戦争展展示前文(トップ) 軍事施設 造兵廠 補給廠 軍需工場 民間戦争遺跡 現在は? グーグル地図 Q&A
陸軍最大の工場で、三菱重工業名古屋発動機製作所大幸工場(軍需工場)と並んで日本でも有数の爆撃目標で激しい爆撃を受けて廃墟となりました。当時、強制連行の朝鮮人も働かされたそうです。1945(昭和20)年8月14日4機のB−29による模擬原爆(1万ポンド=5トン爆弾)による爆撃の対象にもなっています。この時4発投下され、3発は鳥居松製造所に、1発は陸軍造兵廠鷹来製造所に落ちました。ちなみにこれと同じ日、3機のB−29によって豊田市にも模擬原爆による爆撃があり、その爆撃でできた穴が戦後もトヨタ自動車の工場構内に長い間そのままになっていたそうです。鳥居松製造所跡からここ(会場の守山区役所)までは3kmしかありません。もし落とされたのが本物の原爆だったらどういうことになったか想像してみてください。他にも東海地方への模擬原爆の投下は広島に原爆を落としたB−29「エノラ・ゲイ」が同年7月26日八事日赤付近に行っています。
今は王子製紙春日井工場になっています。写真に写っている他に構内には射撃場、変電所、標柱等も残っているそうですが、立入禁止で見ることができません。

爆撃の被害者の慰霊碑グーグル地図です。わかりにくいですが赤い歩行者信号の少し左に写っています。東門の近くにあります。

射撃場の周辺にあった塀ですが塗り直されてしまっています。以前は薄いながら写真撮影を厳禁する主旨の文字が見えたそうです。

JR中央本線春日井駅(当時は国鉄中央本線鳥居松駅)からの引込線が構内に入る門グーグル地図です。

戦後すぐ撮影された写真で、廃墟となった状態です。
春日井市は、バラバラにあった陸軍造兵廠の鳥居松製造所、陸軍造兵廠鷹来製造所、陸軍造兵廠鷹来製造所西山分廠を効率良く使うために1943(昭和18)年6月1日勝川町、鳥居松村、篠木村、鷹来村が合併させられてできた市です。中心になる市街がなかったり、JR中央線「春日井駅(旧称・鳥居松駅)」と名鉄「春日井駅」がとてつもなく離れているのはこのためです。
川向かいにある陸軍造兵廠鳥居松製造所が空襲を受けた時に従業員が逃げるための穴で、竜泉寺のすぐ近くに縦0.7〜2m、横1〜2m、長さ10〜25mの穴が5本あったそうです。確認はできなかったものの99年の調査でそれらしい穴の跡を発見しました。崖に近い急な斜面の上の方で、足元には庄内川とその向こうの王子製紙春日井工場を見ることができます。
当時小学校には天皇の写真があって「ご真影」と呼んでいたのですが、空襲の時には守山小学校からここにご真影を運び込んだそうです。
鷹来製造所本館は現在名城大学農学部の事務棟として使われており、正面には陸軍のマークである☆を外した跡があり、また飛行機からわかりにくいようにするために屋上に植えた草が今もそのままあるそうです。また、春日井総合体育館角に名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所跡の碑があります。写真は鷹来製造所跡地の一部、名城大学の農場です。

当時、強制連行の朝鮮人も働かせたそうです。
今は鷹来中学校、名古屋市水道局浄水場、松下精工、名城大学農学部、春日井市清掃局、春日井総合体育館などになっています。
現春日井市内にバラバラにある造兵廠から兵器を運ぶために、JR中央線春日井駅(当時は鳥居松駅)から陸軍補給廠春日井分廠(補給廠)の前を通り陸軍造兵廠鷹来製造所東側を通って陸軍造兵廠鷹来製造所西山分廠まで引込線が作られました。線路の跡はほとんど残っていませんが、国道155号線をまたぐために作られた鉄橋が残っています。

国道19号をまたぐための橋もかなり最近まで残っていたそうです。
陸軍製造所引込線が国道155号を跨ぐ陸軍造兵廠鷹来製造所引込線跨橋を過ぎてそのまま3分程北へ道なりに歩くと、西山分廠の入り口だった鉄の扉が残っています。構内にはプラットホームなどが残っているそうですが立入禁止です。

当時、強制連行の朝鮮人も働かされたそうです。
今は陸上自衛隊春日井駐屯地(現在は?)になっています。
ここも激しい爆撃を受けました。写真は当時爆撃をしたB29からの撮影。

下の写真は千種公園内に被爆し残されている古い塀グーグル地図です。ここで働いていて爆撃などで死んだ人の慰霊碑もあります。今は千種公園、住宅地、若水中学、千種聾学校、東市民病院になっています。この北端に国鉄(現JR)中央本線からの引込線グーグル地図がありました。
