| エスパー魔美 (1987年4月7日〜1989年10月26日・全119話 / TV放送) 〜あなたのハートに、テレポート!〜 この欄では「魔女っ子アニメ列伝」と題して様々な魔女っ子の登場するアニメを取り上げてきました。それでは ここでひとつ、根本的な部分に立ち戻って、はたして”魔女っ子”とは一体何なのか?と問い掛けてみましょう。 単純に考えれば、”魔法を使う(できれば10代以下の)女の子”=”魔女っ子”となるでしょうか。では、魔法とは何なのか? ここで魔法を”普通の人が使えない不思議な力”と解釈するなら、ESP、いわゆる超能力を使う少女もまた、広義の意味で 魔女っ子と呼べる存在なのではないでしょうか。 …ちょっと強引かもしれませんが、そんなわけで今回は、エスパー少女アニメの金字塔「エスパー魔美」を取り上げて みたいと思います。 | |
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「エスパー魔美」という作品は…あえて説明するまでもないとは思いますが、「ドラえもん」などの作品で知られる漫画界の巨人、
故・藤子F不二夫(以下、藤本)氏の作品を原作としたアニメです。 かつてテレビ朝日の火曜夜7時台には、「藤子不二雄ワイド」と題して藤子アニメを1時間3本立てで放送するという、前代未聞の アニメ放送枠が存在していました。最初の頃は「パーマン(新)」、「忍者ハットリくん(新)」、「プロゴルファー猿」という ラインナップでしたが、放送開始から2年目を迎えた際に「ハットリくん」の放送が終了し、代わって登場したのが 「エスパー魔美」だったのです(余談ですが、この枠で直前まで放送していたのが宮崎駿監督の「名探偵ホームズ」)。 それから半年後、番組の構成変更にともなって「藤子不二雄ワイド」が解体されると、「エスパー魔美」には単独枠が与えられ、 その後は放送枠が木曜日に移動させられたりしつつも、全119タイトル、約2年半に渡って放送を続けました。 このように「エスパー魔美」がロングランとなったのは、むろん原作の魅力というものに加え、製作陣の 努力によるところが大きかったと思います。2年半という長丁場を通して作画レベルが低下することも無く、原作版タイトルは もちろんのこと、アニメ版オリジナルのタイトルでも原作の雰囲気を壊さず丁寧に(本当に丁寧に!)作られていたことは、我々 視聴者にとって本当に幸せなことでした。 | ![]() ![]()
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いや、もっと言うならば、個人的に アニメ版は藤本氏の原作版を凌駕していた と確信しています。 そのことに関してはまた後で触れるとして、では製作陣の引き出した「エスパー魔美」の魅力とは何だったのでしょう。 「エスパー魔美」の魅力…それは他の藤本作品に当てはまることでもありますが、”日常生活に異物が紛れ込むことによって 生まれる不可思議さ”、逆にいうと、”特殊な状況下での出来事を描いていながらも日常感覚を失っていない”ことにつきる でしょう。 明らかに普通ではないはずなのに、しかし完全な異世界の話でもない、という奇妙な感覚。藤本氏は自らのSF作品を”少し不思議”の 略とされていたようですが、この”少し”という部分が、やはり氏の個性であり最大の魅力だったと思います。 「エスパー魔美」は言うまでもなく”エスパー”=”我々の世界にとっては明らかな異物”を主人公とした物語です。 この系統の作品は「AKIRA」や「幻魔大戦」のような超能力バトルか、もしくは人外の力を持つ者の苦悩を描く哲学的な(しかし 下手をすれば作者の自慰的な)方向に傾きがちなのですが、それらと違って「エスパー魔美」は少女の日常を描いた ―― ただし”少し 不思議”な力を使う少女の ―― ものとなっているのです。 さらにアニメ版では、原作版でおざなりになりがちだった魔美の家庭、学園生活シーンを豊富に盛り込むことによって、原作版 以上に日常を感じられるようになっているのではないかと思います。 ところで話は変わりますが、「エスパー魔美」といえばヌードです。 「ドラえもん」における源しずかの入浴シーンに見られるような藤本氏流ヌード描写、それを極端なところまで押し進めた作品が 「エスパー魔美」でした。なにせ、藤本氏本人が「ヌードの日常化を目指した」と語っていた(らしい)くらいですからして、 信じがたいくらいの頻度で主人公のヌードが登場。いかに原作でやっていることとはいえ、上半身はおろか下半身 までスッポンポンの丸見え という、夜7時台に放送する地上波アニメとしては規格外の…いや、規制の厳しくなった現在では 深夜アニメでも不可能と思われるヌード描写にはド肝を抜かれます。 そして、それを正当化するために主人公をヌードモデルに設定するあたりは、さすが巨匠のアイデアたるや恐るべしと 驚嘆するほかありません。 ここでイキナリぶっちゃけますと、本作の原作者である藤本氏の性向は、かなり変質的であったと言っていいでしょう。 「ドラえもん」における源しずかの入浴シーンを持ち出すまでもなく、氏の作品は少女賛美に満ち溢れています。ですが、 それは単純な性欲の対象というよりは、少女という言葉が持つ純真無垢さというイメージに対する、崇拝じみたもののように 見受けられます。 藤本作品に登場する少女のヌードが露骨なエロティシズムを感じさせず、視聴者にサラリと流されてしまうのは、 おそらくはこの”透明すぎる少女像”のおかげでしょう。 しかしながら、この”透明な少女像”というものが、とりもなおさず藤本作品の限界を露呈しているようにも思えるのです。 藤本作品に登場する少女は偶像的な存在でしかない、つまり少女は永遠に少女のままであり、そこから一歩踏み出して成長して いくことはありえないのです。 先にアニメ版は原作版を凌駕していると書きましたが、それはこの問題点をアニメ版が多少なりとも克服しているからに 他なりません。アニメ版では、原作版にはほとんど存在しなかった等身大の女子中学生として魔美を感じさせるエピソードが 描かれており、そして何より、最終話などで見られるように魔美は人間的な成長も見せていくのです。 アニメ版「エスパー魔美」は、藤本氏の原作を見事に映像化し、そのうえさらに藤本氏では描きえなかったと思われる要素を 加えることにも成功した奇跡のような作品でした。このアニメ版「エスパー魔美」を賞賛する声は今なお多く、web上ではDVD化の 署名運動まで行われているそうです。 本放送から15年近く経ているにもかかわらず、なぜこのような現象が起きているのか。その理由は、実物を見れば誰もが理解 できることでしょう。 次項からは「エスパー魔美」のキャラ紹介を行います。 | |