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旭ヶ丘小学校校歌の裏話
昭和46年、当時の6年生が修学旅行で奈良へ行った際、バスガイドさんから「皆さんの校歌を歌って下さい」と言われたが、当時は、校歌が無くたいへん恥ずかしく、寂しい思いをしたのがきっかけとなり、校歌を作ろうという声が湧き起こった。
児童会では、早速全児童から歌詞を募集し(20点ほどが集まった)歌詞を選定。続いて曲を募集し(34曲集まる)審査し現在の校歌となったものです。
ただし、この歌も[校歌]としては認知されないままに、児童の間では歌い続けられてきた。 またPTAでは、特別会計に「校歌基金」というものが従前よりあったが、毎年毎年手つかずで繰り越されてきていた。(PTA予算の厄介なお荷物になっていたらしい)
昭和51年のPTA総会で「いつまでこの状態を続けるのか」との質問が出され、実行委員会で本格的に検討されることになった。
また、職員会議では、「すでに児童たちの間では、「校歌」としてなじんでいる。有名な先生に依頼し大金を払うモノと比較すれば完璧なモノとはいえないが、それほど見劣りするとも思えない。それよりもね本校の児童が作詞作曲したものの方が価値が高い。と評価し、これを正式な校歌として採用したい」との結論を出された。
実行委員会では、職員会議の意向を尊重し、校歌の掲示周知の具体的な方法については学校側に一任することで了承した。
PTAだより147号 S51.9.25