結婚して3年目の私の家計簿です
昭和33年 銭湯は16円でした。(銭湯―(公衆浴場)―ゆ(「おゆやさん」と言っていた時期もありました)
昭和36年 銭湯が17円に・・・シャンプーすると10円追加で27円に。シャンプーは4〜5日に1回が普通。
タバコ80円 美容院のパーマは600円でしたよ〜お給料は現金で受け取りました。
銭湯と都電(路面電車)とお豆腐はいつも同じ値段でしたね〜。
昭和32年 高卒初任給 手取り6,000円でしたので、8,000円弱かと。
数年後だと思いますが大卒が13,800円だったかと???(この数字が歌詞に入った歌が流行りました)。
アパートの家賃が
東京の場合1畳1,000円 6畳なら6,000円が相場で、お風呂なし トイレ共同 炊事場と押入れつき。

身体検査どころではありません、栄養失調でした。
この学校には2学期少しと3学期だけいました。住むところが無く、転校を繰り返していました・・
1学期は東京大空襲で焼け出されて茨城県の学校に入学。
皺加工と着色で皮のようにみせかけた紙のランドセルでした。靴は無く裸足。
8月の終戦を迎えて東京にもどり 9月10月は学校へは行けなかったらしい、2学期は25日しか・・
採点は優 良 可。良だけが良上 良 良下 要するに5段階です。
成績よりも学校へいけるかどうかの方が大問題。
東京は焼け野原でしたので・・学校に椅子も机も余分に無くて「机と椅子を持って来てください」
といわれ、当然何も無い私は転校の度に椅子と机がある学校を探しました。
保護者欄に父の名がありますが、父はまだ戦地から戻っていませんでした。
この小さな「通信表」にたくさんの思いがぎっしり詰まっています。
でも 「学校」って凄いですね。
こんな時代に石にかじりついても学校に行かせようとする親の思いや、
どうしても学校へ行こうとするこどもの執念!
今の人たちは学校にどんな思いを抱いているのでしょうか。

「国民学校一年生」の通信表 国民学校から小学校へ
柳町国民学校―柳町(やなぎちょう)は東京都文京区小石川柳町 東京ドームの近くです。
ネットで検索しましたら、今も柳町小学校はありました!
昭和十九年を手書きで二十年に書き換えてあるところに注目。
ここに記されている行事は戦前のものというわけです。
毎年問題になる靖国参拝が戦前はどのような扱いだったかが
「靖国神社例大祭」の文字から想像できるのでは・・
《男女7歳にして席を同じうせず》
男女共学では無かったので「女組」です。
翌年から授業前に教科書を墨で塗りつぶす作業が・・
夢と希望に溢れた1年生のときに戦前の軍国主義の教育を受け、
直後に180度転換して戦後の民主教育を受けました。
このことは同年代の多くの人々に特別な影響を与えているとおもいます。
カタカナが使われているのも面白いと思いませんか。
(1年生でカタカナを2年生でひらがなを習いました。)
夏休み・冬休みは「休み」じゃないんですよ。「鍛錬期間」です!
神嘗祭・新嘗祭・・・読めますか? かんなめさい・にいなめさい。収穫を祝いました。
「新嘗祭」はいまの「勤労感謝の日」です。
「授業ヲ行ハザル日」―笑っちゃいますね。
こんな時代に生きた私が、今パソコンをいじっている!実に愉快です!(^O^)
