ウイーン-02・教会・宮殿・モーツアルトハウス (ウイーン市・オーストリア) (ウイーン市・オーストリア)

ウイーン-02・教会・宮殿・モーツアルトハウス (ウイーン市・オーストリア)
ハプスブルク家の栄華を今に伝える教会や宮殿は本当に素晴らしいものです。特にウイーン城内の中心に位置していたシュテファン大聖堂は現在もウイーンのシンボルとなっています。そして音楽の都ウイーンを代表する作曲家モーツアルトが暮らした住居を紹介します。
シュテファン大聖堂 (2017年 1月)
シュテファン大聖堂はウイーンの街の中心に位置しシンボルになっています。12世紀半ばにロマネスク様式の教会として建設されたことに始まり、13世紀から14世紀にかけてハプスブルク家のルドルフ4世の命により、建物主要部分がゴシック様式に建て替えられました。第二次世界大戦では多少の被害はありましたが戦後修復されました。

(写真:シュテファン大聖堂-01)

(写真:シュテファン大聖堂-02)

(写真:シュテファン大聖堂-03)

(写真:シュテファン大聖堂-04)

(写真:シュテファン大聖堂-05)

(写真:シュテファン大聖堂・内部-01)

(写真:シュテファン大聖堂・内部-02)

(写真:シュテファン大聖堂・内部-03)

(写真:シュテファン大聖堂・内部-04)

(写真:シュテファン大聖堂・内部-05)
ペスト塔・ペーター教会 (2017年 1月)
街の繁華街に奇妙な塔があり少々奇異な印象を受けます。1350年以降、それまでの権力構造が崩壊し、権威が失墜した。その原因の一つに14 世紀~17
世紀のペストの大流行が関係しているとも言われています。ペストの大流行は貴賤に関わらず死ぬこと示しました。当時絶大な権力を誇ったハプスブルク家は、ペストが沈静化した際に自らの権力のおかげであると神権的な政治を行いました。
ペスト塔は 17 世紀にウイーンを襲ったペストの流行が収まったのを記念して、皇帝レオポルト 1 世によって建てられたのだそうです。

(写真:ペスト塔-01)

(写真:ペスト塔-02)

(写真:ペスト塔-03)
ペスト塔の近くに在るペーター教会は9世紀創建のウイーンで2番目に古い教会です。

(写真:ペーター教会-01)

(写真:ペーター教会-02)

(写真:ペーター教会内部-01)

(写真:ペーター教会内部-02)

(写真:ペーター教会内部-03)
教会の前には観光の馬車がいました。

(写真:観光馬車-01)

(写真:観光馬車-02)
シェーンブルン宮殿 (2017年 1月)
シェーンブルン宮殿はハプスブルク皇帝の夏の離宮でした。元々は小さな宮殿があったのですが、17世紀末のオスマンの攻撃で破壊され、その後建設が始まりマリア・テレジアの時代に完成したそうです。インターネット等では花が咲き美しい庭園の写真がありますが、あくまでここは夏の離宮、冬向きではないようで悪天候の寒い冬の日に行きますと随分様子が違っていました。

(写真:宮殿入口-01)

(写真:宮殿入口-02)

(写真:宮殿入口-03)
ヴェルサイユ宮殿を模した美しい宮殿というような説明を見掛けますがかなり異なり地味な印象です。

(写真:宮殿-01)

(写真:宮殿-02)

(写真:宮殿-03)

(写真:宮殿-04)

(写真:宮殿-05)
チケット売場があり、宮殿内部は撮影不可でした。

(写真:チケット売場-01)

(写真:チケット売場-02)
庭園ですが、夏の晴れた日には美しいだろうと想像しながら散策しましたが、冬枯れのみぞれ混じりの天候の中寒々しい景色の中では少々難しかったです。ヴェルサイユ宮殿よりはポツダムに在るプロイセンのサンスーシ宮殿に似ていると思いますがこちらの方が規模も小さく地味のように思います。
ポツダム・サンスーシ宮殿

(写真:庭園-01)

(写真:庭園-02)

(写真:庭園-03)

(写真:庭園-04)

(写真:庭園-05)

(写真:庭園-06)

(写真:庭園-07)
夏は美しいのでしょうね。

(写真:庭園-08)

(写真:庭園-09)

(写真:宮殿-01)

(写真:宮殿-02)
ホーフブルク王宮 (2017年 1月)
13世紀の「古い砦」に始まり、繰り返し拡張され、20世紀初頭に現在の外観になったそうです。ハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国の中心であった訳です。プロイセンとのドイツの盟主を掛けた戦いに敗れ、国内の多民族の不満を抑える為にオーストリア・ハンガリー帝国と改組し何とか生き残りを図ろうとしたオーストリアですが、第一次世界対戦で敗北し解体、皇帝は亡命し650年続いたハプスブルク帝国はあっけなく終わりました。

(写真:王宮前のミヒャエル広場-01)

(写真:王宮前のミヒャエル広場-02)
観光馬車が客待ちしています。

(写真:王宮前のミヒャエル広場-03)

(写真:王宮前のミヒャエル広場-04)
王宮前の「ミヒャエル広場 にある、古代ローマ時代の遺跡

(写真:古代ローマ時代の遺跡)

(写真:宮殿入口)
建物に入ると入口が銀器コレクション博物館とあります。

(写真:銀器コレクション博物館入口-01)

(写真:銀器コレクション博物館入口-02)
レオポルド宮です。ここにあの女帝マリア・テレジアが住んでいました、現在はオーストリア共和国の大統領府になっています。

(写真:レオポルド宮)
中央にはフランツ2世像があります。最後の神聖ローマ帝国皇帝ですね。ここからオーストリア帝国と称するようになるわけです。

(写真:フランツ2世像)
新王宮への通路にはお店が並んでいます。

(写真:新王宮への通路-01)

(写真:新王宮への通路-02)
新王宮の前にはオイゲン公の像があります。フランス出身の軍人でオスマン、フランス等を撃退した英雄です。この新宮殿の建設は1881年から1913年まで、内装が完成したのは1923年、既に帝国は消滅して本来の目的を果たすことが出来ませんでした。なお、1938年、この新王宮中央のバルコニーでヒトラーがこの英雄広場を埋め尽くした人に向かいドイツによるオーストリア併合の演説を行ったのだそうです。

(写真:新王宮とオイゲン公の像)
反対側は工事中でカール大公の像があり、その向こうには市庁舎の塔が見えます。

(写真:カール大公の像)
王宮の外門となるブルク門があります。

(写真:ブルク門)
モーツアルト・ハウス (2017年 1月)
市内にモーツアルトが暮らしていという「モーツアルト・ハウス」なる場所があり、博物館になっています。市内中心部繁華街から少し脇道に入ったドームガッセ5番地には、モーツァルト・ハウスがあります。これはウイーンでモーツァルトが住んだ十数軒の家のうち、現存する唯一のものなのだそうで、1784年から1787年まで、ここに住んでいたのだそうです。
モーツァルト家の住居は2階にあり、4つの部屋、2つの小部屋、キッチンからなる豪華なものでした。館内は撮影が禁止されているので内部の様子は撮影出来ませんでしたがモーツアルトが暮らしていた部屋から外の様子を撮影しました。何とこの景色は当時とほとんど変わっていないそです。フランス革命の前、日本は天明で家治の時代、江戸の文化が花開く文化・文政の前の時代ですから当時のウイーンの先進性はすごいものがありますね。

(写真:入口)

(写真:受付)

(写真:受付付近)
館内は撮影禁止ですが、モーツアルトの住んでいた部屋から写真を撮りました。この光景は当時とほとんど変わっていないそうです。

(写真:モーツアルトの部屋からの光景-01)
ここで暮らしていた時にはここの小路を歩いていたのでしょうね。

(写真:モーツアルトの部屋からの光景-02)