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布の文化誌

● 多分、もうすぐ日本から布が消える。!!・・・生活文化の窮状 2

English Here


「私たちにとって、布とは、どういう意味を持つのか。!!???」



 本稿に於いて「布」を通しての視点より扱おう試みるのは、「前述のような変化が、我々に何をもたらしたのか。」という点です。

「自給」という事が、"非近代的で時代遅れのカッコウの悪い事"というような理解をされる価値観の定着によって、

布は、自給材としての位置づけから、購入によって得る生活材へと、その位置を変えて行きました。

そのような価値観が定着した背景は、複雑で単純なものではありませんが、

伝統的な地域社会とその文化が、近代的・文化的という事を売り物にすろ都市型の文化に浸食されたという一面も見えて来ます。

近代的・文化的というキャッチコピーやイメージで飾られた都市型の文化は、特に当時の若者層の心を強く惹きつけた事でしょう。

そして、集団就職や就学などの機会を捉えては、地方の若者層は都会へと流入して行きます。

特に留意すべきは、ここに、地域経済や地域文化の衰退や過疎化問題の原点があるという事です。



 この「布の文化誌」というコラムに於いて、このような地域経済や地域文化や過疎化の問題まで、拡げて扱うには荷が過ぎますが、

これらの諸問題と、この「布の文化誌」で扱おうとする、自らの手のうちにある布の文化問題とは、

決して無縁ではないという点にだけ触れ、その事を明言しておきたいと思います。

そして、少し端的にいうならば、今我が国が抱える社会・経済・環境・文化の諸問題の多くの原点が、

この時期から始まっていると言っても過言ではないとの判断できるように思います。



 このように、我が国の幾つもの領域や分野に於いて、この時期を発端とする問題が重層的に生じるという事は、

常識的に云うと、この時期に国家の戦略としての重大の間違いがあったと云えるのではないでしょうか。





 例えばですが、自給の為の製布技術は、「自給」がカッコウ悪い事と感じる当時の若者層には受け継がれなくなって行きましたが、

そこでは何か起きていたと理解すべきなのでしょうか。

 下に示したものは、「自然・文化・ひと社会の関わり」と題したイメージ図ですが、これを御覧頂いて何が感じ取れるでしょうか。






 この図に当てはめて云うなら、"布"という"もの(物質)" は、大まかにいうと、2つのソフト(技術系統)に支えられています。

先ず一つ目は、自然の場から素材を得る為の、採取・栽培という自然利用の技術であり、

二つ目は、目的の"もの"を得る為に、得られた素材を順次加工して行く技術です。

 これ等、自然利用と素材加工という二つの技術は、"ものの文化(物質文化)"と密接な関係で存在し、

わたし達は、これ等二つの技術を巧みに使いこなす事によって、自然の場から"もの"を得ています。

 これ等二つの技術は、言わば、わたし達と自然の橋渡しの役割を担っています。



 上のイメージ図に示したように、これ等の技術が帰属する領域である "文化" というものをわたし達が持ち理解する事に依って、

わたし達は自然の場との交換が可能になります。

また、わたし達が持つ文化の質によって、自然の場との交換の質・関わり方の質が変化します。



 このような理解を前提とするならば、このような自然・文化・ひとの関係に依って成立していた、

"自給の為の布"が無くなったという事からは、どういう事が読み取れるのでしょうか。?



 現在のわたし達の暮らしでは、上のイメージ図の"自然利用と素材加工の技術"が帰属する"文化の場"担っていた役割が、

専門的な工場背生産される製品と、その流通とによる、"商業経済"によって、取って代わられています。

この変化は、わたし達に何をもたらしたのでしょうか。?





 もし、いうように、そのような"布"が無くなったとしても、

「ちゃんと製品として生産される"布"が生活の中の布の役割を果たしているのだから、別に不都合は無いのではないか。?」

・・・と感じられる方が多勢だとは思います。



 実際問題として不都合が有るか無いかの点に限って言うと、現代の高度な流通経済に支えられている日本に於いては、

生活の中で不都合が生じるような事は、まず有リ得ないでしょう。

 しかし、"文化"という視点からではどうなのでしょうか。?

以降は、この点に焦点を絞って進めたいと思います