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| ●自宅出発(8時15分)→沓掛IC(8時58分)→(京都縦貫自動車道、高速720円)→丹波IC→(国道9号)→(国道27号)→道の駅 和(9時45分〜10時5分)→(国道
27号)→京丹波わちIC(10時22分)→(京都縦貫自動車、高速720円)→綾部JCT→(舞鶴若狭自動車道)→舞鶴東IC(10時45分)→(県道)→(国道27号)→(県道21号)→舞鶴引揚記
念館・引揚記念公園(見学・11時〜12時25分)→(県道21号)→引揚桟橋→(県道21号・12時30分)→(潮路通)→赤れんが博物館(見学・12
時50分〜13時40分)→(国道27号)→赤れんがパーク(見学・13時45分〜14時)
→(県道)→(国道27号)→JR西舞鶴駅前(昼食)→(国道27号)→(国道175号)→道の駅 舞鶴港とれとれセンター(休憩・軽食〜16時)→(国
道175号)→(国道27号)→舞鶴西IC(16時28分)→(舞鶴若狭自動車道、高速520円)→綾部JCT→(京都縦貫自動車道)→京丹波わちIC(16時45分)→(国道27号)→道の駅 和→
(国道27号)→(国道9号)→丹波IC→(京都縦貫自動車道、720円)→沓掛IC(17時59分)→自宅 走行距離:232.8km |
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| 亡き父は、旧ソ連軍につかまり、シベリアのバイカル湖近くに抑留されていました。戦後、引き揚げてきました。
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道の駅 和(なごみ)
国道27号沿いの京丹波町にあります。
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昭和20年(1945年)第二次大戦の終結で、海外に残された日本人は660万人以上といわれ、これらの人を日本に帰国させなければならなくなり、引揚げが始まりました。
引揚港の一つとして舞鶴港はありましたが、昭和25年以降は、唯一の引揚港でした。
舞鶴港には、昭和20年10月7日に第1陣が入り、昭和33年9月7日の最終船まで、13年にわたり、66万4,531人の引揚者と、1万6,269柱
の遺骨を迎えました。終戦時、大陸に残された日本人の57万人がソ連軍に捕まり、そのうち、47万2千人がシベリアほか極寒の地に送られました。 |

パネル展示です。
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抑留生活です。
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雪のシベリヤ収容所
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引揚記念館横のモニュメント
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右手の坂を上がっていくと展望広場があります。
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 展望広場への坂
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坂の途中から記念公園を見下ろす
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展望広場へ
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展望桟橋
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展望桟橋から引揚船が着いた方向の眺め
白いブリッジあたりに着いた
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 展望桟橋から引揚げ桟橋(北)があった方向の眺め。昭和27年(1952)までは、引揚船から小舟に乗り換え北桟橋で、昭和28年(1953)以降は、展望桟橋眼下の南桟橋から上陸とのこと。
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展望桟橋から対岸を望む
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展望広場
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展望広場
岸壁の母・異国の丘 歌碑
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展望広場
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展望広場
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引揚記念館入り口
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復元された平桟橋
昭和28年以降引揚げた桟橋
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引揚記念館をあとに、舞鶴港(東港)の赤れんが博物館(赤れんが1号棟)へ行きました。 |

舞鶴港に停泊中の自衛艦
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赤れんが博物館全景
明治36年造・旧海軍魚形水雷庫
重要文化財
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赤れんが博物館1階
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1階内部の展示
世界のれんがや、れんがができた歴史が説明されている。
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1階内部展示
ホフマン窯の復元模型
ホフマン窯は、かって、れんが製造の主流を占めました。
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2階展示室
日本のれんがの歩みや、東京駅の模型や、赤れんが館の模型が展示されていました。
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赤れんが博物館をあとに、舞鶴市役所西の赤れんがパークに行きました。
赤れんがパーク西の駐車場に車を止めました。 |

赤れんがロード:駐車場から赤れんがパークへの途中にある。(現在、建物は未使用)
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赤れんがロード
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赤れんがロード
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赤れんがロード
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赤れんがパーク
右手に赤れんがイベントホール
左手、手前から
赤れんが工房
まいづる智恵蔵
舞鶴市政記念館
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赤れんがイベントホール(赤れんが5号棟)
大正7年造・旧海軍水雷庫
重要文化財附として指定
貨車で水雷を運び入れた。
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赤れんがイベントホール内部
スポットライトもあり、コンサート、バザールほかに使用される。
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赤れんがイベントホール内部
行った日は、喫茶店があった。
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手前から
赤れんが工房(赤れんが4号棟)
まいづる智恵蔵(赤れんが3号棟)
舞鶴市政記念館(赤れんが2号棟)
いづれも、明治35年造・旧海軍兵器廠倉庫・重要文化財
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左手、赤れんが工房
右手、まいづる智恵蔵
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文庫山学園から、自衛隊桟橋の自衛艦を見る。手前に見えるのは、赤れんがパーク駐車場と駐車中の小さな自動車
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駐車場から、自衛隊桟橋の自衛艦を見る
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