スロウニンのスロウな生活
このページは横浜近郊のローカル商業新聞に掲載しているコーナーです。

  4.項については「スロウニンのスロウな生活(2)」をご覧下さい。

2006-7-10

3.ビワの葉のお茶

退院が近い頃、麻痺した右肩の痛みがだんだんひどくなってきました。 寝てもさめても痛いという感じなのです。 外側が痛いのではなく、肩甲骨の中のどこか奥の方のようだが、どこか分からない、肩にズブッと麻酔注射でも打ってもらったら楽じゃないかというような気がする痛さです。 そこで、何か良い改善方法は無いかと、痛みに関する本を漁ってみると、案外ないのです。 確かに痛みというのは千差万別で、捕まえようがないのかもしれないけれど、それでも「自分でできる“痛み”のリハビリ」という変わった名の本が見つかりました。 早速取り寄せてみると、川崎にある見慣れた関東労災病院の勤労者リハビリセンターのスタッフの先生方が書かれた新書版の本(中災防新書、900円+税)で、患者のリハビリの側面からみた、患者が理解できる程度の痛みの原因や対応が、痛みの部位にわけて書かれた珍しい本です。 読んでみると、例えば肩はとても微妙な構造を持っていて、沢山の骨と筋肉が組み合わさって微妙なバランスで、あらゆる方向に動くので、どの部分が麻痺しても硬くなった筋肉同士が刺激しあって痛むのだといいます。 この痛みは、退院して通院リハビリになっても続き、2年目になろうかという時まで治まりませんでした。 時々箱根の温泉や弘明寺のみうら湯に連れて行ってもらったりして患部を温めてやるときは、多少痛みが和らぐのですが、冷めるとまた痛み、冬の間中続きました。 おかげ様で、2年目になって痛みが取れてきました。 これから書くビワの葉茶のお蔭かどうか分かりませんが、痛みはすっかり忘れています。 麻痺は取れませんが。 

痛みが続くこんなときに、ある雑誌で「ビワの葉療法」という記事を読みました。 その中にも書いてあったのですが、何と3000年の昔から、ビワの葉を治療に使っていたという話です。 子どもの頃 祖母から聞いたことがあるような気がします。 奈良時代の光明皇后(聖武天皇妃)が施薬院でビワの葉で病人を治したといわれている話です。 早速 田舎の叔母の裏庭にあったビワの木を思いだして葉を送ってもらいました。 ビワの葉は表がつやつやしていて裏側には白いビロードのような産毛が生えている比較的大きい硬い葉で、昔の家にはたいてい庭先にビワが植えてあったものです。 あるいはこの薬用の話の名残かもしれないと思いますが、港南台や洋光台など新しい街では見かけないものの、JR大船駅の京浜東北線のホームから見える商店側の裏庭に大きなビワの木が見えます。 

先ずビワの葉茶を試してみました。 鍋に2リットルくらいの水を入れ、その中に洗ったビワの葉12〜3枚を料理バサミで2〜3センチ幅に切って入れて煎じます。 およそ2〜30分煎じて お茶の色が褐色に変わったら出来あがりですから簡単です。 多少白いアクのようなものが浮かぶこともありますが、害は無いが気になるようなら除きます。 私は茶漉しのような目の小さいお玉で掬い取ります。 100円ショップにあります。 お茶にするのだから、葉は生葉でも乾いた葉でも良いので葉は乾いても大丈夫です。

このお茶は気になる匂いもなくすっきりした味で違和感なく飲めます。 というよりコンビニで買うお茶よりむしろ美味しいと言うと怒られますかな? 水代わりに、このお茶を飲んで1週間もすると、何か肩が軽くなったような気がしました。 薬なら、治ると言うと薬事法に触れるかもしれませんが、お茶だから、たかがお茶だと思ってやってみてください。 奥さんが膝が痛いという友人や、私と同病で肩が痛いという人にも勧めて喜んでもらいました。 お茶話になること請け合いです。

なぜ利くかと昔から研究されているようで、現在ではアミグダリンという成分が含まれていると考えられているそうです。 この成分は暖めると血液を弱アルカリ性に変化させるといい、健康に良くない酸性に傾いた血液を浄化するらしいのです。 だから、きれいにしたビワの葉をつやのある面を患部に当て、その上からこんにゃくを湯で温めタオルで包んだものを乗せておくと痛みが取れるという療法もあるそうです。 じきに葉が乾くので、葉の上からラップをかけておくと良いようです。私は、面倒なので、こんにゃくでは試していませんが、火であぶった葉で直接肩をなでてみました。 ほとんどおまじないのようなものですが、いわしの頭も信心からといいますから、無駄ではないと思います。 この方法はれっきとした研究者が専門的に治療をなさっているといいますから、こんなことを言ってはいけませんね。 でも1回2回じゃ駄目ですよ。 ビワの葉を送ってくれた90に近い叔母は、残念ながら3月末に心臓発作で急死してしまいましたが、生前、叔母もお友だちと、私の教えたビワ茶を楽しんでいたようです。 叔母の話では、田舎の人にホワイト・リカーにビワの葉1kgばかりを漬け込んで、梅酒のように水で割ってのむ人もあると言っていました。 砂糖は入れないそうです。 

 悪友たちは、私が倒れたことを聞いて皆自分にも心当たりがあるらしく「前兆があった?」とか「原因は?」と聞いてきます。 その気持ちは良く分かります。 飲兵衛だった私に「酒の所為だ」と言わしたいのでしょうが、酒の名誉にかけて言わないことにしています。 メタボリック・シンドロームが言われる前でしたが、肥満で、血糖値が高くて、血圧要注意だったので、この原因は確かに「酒が好き」ということでしょうが、脳梗塞の直接的な原因は「水抜きドライ・サウナ」だと思いたいところです。 私は「ビワ酒」にしたいのですが、周りの連中は、「飲みたいからだろう?」と言うのでかないません。 発病2年目を迎えた今、180ミリ・リットル(1合というと少なすぎる?気がするから)の日本酒(以前はウイスキーや焼酎、ビールだった)をなめるように嗜んでいるのですが、気を緩めると本家帰りをすると自重はしている積もりです。    (つづく) 

   写真1:大船駅ホームから見えるビワの木  

写真2:ペットボトルに入れたビワ茶、アシタバの葉、自分のコーヒー入れ道具 


2006/6/20

2.絵でも描かなきゃ「うつ」になる

冷静になって考えると 倒れて二日は右の手や足はまだ動いていました。 ベッドの中で「軽くて助かった」と思ったくらいです。 ベッドの脇の柵に手をかけて 握ることも 力を入れることも出来たし 右足で掛け布団を蹴って掛け具合を修正できたのです。 だから 1〜2週間で退院できるのじゃないかと 看護師さんに聞いて 笑われたりしました。   だが 徐々に右麻痺が自覚されるようになり 3日目には右足が何か重くなりました。 

2週間 点滴だけで  何も固形物は食べないから 「大」はほとんど無く 出るのは「小」だけです。 だから 車椅子乗せて貰ってさえ トイレに行くことが大変な時期に かえって助かりました。 うがった言い方をすれば 点滴だけという効用は そこにもあるように思いました。 

さすがに 2週間点滴だけが続くと 固形物が欲しくなります。 だが いきなり米の飯と思っても そうはいかないのです。 2週間経って ゲル(どろどの粘液状)にした食事が許されました。 「嚥下障害(飲み下しの障害)」の有無が未だ解っていないからです。 事実 時々急いで飲み込もうとすると 飲み込むタイミングが合わず むせることがあります。 食事制限がいやなので 人には気づかれないように誤魔化すのですが 看護師さんは見逃さないのでしょう。 粒の無い粥状のお米食 緑色の ほうれん草らしい液状おかず お魚らしい白身のおかず みなペースト状のどろどろに卸してあり 丸で離乳食です。 毎食 同じものに見えてきます。

だが 「食堂部」の心遣いは大変なものです。 毎日 毎食の個人のメニューに書いてある通り 見た目には同じゲル食も メニューは変わっています。 病状に多少ゆとりが出来た患者さんには 基本メニューの中の選択肢のアンケートがとられ ある程度の個人の嗜好に応えようとしているし また 七夕や 病院の創立記念日や旗日には 心のこもった記念メニューに 小さなお祝いのコメントが お盆に載せてあったりします。 病人には こんなことが 殊更嬉しいのです。 このようにして 毎週月曜日の体重測定日には看護師さんがベッド脇まで体重計を持ってきて 身体を支えて測定すると 見る見る体重が減っているのが分かります。 健康なうちに点滴をすれば良かったのに ! 冗談も言いたくなります。

  ゲル食が始まると同じ時期に リハビリが始まりました。 昔は 脳卒中で倒れた人は 「絶対安静」といわれて身体も頭も動かさないようにしたのを見聞きしたものです。 今は できるだけ早く 麻痺した部位も積極的に動かすリハビリが 進められます。 ボランティアの制服を着た人が 予定の時間に病室に迎えに来て 車椅子に乗せられ リハビリ棟に運ばれ 言語のリハビリに言語聴覚士 身体の麻痺に対するリハビリに 理学療法士 作業療法士 など たくさんの人の力を借りて 機能回復が始まります。 

点滴をつけたまま 歩行訓練。 平行棒に掴まっても 立つことも出来ません。優しくされればされるほど惨めな自分に打ちのめされます。 予約時間に沿って 次から次へと 患者さんが出入りしますが誰一人 同じ症状の人はいないのです。 まるで言葉を失った人もあります。 記憶が無い人もいます。 自分だって 何が失われているかは 徐々に調べないと分からないのです。 だから指導は勢いマン・ツウ・マンで 指導してくれる先生は決められます。 

後で聞いたことですが 私の梗塞部位は脳幹に近い「橋(きょう)」という 脳から神経が左右の身体に交差する部分だそうです。 だからか 手足の右麻痺と 右側麻痺による顔面 舌 など 筋肉制御機能の障害がありました。 私の場合 右顔面がたれて 右目ウインクも出来ません。 言語のリハビリの先生から与えられる「タ パ カ」の発音に多少障害はありました。 いままで経験したこともない猛烈な便秘に襲われたのもこの頃で 必死の思いでやっと出たのが ピンポン玉大の硬くて大きい 数個でした。 また 同室の人も経験したのが 原因不明の腹痛でした。 七転八倒しましたが 一晩 湯たんぽで暖めたら直りました。 これも右麻痺 特に内臓が右麻痺に関係しているのではないかと 素人考えをしました。 が お医者さんは そんなことは無いよ と言います。 でも 医者は 右麻痺を経験したわけではないから 未だに信じられません。 

入院後1ヵ月 内科病棟から リハビリ病棟に 移り 嚥下障害が無いとの主治医の判断で ゲル食から刻み食になりました。 ご飯はお粥 副食はすべて丁寧に刻まれています。 これがまた 2週間続きました。 その頃から 自分にとっては 麻痺の機能回復そのものより 「気の持ちようの改善」の方がキーではないかと思い始めました。 年寄りだから 機能が不十分になって嘆くより 生きがいを失う方がこわい と思ったのです。 

そこで 家からスケッチ道具を持ってきてもらい おぼつかない左手で 字はまだ読めない可愛い孫息子におじいちゃんの病気の話をするつもりで 小さい「紙芝居」を描き始めました。 紙芝居を束ねたとき 見せる絵の面の話が 読み手の目の前にあるように作っていく工夫も考えなければなりません。 ストーリーも考え 左手で絵も描かなければなりません。 病後の危険の一つは「病後うつ」ではないかと 私は身をもって感じますが この「紙芝居を作る」というリハビリ・アイディアはこの面でも成功だったような気がします。  

絵は病室で 左手で描いた「あじさい」と 病室で 左手で描いた紙芝居「モーツアルト療法」の「絵」と「かたり」

                                        (つづく)



2006/6/1

1.はじめのころ
 
新聞によると 先ごろ製薬会社ファイザーがインターネットで、脳卒中に関してて40歳以上の男女600人の調査をしたそうだ(朝日新聞5月6日)。

その結果 45%が家族や同僚・友人に脳卒中になった人がいると答え 自分が患った場合の心配ごとは 「後遺症」が53.7% 「介護家族への負担」が25.0% 「介護や治療での金銭的な負担」が13.8% と続いたという。

これは大変な問題である。 およそ半数近い人が身近に、この病気を見聞きしているのだ。確かに 私が南部病院に入院していたときも、見舞いに来てくれた人の多くが「私の兄が」とか「私の父が」といっておられたことを思い出す。

脳卒中は 脳梗塞や脳出血の総称であるが、こんなに身近で苦しみ多い病気となると、日ごろから気を配って、予防をすることが大切だと 反省仕切りである。私には病気になった今ごろになって、気が付いても遅いが「反面教師」として 闘病体験なり 闘病生活なり の日々の生活に起こることを、書き留めてみるのも何かお役に立てるのではないかと思う。

言うまでもなく アンケートにあるように この病気の最大の恐怖は「後遺症」である。入院中も 毎日のように運びこまれる患者さんがあり、また通院リハビリにと退院していく人も次々である。お医者さんも看護師さんも病院スタッフの方々も 文字通り医療にリハビリに 献身的に対応されておられる。本当に頭が下がる思いである。

私が発病してから満2年になる。発病前まではいわゆる肥満体で、身長165cmは我々世代では普通だが、体重は85kg 近くの医院の血糖を抑える薬を服用していた。また 運動が欠かせないので夫婦で港南中央のスポーツクラブ・ルネッサンスに通っていた。プール内で歩き、泳ぎ、サウナに入る、をユットにしていた。1ユニットで約1.5kg減量するのが楽しみであったが、後で解ったがこれが落とし穴だったのである。水分を多量に補給するのが正しかったのだ。

その日 久し振りに親しい友人たちと新橋で会うことになっていた。夕方約2kmの上大岡まで歩いていつもの京急・地下鉄で行った。
何時もの料理が旨い親しい居酒屋の小部屋で酒を酌み交わした。あまり飲まないうちに 私が酩酊した格好になったらしい。酒には酔わない私だったので友人は変だと思ったらしいが2次会に行こうと 肩を組んで外へでた。自分には肩を担がれていると解り 話しかけられる言葉も分かる。それでいて立てないし、自分の言うことが友人に通じない。

結局2次会は止め、タクシーに乗せようということにしたらしく 友人の一人と タクシーで一時間 洋光台に帰ってきた。道順は 自分が動作で知らせて何とか玄関先に到着した。担ぎ込まれると 妻が「お父さん 変。左はいいけど 右目が他所を向いてる!」 
すぐに南部病院に電話をしたら「すぐ自家用車で来なさい。救急車は時間がかかるかもしれない」 すぐにCT検査。点滴がはじまった。

後で分かったことだが 日本では当時未認可の薬PTがあるそうだ。一時間以内なら 血栓を溶かすことが可能だと言う。アメリカで劇的に麻痺が改善されるビデオが紹介された。日本では 東北で使用例があると後でインターネットで知った。

こうして私の入院生活が始まった。幸か不幸か、長年払っていた入院保険があったので、経済的には打撃は少なかった。入院同室に私より10歳も若い方がおられた。どちらも年老いたご両親が健在ではあったが、これから面倒を見る立場。やりきれない思いであったろう。深夜ベットで啜り泣きが聞こえたりすると、こちらももらい泣きをしたこともあった。

編集室より
はたと周りを見渡すと、本当に脳梗塞の話をよく聞きます。実は私の父もただ今リハビリ中だったりします。人事とは思えませんが、その後の暮らし方は人によって大きく違いますね。どんなことがあっても前向き前向きに生きていきたいものです

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