|
魔女の宅急便 (1989年7月29日 / 劇場公開) 〜驚異的な映像美で魅せ、スタジオジブリをブレイクさせた傑作〜 今や、大ヒット映画の代名詞となった観さえあるスタジオジブリの宮崎駿監督作品。しかし、初期の宮崎作品は興行的に 大成功というには少し抵抗のある結果しか残せていませんでした。 公開時に大旋風を巻き起こしたかのように紹介されている「風の谷のナウシカ」ですら、実際のところ配給収入は8億円 未満 (配給収入は大まかに興行収入の半分と言われているので、よくて興行収入は15〜16億円程度ということか)。たしかに アニメ映画としてみればヒット作と呼べなくもない結果ではありますが、1980年代の劇場版「ドラえもん」シリーズが確実に15億円 前後の配給収入を記録していたことを考えると、やや物足りなく感じてしまう…のは贅沢な話でしょうか。 そんな中ヒットの位置でウロウロしていた宮崎監督作品でしたが、ついに「魔女の宅急便」の登場によって頂点へ登りつめる ことになります。前々年に上映された「となりのトトロ」が毎日映画コンクール日本映画大賞、星雲賞など様々な賞を獲得した ことによる宮崎監督作品というブランドの確立、そして運送会社との大々的なタイアップ、などなどの要因が絡み合って、1989年 に公開された邦画でナンバーワンの配収(配収21億7000万円)を稼ぎ出しました。 おまけに不倒記録だろうと思われていた「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のアニメ映画配収記録(配収21億2000万円) さえも、約10年ぶりに塗り替えてしまったのでした。 (参考までに、ヒットしたと言われている主な劇場用アニメの配収を列挙してみましょう。 ・「銀河鉄道999」 16億5000万円 ・「機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙」 12億9000万円 ・「THE END OF EVANGELION」 14億5000万円) …と、以上が記録面から見る「魔女の宅急便」。そんなわけで、今回の「魔女っ子アニメ列伝」では「魔女の宅急便」 (以下、「魔女宅」)を扱ってみたいと思います。 (注:このページをご覧になっている方が「魔女宅」を見てない、ということはまず無いと思いますので、あらすじ紹介などは 一切無し、以下の文章は既に作品を見ていることを前提とした駄感想文に近いものとなっています。ご了承くださいませ) さて、今さら改めて記すほどのことではないと思いますが、念のために書くと「魔女宅」は角野栄子氏の同名童話を原作として しています。だからでしょうか、本作に描かれる魔女(=キキ)と、一般的に魔女っ子アニメと呼ばれる作品に登場する魔女とは デザイン面の段階で明確な差異が認められます。 「魔法使いサリー」に端を発する魔女っ子アニメは「奥様は魔女」などアメリカ流に再構築された能天気な魔女をモデルとして いるため、基本的にポップでカラフルなものとなりがちです。(魔女裁判という負の歴史を持つ)欧州スタイルの主人公が活躍する 「魔女宅」は、それだけでも魔女っ子アニメの歴史の中では特異な存在だといえるでしょう。 そんなことを考えながら、知人に「 「魔女宅」って魔女っ子アニメだよな」と質問した ところ、「”魔女っ子”じゃなく”魔女子さん”だから違うだろ」 などと返されてしまいました。言われてみればそうなのですが、しかし一文字の違いなんぞ気にすることでもなかろうということで、 勝手に”魔女っ子アニメ”と認定して話を進めていきます。どうかご理解の程を。 | |
|
先に「デザイン面の段階」で他の魔女っ子アニメとは差異が認められると書きましたが、作中における「魔法」という存在の
取り扱い方でも「魔女宅」はかなり特殊となっています。 「魔女宅」の主人公であるキキは、分類するならば先天性の魔法使いです。一般にこの手の魔女っ子は夢野サリーや神崎メグのように 万能魔法の使い手として描かれるものです。先天性の魔法使いは現実世界とは別の住人であり、それならば色々な特殊能力が使えるはずという、 当然といえば当然の帰結によるものです。 ところが、キキは先天性の魔法使いでありながら「空を飛ぶ」能力しかありません。それ以外は、田舎に住んでいるせいで都会に強い 憧れを抱いているという、いたって普通の少女でしかありません。 | ![]()
|
|---|---|
|
しかも「空を飛ぶ」能力についても特殊性が低く設定されており、たしかに凄いけれども結局は人間の一芸に過ぎないという程度の
扱いでしかありません。それは例えば、驚異的な記憶力とか、ずば抜けて手先が器用である、とかいったようなものと同等の存在なのです。 と同時に、「魔女宅」の世界は魔法の存在を認識していながらそれを受け入れている、非常に特殊な世界となっています。「魔女宅」の 世界において魔法が特殊な、忌避すべきものとして扱われていないのは、先に記したような作中における魔法の描かれ方と決して無関係では ないでしょう。 なぜなら、魔法は人間の一芸でしかないのですから、それをタブーと見なす理由がないのです。ゆえに魔法は「魔女宅」の人間社会で 受け入れられているのです。 | |
|
ところで、作中においてキキは自分の「空を飛ぶ」能力を、血のなせる業と述べています。 魔女は血で飛ぶ、つまり、それは天性の才能であって努力して得られるような代物ではないのです。絵を描く才能、速く走れる才能、 音楽を生み出す才能…その種類は何でもかまわないのですが、特殊な才能というものは天賦の、生まれながらにして備えているものなのです。 しかしながら、せっかく天から与えられた才能でも、それに気付かず、磨く努力を怠れば、それはたちまちサビ付いてしまうことでしょう。 …その表現として使われたのが、作中でキキが「空を飛ぶ」能力を失うシーンだったのではないでしょうか。 | ![]()
|
誰にでも特殊な才能があるとはかぎりません。それを手にしているということは、それだけで素晴らしいことなのです。もしも、 あなたに何かの才能があるのであれば、それを自覚して、それを伸ばすように努力しなさい。宮崎監督は、そのようなメッセージを込めて 「魔女宅」という作品を紡ぎ出したのではないでしょうか。 | |