ラフマニノフの世界/雑談
ラフマニノフについての雑談モードです。
独断と偏見と勘違いに満ちていますので、あまり気になさらないように。
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- 序文:練習曲集「音の絵」作品39 によせて1998.08.17
- Sensitivity1999.11.11
序文:練習曲集「音の絵」作品39 によせて
ラフマニノフ(1873-1943)は、ロシア生まれの20世紀最大のピアニスト・作曲家であり、その霊感に満ちた芸術性と比類なき技量は、わずかに残る彼自身の録音からも感じ取ることができます。
練習曲集「音の絵」作品39は、ロシア革命が間近に迫った1916年11月に完成されました。作曲に至る経緯については諸説ありますが、その頃彼は、モスクワ音楽院同期生のスクリャービンとその師タネーエフの死、そして実父の死とたて続けに不幸に見舞われ、人間の死に対して非常に敏感になっていました。彼はそのころ「私は不死身でいたいとは思わない。(中略)しかし、死の向こう何があるのかわからない、それが恐いのだ」と語っています。
あるいは、ロシア革命との関連や、ある絵画からインスピーレーションを得て作曲したなどの説もありますが、私にはそういった事象とこの「音の絵」とを結び付けることは無意味に思えるのです。そこにあるのは深く静かな感情のみ。自己の中の悲しみや恐れを他人に悟られることを極度に恐れ、そういった心情を作品中で告白することをしない自己抑制力の強い人間、しかし、その中からなおもにじみ出る深い闇縁の孤独。
ややもすれば「安っぽい感傷」などと評される彼の作品の本質は、ここにあるように思えてならないのです。
「音の絵」作品39の初演は1917年2月21日ペトログラードにて。2月27日ツァーリ体制崩壊、臨時政府樹立。その後の混乱の中で、ラフマニノフは国外亡命を余儀無くされます。「古き良きロシア」にこだわりつづけた彼は、その後ほとんど作品を残していません。
はからずもロシア時代最後の作品となったこの「音の絵」作品39には、ラフマニノフの全てが凝縮されているといっても過言ではないでしょう。
原口 亮(情報・修1)
(京都大学音楽研究会第86回定期演奏会プログラム原稿より)
1998.08.17
はまった瞬間
私がはじめて聞いたラフマニノフの作品は、 中学時代に地元に NHK 交響楽団が来たときに演奏された ピアノ協奏曲第2番...のはずなんですが、全くおぼえていません。 S席で眠っていたらしいです。
というわけで、はまるきっかけとなったのは、高校の吹奏楽部で 「交響的舞曲」の指揮を振ることになり、準備のためにレンタルしてきた アシュケナージ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウの CD でした。 目的の交響的舞曲よりも、同時に収録されていた交響詩「死の島」 の方にはまってしまいました。とても高校生とは思えない、 5拍子の重い足取りの続く、とてつもなく暗い曲です。 ほぼ同時期に、エフゲニー・キーシン&ロンドン交響楽団の ピアノ協奏曲第2番と練習曲集「音の絵」を友人から借り、 以来、機会あるごとにラフマニノフの作品を聞いたり、 自分で演奏するようになりました。
やはり、地方都市では楽譜や CD の入手には制限があります。
実際高校時代に買った CD はわずか数枚。
当時はまだクラシック CD のレンタルがあったので、そちらの方を
よく利用していました。こんな状況ではもちろん楽譜の入手も
困難で、Boosey & Hawks 社出版の練習曲集を入手するのに
取り寄せで1ヶ月ほどかかった記憶があります。
(グリーグの小品集が取り寄せで6ヶ月という記録もある。おそるべし陸の孤島)
でも容易に入手できると、それはそれで悲劇なんです。
すぐに貧乏になってしまいます。
話がそれますが、最近大阪のクラシック CD 専門店や クラシック専門コーナーがどんどんなくなっていますね。 以前は梅田、心斎橋と巡っていたのですが、最近は日本橋ぐらいしか 大きいところはないですね。(日本橋には別の目的もあったりする) 大学生協も安いけど最近は品ぞろえが極悪ですし。
いずれにせよ、それまで与えられる音楽、手に届く音楽に 無意識に取り組んでいた自分にとって、はじめて あるテーマを持って音楽にアプローチしてゆくきっかけとなりました。 そしてそれは今でも続いています。
1998.08.17
ピアノ協奏曲
ラフマニノフの作品のなかで一番好きなのは?と聞かれて 多くの人がピアノ協奏曲、特に第2番をあげることでしょう。 ラフマニノフ自身が稀代の名ピアニストだったこともあり、 高い芸術性と技術の融合がこれら協奏曲に凝縮されています。
私がはじめて聞いたラフマニノフの作品は、エフゲニー・キーシン&
ロンドン交響楽団によるピアノ協奏曲第2番。ちょっと古い録音で
最近の彼の演奏から比較すれば特筆すべきものではないのですが
「天才的なひらめき」のようなものを随所に感じさせて、いまでも
よく聞く CD のひとつです。
あと第2番ですばらしい演奏と思うのは、やはりラフマニノフ本人の
自作自演でしょうか。もちろん他にも多数のピアニストが録音している
のですが、私にはこの2枚以外はどれもいまいちに思えてなりません。
いや、厳しく言えば自作自演以外はどれも色褪せて感じられます。
リヒテル、ルービンシュタイン、コチシュといろいろ聞いたのですが、
私のまわりの友人の意見とは違うようです。
有名といえばやはり第2番なのですが、作品の完成度としては
第3番がダントツに思えます。第2番はまだ頑張ればなんとか
弾けるのですが、第3番はちょっと太刀打ちできないですね。
よく聞く演奏としては、キーシン&小澤指揮ボストン響、
ラザール・ベルマン&ロンドン響、コチシュ&サンフランシスコ響、
でしょうか。第3番についてはどの演奏もわりと気に入っています。
特に印象的なのは、貴重な協奏曲の録音となるアルゲリッチ&
ベルリン放送響。もうとにかくすごいです。最初に聞いたときには
笑いがとまりませんでした。あと、しっとりとジルベルシュタイン&
ベルリン・フィルなんてのもいいかも。
アルゲリッチとはすごく対照的ですが。あと、ワイセンベルクや
ホロヴィッツなんかもすばらしい録音を残しています。
うーん、やはり結論として「自作自演にまさるものなし」でしょうか。 演奏家を神のごとく祭り上げる最近の CD の解説にはうんざりしている のですが、ラフマニノフだけは別格。ひいきも多少はいってますけど。 それにしても残念です。はっとさせてくれる演奏 (特に第2番)に今後出会えることを期待して。
ちっとも演奏されない第1番、第4番ですが、協奏曲全集として
アシュケナージ、コチシュといったところが録音を残しています。
ちょっと笑ったのはアシュケナージ&ロンドン交響楽団の
第1番、第4番というカップリング。そりゃ「全部そろえたいシンドローム」
の人はお買得!とか思って買っちゃいますよ。
アシュケナージって本当に勤勉ですね。私の知る限り、ラフマニノフの協奏曲、
前奏曲、練習曲、交響曲、管弦楽作品すべての全集をだしています。
彼自身の演奏するピアノ作品は端正すぎるところもあるのですが
(もちろんすばらしい演奏の方が多い)彼が指揮を振った
交響曲、管弦楽曲はすばらしいですね。おすすめです。
ヤブロンスキーとのコンビでアシュケナージが指揮を振った
「パガニーニ・ラプソディ」なんかも、みずみずしい演奏で好きです。
この CD には、ヤブロンスキー氏の写真集がついているのですが、
どうしろというのでしょうか。付けなくていいから安くして欲しかった。
協奏曲を実際に弾いてみたい!私もそう思った一人でした。
Boosey & Hawks 社から協奏曲第2番、第3番の2台ピアノ
編曲版がでています。オーケストラパートが少し音が「うすい」ので、
編曲が好きそうな後輩を捕まえて一緒にやると楽しいでしょう
(事情を知っている人は笑)でも2台ピアノの練習場所って
普通にはなかなかないですね。
いわゆる再生機能つきピアノで、スピーカからオケの伴奏がでてきて
それに合わせてコンチェルトを弾ける!というのがあったと思うのですが、
ラフマニノフがあるかどうかは未確認。協奏曲第2番のオケパートのみ
を録音したレコードは京都の十字屋三条店で見たことがあります。
(嘘かも。今度確認しておきます)
1998.08.17
大きな手は必要か?
好きな作曲家は?と聞かれてラフマニノフと答えると
「じゃ、手が大きいんだ」という反応がかえってくることが多いです。
私自身は、左手10度右手9度、小さいから支障がでる程ではありませんが、
大きいから得をしたことはない程度の大きさです。
「ラフマニノフの手」の写真を見たことがありますか?自作自演の
CD のジャケットで見た記憶があるのですが、ありゃ異常ですね。
身長も2メートル近かったといいますし、顔のつくりも写真を見ると
アクロメガリー(末端肥大症)の徴候が明らかにでているように思われます。
手の大きさはもちろん、噂によると右手で「ドミソド」と和音を弾いて、
さらに手の下を親指がくぐって「ミミミ!」って弾けたといいますから、
うらやましいを通り越していますわ。ほんまに。
でも「手が小さいから」物理的に演奏不可能な曲って、協奏曲ぐらい
じゃないでしょうか?別に大丈夫ですよ。しかも私の知る限り
手の小さい人ってそれをカバーして有り余る十分な技量をもっていますしね。
「手が小さいからラフマニノフは弾けない」というのは、
正しくないと思っています。
「重厚長大」「絢爛豪華」華麗なテクニックと重厚な和音ばかりが
ラフマニノフの特徴かというとそうでもなくて、彼の作品の本当に
興味深いところは、独特の和音の使い方もそうですが、
水ももらさぬ細やかなパッセージと独特の
テンポ・ルバートにあるように思います。自作自演を聞いていると
そこらへんの魅力が(当たり前ですが)ちゃんと生かされていて、
もちろんその対比として
絢爛豪華な部分が生きてきて、いまだに他の演奏家の追随を許しません。
自分で演奏するときには、ここらへん勘違いしないようにしないと、
単にうるさいだけの安直な演奏になってしまうので、いつも注意しているつもり
です。(といっても、私のように若い頃?に基礎を作らなかった人間には
粒の揃った細やかなパッセージなんて大の苦手なんですけど)
テンポ・ルバートの特徴?こればかりは言葉で表現するのも
実際に演奏するのも難しいですね。私がピアノ協奏曲第2番の CD を
どれも好きになれないのは、このテンポ・ルバートがしっくりこない
のも原因のひとつです。
ちょっと話がそれますが「ピアノをならす」って難しいですね。
ボロボロのアップライトからでも豊潤な音を引き出してくる
人もいれば、聞いている方が眉をしかめる程
ハンマーが折れるまで鍵盤をたたく人もいれば、
椅子から腰が浮かんばかりに体重をかけてくる人もいます。
私は基本的に「ピアノは腕の重みだけで弾く」ことを心掛けて
「パワーがない」とよく言われるのですが、ある日突然
ボリュームが1ランクあがって、以前よりは「大きな」音が
でるようになった瞬間を経験しました。でも
最近触っていないからもうだめでしょう。
この話題には「指の強さ」というパラメータもからんできて、
いっそうややこしくなります。いったいどうしたらいいんでしょう。
結局何がいいたいのかと言うと、序文でも書いたように 「安っぽい感傷」「絢爛豪華」「重厚長大」だけがラフマニノフの 魅力の本質ではない、ということなのですが。後から読み返すと、 なんか偉そうなことを書いていますね。 楽器を触る時間にも最近は事欠く理系学生の戯れ言と思って流して下さい。
1998.08.24
ヴォカリーズ
Vocalise Op.34-14
ヴォカリーズとは、歌詞を持たず母音だけで歌われる歌曲のことであり、
この作品は14の歌曲集の最後の曲として1914年に作曲されました。
発表と同時にその美しさは世界的な話題となり、
ピアノをはじめ様々な器楽曲に編曲されました。
本当に美しい曲です。独奏楽器&ピアノ伴奏という組み合わせが
多いのですが、「おいしい」ところをほとんどとられてしまって、
伴奏者としては少々不満?
ピアノ独奏の編曲としては、もちろん本人の編曲&自演と
アラン・リチャードソン (Boosey & Hawks より出版) そして
コチシュの編曲が知られています。リチャードソンの方は原曲よりも
3度下げた嬰ハ短調になっていますが、この調性にしたことでかえって
しっとりとした雰囲気がでているように思います。
編曲自体は副旋律のからみがかなり複雑で、交通整理ができていないと
うるさい演奏になってしまいますが、整理できれば美しく仕上がるでしょう。
コチシュの編曲は、原曲の調性のままでよりピアニスティックな響きを
前面にだした編曲となっています。その分後半部分の楽譜は
なかなか凶悪になってますけど。本人の録音が EMI からでています。
原曲で録音されているのは、私の知る限り CHANDOS からでている
「ラフマニノフ歌曲全集」全3巻に収録されているものと、
カラスが歌ってるカーネギーホールでのライブ録音
(レーベルは忘却)があったと思います。
(他にもありましたらお知らせください)
カラスのものはボリュームがありすぎて、どうも
私的には好きになれないのですが、どうでしょう。
そうそう、先日ピアノ編曲を弾いていたら、チェロ弾きに
「これってピアノが原曲だったんですか?チェロが原曲だと
ばっかり思っていました」と言われました。うーん。
個人的には、チェロ編曲のものが一番すきなんですけどね。
わずか1拍半しかない前奏部分の8分音符の和音をどう弾くか、 非常に気を使う部分です。最初の8分休符を聴き手に意識させたうえで、 つぎの8分音符の和音2つだけでこの曲の持つ独特の美しさのなかに ひきずりこまなくてはいけません。 テーマに入ってからは、むしろ「冷たさ」さえ感じさせる美しさを ひきたてるために、感情的になりそうなところをおさえて テンポをキープしつつ、後半に向かって静かに盛り上げていきます。 「冷たさ」を出すために、テンポルバートもラフマニノフの他の曲のそれとは また違ったものが必要です。
序文でも述べた、ラフマニノフの作品の本質にはじめて気づかされた 曲でもあります。人気流行作曲家が惰性で書いたものとは一線を画す 純粋な作品。(クレムリンの鐘と同じように)作曲家本人の意志とは違う部分で 人気がでてしまったことに本人も戸惑いを覚えたのではないか、 というのは考え過ぎでしょうか。
1998.09.02
チェロソナタ
Sonata for cello and piano in G minor Op.19
ラフマニノフにより作曲された室内楽曲は非常に少なく、2曲のピアノ三重奏曲
の他にはこのチェロソナタがあるばかりです。(いや実は弦楽四重奏曲なんかも
実はあるんですけど)交響曲第1番の失敗によるノイローゼから回復して
最初の作品があのピアノ協奏曲第2番(作品18)そして続いて作曲されたのが
このチェロソナタ作品19です。
ラフマニノフの17歳年上の友人でブランドゥコフというチェロの名手がおり、
ピアノ三重奏曲もこのチェロソナタも、ブランドゥコフとラフマニノフを交えて
初演されています。チェロソナタの初演は1901年12月、録音があれば
聞いてみたいものです。ま、ないでしょうけど。
予定通りというかなんというか、この曲チェロよりもピアノの方がはるかに
しんどいらしいです。私が持っている CD は長谷川陽子&野平一郎
によるものですが、歌うチェロと安定感のあるピアノとがからみあって
起伏に飛んだ豊かな、かつラフマニノフ独特の
世界を見事に作り出していて、よく聴くCDのひとつになっています。
実はこの1枚しか私はもっていないのですが、ロストロポーヴィチによる
録音があるそうです。探しているのですがなかなか見つかりません。
1998.11.06
Sensitivity
この「ラフマニノフの世界/雑談」も、 最後の更新から1年近くたってしまいました。
ある CD を聞いて、最初はなんともなかったものの、
数カ月してから、あるいは数年たってから聞いてみると、
心の琴線に響いた...そんな経験は誰でもあると思います。
あるいは逆もしかり。
音楽に対する sensitivity って、年齢、気分、精神状態、
ありとあらゆるものに左右されます。不変ではありません。
あるいは、音場と時空とが強烈に結びついていて、
耳に入るだけで様々な思いがよぎることもあるでしょう。
前にも書きましたが、私がはじめて聞いたラフマニノフの作品は、 エフゲニー・キーシン& ロンドン交響楽団によるピアノ協奏曲第2番& 練習曲集「音の絵」です。はじめはテープにダビングしてもらった ものを聞いていたのですが、それまで漫然と音楽をやっていた自分にとっては ラフマニノフの作品もキーシンの演奏も強烈な印象を残したものでした。 (参照:はまった瞬間) 大学生になってから CD をあらためて購入し、 毎日のようにピアノを弾き、週末毎に様々な楽譜や CD をあさり、 コンサートにも通いました。 キーシンの来日リサイタルにもほぼ欠かさず行ったものです。
そうそう、なぜ急にこんな文章を書いているかというと、 このページが縁で相互リンクを張らせてもらっている HAPPY HOLIDAYS! を久々に見に行き、リンク集の中で「キーシン・リサイタル日程」というのを見つけ、 チェックしてみたら今日が名古屋公演で、大阪公演はすでに終わっているのを 知ったからです。
最近、あまりピアノを弾かなくなりました。 仕事が忙しいこともありますが、なんといっても、 ピアノに対する「飢え」にも似た感覚を今は失っています。 もちろん、週に何度か鍵盤に触っているとき、指に伝わる感覚は やはり心地よく脳に響いてくるのですが、 もはや昔のそれではないように思われます。
1年以上前の序文:練習曲集「音の絵」作品39 によせて の中で書いた、ラフマニノフの音楽に共鳴していた自分の感情。 今あらためて読み返すと、自分で書いた文章とは思えないほどです。 あれほどラフマニノフの作品を弾きたくて弾きたくてしょうがなかった時間。 確かにそれはそこにありました。
ま、今さらその感情を無理して取り戻すこともないでしょうし、 将来またラフマニノフの音楽が心に響くこともあるでしょうし、 願わくはそのときは以前とは違う共鳴を体験できればいいなと思うのです。
まとまりませんが
というわけでしばらくこのページはそっとしておくことにします。
1999.11.11

