| 魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢の中の輪舞 (1985年7月10日 / OVA) | |
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〜大人たちの忘れてしまったもの〜 1983年末に産声を上げたOVA、その新しいメディアを舞台にして、なんと放送終了から2年もの時を経て「空モモ」の 新作が発表されました。それが「夢の中の輪舞」という作品です。 本作の発売に先立つこと1ヶ月、OVA「魔法の天使クリィミーマミ ロンググッドバイ」が発売されており、同年8月に 両作品が劇場公開された折にオマケフィルムとして「劇場の大決戦」が制作されました。それらの詳細は各項を参照くださいませ。 では、まずは本作の簡単なあらすじから紹介していきましょう。 宝くじで南極旅行のペアチケットを当てたパパとママは、モモにペットショップの留守番を頼んで出かけていきます。ところが二人を乗せた 旅客機は”南の真ん中島”上空に差し掛かった頃に突如として衝撃に襲われ、そのまま墜落してしまいました。事件を知ったモモは、すわ一大事と グルメポッポで救出に向かうのでしたが、こちらも”南の真ん中島”に近付いた途端に墜落してしまいます。 すべての元凶となっていたのは島の中心にそびえ立つ大山、その雲に隠れた頂の向こうに発見された謎のエネルギーのようでした。モモたちが 山頂についてみると、そこにはドーム状の町が逆さに浮いていました。 その町はペーターという名の少年が生み出した夢の場所で、訪れた大人は誰もが不思議な力によって子供に戻ってしまうというのです。 | ![]() ![]()
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ペーターの連れてきた大人になりたくない子供や、子供の頃に戻りたい大人たち。彼らの願いは巨大な夢のエネルギーを生み出し、それがこの国を
支えているのでした。 ところが、世界の各国はこの”子供の国”の原動力となるエネルギーを手に入れれば軍事的に圧倒的優位に立てると考え、”子供の国”に 軍隊を送り込んでくるのでした…。 …といったところ。 本作「夢の中の輪舞」では、ボーマン船長、プリンセス・レイ、怪盗ルピン親子、ジェイムズ・ギブミーなどのゲストキャラクターが総出演し、 まさに「空モモ」総ざらえの娯楽作品といった内容に仕上がっています。 あえて時間的な部分に言及するなら、まずモモの服装から第46話以前であり、そしてボトム大佐が出てきているところから第42話以降、 という期間に限定できるでしょうか。といっても、あくまで外伝的位置付けの作品のようですので、そういった細かいことは考えずに見るのが、 ここでのたしなみといったところかもしれません。 それはそれとして。 あらすじを見ると分かるように、子供だけが住む国、そして永遠の少年ペーター(「空モモ」第45話に出てきたピーターとは無関係です。たぶん)など など、本作は「ピーターパン」のアイデアを借りた物語となっています。 と同時に、その題材を使って「空モモ」本編ではあまり描かれなかった夢の問題を取り扱っています。 はたして、大人になることに夢があるのか? …というのが、それ。 ペーターは”子供の国”に人々を連れてきた理由について、「自分のことしか考えない大人たちは、常に戦争ばかりを行っている。そんな大人に ならないためには子供でいつづけねばならない」といった言葉を述べています。 この問いかけに対して、最終的にモモがどのような結論を出したのか。モモはアニメマニアを批判しているようにも思える回答を出すのですが、 ここでは詳しく触れずにおきたいと思います。…といっても、「空モモ」をご覧になった方ならモモの出した結論がどういったものなのか、だいたいの 想像がつくのではないでしょうか? MINKYMOMO in 夢にかける橋 (1993年5月21日 / OVA) | |
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〜ある少女の出会いと別れの物語〜 1992年、全63話で幕を閉じた「海モモ」は、その直後にテレビ未放送作品が三つ、さらにOVAが二つ 制作されています。そのOVA第一弾として発売されたのが「夢にかける橋」という作品でした。制作スタッフは基本的に「海モモ」の面々がそのまま スライドし、作画では堀内修氏とスタジオジュニオ組がメインとなっているようです。 この「夢にかける橋」という作品は「ミンキーモモ」(空版も海版も含めて)としては非常に異質な作品に仕上がっています。 物語の舞台となるのは、とある河にかかる橋。そこで知り合った人々は、必ず再び同じ橋の上で巡り合えるという伝説があります。 そこでの一人の少女と少年の出会いを軸として、物語はゆったりと動いていきます。 春がきて、暑い夏がすぎると、木々は色づいて、やがて全てが白いベールに覆われる。そして再び、春が巡ってくる…。 舞台を橋に限定したおかげで、そんな季節の移り変わりがより明確に感じられ、たっぷりと情感溢れる雰囲気の中で淡々と時が進んでいきます。 背景映像が重視されていること、魔法がほとんど絡んでこないということもあって、その演出は一時期の”ぴえろ魔女っ子”(特に「マジカルエミ」)を 髣髴とさせます。ドタバタギャグという従来の「モモ」のイメージとは完全に異なるものです。 | ![]() ![]()
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さらに面白いのは、この作品の主人公である少女は”モモ”ですらない可能性があるのです。作中で少女の名前が語られるシーンが一切 存在しませんし、パパやママ、そして三匹のお供も姿を現していません。姿かたちが似ているだけで、夢の魔法とは何の関係もない別人の物語 なのかもしれないのです。 形の上では魔法の力を失った後のモモを描いた物語のようにも見えますが、初代のモモでも、二代目のモモでも、どこかに住んでいる名も知れぬ 少女の物語という可能性だってあるのです(首藤氏は本作が「海モモ」の後日談であると断言していますが、湯山監督はモモでなくても成り立つ話 だとボカして語っています)。 ですから、スタッフは「夢にかける橋」を意識的に「モモ」らしくない作品に仕上げようとしていたのだろうと思われるのです。 タイトルに「魔法のプリンセス ミンキーモモ」とついていないのも、そのあたりが原因ではないでしょうか。 しかしその一方でまた、本作は「モモ」らしい作品でもあります。 主人公の少女は、橋の上で知り合った少年といつか再び出会うことを約束します。それから少女は毎日のように橋を訪れますが、少年の姿を 目にすることはありませんでした。 所詮、伝説は伝説。少年と再会するという夢は叶わないのかもしれない、と橋の袂で少女が佇んでいる姿は、まさに「海モモ」の終盤に通じる ものがあります。 で、結局のところ橋の伝説はどうなるのか? 最後のオチに関しては、これからご覧になる方のために記さないでおきましょう。ただ、いかにも といいたくなる結末が用意してある…とだけは書いておきます。 MINKYMOMO in 旅だちの駅 (1994年6月22日 / OVA) | |
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〜IF YOU MISS YOUR DREAM…〜 「旅だちの駅」は、上掲の「夢にかける橋」に続いて制作された「海モモ」二作品目のOVAです。どちらかというと設定があいまいだった 「夢にかける橋」と違って、こちらは明確に「海モモ」最終話の後日談となっていて、初代モモと二代目モモが競演するという内容になっています。 制作スタッフは、こちらも「海モモ」の面々が参加。脚本は面出氏から首藤氏にバトンタッチされ、渡辺浩氏がキャラデザイン・作画監督・絵コンテ・ 演出と大車輪の活躍をしています。作画陣はスタジオライブ組が中心となって「海モモ」の作画監督が名を連ねています。 簡単にあらすじを書くと、物語の舞台となるのは国の中心にあるターミナルステーション”中央駅”。その駅でモモとモモは偶然顔を合わせ、 共に再会を喜びました。その時、折からの豪雨に混じって雷鳴が響き渡ります。あまりの爆音に思わず目を閉じてしまった二人がそろそろと目を開けて みると…そこは先程までの中央駅とは様子が異なっていました。どうやら二人は時を遡ってしまったようなのです…。 と、こんなところになります。 本作は過去の駅で出会った謎の少女を軸として、改めて夢という「モモ」の中心的テーマを扱っています。 | ![]() ![]()
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「夢にかける橋」と比較すると、あちらがモモ自身(と、ここではしておきます)の経験を通じて”夢を忘れない”というテーマが描かれていたのに対し、
本作でのモモは完全に傍観者となって夢と相対しているのが特徴となっています。 作中、モモは自嘲気味に「(魔法を)使いたくても使えない」と語るように、彼女にはもう誰かの手助けをすることなどできません。 そんなモモに対し、作中の登場人物から下のような言葉が浴びせられます。 「あなたは何のためにここにいるの? 魔法が使えなくて、どうしてあなたはミンキーモモなの?」 夢の手助けができないような夢の国の住人に存在意義などない、という「海モモ」終盤で描かれた難題がモモの前に再び立ちふさがります。 たしかに、現在のモモは無力な存在でしかありません。しかしながら、それでもなおモモは世界中に人々に向かって叫ばずにはいられないのです。 決して夢をあきらめないでほしい、と。 初代モモという存在との対比もあって、二代目モモの夢に対するスタンスがストレートに描かれており、「海モモ」のテーマをそのまま引き継いで 描かれたのが本作だといえるでしょう。 ただ本作はテーマを剥き出しにしているわりに、その描き方がイメージ的なものに終始しており、そのため「海モモ」に思い入れの無い人にとっては 分かりづらい作品になっているように感じます。 あさりよしとお氏は「作り手のキャラへの思い込みの度合いが、ちょっと過ぎているんじゃないのかね。もっと気楽につくろうよ」と本作を 評していましたが、たしかに少しばかり肩肘張って作られたという印象を受ける作品だと思います。 ところで、この「旅だちの駅」には有名な裏設定が存在しています。「海モモ」の欄では省いておいた最終話に関するネタバレを含みますので、 その部分は反転して書いていきたいと思います。 「海モモ」の最終話で判明するように、パパとママは不治の病にかかっていて余命幾ばくもなく、子供を作ることのできない夫婦でした。 だからこそ二人は子供が欲しいと願い、それがモモが人間界で存在できた理由にもなっていたのです。 作中では細かいことが一切語られなかったパパとママの病気、これは湯山監督によるとエイズなのだそうです。そして、「旅だちの駅」でモモが一人で 列車に乗っているのは、パパとママの葬式の帰りという設定なのだそうです。 冒頭に出てくる「一人…慣れなきゃ」というモモの独白は、そういう境遇(お供の三匹が出てこないのは、ひょっとすると夢の消滅に合わせてこの世界から 姿を消してしまったからなのかもしれません)からくるものだったのです。 | |