あきんこママの妊娠生活から出産
妊娠
2005年1月1日元日
パパと私は当時住んでいたマンションの近くにある難波神社へ初詣に行った。その時私は密かに「今年中に赤ちゃんができますように」とお願いをしていた。昨年の11月に私たち夫婦は入籍をし、結婚式をまだ挙げていなかったので春頃にでもしようかと言っていた頃だった。
1月の終わり頃、生理が少し遅れていた。まあ、いつもの事だと思いながらもパパに「また生理が遅れてるよ〜」と言った。いつもならそんなに気にしないパパだったが今回は違った。「妊娠の匂いがプンプンする」なんじゃそりゃ?翌日、生理ではないが褐色の出血が少量あり、私はもうすぐ生理が来るんだと思っていた。しかし予定日より1週間経っても来ない。パパは私が妊娠したんだと確信し、妊娠検査薬を買ってきた。試してみると、はっきりと一本線が入っている。「うそー、妊娠してるよ!」パパは自分の予想が当たったのでとても自慢げだ。私は初めての妊娠ですごく驚いたけれど、とても嬉しかった。この日二人で舞い上がってしまった。でも心配だったのが、褐色の出血が3日ほど続いていた事と4月24日に決まった結婚式だった。
妊娠初期
翌日、早速近くの産婦人科へ行くことに。「妊娠検査薬で陽性反応が出たんです」と言うと先生は「じゃあ妊娠だね。今の市販の検査薬は病院の検査と変わらないからね」と言い診察をしてくれた。ちゃんと子宮内で着床しているようだ。一安心。赤ちゃんの心拍が確認できるのは1週間後だそうだ。無事育ちますように。病院に行って2日後、まだ出血が止まらないので不安で病院に電話をした。先生にこの時期の妊娠は自然に任せるしかない、胎盤が作られている時期に出血する人もいるから心配はないだろうと言われた。無事に赤ちゃんが育ちますように。次の日、日本は大寒波。私は風邪をひいてしまう。鼻づまりがひどく夜は呼吸がしずらくなり、とても苦しかった。症状はだんだんひどくなり仕事を3日間休んでしまった。
2月5日
検診の日。超音波で赤ちゃんの心臓が動くのが見えた。私のお腹で赤ちゃんが育っている。とても嬉しかった。赤ちゃんの大きさは4mmだそうだ。ちっちゃーい。妊娠6週目に入ったそうだ。風邪は良くなってきたものの、何だか気分が悪い。つわりなのかな?それからつわりは毎日ひどくなり、泣いてしまう日もあった。つわりを受け入れられない自分がいた。妊娠ってこんなにしんどいの?パパは私がつらいとマッサージをしてくれたり、家事をしてくれたり、励ましてくれて、とても頼りになる旦那さまだった。
2月15日
夜寝ていたらお腹がすごく痛くなった。生理痛のような痛みだ。痛みは結構長かったが、パパに腰をさすってもらいながら何とか耐えた。翌朝まだ痛みが少し残る感じがあったけれど、出血はしていなかったのでそのまま会社へ。会社に着いてトイレに行ったら大量の真っ赤な出血!病院に電話したらすぐに来るように言われ、会社の人たちに事情を話すとタクシーを呼んでくれて、至急病院へと向かった。「どうしよう・・・、流産したらどうしよう」不安でいっぱいだった。病院で診てもらったら切迫流産だと言われた。(切迫流産は流産しかかっている状態であり、決して流産ではない)赤ちゃんの心拍は確認できたので、とりあえず無事だそうだ。安静にしていれば、大丈夫だと言われた。今、妊娠8週5日目で赤ちゃんの大きさは1.84cm。出産予定日は9月23日だそうだ。それから3日間は外に出ることもなく、じっと家で安静にしていた。
つわりは結構ひどい。1日の半分以上はムカムカしている。コーヒー・紅茶・緑茶などのカフェイン入りの飲み物は全く飲めなくなってしまった。代わりにピンクグレープフルーツやオレンジなどのジュースばかり飲むようになった。数日前からつわりと共に胸やわきばらに神経痛のような痛みが走るようになる。時間も長く結構痛い・・。右胸だったり右脇腹だったり、場所は移動するが痛みは同じ。褐色の出血もまだ止まらないし、不安で病院へ。赤ちゃんは無事成長していて、2.4cm。でも子宮の中にまだ茶色の血があるそうだ。前に出血した古い血が残っているのだろう・・。子宮内の血が出るまであと数日出血するらしく、一応止血剤の薬と子宮の収縮を抑える薬を処方してもらった。神経痛のような痛みはつわりからくるもので自然に治るだろうと言われる。
2月後半はつわりでまだしんどいが、頑張って仕事に行くことができた。最近休んでばかりで会社の皆様には大変ご迷惑をかけてしまった・・・。なるべく休まないようにしよう。週末、体調はまあまあ良く結婚式のドレスを選んだり、打ち合わせをしたりした。ムカムカする時間が多少減ったような気がする。つわりのピークも過ぎたのだろうか。
3月5日、
検診の日。妊娠11週目。赤ちゃんの大きさは4cm。エコーで見ると、頭・体・足・手がはっきりとわかるようになった。だいぶ人間らしくなってきた。初期の流産の心配は97〜98%無いと言われ、一安心。赤ちゃんこれからも順調に育ってね。
3月7日
朝からムカムカがひどく、仕事に集中できない。何をしても気分が悪く会社で泣き崩れてしまった。次の日もつわりはひどい・・・。一時はマシになってきたと思っていたが、ぶり返したようだ。夜は吐いてしまう。ある日、ネットでつわりに効くというツボを見つけて試してみたら、ムカムカがなくなった。ツボが効いたのか偶然なのか、どっちにしろムカムカがなくなって嬉しい。家事もできるようになった。とても嬉しい。今度こそつわりよ、さようなら。
3月19日
検診の日。妊娠13週目に入った。赤ちゃんは無事に成長していて6.9cmだそうだ。先生が2〜3分エコーをとってくれて、動いている様子を見せてくれた。最近またつわりがひどくなってきた。簡単に吐いてしまうようになった。夜寝る前に歯磨きをすると必ず吐いてしまう。せっかく食べた晩ごはんが出てしまう。3月下旬、会社でも吐くようになる。でも吐くと少し楽になるので気分が悪くなるとトイレに行き、吐くようになっていた。つわりのツボなんてもう全然効かない。
結婚式の準備はまだあまり出来ていない。気分が悪いと何も出来ず、パパに任せっきりだ。パパがマンション探しもしてくれた。今のマンションでは狭く赤ちゃんのスペースが無いのでもっと広い3LDKマンションに住むことになった。妊娠してからやっと体重が0.4kg増えた。お腹がとても痛かったせいか、急にお腹が出てきた。子宮が大きくなっていたんだろうなあ〜。ジーンズが履けなくなり、妊婦用のゴムで伸びるマタニティジーンズを購入。4月に入ってからもまだつわりは治まる気配はない。この頃、大嫌いだったプチトマトが食べれるようになる。ムカムカするとプチトマトで口直しをしていた。プチトマトの次はアメリカンチェリーにハマる。値段は少々高いがつわりが楽になるなら安いものだ。カフェオレも飲めるようになる。でもまだ紅茶・緑茶は飲めない。油っこい物も苦手になったけれど、ポテトチップスとマクドナルドのポテトはつわり中のお口直しのエースだった。
4月6日
仕事中、初めて胎動を感じた。お腹をぐるっとかき回された感じでちょっと気持ち悪かった。とてもびっくりしたけれど、嬉しかった。4月15日、妊娠してからは体調を崩すことが多く仕事をするのが本当につらかったけど、今日で会社を辞めることになった。仕事をしていたからつわりが紛れた時もあったかもしれない。みんなと話しができるから元気でいられたのかもしれない。お世話になった先輩たちには本当に感謝している。
4月24日
いよいよ結婚式の日を迎えた。前日は緊張をしていたのかほとんど眠れず当日は栄養ドリンク剤を飲んだ。極度の緊張の為か式の間はつわりを感じる余裕すらなく、あれよあれよという間にお開きとなった。たくさんの人に祝福してもらえた事がとても嬉しく結婚式を挙げて本当に良かったと思った。(ご出席して下さった皆様本当にありがとうございました)
妊娠中期
陣痛
6月9日(妊娠24週6日)
16時頃アイロンをかけていたらお腹が張り出した。そしてお腹が張ると腹痛を伴うようになりとても痛かった。我慢していたがしんどくなり、ソファーに横たわる。40分おきくらいにお腹が張り、ひどい腹痛を伴う。夜になっても治らず20分、15分、10分とだんだん間隔が短くなる。お腹もだんだん痛くなる。これはやばいと病院に電話するとすぐに来るようにと言われ、病院に向かう。車に乗っている間も10分おきにお腹が張り、とても痛く車の中でうなっていた。21時頃病院に着き、すぐに診察してもらう。「お腹が張るとすごく痛いんです」と訴えると「陣痛ですね。子宮口も開いているし、赤ちゃん小さいからこのままだと後1時間で生まれます」と言われた。陣痛!?生まれる!?私はこの痛みが陣痛だとは気付かなかった。陣痛だったんだ。確かにすごく痛い。でもまだ24週なのに・・。まだ7ヶ月入ったところだった。出血もしていたようだ。私は突然怖くなり、足が震えた。涙が止まらなくなり、わあわあ泣き出す。
とりあえず看護婦さんに落ち着くように言われ、車椅子で陣痛室のベッドに運ばれる。ウテメリンの点滴を打ち、これからはベッドから起きてはいけないと言われる。おしっこもベッドの上、ご飯も寝たまま。点滴の針は長く太いので入れるのが難しいのか何度も失敗される。結局両手合わせて5箇所も打つことに。何人もの看護婦に失敗され、最後はドクターが打ってくれた。最初からベテランのドクターがしてくれよ〜。そして万が一赤ちゃんが生まれてしまった時のために、赤ちゃんの未熟で固い肺を柔らかくし呼吸を助ける為の副腎皮質ホルモンの注射を打った。お腹の張りを調べるモニターと赤ちゃんの心拍を取るモニターもお腹に付けた。お腹の赤ちゃんは元気なようだ。よく動いているし、心拍もちゃんと聞こえる。しばらくすると痛かった陣痛が少しずつマシになり、お腹の張りも間隔が長くなる。パパに両方の親に電話してもらった。陣痛室には旦那と母だけが入れるということで、私の母が朝一のバスで徳島から来てくれることになった。最初に担当してもらったH先生も夜中なのに駆けつけてくれた。H先生に「今生まれると非常に厳しいと思います。破水したらもう赤ちゃんを出しますが、それまでは1日でも1時間でも頑張って下さい。何とか1週間、出来れば2週間もってください」と言われる。はい、頑張りますと言いながらも私は1週間もたない事はわかっていた。ウテメリンで何とかお産は免れたものの、陣痛は無いわけではない。1日もつかどうかわからないと思った。パパは泣く私を励ましてくれた。
二人とも眠れない夜を過ごした。
朝になり、何とか危機を脱出したような気分だった。眠れなかったので少しくらい寝たかったが、陣痛はやはり定期的に来るので眠れなかった。6月10日金曜日、妊娠25週0日になった。昼過ぎ、母が到着した。母もH先生から説明を受ける。今生まれたら助かる確率は3分の1あるかないかと言われる。助かったとしても最も危ないと言われる生後3日間を無事生きられるかどうか・・と。でも健仁は私のお腹で元気に動いている。こんな元気な健仁が助からないはずはないと私は思った。だが先生の消極的な話を聞くと不安になるのはあたり前だ。パパは私の手を握り、涙を流した。そしてお腹の健仁に「ごめんね」と言った。私は「健仁は絶対助かるよ」と励ました。パパはずっと起きていて疲れていたので、私の母と交代した。夜までは何とか持ちそうな気がしたので、パパには一旦家に帰って休んでもらうことにした。
夕方4時頃お腹の張りが強くなり、陣痛の間隔がまた短くなった。7分間隔くらいだったろうか。とても痛い。涙が出る。いきみたい感も強くなる。何だか便を出したい感じがした。どうせしばらくベッドの上でしないといけないんだから、我慢せずにしたい時にしようと思い看護婦さんに「すみません、うんちしたいんですが・・」と言うと「ごめんなさい、うんちはいきんでしまうから駄目なんです。今いきんだら赤ちゃん出てしまうので我慢して下さい」と言われた。そうですか、と我慢する。結局あれは便を出したかったのではなく、赤ちゃんを出したいといういきみ感だったのだ。おしっこをする度に出血をしている。その後も陣痛はひどくなる。ウテメリンの量をさらに増やし陣痛を抑えようとするが、効かない。看護婦さんに「もう無理です、もう赤ちゃん出したいです」と訴えるが、お母さんがそんな弱気になったら駄目だとベテランナースに怒られる。そんな事言ってももう出そうなんだもん。ウテメリンを強くした為、副作用が出始める。熱が出て体が熱い、足が震える。腰も痛くなり寝ているのがとてもつらかった。とても気の利く看護婦さんが腰に暖かいタオルをひいてくれて、何とか痛みを耐えた。
夜10時頃、何とも言いがたいとてつもなく強い陣痛に襲われる。と同時に何か下でパンという音がした。破水したかも。またモニターを見ていた看護婦とドクターがやってくる。今度こそお産になりそうだ。もう3分間隔くらいで陣痛がきている。お母さんの言っていたもっともっと大きな陣痛とはこの事か。もう赤ちゃんが出そう。とてもいきみたい。もう我慢できない。健仁はお腹にいるのがしんどいのだろうか。それとも健仁はしんどいって言って泣いているママを気づかって出ようとしているのだろうか。ドクターが診察をする。「もう破水してますね。赤ちゃんの頭も降りてきているし、もう出しましょう」と言われる。健仁、ママ我慢できなくてごめんね。絶対に生きてね。分娩室に運ばれている時も大きな陣痛が来て、本当に出そうだった。赤ちゃんがとても小さいので陣痛の勢いだけで出てしまいそうだった。陣痛は1分間隔くらいになり「もう出る〜もう出る〜!」と叫びながら分娩室に運ばれた。しかし、まだ赤ちゃんを処置する用意ができてないから、もう少し待ってと言われる。ドクターがもう出そうな赤ちゃんの頭を押さえる。もう次の陣痛きたらもう絶対無理〜!早くしてくれ〜と思った。助産婦さんたちは私がいきまないように横でヒーヒーフーをしている。私も頑張って真似する。分娩室の端で小児科の先生たちが赤ちゃんを受け取る用意をしていた。用意ができると、はい、いきんで!と言われ、とうとうお産が始まった。健仁はとても小さいので、3回いきむと出てきた。
産声は私には聞こえなかった。そして健仁を取り上げてくれた女性ドクターの動きが一瞬止まり、隣のドクターと二人で顔を見合わせた。え!?何?何かあったの?しかしすばやく健仁を小児科のドクターたちに渡し、健仁は処置された。生きてる?大丈夫なの?不安な時間が過ぎる。どうやら健仁は産道を通る時、隙間に左手を伸ばしてしまったらしく産道と自分の頭の間に手が挟まってしまい、左手を内出血していたようだ。本当によく無事だったと思った。そして私は胎盤を出す為にいきんでいたが、横で処置されている健仁が心配で心配でたまらなかった。私の胎盤は検査に出す為保管された。後でパパが私の胎盤を見たそうだが、胎盤の一部がたらこのように腫れあがっていたそうだ。異常を起こしていた部分だろう。健仁はしばらく処置されると寝ている私の側に寄せてくれた。そして、「お母さん、触ってあげてください」と言われ、健仁の小さな小さな手を触った。「健仁、ママだよ」健仁はまだ人間になる途中の小さな小さな子だった。しかし産まれた直後、自発呼吸があったらしく状態が良かったそうだ。それで私に触らせてくれたのだ。その後健仁はNICU(新生児集中治療室)へと運ばれる。健仁は6月10日、22時32分、464gという小さな体で生まれた。私は突然お腹の中から健仁がいなくなった事をとても寂しく思った。そして、早く生んでしまった事をとても後悔した。健仁は私が苦しんでいるから出てきたんだと思った。「ママが泣いているから僕が外に出て頑張るよ」と言ってくれたような気がした。健仁、早く生んでしまって本当にごめんね。そして無事に生まれてきてくれてありがとう。
産後
2時間後私はようやく起きる事を許された。そしてパパと一緒にNICUにいる健仁に会いにいった。健仁は保育器の中にいた。そして、やはりまだ自分で呼吸ができないようで呼吸器をつけていた。ドクターからこれからの事、そして超未熟児に起こるであろう病気と症状の説明を受けた。あまりにも多すぎて、私はほとんど説明の意味がわからなかった。覚えている事といえば、「退院の目標は出産予定日あたり、体重2000g〜2200gぐらい」「生後は体内の水分が出るので体重が減ること、健仁の場合は小さいので出生体重に戻るのに1ヶ月近くかかるという事」「お腹にいるべき時期にベッドで寝ている為、超未熟児は頭が細長くなる事(小学校に入る頃には直るそう)」それくらいしか覚えていない。そして昨日から寝ていないので、頭がぼーっとしている。詳しいことはまたパパに聞こう・・・。私は超未熟児を生んでしまった事がどれほど大変なことか、そしてこれからどれだけつらく苦しい日々が待っているのかこの時はわかっていなかった。ただ無事に出産を終えて、健仁が今生きているということだけで満足だった。
その後、パパと私の母は家へ戻り、私は産後の入院中の部屋へと案内され夜中の2時頃ようやく寝ることができた。看護婦さんが健仁の写真を持ってきてくれた。頑張って懸命に生きようとする健仁の姿だった。そして写真の横に「誕生おめでとうございます」と書いてあった。きっと誰からもおめでとうなんて言ってもらえないと思っていたので嬉しくて涙が出た。健仁、これからたくさんの試練があるけれど一つ一つ乗り越えて頑張って生きてね。いつか元気に退院してみんなから心からおめでとう!と言ってもらえるように一緒に頑張ろう。
翌日、看護婦さんに「おっぱいを搾ってみましょう」と言われ、おっぱい搾りに挑戦した。私は正直、息子が生きられるかどうかという大変な状況にある中で、おっぱいを出そうという気持ちにはなれなかった。搾乳室で看護婦さんにマッサージをされながら泣いてしまった。看護婦さんは「赤ちゃんは今一生懸命頑張ってるよ。ママも頑張っておっぱい出してあげて。ママのおっぱいが赤ちゃんには一番の薬だから。」と励ましてくれた。今の私が健仁にしてあげられる事はおっぱいを搾ること。この日、小さな注射器に3ccほどの母乳が出た。早産でもおっぱいは出るんだと感動した。これからは3時間おきに搾るようにと言われた。
面会時間にパパと一緒に健仁に会いに行った。私の母、そして広島から駆けつけて来てくれたパパのご両親も来てくれたが、NICUは両親しか入れないので、せっかく来てくれたのに写真しか見せられなかった。パパは健仁に会えて嬉しそうだった。そして健仁に色々と話しかけていた。私は対照的で超未熟児を生んでしまったという現実が自分を苦しめ始めた。健仁の顔を見てもつらく涙が出るだけで、何も言えない。早くこの場所から逃げたかった。健仁、本当にごめんなさい。しんどい思いをさせてごめんなさい。健仁はとても小さいので、ここの大学病院ではずっと見れないと言われる。大阪にあるNICU専門の病院、そして未熟児をたくさん助けてきた実績のある病院に転院する予定だと言われた。転院先が決まったら健仁の状態が良い時に転院するそうだ。夕方、健仁はおしっこが出たのでミルクを飲み始めていると看護婦さんが教えてくれた。本当に!?健仁は私の搾った母乳を飲んだのだ。嬉しかった。

翌日、私は少しずつおっぱいが出るようになり、注射器ではなく普通の哺乳瓶に搾るようになった。同じ部屋で入院していたお母さんと赤ちゃんが共に退院した。ここの部屋は母子同室なので赤ちゃんの泣き声を聞くのはつらかったので退院してくれて正直ホッとした。それからは入院してくるのは出産を控えたママたちばかりだった。(病院側が気を使ってくれたのだろうか?)だから明るく話しが出来、友達になれた。1人目を帝王切開で出産し今度は自然分娩を希望しているNさん。切迫早産で入院する事に。もう1人は6回の流産を乗り越え、7回目の妊娠でやっと臨月までこぎつけた双子を妊娠中のKさん。二人の話を聞いているとつらいのは私だけじゃないんだなと思った。私よりもっとつらい思いをしている人はたくさんいる。それでも元気でいられる。私も元気になろう!一生懸命頑張っている健仁と向き合っていこうと思った。
6月14日
転院先(大阪市にある総合病院)も決まり健仁の状態も良いので夕方救急車で運ばれることになった。救急車まで運ばれる途中廊下ですれ違った一般の人が健仁を見て「ちっちゃ〜い、かわいい〜」と言った。かわいい?健仁が今どんな状況にいるのか知っていたらきっとそんな言葉は出ないだろうな。私は外出許可をもらい、パパと一緒にこれから健仁がお世話になる病院へと向かった。あんなに小さいのに車に乗っても大丈夫なんだろうか?とても心配だったが、健仁は無事運ばれて眠っていた。大学病院で3日間お世話をして下さったドクターが今日は朝まで健仁を見てくれるそうで安心した。ここは実績のある病院で看護婦さんもとても優しく丁寧な方でここならきっと健仁を助けてもらえると思った。
次の日、私は無事退院した。家事は当分休んでゆっくりしてください、と看護婦さんから言われたけれど健仁に会いたくて退院してから毎日のように病院へ通った。家に居ても心配でしょうがない。けれど、健仁を見たら涙が出る。こんな日々が続き、家でも泣く日が続いた。パパにはいい加減泣くのはやめたらどう?と言われ、「ママが泣いても何も変わらないよ。泣くってことは健仁が助からないと思うからでしょ?どうして健仁を信じてあげられないの?」と言われた。私は「健仁を産んでいないパパには私の気持ちなんてわからない!」とひどい事を言ったりもした。けれど私は健仁がダメだと思って泣いていたのではない。本当は健仁につらい思いをさせてしまって申し訳ないと泣いていた。健仁がしんどい時は私も泣いて健仁のつらさを共有したいと思った。パパはこの時私にもっと強くなって欲しいと思っていたようだが、私の気持ちを理解してくれ、それからは私が泣いていても何も言わなくなった。