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風薫る大明神越え( 1/3 )
計画
もみじまつり広場
ことしは、福岡の野元先輩も来てくれるという。先輩に女性たちの、みかじめをしてもらえるというので助かる。
ことしの5月の連休は3日間しかなく、そのうえ、5日の夜に用事がある者もいて、なにかと制約が多い。そこで、最終日は半日行程ですむような計画をねった。
目的地は、宮崎県の日之影の山と傾山。日程は、2日の夕方出発し、傾山の登山口に近い大明神越まで行っておく。
初日の3日は、大明神越から傾山に登り、同じコースを通って降り、その夜は水無のあけぼの荘前にテントをはり、焼き肉パーティをする。
4日は、縦走と沢登りの二班にわかれ、縦走組は見立から頭巾岳(とっきんだけ)に登ってアケボノツツジを鑑賞し、五葉岳まで足をのばす。そこから折り返し、夏木山でテントをはる。沢登り組は、かのう谷を遡行し夏木山で縦走組に合流する。
最終日の5日は、夏木山から大鋸小鋸のノコギリ尾根を縦走し、新百姓山をへて大明神越えに下りる。
帰り道は、川底温泉に入る。今回は、花とみどりと風、それに温泉の山旅である。
食料を買い込みすぎたようだ。車のトランクが、いっぱいになった。予定より30分おくれて北九州を発った。
大明神越えの宇目町側にある、もみじまつり広場に夜中についた。ここには、11月の初めに開かれる「もみじまつり」のための舞台がある。舞台の上にテントがひとつはられていた。テントの明かりは消えているので寝ているようだ。彼らを起こさないように静かに行動する。
舞台から離れて、水場の前にテントをふたつ張った。小さい方は、後から遅れてやってくる信ちゃんと鱈ちゃんの寝るテントだ。
とりあえず無事についたことを祝い、ビールで乾杯した。乾杯する理由を、最近はすぐみつけてしまう。
さっそくテントの中で、やきとりを焼く。串から跳ねる油に火がついて、線香花火のようにひかる。テントの中は、黙々とあがる煙が充満して、むせかえる。これじゃ松葉でいぶされるタヌキかキツネだ。みんな、目をおさえ、顔をしかめる。それでも串を手にとり、歯ですくう。
信ちゃんと鱈ちゃんの着くのは、早くても午前3時半以降になるというので、2時に灯を消して寝た。広場は砂利敷きなので、車がくれば音でわかるだろう。
大明神越え
朝? 明るい。車の音がしなかったが、彼女らは来ただろうか。テントのファスナーを開けるのももどかしく隙間からのぞくと、隣のテントの前に鱈ちゃんの白い車がとまっていた。
私たちが眠ってから着いたのだが、到着したのには、まったく気がつかなかった。北九州から200キロ以上もあるここまで、女ふたりだけで道に迷わずによく来られたものだと、そのしたたかさに感心する。
外は風があって、寒い。テントをたたんで、朝食ぬきで出発。大明神越のトンネルをでた水無側に車をとめ、ここから傾山めざして登る。
県境尾根
トンネルの上の杉林の中のジグザグの登山道を登り、尾根筋に出た。
尾根がほぼ南北に走っている。北がめざす傾山だ。尾根の左が宮崎県、右が大分県で、ここは県境尾根となっている。
登山道筋の木が最近切り払われたらしく、切り口が新しい。登山道は、カラカラに乾燥していて、足元で小さな埃(ほこり)がたち、靴はすぐに埃にまみれた。
木々に新芽がふいてる。山の今ごろの季節が、いちばん木々の生気を感じるときだろう。ブナの枝先も、若葉におおわれている。青葉というには早すぎる、初々しいあさぎ色をしている。すでに花の終わったミツバツツジは、名前のとおり正確に3つずつ若葉を出していた。
腹の虫
正面の見上げる1,088mのピークに、樹皮のはげ落ちた立ち枯れの大木が3本、朝日を全身に浴びて白くひかっている。あのピークまで行って朝食にしよう。
後をふりかえると、阿部ちゃんの姿が見えない。彼は朝食をとらないと、どうもエンジンがかからないクチだ。案の定
「めしーまーだー?」
という声が後ろから聞こえて、みんなが「どー」と笑った。
しっかり者の信ちゃんが 「阿部ちゃん、少しは辛抱せんでどうするね。遭難したときは食べるものがなんもないんよ」
と、たしなめる。
あの様子では正面の白骨樹のピークまでもてそうにない。ちようど見晴らしのよい露岩があったので、そこでかれの到着をまって朝食にした。
ここから振り返ると、あす登る予定の頭巾岳、五葉岳、夏木山の稜線が左に大きく弧を描いて展開している。夏木山の奥に木山内岳も見える。
この時間に、もう降りてくる人がある。中年の男性がひとり。ゆうべは九折越(つづらごし)の山小屋に泊り、きょうは五葉岳まで行くと言う。「ことしは、アケボノツツジの花が少ないですね」と嘆いていた。
岩稜尾根
朝食をとって、阿部ちゃんに俄然エンジンがかかった。岩場に丸太でつくった新しいハシゴがかけられていた。松の木に、「高体連」の登山大会のパンフレットが貼られている。なるほど、この大会のため登山道が整備されたのか。
尾根は岩稜の尾根にかわった。馬の背のように両側が切れ落ちている。左はクワズル谷、右はベニガラ谷だ。
クワズル谷の両岸は、比較的ゆるやかな傾斜である。この谷は、芽吹きのはじまった樹海の中を蛇行しながらセンゲンのピークに突き上げている。
一方ベニガラ谷のほうは両岸の傾斜が急角度で、谷底は見えない。左岸は高い垂直の岩壁が連なっていて、クワズル谷とは対照的な渓相を見せている。
ベニガラ谷
3年前、このベニガラ谷を遡(さかのぼ)った。そのとき、左岸で「宇目小学校傾分校」と彫りこまれた小学校の門柱を見つけ、翌日、ふもとの年寄りをたずねて、当時の分校の様子などを聞いてまわった。「トロッコ」「寄宿舎」ということばに、懐かしさと人のぬくもりを感じたことを思い出す。
いま私たちの歩いている右側の谷一帯に、切り口が人の丈以上もある巨木が生い茂っていたのかと思うと、ぞくぞくする興奮につつまれる。伐採がなければ、屋久島並みの原生林として貴重なものとなったであろう。
山中を彷徨(ほうこう)しておれば、伐採をまぬがれた未発見の巨木に行き当てるかもしれない、とほのかな夢をいだく。幻のツキノワグマの探索と同様、男のロマンをかきたてられた。
アケボノツツジ
足元にアケボノツツジの花びらが散っていた。見あげると、すでに枝先には新芽をふいている。やはり4月の終わりごろが見ごろなのだろう。
ことしは暖冬といわれながら、3月の長雨と4月の初めごろの寒の戻りから、開花時期は例年より遅れるのでは?と思われた。しかし、律義にも毎年4月29日のみどりの日に合わせるかのように咲く。
よどみのない山のいとなみには、人間の知恵などおよびえない自然の懐の深さがある。
ホシガラス
岩場にこしらえられた丸木のはしごをいくつも登り、アップダウンをくりかえしながら次の1,198mのピークをめざす。
突然、頭上で「ガー、ガー」と鳴く鳥がいた。枝越しに目をこらして見ると、亜高山帯にすむホシガラスが一羽、枝にとまっていた。
ホシガラスは、茶色地に白い斑点の入った鳩ぐらいの大きさの鳥。九州ではここ祖母傾山系にだけ生息する鳥で、その数も数羽しか確認されていない。
たいへんひとなつっこい鳥で、中央アルプスの山小屋の窓辺に餌をねだりにくる愛嬌者としても知られている。
「どこね、どこね」と騒ぐ私たち人間には目もくれず、首を後ろに回して悠然と毛づくろいをしている。私たちは、この珍しい鳥の観察にかこつけて、しばらく休憩した。
花の裏年
岩場を下りて、また上りにかかった。正面に、アケボノツツジが満開の古木があった。無数の桃色のチョウが、枝先にとまって羽を休めているようだ。リュウキュウアサギマダラの集団冬眠を連想させる。この花をバックにして記念写真をとった。
見わたすと、あちこちに花をつけたアケボノツツジがある。しかし、花のつきは例年とくらべて少ない。
今年は、くじゅうの黒岳のシャクナゲもよくないと聞いた。山の花全体がよくないらしい。去年は花が特に多かった。今年はその反動で花をつけない裏年にもあたるし、記録的な大型台風となった17、19号も影響しているのかもしれない。
ここは、「道場」
左側に、本谷山から笠松山につらなる稜線が見える。
ふりかえると、夏木山に突き上げるオモウチ谷が見える。そこには、中腹まで夏木林道が山肌を削ってのびている。
昨年、あの林道の終点に車をとめ、オモウチ谷を遡行していてカモシカと対面し緊張したこと。見立の登山口に下りたため、夕闇せまるころ林道を走って車をとりにいったことなどを思い出す。
この山系には、楽しかったこと、泣き出しそうに辛かったことなどが、たくさん詰まっている。ここは、自分をみがく「道場」でもある。
後傾山
ようやく九折越えからあがってきた合流点に出た。目前に後傾山の黒い岩峰がそびえたち、私たちを見おろしている。
灌木の間をぬって登る。やっと後傾山の頂上に立った。
露岩に立つと、正面に祖母山の山なみが横たわり、その向こう、左のかなたに雄大な阿蘇の五岳が浮かび、右には、くじゅうの連山が浮かんでいる。
阿蘇の山々も、くじゅの連山もここから見れば、ひとつの山の塊になっている。「山塊」とは、まことにいい得て妙である。それぞれが名前を持った、個性のある山々で形成されているのに。
ふりかえると、大崩山の山々が見える。「鹿納坊主」とよばれる鹿納山の岩峰が、稜線上から飛び出ていてひときわ目立つ。樹海の海から突き出た白いドームが七日廻りの奇岩。その横に、圧倒的な角度で切れ落ちている小積ダキの岩峰も見える。
息づかいを荒くして登ってきた、信ちゃんたちに
「あそこが、あなたたちふたりだけで登った鹿納の野よ」 と指さしておしえた。
3月の暴風雨の日、テントの中で、そっと神仏の加護をお願いしたという鹿納の野の夜のことは、彼女たちにとって生涯わすれられない山行となるのだろう。
山手本谷をはさんだ向かいの本傾山の頂上に、おおぜいの人たちが登っている。
本傾山
谷を囲んだ岩稜をいったん鞍部に降り、また登って本傾山の頂上(1,602m)についた。
巨岩の累々とかさなった頂上では、思い思いに登山者がくつろいでいた。
ここで昼食。まず、缶ビールの一口ずつのまわし飲み。疲れた体が、ビールの喉越しによって生き返る。花よりだんご、本当はビールを味わうために登ってきたともいえる。
一時間ほどくつろいで、下山をはじめた。登ってきたときと同じコースをとる。久しぶりに長丁場を歩いたので、かなり疲れた。
水無
水無のあけぼの荘についた。ここは車がいっぱい。テントも5つ、6つ張られ、家族づれでにぎわっている。昨年は、テントは私たちだけだった。ここにもバブル経済破綻の一端を垣間みる思いがした。
夕方から焼き肉パーティをはじめた。鉄板をコンロにかけ、とりあえずビールの栓を抜く。
「おっとっとっとー」、白い泡がプチプチと盛り上がり、マグカップの縁からこぼれる。「乾杯!」。この一瞬が酒飲みには、こたえられない。
空いちめんに星がある。その中から北斗七星をさがした。タツノオトシゴのように尻尾をピンとあげた北斗七星が、目の前、それも手が届きそうなところに浮いていた。
夜明け
朝の空気がつめたい。おもわず肩をすぼめた。朝酒にと、缶ビールをプシューと開け、飲んで景気をつけた。これが元気の素。きのうの焼き肉の残りを火にかけ、ゆうべから炊いていた鳥釜めしをかき込んだ。
きょうは、縦走組と沢登り組にわかれて登る。縦走組は、上見立から頭巾岳に登ってアケボノツツジを鑑賞し、五葉岳を経由して、夏木山でテントをはる。沢登り組は、かのう谷をつめ、夏木山でかれらと合流する計画である。
しばしの別れ
縦走組に食事の後片付けと車を一台大明神越えにまわすよう頼んで、一足先に出発した。
かのう谷は、時計でいうと11時の方向から頭巾岳の岩壁に突き上げる沢で、西側の神太郎谷と東側のオモウチ谷とに、はさまれた沢である。
地図をみると、頭巾岳の北側は等高線が密になっていて、崖をあらわす毛虫マークが連なり変化のある沢であることが一目でわかる。これが、九州本土を代表する沢のひとつといわれる所以(ゆえん)だろう。ただ頭巾岳直下の岩壁に毛虫マークがないのは、地図としてはいささいか雑ともいえよう。
この沢は、去年、森さんとふたりで遡行した。沢は枝沢が多く、どれが本流かの判断がむつかしかった。遡行していて、自分ひとりだと「ここは間違うだろうな」と思ったところが何か所もあった。それだけに、今回すんなり遡行できるかどうか自信はない。
このところの晴天つづきで、沢は水が少ない。右岸の崖ぎわに、丸太が八番線で束ねられたふるい道があった。むかしの見立鉱山への作業道であろう。
右下のナメとなった岩盤の上を、清流が木の葉を浮かべてゆっくりと流れていく。両岸に苔が生え、木々の枝先に若葉がふいている。カワガラスが一羽、ビュッビュッと鋭い鳴き声をあげ水面をかすめて上流へ飛んでいった。
杣道(そまみち)が沢から離れたので、ここから入渓する。
まず、沢登りの支度をととのえる。今回は荷物が多い。それというのも、沢を抜け出せないときや、縦走組と合流できないときはビバーグとなるので、食料、寝袋など野営道具一式を持ってきたからである。(つづく)
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