
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります。-07 (2008年)
2007年は色々な意味で転換期の序章となる一年になるのではないかと予想しています。振り返り考えるとあの時と思うような感じでしょう。
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-01 (98-2002年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-02 (2003年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-03 (2004年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-04 (2005年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-05 (2006年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-06 (2007年)
76・預金封鎖(2008年10月11日)
預金封鎖とは銀行などに預金しているお金を封鎖、要するに引き出して使う事が出来ないようにする事です。自分のお金である以前に国が管理しているという思想の元、非常事態に陥ったと判断されると全ての貯金をある一定額を除いてお金の引き出しを停止するというものです。凍結した部分を国が取り上げるという事は無いのでしょうが、ある一定の期間は使えない、徐々に引き出せるようにするのが普通です。国民の懐に直接手を入れる訳で余程の事態が生じないと行わないものです。日本では終戦直後に戦争で疲弊した経済を全て清算する事を目的として行われています。いわゆる新円切り替えで強制的に預金をさせ、結果的には国民がそれまで持っていた資産は紙くず同然になるという事態が生じました。日本人がデノミを嫌うのはこの新円切り替えの体験があると言われています。新円切替から60年以上が経過し預金封鎖を自分の体験とされている方は少なくなっていると思います。
1990年、ブラジルに住んでいる時にこの預金封鎖を体験しました。当時のブラジルはハイパーインフレーションが進行し年2千パーセントという猛烈なもので月に30パーセント、一日一パーセントの割で物価が上昇していました。過度のインフレに生活は混乱し、レストランでは毎日値段が変動するので、冗談では無く「早く食べて勘定を払おう、値段が上がる前に」と言われたものです。個人的には闇でドルに換金するなどの対策を取る人もいましたが、インフレで預金金利も非常に高く、毎日夕方に預金して朝引き出すだけでも金利が付くというような状況でした。値段の基準が無いので政府は毎日変動する「インフレ指数」を作りこれで換算するようにしていました。
この時に大統領選挙があり、これを一気に解決するとして登場したのがコロール大統領です。やった事は就任時に全ての預金を封鎖して引き出しを制限し、預金を全て国債に変えるというものです。想定されたシナリオは、インフレを抑える目的と資金が無くなるので商人は物を売る為には値段を下げるしか方法が無く物価が下がるだろうというもので、何でも偉い米国の学者と一緒に計画したプランであったそうです。このプラン実施後に市場から一気にお金が無くなり物が売れなくなりました。米国の偉い学者が想定したような事は起きずブラジル人は値段を下げるくらいならば売るのを止めようと物資も市場から姿を消し経済は急ストップの状況となり一気に大不況となりました。多くの企業が倒産に追い込まれ、順調に育っていた中間層が突き落とされ、以降国民はますます政府を信用しなくなりました。ただコロールの取り巻きの企業は皆さんしっかりと前に情報を持ちしっかりと準備していたようで倒産するような人は居ませんでした。その後もブラジル経済は混乱し最終的にはインフレ指数そのものを通貨にするという天才的な奇想天外な発想を実行しインフレ指数は価値の実体だという事で「レアル」と命名し通貨となり現在これが流通しています。現在はインフレも収まりBRICSなどと呼ばれ新興経済大国として注目されているブラジルですが国民に対して資産を奪うような行為をした事で政府への不信感は大きいものがあるように思います。
預金封鎖というのは日本、ブラジルの例の通り過剰に流動性が高まりインフレが年間数千パーセントとというクレージーな状況になった時に発動するものですが、結果的には国民のお金を奪う事に繋がり長期間政府に対して不信感を抱かせる結果になります。やってはならない禁止手であり、一種の麻薬もしくは全身麻酔のようなもので、効果はあるのでしょうが、後遺症に悩まされる結果となります。
75・中米と南米(2008年09月27日)
メキシコから南部を中南米と言いますが、その広がり大きさは普通の日本人にはなかなか理解していただけません。そのような中南米に余り関心の無いような方にサンパウロまでロスアンジェルス経由で直行便が出ていますが、その内の半分以上はラテンアメリカ上空を飛ぶのです、要するに東京とサンパウロの中間点はメキシコ領内なのです、と説明します。南米に住んで東京と何回か往復をしますと実感としてメキシコが中間点と分かりますが、普通に日本で生活している方にはなかかな理解していただけません。中南米とまとめて言う事が多いのですが、実際にはかなり距離があり、交流も限られていると思います。
当方のウェッブサイトの壁紙は「南米いくぞ」としていますが、自分の生活範囲を南米大陸と考えているからです。パナマ以北は北米であり、別の大陸と考えています。これは学生時代に北米旅行した際にメキシコ、グアテマラ、エルサルバドルを巡り、南米とは異質の社会であると感じたからです。この地域から距離的に近い事もあり、米国の影響が非常に大きく、例えば野球が大好きで多くの米国人が旅行に商売に来ていて、また多くの住民が米国に出稼ぎに行っている。メキシコを除くとサイズの小さい国が多く何となくチマチマといじけたような印象を持ちました。メキシコと米国の国境の都市シウダーフアレスからテキサス・エルパソが見えますが、その世界の境には驚いた記憶があります。メキシコの風景の向こうに米国の都市がある状況というのは実際に見ると見た人の観点から大きく異なるのでしょうが、ラテンとして見ると敵意すら浮かぶと思います。上原さんが「裏の裏の裏があり、陰と陽が極端なくらい画然としています。」とありますが、非常に的確な表現であると感心しました。
その後時間が経過しメキシコの経済発展もあり、現在は状況が変化しているのかも知れませんが、メキシコは常に隣国の米国を強く意識していると想像します。南米は特に南部では米国は遥か遠くの世界であり、欧州と同じくらい離れています。南米には大国であるブラジル、アルゼンチンがあり、日常の生活ではこの両大国を意識する事はありますが、欧米は別世界と思っています。おおらかさがあり、余裕を感じるのは欧米とは隔絶されている事が大きな要因なのだと思います。

(地図:中南米:ウィキペディア)
74・新冷戦時代のラテンアメリカ(2008年09月27日)
ロシアの経済が好調であり、対象的に米国経済が金融関係から不安定な状況になっています。グルジアを巡る両国の対立から「新冷戦時代」と称する人も出て来ています。武力衝突を見ていますと確かに80年代までの米ソ対立を髣髴とさせる状況となっています。それでも何かが異なっている、そんな気もします。
冷戦は米ソが協力して勝利に導いた第二次世界大戦の後に起きました。戦争までは米国は世界は「民主主義」と「帝国主義」の対立と見なしていたと思います。戦争に勝利した後には世界は一つにまとまり戦争の無い平和な時代がやって来ると米国民は信じていたと思います。戦争が終結して起きたのは冷戦、今度は「資本主義」と「社会主義」、社会体制の違いが鮮明となり経済だけでは無くエスト要するに行動様式まで異なる社会を形成しました。それまでの世界は行動様式を決めるのは宗教とされていたのですが、社会体制がこれに加わる事になりました。逆に行動様式を決める物を宗教と呼ぶという定義をしますと社会主義も立派な宗教と言えます。ソビエトではロシア正教などが迫害を受けていましたが、社会主義以外で行動を様式を左右する存在は邪魔であったのでしょう。ほどなく中国も社会主義となり世界はほぼ二分されてしまいました。鉄のカーテンと呼ばれる区切りが欧州の中央に引かれ、ドイツは二分され、それぞれ勢力範囲を伸ばそうと務めていました。
今回の新冷戦ではこの社会主義という要因がありません。ソビエトの後継国家であるロシアは西側世界と同じように資本主義を取り入れ、経済も同じ枠組みに居て、開かれた状況になっています。単に経済力、勢力範囲を広げるというだけの争いとなっており、ロシアを支持するとしても何も社会体制を変更する必要も無く単に利害関係だけの問題となっています。ロシア経済が好調である反面、米国は未曽有の金融危機にあります。複雑なマネーゲームのやり過ぎという批判もあるでしょうが、経済は世界恐慌以来の危機にあります。ラテンアメリカの国々は歴史的、地理的に見てキューバを除いて親米であり、米国の裏庭というような状況ですが、ここにロシアが勢力を伸ばそうとする事は十分にあると思います。このような情勢の中で反米の旗手と看做されているヴェネズエラのチャベス大統領がロシアを訪問し両国は今後友好親善を深める事になったとの事です。反米を声だかに叫んでいるチャベス大統領としましては米国に追随するよりもロシアの仲間に入った方が得策であると判断は当然であると思います。ただヴェネズエラの経済自体は米国と歴史的にも深い関係にあり、多くの企業家は依然として米国との関係を重要視しているはずで、表面はともかく深部のところでは米国としっかり手を結び続けると思います。米国は経済力を背景に圧倒的な軍事力で米州全体に睨みを効かせて来ましたが、その前提条件が崩れる中、状況が大きく変化して来ているのでしょう。今後他のポピュリズムの国がどのようにするのか、特にエバ・モラレスのボリビアがこれに追随して行くのか注目です。
73・内陸国(2008年09月23日)
パラグアイに住んでいますとどうしても他の内陸国の事が気になります。内陸国というのは要するに国全体がよその国に囲まれていて海が無い人為的な境で区切られた国です。日本のように島国で国境を有しない国の方が珍しく多くの国には国境がありますが、海もあるというのが普通の姿です。内陸国に住んで思うのは海に対して非常に不公平、不平等である事に気が付きます。海に面している国はそれだけの理由でかなりの海域を自国領としています、日本のような島国になりますと国土の数倍にも達します。内陸国にはそのような恩典は全く無く、世界の沿岸部というのは全て外国の領有という事になります。また海の資源に関してもほとんど手に入らず、身近な例で言いますと海の贈り物である海産物もありません、これも海に面している国だけの特典となっています。
内陸国というのはあくまでも人為的に国境がひかれて国になっています。それぞれの国境には理由があり、その経緯は様々ですがとにかく線が引かれて別になったものです。多くの場合には戦争で決まったというもので、宗教、民族で区切られている場所もあります。帝国主義の時代に外から来た人の都合で勝手に引かれた場所もあります。とにかく国全体が他の国に囲まれているというのは日本人には余り想像が出来ない状態であると思います。何となく閉鎖された蓋を被せられたような状況と言えます。
内陸国にも色々な種類があります、二つの国に挟まれているだけの国もありますし、多くの国と国境を接している国もあります。モンゴルは国土は広いですがロシアと中国という二つの大きな国に挟まれています。一種の緩衝国であるのかも知れません。パラグアイはアルゼンチン、ブラジル、ボリビアと三カ国に囲まれていますが、ボリビアの影響は余り無く、アルゼンチン、ブラジルの二カ国に囲まれているという感じです。これに対して複数の国に囲まれている場合もあります。欧州の中央に位置するスイスはドイツ、フランス、イタリア、オーストリアと強国に囲まれています、独立を保つ為には相当の思いをして来たはずです。
世界の中には二重内陸国というのがあります。リヒテンシュタインとウズベギスタンの世界の中でも二つだけで内陸国に囲まれた内陸国です。リヒテンシュタインはオーストリアとスイスに挟まれた小国ですが、ウズベギスタンは国土も大きく中央アジアでは最有力国です。アフガニスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタン、トルクメニスタンと全て内陸国に囲まれた内陸国です。国土は非常に不思議な形状をしており、首都のタシケントはカザフとの国境にあります。東のフェルガノ盆地は国境が複雑に絡み合っており、西はアラル海に面しています。韓国人が多く自動車の7割は大宇自動車という国です。内陸国パラグアイに住んでいますと遠いですが、非常に気になる存在ですね。
72・東西ローマ帝国(2008年09月22日)
欧州を中心とする歴史の中で中心的な課題がローマ帝国であると思っています。ローマ帝国が存在しなくなった後も形を変えてヘゲモニーを握った国家はこの帝国を意識し継承者を自負して来たように見えます。ローマ帝国は395年に東西に分裂をします。数百年ローマの時代が続いていたので当時の人達にとっては大事件であった事でしょう。東西に分裂してそれぞれ自称は「ローマ帝国」であり、自分が本家であり、東や西も付きません。よく言われている「ビザンチン帝国」は滅亡後に付けられた名称であり、あくまでも自分達は「ローマ帝国」としていたと言います。西ローマ帝国は滅亡後、継承国家として神聖ローマ帝国が出来ます。実態は寄せ集めであったのかも知れませんが、ローマの継承者という権威はずっと存在したのでしょう。勿論カトリックの総本山であるローマ教皇も存続し、19世紀の初頭までこの神聖ローマ帝国の時代が続きます。その後ナポレオン更にはヒトラーに引き継がれ、ドイツは第三帝国、要するにローマ帝国、神聖ローマ帝国の次ぐ継承国家を自称します。神聖ローマ帝国の中核にあったはプスブルク・オーストリアの国歌、紋章をそのまま使用し、ドイツ帝国が世界に君臨すると宣言していました。これに対して米英は自分達こそはローマ帝国の継承国家とばかりに対抗しドイツを蹴散らし、戦勝後は米国を中心として欧州連合があり、NATOがローマ帝国の後継として存在している状況となっています。では第二次世界大戦は何であったのかと言いますと本質は西ローマ帝国の本家争いと見ています。ソビエトも日本も本質的な意味では対象外であったはずです。勝利した後に米ソが対立し冷戦突入しましたが、戦争が終了する時点までそのような事を想定していないという事はソビエトは部外者の米英の応援団と見ていたのだと思います、その点では日本も同じであったはずです。
東ローマ帝国はオスマン帝国に滅ぼされた後はロシアが継承し、東方正教教会の中心となり。東ローマ帝国の継承国家となっています。その後はソビエトに引き継がれ、現在ロシアが継承しているのでしょう。第二次世界大戦後、長期間にわたり東西冷戦がありましたが、これは東西ローマ帝国の本家争い、即ちヨーロッパ世界の王者決定戦と見ています。一時は冷戦が終了した等と言われていましたが、またグルジアを巡りロシアとNATOが鋭く対立しています。どちらも自分がローマ帝国すなわちヨーロッパ世界の本家であるという意識があるのでそう簡単には終了しないと見ています。冷戦後は西が圧倒し欧州連合という形でかなり領域を広げています。正教を信じる本来は東ローマ帝国に属するべきと考えられるギリシアやブルガリアまで領域に組み込んでしまいました。そしてグルジアをNATOに引き入れる所まで東進し、ロシアの利害と真っ向から対立しているのが現状であると見ています。ウクライナでも欧州連合支持に傾いていましたが、ロシアの猛烈な巻き返しが起きています。
東西ローマ帝国が分裂して1600年以上が経過しますが、まだその争いは途中であり、ヨーロッパ社会の覇者となるのは東西いずれになるのか見えて来ません。新冷戦と言われていますが、この東西対立は歴史が長く、簡単に解決するような問題では無いと見ています。ロシアが社会主義を捨て、経済、エネルギーそして宗教をテーマに争いを挑めば西側も協力に対抗せざるを得ず対立は激化するのではないかと憂うこの頃です。
71・サンパウロ・ムンバイ・上海(2008年09月22日)
世界の新興経済大国をBRICSと呼ばれています。その中でロシアは既に大国としての歴史があり長い期間、米国のライバルであり、特に新興経済国に含めるべきでは無いのかも知れません。残りの3つの国は実際に経済大国として急成長しており、世界経済の枠組みを変えて来ています。この3つの国には色々な共通点がありますが、最大都市が首都では無く、首都になった事もないという共通点があります。ブラジル・サンパウロ、インド・ムンバイ、中国・上海です。
共通して言えるのは「偉大なる田舎」である事で行政の面要するに政治の世界では決して中心的な都市ではありません。首都になった事もなく、要するに経済が突出して大きくそれぞれの国の経済の中核都市ではありますが、一方では地方都市であり、その面では田舎とも言えます。現在注目を浴びている3大国に何故このような共通の現象が起きるのか不思議に思います。日本は現在は東京一極集中ですが、元々江戸時代までは地方の寄せ集めの国であり、東京即ち江戸が決して一極集中ではありませんでした。当時は大坂が経済の中核にあり、政治は江戸、経済は大坂とはっきりと分かれていました。どうもこの点が鍵のように感じます。アメリカ合州国も地方が強いので政治と経済の中心はワシントン、ニューヨークと分かれています。ただニューヨークの場合にはかつて首都であり、国際連合があるので世界の州都的な機能を果たしており、事情は少々異なるように思います。
中央集権国家、すなわち例えばフランス、英国、韓国等は昔から一極集中であり、それぞれパリ、ロンドン、ソウルが政治経済の中心となっています。これに対して現在勃興して来ている3つの国では面積が大きいという事もありますが、地方が強く決して一極集中ではありません。このような状況となると政治とは別に経済の中心が生じるのかも知れません。3つの都市に共通している事は急成長し人口が最大になったのはそれ程新しい事では無いという事実です。またそれぞれ当時の首都が現在も同程度の規模を持つ世界有数の人口を有する都市となっている事も共通しています。すなわちブラジルのリオ、インドのデリー、中国の北京でそれぞれ国内で二番目の都市圏であり現在でも世界の超巨大都市として、都市圏人口が一千万人を超えています。
封建制の時代には3つの都市共にそれほどの規模ではありませんでしたが、近年になり産業が勃興して以来巨大化が進行しています。これには内外それぞれの思惑があったものと推測します。国内の事情としては政治の安定のために不安定要素となる得る外国人の影響、新しい物は出来るだけ首都から遠ざける傾向にあったのだと思います。外国人特に商人が首都付近で大きな顔をされては困ると考えた事でしょう。外国人の側から見て、商売に一番都合の良い場所を探す事になります。サンパウロを除いて上海、ムンバイは港湾都市です。外国人の側から見ますと商売の拠点を置く場合には経済地域の中央に位置する港湾都市が最も都合が良い訳で上海、ムンバイが選択されて行ったのでしょう。英国領インドの時代には港湾都市コルカタが中心都市とされていましたが、土地が狭く地理的に偏っていた事もあり、ムンバイ程には発展しなかったのだと思います。サンパウロは当時の首都リオが港湾都市であったのに対して内陸の都市で他の二つの都市とは事情が異なります。これはリオを訪問して感じたのですが、決して経済地域の真ん中に位置していなかった事、都市の形状が経済都市として余りふさわしくなかった事に起因しているのだと思います。豊かなサンパウロ州そして南部3州の中核としてサンパウロが発展したのでしょう。
では日本は何故このような事にならず東京一極が進んだのでしょう。実は日本でも多少は同じような事が起きていたと見ています。幕末から明治の初期、経済の勃興期には政治の中心江戸要するに東京と外国人が闊歩し、商売の中心横浜とに分かれていました。国土が狭くこの二つの都市が非常に近かったので結局は東京都市圏という事で一緒になり、より一層の一極集中が進んでしまったのでしょう。もし東京が内陸部にあり、横浜が東京から200キロ以上離れていたならば日本も政治と経済の中心は離れたままになったと想像します。
70・首都の位置(2008年09月23日)
世界には数多くの国がありますが、政治を行う上で大切なのは首都の位置にあるように思います。首都の位置によって行政そして外交が大きく変化するように思うのです。首都の理想は時代によって変化して来たと思います。近隣諸国との戦争が多かった時代には守り易く敵から見ますと攻め難い場所が理想的であったと想像します。中世までは城壁で町を囲い首都ともなりますと大きな都市を丸ごと囲って首都にいました。時代は変わり現代では交通の要衝で大きな平地の真ん中で、国の中央にあり、降水量が適度にあり、気候が良い事でしょう。理想的な場所にあると思う都市も多くあります。例えばウルグアイのモンテビデオ市は丸い国土の中央に位置し、港湾都市でもあります。
多くの国ではこのように中央に位置していますが、国土の端の方に首都がある場合もあります。位置によって政策が変わる事もあると思っています。例えば米国は東海岸から国が出来た事もあり、首都は東海岸にあり、国全体から見ますとかなり端の方に位置しています。東海岸は全国の中では寒冷地であり、冬は非常に厳しい地域です。元々氷河期には厚い氷に覆われた地域にあります。米国は温暖化に鈍感で非協力的であると言われていますが、大統領が居るワシントンDCの位置が大きく影響していると見ています。もし西海岸例えばロスアンジェルスもしくはサンディエゴに首都があれば温暖化に対する対応も異なり、またアジアに対する政策も大きく異なった政策になると想像します。ドイツは東を併合する前までは西部のボンに首都がありましたが、現在は東部にあるベルリンでこれにより東欧に対する意識が大きく変化したように感じます。欧州連合拡大が急ピッチに進んだ事と無関係では無いと思います。
中国は長い間、北京が首都です。元の時代にここが中国の首都となって以来現代に至るまでほとんどここが首都となっています。全体のバランスから見ますと南京もしくは上海辺りに首都があった方が良いのでしょうが、北東の外れに位置する北京が首都となりここに政治を行う幹部が住んでいます。朝鮮半島に関して中国は非常に関心を払っていますが、北京から近いというのが大きな理由であると見ています。中国全体から見ますと香港もしくは広州辺りに首都があってもおかしくはなく、むしろ北京よりはふさわしいように思います。このどちからが首都であったとしますと多分、もっと東南アジア重視となっていたと思います。
首都が国境にあるという国も結構存在します。ラオス、パラグアイなど何故国の端に首都があるのかと思います。両方とも内陸国で河に沿って街が出来たのですが、この河が国境となりこのような事になってしまったという訳です。パラグアイの首都はアスンシオン市で対岸はアルゼンチンです。第二の都市であるエステ市は反対側にあり、対岸はブラジルになっています。もしもこのエステ市が首都であったならば多分大国ブラジルに飲み込まれ独自色を打ち出すのが難しかったと思います。
世界には国境線が複雑に絡み合い、首都の位置が国の端にあるという不思議な地域があります。中央アジアで、かなり複雑に入り組んでおり、よくみないと国の形が分かりません。またその上、飛地が多く存在し一層分かり難くしています。元々ここはソビエトに組み込まれ、国境線は余り意味を持ちませんでした。当時のソビエトは多くの人を混ぜ各民族が混在する状態になった上に東から朝鮮人を西からドイツ人を移住させ多民族状態にしていました。そこでソビエト崩壊が起き、バルト、カフカス諸国など欧州の国はソビエトからの解放と喜び独立、中央アジアはその時流に乗ってたなぼた的に独立しました。いわば予期しない独立でした。そしてソビエト時代に統治の為に捩じりに捩じった国境がそのまま国の国境となってしまいました。フェルガノ盆地の地図を見ますとウズベグ、タジク。キルギスが複雑に絡み合っています。北の大国であるカザフの最大都市、つい最近まで首都であったアルマトイはキルギスの首都の直ぐ近くなお東に位置していました。世界で最も端にある首都でどう見ても不自然です。これはアスタナという新首都を建設して国の中央に移しましたが、そのままであったならばまともな政治は出来なかったと想像しています。キルギスの首都ビシュケク、ウズベグの首都タシケントは現在でもそのままで国境付近に位置しています。国の形がいびつな上に首都が端にあるので、どうしても政情は不安定になると思います。
日本も明治になり首都を東に移しました。日本の政治を見ますと全てを東京から見るようになっているように感じます。日本即ち東京というのが現在の状況であり、これを変えないと日本の一段の発展はないものと思います。ではどこに移すのか、首都が移ると行政、政治が変化するのは当然です。個人的には東北地方に移すのが良いと思っています。日本で開発発展の可能性が高い地域に移し活性化を図るというものです。栃木などに移しても東京都市圏の中なので余り効果は無いと思っていますが如何でしょうか?
69・米国人と温暖化(2008年08月03日)
温暖化が世界の大問題となり二酸化炭素の削減が世界の最重要課題になっています。先進国とインド、中国等の経済発展途上の国の利害が対立してなかなか削減の具体案がまとまりません。その中で最大の問題は米国にあると見ています。米国は経済優先で温暖化に関しては排出権などという訳の分からない論理を展開し、ビジネスの場を作り金儲けに利用しています。これは何でもどこかに木を植えるとその木が吸収する二酸化炭素は削減したものと看做すという何とも誤魔化しの話で、巨大なマーケットを作りせっせと金儲けに走っています。もう一つよく理解出来ないのはエコエネルギーです。こちらは地球に降り注ぐ太陽のエネルギーをとうもろこし等の穀物に変換し、それを燃料にするので、プラス・マイナスは無く環境に影響が無いエネルギーという話です。石油から作るガソリンと同様に燃料として燃やすのですからどう考えても同じであると思うのですが、頭の良い人、政治家等から見ると全く異なるもののようです。最近は穀物から作ると食糧不足に陥るという反省から利用されていない非食糧から燃料を取り出す試みが行われ、藁までその対象となっています。「藁にもすがる思い」という表現がありますが、現実にそこまで事態は深刻になっているのでしょう。このように排出権だのエコディーゼル等色々な事を持ち出し、本気で取り組む気が無いように見えます。マクドナルドを食べて出た大量のゴミは捨てるという生活を長年して来たので生活習慣を変更出来ないのしょう。このマクドナルドから出る大量の容器・コップ等を全て再利用しよう等とは決して考えないようで、これでは真の意味で温暖化対策に取り組む事には繋がらないと思っています。全てはマヤカシのように見えます。
何故米国人は温暖化対策に真剣にならないのか、他に理由があるのではないかと思っています。個人的には米国人は心の底では温暖化よりも冷却化を心配しているのではないかと見ています。その心理が形になって出たのが2004年に公開された映画「『デイ・アフター・トゥモロー』(The Day After Tomorrow)です。この映画は温暖化が急激に進行した後に突然反対に冷却が始まり氷河期になってしまうというストーリーの映画です。SF映画で実際には日本沈没と同様にあり得ないとは思いますが、何故この映画が製作され米国の多くの人に受け入れられたのか考える必要があると思います。学生時代に米国を旅行中にワシントンDCにあるスミソニアン博物館に行きました。大きな科学博物館でどれも見る物すばらしく勉強になりましたが、その中で一番印象に残っているのがワシントンDCの過去の気温変動の記録です。氷河期には北半球の中でユーラシアと比較して北米の氷河に覆われる割合は非常に高く特に東部は完全に氷河に覆われていました。細かい事は覚えていませんが、ワシントンも歴史時代が始まる直ぐ前くらいまで非常に気温が低い場所であった事が大きなグラフで示されていました。現在人が住めるくらい暖かいがこれが何時まで続くのか分からない、間氷期が終了し、また氷河期が始まるとワシントンは氷に覆われる事になるのではないかと不安になりました。米国の首都はワシントンにあります、為政者達が同じ感想になったのではないかと想像しています。米国東部は今でも年によっては大寒波が来る事があります、その際に真剣に冷却化を心配するのだと思うのです。ワシントンで判断を下すので駄目なのであり、米国人を温暖化に真剣に取り組ませる為には温暖化が進行している地域に首都を移すしかないのではと考えます。いっそアリゾナかテキサスに首都を移せば真面目に温暖化対策に取り組むのではないでしょうか?
68・ボリビア情勢(2008年06月07日)
ボリビアはパラグアイの北に位置する隣国です。チャコ戦争を戦った相手であり、相互の不信感は長い間続き未だに両国の間には舗装道路がありません。パラグアイでボリビアが人々に意識されるのはサッカー・ワールドカップ南米予選の時と自動車が盗まれた時くらいでしょう。自動車が盗難されると数日後にはサンタクルスの中古車販売店の店頭に並ぶと言われています。要するに他の二つの隣国アルゼンチン、ブラジルは貿易の相手として重要な大国で生活に密着している印象があるのに対して「好まざる隣国」というのが一般の認識のようです。実際にはボリビアは大国であり面積では世界の27番目で、ほぼ面積が等しい日本・パラグアイの3倍近い広さがあります。一番面積が広かった時には現在の2倍あったそうで、その時には大国であったようです。チリ、ペルー、ブラジルなどとの国境を巡る争いがあり、領土を減らし、パラグアイとチャコを巡る戦いを行い両国とも疲弊してしまいました。パラグアイはそれでも何とかチャコ地方を確保したという実利がありましたが、ボリビアは領土と戦士を多数失っただけという結果でその後も長い間混乱したようです。
南米全体で社会主義、大衆迎合主義が、ナショナリズムが台頭しており、その象徴的な存在がベネズエラのチャベス大統領とボリビアのエボ・モラレス大統領です。両大統領とも反米路線を鮮明に打ち出し、米国と対決姿勢を示しており、資源の国有化を目指しているようです。2005年に当選したこのモラレス大統領は中卒のコカ農家の出身という人物で麻薬コカインに精製する事は反対しているものの伝統的なコカの栽培を認める方針でこの面でも米国を刺激しているように見えます。天然資源の国有化、そして貧困層の改善を目指しており、富裕層との対立が鮮明になっています。
ボリビアを考える上で重要なのは西部の高地と東部の低地に国土が二分されているという事実です。ラパス・スクレ等の高地には先住民族系(インディオ系)の血が濃い人が多く住んでいます。これに対してサンタクルスを中心とする西部は移住者が多く平地が多く気候風土も全く異なります。全く環境の違う二つの地方がこれまで大きな紛争も無くやって来られたのは以前は西部の人口が少なく人口が集中している東部が全国を支配するのは当然であり、また利益を侵害する事もなかった事もあると思います。ここに来て西部の中心都市であるサンタクルスが急成長を成し遂げラパスと並ぶ大都市に成長し経済成長をしており、情勢は一変しました。モラレス大統領は東部の先住民族を代弁する政治を行っているようで、土地の所有制限などを行うと発表、これに西部諸州が猛反発し自治を求め住民投票を行い、80%以上の高い支持率を獲得し対決姿勢を鮮明にしています。サンタクルス県だけで日本・パラグアイとほぼ同じ面積があり、人口は230万人居ます、同様に中央政府に反対しているベニ、バンド、タリハ等を巻き込み独立を目指す動きに発展する可能性が出ています。モラレス政権はこれに真っ向から反対し、この8月10日に自身の信任を問う国民投票を実施する事となりました。信任を勝ち取り西部の反政府的な動きを封じ込めようとの狙いでしょう。ただここを乗り切ったとしても西部の不満を抑え切れるとは思えません、結局は自治拡大から独立を求める動きになって行くものと思います。
サンタクルスはパラグアイに似ていると言われます。地図を見ても陸続きなので平地が続くのあれば似ているのは当然でしょう。これに対して実質的な首都であるラパスに行くと全く異なる世界が広がっているそうです。例えるならば小さな中国でチベットと上海くらいの差があるのでしょう、ただこちらはチベットが人口の半分以上を占めが全国を支配しているという構図です。伝統的には高地・西部のイメージがボリビアのイメージでしたが、現在では全く異なる二つのボリビアが存在し、モラレス大統領の登場でその問題が顕在化したという事なのでしょう。隣国特にサンタクルス県はパラグアイに隣接しているので今後の進展に注目です。また8月10日の大統領信任投票の5日後に当地では政権交代となりルゴ新大統領が登場します。ボリビア情勢がパラグアイに大きな影響がある事は間違い無いでしょう。パラグアイとしてはサンタクルスが東部諸州と対立し独立する事になれば親密な関係を築き連帯を深める事となるでしょう。とにかく波乱含みのボリビア情勢に注目です。

(地図:ボリビア:赤旗)
(MLへの投稿)
2007年にボリビア・サンタクルスを訪れました。以前に訪れたラパスと比べて、豊かな街との印象を受けました。温暖で果物なども豊富、街にはアイスクリームパーラーが立ち並び、人々はコーヒー片手に友人同士、広場のベンチで夜まで語らっていました。もちろん全ての人がそうではないと思いますが、市民の表情にも余裕のようなものが感じられました。それまで、ボリビアといえば厳しい環境の高地に住むインディヘナの人達というイメージがありましたが、温暖でヨーロッパ系市民の多いサンタクルスでは、この国の別の顔を見た思いでした。北米直行便を持ち、南米各国への空路もあるサンタクルスは政情さえ安定すれば、ビジネス拠点としてさらに発展の可能性があると思います。二つのボリビアがこの先どうなっていくのか、注目していきたいと思います。
より豊かで経済が成長し文化的になっている地域を政治的に支配するという事は非常に難しいと見ています。チベットが上海を支配すると例えましたが現在の体制を継続するのは簡単な事では無いと思います。カラカス首都圏の一極集中型のチャベス大統領が治めるベネズエラとは状況が異なっていると思います。モラレス大統領が反米的な政策を続ける限り米国も対抗策を取らざるを得ません。また、ボリビアに旅行をする米国民に対してはスケジュールの事前承諾など厳しい条件を付けているようで開放的な政策を期待する西部富裕層の不満は高まっていると推測し、8月10日の信任投票でどのような結果が出ても不安定な状況はしばらく続くものと思います。もしもサンタクルスが独立という状況になりますとパラグアイとよく似た国、面積は同じくらい人口は半分で30年前のパラグアイという感じでしょう、ただし天然資源がありますので経済的にはより強い国家になると思います。実際には西部の諸州がより強い自治権を確立し中央政府から距離を置いて政治を行うというのが現実的な選択でしょうね。国の分裂という最悪の事態は避ける事でしょう。東西の対立を抱えているままのボリビアであればそれ程恐れる事はありませんが、東西に分裂となるとパラグアイのみならず南米全体に大きなインパクトがあると思います。国内の調和を保てるのか、西部の不満を解決出来るのかモラレス大統領のかじ取りが注目されます。もし現実に国家が二つになるような事態となりますとこの数十年間長い期間国境が安定していた南米の政治状況が流動化する恐れがあります。国のサイズが大きい南米大陸、首都から離れた地方はどの国でも中央政府に不満を持っているはずです。各地で自治拡大の動きが出て来るなど周囲に波及してしまう事もあり得ると思います。
67・危機感(2008年06月01日)
「危機感が無い」などとよく言われている事があります。日本の防衛、競争力、食糧自給の問題などで良く言われています。個人や企業の中でもこのフレーズが使われます。企業でも国でも危機感が無いと危ないという事なのでしょう。この大切な「危機感」に関して考えてみようと思います。インターネットで「危機感」を検索しますとそれこそ数百万ヒットします。最近では日本人が好んで使う言葉なのでしょう。何か失敗をしますと「危機感の欠如」が原因などと言われます。極端に言いますと危機感を持たない人間は失格とさえ思える程です。日本というのは危機感を原動力にして苦難に立ち向かうのが好きなようです。戦前の日本は欧米列強の中、危機感を抱いて大陸へ進出、エネルギー資源を求めて南方に活路を求めて行きました。この危機感の結果は惨憺たるもので、国家の破滅を引き起こし、国土は焼け野が原、領土は明治維新当時の元の状態に戻ってしまいました。これに対して戦後の再建の時には「危機感」はありませんでした。文字通り当時は毎日人々の前には「危機」があり、乗り越えて行く必要があった訳で僅か25年で経済大国として世界の中でも最も裕福な国を作り上げました。
「危機感」で国家は滅び、危機で国家は立ち直ったという事実をもっと重く受け止めるべきであると思います。危機感は空回りし易いという事があると思います。危機感にも色々な種類があるのかも知れません。日本では子供の教育にもこの危機感を用いる事が多いように思います。良く出来た事を褒めるよりは出来なかった事を指摘して頑張れと言う、これも一種の危機感からの高揚を期待しての事でしょう。子供を褒めてやる気にさせるという発想は余り無いように思います。日本の政策に関しても危機感が原動力になっている「危機感駆動型」国家になっているように見えます。しかしながらどう見ても有効な政策を取っているようには見えません。食料自給率の問題にしてももっと食糧生産を行っている国との繋がりを強め、投資を行い将来長期間にわたり食料を確保する必要があると思うのですが、現実にはそのような方向には動いていません。これは実際には多少価格が上昇したとは言え日本国内には食料が有り余る程豊かに出回っている現実があるかだと思います。実際に例えば小麦が市場から消えてパンが買えないという現実が出て来るまでは有効な手段が打てないと見ています。危機感では人は痛みをまだ感じません、多少価格が上昇してもパンを買う事が出来ます、しかし市場から消え食糧危機が危機として実際に迫ると感じるのでしょう。国家財政の破たんも近いと危機感を抱く人も多く居ますが、こちらも一般の国民にはまだ危機としては認識されていません。健康保険料の上昇、年金支給の条件の悪化と昨今は見える形で危機を多少感じているのでしょうが、まだ政府が他人が何とか解決してくれると思っているように見受けられます。
危機感では駄目、本当の危機で駆動しないと前に進まないのかも知れません。個人的には学生時代に朝鮮の脅威、食糧とエネルギーの危機、国民の高齢化が将来大きな問題になると考え、毎日危機感を感じ、それを危機と思っていましたが周囲の方とは大きな隔たりがありました。そのまま不安を感じながら生活をするのが嫌と考えて一番食糧があり、高齢化の問題も朝鮮の脅威も無い場所に引っ越しを考えて実行しましたしましたが、当方のような考え方は少数派のようです。ただ日本人は危機感の時には余り能力を発揮しませんが、危機に直面すると高い能力を発揮します。食糧危機とエネルギー危機が来た時には少子高齢化も日本の財政も今より悪化して本当の危機を迎える事でしょう、その時に日本と日本人は脱皮して新たな時代への一歩を踏み出して行くのではないかと想像するこの頃です。
66・アジア(2008年05月13日)
アジアという単語はよく使用される言葉です。世界の地域を分類する時に使われます。何気なく使っていますが、定義が曖昧な場合がよくあるように見えます。語源は東を意味しており当初はトルコの西部を意味していたようです。他の地域、南北アメリカ、アフリカなどは大陸がしっかりと別れていますが、アジアはヨーロッパと同じ大陸でこれを二つに分けて考えるのはヨーロッパ人の発想で、ヨーロッパ文明が世界標準になったのでこれが使用されるようになったのでしょう。どこまでがアジアなのかというのは状況、使う場所で異なるようです。ヨーロッパの人にとっての東の地方は中東とか近東という表現があるようにトルコ、イラン辺りでしょう。インドから向こうは遥かかなたという印象であると思います。
東アジアの人にとってはアジアは中国を中心とする世界を意味しているように見えます。すなわちモンゴロイドの世界です。この世界だけで世界の25%程度の人口が居るのですから独立した地域と考えるのは無理が無いと思います。具体的には中国、モンゴル、朝鮮・韓国・ベトナム、日本などを指すのでしょうが、見た目には似ていますが、基本的な文化は大きく異なっているのも事実です。こちから見ますとインドから向こうの世界は異質の世界に見えます。人種・宗教・自然環境何を取って別世界です。インドから西の世界は歴史的に見ても東アジア地域よりはむしろヨーロッパ地域と共に歩んでいるので、東アジアから見ますとユーラシアを二つに分ける場合にはこの辺りで分けるのが自然のように見えます。日本では時々「アジア・太平洋地域」などという言葉が出て来ます。これはもっと東に偏り、オーストラリアや太平洋に浮かぶ島々、時には米国まで範囲を広げています。考えてアジアというのは「東の方」という意味であったので、どんどんと東方に拡大し、概念が地球を半周してしまったのでしょう。
日本はアジアである事に異論を持つ人は少ないかも知れません。ただテレビ等を見ていますと日本を含めない場合も多くあります。アジア諸国との友好を深めるべきである、程度であれば良いのですが、統計などに日本を除外して計算している場合もあります。また変にアジアにこだわる場合もあります。「アジア地域の一体」などの名分で、アジアのニュース等という番組があります。ここではウズベギスタンやイラク、バーレーンなどがアジアの仲間であり、隣人のように紹介されます。でも本当にイラクが同じアジアの国で近しい存在なのでしょうか?ヨーロッパの人の中にはイラク問題はアジアの問題であり、同じアジアの日本がもっと積極的に関与するべきであると考えている人も居るのかも知れません。地理的にも歴史的に見てもイラクはヨーロッパの隣人であり、互いに大いに影響を与え合って来ました。トルコのEU加盟が議論されていますが、トルコが加盟しますとイラクとEUは国境を接する事になります。非常に近く、またイスラム教とキリスト教は同じ一神教であり、関連し合っています。イランから西の地域はどうみてもヨーロッパに近い世界です。日本人はヨーロッパ人が勝手に定義した事をそのまま受け入れ過ぎているように見えます、暦、曜日、そしてこの大陸の分類まで素直に従っていますがどう考えてもこの定義は不合理であり、日本はもっと西アジアとは別の地域であると主張するべきであると思います。サッカーの世界ではアジアを東西に分割しオセアニアと東アジアを一つの地域と見なす事が検討されていますが、これは非常に合理的な判断であると思います。