4.6 市民への暴行 ・・・ まとめ
(1)分析にあたって
この項では、「南京安全区档案」などで国際委員会が記録した500件近い事例群を分析した結果をレポートする。
「南京安全区档案」などで報告されている事例は、いわば水面上に見えている巨大な氷山の一部であって、水面下にはその数倍、数十倍の事件が隠れている。また、統計的手法でサンプリングしたわけでもないので、全体を推定することも不可能であり、事件の件数や被害者数の絶対値にさしたる意味はない。したがって、分析は事件や犯罪の傾向、時間的な変化などの視点で行っている。
(a)対象データ
国際委員会が「南京安全区档案」及びその関連文書で報告した次の4種類を対象とする。
①「南京安全区档案」の事例リストに掲載されているもの(事例番号444まであるが、一部(46件)が抜けている)
②「南京安全区档案」の各文書本文に記載されている事例。筆者は27の事件を抽出した。ここには比較的規模の大きな事件がある
③上記①の46件。(7件は「大残虐事件資料集Ⅱ」、39件は中国語版ラーベの日記にあるものが冨澤:「安全地帯の記録」)に記されている)
④事例リストは470件まであることが確認されているが、そのうち事例番号460~470が「ドイツ外交官の記録」に収録されている
(b)「事件」への分割
「档案」などに記載された事例1件には、複数の「事件」が含まれている場合がある。たとえば、事例第89件は、次のように記載されているが、18日と19日の2つの事件に分けられる。
{ 18日午後、・・・ 日本兵は4人の女を連れ去り、一晩中強姦した。全員翌朝戻ってきた。 19日2人の女が連れ去られた。うち一人は今朝(20日)帰ってきたが他の1人はまだ帰ってこない。 } (「安全地帯の記録」、P194)
「事件」は通常我々がイメージする単位になるように次の基準で分解した。
ⅰ)犯人(グループ)が異なると見られる場合は別の事件とする
ⅱ)犯人(グループ)が同一又は異なるかどうか不明のとき、発生日時、場所、被害者、犯罪種別のうち2つ以上異なる場合は別の事件とする
分解した結果、事例は上記①~④合計で482例だが、事件としては560件になる。そのうち、単なる報告や原文が途切れて意味不明なものなど7件は除外したので、対象となった総事件数は553件である。
(2)犯罪別事件数
図表4.6は犯罪ごとの事件数(=犯罪数)を集計したものである。一つの事件が複数の犯罪で構成される場合――例えば「強姦したあとに殺害した」――があるので、犯罪数の合計は総事件数より多くなる。
最も多い犯罪は「強姦」で続いて強盗(掠奪)、傷害の順になる。強姦の総事件数比率(犯罪数/総事件数)は59%、つまり全事件の59%が強姦に関連した事件である。

(注)集計方法について
・「未遂」は各犯罪が成し遂げられなかった場合である。(例.強姦されそうになったが、誰かに助けられた)
・「可能性あり」は、強姦と殺人が対象。強姦では、強姦されたと明記されていないがその可能性が高いと思われる場合(例.女性が拉致された場合)。殺人では、報告時点で死亡が確認されていないが、「この人はもうもたないだろう」とか「殺されるために連行された」といった記述がある場合である。
・「要求」は強姦のみにあり、「女性を出せ!」という要求(脅迫)があった場合である。
・掠奪は、強盗と窃盗に分けた。強盗は所有者がいるところで物品を奪った場合、窃盗はいないときに盗んだ場合とした。窃盗の未遂は、盗もうとしたところを見つかって逃走したような場合である。
(3)人的犯罪の被害者数
図表4.7は、人に直接危害を及ぼす犯罪(殺人、傷害、強姦、拉致)の被害者数を示したものである。未遂及び強姦の「要求」は除いた。12月13日からの約2ケ月間で事例に記載されているものだけで、殺人が65人、傷害80人、強姦は706人もの被害者がいる。
図表4.7 人的犯罪の被害者数 (単位:人)

(注)集計方法について
・「可能性あり」は図表4.6の注を参照
・「重傷」は銃撃された場合、銃剣で刺された場合、及び傷の程度が重い文面になっている場合で、「軽傷」は“殴られた”のような場合。実際にはけがといえるようなものでない可能性もある。
・「強姦」の被害者数には、“多数”と表示されているものが1件、“数人”が6件、“不明”が4件あるが、多数は10人、数人は4人、不明は1人としてカウントした。
・また、被害者数が11人以上の強姦事例が5件あるが、被害者数は下記のように計上した。
事例番号18;「その場で30名の女子を強姦した」 → 30人計上
事例番号55;「450人の女性が庭で一夜を過ごした。多くの者が強姦されていた」 → 200人計上
事例番号64;「30人以上の娘が強姦された」 → 30人計上
事例番号105;「約100人余の女たちが昨晩強姦され、保護を求めて来た」 → 100人計上
事例番号159;(ラーベの日記からのデータ、冨澤氏は被害者数を20としている) → 20人計上
(4)事件数、被害者数の時系列推移
図表4.8は、1週間単位で集計した事件数と被害者数の時間的な変化をあらわしている。事件数は、陥落直後の12月19日までの週と、住民の帰宅が始まる2月6日までの週にピークがある。しかし、人的犯罪の被害者数は圧倒的に陥落直後が多い。陥落直後は敗残兵掃蕩などの大規模な殺人事件や、強姦も100人以上の被害者が報告されている事例がある。
図表4.8 事件数と被害者数の時系列変化

(注)集計方法について
・被害者数は犯罪が「実行」された場合だけカウントし、「可能性あり」、「未遂」は除外している。
・事件数は各時期に報告された事件の数で、「可能性あり」や「未遂」も含んでいる。
(5)期別犯罪別事件数の推移
図表4.9は、各期における主要な犯罪の事件数をまとめたものである。図表4.8で見たように激震期と反動期の事件数が多い。この2つの期を比べると、強姦が反動期で大幅に増加しているのにたいして、掠奪はほぼ同レベルである。強姦で増加しているのは、「未遂」と「要求」で実際に実行された件数はあまり変わらない。また、拉致は激震期に多かったが、余震期以降は減少している。
図表4.9 期別犯罪別事件数

(注)集計方法について ・・・ 図表4.6と同じ。「他」には放火、侵入、器物損壊、脅迫も含む。
(6)その他の分析
(a)殺人、傷害と他の犯罪との関連
図表4.10は、殺人及び傷害と同時に起きた他の犯罪との関係を示したものである。たとえば、強姦と殺人が同時に起きたのは13件で殺人事件33件のおよそ39%、強姦と傷害が同時に起きたのは45件で傷害事件69件に対して約65%になる。
図表4.10 殺人・傷害と同時に起きた犯罪

(注)「単独」とは殺人又は傷害以外の犯罪がない事件である。
同時に起きた犯罪は、例えば強姦と掠奪と殺人の全部がからむ場合などもあるので、件数を加算すると事件数より多くなる。ちなみに、3つ以上の犯罪が同時に起きた件数は次のとおりである。
・殺人; 強姦とその他 1件、強姦と掠奪とその他 1件
・傷害; 強姦と掠奪の両方 5件、強姦とその他 5件、強姦と掠奪とその他 1件
(b)加害者数
すべての事件を対象に加害者数の分布をあらわしたものが図表4.11である。加害者数が明示されていない事例が多いが、明示されている事例では2~3人のケースが多い。
図表4.11 加害者数の分布

(1)冨澤データベース(DB)との比較
冨澤氏は「南京安全地帯の記録 完訳と研究」の中で、「事例の統計的分析」を行っている。氏は対象としているデータ範囲を明記していないが、「南京安全区档案」の事例リストに掲載されている398件(事例番号444まであるが途中の46件が欠落・・・4.6.1(1)(a)の①のみ)を対象にしているようだ。
下表は、冨澤氏が集計した結果と、筆者が冨澤氏と同じ範囲で集計した結果を比較したものである。第1部の犯罪数は冨澤DB、筆者DBともに同じような件数だが、第2部は強姦、掠奪、傷害、その他の件数の変動が大きい。その理由は冨澤DBが次のように処理しているためである。(それぞれの事例は註46-1を参照)
・同一事件で複数の犯罪があった場合、より軽い犯罪が計上されない
・未遂が計上されないか、その他に計上している
・女性を「要求」するケースを「その他」に計上している
図表4.12 冨澤DBと筆者DBの比較

(注)・第1部:1月9日までの報告、 第2部:1月10日以降の報告
・105など、ピンクの太字は、冨澤DBと筆者DBで10件以上の差があるところ。
・筆者DBの件数は、「実行」と「未遂」のみで「要求」と「可能性あり」を含まない。(冨澤DBと同じ)
・冨澤DBは、犯罪数=事件数になるが、筆者DBではひとつの事件に複数の犯罪が含まれることがあるため、犯罪数>事件数となる。
このような差異が発生する原因は、事例を事件に分割する方法を犯罪ごとにしているためとみられる。たとえば、「強姦してから殺害した」という事件は、冨澤DBでは「強姦」という事件と「殺人」という事件の2つに分割される。そのため、事件数が必要以上に増えたり、逆に登録すべき犯罪が漏れたり、複数の犯罪の関連が見えにくくなったりする。また、分割の基準が明示されていないので、人や気分が変わると分割方法が変ってしまう。1部を分割した人と2部を分割した人は別の人かもしれない。
冨澤氏は上記の分割基準のほか、対象データの範囲や自然言語をディジタル化する変換ルール註46-2(例えば、“夜”は何時から何時まで)などを明示していない。これはDB分析のマナー違反である。
冨澤氏は刑事事件の立件に堪えられる「事件らしい事件」の条件として、①文責者(事例の報告者)が記入されている、②人的事件では被害者名、それ以外の事件では被害場所が明記されていること、の2つの条件をあげ、これを満足する事件は517件中、97件しかない、という。97件のうち、掠奪が51件、殺人は2件、強姦は6件である。そして、こう言い切る。
{ これで見る限り、南京事件の事件とは掠奪であった。} (「安全地帯の記録」、P68)
冨澤氏は歴史上の出来事といえども、昨日起きた刑事事件と同じように立証できないものは、史実とは認定できないと考えているようだ。
国際委員会が事例を記録した目的は、日本や各国関係者に南京で今どんなことが起きているかを訴求するためであり、事件を刑事訴追して犯人を捕らえることではない。だから、「刑事事件の立件」に堪えられるような情報を収集し記録しようとはしていない。ただし、虚偽の情報は避けようとして国際委員会なりの調査は行ったようである。最初の事例報告をした第8号文書の冒頭で、{以下のものは私どもが綿密に調べる時間を持てた事例に過ぎず、私どもの担当者にはもっと多くの事例が報告されています}(「安全地帯の記録」、P151) と断っている。
また、2月1日付第58号文書の注釈には、{事例を報告した中国人の名前は示されていない。報告した一人の職員は殺され、またもう一人はきつく脅されたからである。しかし報告者たちは我々の常勤職員であり、その名を告げておりその事例は件数番号で点検できる。} (「安全地帯の記録」、P311) とあり、第232件(1月29日の事例)以降の事例に中国人の報告者名は記入されていない。
つまり、報告者名が記入されていないからといって、信頼度を下げるものではないのである。
次に、人的事件の被害者名であるが、人的事件の大半は強姦である。強姦の被害者は現代でも、自らが被害を受けたことを口外したがらない。より儒教的束縛の強い当時にあってはなおさらであろう。ミニー・ヴォートリンは2月1日の日記にこう書いている。
{ ・・・二人の兵士が彼女を凌辱した。女性たちは、自分から進んでこういう話をしない。そうしたことの恥辱をあまりにも深刻に感じているからだ。} (「ミニー・ヴォートリンの日記」、P148)
もし、残りの400件余りが「信用ならない」とするのであれば、事例の内容が虚偽であることを具体的に示さなければならないのである。
(3)南京で起きた事件は新宿区の刑事事件より少ない!?
冨澤氏は次のように述べる。
{ 人口20万~25万の都市で、2ケ月間に97件しか刑事事件が起っていない都市は治安状態の極めて良い都市である。・・・人口26万余の新宿区をカバーしている新宿警察署の平成10年(1998年)の刑法犯は、年間認知件数が8753件であり、南京の事件件数は桁違いに少ない。}(要約)(「安全地帯の記録」、P30)
図表4.13は、2015年の新宿区及び東京都の認知件数(=警察が事件の発生を認知した数)と南京の事件数を比較したものである。
「南京安全区档案」の事例は、警察の調査のように一定の網羅度を担保して収集したものではない。それを単純に比較すること自体、無意味なのだが、冨澤氏は認知件数の大半を占めるすり、万引きなど、南京事件ではほとんど調査対象になっていない犯罪と同列に比較してしまった。さらに年間の件数と2ケ月間の件数も同列で比較している。あまりにも乱暴な比較である。
犯罪ごとに比べてみると、冨澤氏が「事件らしい事件」としている97件を対象にしたとき(南京1)でさえ、凶悪犯罪の件数は新宿区の5倍以上東京都の25倍にもなる。档案の事例リスト全件(南京2)でみると、凶悪犯罪は桁違いに多く、それでも南京事件全体から見れば氷山の一角にすぎないのである。

(注1)南京1: 冨澤氏の「事件らしい事件」を対象。掠奪は筆者調査結果である強盗8割、窃盗2割で分配。その他20件には脅迫や器物損壊も含まれるが、冨澤氏が分解していないのでそのままにした。
南京2: 図表4.12の筆者DBの値
(注2)出典; 新宿区: 「新宿区HP/新宿区内の犯罪状勢について(平成27年)」
東京都: 「警視庁HP/警視庁の統計(刑法犯、特別法犯) 平成27年」
(1)犠牲者数
市民への暴行による犠牲者数は、国際委員会のスマイス博士がまとめた「南京地区における戦争被害」(通称「スマイス報告」)や、ラーベなどが推測した数字がある。詳細は4.7節で述べるので、ここでは概要のみ記す。
a)史実派は、犠牲者総数を20万に近いかそれ以上とし、そのうち軍人が8万人とするが、市民の犠牲者数は明確にしていない。
b)中間派は、いずれもスマイス報告をもとに、板倉氏5~8千、南京戦史16千(最大)、秦氏8~12千と推定している。
c)否定派は「市民への暴行はあってもごくわずか」と主張する。
(2)否定派の主な主張
否定派の主張には次のようなものがある註46-3が、詳細は第6章で述べるとして、この節ではこれらの要素のいくつかが含まれる冨澤氏の主張とその反論を次項で紹介する
a)伝聞証拠説; 外国人の記録や証言は伝聞や憶測ばかりで目撃者はほとんどいない
b)中国人犯行説; 中国兵・中国人が日本軍のしわざに見せるために行った謀略だ
c)掠奪は徴発説; 日本軍は軍票などで対価を払い、正当な方法で物資を調達した
d)大量強姦否定説; 国際委員会の報告は伝聞にもとづくもので信用できない
e)情報戦略説; 欧米人が中国の宣伝謀略活動に協力して誇大な情報を世界に流した
(3)冨澤氏の主張 ・・・ 「南京事件は外国人が創作したもの!?」
冨澤氏が「安全地帯の記録」で主張する結論は次のようなものである。
{ 「南京事件」という虚報の体系を作り上げたのは、南京に残留していた外国人達であり、彼らがいたからこそいわゆる「南京事件」なるものが創作された。・・・彼らは日本軍の占領目的を阻害し、南京の政治的ヘゲモニーを自分達に留保するために「南京事件」なるものを、日本軍兵士たちがあるいは犯したのであるかもしれない占領軍としては許容されるべき細かな事件を混ぜて殊更に大きく宣伝し、このヘゲモニー争いを有利に導こうとしたために作り上げたのである。} (「安全地帯の記録」、P42-P43)
この「結論」の前提及び根拠としてあげているのは次のようなものである。(→は筆者の反論)
①「南京事件」の舞台は「安全地帯」であって、「南京全市」にわたるものではない。 { 市民はほとんど全員が安全区に集結、中国軍の大部分は逃走し一部だけが安全区に潜入した。}<要約>(「安全地帯の記録」、P9-P10)
→東中野氏でさえ幕府山や下関などで大量の中国兵殺害があったことを認めている。
②事例は、“ヘゲモニー争い”を有利に導くために蒐集された。{第一の山は日本軍入城のすぐ後である。日本軍の駐留により地獄となったことを立証し、難民たちが元の住居に帰れるような施策を要請するために事例を集めた。第二の山は、日本側が住民たちを帰還させようとしたときである。国際委員会はそれが自分たちの行政機能を害するものとして猛反発し、住民たちが帰還するところは地獄であることを立証しようとして事例を集めた。}(要約) (「安全地帯の記録」、P50)
→意図的に集めたと言うのであれば実態とのギャップがあるはずだが、そのギャップを客観的に認められる事実として示しておらず憶測にすぎない。
③安全地帯を“警備”していた日本兵は1700人だったので、一日1000件などという強姦が起るはずがない。
→1700人(歩7連隊の一部)が安全区の“掃蕩”を行っていた頃(12/13~20)、南京周辺には7万人以上の日本軍がいた。 (註31-4)
④日本兵は夜間外出禁止だったから夜に事件が起こるはずがない
→夜抜け出す兵がいたという証言もある註46-4。 残念ながら軍紀が弛緩していたことを示す証言や記録は多数ある。(6.7.2項(2)に日本軍関係者の証言や記録あり)
⑤目撃者が少ない
→悪いことをするときは人目をさけてやるから目撃者は少ないのが当然。冨澤氏は外国人が「意図的に事例を集めた」、「ヤラセが多い」と言っているが、そうであれば目撃者を作るくらい簡単だったはずで、目撃者がいたからといって信用できるわけではない。
⑥文責者が書かれていない事例が多い、被害者名や被害場所が書かれていない事例が多い
→4.6.2項(2)参照
冨澤氏は上記以外に、「戦争とは何か」への批判の中で、具体性のない事例が多い、ベイツは国民党の顧問だった、安全区の外に住民はいないのにそこで事件が起きている、埋葬記録は誤り、1月23日以降の事件は国際委員会のヤラセが多い、などを主張しているが、いずれも根拠がないか、誤りか、又は憶測にすぎない。
冨澤氏が主張する「占領軍として許容される範囲」でないことは、次のような事実から明確である。
・否定派の総帥、田中正明氏もその信頼性を認める「スマイス報告」によれば、南京城内だけでも死者・拉致者が最低でも6600人はいることが明らかになっている。(6.6.2項(1)(a))
・国際委員会の報告が虚報であれば抗議してしかるべきなのに、日本大使館や日本軍は文書で抗議していない。陥落直後に南京に入った岡崎勝男総領事の証言註46-5をみても、国際委員会の報告を否定できるような状況でなかったことは間違いない。
・松井総司令官など現地軍の最高幹部が日記などで軍紀風紀の頽廃を何回も嘆いている 。
・軍紀の乱れに対して、参謀総長戒告(4.5.3項(6)(a))が出て、作戦の一時休止、松井総司令官の解任などが行われた。
4.6節の註釈
註46-1 <冨澤DBの事件分割例> 事例の原文は冨澤:「安全地帯の記録」による
①事例303; 「60過ぎの老婆がまず強姦され、次に銃剣で膣を刺されて殺された」
→殺人事件のみ計上、強姦は無視
②事例264; 「娘を小屋に掴み入れたが、彼女は逃げたり大声で叫んだ・・・兵士たちは逃げた」
→強姦未遂だが、「その他」に分類。
③事例422; 「日本兵4人がやってきて強姦しようとした。・・・彼女を放してくれたがめった打ちにし、10ドル巻き上げた。」
→強姦(未遂)のみ計上、傷害と掠奪は無視
④事例387; 「家に帰ったところ、兵隊達が来て若い女を要求した」
→「その他」に計上
註46-2 <ディジタル化のための基準>
次のような問題もあり、“データベース”としての信頼性が疑われる。
①“夜”の定義が不明で、夕方と書いてあるものも“夜”になり、時刻が明示されていなくても“夜”になっているものがある。また、日付不明も“夜”としているが、“夜”にしていない日付不明の事例もある。
②事件発生場所が明示されていないのに、安全地帯内又は外にしている。
③目撃者は外国人だけを有効にしている。中国人の目撃者がいるのに“目撃者なし”にしている。
註46-3 <否定論の名称>
否定論の名称は、笠原十九司:「南京事件論争史」、P87-P88による。
註46-4 <夜間抜け出す兵士> 藤田清氏(独立軽装甲車第2中隊曹長) 「証言による南京戦史(11)」、P11
{ 夜になると、こっそり隊を抜け出す男が二人、将校は知らず、私も報告しませんでしたが、現役のFと召集兵のOでした。宿舎を抜け出して何をしたか、恐らく「女遊び」に行ったものと想像します。私の中隊は軍紀厳正な部隊であったが、南京入城後、120名の隊員中、2名の不心得者が居ったことは事実です。}
註46-5 <岡崎勝男総領事の東京裁判での証言> (「南京大残虐事件資料集Ⅰ」、P383)