| HOME |
旅ゆけば |
NEXT |
モンゴル騎馬の旅 ( 1/9 )
はじめに
北の草原の国・モンゴルの草原を馬にまたがって旅をするという企画があるというので、これに参加した。
コースは、空路でモンゴルの首都・ウランバートルに入り、これよりバスでブルドというツーリストキャンプまで行き、そこで乗馬を習う。ここから馬に乗ってモンゴルの旧都・カラコルムまでの90キロの草原を、3泊4日かけ、キャンプファイヤー、遊牧民のゲル訪問と交流などをしながらテントで寝泊りするという辺境の旅である。
この間、サポートしてくれるのは、救護車と食事をまかなってくれたり、乗馬の指導をしてくれる遊牧民たちである。
8月27日 日曜 晴れ
ウランバートル
いつものように6時には目がさめた。
ここは、モンゴルの首都・ウランバートルのホテルの一室である。
ベランダに出て異国の景色を見る。
モンゴルの朝晩はしっかり冷え込むと聞かされてきたが、思ったほど寒くはない。
町の中を、赤茶色に錆(さ)びた貨車が何台も連結されてゆっくりと走っていくのが目に入った。ホテルの周囲は同じつくりをした5階建てのアパートがいく棟も整然とならんでいて、軍隊の基地のなかにいるような感じがする。
ためしにテレビをつけたら、日本のNHKの番組がリアルタイムで放送されていて、モンゴルと日本が意外に近いのだということを実感した。
1階の食堂で朝食を終わって、ホテルの玄関に出た。
玄関前の広場にマイクロバスとロシア製のトラックとが待っていた。
トラックの運転手は、日焼けした顔の、見るからに実直そうなモンゴル人で親しみがわき、「グッドモーニング」とあいさつをしてみた。
相手も笑顔であいさつを交わす。
でも、相手のことばはモンゴルのことばなので聞きとれない。ホテルの前にも5階建てのアパートが建ち並び、やはりこちらも基地のような風景である。
これらの建物は、ロシアのボルシェビイキの援助をえて中国の清朝から独立した1921年のモンゴル革命の後、ソ連から来た技術者向けの住宅として建てられたものだという。
道行く人たちは、いずれも黒っぽい服装の人をしている。
屋根に架線のあるトロリーバスが走っている。
乗用車も形の古いものがほとんどで、あちこちぶつかった跡のある車が多い。これからマイクロバスに乗って、ここから344キロ先にあるという今回の騎馬の旅の起点となるツーリストキャンプのあるブルドに向かう。
このツアーのメンバーは、男性7人に女性が5人、うち夫婦が1組、それに添乗員の石田さんの合計13人である。ブルドへ
荷物をトラックに積み込み、みんなはマイクロバスに乗り込んで、さあ出発だ!
これから一路ブルドをめざす。
ツアーのメンバーは昨晩、関西空港ではじめて顔をあわせただけなので、バスのなかの雰囲気は他人行儀でよそよそしい。それも仕方がないことである。第一、名前さえ知らないのだから。
それでもいちばん後ろの席に座っている宇川さんとは、昨日の午後、関西空港の待合室以来の知り合いとなっている。
待合室で旅行社から送られてきたパンフレットを読んでいたら、「あなたもモンゴルの騎馬の旅ですか」と声をかけられた。
見あげると彼女も緑色のパンフレットを持っていた。
そこで、彼女と話をするようになった。
彼女の名前は、ハードケースについたJALの荷札でわかった。
異国にいると、ひとりでも会話をした人がいると心強いものである。バスはウランバートルの市街地を通る。
右手の火力発電所の大きな煙突が、もくもくと白い煙を吐き出している。そこから白いテープを巻いた巨大な配管が曲がりくねって出ている。
配管は、ホラー映画に出てくる巨大ダコに似ている。
ウランバートルは寒冷地なので、この配管で町中に暖房用の蒸気を送っているという。モンゴルは市場経済が導入された8年前までは社会主義の国だったから、こういう面では行き届いているのだろう。
しかし、このスチームが通る地下の空間に、マンホールを伝ってストリートチルドレンと呼ばれる浮浪児たちが住みついていることが、モンゴルの社会問題となっていると報じられている。大草原
やがて市街地を抜け、郊外に出た。
とたんに景色は一変し、みどりの草原になった。
いちめんに草原がどこまでも広がり、騎馬民族の活躍の場にふさわしい景色となった。その草原のかなたに、山というより小高い丘というか丘陵地帯が連なっている。
そこには、木は生えていない。
かといって、はげ山ではない。
全体がゴルフ場のようにみどりの山に見える。
バスにゆられていると、草原のなかというより荒野をいく気分になる。
草原といっても、10センチに満たない丈の草で覆われているが、地面はすいて見える。背丈のの高い草は生えていない。
草原の中に、どんぶりを伏せたような形をしたゲルと呼ばれる組み立て式天幕がぽつんぽつんとあり、ところどころ牛や羊の群れが見える。
アスファルト道路は、あちこちで穴が開いている。
マイクロバスはそれらの穴を避けて、アスファルトの外側を走るので車体が船のように大きくゆれる。すれ違うトラックのほとんどは、家族づれと思われる大人数が乗っている。
天井にタイヤなどを乗せた車もあり、夜逃げかな? とも思う。
夜逃げなら逃げるのは夜と相場は決まっているのだが、国土が広いので朝になってしまったと考えればつじつまは合う。ところどころ道路の端に、小石がうず高く積まれて塚となったオボーと呼ばれるものが見える。
これは日本でいう道祖神にあたるもので、頂上に棒をつきたて、それに青い布をくくりつけている。
青い色は、この国では平和の象徴だという。
バスの運転手席にも青い布が結ばれている。
道路はあくまで一直線で、正面の地平線までつづいている。休憩
走り出してから2時間たってトイレ休憩となった。
だが、広漠とした草原にはトイレの施設などあるはずはない。
見渡す限りの野っ原の真っ只中に投げ出されたのである。
それでも男たちはいいが、女性たちはしかたなく遠くまで歩いて行く。
道路の端に、これも背丈の低いアザミに似た花の大群が咲いていた。
モンゴルの平原に咲くというアルプスの花・エーデルワイスという花を早く見たいものである。ゲル訪問
これから遊牧民のゲルを訪問するという。
草原の中にぽつんと建っているゲルに向かって、バスはスルスルとそのまま草原に入って行く。
土地がなだらかなため、車はどこへでも入れる。
ゲルの壁は二重になっていた。
すなわち下地は羊の厚いフェルトで、その上を綿のテント生地で覆っている。
このゲルの一家は、若い夫婦と5歳ほどのひとり息子の三人家族だった。
夫婦は、モンゴルの民族服であるモンゴル・デールというオーバーのような服を着ている。
子どもは一人前にブーツを履いていて、いっぱしの牧童に見える。
この一家に親戚の高校生くらいの男の子が遊びに来ていた。一行は、ゲルの中に招き入れられた。
室内は、乳のような独特の匂いがする。
広さは15畳くらいあろうか。
高校生がカメから甘酒のような白い酒をどんぶりに注ぎ、主人に渡した。
それを主人がみんなに飲むようにすすめた。
添乗員の石田さんから、回し飲みするのがここの習慣だと教えられた。これが馬乳酒というものなのであろう。
自分にどんぶりがまわってきた。
どんぶりの端からおそるおそる一口くちに含むと、ヨーグルトのような甘ずっぱい味がした。
日本酒や焼酎に親しんだ口には、どうもなじめない。
ここの若奥さんから、皿に盛った自家製のチーズが出された。
鏡餅を割ったような形をしている。
一切れを手にとって口にしたが、硬くて石鹸をかじっているようで、どうも口に合わない。
そっとポケットに入れた。ヨネちゃん
この家族に別れを告げ、ふたたび道路に出たところで、荷物運びのトラックと合流した。
トラックに乗っていた齢のころは24、25歳の色黒で、ひとなつっこい顔をした若者がバスに乗ってきて、石田さんと打ち合わせをはじめた。
打ち合わせがすんで石田さんが、彼は通訳のホイヤーさんですとみんなに紹介した。
ホイヤーさんは、日本人とかわらない体格、顔をしている。
目に下の肉が盛り上がっているのが特徴である。彼は、 「みなさんこんにちは、ぼくは通訳のです。みなさんとごいっしょすることになりました。よろしくお願いします」
と流暢(りゅうちょう)な日本語で挨拶した。
その日本語に多少のアクセントがあるが、ほとんど違和感はない。あまり日本語が上手なので、
「どうしてあなたは日本語がそんなに上手なのですか」
と聞いた。彼は
「ぼくは、明徳義塾に留学しました」
と誇らしげにいう。
「明徳義塾といえば、あの野球の明徳義塾ですか」
「そうです。ぼくはテニスで留学しました」
と、ラケットを振るしぐさをしながらいう。
なるほど明徳義塾といえば、テニスは強いかどうかは知らないが、高校野球では甲子園の常連校である。巨人の松井が石川星陵の4番バッターとして甲子園でその明徳義塾と対戦した。
結局彼は一回もバットを振らせてもらえなかったが、巨人に入団時の彼の契約金を一気につりあげるのに貢献した高校として一躍有名になった学校でもある。
ホイヤーさんはその高校に留学したのか、どうりで彼の日本語が上手なわけがのみこめ、同時に彼に親しみを感じた。さらに彼は、
「ぼく、ビール大好き人間です」
といい、自分のことを気軽に「ヨネちゃん」と呼んで欲しいともいった。
つぎに彼は、遊牧民の簡単なあいさつのことばを紹介するといって
「こんにちは」は、「サンバイノー」
「自分の馬」は、「ビニー、ムニー」
と、ふたつのことばを教えてくれた。
それでも、1回聞いたくらいでは覚えられない。そうだ。サンバイノーは、酒を勧められたとき、「三杯(は)ノー」と覚えようと勝手にきめた。車内の空気はいくぶんやわらいだが、それでもまだどことなくぎごちない。それを察した彼は、
「みなさん、自己紹介しましょう」
と提案した。
そこで、各人が自己紹介をはじめた。
それによると、参加者は、北は北海道から南は九州まで広範囲におよんでいた。
年齢も、定年をすぎた女性から18歳の浪人生までと幅がある。
職業などは、本人が自己紹介する以上に聞かないのが江戸のむかしからの趣味の集まりのルールである。このツアーに参加した理由は、未知の国へのあこがれ、乗馬の楽しみがほとんど。
なかには心のいやしなど他人にいえない理由もあろうが、それ以上に詮索(せんさく)するのはご法度(はっと)というものだろう。
海外旅行の経験も、インド、チベットなどもっぱら辺境の地をめぐる者、オーロラ見物に北極圏に的をしぼって数回行った者、遠くアフリカのチュニジアに新婚旅行で行った者など、海外旅行の経験者がほとんどで、みなさん旅なれた方々とお見受けした。なかにモンゴルへはこれで3回目という女性もいて頼もしい。
若い女性ながら、海外旅行は今回で11回目という剛の者もいてこれも頼もしい。
それに引き換えこちらは初めての海外旅行。
右も左もわからない初心者マークときている。肩身のせまいことこのうえない。
ここはひとつみなさんに、はぐれないようについて行くのがベストのようだ。自己紹介が終わって、車内はいくぶんやわらいだ雰囲気に変わった。
まだ名前は覚えきれないが、以前からの知り合いのよう親しみがわいてきた。
これから8日間いっしょに暮らすことになる。
いわばこのツアーは合宿のようなものだ。
運命共同体というには、少しおおげさすぎようか。先に夜逃げをしている?と思ったことについて、ヨネちゃんに聞いてみた。
夏休みにいなかの親戚の家に遊びに行っていた子どもたちを、新学期がはじまるため親が迎えに行っての帰りです、と彼は教えてくれた。
ポリエステルのドラム缶を車の屋根に二つずつ乗せて私たちのバスを追い越していく車が多いので、このことも聞いてみた。
来年の正月用の馬乳酒を仕入れるためにいなかに向かっている車だという。(つづく)
| HOMEに戻る | 次回へ |