1.4 主要論点

否定派の主な主張とそれに対する肯定派(主として史実派)の反論は、次の通りである。

(1)人口20万しかないのに30万は殺せない!

手っ取り早く南京事件の存在を否定するときに使う常套句だが、30万虐殺は否定できても南京事件の存在そのものを否定することはできない。

(2)直接的な証拠はほとんどない!

これも否定の理由として良く使われるが、国際委員会の米国人の証言はほとんどが伝聞に基づくもの、中国人の証言はあてにならない、写真はニセモノばかり、といった主張である。確かに伝聞によるものや誤解・誤認の証言もあるが、内容が具体的で信憑性が高いものも少なくない。否定派は伝聞=偽情報であるかのように言うが、伝聞がすべてウソだというわけではない。また、軍人を含む日本人の証言や事件があったことを裏付ける軍中央の行動記録も残っている。

(3)東京裁判(極東国際軍事裁判)まで誰も問題にしていない!

{ 中国政府の記録にない、国際連盟も議題にしていない、米・英・仏等からの抗議もない、米・英のマスコミも殆ど取り上げていない、(日本で)箝口令など布かれていない}、田中正明氏は「南京事件の総括」註14-2 でこのように述べ、南京事件は東京裁判で捏造されたと主張する。
これに対して史実派は、{ 中国共産党機関紙や国民党機関紙に掲載されている、国際連盟は日本の中国侵略に対して非難する決議を採択している、アメリカではニューヨ-クタイムズなどで報道されている、日本では報道規制のために不法行為については報道できなかったが、外交官や軍の関係者は知っていた。}などと反論し
註14-3、世界では南京事件の存在を認識していた、としている。

(4)捕虜や便衣兵の殺害は違法ではない!

否定派の東中野氏は、捕虜として収容しても反抗するなどやむを得ない事情で殺害したのであり、合法である。また、軍服を脱いで安全地帯に逃げ込んだ敗残兵(便衣兵)を摘出して処刑しても、国際法違反ではない註14-4、と主張する。
しかし中間派の秦氏は、{ 捕虜として受け入れた敵兵を正当な手続きをふまずに処刑するのは国際法違反である。また、便衣兵は捕虜と異なり、状況によっては即時処刑されてもやむを得ないが、市民と区分けする裁判などをせずに処刑することは許されない。}
註14-5 と述べている。

(5)市民の殺害者数は50人ほどしかいない!

{ 中華民国の公式見解である「南京安全区档案」に記録された殺人事件は25件、被害者52人、そのうち目撃された事件はわずか2件、しかも9割以上が伝聞で信憑性は低い。}註14-6 否定派の東中野氏はこのように主張する。
「南京安全区档案」は、国際委員会が日本軍に抗議した文書などをもとに編集したもので、南京で起きた市民への暴行を網羅的に調査したものではない。市民の殺害者数に関して最も信頼できる資料とされているのが、通称「スマイス報告」と呼ばれている報告書で、中間派の市民殺害者数はすべてこの調査結果を基に算出されている。スマイス報告では、市内及び農村部を調査員がサンプリングしてヒアリングを行い、統計的に被害者数を推定している。

南京市内上海路の風景
南京市内上海路の風景(2016年5月撮影)。ここは、安全区の中心部だった。

(6)中国軍による攪乱工作があった!

{ ニューヨークタイムズ及び上海でアメリカ人が発行する「チャイナ・プレス」の記事に「安全区に潜んでいた中国軍の将校らが攪乱行為を煽動したことを白状した」との記事があり、それを裏付ける傍証もある。}註14-7 東中野氏はこのように主張する。
安全区に潜んでいた中国軍将校らが日本軍に逮捕されたのは事実だが、攪乱行為をした事実を裏付ける直接的な証拠はみつかっていない。報道されたこの事件は国際委員会の記録によれば、中国人同士のいさかいである。この記事の情報源は日本の憲兵隊であり、日本軍の悪行の噂を少しでも和らげるために流した可能性が高い
註14-8 。日本軍の悪行はたくさんあるのがわかっていた彼らが、見つかれば処刑されるリスクを犯す必要があったのか、疑問である。

(7)事件があったことをどうやって証明するのか?

秦氏は民主党オープンフォーラム<2012/3/29>で次のように述べている。(南京事件が)あったと言う証拠はうんざりするほどあるが、日本軍の公式資料である戦闘詳報に『捕虜処分7000人』などと書いてある、松井石根司令官は死刑になるとき『お恥ずかしい限りです』と告白している、外務省東亜局長石射猪太郎は『日本軍の堕落はこんなにひどいのか』と日記で嘆いた、日本軍の当時の公式・半公式のデータは他にも多数ある、などと指摘した後、{ 裁判でシロクロを争うとき、確実なクロの証拠が2つあれば有罪にできる。}註14-9


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1.4 節の註釈

註14-1 <南京城区の人口>  笠原:「南京事件」,P220

{ ・・・南京攻略戦が開始されたときに、南京城区にいた市民はおよそ40万~50万人であったと推測される。}

註14-2 <東京裁判で捏造された!>  田中正明:「南京事件の総括」,P78-P110

「虐殺否定15の論拠」のうち、関連する論拠は下記のとおり。

・第 9 の論拠; 何応欽上将の軍事報告

・第10の論拠; 中国共産党の記録にもない

・第11の論拠; 国際連盟も議題にせず

・第12の論拠; 米・英・仏等からの抗議もなし

・第13の論拠; 米・英のマスコミ殆んど取り上げず

・第14の論拠; 箝口令など布かれていない

註14-3 <史実派の反論> 南京事件調査研究会:「南京大虐殺否定論 13のウソ」

・{ 中国共産党が発行していた週刊誌「群衆」の第一巻第4期(1938年1月1日発行)で「・・・とりわけ南京市の大虐殺は・・・」として記載され、以降も機関紙などで報道されている。}<要約>P65-P67 

・{ 蒋介石は1938年1月22日の日記に南京虐殺のことを書き、1938年7月発行の「世界の友邦に告げる書」で南京とは明示していないが日本軍の残虐行為を指摘し、1938年12月の国民党機関紙にも日本軍が「同胞20万の血を奪った」と記している。}<要約>P62-P65 

・{ 国際連盟は日本に対して、1938年9月に都市爆撃、10月に9ケ国条約などへの違反、について非難決議をしている。}<要約>P45 

・{アメリカでは、事件初期に南京で取材していたニューヨーク・タイムズの・・・報道をはじめ、南京事件が多くの新聞・雑誌に報道されていた。}P42 

・{ 日中戦争が始まると報道統制はいっそう強化された…}P29、{この事件の発生をいち早く知ったのは外交官僚のようだ。}P31、{南京事件に関するこうした情報は、軍内部でかなり広範囲にひろがっていた。}P32

註14-4 <便衣兵の殺害> 東中野修道:「南京虐殺の徹底検証」,P194-P195より要約引用

交戦者は、【ハーグ陸戦法規が定める】4条件を満たせば、捕虜となる資格が生ずる。しかし、支那軍正規兵はその4条件を蹂躙し、捕虜となる法的資格を失っていた。捕虜となる資格がなければ、捕虜としての人道的扱いは適用されない。

・資格1:「部下の為に責任を負う者其の頭に在ること」 → 南京陥落直前に南京死守を主張していた最高司令官(唐生智)は武漢に逃亡してしまった。・・・このため、支那軍は「部下の為に責任を負ふ者」を持たない無統制の集団となってしまった。

・資格2;「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること」 → 支那兵は軍服を脱いで、安全地帯に潜伏したので、この条件を破ったことになる。

・資格3;「公然兵器を携帯すること」 → 支那軍正規兵は、安全地帯に多数の武器を隠匿していたので、この条件を破ったことになる。

・資格4;「その動作につき戦争の法規慣例を遵守すること」 → 以上のことはとりもなおさず資格4の条件をを破ったことになる。

註14-5 <秦氏の反論> 秦:「南京事件」

{ 一度捕虜として受け入れ、管理責任を負った敵兵を正当な法的手続きを踏むことなしに処刑するのは、明白な国際法(交戦法規)違反行為であり、第二次世界大戦でも日本軍のほかにはあまり例がない。}P190

{ 便衣兵は捕虜と異なり、陸戦法規の保護を適用されず、状況によっては即時処刑されてもやむをえない存在だが、だからといって一般市民と区分する手続きを経ないで処刑してしまっては言いわけができない。・・・・・日本軍がまねごとにせよ、一切の法手続きを省略したのは理解に苦しむ。}P193

註14-6 <市民の殺害者数> 東中野修道:「南京虐殺の徹底検証」,P237-P239,P258  

「南京安全区档案」は、安全区国際委員会が日本大使館に抗議した文書などを徐淑希という学者が1939年5月に編集した文書で、東中野氏はこれを中華民国の公式見解だとしている。「南京安全地帯の記録」には事例リストとして約400件の事件が収録されており、殺害者数は53人(冨澤繁信:「南京安全地帯の記録」,P24)であるが、この事例リストで報告された事件は氷山の一角にすぎない。

註14-7 <中国軍による攪乱工作> 東中野修道:「南京虐殺の徹底検証」

東中野氏は、ニューヨーク・タイムズ(1938年1月4日付)に次のような記事がある、という。

{ ・・・この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。 ・・・ この元将校たちは、南京で掠奪したことと、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した。・・・}P275}

さらに、傍証の一つとして、マッカラム(南京国際赤十字委員)の1938年1月の日記に次の記載があると述べている。

{ 支那人の或る者は容易に掠奪・強姦及び焼打等は支那軍がやったので、日本軍がやったのでは無いと立証すら致します。}P277

註14-8 <史実派の反論> 南京事件調査研究会:「南京大虐殺否定論13のウソ」

{ この時点で南京には英、米、独の大使館員はまだ復帰が認められず、欧米の新聞記者もいなかったから、上記の情報【ニューヨーク・タイムズの記事】を上海に送信できるのは日本軍当局だけであった}P205

上記、マッカラムの日記は次のように日本軍が中国人を脅迫していることを述べているのであって、東中野氏は都合の良い文章だけを引用している。逆に、この日記から日本軍特務機関が、南京事件の情報が上海の欧米人から世界中に広がりつつあったのに対抗して、南京の非行は中国軍の仕業であるという情報を流すための諜報活動を行っていたことが分かる、

{ ・・・彼らは貧賤な支那人を脅迫して、我々が云ったことを否認させようとします。支那人のある者は容易に掠奪・強姦および焼打などは支那軍がやったので、日本軍がやったのではないと立証すらいたします。・・・}P211

註14-9 <事件があったことの証明>  

民主党オープンフォーラム(近現代史研究会):「近現代史に学ぶこと(1)~南京事件を中心に」、P6 を要約
https://www.dpj.or.jp/article/100902/