思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります。-04 (2005年)



2005年は混沌とした時代の幕開けのように感じます。各地でテロが発生しており、未来に対して底抜けに明るいイメージを抱いていた時代が懐かしいですね。

思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-01 (98-2002年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-02 (2003年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-03 (2004年)



45・ベートーベン(2005年12月31日)

歴史上の人物の中で一番好きな人は誰か?という質問があれば間違い無く「ベートーベン」と答える事でしょう。既に亡くなった人に感謝するというのは変な感覚ですが、何か嫌な事がある時、迷いがある時、平常心を取り戻したいと願うとき、くつろぎたい時、よく眠れない時、何気なくBGMとしてベートーベンの9つの交響曲を聞いています。小さい時から今に至るまで毎日のようにお世話になっているので、過去の人という気がしませんし、「ドイツ人」という事も超越してしまっています。勿論、実在の人物であり、今から200年くらい前日本では江戸時代の後半の時代に生きた人です。

小学生の時に最初に「田園」を聞いた時に「鳥のさえずり」「カッコーのなき声」「村の祭り」「嵐の場面」などの描写がすばらしく驚きました。実はその時まで「カッコー」というのはどのような鳴き声なのか知らなかったので、カッコーというのは音程を付けて鳴くものと思っていまいました。中学に入り何故か「8番」が好きになり、毎日のように聞いていました。音楽を聴いている半分はこの曲という感じで、寝る時にはこれを聴きながら寝るというのが当時の習慣でした。余りに8番ばかり聴いているので、友人からは「第八」というあだ名が付けられた程です。母はこれを聞いて「大八車」と思っていたようです。

社会人になりコーラスを始めますと、歌うのは何と言いましても年末の「第九・合唱付き」です。聴いている時には第四楽章の最後の部分だけというような印象でしたが、実際には歌い始めてから終わるまで30分くらいかかる大曲です。どのパートも音程が高いのが特徴で、バスでもテノールの音域まで行きますし、テノールは更に上を歌うので大変で、市民合唱団ですとどこもテノールが少ないのが悩みとなっていました。応援に行きますと、他のパートでの応援とは別格扱い、喜ばれて特別にお茶が出て来るという感じでした。全体が200人位のコーラスですと女性が150人、男性が50人、その内テノールが15人という感じでした。少ないだけに常にテノールの結束は強く気持ち良く歌っていました。大体第三楽章から後ろに出て待っているのですが、ここは特等席、すばらしい演奏を一番近くで聴く事が出来、気にっていました。ただ後ろにいますので、お客として聴くのとはオケの編成が逆で、最初は多少面食らった記憶があります。

これだけお世話になっているベートーベンですが、ご本人は生きている時には200年後、アジアの端の国で毎年年末恒例で各地で第九が演奏されるようになるとは想像もしなかったと思います。「録音」という事も想定外であったでしょうから、普通の人が家で手軽に聴く事も考えてもいなかった事でしょう。多分ご本人が考えていなかった大きな貢献を人類全体にしていると思います。このベートーベンは難聴であった事が有名ですが何でも当時のワインには鉛が入っていて、鉛中毒になって下痢を起こし難聴になったという説が有力なのだそうです。人類への貢献度としてはナンバーワンの一人でしょう、スパーヒーローであると思います。さて、今日は交響曲7番でも聴きながら寝るとしましょう。



(写真:ベートーベン)



44・会社・企業の大義 (2005年07月17日)
日本の多くの企業では「社是」なるものがあり、大義名分をもって会社運営に当たっています。会社は利益だけを考え金儲けだけに終始し「大義」が無いと存続しないものなのでしょう。最近では社員としての行動規範を定め法律遵守を宣言する企業も増えています。大義があり会社があり、業務がありその結果として利益が出るという流れなのでしょう。

江戸時代、混乱する戦国の世から秩序ある社会への移行を目指し統治する武士としての規範をまず定めています。「武家諸法度」として発布され、武士が社会の中であるべき姿を定めています。江戸時代が大きな混乱も無く長期安定政権になり得たものこの規範があった事が大きかったと思っています。下克上の時代、秀吉、道三など下級階層から大大名にのし上がる時代であったわけですから戦国の時代の武士は単なる戦闘集団であり、確定した階級であったとは思えません。足軽などは野盗と同義語で乱暴狼藉を働いていたのでしょう。それを見事に高邁な精神と自己規律のある集団に変えた徳川政権というのはすごいものだと改めて感心します。現代日本へ続く日本の規範とも言える武士道「サムライ精神」の基盤を作った功績は非常に大きいと思います。

多くの企業が活動範囲を拡大し新天地を目指して業務を増やしています。当然利益をどの程度得る事が出来るかが大事ですが、その前に「大義」があるかどうかがなによりも重要であるように思います。中国に多くの企業が進出して成功している例もありますが、どうも上手く行かない例も多々あるように見えます。これは大義無く単に人件費が安いなどという目先の理由で進出した事に問題があるのではないかと疑っています。中国のある地方に進出する場合にそこの地域の利益になるのか迷惑を与える事は無いのか、等に充分に注意を払い、歓迎される形で進出をすれば成功する確率は高くなるでしょう。

会社によっては他の理由で進出することもあるでしょう。M&Aの手法で会社を買い取り進出するケースもあると思います。計算を行い、「充分利益が出るのでやりましょう」だけでは上手く行かない事は間違いありません。大義が無く事業を開始する場合には何か問題があると解決するモチベーションは高くはならないでしょう。大きな問題が生じた時には責任のなすりあいになるかも知れません。事なかれ主義がはびこるかも知れません。進出する地域の事情に配慮し、そこで生活している人達の利益になるのか、迷惑を掛ける事は無いかなどを配慮して高邁な大義を掲げる事が出来、サムライ精神で仕事に当たれば社員のモチベーションは上がり会社が発展する可能性は高まると思うのです。



43・歴史の真実 (2005年07月22日)

テレビ番組で「大河ドラマ」という人気シリーズがあり歴史上の人物を取り上げその人の生涯を一年間にわたり放映しています。特に人気がある秀吉、義経、蔵助などは何回も登場しています。それぞれのシリーズにより脚本・配役も異なり同じ人物を描いていてもかなり異なる印象を受け、また何回も見ていますとある歴史的な出来事が何回も起きたような錯覚をします。例えば桶狭間の合戦、これは織田信長が今川義元を討ったものですが、秀吉、家康も参戦しているので戦国を取り扱うドラマではまずこの場面が出て来ます。昔のドラマ設定では窪地に間抜けた義元が油断をしており、全く無警戒に飯を食べている際に襲われたように描いていますが、最近のは丘の上にしっかりとした陣を敷き立派な武将として描かれています。実際には一回しか起きていない歴史的な出来事ですので変化して行く事自体変なのですが、研究が進みまた時代背景により変わって行きます。

歴史上のヒーローの中でイメージが一番大きく変わって行ったのは豊臣秀吉でしょう。高度成長の始まりの時代に国民は秀吉に自身の夢を託して立身物語を見たと思います。その時の秀吉はエネルギッシュで好人物に描かれていたと思います。その後次第に秀吉像にも変化が現れて来て策謀の人、怜悧な人物と描かれる事が多くなったように見えます。朝鮮派兵を強行し国民に無理を強いた秀吉は多分当時特に後半はそれ程人気のある統治者ではなかったと想像します。明治になり、徳川政権の世の中を否定する必要が出た時、征韓論の高まりと共に秀吉の人気が意図的に引き上げられて行ったのでしょう。

もう一人日本史上人気が高いヒーローに「龍馬」がいます。義経や秀吉は歴史的に活躍した事が確定しており、まず彼等が歴史に大きな足跡を残した事は間違いが無いでしょう。例えば、義経が平氏を打ち倒して源氏の政権が確立して鎌倉時代に至ったのは歴史的事実と思います。その中でこの坂本龍馬に関しては疑念を抱いています。この人物は幕末の時代、彗星のように現れてそれまで争って対立していた薩摩と長州が同盟する事に仲介者として奔走し大きな役割を果たし日本の明治維新の立役者のように描かれています。まずどう考えても薩摩と長州はそれぞれの利益の為に動いている、例え仲介者が居たとしてもそれは脇役で実際には両者が綿密に同盟を検討したと考えるのが自然です。

では何故この龍馬がこれほどの英雄として描かれるようになったのかについてですが、これには色々な説があるようです。一番考えられるのは土佐藩の面子を立てること、当初、明治政府を支えた薩長土肥の中で土佐出身の有名な倒幕に功労のある志士が少なく、土佐藩出身の龍馬が大きな役割を果たしたとすれば明治政府を支える雄藩としての立場が良くなるという薩長の配慮があったものと想像します。また薩摩と長州が直接交渉した事を隠蔽し、仲介者によって同盟が成り立ったとした方が都合良かったからという理由もあるのでしょう。龍馬は薩摩に雇われていた浪人に過ぎないという説、長州との話し合いの単なる走り使いをしていたとするものですが、これが案外真実であったのかも知れませんね。もし龍馬が暗殺されずに明治維新後まで生きていたならば大きく歴史に名を残さなかった、要するに薩長同盟に関しては別の歴史ストーリーが作られたと想像します。

歴史として記録された事はほんの一部の事実です。資料や遺跡に残された資料も断片的なものでしかありません。自分個人の足跡に関しても曖昧な事が多くなかなか正確に書く事が出来ません。ましてや大事件や驚くような出来事に関しては関係者の中で隠蔽されて葬り去られた事実も多くある事でしょう。過去の出来事はどれも一回だけ起きていますが、もし明らかになれば「驚愕の真実」みたいな事がそれこそ星のごとくあるのでしょう。そのように考えますと今我々が知っている歴史というものは残されたもの、残したいものを断片的に繋ぎ合わせたものに過ぎず、またその多くは意図的に残されたものなのだと思います。



42・近未来 (2005年07月26日)
小さいときから空想小説が大好きでタイムマシンなどが出る小説をよく読んでいました。時空を超える物語にはタイムパラドックスが付き物でどうしてもおかしな点、矛盾が出て来るのですが、それでも面白いものです。映画でも有名な「バック・トゥー・ザ・フューチャ−」などは何回も繰り返して見ています。タイムマシンものの多くは過去へ向かうものが多いように見えます。過去は確定しており、「もしもあの時」というIFの物語は誰しも想像するからでしょう。例えば日本史であれば本能寺の変が起きずに信長がその後も生きていたならば、元(モンゴル)が攻めた時に台風が来ずに日本全土が占領されてしまっていたら、日本はその後どのようになっていたのだろうというようなものです。

最近は近未来にひかれています。近未来を描くのは簡単なようでなかなか難しいと思います。例えば僅か10年前には今では当たり前になっているインターネットもほとんど普及しておらず、パラグアイではサービスがまだ無かった、衛星放送も無く日本のテレビを同時に見るなど考えられない状態でした。DVDやデジタルカメラもまだ製品として登場する前の段階でした。外見はこの10年間余り変化は無いように思いますが、我々の生活の中身は大きく変化していると言えます。

10年後を考える場合にはもっと大きな変化が来ると想像します。日本もそして世界を取り巻く情勢も大きく変化している事でしょう。イラク問題、パレスチナ問題、朝鮮問題、中国と台湾の問題なども現在とは全く違った状況になっている事でしょう。例えば朝鮮問題一つとっても現在では韓国が朝鮮の最大の擁護者という印象ですが、少し以前ではこのような事態は夢想する事も出来ませんでした。

日本の近未来はどうなるのでしょう?10年後においても日本は現在のように世界の経済大国として君臨しているのでしょうか?食料や燃料が不足する事態に陥っているのでしょうか?突発的な事故や事件で大きく社会が変化しているのでしょうか?財政破綻が現実のものとなり悪性のスタグフレーションに見舞われているでしょうか?自分自身を振り返ってみますと、15年前まだバブルの時代に日本を出てパラグアイに来ましたが当時は15年後は日本は困窮した状態になると予想をしていました。現在の日本を見ていて思うのは何と強靭で奥が深いのだろうという事です。少々の悪い要因は何とかしてしまうだけの力を日本人は持っているように見えます。高齢化が進行し、近未来を扱うドラマや小説などはほとんど全てが暗い時代を予測しています。最近では書店に行きますと「破綻もの」が一つのジャンルになり、色々な本が出版されており、財政が破綻すると盛んに煽っています。

どうもへそ曲がりなのか意外と日本の将来は明るいのではないかと最近は根拠も無く楽観的に見てしまいます。この数年間に国際紛争や大きな紛争が生じても日本に利益をもたらすような形になるのではないかと想像するのです。戦後日本が復興したのは朝鮮戦争とベトナム戦争のお陰ですが、同じような事が再度起きるのではないかとの予感がします。地勢的にトラブルが多い地帯に日本はありますが、それが逆に活性化に繋がっているのだと思います。要するに国際的に大きな出来事が起き日本に特需が生じるのではないかと想像するのです。激しいインフレが生じて多少は経済が混乱するのかも知れませんが、需要の増大により凌ぎ切れると想像するのです。地球の反対側の南米は世界の主な紛争地帯から離れており、その分刺激を受ける事もなく沈滞しているのかも知れませんね。



41・地球が小さくなった (2005年07月27日)
よく色々な話の中で「地球が小さくなった」という話が出て来ます。これを聞きますと「地球が小さくなるはずはないだろう、昔も今も同じ大きさ」と反論したくなります。当たり前の事ですが地球の大きさはほとんど変化はないはずです。「地球が小さくなった」と言う人は比喩で通信の発達でインターネットを通じて瞬時に地球上の主な情報を得ることが出来るようになったこと、そして航空機等の交通機関の発達で遠くまで簡単に行く事が出来るようになった事を比喩しているのだと思います。

では本当に距離感が縮まったのでしょうか?確かに縮まった部分もあるでしょうがそうでもない事例も多いように見えます。距離感と実際の距離とが一致しない状況になっているのだと思います。インターネットで交信をしていますと地球の反対側に居ても常に交信をしていますと大体の状況は分かりますし、それほど遠くに居るような気がしません。隣でも全く関わりを持たずに暮らしていれば距離は非常に近くでも遠い存在です。

国際関係も同じような事が言えると思います。日本から見ますと朝鮮半島は直ぐ近くにありますが、朝鮮に対しては近い国という印象はほとんどありません。遠い不可解な国というのが国民の持つイメージでしょう。距離はずっとありますが米国や西欧諸国の方がずっと身近な存在になっているのだと思います。パラグアイでも余り交流の無い隣国ボリビアは近い存在ではありません、国境を接していないウルグアイやチリそして米国、スペインの方がずっと近い存在であると思います。

地球が小さくなる事はこれからも無いと思います。ただ感覚的な距離と実際の距離とはますます関係が無くなって来るような気がします。去るものは日々に疎しと言われますが、距離が遠くなっても疎くならない時代になっているのでしょうね。



40・南米と東北 (2005年07月27日)
地勢的に考えて、南米と東北地方の置かれている立場が何となく似ている気がするのです。大きさはかなり違いますし、日本の中の一地方と大きな大陸でこれも異なります。何が似ているかと言いますと、地域としては非常に統一的な文化がありますが、地域間の交流は近い所を除いては余り無いという点です。南米内の航空路網はかなり貧弱ですが、欧米とはかなりの航路があります。隣国くらいには行けますがその先の国に行くのは非常に大変ですし便数もかなり限られています。パラグアイからアルゼンチンとブラジル、チリに行く便は多いですがその他の国に行くのは大変です。例えばペルーの首都のリマに行こうとすると一度チリのサンティアゴに行きそこで乗り換えて行く事になりますが、待ち時間も長く一日掛かりとなります。北の方のベネズエラ等に行くには一度何と米国のマイアミに出て乗り換えて行く事もあります。

東北もよく事情が似ています。仙台が中心都市で多くの企業の東北支店はここにあります。確かに一番大きい街で東北の中心には違いありませんが、他の県の人は仙台に行くよりも東京に行く事に目が向いていますし、連絡も良くなっています。東北六県は共通の雰囲気があり、「東北地方」という確固たる地域になっていますが、仙台や他の県に行く事よりも東京に行く事が多く、東京との繋がりが強くなっています。南米の欧米が東北の場合には東京になるわけです。

グロバリゼーションの波がこのここ南米にも押し寄せて来ています。今まで南米の中だけを考えておれば済んでいた事も世界の情報を見て判断するそんな時代になっています。欧米との繋がりもますます増していく中でどのように変化して行くのか注目しています。



39・直接民主主義 (2005年07月22日)
現在の多くの政府は間接民主主義を取っています。国民の中から大統領もしくは国会議員を選出しこれらの人が国民の支持を得たとして政治を行なっています。立法府は選出された議員の賛成多数をもって国民の多数が支持したとしています。選挙を通じて国民は意思表示が出来る仕組みだとされています。選挙の仕組みや投票率でかなり民意が異なります。自分の支持する候補が居なければ例えある政党の政策を支持していたとしても投票に行く事は無いと思います。

一番の理想は直接民主主義であると思っています。国民全員が投票する事が難しいのでこの方法は取れないとして長い間「不可能」を理由に封印されて来ました。ここに来てインターネットの普及で物理的にはこの方法を取り入れる事が出来るようになったと思われます。郵政民営化のような重要法案に関しては直接民意に問うという方法が取れるわけです。インターネットを利用すると本人の認証、妨害、ハッカーなど様々な問題が出る事が予想されますが、解決可能として取り組めば出来ない事はないように思います。国会としては既得権益の侵害となるので積極的には進めないでしょうが、もしどこかの国が実施をすれば多くの国で検討しなければならない事態となると見ています。

直接投票の時代になれば立法府の役割も変わって来ることでしょう。従来であれば数年に一度の選挙の時を睨んで仕事をしていたのを毎日が勝負という事になるでしょう。ある特定の政党の意見だけが通るとは限りません、場合によっては少数党の意見が国民の過半数の賛成を得る事もあるでしょう。あくまで国会の補助的、そして限定的で良いと思います、直接民主主義の手法を取り入れ出来るだけ政治に民意を反映して欲しいと願っています。



38・外国人 (2005年07月31日)
まだ少年であった時代、周囲には外国人はおらず、日本人の中だけで暮らしていました。テレビを観れば外国人が登場するので外国があり、そこには日本人とは別の人達が居る事は理解していましたが、実感はありませんでした。中学生になり英語の授業が始まりました。英語は日本語と同様の言葉であり、現在の形になるまでかなりの時間を掛けて作り上げて来たものなのですが、言葉というよりは規則であり、学問であるという感じで教わり、楽しいものというより苦痛あったので今日までどうしても馴染めません。英語の文字を見ると難しい「勉強」と構えてしまうです。それでもその頃に初めて外国人と話す機会がありました。白人で当然ですが、日本人とは見た目に全く違います。実際に近くで見た印象は人というよりは別の生き物のように感じました。英語を話す白人なので米国人とばかり思っていましたが、「自分はオーストラリアから来た」と話してくれました。数分間の簡単な会話でしたが、実際に英語を使えて「英語は言葉」という事を実感しました。

大学生時代に欧米を旅行する時には自分が外国人です。周囲の人が全て白人という世界に始めはかなり戸惑いました。実際には遠いのでしょうが、欧州まで飛行機で数時間、これだけ違う世界が広がっているのを実際に体験した時にはかなりのカルチャーショックを感じたものです。そして現在は外国に住んでいますので雑多な人種が住んでいるのが当たり前になっています。逆に訪日し日本人だけの世界に行くと違和感さえ覚えるまでになりました。当地に住んでいますと日本人・日系人はほとんどが知り合い、知らない人を見掛けますとあの方はどなたなのか?と気になります。「日本人は知り合いであるのが当然」という感覚です。訪日しますと、ほとんどの人は他人で誰だか分かりません、知らない日本人が周囲に溢れている事が不思議に感じるのです。ここで長く暮らしていますと自分が東アジア系の顔をしている事を忘れることさえあります。現地の普通の皆さんが多く集まる場所で自分が目立つ、要するに他の人達とは違う人相であるという事を意識しなくなるのです。

人類は全てホモサピエンスで亜種は居ないとされています。でも実際には白人の中や黒人の中に入った時にはかなりの違和感があります。人種には文化や習慣という要因も大きいのは分かりますが身体的にもかなり差異があるのは間違いありません。人類は地球上に広がり数世紀前まではそれぞれ小さな単位で生き、交流も余り無くそれぞれ独自の社会の中で子孫を残して来ました。その結果として現在のように多種多様な風貌になったのでしょう。人類は文明を得て交易を行いそして移動し、他の地域に容易に移るようになりました。人口密度が希薄なここ米州大陸には世界各地から人が集まって来ています。これを見ていますと人類が文明を持った最大の目的は各地に住む人達を混ぜ合わせる事で亜種を作らずに種の等質化を狙ったものなのでは?と考えます。これからの数世紀、ますます人類の混血は進む事でしょう。いつの日には人種というのものが消え、外国人という概念自体がなくなるのかも知れませんね。



37・少数派 (2005年08月01日)
マイノリティーの人達、例えば在日韓国人・朝鮮人、性同一障害、ニート・フリーターなど社会の中で少数派という人達が居ます。この人達に対してかなり関心があり、インターネットなどでもこのようなページを訪問する事が多くなっています。確かに好奇心の塊であるという側面もありますが、一番の理由は自分自身も少数派であるという点でしょう。「南米移住者」というのは日本国籍を有する日本人全体の中では少数派と言えます。またパラグアイの社会の中でも外国人であり、それも東アジア系ですから少数派です。要するに日本社会からみても現地社会においても少数派という訳です。

少数派というのは何時も自分は多数派という方とは違う意識で生きていると思っています。常に社会的に多数派として生きている人達には少数派を意識する事はまず無いでしょう。自分達が所属している多数派の意見が社会の意見であり、多くの意見がその多数派の意見であり、問題は無いと考えているのでしょう。社会というのは常に多数派が中心です。現在良しとされ、ほとんどの国で採用されている民主主義なるものは多数派中心の思想です。過半数の意見に従う事を原則としていますので当然少数派は切り捨てられる運命にあります。少数派でも社会的にハンディキャップを負っている人達、身体に不自由のある方、母子家庭、失業者などは社会的な弱者として何らかの保護があります。しかしながら社会的な弱者では無い人々、例えば在日韓国人・朝鮮人、性同一障害、そして我々在外移住者などはそのような保護はありません。現地の社会でもこれは同じで東アジア系の外国人は常に普通のパラグアイ人から見れば特異な存在です。多数派に属している際には全く感じないでしょうが、少数派は多数派の意識行動を常に意識していると思います。

現在の多数決で全てを押し切る仕組みを見直す必要があると考えています。少数派を常に意識し、そこに属する人が普通に暮らせる社会を目指して欲しいと思っています。多数派の生活だけをしていてはなかなか理解する事が出来ないと思います。在日韓国人・朝鮮人の中で暮らしてみるとか、外国でしばらく生活する、女装して街を歩いてみるなどすれば多少は少数派の気持ちを理解出来るようになるのかも知れませんね。



36・世界 (2005年08月01日)
日本語を使いながらスペイン語を使っているとなかなか上手に翻訳出来ない単語がある事に気が付きます。単語が文化や宗教、哲学と結び付いている場合によくあるように思います。日本語で当たり前に使っている「世界」という単語もその一つです。単に世界とか、世界一とか使う場合にはワールドというような意味に使いますがこの単語もっと深い意味があり、様々に利用されます。

世界とは「世」とは世代のように時間に関係しているようです。要約すると「時間軸」なのでしょう。「界」の方は「空間全体」三次元全体を指すののでしょう。そうように考えますと「世界」というのは時間、空間全体という事になります。世界が宇宙全体や過去未来も含めて使う場合があるのはこの単語の広がりを示すものです。空間時間の無限の広がりを指す単語なのでしょう。また、「この世」「あの世」や「世の中」「世間」「世俗」などという言い方、概念も欧米人にはなかなか正確に説明出来ないと思います。界の方は「経済界」のようにある特定の括りを示す場合に使います。こちらの方はそれほど難しくない概念なのかも知れません。

「世界観」という単語があります。この場合にはワールドとは完全に違う精神的な領域に入っているように感じます。狭い意味としてはその人の見方、考え方という意味で使われますが「作者の視点」というのと「作者の世界観」と書くのではかなり印象が異なります。このウェッブ・サイトの事を人に話す際に「自分の世界」という表現をしますが、これも精神的な領域を示しています。このように考えますと世界と言うのは精神領域まで含めて「ありとあらゆるもの全て」というのが単語の定義になるのでしょう。すごい単語、アジア的な単語であると感心してしまいます。



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