮮のような狂信的な国家以外には見られなくなっているように思います。
このようなに国家連合が出来て国の規模が拡大する、そして国境の壁が低くなり物資情報が世界中を移動するこの二つの大きな流れで国家は少しづつ消滅に向かうのでしょう。その過程で多くの国が財政悪化から経済破綻を起こして行く事でしょう。これは人々の意識が大きく変化し時代の趨勢に対応出来ない国家体制を国民が利用する事だけを考える事により生じる現象であると思っています。
日本も例外ではありません。昔の人は明確に地域と国家への所属を意識し、その中での責任を果たす事を考えていましたが、現在は個人は自己の身の回りだけに注目し外側に対しては全てが曖昧になっている事に原因があると思っています。世間で何が起きようとお構い無し、ただ個人に影響する事には過敏に反応する。国家の財政悪化には無頓着でも年金の支払い方式の変更には過敏に反応するのはこの為でしょう。米国の場合には一般国民意識と国家の国家の行動との乖離が最近特に大きくなっているように見えます。イラク侵攻を始め最近の米国の行動は米国民の為のものでは無く一部特定の人達の利益に寄与する為のものに見えます。米国という世界最大の武力とドルという基軸通貨を巧みに利用しているのでしょう。このように考えますと近い将来、日米の経済破綻は避けられず、そのような事態が起きると世界の一体化は一気に加速するのではないでしょうか?
32・兵器開発 (2004年05月28日)
人類の科学技術の発展の中で最も憂慮されているのが、武器の進歩です。弓矢の時代から鉄砲、大砲さらには原爆、核弾道ミサイル等というもの出現しています。技術の進歩と発展が人を殺傷する機器の開発に悪用されている現状は嘆かわしい限りです。日本も広島、長崎の原爆、東京、大阪の大空襲と大きな被害を受けています。このままエスカレートして行く事を世界中が恐れている事だと思います。
しかしながら何故ここまで武器が進歩したのか、逆説的な考え方ですが、もしかしたら人類を含む全ての生物体の総意があってこのようになっているのではないかと思ってしまうのです。確かに破壊に繋がる兵器の進化は生物にとり好ましい事態ではありませんが、それよりももっと恐ろしい事態に対処する目的が隠されているのではないかと考えてしまうのです。恐ろしい事態とは小惑星の突入です。過去の地球では数回小惑星が衝突し、その度に生命が絶滅の危機に陥っています。最近では6500万年前にメキシコのユカタン半島に落下した例があります。最近の研究ではこの際に地球は急激に高熱になり、ほとんど一瞬にして地上の生命の多くが死滅したと考えられています。これほど大きいものは数千万年か数億年に一回の割合でしょうが、小さいものであればもっと頻繁に落下しているでしょうし、何時災難が来るか分かりませんが今後もその恐れがあります。
地球上の全生命体から人類に託されている役割はさながら映画のように小惑星を衝突前に軌道を逸らすか破壊する事にあるのだと思います。現在の人類の力ではそうは簡単ではないでしょうが、着実に力を付けているので、近い将来十分に可能になると思っています。地上に生きている全生物の為に役に立つ時が来るのかも知れません。ただ人類がその重要な役割を果たす前に愚かな戦いをして絶滅してしまうのではないかと危惧しております。
31・時間を超えて (2004年05月04日)
SF小説の中で時間を超えて過去や未来に行くというストリー展開のものがあります。映画やアニメでもこの手法は取り上げられる事が多く、タイムマシンとかタイムスリップ等が出て来て過去を変える・・等という話がよくあります。小さい時からこのような話が大好きであり、SF作家の広瀬正さん、豊田有恒さんの小説などをよみ耽ったものです。映画では何と言っても不滅の名作と言える「バックトゥーザフューチャー」そして最近では過去の人との手紙を通じての交際を描いた韓国映画「イルマーレ」も大好きな作品です。少年時代にはテレビで「タイムトンネル」という番組もあり毎週楽しみに見ていました。どの小説も映画も見ている時には楽しく見るのですが、よく考えると必ず矛盾が出て来ます。時を超える、昔に行くとなると何かがおかしい事になってしまいますが、それでもストーリーが面白いとはまってしまいます。
本当に時間を超える事が出来るのでしょうか?科学小説に登場する機械の中でまず実現が不可能と言われているタイムマシンですが、本当に出来ないのでしょうか?少年時代に聞いた話では光速を超えると過去に向かうと言う話で、光速ロケットで出ると地球に戻ると過去になっているという事でした。これを実用化するのはなかなか難しい事でしょう。ただ時が流れているというのは理解出来ますが、時とは何であろうと考えるとよく理解出来なくなってしまいます。実在するのは現在だけ、時間軸で言えば点に過ぎない現在だけが実在する事になります。としますと過去というは存在しない事になります。
時々考えるのは確かに時間は経過しているがもしかしたら本当は時間は逆流しているのではないかと考えてしまうのです。この我々の暮らす宇宙は最初は点のような存在でそれがバックバンで急激に膨張し、現在も拡大し続けている、遠い将来は各銀河がバラバラに遠く点在するような状態になるという事ですが本当は点に向かって進んでいるのを我々は反対に感知しているだけなのではないかと思ってしまうのです。これならばキリスト教の予定説も納得出来ますね。宇宙は我々の宇宙だけではないかも知れないと言われていますが、それぞれの空間のあり方も時間のあり方もバラバラなのでしょう。それらを全体とした時には本当は我々の感じている時間は一様でも無くまた進行している訳でも無いのかも知れないと考えていまいます。
30・生命体 (2004年04月25日)
地球が大体46億年前に誕生してそれ程経過しない時に生命が誕生したようです。誰も見た事が無いので確認は出来ないでしょうが科学的な見地から間違いは無いようです。それ以降地球は大隕石の衝突が数回あり、その際には地殻の岩石も蒸発し真っ赤な星になったそうですが、そのような環境の中でも生物は生き延びて来ました。地底深くの場所まで生命は入り込み、海や地殻までも蒸発するような事態でも生き延びて来られたそうです。
この地球生物は本当に地球発祥なのでしょうか?時々もしかしたら他の星から送り込まれて来たのではないかと想像するのです。我々人類の歴史を見ますと「自分が守る範囲」要するに自分達という概念が拡大して来た事が理解出来ます。最初は周囲の部落、そして村になり、国そして近代国家となり、現在では人類全体を考えている。そしてエコロジーというような発想を通じて地球という枠組みの中で生命全体の事を考え始めています。現在は人類の存続を第一義考えているでしょうが、もう少し経つと生命体を存続させるにはどのようにすれば良いのかという事が中心課題になるように想像しています。
生命の本質は子孫を残す事、どこにでも入り込める場所があれば新しい場所にも進出する事だと思います。ウイルスから人間まで生命体を構成している部品は基本的には同じですので、これは全て共通であると思います。もう少し時代が経過するとどのような行動に出るか考えますと地球型生命を他の天体で生息出来るようにする事を考えるのではないでしょうか?最近数億年前に岩塩に閉じ込められていたウイルスは生きているでも死んでいるでもない、ただそのままになっている状態で、培養を行えば蘇生する事が紹介されていましたが、このようなウイルスを宇宙船に積み込み、生息が可能かもしれないような惑星に数万年、数億年掛かって旅させるような事をするのではないでしょうか?まず手始めに太陽系の大気のある惑星に生息可能と考えられるような種、例えばアンモニアに覆われている星にはアンモニアを栄養源にする独立栄養細菌のようなものを送り込む事でしょう。要するに種蒔きをするわけです。
我々がそのような存在であるという事はもしかしたらある星の生物が同じような事を考え、地球に自分達と同型の原始的な生命体を送り込んだ可能性があると想像しています。当時の地球環境に対応出来るウイルスのようなものを撒いたと想像するのです。要するに地球に対して種蒔きをしたのかも知れないと思うのです。宇宙人はまず居ないと考えられていますが、同じような事が繰り返し行われているとすればもしかしたらこの銀河は地球と同じ型の生命体で溢れかえっているのかも知れませんね。ただウイルスのようなものからそれぞれの星の様々な環境で進化を遂げているとすると見た目そして生態には大きな違いが生じている事でしょう。またもしそうでは無く地球で生命が発祥したのであれば我々人類が種蒔きを始め、遠い将来には銀河は地球型の生命で満ち溢れるのかも知れませんね。
29・地球儀 (2004年01月04日)
小さい時に何故か地球儀に興味を持ち毎日眺めていた記憶があります。丸く色々な色で塗られており、書斎の中央に鎮座していたので自然と関心を持ったのでしょう、勿論最初は何を意味するものなのか知らなかったと思います。少し大きくなるとこの球体が自分達が暮らしている世界を示し、色分けされているのが国である事を理解しました。好きで毎日のように眺めて、クルクルと回していたように記憶しています。数色使われていたのですが、日本だけが特別扱いで「赤」になっていたのが印象的でした。
世界に関する基本的な知識・理解にはこの地球儀は最適であると思っています。勿論地図を見る事も大切ですが、地図の場合には球体を平面にしているので、どうしても歪曲されてしまい、誤解を与えてしまう可能性があります。例えば日本で描かれている世界地図はほとんどが日本が中心になっており、右の端にアメリカ大陸、左の端に欧州とアフリカがあります。日本から出掛ける場合にはこれで問題は無いのですが、南米からアフリカ、欧州までの距離感、大西洋の大きさに関しては分かりません。また海図などに広く用いられていた縦横が四角で表されるメルカトル図法で描かれた地図ですと極地が非常に大きくなり、グリーンランドがオーストラリアの数倍にもなってしまいます。
そしてもう一つ大きな問題は通常使用されている世界地図帳では大体の場合には地域、地方毎に地図になっているのですが、欧州などは幾つかの地域に分けて数枚にわたり描かれる事が多いのに対して南米やアフリカは一枚でおしまいという事が多いようです。南米やアフリカの広がり大きさを実感出来ないでいる方は多く、それぞれのイメージは「アマゾン」と「サバンナで象やライオンが駆け巡る」というもので他のイメージを持ち難くなっているようです。北アフリカは地中海世界であり、赤道よりは欧州の方がはるかに近い、そのような事が分からないままになってしまう恐れがあります。
それでは地理クイズを:
(地理クイズ) 一問20点 100点満点(答えはこのページの一番下にあります)
1・次の都市を北から並べて下さい:(1)マドリー(スペイン)、(2)イスタンブール(トルコ)、(3)北京(中国)
2・一番北に在る都市はどこでしょう。(1)アルジェ(アルジェリア)、(2)テヘラン(イラン)、(3)東京(日本)
3・面積の広い順に並べて下さい。(1)ポルトガル、(2)韓国、(3)グアテマラ
4・面積の広い順に並べて下さい。(1)日本、(2)ジンバブエ、(3)パラグアイ
5・東京から直線距離で近い順に並べて下さい。(1)ロンドン(英国)、(2)カイロ(エジプト)、(3)シカゴ(米国)
改めて地球儀を見ますとアフリカと南米の大きさに驚くはずです。何時もイメージしている大きさよりは数倍あると思われる事でしょう。アスンシオンからロス・アンジェルスの方がロス・アンジェルスから東京までより遠い事を分かってもらえると思います。またそれぞれ新しい発見があると思います。ただ現在ある多くの地球儀には幾つか不満があります。まず多くの地球儀は北が上の固定式であるという点です。地図を描く時に北を上にする約束を定めてそれを地球儀にも適用しているのですが、常に南半球は下になり、北半球上位の思考の原因になっているように感じます。最近では自由に方向を動かせる地球儀が出ており、南半球に住んでいる者としては購入されるのであればこのタイプをお勧めしたいです。
次に国毎に色分けされているタイプが多いのですが、それぞれの国家で住民に対する国家の軽重は異なるものであると思っています。例えば色分けするのであっても緑系はイスラム、青系はカトリック、赤系は仏教のように宗教地図を兼ねるような工夫があっても良いように思います。また国境は線だけで高低により緑から茶色まで色分けしているものもありますが、緑地〜乾燥地までの色分けと錯覚してしまいます。
地理特に世界地誌の知識は現代のようなグローバリゼーションの時代には外国語の知識と共に不可欠な要素であると思っています。各家庭に一つ、政治家や政府高官のデスクには可動式の大きな地球儀を必ず一つ置き、時間が在る時にはそれを眺める習慣を付けたら世界は変わるように思いますが如何でしょうか?
28・国民国家の将来 (2004年01月03日)
以前、本を書いた時、最後の方にこれからの世界について想像し「21世紀は国境とお金が消えるのではないか」と述べました。国境が次第に意味をなさなくなり、国家というものが形骸化して行くと思っていたのです。それから数年が経過し、今の世界を見ていますと現実に国家が消える過程に入っているように感じます。また将来国家が実質的に機能しない状態になれば当然の事ですが国家が発行している中央銀行券であるお金も意味を失う事になると考えています。そのような社会への移行過程にもう既に入っている、世界の色々な出来事を見ているとそう感じるのです。
世界地図を見ますと国毎に色分けされて、世界の全ての土地は南極を除いてどこかの国に所属しています。アメリカ合州国、ロシア、中国というような巨大な国家からアンドラ、セントルシア、パラオなどと言う人口数万の国まであります。これらの国家の調整と話し合いの場として国際連合が在るというのが第二次世界大戦後の20世紀の世界の構図でした。20世紀は国家の競争の時代、前半は2回の世界大戦を中心に国家間の軍事戦争、後半は米ソを中心とするイデオロギー戦争、そして経済力の競争を行っていました。そして21世紀に入りこの数年の動きを見ていますと国家の意義が少しづつですが変化して来ているように思うのです。欧州では共通通貨を導入し、東に拡大しながら一つの大きな経済圏を形成しています。そして世界の各地で自由貿易協定が締結され、国家間で連合して経済圏を築く動きが急増しています。国が一つの経済単位ではなくなって来ています。
19世紀においては歩いて届く範囲がそれぞれの世界であったように思います。例えば日本は実際には長州、薩摩などそれぞれが藩毎に独立しており、単位でした。人々の所属意識も日本人である前にまず長州人、薩摩人であったように思います。これが産業革命により汽車、自動車などの移動手段、そして電信電話等の通信設備が普及し生活の範囲は急激に拡大し、現在の国家の大きさにまで生活圏が拡大しました。そしてここに来てインターネットや衛星テレビの普及で国家の枠組みが急激に変わっているように見えます。米国では昨年後半は景気が回復しましたが、失業率は高いままでした。これには幾つかの要因がありますが、IT産業に関して言えばインターネットの普及でインド等の外国へ仕事を移してしまった事が大きく影響しています。インドの人と仕事を奪い合っているという訳です。情報に関しても衛星放送の普及で世界の放送を見る事が出来ますし、インターネットを用いて知りたい情報を直ぐに得る事が出来るようになって来ました。
まだ世界には言語という大きな壁がありますが、これも次第に低くなっているように思います。インターネットのサービスの中に「無料の自動翻訳サービス」というのがありますが、似ている言語同士ではほとんど問題無く翻訳出来、コミュニケーションが出来るようになっています。実際に使ってみますと日本語と韓国語の間ではほとんど問題無く訳せます。言語学的にみて遠い言語間に関しても研究が進み、技術が進歩すれば後数年で実用のレベルまで達するのではないかと想像しています。その時には世界の主要言語の中の一つが出来る人は全員がインターネットを介して情報を交換出来るようになります。言語の障壁が無くなれば国境の意味は一段と薄らぐと思います。メールの交換やウェッブの閲覧はもとより労働市場も世界は一つになることでしょう。事の指示を全てメールで行っている企業もあるそうですが、同じ事務所に様々な言語の人が居ても全く問題なくコミュニケーションが可能となある訳で、世界の労働市場が一つになる可能性があります。
日本は世界の中でも特異な国家でなのでしょう。十分な人口があり、ほとんどの産品を自国で生産し、歴史、文化、言語等も一国で完結しています。このような国は例外であり、世界のほとんどの国はどこか不完全です。例えばここパラグアイは隣国は勿論大陸全体で言語は共通であり、歴史・文化も共有の部分が多くあります。人口は十分では無く産品もほとんどが輸入となっています。それでもまだパラグアイは国民が自分の国に所属していると考えているので国家らしいと言えます。西アジア、アフリカでは多くの国が帝国主義の時代に欧州によって蚕食され、欧州の利権により国境が引かれ、欧米流の統治形態があてがわれました。アフリカに住んでいる人達の多くは国民である前に所属している部族の一員と考えているのではないでしょうか?そして西アジアについては、オスマントルコが消滅し、英仏などが線引きをし、それが現在の国境の原型になっています。7世紀にイスラム教が登場して以来千年以上にわたりイスラム世界は信者総代として君臨したカリフを一つの頂点としたイスラム共同体を形成し、キリスト教の世界を凌駕して来ました。数回にわたる十字軍の進入も結局は撃退しました。現在では本来は一つであるべきイスラム・アラブ社会が四分五裂となっています。これをまとめて行こうとする動きもあり、例えばエジプトとシリアで離れていても一つの国家(アラブ連合)となり統合を目指しましたが結局は主導権争いで利害が調整出来ず統合出来ませんでした。現在もこの地域は多くの場合中途半端なままになっており、世界で最も不安定な地域になり紛争が絶えません。
商売の中身がグロバリぜーションの影響で劇的に変化して来ており、また世界の人の繋がり方、人々の所属意識が大きく変化しており、多くの人は、国民である前に宗教や趣味の繋がりの方に意識が在るようになっているように見えます。既に現在では国民が居て国家があるという図式が成り立たなくなり始めているように見えます。この傾向が強まりますと国と個人の関係も大きな変化が出て来る事でしょう。近い将来、擬似国家みたいなものが出現し国民の獲得競争を行うのかも知れませんね。
27・イラクと民主主義 (2004年01月01日)
イラクのフセイン大統領を米国が打ち破り、そのフセイン大統領も囚われの身となっています。米国は同時多発テロの黒幕をイラクのフセイン大統領と見定めこのような攻撃を行い、国民も支持をして来ました。その根底にある米国の思想は「米国は世界一繁栄している国家である。これは民主主義が確立し、自由で平等な社会を実現したからである。しかるに遅れている国々を救うのはこの民主主義であり、米国は世界にこのすばらしい民主主義を広める為に伝道しなければならない」と思っているのでしょう。このような論理で世界に対する理解は無いまま、自国流を押し付けています。英語の「UNDERSTAND」は日本語では「理解」という語に訳されるのですが、本来は「下に立つ」要するに相手の居る場所の下に居る事「相手の立場に立つ事」を指す言葉なのですが、実際には「上から睥睨する」になっているように思え、到底本来の理解「UNDERSTAND」にはなっていないように見えます。
さてイラクですが、米国は「民主的な国家体制に移行する。」としています。イラク国民の為にフセイン政権を打倒し、自らを解放者と位置付けているようですが、バクダットの様子、市民のインタビュー等を見ていますと必ずして現地ではそのようには思われていないようです。米国流の民主的な政権を強制的に押し付けるように早期に打ち立てる事を目標にしているようですが、どうしてもこの点がよく理解出来ません。まず「イラク人」と言いますがこれがどのようなものなのか、イラクというものがそもそも米国とか日本、パラグアイのような国家、要するに国民国家なのか検証して見る必要があります。イラクという国家の成り立ちはオスマントルコ帝国に服従していたアラブ人が独立を目指し立ち上がった、そこに英国、フランス等の欧州の列強が利権を求めて介入、それぞれの利益に基づき線引きを行い、真ん中に残った場所をイラクという国にしたというのが実際のところでしょう。
このようにイラクは列強のご都合により出来た国で「イラク民族」などいうものは最初から存在せず、国の中には多数派のアラブ人・シーア派と少数派のアラブ人・スンニー派そしてクルド人と少数民族としてのアルメニア人並びにキリスト教徒が住んでいます。それぞれの対立の歴史は根深いものがあり、何の縛りも無くなれば直ちにそれぞれの間で主導権争いになる事でしょう。シーア派とスンニー派の教義の差は小さいと言われますが、カリフの正当性を巡り戦争をして決別しているだけにそうは簡単に仲良く出来るとは思えません。またそれぞれのグループの中でも派閥があるようです。
このような状況下で国民が投票し選挙して選ばれた人を誰もが首長と認めるのかと言いますとはなはだ疑問です。本来の民主主義であれば原則論的に考えれば一人に一票づつを与えて選挙するのでしょうが、これを実施すれば順当に考えれば多数派のシーアが勝利する事でしょうが、これには現在まで実権を握っていたスンニー派の人達が認めないでしょう。そして北部に住むクルド人はそのどちらとも一緒はお断りでしょう。このように実態は線引きされた中に雑多な人達が暮らすだけであり、国民国家の前提等全く無いのが実情であると思います。米国は直接選挙では無い政権を目指すでしょうが、恣意的に決めた定数を自分達に不利と見た人達が認めるとは到底思えません、ましてや米主導の暫定評議会などは多分米国の後ろ盾を失った瞬間に崩壊する事でしょう。
民主主義自体に関しても非常に難しい問題を抱えていると思います。民主主義が機能するには幾つかの前提条件があるに思います。民主主義は資本主義と共に産業革命以降の欧米で発達して来たもので、その成り立ちの歴史を検証する必要があるように思います。産業革命と民主主義が何故欧米で発展したかについては色々な要因があると思いますが、キリスト教、特にプロテスタントの思想が大きな役割を果たしたと思っています。まず神とのタテの契約を横にも同じように適用した事が大きかったように思います。欧米先進国では一旦為された契約は絶対視して、その履行に全力をあげますが、ここ中南米やイスラムの国ではそうなりません。日本は外からの思想を自分のものとする天才ですから明治維新以降、欧米から契約の概念を与えられてある程度は会得しているように見えますがまだまだ十分とは言えません。武士道の伝統もあり、約束を違えるのは恥とする文化がありましたので、受け入れ易かったのでしょう。
日本人が当地に来ますと「パラグアイ人は約束を守らない」と不満をつのる方がいます。これはカトリックの国では拘束のある約束はタテ関係、要するに神様とだけであり、個々の約束に優先すると考えており、全力を出して履行出来ないのは神のおぼしめし、自分の責任では無いと考えるからだと思います。このような社会では民主主義が限定的にならざるを得ず、中南米での政治不安の大きな要因になっていると思います。神を絶対視するイスラムの社会でも状況は同じであると思います。約束事も第三者と直接に結ぶのでは無く神を通じて行われるものという認識になると思われます。
そして現在の民主主義に至る過程として闘争の歴史が大きかったように思います。勝ち取った権利の積み重ねが民主主義の原点であると思うのです。米国でも昔は黒人奴隷が居たわけで、黒人や女性の権利そして様々なマイノリティーの権利などは長い闘争の歴史で勝ち取ったものです。与えられた民主主義はなかなか機能しないという事実があるように感じます。日本では戦前には板垣退助等の民主主義の闘争の歴史がありますが、敗戦後に米国から与えられた民主主義がそのベースになっています。その為か日本の民主主義も大きく変質してしまい、真の民意とは異なる官僚の論理が政治を動かしているように見えます。日本人はこの事に対して不満は持っているでしょうが、具体的な強い抗議行動には現れていません。これは与えられた民主主義であるかただと思っています。自分で汗水たらして稼いだお金は使い方を十分に考えますが、あぶく銭は身に付かないのと同じであると思います。
イラクのように欧米型の民主主義は拒否する気持ちが強い人達に押し付け、受け入れてもらうのには相当の努力が必要であると思います。米国が考えているような民主主義については、キリスト教とセットになっていると考えている事でしょう。米国大統領が演説を行う時の最後に聖書に手を置いて「神のご加護を」と祈るのは民主主義の本質を示しているように思います。イスラムの教えでは生活の規範を細かく定めていますが欧米型の民主主義はキリスト教から来た規範であり、イスラムの教えに沿っていないものと捕らえる事でしょう。住民たちの抵抗を見ていますとフセインのような独裁は嫌だが英米主導の政権はもっと嫌だと思っているのかも知れません。十字軍の侵攻から始まる長年の歴史から来る拒否反応を拭い去るのは至難の事のように思います。
さて、イラク問題をどのように解決するかと言いますと、米国流の民主主義の押し付けでは問題は解決しないのは明白であると思います。戦争の終結、フセイン元大統領の逮捕等の大きな事件の度に米国内では期待を込めて楽観論が出て来ますが、基本的な問題が何も片付いていないので親米政権が出来上がるとは思えません。イスラムの社会は生活の規範までコーランに基づいています。外から見ていますとイラクという国が確固として存在しているように見えますが、住んでいる人達の所属意識はコーランを中心とするイスラム社会共同体にあると想像しています。民主主義に関しても西アジア地域にふさわしい、地域の人達の考えて実践して行ける方法があると思います。それは多分イスラム共同体の思想を取り入れ、イスラム法学者を尊重するようなものになるのでしょう。
米国がイラクの問題を完全解決するにはイスラム教徒が米国大統領にならない限りは無理かも知れませんが、これはまず不可能でしょう。それならばまず「UNDERSTAND」をする事からはじめ、謙虚に意見を聞く事から始めるべきでしょう。このままですとベトナム以上の泥沼に陥る危険性があるように思います。クルド族の問題、そしてシーア派とスンニー派の問題を考えますと3ないし4分割しユーゴスラビアのような解体しか方法が無いのかも知れません。それでも内部の主導権争いは熾烈なものになる事でしょう。パレスチナ問題もあり、西アジア全体の問題を抜本的に解決するには現在在る西欧を模倣して作った国家を解体して再編成するか、イスラムの規範に従うような形で国家の果たす役割を変えて行くしか方法が無いのかも知れませんね。イラクの将来はどうなるのか注目しています。
26・中国とインド (2004年05月07日)
現在の世界で米国は金融やIT関連で優位に立ち世界スタンダードを決め、日本は技術立国として電化製品や自動車を製造し、世界に向けて輸出しています。この2ヶ国で世界のGDPの約半分を占めています。これを激しく追い上げているのかインドと中国です。この両国は世界の歴史の中では常に主役を演じているスターの国であったと思います。日本は江戸時代まではこの両国と自国を併せて「三国」と称し、世界を表していました。三国一の花嫁というのはこの三国で一番のこと、すなわち世界で一番という事でした。
帝国主義の時代に欧米列強に武力して侵略を受け、中国もインドもその殖民地と成り下がってしまいました。富は列強に吸い上げられ、多くの人達は貧困に喘いでいました。20世紀も後半になりますと民族主義が台頭し、世界の植民地は独立、中国インドも紆余曲折はありましたが、独立国となり現在に至っています。この両国がいよいよ世界の檜舞台に出て来たように見えます。両国の発展の内容を見ていますとインドは米国をそして中国は日本を追撃しているように見えます。インドはIT大国として世界のソフト産業を支えるようになっていますし、中国は世界の工場として機能しています。両国とも人口は10億人を超えており、国が豊かになり高等教育が普及した段階では更に力を付ける事になるでしょう。
世界はボーダレスの時代になっています。インターネットを通じて情報は駆け巡り、場所による不利は少なくなっています。以前であれば産業で優位になっている国の中に居なければ出来なかった事も今ではかなりの事がどこでも出来るようになっています。また、日本人と中国人は似ています、日本人が出来る事、得意な事は中国人も出来るでしょう、特に最近は向上心に燃える理工系の学生が多くなり将来の日中逆転は近いように思います。ソニー等の企業は中国からも学生を採用しており、その割合は増えて行く事でしょう。日本の技術を支えているのは外国人という時代が来るのかも知れません。研究所を中国に持つのが企業として合理的な選択となれば日本を出て行く事になるでしょう。日本発祥の企業が中身の核心の部分まで外国に出て行く事もそう先の事ではないように思います。中国とインドが世界の中心に帰り咲いた時にこの世界の中に日本の居場所はあるのでしょうか?
(地理クイズ答え)
1・北から(2)イスタンブール(トルコ)、(1)マドリー(スペイン)、(3)北京(中国)です。ほぼ北緯40度に在る都市です。
2・一番北に在るのは(1)アルジェ(アルジェリア)です。東京とテヘランはほとんど同じ緯度です。
3・面積の広い順は(3)グアテマラ、(2)韓国、(1)ポルトガルです。
4・面積の広い順は(3)パラグアイ、(2)ジンバブエ、(1)日本です。このページを閲覧されている方には簡単だったでしょう。
5・東京から直線距離で近い順は(1)ロンドン(英国)、(2)カイロ(エジプト)、(3)シカゴ(米国)です。ほぼ1万キロの都市です。
一問20点で何点取れましたでしょうか?