
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります。-12 (2013年)
2013年は明るい一年になった欲しいですね。
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-01 (98-2002年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-02 (2003年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-03 (2004年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-04 (2005年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-05 (2006年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-06 (2007年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-07 (2008年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-08 (2009年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-09 (2010年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-10 (2011年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-11 (2012年)
115・シェールガス(2013年06月02日)
米国でシェールガスの採掘が始まり世界のエネルギー供給に大きなインパクトを与えています。このガスは天然ガスの一種で特殊なものでは無く昔から存在は知られていたそうですが採掘する技術が無く今まで使用されていなかったようです。米国で技術が進歩し採掘が出来るようになり一気に生産が増えています。地下深い泥炭層にあるガスを取り出すには特殊な技術を用い、砂と水を吹き込み一旦ひび割れを作りそのひび割れからガスを出させて採掘するのだそうです。パイプを最初は下にその後は横に這わせて行く必要があり、その技術が確立されたので一気に採掘が始まったのだそうです。米国では数年前まで大量の天然ガスを輸入していたのが今後は輸出国に転じるようです。メキシコ湾岸沿いに在る新設の天然ガスの輸入施設を逆に輸出施設に変えるという話まであります。まさに180度の転換です。オバマ大統領の話では米国はエネルギーを自給出来るとしています。
現在大量に生産しているのは米国だけですが、世界には大量のシェールガスが存在しているのだそうです。世界一の埋蔵量があるのが中国でアルゼンチン、メキシコ、南アフリカ等にも相当量あるようです。米国以外で採算が合うような採掘を行うのには相当額の投資と高い技術力が必要なようで他の国ではまだ大規模な生産が行われていませんが、近い将来世界で採掘が開始されるようになると現在の石油に大きく依存しているエネルギー事情が大きく変化する可能性があるようです。二酸化炭素の排出量も少ない比較的クリーンなエネルギーなので今後急速に生産が増えて行くものと思います。埋蔵されている地域は必ずしも現在の石油と重なっていないのが特徴だと思います。エネルギーを武器に外交的に強い力を有している湾岸諸国やイラン等の西アジア、そしてロシア等には無いようです。南米では中央部から南部にかけて多く存在しておりパラグアイは全土です。
世界は今までエネルギーの調達の為にロシア、湾岸諸国の言いなりの部分がありましたが、この様相は一変するのかも知れません。ロシアは天然ガスを売る為に日本に譲歩する必要が出て北方領土交渉に譲歩する必要が出るだとうとも言われています。南米では他の地域からエネルギーを輸入する必要が無くなるのかも知れません、世界で唯一食料を持続的に輸出する余力を有している地域ですが余剰エネルギーも外に出せるようになれば今後も長い期間経済成長を続ける事が可能になるかも知れませんね。

(地図:埋蔵地域と採掘可能量)

(グラフ:エネルギーの割合)
114・宗教の解説本・日本人のためのイスラム原論(2013年03月15日)
この本の作者は鬼才として知られ数値前に亡くなられた小室直樹さんです。小室さんと言いますと実際にソビエトが崩壊するかなり前、十年以上も前に「ソビエト帝国の崩壊」という本を記し当時のソビエトの状況を的確に観察し崩壊を見事に予測した事で知られています。この小室さんが宗教に関して明快な説明を行っているのが同書です。20世紀は二つの世界大戦があり国と国との争いが主体の世界でしたが21世紀に入り現在は国という枠組みを超えた宗教の要素が大きくなって来ているように感じます。日本人の多くは少し前までは宗教が絡む国際問題、例えばパレスチナ問題などに関して「話せば分かる、話し合いで解決出来るなずだ」と考えていましたが最近では宗教の要素が加わると問題は困難を極めそう簡単には解決には向かわないと考えが変化して来ているようにように見えます、現在の国際情勢を理解するには宗教の理解は不可欠であるように見えます。しかしながら日本人は世界でも稀有な程の宗教音痴と言われておりその為か色々な解説本が出ています。
宗教の中でも特に日本人には余り縁が無かったイスラム教の本が多数書店に並んでいます。このような本を数冊手に入れて眺めてみましたがイスラムが理解出来るかと言いますとなかなか難しい気がします。イスラム教国を訪問した旅行記等を読んでも彼らの一日五回礼拝する、断食を行う、酒を飲まない等の行動パターンは分かっても本質的な事は分からず結局この本に出会うまで根本がよく分かりませんでした。この本の題名は「イスラム原論」となっており確かにイスラム教の解説書ではありますが、宗教全般、キリスト教、ユダヤ教等の一神教は勿論、仏教や儒教等に触れ、また日本が無宗教国家であり、それがどのような意味合いを持つのか解説しています。
昔は産業革命はキリスト教から離れる事で生まれたと考えられていましたが、マックスウェーバーという人はプロテスタントの思想があり、そこから合理的な産業、近代文明が生まれた事を解き明かしたとされ興味を持ち、「プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神」(有斐閣新書)という初心者向けの入門書を買って読んでみましたが正直よく理解出来ませんでした。カルヴァン的な「禁欲的プロテスタント」が発火装置のようになり、近代資本主義が生まれた事をこの本は分かり易く解説しています。なるほどと思う事の連続で宗教に対して基本的な捉え方はこの本で習得出来ると思います。小室さんの著作の中では余り知られていないようですが素晴らしい出来栄えであり、何回も繰り返し読んでいます。イスラム教は勿論「宗教」に関する解説書としてお勧めの一冊です。

(本・集英社インターナショナル:日本人のためのイスラム原論)
113・南米の原発事情(2013年03月15日)
2011年に福島第一原発の事故が起きそれ以降世界では原発に対して非常に危険であるという認識が急速に広まりつつあります。南米のパラグアイ、水力発電だけで十分に国内の電力需要を満たしている国に住んでいますと原発等は遠い世界の自分達には無関係の話として余り関心を持たずに居ました。ところが全国紙に「対岸のアルゼンチン・フォルモサ州に原発建設」という記事が掲載されました。フォルモサ州は川を挟んで向かい側の土地で以前はパラグアイの領土でしたが、戦争でアルゼンチンに割譲を余儀無くされた土地です。大統領府から近い所では僅か5キロくらいしか離れていません。その州内に原発を建設する計画があるというかなりセンセーショナルな記事でその中で原発の絵と候補となっている5ヶ所の地図と共に掲載されました。地図を見ますと一番パラグアイに近い候補地は何と首都アスンシオン市の対岸で、他のどの候補地もパラグアイから数キロという位置にあります。話が出て来た理由の一つとして考えられるのはアルゼンチンは4番目の原子力発電所建設を既に決めており、それを中国と技術協力を行う意向で検討に入った事にあるようです。今までのプロジェクトを見直してフォルモサの名前が出て来たのかも知れません。最近急速に中国と結びつきを強めているアルゼンチン、台湾承認国のパラグアイにプレッシャーを掛ける意図もあるのかも知れません。
パラグアイは世界の中で一番近い原発から約1000キロは離れており原発から離れて住みたいという人には絶好の場所で日本からも原発を嫌った人達が移り住んで来ています。その方達には寝耳に水の話で中には場合によっては再度移住を検討しなければならないと深刻な表情を見せる方もいました。パラグアイの人にとっては原発など全く意識の外、他人事ですが、世界中で原発に対する議論があり、さすがに関心を持つようになりこのニュースを話題にしていました。もしこのような施設が出来るとパラグアイにとっては全く利益が無くリスクだけ負うことになります。他の新聞でもこの話題が取り上げられました。内容は原発の危険性を訴える記事ばかりでポジティブな建設推進の記事は皆無でした、まあ当然の反応でしょう。
(写真:原発・ABCコロール紙)

(地図:候補の場所・ABCコロール紙)
南米の原発に関して調べますとブラジルに1ヶ所、アルゼンチンに2ヶ所あるだけです。ブラジルはサンパウロの近く、アルゼンチンはブエノス・アイレスとコルドバの近くです。要するに大都市の需要を賄う為に大消費地からそれ程遠くない場所に建設されている訳です。かなり以前1980年頃までは世界中で原子力発電は花形と見られ未来型の発電所としてクリーンなイメージで持て囃されていました。安いエネルギーが魔法のように湧き出るというような印象がありました。日本の大学にも「原子力工学科」があり人気を集めていました、当時は最先端の未来志向のポジティブなイメージでした。科学技術の進歩の象徴という位置付けであったように思います。プロ野球の球団でも「アトムズ」なる球団があった程です。
ところが、1986年のチェルノブイリの事故辺りからその危険性が認識されるようになり、福島第一原発の事故で危険という意識は更に強まりました。国際原子力機関::IAEAという世界的な組織があり、原子力の平和利用を促進する事が目的で作られた組織ですが加盟国の中で指定理事国というものがあり、先進的な13ヵ国が特別な加盟国となっています。日米欧等の先進国の他、南アフリカとインドそして何とアルゼンチンがこの中に入っています。地域的なバランスを考慮して先進国だけなく、アジア、アフリカ、ラテンアメリカのそれぞれの地域から一ヵ国を選んだのでしょう。もしも新たな場所に原発を建設するとなりますとこの:IAEAが環境アセスメントを行い、環境や周辺国に影響が無いか、等原発が適正なのかどうか調査する事になりますので、簡単にその国の意思だけでは新規の建設は難しい状況であると言えるでしょう。住民の意識も変化しており、世界いずれの国でも全く新規の原発を建設する事はかなり難しいで状況と言えるでしょう。アルゼンチンは2009年に3ヶ所目となる新たな原発を建設する事を決めているようですが、未だに場所の選定を終えていないはこの為だと思われます。
さて、フォルモサの原発プロジェクトに関してですが、その後新聞に専門家のコメントが掲載されました。「確かにそのプロジェクトは存在した、ただそれだけでその後は何も無い」という事でした。多分原発に対してポジティブな時代の計画なのでしょう、その後近くに巨大なヤシレタ水力発電所が出来て過疎とも言えるこの地域には十分な電力が供給されるようになっています。わざわざ電力不足が懸念されている大消費地から遠く離れた場所で原発を建設する合理的な理由は全く無く、実施する可能性はまず無いでしょう。ただ記事の中でその専門家は外交ルートを通じて建設をしない確約を取り付けておくことは必要だろうと指摘しています。確かに可能性は低くても確認だけはしておいた方が無難でしょうね。パラグアイに住む人にとっては原発は遠い世界の事という感じでしたがこの件で何時でも自分達にも降りかかる問題であると認識した事は良かったと思います。個人的にも身近に出来る事と考えると本当に不気味な感じでした。原発は稼働を止めて廃炉にする場合には膨大なコストと時間が必要になります、今後は新規の建設はしない事が大切なのでしょうね。

(地図:現在稼働している原発の位置)
112・アルゼンチン経済(2013年03月16日)
アルゼンチンはインドに次ぐ世界で8番目の面積、多くの地下資源、広い平原を等、非常に豊かな国土を有し、人口は4千万余りで理想的な環境にあり世界で最も恵まれた国と言えると思います、世界で一番恵まれた国であると思います。GDPは4,446億1,200万ドルで、アジア諸国と比較すると、経済規模でタイを上回る程です。20世紀の初頭には欧州から大量の移民が来て経済は活況を呈し、特に第二次世界大戦の時には北半球の多くの地域が戦乱に巻き込まれる中、穀物、工業製品何でも幾らでも売れる時代が到来し繁栄しました。戦後の荒廃した日本から南米に多くの移住者が引っ越して行きましたが、ブエノスアイレス市の景観に驚いたとの事です。栄華を極めたアルゼンチンですが南米がこの数年、経済発展を遂げる中でも昨年初め頃から何となく様子がおかしく立ち往生しているように見えます。
南米はブラジルとこのアルゼンチンが大きな存在であり、パラグアイとウルグアイはこの南米の両大国の狭間に在る国という位置付けです。ブラジル全図、アルゼンチン全図それぞれにパラグアイ、ウルグアイは国土が全部入ってしまう程です。ライバルであるブラジルとアルゼンチンが手を結び経済協力を行うと決めた際にパラグアイとウルグアイを加えた事は当然の流れであったように思います。周辺諸国が堅調である中これ程停滞しているというのは不思議な気もします。インフレも起きており外貨不足になっておりニューヨークでは以前債務不履行になった国債の減免に納得しないファンド等が訴訟を起こしており、1200億円の支払いを求められています。
アルゼンチンの歴史を振り返りますと第二次世界大戦時に膨大な利益を得てペロン大統領など大衆迎合型の大統領が浪費し経済を悪化させに1976年から1982年の間、軍事独裁に苦しんだ。1982年には英領となっているフォークランドを占拠したものの英国の反撃に逢い敗北、1983年から1989年まで、独裁政権時代の遺物に対処し損ね、三桁のハイパー・インフレーションの中で新自由主義政権のもとで、アルゼンチンは苦しみ、1989年から1999年、アルゼンチンは、最も利益の上がる、公企業、天然資源(石油を含む)、銀行、道路、動物園や公共トイレを、特売価格で外国投資家に売り渡された。そして2001年12月、銀行が閉鎖し、多くの企業が倒産し、経済が壊滅状況となりました。要するに第二次世界大戦の時、そして戦後にあぶく銭を得て楽して儲けてその成功体験から抜け出せずに打つ手が後手を踏んだという事でしょう。現政権も大衆迎合型で南米で流行している新左翼政権です。同じようなベネズエラ、ボリビア等も経済的には上手く行っていません。活路を見出す為に中国と手を組む事に踏み切っていますが米国との関係を良くしてこその南米ですので成功するとは到底思えません。また一気に問題が出て再び債務不履行のような事態になるのではないかと心配です。世界は厳しく見ており、直近のデータで「世界が今後5年間でデフォルトに陥る公社債」ではギリシアに次いで堂々の世界第二位にランクされています。

(地図:アルゼンチン全図)

111・キプロス(2013年03月23日)
キプロスが世界経済で注目されています。普段の生活では余り意識になく、思い出すのは地中海に在る島国くらいであると思います。キプロスは面積は鹿児島県か山形県くらい、欧州で言えばアルザス地方と同程度の小さい島です。人口は90万人弱ですので日本で言えば40番目くらいの県、香川県か山梨県程度です。この島国がEU加盟国であり、ユーロを使っており銀行が危機的な状況に陥った事から世界を揺るがす騒ぎとなっています。こんな小さな島ですが歴史上極めて古くから登場し、古代史のギリシア、ローマの時代には既に文明の地であったようです。キリスト教の実際の創始者であるとも言われているパウロが第一回伝道旅行の際にこの島を訪れていると新訳聖書に書かれているのだそうです。
地図を改めて見ますとトルコとレバノンに非常に近く地理的にはどう見ても欧州とは思えません、ただギリシア領のクレタ島やロードス島に近く、住民も7割くらいがギリシア系という事もあり、ギリシアの仲間という事でヨーロッパと考える事も出来るのでしょうね。トルコ系とギリシア系の対立があり、国土が南北に分断されているのは知っていましたが、よく調べますとこの小さい島は4つの地域に分かれているのです。ギリシア系のキプロス、トルコ系の北キプロス、南北の緩衝地帯、英領の地域の4つです。軍事的な価値は高く、元々オスマン帝国の時代に英国が割譲させて長期間英領であったそうで、軍事基地の在る一帯は英領として残っているようです。宗教はトルコ系はイスラム教徒、ギリシア系は正教徒、ただこの他に4%程のアルメニア教会など他のキリスト教徒なのだそうです。また正教はギリシア正教では無く独自のキプロス正教なのだそうです。住民の多く、特にEUに加盟している南部はギリシア系が多いのでギリシアとの繋がりが強いのですが、元々英領であり、現在も軍事拠点となっているので英国の影響も大きいようです。そして近年関係を深めているのがロシアで同じ正教系の国家、距離的に近く温暖な気候である事からロシア人がキプロスに投資を行い、相当の資金を持ち込んいるようです。ちなみに飛行機で行く場合にはロンドン、モスクワ共に4時間半なのだそうです。
ロシアが多額の資金をキプロスに持ち込んでいる中でギリシアの金融危機が発生し、多額のギリシア国債を有していたキプロスの銀行はたちまち危機的な状況になってしまいました。ドイツなどを中心にEUが銀行支援をする際に一部預金を強制徴収するとしたのは単に多額の資金を出して救済するだけではロシアの富裕層に利するだけであるというEU内の不満があるからなのでしょう。EUとロシアとの駆け引きの中で何とかババを掴まずに収束させたいという両者の思惑の中、どのように危機を乗り切るのか注目しています。

(地図:キプロスの位置)

(地図:4つの地域に分かれているキプロス)
110・アルザス(2013年03月16日)
アルザスはフランス北東部に位置する地域です。面積は広島県、静岡県くらい、人口は180万人ですから日本の県とほぼ同じ規模と言って良いでしょう。場所は欧州の中央部で東側にはライン川が流れていてドイツとの国境となっています。南はスイスとの国境となっており、スイス第三の都市であるバーゼルがあります。最大都市であるストラスブールは大学都市として有名であり、また欧州の中央という事で欧州議会があります。西側には山地があり他のフランス地域からは隔絶されている感じで、地勢的にはどう見てもドイツという感じです。この地域は元々は神聖ローマの一部でしたが17世紀、日本の江戸時代の初め頃この地域はフランス領に編入されました。住んでいる人はアルザス人と呼ばれていて見た目、文化、言語はドイツ的で王制時代は「ブルボン家に仕えるドイツ人」等と呼ばれていたのだそうです。その後、普仏戦争、第二次世界大戦の時にドイツ領となり、仏独の係争地帯となっていました。フランス人というのは元々フランス民族というようなものがあった訳では無く、ケルト系、ラテン系、ゲルマン系が融合して成り立っているものですがこの地域はやはり少々異質であるようです。言語はアルザス語なのだそうですが、これは標準ドイツ語にかなり近いのだそうで、民族衣装、、街の雰囲気もドイツ的です。ただドイツから見ると長くフランスの統治下にあったので「フランス風に汚された」と看做され、二級ドイツ人というように見られているとも言われています。フランス語の教育が進み今ではほとんどフランス語を使うようになり、フランス化が進んでいるとも言われています。
現代になり、欧州では通貨が統一され、国境も自由に行き来出来るようになっています。フランスは国境を接する7ヶ国全てと国境の検問を廃止していますので自由に往来が出来るようになっています。このアルザスはフランスの一番端というよりも現在では欧州の中央という事で経済が活性化されています。スイスやドイツと一体となった経済圏を築いて発展しているのでしょう。また各地に中世以来の街並みが残っており中世ドイツ風、お伽話の世界のような場所が点在しているようで、世界各地から観光客を集めているようです。欧州統合、仏独融合の象徴として発展を続けるアルザス、欧州が一体化して行けば更にその重要性は増して行くのでしょうね。

(地図:アルザスの位置)

(写真:アルザスの風景-01)

(写真:アルザスの風景-02)

(写真:アルザスの風景-03)

(写真:アルザスの風景-04)

(写真:アルザスの風景-05)
109・シカゴ(2013年06月02日)
日本人でシカゴ市に観光に行く人は少ないようです。確かに米国の都市で観光といいますと、思い浮かぶのは西部のサンフランシスコ、ロスアンジェルス、ラスベガス、そして東部のニューヨーク、ボストン、ワシントンDC,マイアミ、ディズニーワールドが在るオーランド等が人気の都市と言えるでしょう。ここにシカゴという選択肢は余り出て来ないようです。日本人を含め多くの外国人にとってシカゴというと相場を取り扱う街で観光に行く人は少なくそれ程面白い事は無く、ビジネスで旅行する人がほとんどだろうと想像してます。確かにその通りなのかも知れません。日本からのツアーを見てもおまけか付け足しでシカゴ訪問というのはありますが、ニューヨーク等のように観光目的でシカゴだけのフリー何日間というようなものはほとんど見掛けません。シカゴは観光としては余り注目されていないようです。
シカゴと言いますと3つ位の異なったイメージがあるように思います。米国を代表する大都会で世界の穀物相場等各種の相場を扱う摩天楼が広がるビジネス都市という一面です。次に思い浮かぶのはギャングの街で、アルカポネ等のギャング団が暗躍している怖い街、荒れた都市というイメージです。そしてもう一つはミシガン湖とその向こうに見える摩天楼の都市というイメージです。米国を代表する景色としてこの風景が良く使われます。この3つの代表的なイメージが混在する興味深い街と言えるでしょう。実際に訪問して見ますとこの3つ共に正しいと言えます。
ダウンタウンを中心に林立する高層ビルは見事です。これ程多くの事務所スペースの需要が在りそこでは毎日多くの人が働いている訳ですから世界的なビジネス都市であるのは間違いありません、ただ意外に狭い地域に集中しており、大体遠くても30分くらいで歩いて行ける距離です。東京のように丸の内、台場、新宿、渋谷、池袋、さいたま副都心、みなとみらい、幕張・・と色々の場所があるのとは大分事情が異なります。摩天楼が広がる地区は意外に小さいもので、高層ビル街に高架の電車が走る光景は絵になり、スパイダーマン等多くの映画で利用されています。
ギャングが暗躍する犯罪都市というイメージは正にその通りで、北側特にミシガン湖に近い場所ははしっかりとした家が建ち並び公園等が整備されて綺麗です。しかしながらデトロイト程では無いですそうが西もしくは南方向はダウンタウンの高層ビル街を一歩出るとかなり荒んでおり、すぐ近くでも空地が目立ち治安が悪い状況は一目瞭然です。駅前に大きな何も使われていない放置された土地が広がり、その直ぐ向こうに高層ビルが見える風景というのは少々異様な気がします。それから更に少し少し行くと放置された空地や住宅にゴミが投げ込まれ如何にも犯罪多発地域という感じで、歩く人も白人系はほとんどおらず黒人等のマイノリティーばかりという状況のようで病んだ米国の姿を垣間見る事が出来ます。
気候に関しては風が強く長い冬は非常に寒く、夏は非常に暑いそうです。また治安上の問題が在るという事でシカゴから転出する人が多いようで、人口はかなり減少しているようです。大都市圏人口は20世紀初頭には米国ではニューヨークに次いで第二位、世界でも第五位でしたが、現在はロサンジェルスに抜かれて米国第二位、世界では30番目位になっています。1950年にはシカゴ市の人口は360万人居たそうですが現在は260万人と100万人も減少しているようです。それでも世界の大都市の一つである事には変わりありません、都市圏GDPランキングでは名古屋に次いで世界第六位です。。都市整備には力を入れていて中心部に大規模な公園を整備し現在も建設が進んでいます。また世界的な美術館、米国で一番と言われるオーケストラもあり、またジャス、ミュージカル等もあり文化面でも充実していますし、野球、バスケットボール、フットボールなどのプロスポーツチームもあり、人気があります。訪問してみますと想像以上に多くの観光客が来ているように見えます、外国人も多いのですが米国内からの人が多いように見えます。米国内では人気の観光地のようです。確かに都市は大きく広がり色々な場所があり楽しく過ごせる街であることは確かだと思います。

(写真:シカゴ・ダウンタウン)

(写真:シカゴ・高架鉄道)

(写真:シカゴ・川と摩天楼)

(写真:シカゴ・ホワイトソックス)

(写真:シカゴ・ミシガン湖畔)

(写真:シカゴ・ミシガン湖からの景色)
108・ベルリン (2013年07月13日)
ドイツの首都ベルリンは世界の誰もが知っている有名な都市です。ヨーロッパの中心に位置し、地域内では人口、経済力もナンバーワン国家のドイツの首都ですから当然なのかも知れません。ただライバル国家のフランスのパリ、英国のロンドンと比較しますとどうしても目立たない印象も受けます。パリやロンドンがそれぞれの国で圧倒的な存在であるのに対してドイツのベルリンは影が薄い印象は否めません。例えばドイツ行きの飛行機もほとんどがフランクフルトを使い遠方からベルリン行きというのは余り聞きません。一時日本航空が直行便を就航させていたのだそうですが余り利用客がいなかったのかその内に消えてしまったようです。日本企業等のドイツの拠点都市はジュッセルドルフで多くのドイツ駐在員はこの都市に住んでいます。国内には欧州の金融の中心都市であるフランクフルト、南部の中心ミュンヘン、北部のハンブルクなどベルリンに迫る大きな都市が幾つもあります。
ベルリンがドイツで現在絶対的な都市となっていない理由は色々あるように思います。まず考えられるのはドイツは長い間小国に分裂していて統一されたのが大体日本の明治維新の頃です。統一の中心となったプロイセンの首都がベルリンで統一されたドイツ帝国の首都となった訳です。元々別の国家が基になって出来ているので地方色、独自性が強くそれぞれの地方に拠点都市が存在し一極化しなかった事が挙げられると思います。次に考えらるのは戦争の影響です。ドイツ統一後もオーストリア、フランスと戦争を行い、20世紀に入り第一次、第二次と二つの世界大戦で連敗し都市が荒廃した事が挙げられると思います。特にナチスドイツが敗北した際にはベルリンで市街戦が行われソビエト軍等の攻撃によってベルリンの街は廃墟となってしまいました。その後の4ヶ国によるにベルリン占領、東西の分割そしてベルリンの壁が建設された事は都市の発展の大きな妨げになった事は明白です。壁も合理的な場所に築かれたのでは無く市の中心部に折れ曲がって築かれ不自然な形で分割され元々の中心部の多くの地域は無人地帯となりました。
西ドイツはベルリンから離されベルリンは東ドイツの真ん中に在る飛地的な存在となり政治、経済も全て西ドイツ本土が中心でベルリンは取り残されてしまいました。東ベルリンは東ドイツの首都となりましたが余り大きくは無い国土の中央に東ドイツ国民は全く立ち入ることが出来ないかなり大きなサイズの西ベルリンが存在し発展の阻害要因になっていたと思います。東ドイツ西部の住民は首都に行くにも大きく迂回して行くしか無かった訳です。西ベルリンに関しては小さい時から地図は見ていましたが市街地でのベルリンの壁のイメージが強く密集した市街地を壁が囲み中は建物ばかりと思っていました。実際に行きますと広大な地域で幅は40キロもあるそうで、中心部に大きな森があるほか市街地の多くは森の中に在り郊外には大きな湖が点在し環境は抜群でした。またナチスのオリンピックとして有名な1936年のベルリン・オリンピックの会場も西ベルリンの森の中にありました、これは想像していませんでした。冷戦の時代西ベルリンの人は環境が良く住み易いので余り西ドイツ地域に引っ越したいとは思わなかったと聞きます。実は西ベルリンは環境抜群の田園都市だったという訳です。
東ドイツが崩壊し西ドイツに組み込まれ新たに統一ドイツとなりドイツの憲法でははっきりと「ベルリンが首都ボンはあくまでも暫定首都と」と明記されていることもあり、異論はあったにしろ憲法の規定に従いベルリンが再びドイツ全体の首都となりました。プロイセン時代には国土の中央に位置していたベルリンですが、第二次世界大戦の結果東側の国土は大きく削られポーランドとの国境までは僅か60キロほどとドイツ全体の中で東の端に位置する状況となっています。現在でも経済の中心である旧西ドイツ本土までは距離があり正直浮いた存在であるように見えます。人口の推移を見ますと1920年から第二次世界大戦の始まった1940年頃までがピークであった事が分かります。1920年代1929年の世界恐慌までがベルリンの黄金時代であったようで人口は450万人、世界第四の大都会でした。この時にはロンドン、パリ、ニューヨークと並ぶ世界屈指の大都会として急成長ドイツの中央に位置する大都市として輝いていたようです。その後第二次世界大戦で荒れ果て、東西分割を経て首都に復帰した現在でも人口は350万と約百年も前のピーク時には程遠い状況の上経済的には弱者であるトルコ系を始めとする外国人が多く居住し往年の活気からはまだ程遠い感じです。首都機能は確かに移りましたが名実共にドイツの中心となるにはまだ時間がかかりそうな気がします。
東西ベルリンを隔てていた壁が崩壊して二十年以上が経過して東西の一体化はかなり進み、どこに壁があったのか判別が出来ない程で中心部、特に壁があった跡は消え失せたという話も聞きました。確かに中心部は壁は一部の記念碑的な部分を除いて完全に撤去されてその跡地に出来た大きなスペースを活用し再開発が進み綺麗な街並みが出現し、この付近では東西の区別は難しくなっています。しかしながらそこから数駅東に電車で行き住宅街を散策しますと西側とは全く異なる風景が広がっていました。塗装などはカラフルにしていますがどう見ても町並みなどの違いは歴然としています。壁の崩壊後西に住んでいた人が東に引っ越してはみたが住人の意識の差は想像以上に大きくまた西にもどるケースが多かったと聞きます。まだまだ東西が完全に一体化してはいないように見えました。東京やパリなどは市街地に何も使われていない空地や無駄なスペースはほとんどありませんが、ベルリンは中心部でも何にも利用されていない空地が目立ち建物が密集していない感じです、東京で言いますと一昔前の新宿副都心という雰囲気です。壁の跡や東西のチェックポイントが重要な観光地になっていて帝政時代、ナチスの時代、第二次世界大戦、冷戦などがすぐこの前の出来事のように感じました、これは歴史に翻弄され続けた街だからなのでしょう。首都移転後様々なプロジェクトが進んでおり現在でも中心部では多くの工事が進行しています。例えばベルリン中央駅の駅前も現在は閑散としていますが今後開発が進み街の中心にふさわしい姿に変わって行くことでしょう。ただ、ベルリンが戦前のようにドイツの中で飛び抜けた存在に戻る事はもう無いのかも知れません、これからどのような街づくりをして行くのか注目です。

(参考地図:ベルリンの位置)

(参考図:ベルリン人口の推移)

(写真:ベルリン・ブランデンブルク門)

(写真:ベルリン・壁)