経 緯
"れんだいこ" なる私にとっては見ず知らずの人物が、彼の「判決考」なるページ(上記)に、読める判決『百人斬り』Hypertext 東京地裁判決〔8/23〕の判決文を、ソースごと丸ごと無断盗用、転載しました。いつからのことだったかは私にはわかりません。Googleの検索結果ページ(11/30)を見て気がつき、「判決考 読める判決『百人斬り』Hypertext 東京地裁判決〔8/23〕」という剽窃タイトルにビックリしたのです。
もとより、判決文本体は私のものでも誰のものでもなく、公共万人のものです。だからこそ多くの人に読んでもらおうと、inti-solさんは苦労して電子TEXT化し、私もinti-solさんの了解を得てHyperText化しました。多くの人に読んでいただき、どんどん活用して欲しいからでした。
ならば無断で使って構わぬではないかというのが、"れんだいこ" なるものの主張なのかもしれませんが、それは余りにも幼稚な傲慢さです。判決文をWEBで公開するにはそれなりの努力や苦労が必要です。そうしたものを、そのまま自分の仕事であるがように流用して憚らぬ、彼の "思想" には我慢がなりません。(それも活用の一種? でも根性が枉っている。)
私に謝ったりしたくないというなら、それはそれで結構です。私のソースをそのまま流用したページを削除すれば済むことです。また、どうしても判決全文を掲載したいなら、私が書き込んだタグやリンクをソースから早急に完全に取り除くべきです。(あとに残るのは、inti-sol さんの汗の結晶である判決文のTextです。inti-sol さんに対して "れんだいこ" なる人物が、きちんと挨拶できるかどうか気にはなりますが。)
ともかくも、事前の連絡さえあればいいのです。判決に対する見解の如何は問いません。私への窓口はこれまでも、これからも開いています。私宛メール
《追記》
私は "窃盗" という言葉を「無断で持っていって本人が知らないうちに勝手に利用している」という意味で使っています。"窃盗" という言葉がいやなら "剽窃" でも何でもいいですよ。
私は法律を楯にして著作権がどうのこうのといっているのではありません。常識や公序良俗のレベルでものをいっているのです。
「どうせとるにたらない仕事じゃないか」「目くじら立てて "窃盗" だなんていう方が悪い」と、氏を弁護する向きもありますが、だったらどうして、"取るに足らないものまで無断寸借して、あたかも自分が資料化した" かのような顔するのですか? その心根、さもしさは一体何なのでしょう。
地裁判決文に私が付加したもの
1、自画自賛かもしれませんが、「HyperText地裁判決」と称した私の試みは、この地裁判決が多くの資料概説を含んでいるので、それらを内部リンクや外部リンクで結んだ立体的なものに構成する、という試みです。そうしたリンク付けは、私の判断、私の労働、私の責任による、判決文の私の再構成です。れんだいこ氏は、そうした再構成コンテンツを全体として剽窃したのです。
2、上記の試みはある意味では、本来クールな存在であるべき判決文の料簡を逸脱した行為かもしれません。そこは、私が踏み込んだことであり、批判は私が受けなければ成りません。そうしたことを少しでも配慮するこころがあれば、掲載前の一報があってしかるべきです。
3、判決文中の「資料引用」等に関して、私の個人的な注釈を随所に入れました。そうして、判決文による原注釈と私が加えた注釈とを明示的に区別しました。再構成する際に気を使ったことがらです。こうした注釈や凡例の要素に関しては、れんだいこ氏は何の配慮もなく剽窃しています。おそらく読者に、私の注釈まで判決文の一部だと誤解を与えるでしょう。その責任をれんだいこ氏はどうやってとるのでしょうか。
4、判決文はinti-solさんが20日間掛かって電子Text化しました。その成果はこちらです。
http://andesfolklore.hp.infoseek.co.jp/intisol/hyakunin/hanketu2.htm
私のはこの労作の上に立っています。
みなさん、このページと私のページを見比べてください。
どこが違うかというと、「ベタ文を、段落をつけて構成化」したということです。では、「ベタ文を段落をつけて構成化」するには何が必要か? 必要なことは、判決文の論理構成の解析です。判決文の論理構成の解析は、わたしの手作業による機械的な労働でした。解析にもとづく「構成化」「段落化」も、すべて私の自己責任による仕事です。HTMLのタグとしてはリストタグのつけ方です。
5、また、判決文の構成解析に添ってアンカーをつけましたので、私のコンテンツの置いては、長文の判決文の当該個所にジャンプすることが可能です。判決文の構成(目次)から入れば、そのようなことが可能です。引用にも便利です。引用文をみた読者が原文にあたることも容易です。たとえば、「判決文 2事案の概要の4の(2)の原告の主張のオ」といわれてもその個所を探し出すことは容易なことではありません。私のサイトではそれが容易に出来るようになっています。
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できあがったものだけを見れば、どれもこれも、普通の読者には気がつくことのない裏方の仕事です。ソーススクリプトの中でしか見られないもの、一昔前なら、植字工の仕事です。inti-solさんが費やした時間と労働もそうです。
わたしが激しく怒るのは、れんだいこという人物の、そうした「植字工の汗」に無頓着を装う独善性です。ホームページの文字をコピペするのではなくて、ソーススクリプトをコピペしたということは、植字工の汗による果実が何であるかを知っていての行為です。知っていながら無頓着、あるいは、無頓着をふるまう。
結果としての剽窃物は、既に述べたように、資料としての信頼性が損なわれるものになってしまっています。inti-sol さんや私が気を使って配慮したことが反故にされています。マジでそのことに、気づいていないのでしょうか? 残念です。 事前に了解をとりあうということは、資料としての品質を保つためにも欠かすことが出来ないコミュニケーションです。
れんだいこ氏に申します。
「どうぞどうぞ、判決文を利用してください。ただしその内容は、私のコンテンツとは一切似ても似つかない、あなたの大言壮語に見合ったオリジナリティー溢れるものにしてくださいね。」
(「植字工の汗」に過ぎないが、inti-solさんの仕事も、私の仕事も地裁判決の「再構成物」です。一般常識として。)
開いた口がふさがらない
「れんだいこ」なる人物のサイトをみると、そのトップページには、
リンク、引用むしろ歓迎フリーサイト。 同志求む。
れんだいこ地文につき転載歓迎むしろ頼むのこころ。
などと仰々しいキャッチフレーズ。さも、『れんだいこ地文』には、れんだいこ君ならではの『自説がいっぱい』、かのそぶりです。
ところがどっこい、ギッチョンチョン! 彼のサイトを実際にみれば、至るところ他人様の文章、コピペの山ではありませんか! しかも、一部には出所が記されているが、おおむねは出所が記されていません。出所が記されていない「地文」こそ、『偉そうに振舞う「れんだいこ様」の「御高説」』だと、騙されてしまう無垢の人がこの世には多いのでしょうか。
剽窃文の山だということは、見る人が見れば直ぐわかります。見る人が見なくても、ちょっと検索する人ならば、これまた直ぐわかります。"白地"の『れんだいこ地文』から、累累たる剽窃文を差し引いてしまったら、彼自身の見解は何も残りません。これが偉そうな物言いの実態です。
どうやら、れんだいこ君は自らの虚勢を維持するために、空虚さを覆い隠すことに必死になったようです。「誰の文章をどこから持ってきたか」を明記しないのも動機はそこにあるようです。
最近では、
歴史の記述に於いて、何時、何が起こったかを記述することに著作権法を適用するのは邪道であろう。なぜなら、「何時」が判明している場合には「何時」の記述は誰が書いても一定するであろうし、「何が起こったか」も事実関係に就いては「ほぼ同様記述」にならざるを得ないであろう。(本人掲示板)
つまり、歴史事実の記述は誰が書いてもどうせ同じにようなものになるのだから、黙って他人の文章を持ってきても、イイのだ! とまで言い出しました。
このデタラメさは猿でもわかります。歴史事実の記述が書く人によって違うからこそ、検証や吟味が必要であり、論争になる今日この頃だというのに。まったく。
さらにまた、
○○○○○さんちわぁ。その節は勉強になりました。その後承知のようにピッポなる者がもっと激烈にれんだいこを窃盗呼ばわりしてくれました。ぜひご見解を聞かせてください。○○○○○さんの場合は私文ですが、ピッポはんの場合は殆ど判決文です。それでも強盗呼ばわりされちまうですかねぇ。(本人掲示板)
れんだいこにとっては、『私文』ですら無断転載してもイイのだから、『判決文』に関するコンテンツを無断転載して何が悪い、とまで開き直っています。ドローボーの屁理屈が行き着くところまで行き着いたようですね。
(注釈などのない『判決文』だけなら、どうぞどうぞ存分に転載なされ。できれば、ご自分でTEXTを書き起こせば、カッコイイけどネ。(笑))
本人はサイトの別の場所でも、「著作権に関する革新的な見解」を述べているかのようなポーズをとっていますが、『左翼革命用語』を浅薄に並べた内容皆無の単なるゴタクにすぎない文章ばかりです。彼にとっては、オサラバしたはずの『左翼革命用語』も、自己弁護の道具としては手放したくないようです。
明々白々にして最も恥ずべき醜態は、
れんだいこに文句を言う奴は、『引用』そのものを拒否しようとしている
という意味合いの大嘘、デマです。
WEBにおける「ルール遵守による自由な引用」とは、著作者の既得権を守るだけのことではありません。『情報』に『虚偽』を紛れ込ませようと性懲りもなく目論見つづける、悪意を排除する手段でもあるのです。
れんだいこ君の邪説とは、早いはなし、「他人のものは自分のもの」「他人の説は自分の説」。つまりは、情報の『プロパティ』すなわち『トレーサビリティ』を消却することで、虚偽を忍ばせようとする、悪魔の企図に寄り添うものです。れんだいこ君のそもそもの動機はたんなる自己顕示欲に過ぎないという幼稚なものですが、その波及効果は犯罪的なのです。
結論:他人の文章を引用、論評するでもなく、ベタベタ無断転載する必然性はどこにもありません。リンク先のURLを書いて人様のサイトを紹介すれば済むことです。 せめて自分のサイトの至るところ、転載元の筆者名とURLぐらいを記載してね。それしないと、ドローボーですから。