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神々との語らい
高千穂の里
神楽宿
切り立った絶壁の下のせまい道路を、車はキリキリとまわりながらおえぎあえぎ登っていく。
道端に10台ほどの車がとまっているところに来た。
時計の針は、午前0時前をさしている。
「神楽宿は、道路に車が何台もとまっているからすぐわかりますよ」と聞いてやってきた。
今晩の神楽宿は、このあたりだろう。
運転席の窓ガラスを下げ、エンジンを切り、太鼓の音に聞き耳をたてる。
「ドーン、ドーン、ドーン」と鈍い太鼓の音が聞こえる。
よし、神楽宿は近いぞ。
お供えの酒を車からおろし、音のする方をめざして坂道を歩いていく。
仰ぎ見ると、月が丸い。
コンクリートの道路が闇に白く浮かびあがり、満月かと思わせる月明かりに、こちらの気分までうきうきしてきた。
高台から見下ろすと、谷になった集落の家々に明かりが灯っている。
まるでお正月のような華やいだ雰囲気に、里全体が包まれているようである。
だんだん太鼓の音が近くなる。
山の中腹にある黒仁田の公民館は、こうこうと明かりがついていた。
ここが、今晩の神楽宿である。
この公民館は、木造の古い建物で、 50畳くらいの広さの館内は、里の人たちで埋まっていた。
真冬というのに、館内は熱気でむんむんしている。
観光客らしい人たちの姿はないので、私たちは小さくなって隅の方で見学させてもらうことにした。
夜神楽は、あくまで里の人たちのための祭りである。
もう真夜中なのに、地元の小さな子どもの姿もちらほら見える。
きょうばかりは子どもも、天下御免で夜ふかしは許されるのだろう。
神庭(みこうや)
舞台は、神庭といわれる2間四方のまわりにぐるりと注連縄が張られ、四隅に立てられた柱にはサカキの青い枝がかざられている。
正面の壁には祭壇がもうけられ、白木の三方にのったお神酒、野菜、米、くだものがならび、その一段上に武士、翁、小面、赤鬼、黒鬼などの古い面がずらりとならべられていた。
舞台の一本の柱から館内の四隅にむかって長い注連縄が張られ、その注連縄には彫物(えもん)とよばれる切り絵の半紙がつるされている。
犬、鳥居、松の木、大蛇、馬、イノシシ、月などの図柄がみえる。
切り絵の図柄が、赤や黒の半紙をバックにして鮮明に浮かびあがっている。
館内の壁には、「焼酎二升誰々」「焼酎三升誰々」「米五升誰々」と書かれた墨の跡も新しい半紙がいちめんに張り出されている。
花の御礼の披露だろう。
この地方で「酒」というのは、「焼酎」のことを意味することがわかる。
こちらが用意してきたのは清酒であるが、これを提供した。
あちこちに置かれた火鉢の縁に、青竹を切っただけの竹コップがならび、お客にカッポ酒が振る舞われている。
奉仕者殿(ほしゃどん)
舞台では、白袷に白袴、白足袋と上から下まで白づくめの舞衣(まいぎぬ)すがたの舞い手たちが、「トーン、トーン、トーーン」という、ゆるやかな四拍子の太鼓の音にあわせて踊っていた。
舞い手は、ここでは奉仕者殿とよばれる。
舞い手のひとりが歌をうたい、残りの三人がお囃子を入れている。
何を歌っているのかよく聞き取れない。
四人の赤い顔は、山仕事での日焼けか、それとも祝い酒を振る舞われたせいか。脂ぎって赤銅色に、てかてかと光っている。
踊り
館内で、ざわめきが起こった。
ざわめきのする方を見ると、客席でひとりの婦人が立ちあがってその場で舞台の太鼓の音にあわせて踊っている。
両手を高くあげ、手首をくねらせる踊りである。
沖縄の踊りに似ている。
単調な踊りに飽きていた観客の目が、いっせいにそちらに注がれた。
「いいぞー」、「うまいぞー」の掛け声があちこちからからかって、場内がどっとわき、なごやかなふんいきに変わった。
ここで休憩時間となり、おむすびとタケノコ、シイタケ、コンニャクなど山の幸のお煮しめが盛られた大皿が客席につぎつぎに配られ、熱い味噌汁がみんなに振る舞われた。
赤鬼参上
午前1時、大太鼓を打ち鳴らす音が館内にひびきわたり、さあ再開である。
いきなり、首から頭にかけて赤い布をぐるぐる巻きした赤鬼が、舞台に躍り出た。
金粉を塗った目と口が、裸電灯の明かりを射返してぎらぎらと光る。
片側に紅白、反対側に緑と白の半紙でできたびらびらのついたメンボーとよばれる竹の棒を、右手に持っている。
この竹をにぎった右手を腰の前でむんずと構え、左手は矢筈(やはず)にして左腰に当て、舞台をぐるぐる走る、走る。
継ぎ足で、リズムをつけて横向きに走る。
舞台せましと縦横に、ときに丸く、エネルギュシュに走り回る。
奉仕者殿に神が乗り移ったのか、お面をかぶることによって奉仕者殿の気分が高揚するのか、赤鬼のスピード感あふれる動きに、みんなが圧倒され、やがて拍手がわきおこった。
フラッシュがいっせいにたかれる。
勢いあまった赤鬼は、畳でスリップして観客席まで飛び込んだ。
立ち上がった赤鬼は、左手をのばし、掌を上にむけて四本の指を何度も起こす。
拍手の催促である。
これがまた受けて、爆笑と拍手の渦になった。
ここでは、観客と舞い手が完全に一体となっている。
一年に一度、こうやってみんなで神代の世界にひたるのであろう。
いよいよ神楽は佳境に入ったようである。
みんなの拍手に見送られて、赤鬼は退場した。
お田植え
「トーン、トーン、トーーン」と太鼓の音がゆっくりしたリズムに変わって、張りつめていた緊張がほぐれ、館内はくつろいだ雰囲気になった。
赤牛の面をかぶった牛が登場した。
牛は、代かきをするときに使うモウガという農具を後ろに引いている。
モウガは、田植えをする前に水田の地ならしをするため、牛に引かせる鳥居の格好をした農具である。
むかしの田植えの工程のひとつをあらわしている。
牛の後ろで、モウガをにぎった農夫が鞭(むち)で牛を制御している。
ところが、この牛はなかなかのしたたかもの。
すぐ寝そべってしまい、農夫の手をやかせる。
突然、牛がモウガを引きずったまま暴走をはじめた。
農夫はお面をかぶっているため視野がせまいのだろう、モウガのありかがわからないらしく、きょろきょろさがしている。
観客が、「そこ、そこ」と指さしながらモウガのありかを教えている。
ここの夜神楽を初めてみる私たちには、これが芝居とは思われない真に迫った演技に引き込まれる。
たまりかねて、牛のほうがモウガを手(?)にとって農夫に渡そうとしている。
この仕草に、館内はまた爆笑にわいた。
つぎに、農夫が鍬(くわ)を肩にかついで登場した。
今度はなにをするのだろう。
足の運びが普段とちがう。
ことさら膝を高くあげながら歩くところから、水を張ったためぬかるんだ田んぼの中を歩いているのだろう。
腰の両側に、筒のような物と藁で編んだ物をさげている。
後ろに座っているおばあさんに
「腰にさげているのは何ですか?」
とたずねた。
「『ずーらん』といいます。たばこ入れですよ」
「もう一方は何ですか?」
「『ひと』と言います。虫除けですよ」
と教えてくれた。
アブやブヨなどから身を守るため、虫除けを腰に下げている。
農夫は足で土をねり、これを鍬ですくってならべる動作をする。
畦(あぜ)を塗るシーンである。
まず、畦をあらかたつくる。
つぎに、鍬の底で畦を上から押さえながら横にすべらして畦を仕上げていく。
膝を高くあげて歩く姿は、実際に水田の中を歩いているようで、なかなか芸がこまかく、田植えの喜びにあふれているようにみえる。
そこへ、白い手ぬぐいで姉さんかぶりにした四人の早乙女が登場した。
もちろん、早乙女に扮したのは男たちである。
先ほどのご婦人が
「ふたりは中学生、あとふたりは中学の先生ですよ」 と教えてくれた。
「かわぐちセンセイー!」
「ごとうセンセイー!」
と、声援がとぶ。
ふたりの中学の先生たちは、照れながら舞っている。
ここでは先生と生徒が兄弟のような信頼関係で結ばれているのだろう、ほほえましい光景である。
この集落でも、夜神楽の後継者が順調に育っているようだ。
先生たちの胸の膨らみは、夏ミカンだった。
胸からその夏ミカンを取り出し、観客席に放った。
剱の舞い
先ほどの余韻ののこる舞台に、4人の舞い手が手に抜き身の刀をもって登場した。
体を後ろにそらし、両手でにぎった刀を胸の前で∞の字にゆっくりと回しはじめ、だんだん加速をつけて回す。
刀が早く回りだし、拍手がわき起こった。
ここが、この舞いの見せ場だろう。
つぎに別の四人が、こんどは抜き身の刀の刃の部分を持って登場した。
舞いは、先ほどの舞いと対になっているらしい。
手がすべるのだろう、しきりに袴で手の汗をぬぐっている。
汗ですべっては、刀がどこへ飛んでいくかわからない。
舞い手の真剣な気持ちが、こちらにも伝わってくる。
4人が、こんどは両手に抜き身の刀を持って飛び出てきた。
「シー」というリーダーの合図で、向かい合った2組が上体を後ろにそらし、胸の前で左右の刀を交互に内側にまわしはじめた。
だんだん早くまわす。
拍手が起こる。
こんどは3人が登場した。
初め緊張で紅潮させていた舞い手の顔も、周囲からかかる声援でだんだんほぐれていく。
舞い手の人数は限られているので、「あ、あの人は先程、舞っていた人だ」とすぐわかるようになった。
名前こそ知らないものの、舞い手に親しみがわいてくるから不思議である。
3人の間は、3本の刀でつながれている。
ひとりが両手に刀をにぎり、あとのふたりは両側からその刀の刃の部分をにぎり、そのふたりの間は、3本目の刀でつながれている。
こうやって3人で輪をつくっている。
ふたりが高くあげた刀の下を、残りひとりが両手に刀をにぎったまま体を後にそらせながらくぐり抜けた。
つづいてつぎつぎに3人が体をひるがえし、刀の下をくぐり抜ける。
この妙技に、拍手がわき起こった。
よくこんなことができるものだ、伝統のなせる技だと感心させられた。
愛ちゃん
だんだん夜もふけてきた。
園児と小学校の2年生ぐらいの女の子をつれたご婦人が、私たちの前の席に座った。
女の子ふたりは、きちんと正座して見物しており、家庭のしつけのよさがうかがわれた。
下のお子さんは、「愛ちゃん」とみんなから呼ばれていた。
お父さんが舞い手として出演しているので、見にきたそうだ。
盛んな拍手に送られて4人の舞い手が舞台から消え、館内が一瞬静かになったとき突然、こちらの前に座っている愛ちゃんが
「おーとーうーさん、がーんーばーつーてー」
と、かんだかい声で叫んだ。
「どー」と爆笑がおこり、館内はまたほのぼのとした笑いに包まれた。
舞台の袖で赤くなってしきりに頭をかいている男性に、見物人のあたたかい目が向けられた。
彼が愛ちゃんのお父さんであることが、すぐわかった。
彼は、さきほどの舞台の袖で横笛を吹いていたのである。
小面(こおもて)
小面の面をかぶった農婦が、舞台にでてきた。
もちろん舞うのは男である。
左手で持った箕(み)を肩にかついでいる。
箕は、モミを選別するために竹で編んだ農具である。
二枚貝の貝殻の格好をしている。
横にのばした右手は、人差し指と中指だけをのばしている。
手首を支点にして下から上にゆっくりと起こし、まわす。
この動作を太鼓の音にあわせて繰り返す。
しなるように動く指先が、いやになまめかしい。
お面の下はほんとうに男か、と疑いたくなるほどである。
指先の動きは、小面の悲しげな表情とあいまって、女の忍耐強さをあらわしているのだろう。
神楽に神代のおおらかなエロチシズムを期待するこちらの気持ちが、こんなふうになまめかしく感じさせるのかもしれない。
神話の世界と現世
焼酎をたくさんいただいたので酔がまわったのだろう、眠くなってきた。
「食べならんですか」
ふと見ると、お隣のご婦人が干し柿を差しだしていた。
表面に白い粉のふいた干し柿である。
ひとついただいた。
甘く、しかも餅のような粘りがある。
山里の素朴な人情にふれる思いがする。
大蛇が出てきた。
このあたりまでは覚えているが、大蛇が退治されたかどうか記憶にないのが残念でならない。
いつの間にか、睡魔に襲われたらしい。
「車の移動をお願いします」という声に目がさめた。
これで、夜を徹して舞われた33番の夜神楽が終わった。
夜が白んでいる。
車を移動してふたたび公民館に戻ったときには、舞台はきれいに片付けられ、神楽の跡形も余韻さえもなくなっていた。
先ほどまでの神々との語らいが終わり、舞台で熱演していた奉仕者殿たちも、日ごろの顔にもどり、みんなといっしょに食事をしていた。
その変わり身の早さにびっくりした。(完)
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