2013-2014シーズン(オランダ・PSV)
2012-2013シーズン(イングランド・QPR)
2011-2012シーズン(マンチェスターユナイテッド)
2010-2011シーズン(マンチェスターユナイテッド)
2009-2010シーズン(マンチェスターユナイテッド)
2008-2009シーズン(マンチェスターユナイテッド)
2007-2008シーズン(マンチェスターユナイテッド)
2006-2007シーズン(マンチェスターユナイテッド)
2005-2006シーズン(マンチェスターユナイテッド)
2004-2005シーズン(オランダ・PSV)
2003-2004シーズン(オランダ・PSV)
2002-2003シーズン(オランダ・PSV)
☆朴智星選手が所属チームで掲げた主な優勝トロフィー:
〜京都サンガ〜
2001年: J2優勝 (←トロフィーはありませんが、一応入れておきます^^v)
2002年: 天皇杯優勝
〜PSVアイントホーフェン〜
2004−2005シーズン: エールディビジ(リーグ)優勝、アムステルカップ(オランダサッカー協会杯)優勝
〜マンチェスターユナイテッド〜
2005−2006シーズン: カーリングカップ優勝
2006−2007シーズン: プレミアリーグ優勝
2007−2008シーズン:
コミュニティシールド勝利(エントリーメンバー外)、プレミアリーグ優勝、UEFAチャンピオンズリーグ優勝(決勝戦はエントリーメンバーから外れる)
2008−2009シーズン:
コミュニティシールド勝利(エントリメンバー外)、FIFAクラブワールドカップ優勝、カーリングカップ優勝、プレミアリーグ優勝
2009−2010シーズン: カーリングカップ優勝
2010−2011シーズン: コミュニティシールド勝利、プレミアリーグ優勝
☆UEFAチャンピオンズリーグでの成績
2003−2004シーズン(PSV時代)から9シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグに出場。
2003−2004シーズン(PSV): グループリーグ敗退。5試合出場。
2004−2005シーズン(PSV): ベスト4入り。 13試合出場、2ゴール。(予備予選での2試合出場、1ゴールを含む)
2005−2006シーズン(マンチェスターU): グループリーグ敗退。 7試合出場。(予備予選での2試合出場を含む)
2006−2007シーズン(マンチェスターU): ベスト4入り。 1試合出場。
2007−2008シーズン(マンチェスターU: 優勝。 4試合出場。
2008−2009シーズン(マンチェスターU): 準優勝。 9試合出場、1ゴール。
2009−2010シーズン(マンチェスターU): ベスト8入り。 7試合出場、1ゴール。
2010−2011シーズン(マンチェスターU): 準優勝。 9試合出場、1ゴール。
2011−2012シーズン(マンチェスターU): グループリーグ敗退。 4試合出場。
![]()
☆プロ選手になってから今まで
〜2000年〜
2000年6月にJ1・京都サンガにやってきた朴智星選手は、6月24日(土)、ジェフ市原(現千葉)とのホームゲームで、プロデビュー戦を飾りました。その後、シドニーオリンピックやレバノン・アジアカップに、韓国代表として召集されたりもしました。朴智星選手が京都に加入した時点でJ1最下位だった京都は、その年J2に降格が決定してしまいました。J1の他のチームに移籍するという選択肢もあった中で、朴智星選手は悩んだ末に京都に残ることを決め、京都と2年契約を結びました。
〜2001年〜
2001年、京都サンガでボランチ(守備型MF)としてプレーし、J2で44試合中、38試合に出場、3ゴールを決め、J1昇格&J2優勝に大きく貢献しました♪
この当時は朴智星選手は韓国代表選手であるにもかかわらず、J2でプレーしていたこともあって、韓国であまり知られた選手ではありませんでした。また京都も、J2でプレーし、スター選手が京都を去ってしまったため、ホームゲームの観客数は3000人以下、ということもめずらしくありませんでした。
<余談ですが、そんな環境の中で当時、京都のホームスタジアムである西京極陸上競技場から徒歩圏内に住み、学生生活を送っていた管理人・ちかは、ホームゲームほぼ皆勤賞であり、授業の合間を縫っては、週末だけでなく平日にも、城陽市にあるサンガタウン(京都サンガの練習場)までよく通っていました。朴智星選手は下手な韓国語で書かれた管理人からのファンレターを読んでいてくれたはずです。(笑)>
〜2002年〜
J1に復帰した2002年、朴智星選手は当初はJ2の時と同じようにボランチでプレーしていました。4月中旬、ワールドカップのために韓国代表に合流した朴智星選手は、4月下旬、中国とのテストマッチで、ヒディング韓国代表監督から、FWの左ウィングのポジションでの先発出場が命じられました。中盤なら、どのポジションでもプレーしてきた朴智星選手ですが、FWのポジションは本人もびっくり。
5月21日に済州島(チェジュド)の西帰浦(ソギッポ)ワールドカップ競技場で行われたイングランドとのテストマッチで、朴智星選手は同点ゴールとなるヘディングゴールを決めました。<またまた余談ですが、管理人はこの試合を見に、済州島へ行っていて、生でそのゴールシーンを見ました♪>続いて26日に行われたフランスとのテストマッチでも、キムナミル選手からの見事なスルーパスからゴールを決め、朴智星選手は韓国で一気に有名になりました。
そして、6月14日、ワールドカップ・グループリーグ最終戦のポルトガル戦@仁川ワールドカップ競技場 で決めた、イヨンピョ選手からのクロスを胸でトラップし、右足でトラップして相手DFをかわしながら左足で思いっきり放った見事なゴールは、多くのサッカーファンの魅了しました。
J1リーグが再開した7月、朴智星選手は京都サンガでもFWのポジションでプレーするようになりました。松井大輔選手、黒部選手との3トップは、ファンとして見ていて楽しかったです。J1リーグで30試合中、25試合に出場し、7ゴールを決めました。
11月中旬、韓国代表監督であったヒディンク監督が率いるオランダのサッカー名門クラブ・PSVから、朴智星選手にオファーが来ていることが、韓国の聯合ニュースに載り、日本でも報道されました。京都残留か、PSVへ移籍かをめぐって、周囲からの注目は高まる一方でした。朴智星選手は、プロ選手になってから、長期間休んだことがないことと、右ひざの状態がよくなく、ベストコンディションでない状態で、慣れないヨーロッパに移籍することへの躊躇もあったようです。長い間悩んだ末、12月20日、当時あった朴智星選手の公式HPを通じて、朴智星選手がPSVへの移籍を報告しました。
そして朴智星選手は、2003年1月1日、天皇杯決勝(vs鹿島)で、同点ゴールとなるヘディングゴールを決め、京都サンガに天皇杯優勝というプレゼントを残し、夢であったヨーロッパ舞台(オランダ)へと、はばたいていきました。
〜オランダ・PSV時代(2003年〜2005年)〜
オランダ・PSVへ移籍した朴智星選手は、後半から交代出場で試合に出ていたものの、ひざの状態が悪化し、右ひざの半月形軟骨盤除去手術を受けました。リハビリを経て、試合に復帰した朴智星選手を待っていたのはスランプでした。試合でぱっとせずミスを繰り返す朴智星選手は、PSVのファンからブーイングを浴びるようになりました。ヒディンク監督は朴智星選手をホームゲームではあまり起用せずに、アウェーゲームで起用するようにしたほどでした。1年近くも苦しい時期を送りましたが、それに耐え、実力で克服し、PSVのファンからも認められる選手になりました。のちに朴智星選手が自叙伝やインタビューなどで語っていた話によると、2003-2004シーズンのウィンターブレーク明けから徐々にコンディションを取り戻し、2004年2月28日にアウェーで行われたUEFAカップのペルージャ戦が、自分の思うようにプレーができた試合だったそうです。その試合の後から、PSVファンのブーイングが自然となくなっていったそうです。
2004−2005シーズンには、エールディビジ(オランダリーグ)優勝、アムステルカップ優勝、チャンピオンズリーグ準決勝進出の原動力になりました。特に2005年5月、ACミランとのUEFAチャンピオンズリーグ準決勝・第2戦での先制ゴールは、ヨーロッパの人々にも強い印象を残しました。そうした活躍の中、イングランド・プレミアリーグの名門・マンチェスターユナイテッドからオファーを受け、悩んだ末に、マンチェスターUへの移籍を決意しました。
〜2005−2006シーズン〜
マンチェスターUへ移籍した最初のシーズンは、先発であったり、交代出場であったりしますが、コンスタントに試合に出場しました。ファンであるはずの管理人も、マンチェスターUでコンスタントに試合に出るのはもっと厳しいと予想していただけに、予想以上の活躍ぶりにびっくりし、また嬉しく思っています。完全な先発選手ではなくとも、マンチェスターUに欠かせない選手となりました。
〜2006−2007シーズン&2007−2008シーズン〜
2006−2007シーズンは、朴智星選手にとって、怪我に泣かされたシーズンと言えるかもしれません。9月に右足首靱帯損傷の怪我で、約3ヶ月間、戦列を離れました。12月に試合に復帰し、完全復活したかのような活躍を、ファンに見せてくれました。ところが、4月初旬にに右ひざの怪我で再び戦列を離れると、朴智星選手に関する情報が、一切メディアにも入ってこなくなりました。4月下旬、マンチェスターUがようやく情報を発表した時、朴智星選手はアメリカのコロラド州に渡り、右ひざの軟骨再生手術を受けていました。さほど深刻な怪我ではないが、選手生命を延ばすために、手術を決断した模様です。
当初、2008年1月か2月頃試合復帰する予定でしたが、リハビリがとても順調に進み、予定よりも早く2007年12月末に試合復帰を果たしました。復帰した当初はブランクがあったためか、思うようなプレーができていませんでした。4月のCL準々決勝・アウェーでのASローマとの試合で先発出場すると、難しいポジションからヘディングでゴール前に折り返しアシストをしたのをきっかけに、朴智星選手らしさが戻ってきたように思います。特にCL準決勝・ホームでのバルセロナ戦では縦横無尽に走り、英国のメディアから評価点9と、高評価を得ました。残念ながらCL決勝の舞台に立つことはできませんでしたが、最後になって、チームのプレミアリーグ優勝、UEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献できたのでは、と管理人は思っています。
〜2008−2009シーズン〜
2008−2009シーズン、大きな怪我もなく、朴智星選手にとって、マンチェスターUに入団後、最高のシーズンだったようです。以前は『強豪相手や重要な試合では先発から外される』と言われていましたが、大事な試合でも起用される、マンチェスターUに不可欠な選手になってきました。12月に横浜で行われたクラブワールドカップ決勝にも先発フル出場し、優勝トロフィーを手にしました。<管理人も現地観戦しました♪> 昨シーズンは立てなかった、UEFAチャンピオンズリーグ決勝の舞台にも立ちました。ただ、この試合では朴智星選手は思うようなプレーができず、チームも負けてしまい、一抹の悔しさも残りました。
〜2009−2010シーズン〜
2009−2010シーズン序盤は、コンディションがよくなかったり、インフルエンザにかかったり、軽い怪我にも悩まされ、思うほど出場機会が得られませんでした。その後も、一時期、数試合続けてシュートがゴールの枠に当たる不運に見舞われたりもしました。(汗)それでも、シーズン終盤になると、活躍ぶりを見せる試合も増えてきました。
〜2010−2011シーズン〜
プレミアリーグ6年目を迎えた2010−2011シーズン序盤も、試合で朴智星選手らしいプレーを見せることができずにいました。本人も、マンチェスターUの公式HPを通じて、『今の自分のプレーに満足できていない』と語ったほどでした。10月にソウルで行われた韓日戦のために、韓国へ帰国した朴智星選手は、韓日戦は右ひざの痛みが再発して試合に出場しませんでしたが、韓国で数日過ごしたことがきっかけで、本来のプレーを取り戻しました。自身のコンディションもチームも絶好調な12月下旬に、2011カタールアジアカップのため、韓国代表に合流しました。
アジアカップのため韓国代表に合流する前、朴智星選手のアボジ(お父さん)が韓国のメディアに、『朴智星はアジアカップを最後に代表を引退する』と語ると、日本やイングランド(イギリス)でも、代表引退のニュースが知られるようになりました。管理人・ちかは、以前から言われてきていた代表引退が、すぐ目の前に迫っていることを改めて実感しました。目標としていたアジアカップ優勝は、準決勝で日本にPK戦の末敗れたため、有終の美は飾ることができませんでした。アジアカップを終えて韓国代表とともに韓国に帰国した朴智星選手は、2011年1月31日、ソウルで記者会見を開き、代表引退を正式に表明しました。同時に、選手としてはあと3〜4年程度はプレーできると思っている、とも語りました。
2月、マンチェスターに戻った朴智星選手は、練習中にハムストリングを痛めてしまいました。復帰まで1ヶ月程度かかる、とマンチェスターUの公式HPから発表がありました。4月2日のウェストハム戦で、3ヶ月ぶりにマンチェスターUの試合に復帰すると、徐々にコンディションを上げてきました。チェルシーとのUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝・第2戦では、チェルシーが同点に追いついたわずか1分後に、朴智星選手がゴールを決め、チェルシーの希望を打ち砕きました。UEFAチャンピオンズリーグ準決勝・第1戦では、内田篤人選手が所属するシャルケ(ドイツ)と対戦し、朴智星選手と内田選手とのマッチアップも見られました。UEFAチャンピオンズリーグ決勝では、先発フル出場し、豊富な運動量で積極的な守備を見せましたが、結果は1−3と完敗でした。
プレミアリーグ優勝を果たし、自身もプレミアリーグで5ゴール(&8アシスト)・UEFAチャンピオンズリーグで1ゴール・カーリングカップで2ゴールと、公式試合でシーズン8ゴールを決めました。その一方で、FAカップは準決勝で敗退し、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でも優勝トロフィーを掲げるという夢を叶えられませんでした。喜びと悔しさが交差したシーズンだったかもしれません。
今振り返ると、2008年から2011年くらいまでが、マンチェスターユナイテッドでの朴智星選手の黄金期だったのかもしれませんね。
〜2011−2012シーズン〜
開幕戦を前に、マンチェスターUとの契約期間を、2012−2013シーズン終了後まで、と1年間の契約延長が発表されました。少なくとも、2012−2013シーズンまで、マンチェスターUでプレーすることが決まりました。
2011−2012シーズンは、パクチソン選手個人も、そして何よりチーム自体が不振にだったと言えるシーズンでしょう。UEFAチャンピオンズリーグでのグループリーグ敗退をはじめ、パクチソン選手がマンチェスターUに加入してから初めて、シーズン無冠で終わりました。今までシーズン終盤に向かって調子をあげてきたパクチソン選手ですが、何試合も続けてピッチの上に立てなかったりと、怪我をしているわけでもないのに、パクチソン選手らしさを見せることなくリーグ戦も終わってしまいました。
〜2012−2013シーズン〜
2012年7月7日、イギリスのメディアからパクチソン選手の、QPR行きの話が報じられました。7月9日、QPRの記者会見が行われ、パクチソン選手のQPRへの移籍が正式に発表されました。2年契約を結んだという内容も同時に発表されました。
そしてプレミアリーグ開幕戦で、マーク・ヒューズ監督から、チームキャプテンを任されました。朴智星選手は開幕からずっと、先発出場を果たしていました。しかしQPRは選手の大型補強があったにもかかわらず、試合で1勝もできない状況が続きました。朴智星選手は10月に行われたエバートン戦で膝を痛めてしまい、試合から遠ざかりました。11月になっても1勝もできない状況に、QPRのオーナーであり、エアアジアのCEOでもあるトニー・フェルナンデス氏も、ついにマーク・ヒューズ監督を更迭し、ハリー・レドナップ氏が、QPRの監督になりました。
レドナップ監督体制になると、朴智星選手が試合に出る機会が少なくなりました。チームキャプテンを外れたことに関しては、正直、管理人はさほど心配していませんでした。キャプテンはやはり、英語が母国語の選手の方がいいだろう、とも思いましたから。新体制になってもQPRはほぼ、最下位を走ったまま。試合で勝てないと、レドナップ監督は先発メンバーを大幅に変えることがあり、朴智星選手も例外ではありませんでした。そしてついに2部リーグに相当するチャンピオンシップリーグへの降格が決まってしまいました。結局、20チーム中最下位でシーズンを終えました。
朴智星選手は口には出さないけれど、いろんなことが思うようにいかないシーズンだったでしょう。
〜2013−2014シーズン〜
レドナップ監督の続投が早々に決定したこともあり、朴智星選手は他のクラブに移籍するとの報道が、あちこちで見られるようになりました。朴智星選手本人も、ヨーロッパの他のクラブへの移籍を含めた、あらゆる可能性を探っていました。
そんな中、古巣のPSVからオファーがあり、金銭的な問題のためか、レンタル移籍(イギリス英語でローン移籍)で、PSVへの移籍が決定しました。
PSVの監督が2004−05シーズンPSVでともにプレーしたフィリップ・コクー監督であることや、マンチェスターユナイテッドで2005−06シーズンともにプレーしたルート・ファン・ニステローイ氏(PSVの出身だが、パクチソン選手とはPSVでは一緒にプレーしていない。現在はPSVで指導者研修中?)が獲得に後押しをしてくれたことが、PSVへの再加入に大きな影響を与えたようです。
現在のPSVには若い選手が多く、今までの経験から、若い選手のお手本になることを期待されての移籍でした。
移籍後、着実に試合に出場していた朴智星選手ですが、9月下旬の試合で怪我をすると、試合復帰までに2ヶ月強の時間を要しました。試合復帰後は再び着実に試合に出て活躍しました。この調子なら、もう1シーズン、現役でプレーできるのではないか、とも管理人は予想しました。しかし朴智星選手は、ひざの状態のことも考え、2013−14シーズンを最後に、現役引退を決めました。
「京都の朴」「韓国のスター」から、世界的スタープレーヤーになった朴智星選手。いい時期も、苦しい時期もありました。それでも、プレーで、実力で、チームメート、ファン、関係者から認められていきました。そんな朴智星選手を、京都サンガ時代から現役引退まで、見守り応援できて、管理人は幸せです。
![]()