御祭神
鹿島の大神/ 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
御神徳(ご利益)は、武道守護、殖産興業、国家鎮護、芸能上達、豊漁、航海安全、安産、病気平癒、厄除け、縁結び、延命長寿、交通安全となります。
香取の大神/ 経津主大神(ふつぬしのおおかみ
御神徳(ご利益)は、出世、開運招福、延命長寿、夫婦和合、安産、農耕・海上守護、交通安全、殖産興業 です。

御神徳(ご利益)は、武道守護、殖産興業、国家鎮護、芸能上達、豊漁、航海安全、安産、病気平癒、厄除け、縁結び、延命長寿、交通安全となります。
御神徳(ご利益)は、出世、開運招福、延命長寿、夫婦和合、安産、農耕・海上守護、交通安全、殖産興業 です。
茨城県水戸市青柳町434
"古く我国のはじめ今の国土(豊葦原中国)には、伊豆模型の神々がこの国を治めておられたが、武甕槌の大神(たけみかずちのおおかみ)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の仰せにより経津主の大神(ふつぬしのおおかみ)と共に伊那佐(いなさ)の小浜(をばま)に天降られ、この国を天照大御神の御一族(天孫民族)に譲るように出雲系の神達の首長である大国主命に交渉された。
いわゆる国譲りの交渉であるが、この時の模様について古事記や日本書紀には「十握剣(とつかのつるぎ)を抜いてそれを浪の穂に逆しまに刺し立てその剣の尖にあぐらをかかれて大国主命(おおくにぬしのみこと)に交渉された」と書かれてある。
又、奈良朝末期に防人として九州の防備に当たる東国の兵士達が全員鹿島に集り、御神前に旅行安全と武運長久を祈って出発したことから「鹿島立」「交通安全」の信仰となり、更に会社事業等をするものにとっては大神のお名の「フツ」と云うが如く「決断力」について御神徳をいただかせ給うと祈る。"
当社の創立鎮座したる年代は明らかならねど紀元七百四十二年(西暦八十二年)第十二代景行天皇の皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)東征のおり青柳の地に、武神、鹿島香取の二神を奉斎し戦勝を祈念せられたる由を伝えたり、紀元一千四百六十四年(西暦八百七年)平城天皇大同二年神殿を改築して鹿島香取大神社と報称し鎮祭の儀行われたり。大椽国香水戸築城に当り城の幹位に当るを以ちて国家安泰、居城安全の守護神として毎年奉幣せり、時移り佐竹氏亦此の由を改めず、紀元一千七百二十年(西暦一千六十年)康平三年源頼義奥洲征討の道すがら戦勝を祈願し神器神宝を寄進あり、古来近郷の名神霊社として著れ其の神領の如きは数十町に及べり、中世時運の変還により、其の神域にも異動を生じ誠に遺憾の極也、文禄四年秀吉交寺社領取上げの節は六石一斗五合にまで縮小されたり、徳川幕府覇業成るに及び新たに朱印地並に神域の寄進あり、歴代水戸藩の崇敬厚く多数の神器神宝を奉献して祭典には必ず水戸藩より寺社奉行の出役あるを恒例とせり特に義公の崇敬厚く宝物「あわび貝」は公の献ぜられしものなり、烈公当社当地の風光を賞し境内の一角に「青柳夜雨」を選定し度々献幣の儀あり、昭和七年十一月十四日の稀にみる大台風境内を直撃し、大木六本被害倒れる内一本の大欅樹齢一千有余年周囲二丈八尺県下一の名木なり、是願損木仏下無償売却を得金二千五百金充修繕の儀あり翌昭和八年一月記工本殿銅茸拝殿萱茸、鳥居二基花崗石にて改造し四月四日遷座竣工祭を行う、尚本欅の趾に記念碑を建てる。
佐竹城主奉献の神鏡三面、光圀公奉献の「鮑貝の杯」、猿田彦面二面、神刀一口、慶安以降の古文書類
御利益:五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、交通安全、火災や災難除け、子孫繁栄、学業成就、芸能上達
御利益:農業、漁業、安産・子授け、火難消除、織物業守護
御利益:国土安泰、福徳、開運、勝運
当社ではご朱印や各種祈願も行っておりますので、お気軽にお問い合わせください。
水戸八景 「青柳夜雨(あおやぎのよるのあめ)」
水戸八景は、天保四年(1833)に九代藩主徳川斉昭が藩内の子弟に八景めぐりをすすめて自然観賞と健脚鍛錬を図ることを大きな目的とし、中国の瀟湘(しょうしょう)八景になぞらえて選定したものである。すなわち青柳夜雨、仙湖、暮雪、山寺、晩鐘、太田、落厠、村松晴嵐、水門帰帆、岩船夕照、広浦秋月で斉昭自筆の八分のみごとな筆勢を彫った碑をがたてられている。
水戸八景を詠んだ烈公の詩歌
詩「水戸八景」
雨夜更遊青柳頭 雨夜更に遊ぶ青柳の頭
和歌
青柳夜雨 雨の夜に舟を浮へて青柳の木の間をわたる風の涼しさ