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節電モードの盛夏の昼下がり、暑苦しいロシア音楽3連発という我慢大会のようなプログラムの冒頭には、どうあっても「禿げ山」を置かねばならない。ムソルグスキーが暑苦しい顔をしているのが理由ではなく、「夏至」がモチーフだからだ。夏至に行われるキリスト教の重要な行事「聖ヨハネ祭」の前夜、禿げ山にチェルノボグという地霊(むろん「地縛霊」ではない)が現れ、手下の幽霊やらフェアリーやら魔物やらと大宴会を繰り広げた末に、夜明けの鐘の音とともに消え去る――というロシア民話に基づくのが本曲。
聖ヨハネ祭もチェルノボグらの大宴会も、畢竟、古代の太陽神を敬う祭りの名残りであって、同様の祭事は、東西を問わず広く見られる。日本の真夏の夜、奇異な衣装を着た若者たちが奇怪なバイクで走り回り、夜明けと共に消え失せる「集会」なる行事も、夏至祭がシルクロード経由で日本に伝わり「百鬼夜行」などを経て変形したなれの果てと思えば、胸が熱くなりますねぇ。
本曲には①作曲者による原典版②リムスキー・コルサコフによる編曲版③ストコフスキー編曲版(映画「ファンタジア」で使用されたもの)など、いくつかの版がある。最もポピュラーなのは、本日演奏するコルサコフ編曲版だ。ムソルグスキーの原典版を見て「何じゃこの下手くそな管弦楽法は!」とあきれたコルサコフが直してやったそうな。最近は原典版も急速に浸透しており、ロシアの荒ぶる土俗信仰のエッセンスが込められた傑作。「走りだしたら止まらない」アマチュア・オーケストラならではの盛り上がりをお楽しみください。夜露死苦。
スチェパン・ラージンが正しい名前。近世ロシアにおいて、貴族と皇帝(ツァーリ)の圧政に対する大がかりな抵抗運動を繰り広げた、偉大なるコサックのアタマン(頭目)。1630生~1671年没――。世界史の教科書には、たいていこんな感じの記載がある。要するに大がかりな反政府勢力の親玉だ。で、なぜ曲の主題が「虫こーない」とか、古くは「森永コーラス」などのCMソングにも使われた、なじみのメロディー「ヴォルガの舟歌」なのか。それはステンカ親分が水軍を率いてヴォルガ川を行き来して、あちこち荒らし回っていたからだ。資料が少ないので、ここから先は臆測混じりをご容赦願いたい。本作品は恐らく、1669年ごろにカスピ海でペルシアの艦隊を撃破したころの、親分の全盛期を描いているようだ。
もっといえば、直前に沿岸の街を襲った際に、ペルシアの姫様をさらったらしい。で、ヴォルガ川に戻って意気揚々としてるところのようだ。そんでもって、ステンカ親分が、さらってきたお姫様といちゃついてたら、部下が「俺たちをないがしろにしやがって、親分は女みていな奴に成り下がりやがった」と怒るもんだから、親分は面目まるつぶれで我慢できなくなって「やかましい手前ら、ほれ、見やがれ!」と、姫様をヴォルガの急流に放り込んで生け贄にしちゃう。メチャクチャですねぇ。勇壮なコサックを象徴する舟歌のテーマ、嫋々とした姫のモチーフを楽しんだのち、曲の後半部、姫を川に放り込むシーンがそのまんま音で描写されるのもご愛嬌。
グラズノフは弱冠20歳にして本作品を書いているだけに、曲全体になにやら得体のしれないエネルギーが充満しています。かれこれ25年ほど前に流行った映画「マッドマックス2」の水上版、といえなくもない。それにしても昔は尋常小学校の唱歌集にも収載されていた、日本人におなじみの曲の正体が、こげな殺伐としたストーリイに基づいていたとは、いやはやなんとも衝撃的な。ハラショー。
「白鳥の湖」「くるみ割り人形」などで知られる、ロシアの産んだ不世出の大作曲家、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは、1870年後半から1890年にかけて富豪の未亡人フォン・メックから多額の財政的支援を受けていた。二人は残っているだけでも一千通以上という書簡をやりとりしており、以下でその残された書簡の中から、チャイコフスキーが自らの生い立ちと本日演奏する交響曲第2番について触れたものをご紹介する。尚、本書簡については一部の専門家から偽作ではないかとの疑いもかけられており真偽について注意する必要があることを申し添えておく。
「前略、ナデージダ・フィラレートヴナ・フォン・メック様。1876年から続く貴女との文通も、本状で1319通目になります。こうして貴女の温かい支援を受けながら作曲に集中することができるのは、私にとってこの上のない幸せです。さて、前回お約束しましたとおり、今日は私の生い立ちと、私の完成させた交響曲の中でも特異な作品である第2番の交響曲についてお話しをしましょう。何度が手紙の中で書かせて頂きましたが、私は1840年にヴォトキンスク(注:現在のロシア連邦ウドムルト共和国の町)の貴族の次男として生を受けました。父は製鉄場の監察官でフルートをたしなんでおりました。音楽の才能に恵まれていた私は、4才で母に捧げる歌を作曲するなど、その才能の片りんを幼時から見せていたと、後年母親は得意げに語ってくれたものです。
8歳になると私はペテルブルクの法律学校の予科に寄宿生として入学しました。私は法律に興味がもてずもっぱら音楽を愛し、ピアノのレッスンに傾注しておりましたが、卒業後はそのまま法務省の事務官の職につきました。その後、仕事をつづけながら音楽の勉強を続けましたが、23才の時に、事務官の職を辞し、音楽家としての道を歩き 始めることになりました。
こうして26才、最初の交響曲を書きあげるなど作曲家としてのキャリアを始めたのですが、当時ロシアでは貴女もご存じのリムスキー・コルサコフやバラキレフといった、ロシアの伝統音楽を大胆にフィーチャーする「ロシア五人組」が大ブレイクしており、私もまた彼らと知己を得ることでその影響を大いに受けることとなりました。
私が交響曲第2番を作曲したのは、そんな1872年のことでした。ちょうど貴女と知り合うほんの少し前のことですね。この曲は「小ロシア」という愛称がついていますが、私がつけたものではなく、音楽評論家ニコライ・カシュキンがつけたものです。「小ロシア」とはいうまでもなくウクライナのことです。教養ある貴女には説明する必要もないでしょう。この作品は、私がそのウクライナのカムヤンカにすむ妹のアレクサンドラを訪ねたときに5か月かけて完成させたものです。
当時の私は、モスクワ音楽院の教職と音楽評論家として安定した生活を送っておりましたし、なによりもカムヤンカの地は風光明媚、その地にかまえた別荘での暮らしはあまやかで、私の作曲の筆は大いに進みました。この曲が私の作品の中で群をぬいて明るく、快活なのはそのせいかもしれません。この曲で私は「ロシア5人組」へのリスペクトも込めて同地の民謡をフィーチャーしています。モスクワでの初演は大成功をおさめ、聴衆も熱狂。すぐに再演の運びとなりました。再演も大きな話題を呼び、批評家も『これほど楽想の主題的な展開が力強く、変化に富み、巧みに動機労作され、芸術的に考えられた作品はない』と褒めたたえました。
一方で、こうした民謡のような素朴なモチーフを何度も繰り返し曲中で使うスタイルは、ドイツ音楽至上主義に毒された批評家どもからは『交響的な展開に乏しい』といった批判を受けがちです。私自身よく、『チャイコフスキーの音楽はオーケストレーションがしょぼい』とか『メロディーの美しさに頼り切っていて構築性に劣る』とか『フルートが難しいわりに報われない』といった批判をよく聞きます。しかし、そんなことは私自身よくわかっています。そのようなことは分かったうえでこの作曲スタイルを選んでいるのです。機会があれば、構想中のバレエ音楽「くるみ割り人形」の「パ・ドゥ・ドゥ」をお聞きください。一体誰が単純な下降音階の繰り返しだけで、このような美しい曲を作ることができるでしょう。この交響曲第2番にも、素朴な曲調に、美しく印象的なメロディーがいくつも流れています。ところで、ナデージタ、私たちの文通はもう10年以上になりますが、貴女は決して私に会おうとはしません。私はあなたをこんなにも恋焦がれているのに、いったいなぜ会っていただけないのか。それは私が巷間で言われるように男色家であるとのうわさ故でしょうか。
確かに私はジャニーズ 大好きです。「嵐」ならニノが大好きです。でも、この世で一番愛しているのは、ナデージタ、あなたです。あなたを想うと気がふれそうです。mixiで日記を書いた後、あなたの足跡を見つけると天にも昇る気持ちです。あなたのツイッターアカウントは常にチェックして、その行動をトレースしています。正直、グーグル・ストリートビューがサービスインしたときは、速攻あなたの住所を検索しま した・・・(以下本稿には関係のない記述が延々と続くので略する)」
交響曲第2番を完成させたあと、チャイコフスキーは「ピアノ協奏曲」や「バイオリン協奏曲」といったコンチェルトのほか、フォン・メック夫人に捧げた交響曲4番、5番、数々のオペラ、バレエ音楽と名曲の数々を生み出していく。そして1893年、交響曲第6番の初演から9日後に謎の急死を遂げる。死因はコレラによるもの、ある公爵の甥との同性愛が発覚し自殺を強要されたなど諸説あるが、今もって謎のままとなっている。余談ではあるが、1890年、フォン・メック夫人はチャイコフスキーへの経済援助を突如打ち切っている。原因は夫人の精神疾患によるものと言われているが、結果的に終生二人は会うことなく一生を終えることとなる。
第1楽章 Andante sostenuto - Allegro vivo - Molt meno mosso
ホルン独奏がウクライナ民謡「母なるヴォルガの畔で」("Вниз по матушке, по Волге")のヴァリアンテを奏でて、楽章の雰囲気を規定する。その後、ロシアの山並みを朝日が染め上げるかのようなフルートとクラリネットによる上昇音型によりオーケストラの全合奏が導かれる。2主題は、リムスキー=コルサコフが演奏会用序曲《ロシアの復活祭》で用いた旋律を利用している。
第2楽章 Andantino marziale,quasi moderato
元来はオペラ《ウンディーネ》の結婚行進曲として作曲された。冒頭の快活な行進曲風のモチーフがそれである。中間部でフルートが奏でるメロディーに民謡「回れ私の糸車」("Пряди, моя пряха")が引用されている。その後フルートのオクターブの跳躍の連続という重労働の伴奏の上で、クラリネット、バイオリンへと受け継がれてゆく。
第3楽章 Scherzo.Allegro molt vivace - L'istesso tempo
ダ・カーポ形式のスケルツォで、トリオ(中間部)とコーダを伴っている。大変高い技巧とアンサンブル能力が要求され、奏者にとっても聴衆にとってもスリル満点の曲となっている。
第4楽章 Finale.Moderato assai - Allegro vivo ? Presto
短いファンファーレの後に民謡「鶴」("Журавель")が引用され、多彩な変奏へとうつろっていく。弦楽器のより抒情的な主題が、その後のハ長調による楽章終止と対照をなしている。最後はチャイコフスキーらしく打楽器を交え熱狂のうちに曲を閉じる。
「管絃樂團・響」の多勢を占める若い団員に混じってこそこそ演奏している中年街道まっしぐらの哀れな何人かは、大学祝典序曲の名を聞くと、ファゴットが軽やかに奏でる第二主題をただちに想起する。そう、文化放送やラジオたんぱで放送されていた「大学受験ラジオ講座」、通称「ラ講」の番組テーマ曲である。ああ蛍雪時代は遠くなりにしか。まあいい。導入部がハ短調なのでしかたないが、長調の曲だ。演奏会用序曲として、「悲劇的序曲」とペアで作曲された。1979年に、物理学者キルヒホッフなどがいたことで知られるプロイセンのブレスラウ大学(現・ポーランド)から名誉博士号を受けたお礼に書いた。
本人は乗り気ではなかったらしく、作曲後、冗談交じりに「学生歌のがさつなメドレー」と自分で評している。オッサンが若いというだけで学生を憎む構図である。ブラームス万歳。作品自体は、動機労作の手法といい、音色の重ね方といい、曲の作り込みぶりは、さすがはブラームスというほかはない傑作。アマチュアにとって勉強になる曲です。
悲劇的序曲とともに、いまも世界中のオーケストラが演奏会で取り上げる主要レパートリーであって、ブラームスの交響曲のCDを買うと、ボーナストラックにもれなく「大祝」や「悲劇的」が付いてくるのは、たこ焼きと青海苔の関係に等しい。蛇足ながら、この前自宅でNHKをぼんやり見ていたら、スイスの大学生がこの曲の一部を歌う様子が、中年の濁った目にまぶしく飛び込んできた。やはり「大祝」は学生歌なのだなあと確認した。
「そりゃね、女工の中でも飛びぬけて美人でしたよ。刑事さんも見たことあるでしょ。タバコ工場でも一番人気でしたしね。でも、自分、昔からクラスで五番目くらいにかわいい子に魅かれるタイプだったし、婚約者もいましたしね、なにより、誇り高きセビリャの竜騎兵的には、工場の警備中にそんな浮ついた気持ちになれないっすから、まぁ、気のないそぶりっていうか、真面目に職務にはげんでいたですよ。そしたら、あの娘、カルメンっていうんですけど…自分に赤い花を投げるっすよ、大きな目で自分の目を覗き込むようにして。もうダメでしたね。完全に堕ちたっていうか。
そのあとカルメンが暴行事件起こして逮捕されたですよ。で、「逃がしてくれ」って言われて…どう考えても職務上まずいってわかってたんですけど、好きになったらダメですよね…ほどいちゃって。その後しばらくして会ったんですけど、やっぱりかわいいんすよね。で、「自分のこと好きなら竜騎兵やめて、一緒に自由に暮らしてくれ」っていうんですよ。もう、そのころは、朝起きてから夜寝るまでずっとあの子のこと考えてたから・・・辞めちゃったんですよ。竜騎兵。しかもよしゃいいのに密輸業者の仲間になっちゃって。
でも、もうこのころからカルメンの心は自分から離れて、闘牛士のエスカミーリョにいってたんですよ。頭にきましたよ、そりゃ。あの子のために竜騎兵までやめたんですから。だから、決闘。決闘すよ。闘牛士と。で、やってやるぜって、闘牛場に行ったら、カルメンがいたんですよ。やっぱ、好きなわけですよ。それでもね。だから「やり直そう」っていったら、なんていったと思います?「キモイ。まじ無理」ですよ。
ありえなくないですか…気が付いたらね、短剣にぎってて…剣先が真っ赤にぬれていたんですよ。目の前にカルメンが倒れていて…綺麗だったなぁ、最後まで、あの子」…っていうフランスの作家メリメの物語を、これまたフランスの作曲家で一度もスペインにいったことのないビゼーがオペラ・コミック様式にして1875年に初演したのが、今の歌劇「カルメン」の原型です。本日演奏するのは、ビゼーの死後、フリッツ・ホフマンが選曲・編曲したもので、以下の5曲で構成されています。
・前奏曲~アラゴネーズ (第1幕への前奏曲の後半部分、第4幕への間奏曲)どの曲もどこかで聞いたことがあるような、ラテンの力強く湧き立つようなメロディが印象的ですが、とりわけ、ハープの分散和音にのってフルートが美しいソロを奏でる「第三幕への間奏曲」が聴きどころです。あ、わたしが吹いています。アンケートでフルートの眼鏡の「おにいさん」が上手だったと書いてください。ソロ失敗しても。
ドヴォルザークのチェロ協奏曲も見事に弾きこなす、知り合いの若い天才チェロ弾きは、二十歳を過ぎたばかりにもかかわらず、自身のブログに「土掘作(どぼるさく)」とおっさん的駄洒落を書いて悦に入っていたりする。
ドヴォルザーク作品群の大きな魅力は、、筆者がこの2年間を過ごした、常総方面の畑作地帯のような土臭さであることは確かだ。「新世界」第2楽章の「家路のメロディー」なんぞは、その代表だ。そんな田園風景を、とても濃厚に感じさせるのが、この6番である。
ドヴォルザークがとても尊敬していたブラームスが田園をモチーフにした作品といえば交響曲第2番。「ドヴォ6」の第1楽章や第4楽章は、明らかにブラ2の影響を受けているというか、今風に言えば「リスペクトしている」のがはっきりと分かる。第2楽章はベートーベンの「第九」に影響を受けているとする紹介もあるが、勉強不足の筆者としては、やはりブラ2の第2楽章っぽく聞こえる。
この作品の2年前に発表されたスラブ舞曲集の残りを使った感のある第3楽章を除けば、極端な音量変化もなければ、超絶技巧のソロもなく、おおむね平穏無事に進行していく。だが「オーケストレーションが結構、薄いんですよね」と、われらが指揮者の白谷先生は語る。管セクショントレーナーの内山先生は「クラリネットの譜面に、書き忘れたとしか思えない場所がある」と指摘する。「細かくみていくと、意外に難しいなこれ」、というのが練習での正直な実感であった。
完成度の高い後期の7番、8番、9番に比べれば粗削りだという。なるほどと納得する一方、それでもなお、ドヴォルザークらしい、素朴で美しい旋律が随所に登場して、聴く者を魅了する。7、8、9番につながるアイデアがたくさん詰め込まれており、その意味では、ドヴォルザークの交響曲の魅力を味わううえで、非常にお得な1品といえる。京料理ではなく、田舎十割そばなのだ。言い訳めいて恐縮ですが、技術を補って余りある、素材の良さをお楽しみくださいまし。
【第1楽章】Allegro non tanto4分の3拍子。ホルンとヴィオラがつくる軽快なリズムの上で、弦と管が対話する導入部、弦による素直で伸びやかな第一主題が、うららかな春の雰囲気を醸し出す。オーボエが歌い上げる第二主題も美しい。様々な楽器による対話が盛り込まれ、多くの生命が満ちあふれる田園の情景を描き出す。警笛のように挟み込まれる金管など、ブラームスの影響を強く感じられる部分がある。
【第2楽章】Adagioオーボエの旋律で始まる、内省的な楽章。弦、木管群、ホルンなど、楽器の特徴を非常にうまく使ったメロディーラインは、ドヴォルザークの真骨頂。有名な交響曲8番や9番よりも、この6番第2楽章が最も美しいと断言する「ドボ6ファン」もいるという。
【第3楽章】Scherzo: Furiant(Presto)速いテンポと激しさを持つチェコの民族舞踊「フリアント」による楽章。4分の3拍子で書かれているが、2拍がひとまとまりになって、2小節分で大きな3拍を構成する「ヘミオラ」が特徴で、スラブ舞曲(Op.46)の第1曲と同じ。弦楽器の流れるようなメロディーがとにかく美しい。プラハにて初演時のアンコールに、この第3楽章がもう一度演奏されたというのもうなずける。ウインナワルツよりも、はるかに我々日本人の感性に響く気がするのは、なぜだろう。
【第4楽章】Allegro con spirito素朴な弦の旋律で始まる楽章は、馬のギャロップを思わせるリズミカルなホルンが追い、全管弦による歓喜の歌に突入する展開は、「ブラ2」とそっくりだが、ブラームスの精密ともいえる技巧と比べれば、はるかに叙情性に富む。力強いリズムでグイグイと進行する強奏と、柔らかな木管群の対話が楽しい。地からわき上がるような低弦を合図に再び盛り上がった音楽は、ベートーベンの「レオノーレ序曲」を思わせる、急速な終結部に受け継がれる。最後の数十小節は、ドヴォルザークが愛してやまなかった機関車の驀進だ。