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十字軍が遠征(1096〜1270年)される頃になると、西欧へより発達した東欧の技巧が入ってくるようになりました。すると下着もさらに凝ったものが出るようになり、人々の嗜好も始まることとなりました。靴下つりや、金色やクリーム色などに透ける薄物のシュミーズなどが大流行しました。1455年に未亡人となったオルレアン公爵夫人の靴下つりは金工細工師が手がけた16個の小さな七宝のブザン(中近東の金貨をかたどった小円枝)で飾られていたそうです。12〜13世紀は体の線をはっきりと表す衣服が流行し、そのラインを整える工夫が下着にも見られるようになりました。コットという紐のついたチュニック、プリーツスカートに縫いつけられたブリオー、表着の上から締めるシュルコという胴衣などです。 +中世の下着… ところで中世にもなると、今日の下着に近いものが数多く出回り、また技術の向上で随分高価なものもありましたが、今では考えられないような逸話が沢山ありました。当時の騎士達は戦って血に染まった自分の下着を女性に与え、代わりに女性は自分の絹の下着を彼らに与えました。騎士たちはわざと破れた甲冑を身につけ、破れ目から交換した下着を見せつけ、自らの勇敢さと自分を慕う女性がいる事を表したそうです。一方女性も騎士からもらった血染めの下着を喜んで素肌にまとって自慢し合ったそうです。 また男性は一時期、下半身を誇張する下着を着用しました。足にはぴったりした脚衣を着けていましたから否でも人々の視線はそこに集中する結果となりました…。女性もドレスの胸の部分に窓を作って乳房を露出したり、透けたシャツだけの姿で裸体の美しさを強張した例があったそうです。 カルソンという脚衣があります。これは今日では伸縮自在の中年女性に愛用者の多いズボンですが、最初はシュミーズと同じような木綿などでできていました。そして実はコレ、開閉口があり着たまま恋人に身をゆだねた人もいたそうです。元々は用が足しやすいように工夫したものだったそうですが…。また名家の女性は絹やビロード製のカルソンを所持していたそうです。
+中世の下着姿 中世の社会では下着姿とは罪人、捕虜、謝罪している人など疎外されている意味を持っているようです。姦通や未婚の母となった女性に対し、衣服の下半身の部分を切ってしまうという制裁実際あり、また主人に謝罪する騎士なども下着姿になったそうです。これらは絵画の中に見られる部分がありますので、機会があれば是非見つけてみて下さい。
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