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初夏の大崩山(おおくえやま)
岩峰の山
風かおる五月下旬の一日、宮崎県の大崩山の核心部を登った。
大崩山は、祖母傾国定公園の一角をなす山である。特に、原生樹海から突き出たダキとよばれる白い花崗岩は、「九州の秩父」と称される特異な山容をしており、むかしから畏敬の念をもって崇(あが)められてきた。
登山人口の多い福岡、北九州からは距離的に遠く、そのうえ交通の便のわるいのがかえって幸いし、秘境として残った。
大崩山の頂上にむかって巨大な岩がつぎからつぎにあらわれる「坊主尾根ルート」、これと平行して三つの岩峰群がつらなる「わく塚尾根ルート」が大崩山の核心部といえよう。そこで、今回は上りに「坊主尾根ルート」をとり、下りに、「わく塚尾根ルート」をとる周遊コースをえらんだ。
前の日の午後、登山口のある上祝子川の集落にはいった。このあたり、いまが田植えの準備にいそがしい季節で、水の張られた棚田では、代(しろ)かきの真っ最中であった。
バスの終点の伊藤商店は大崩登山の拠点となっていたのだが、長いこと閉まったままである。
ここらあたりも過疎化の波をもろに受けているようだ。学校も、小学校と中学校がいっしょになっている。西南の役激戦地跡
平成3年のお盆休み、祝子川キャンプ場に泊まったことがある。まず、ここをたずねる。 途中、「西南の役激戦地跡」と書かれた標識があった。ここに車をとめ、案内板を読んでいたら、おばあさんが通りかかり、
「ここに、西郷さんが泊まったっですよ」
と誇らしげにいう。
このおばあさんは、そばに建っている大きな建物のご当主であった。屋根は今でこそ瓦がふかれているが、おばあさんが嫁入りした当時は、かやぶきの屋根であったという。
ご主人の子どものころ、西南の役でやぶれた西郷 隆盛の薩軍が各地を点々とし、その途中でこの家に泊まり、一夜の陣をはったとのことであった。
ケヤキの大黒柱は、黒光りして歴史のおもみを感じさせる。薩摩、いまの鹿児島とここ宮崎は、となり同士。となりのよしみで薩軍を応援したであろうことは容易に察せられる。それにもまして、日本人特有の判官贔屓(ひいき)が、敗走する薩軍に宿や食料を提供したのであろう。祝子川(ほうりがわ)キャンプ場
この先にある祝子川キャンプ場をたずねた。炊事棟は当時のままだが、あらたに多角形の丸太のコテージが2棟建っていた。
キャンプ場の下の祝子川の淵で、子どもたちが歓声をあげて泳いでいたのを思い出した。あのときは、ここを拠点にして大崩山系の下水流(ずる)谷とオノツヤ谷の2本をさかのぼった。
これから大崩山の登山口にむかう。途中、小積ダキとよばれる円錐形をした岩峰と、袖ダキとよばれる岩峰がみえた。夕日をあびて白くかがやく岩峰群は、気高く、また恐ろしくもある。畏敬(いけい)の念をおぼえたのは、あながちむかしの人ばかりではないだろう。不許葷酒入山門
カーブを曲がって、右手に広ダキスラブが仰がれた。ここはクライミングのトレーニングエリアとなっている。きょうは、平日のためか人影はみえない。
登山口の前の道路のひろくなったところに、テントをはった。何年か前の11月はじめの紅葉の季節、夜中にここについたら、もみじ狩りの車がこの林道に列をなしてとまっていたのには驚いた。紅葉の時期には、いつごろ、どこへ行けばよいか、みなさんそのタイミングとポイントをよく知っているね、と話し合ったものだった。
きょうは、自分の車一台だけ。左下の祝子川の渓谷の瀬音を聞きながら、テントで横になる。まわりには光がないので、こちらもローソクの灯はつけない。自然のなかに異質なものは持ち込みたくない。自然と一体となり、自然の一部になりきる。
「ヴィツ、ヴィツ」と闇をさく鋭い鳴き声が、谷の方から聞こえた。カワガラスか。この声とは別に遠くから、「ブッポーソー、ブッポーソー」とリズムカルな鳴き声がきこえてきた。山寺でたたく木魚の音をきいているようだ。このアオバズクの鳴き声を山のなかでひとりできいていると、「仏法僧」ときこえ、修験者になったような厳粛な気持ちになるからふしぎだ。
もっとも修験者には、むかしから「不許葷酒入山門」のいましめがあり、酒はご法度だ。これを「許さざれど、葷酒山門に入る」と読み、ひとり、酒を呑む。いい気分になって、いつの間にか眠ってしまった。それでも、あの「ヴィツ、ヴィツ」という鋭い鳴き声は、夢うつつの中で明け方まできいたような気がする。山小屋
午前4時半にめざめた。まだうす暗いが、起きる。また「ヴィツ、ヴィツ」の声が渓谷の方からした。あの鳥は、一晩中寝ずに鳴く鳥なのか。
軽い朝食をとって、樹林のなかの登山道を登る。ここらあたりは、シイ、カシなどの常緑樹でおおわれている。常緑樹は、新芽が青葉にかわってからふるい葉が落ちる。ちょうどいまがその時期だろう。
左下に祝子川の瀬音を聞き、落ち葉のじゅうたんのクッションを楽しみながら急坂を登る。小さな沢をふたつ、三つ越え、丸太のハシゴをのぼって、30分ほど歩いて「大崩山小屋」に着いた。この小屋は、昭和63年に建て替えられた比較的新しいものである。
赤松の林の中にたたずむ小屋は、情緒がある。ゆうべは、誰も泊まっていないらしい。徒渉
ここから坊主尾根ルートを登る。小屋の前から祝子川に出た。ここから仰ぎみる大崩山は、岩峰の先端が三つみえる。いずれも花崗岩の岩肌で、朝日をあびて黄金色にかがやいている。左から坊主岩、小積ダキ、袖ダキか。
まずこの川を渡らなければならない。川の幅は40メートルほどあり、大きいのはダンプカーほどもある岩が無秩序に座している。何年か前、山を知り尽くしているはずの営林署の職員数人が、突然の豪雨で増水したこの祝子川をわたれずに遭難騒ぎになったことが新聞で大きく報じられたのを思い出す。
岩をえらびながら跳んで、対岸のテープをめざして渡り、雑木林のなかに入った。
ここは、まだうす暗い。沢には水が流れている。ここは下小積谷。沢に沿ってテープがしてあるので、それをさがしながら登る。歌の競演
登山道が沢からはなれ、いよいよ尾根にとりつくと、いきなりの急登となった。木につかまりながら、木の根が露出して階段状になった道を登る。オオルリのさえずりに励まされながら、もくもくと登る。
日がさしこみ、周囲が明るくなった。尾根筋に登って振り返ると、向かいの広ダキスラブの上と思われる山の稜線に、まぶしいご来光がある。思わず両手をあわせる。「人の世に神も仏もなかりけり」と意気がるこころも、山に入れば素直な気持ちになれるのだろう。
遠くから「ポポー、ポポー」と、ツツドリの鳴き声がきこえ、どこからともなく「フィー、フィー」と、陰にこもったトラツグミのさえずりがし、遠くから「アオー、アオー」と、間のびしたアオバトの声もきこえてきた。この朝まずめが、野鳥たちの朝の歌の競演のひとときだ。
岩場にハシゴがかけられている。ここを登るとやや平坦となった。ここに「林道経由登山口」の標識があった。左から登ってきたのは、登山道の前をとおる林道の先の二枚ダキからのルートらしい。米塚
また急な上り坂となり、突然、垂直の岩壁に行く手をふさがれた。見あげると垂直の岩壁が、高い塀のように無愛想に突っ立っている。巨大な一枚岩の塊(かたまり)だ。この大岩の基部を左に巻いて登る。
やがて、この大岩の上半分が見わたせるところまで登った。それにしても巨大な岩の塔だ。上部が丸いところから「坊主岩」とも、胚芽(はいが)がとれたように上部が欠けているところから「米塚」ともよばれている。尾根の先端に立つこの米塚に、下界の村人をみまもる慈母観音像を重ね合わせた。見返りの塔
ここから巨岩の間をぬって登る。数分で「見返りの塔」についた。岩にロープが結(ゆ)わえつけられている。このロープを伝って岩の上に立った。
見あげれば、小積ダキが傲然(ごうぜん)とそびえている。円錐体をしたその姿は、他の岩峰を威圧するように高くそびえ、谷深く切れ落ちている。神秘的で、神々しさを感じさせる。
谷をはさんだ向かい側には、下わく塚、中わく塚、上わく塚の三つの岩峰群が、小積ダキと対峙する布陣でかまえている。新緑のなかに、その花崗岩の白さが一際きわだつ。なるほど「九州の秩父」といわれるだけに、ほかの山ではみられない特異な景観をかもしだしている。先ほど行く手をふさがれ、仰ぎみた米塚の頂上が、いまはこちらと同じ目の高さで立っていた。坊主尾根の核心部
この上にも、また巨岩が立ちふさがっている。以前、このルートは登ったことはあるのにこの先果たして登れるのか、と不安がよぎった。前に進めなければ引き返せばいい、と開き直るが、来た道を引き返すのもまた容易なことではない。このあたりが、坊主尾根ルートの核心部だろう。
ルートをまちがえることは、進退窮(きわ)まることにつながる。それだけは絶対に避けなければならない。
テープを目で追いながら、ここは慎重に登る。岩の間のわずかの土に、ショウジョウバカマが艶のある葉をしげらせ、岩の亀裂に沿ってイワギボウシが青い葉をならべていた。トラバース
大きな岩屋があった。何人もビバークできるほどの大きな岩屋だ。汗ばんだ肌に、心地よい風が吹きぬけていく。
行く手にテラスが出てきた。左は「象岩」とよばれる岩壁、右は庇(ひさし)のように先で、すとーんと切れ落ちている。ここをトラバースしなければならない。ちょうど二階の窓から庇にでて、雨あがりの庇を歩くさまに似ている。ここには、ワイヤーが新しいものに取り替えられていた。左手でワイヤーを握りながら、慎重に一歩一歩渡る。なにしろ庇の先が切れているので気色がわるい。下小積ダキの展望台
ここを無事に渡りおえ、安堵した。ここから4、5分で、小積ダキとの鞍部が一望できる下小積ダキの展望台に立った。
目の前いちめんに、新緑の樹海が大きくうねってひろがっている。春の山は「笑う」といわれるが、なるほどこんな情景をいうのか、と思ったりもした。
右手の岬のようになった先端で、小積ダキが絶望的な角度で切れ落ちている。あそこまであと一息だ。
樹海のなかの鞍部を歩くと、色あせたアケボノツツジの花びらが落ちていた。見あげるアケボノツツジの木には、枝先に青葉がしげっていた。名残のドウザンツツジが、釣り鐘状の赤い房を垂らしていた。小積ダキ
スラブに垂れ下がったロープを伝って、小積ダキの稜線に出た。
稜線を右に歩いて小積ダキの頂上に立った。大岩の上に座り込み、靴も、靴下も、脱ぎすて解放感にひたる。花崗岩のザラザラとした岩肌が素足にここちよい刺激をあたえ、汗ばんだ肌をなぜる五月の風はさわやかだ。
ここから上祝子川の集落を俯瞰(ふかん)する。すり鉢状の底に集落がぽつんと見え、鏡のように光っているのが祝子川ダム。蛇のような長い水路が発電所であろう。
はるか南のかなたには、いくえにも山並みが雲の上に浮かんでいて、ここは緑の園だと実感した。両脇に山を従えた高千穂の峰をさがしたが、霞(かすみ)がかかって見えない。
眼下には、小積谷が獲物をねらう獣のように大きな口を開けていた。目もくらむ高さだ。
象岩をみおろすと、先ほどトラバースするとき握ったワイヤーが、初夏の日ににぶく光っていた。りんどうの丘
これから「りんどうの丘」をめざす。登山道にアケボノツツジの花びらが落ちている。花びらは落ちてから間がないのだろう、あまり痛んでいない。見あげると、ここらあたりアケボノツツジの古木が多い。谷の方から、コマドリのさえずりがひびきわたる。
やがてりんどうの丘についた。りんどうの丘は、小積谷の詰めにある小高い岩峰。岩盤がテーブル状にひろがり、直径20センチほどの欧穴があちこち見られる。というとは、ここは太古の昔はサンゴ礁のひろがる海の底だったのか? それが隆起して山になった、と想像の世界がひろがる。
さすがにりんどうの花は見られなかったが、「りんどうの丘」とは優雅な名前をつけたものだ。その感性の豊かさがうらやましい。やはり、われわれ日本人は、知性や理性より感性のほうがまさっている民族なのだろうか。水場
谷をわたって、向かいのわく塚尾根にむかう。先の方で、「チョロチョロ」と水の音がする。水場だ。青いビニールホースが架けてあり、ホースの先から水が出ている。流れに両手をついて直接口を持っていって飲む。これがおいしい水の飲み方と信じているから、始末もわるいが行儀もわるい。
この谷間を越えると、「わく塚−大崩山頂、坊主尾根」の標識があるところに出た。上わく塚
ここから右折し、わく塚尾根に向かう。このあたりにも、アケボノツツジの花びらがたくさん落ちていた。表面のごつごつしたアケボノツツジの太い幹の木が、登山道に沿って何本もある。これだけの古木だから、花のトンネルのころはさぞかし見事だろう。このあたりは、五月の連休ごろが花の見ごろか。ぜひそのときにまた訪ねてみたいものだ。
上わく塚の岩峰の下についた。頂上に登るため岩に取りついたが、途中まで登って怖くなりその先が登れない。前回はじめて来たときには頂上まで登ったのに。それだけ若かったのだ。しかし、いまは登れなくなっている。
途中に立って北の方向を振り返ると、緑の樹海のなかに白い岩峰が飛び出ているのがみえる。あれが七日回りの岩峰だ。その先に、先日その頂に立った鹿納山、お姫山、五葉岳、傾山が望まれた。中わく塚
これから中わく塚にむかう。崖に真新しい金網の橋が架けてあった。ここは前回までは丸太が渡してあったところ。ここを渡って、またハシゴを伝って降りる。これだけ多くのハシゴを運びあげるだけでもたいへんだっただろう、と関係者の労に感謝せずにはいられない。
いったん登山道と別れ、右の中わく塚にむかう。中わく塚の大岩にロープが結ばれている。これを伝って大岩の上に立った。先ほど見あげた上わく塚が、すぐそこにある。
足元は、ふかい小積谷だ。谷には柱状の岩がほぼ一列に並んで立っていて、モアイの像を連想した。自然のなす業(わざ)には、いつも感嘆させられる。
しばらく景観を楽しんだ後、また登山道に引き返す。下わく塚
つぎは下わく塚だ。途中、左手に乳房岩の展望台があった。
この大岩に立ち、中わく塚を見あげると、大岩がいくえにも重なって三角錐を形づくっている。ひとつひとつは丸っこい岩の集まりだが、全体として安定したピラミッドの形をしている。これもまた長年の風雨の侵蝕でできたもの。大自然のつくる芸術品には、ただただ脱帽させられる。
ここから袖ダキの平らな頂上が見わたせた。袖ダキ
袖ダキの上に立ち、百メートル以上の深さの谷をへだてて小積ダキを見あげる。
小積ダキは、赤さびのような縦筋が何本も入った白い花崗斑岩で、巨大な樽を立てたようだ。この迫力には圧倒される。
谷の上を大型のツバメが、軽やかに飛び交う。数えると10数羽はいる。群鳥の軽やかな舞をみていると、こちらも空を飛ぶことができるのでは、と思ってくる。
元々高所恐怖症なので、こんな高いところに立っているだけで気持ちが高ぶってくるのだろう。大空への誘惑はつよく、これを断ち切るだけの自信もないので、早々とこの場から降りた。小積谷
ここから急な岩場を、ハシゴやロープを伝いながら降りる。水場に降りた。ここは小積谷。この小積谷の樹林のなかを赤いテープに導かれながら降りる。岩屋があった。若狭岩屋だ。
やがてはげしい水音が聞こえてきて、祝子川に出た。ここには岩と岩の間に太い丸太が渡している。どんな方法でこんな大きな丸太を渡したのだろう。
ここをわたり、岩を飛んで左岸についた。ところが、上陸点をまちがえ、道を失ってしまった。川伝いに下ったが、大岩に行く手をふさがれ、そこから川と直角に左の方向を定めて急な坂を登り、やっと登山道に飛び出た。
これから登山道をたどり、山小屋についた。小屋に入るなり、板張りの床に大の字になってひっくりかえった。
ここでしばらく休憩した後、樹林のなかを下り、登山口についた。往復6時間の行程であった。(完)
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