++日本の下着++ 今でこそ欧米と変わらない下着が多く使用されていますが、戦後でも、まだまだショーツを履かない、ブラジャーをしないで代わりにさらしを巻く、という人が沢山いました。此処では日本にあった昔からの下着を紹介します。 ●褌(フンドシ) 古代から男性を中心に愛用されてきました。これは日本だけでなくミクロネシア、インドネシア、その他赤道付近の大陸の一部にも褌文化が在ります。長さや結び方によって色々な種類があり、古くからある六尺褌、畚(もつこ)褌、越中褌などは現在にもあります。力士さんが巻いている褌は六尺褌だそうです。 ●腰巻(コシマキ) 日本風ロイン・クロスのようなものでしょうか?時代劇などで走る着物姿の女性の足元にちらちら見える赤い布、あれが腰巻です。これは江戸時代以後の湯文字(入浴用の意味も込められている)で、一般的には赤か白ですが、お年寄りには浅黄色、志摩の海女さんは黄色などがありました。 また戦国時代の“腰巻”は武家の女性用礼服のことを言いました。それ以前ではエプロンのように腰に巻いたり、鎌倉時代以降の下級女官が外出の際、夏季は上の小袖を両肩からはずして腰に垂らして巻いたのが始まりだそうです。私たちが腰にパーカーやブラウスを巻く様な感じでしょうか…? ●襦袢(ジュバン) 襦袢は半襦袢と長襦袢があり、汗取用の直接肌につけるのは肌襦袢といいます。今日でも着物の下着用されています。襦袢という名前は元来ポルトガル語のジバオgibaoから名づけられました。 +++明治時代を迎えて++ 日本が開国された19世紀半ば以降、西洋のものがどんどん日本に入ってきました。しかし『これは便利だ!』と思って取り入れたわけではなく、西洋と少しでも平等な関係であろうとしたために形から真似た結果だったので、ドレスを着た人はごく一部、それも鹿鳴館など公式の場のみのことでした。しかもドレスの下にはコルセットやバッカス(腰からつけるお尻パット)の他に腰巻を巻いたそうです。肌に密着する西洋の下着は、日本人には滲み難い様でしたがそれでもブラジャーの元となる乳おさえ、肌着、バッカスやズロース等が出回りだしました。 ++白木屋火災事件+
昭和7年12月16日、東京の日本橋でデパート白木屋の火事が起こりました。おもちゃ売り場にあったクリスマスツリーに火がついて、運の悪いことにその周りは燃えやすいセルロイド製品だったために一瞬で燃え広がり死者14人、重軽傷者47人という大惨事となったのでした。この時、救命綱を伝って降りていた女性が見上げる野次馬の目を気にして、和服の裾をおさえようとして誤って墜落し命を落としたそうです。そしてこの女性達はショーツ(当時はズロース)を履いていなかったため、この事件を機にズロースを履き始めた人がいたそうです。
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