● 多分、もうすぐ日本から布が消える。!!・・・生活文化の窮状 1
English Here
「多分、もうすぐ日本から布が消える。!!」
・・・と、突然そういうことを言われても、何の事やら、戸惑うでしょう。
もちろん、皆さんを驚かそうとして、こういうことを言っているのではないのです。
"布"といっても、ここでいうのは、伝統的な手法でつくられた自給の為の"手織りの布"についてですが、
「もうすぐ消える。!!」というよりは「もう消えてしまった。!!」と言った方が正確かもしれません。
高度に商業・流通のシステムが発達した現代の日本では、「なぜ、そのようなものが重要なのか。?」
・・・という話になるかと思います。
「別に布など自分で作らなくとも、多様なものが妥当な価格で入手できる。」
・・・と理解されている事が一般でしょうし、密接な経済と流通でほぼ全世界が結ばれているような今日では、
ある意味で、それは正当な理解です。
そのような状況の中では「自分で作る布」は、趣味的な手芸の位置でしかありません。
つい数十年前までは、我々の生活を支え共にあった「布と製布の技術」は、我々の手から失われ、
今日の我々にとっての布や衣服は、現在では「我々の要求を満たす商品」としての意味合いが主となっています。
もちろん、これ等は産地の機場以外についての場合ですが、・・・
かろうじて、自分や家族の為に費す事が目的で布を織った経験がある人と云うと、
現在80歳代後半の方から、90歳代の方になってしまうと思われますが、
90歳代の方でも、自分で織ったというよりは、・・・
家族の誰かが織っているのを見た事があるという経験に留まる場合の方が実際は多いと思います。
また、75歳〜80歳代後半の方のうちの少数が、家庭や親しい近所の家で行われていた機織りについて、
目撃した経験がある最後の世代だといえるでしょう。
今、本稿では「布」を中心的なテーマとしてとり上げて扱ってはいますが、もっと大きな観点から言うなら、
前述のような、「じぶんの手のうちに在る、ものや技」が、「商品として消費されるもの」として変化して行くのは、
我が国の場合では、"高度成長期"が大きな転換のポイントとなっていると思われます。
この時期に、じぶんの手のうちに在る衣食住にまつわる多くのものが、
社会システムの中の生産・流通・購入というプロセスを通して入手する、「専門的に工場で生産される商品」へと、
変化して行ったのではないでしょうか。
そして、「このような変化が、我々に何をもたらしたのか。」という点です。
すこし、この"高度成長期"と謂われる時代の事を振り返ってみると、
主婦運動から発展した消費者運動が生まれ、社会の中に消費者と云う位置付けができてきています。
また、今の少子化とは逆の、後に団塊の世代と謂われる多子世代の成長に伴い、教育・進学競争が生じています。
そして、テレビが一般家庭に十分普及し、ひとが日常的にマスメディアに接するようになり、
マスメディアから発信された発言が生活の中に浸透し易い環境整備が成立しています。
また、「専門バカ」という言葉がよく使われた時期が在る事でもわかるように、
狭い範囲を専門とする職能や実務労働よりも、物事を広く浅く早く咀嚼し人のつながりを作り上げビジネス化する事に長けた
労働のスタイルが、前者よりも評価される様になってきています。
この事は、後の、自己表現やパフォーマンスの時代と云われた社会現象や、
"自分探し"や"癒しの渇望"などにも関係してくるとは思うのですが、
過剰なコミュニケーションによって得た充実感でしか、自己や自我を安定する事ができない。というような、
今日的な欲求に結びついているように思います。
このような、時代と価値観の変化に伴って、・・・
「じぶんの手のうちに在る、ものや技」によって作られる自給の為の布は失われて行きました。
また、何よりもまして重要なのは、「私たちの手うちから、文化として受け継がれて来た技も同時に失われてしまった点です、」
どうやら。この"高度成長期"というマスの価値観に乗る事が正義であった時代の人々一般からすると、
まず、「自給」という事が、"非近代的で時代遅れのカッコウの悪い事"であったようです。
なぜこの時代に、「自給」という事と、「非近代的で時代遅れのカッコウの悪い事」という価値観が、
短絡的に結びついてしまったのかという理由については、疑問も多い点ですし、その理由も一様ではないと思われますが、
この"高度成長期"に於ける我が国の国際化という要求と、明治期の西洋化に於ける国家の文化戦略の歴史とが、
イメージ的に結びつき「国際化=西洋化=脱アジア文化=脱伝統的な我が国の生活文化」というような論理になって顕われ、
そして、その結果、「自給」は。伝統的な我が国の生活文化や、アジア文化に属する非近代的なものという、
位置づけが為されたのかも知れません。
私たちの手のうちから、「これ等、衣食住の自給にまつわる文化が失われていった過程」について、
分析し考察を加える事も大事ですが、しかし、より重要な事は、「衣食住の自給にまつわる文化の価値の再認識」と、
「これ等、衣食住の自給にまつわる文化の廃絶に伴う、将来的な我々の在り方の変化」について考える事だと思うのです。
「ひとつ、このような布が廃絶された。」という事を、我々はもっと、深刻に受け止めなければならないのではないかと考えます。
何故なら・・・
このひとつの廃絶によって、我々は、脈々と受け継がれて来た文化の連続性を断たれたという事に他ならないからです。