+その後のコルセット ファッション・モードは一度、スペインより独立を果たした締め付けの少ないオランダ・モードとなりますが再びフランスが主流となります。そしてこの頃にはコルセットが蘇り、骨組みには鯨ひげが愛用されることとなります。そのためにオランダでは捕鯨が盛んになったほどでした。ただ以前のように胸の丸みは潰さずにウエストを締め付け、胸はせり出せるように工夫されました。しかしつまりは肋骨からぐいぐい縛る訳で、あまりに締め付けすぎたため肋骨が折れて内臓に食い込んで死亡した女性がいたり、また食後に気絶する女性が後を絶たなかったそうです。もちろん医学的理由から反対運動も起こりましたが、1840年、パニエの次に流行したクリノリンや大きなちょうちん袖(ディズニーの白雪姫のような袖)が流行るとメリハリをつけるためかウエストはますます細く歪められる結果となりました。 さらに普通後ろの紐を誰かに結んでもらわなければ着用できなかったコルセットにゴム紐使用のものが登場し、貴婦人達の不倫を手助けした優れもの?も出たそうです。 +クリノリン クリノリンは上に何枚ものペチコートを重ねずともスカートの広がりが出せるため重宝されましたが、過度に広がりすぎて最盛期には直径6mにもなりました。そこまで大きくなるとファッションの問題というより、通行の邪魔、乗車に失敗すると大怪我を招く(風刺画が沢山残っています)、うっかりしてると側の火から引火する(火傷した人がいるそうです)、馬車に巻き込まれる(車に轢かれるのと同じ)、椅子に座りにくい(恐ろしいほど神経を使って座らなければ、腰掛けたとたんワイヤーがばねになってひっくり返ってスカートの中が丸出しになってしまう)、そして紳士方が手や腕をかそうにも近づけないなど不便で危険なことこの上なしでした。 それに代わったのがバッスル、トゥルニュールといわれる腰から背面だけふくらみを持たせる腰当(お尻パット)でした。日本の鹿鳴館時代のドレスもこの形をしています。また胸にはレモン・ボソムというレモン型パットが使われていたそうです。今日のパットの原型です。
+変わるシステム 19世紀後半、ミシンや新たな染色技術の発明がファッション、そして下着を変えました。また特に繊維業栄えるフランスではボンマルシェやプランタンなどのデパートが次々オープンし、既製品が幅広く出回りだしました。これにより大衆的で簡素な既製品、クチュリエ(女性はクチュリエール)が手がけた高価なオーダーメイド(オートクチュール)品の2つの流れが生まれます。今日のブランド志向、もしくはパリ・オートクチュール組合の基礎を作ったのはこの当時のクチュリエの1人、イギリス人シャルル=フレデリック・ウォルトでした。彼はパリのリュ・ド・ラ・ペに自分の店(メゾン)を創設すると、季節毎に自分のデザインした服(新型見本)を披露するための展示会、コレクションを開催し、また初めて生きた人間に着せて見せるというやり方を考案し実践に移しました。これまでは顧客の要望に合わせて服や下着を仕立てていましたが、これにより創作側がファッション・モードを展開させるという今日のシステムが確立されました。 +スポーツが変える またこの世紀末にはブルーマー夫人(1818〜1894年)が女性の権利向上と解放を訴え、トルコ風ズボンからヒントを得たブルーマーズを作りました。身動きできない服装や鎧のような下着をはずすよう呼びかけ、まだ女性がズボンをはくことは非道徳視されていた時代に異議を唱えたのです。ところが当時は華やかなドレスがトップ・モード、彼女の意見は支持されるよりも嘲笑されることの方が圧倒的でした。しかし女性のスポーツが盛んになりだすと、サイクリング用の衣服としてとりいれられ、また女性の外出用ズボンの先駆けとなりました。日本のブルマもこの変形です。
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