白山神社![]() |
白山神社は寛永6年(1649年)9月藤ノ木の白山神社を勧請して創建されました。祇園祭については享保20年(1736年)6月「御山所中廻る」という記録が残っています。これが山笠の事なのかどうかは不明です。かつては小石と同じ幟山笠が出ていたそうですが、詳しい事は不明です。山笠の一部は、現在でも保管されているそうです。戦後の山笠は昭和23年に復活したそうですが、戦前の事については不明です。山笠の最盛期は昭和30年代前半の頃のようで、浜町から本町、修多羅にかけて、各自治会毎に山笠を出していました。昭和30年代後半頃から数が減り始め、修多羅の18区が最後まで出していたそうです。 |
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昭和35年頃の深町地区の山笠です。背は低いのですが博多と同じ岩山で、博多から人形師さんが来ていたそうです。他に中畑地区でも自治会毎に山笠が出ていたそうですが、残念ながら、詳しい資料も写真もありません。 |
| 恵比須神社の山笠については資料がほとんど残っておらず、詳しい事は不明です。明和4年(1767年)花山、子供踊りと記された古文書が残っておりますが、これがどのようなものなのかはわかりません。この古文書は蛭子社、祇園社の連名で記されていますが、現在恵比須神社に祇園社(須賀神社)は合祀されておらず、どうなったのかはわかりません。承応2年(1653年)7月二島村日吉神社を勧請して創建された若松村の日吉神社は、明治5年(1872年)に村社に定められました。 | 恵比須神社![]() |
日吉神社の鳥居の残骸![]() |
その後大正8年恵比須神社を合祀して、恵比須神社と改称されています。境内の隅に当時の日吉神社の鳥居の残骸が残って
いますが、かつては小石の幟山笠が、若松の日吉神社へお参りしていたそうです。現在小石の日吉神社に須賀神社が境内社
として合祀されていますが、これがかつて若松の日吉神社にあった祇園社(須賀神社)かもしれません。昭和30年代恵比須神社
にも山笠が出ていたそうですが、白山神社に比べるとその数は少なかったようです。
白山神社(藤ノ木)![]() |
藤ノ木の白山神社は寛永5年(1648年)の創建で、正徳3年(1713年)に再建されました。山笠は戦前から出ていたそうですが、詳しい事は不明です。明治15年(1882年)合祀された須賀神社(祇園社)の祇園祭として、山笠が出ていたそうです。この須賀神社は安永4年(1775年)現在の和田町に創建されたもので、弘化3年(1846年)立て替えられたという記録が残っているそうです。この時の記録に「祇園社立替、神輿並上家」という記述があるそうですが、山笠の記録はないようです。小石や戸畑に幟山笠が出始めた頃ですが、藤ノ木に山笠はまだなかったようです。 |
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昭和29年頃の23区の山笠。 戦前からあった23区の山笠は、戦後しばらくして復活し、昭和37年頃まで出ていました。この写真は宮丸のはぜはた理容室さん所蔵の物で、現在の江口建設付近で撮影されたそうです。 |
24区と22区の山笠 昭和32年7月国道199号線鉄道工場前にて(現若松警察署付近)

この写真は元白山神社氏子総代の森川氏が撮影したものです。拡張される前の国道199号線は、まだ片道1車線の狭い道路で
したが、2台の山笠が並んで道路をふさいでいます。昭和23年に復活した山笠は、その後各自治会毎に出るようになり、この頃
が最盛期だったそうです。

これは22区の山笠の見送りですが、左側の遣り出しには武者人形がありません。「もはや戦後ではない」と言われた頃ですが、
まだ物不足が解消されてはいなかったのでしょう。現在の直方系の山笠とほぼ同型ですが、当時の二島の山笠にあったスダレ
はないようです。

山笠の後方に醤油醸造元という看板が見えます。多分平野の醤油屋さんだと思われますので、現在の宮丸交差点付近では
ないでしょうか。当時の山笠は青年団が中心となって運営し、山笠同士でぶつけ合う等、けんか山笠とも言われる激しいもの
だったそうです。あまりにもけが人が続出するために、警察から青年団の参加を禁止された自治会もあったそうです。石炭産
業の斜陽化とレジャーの多様化、また若戸大橋の工事に伴い国道の拡張工事が始まる等したため、しだいに山笠は出なくな
ったそうです。昭和38年、奉還鎮座350年を記念して曳神輿を新製しています。多分これを機に、すべての山笠が出なくなった
ものだと思われます。
昭和60年頃の曳神輿

笠松神社![]() |
安屋笠松神社の山笠は、昭和40年代の始め頃には、すでに出なくなっていたようです。社殿内にはかつての山笠図が飾ってありますが、保存状態が悪いため、かすかに明治**六年の文字しか読み取れません。博多の飾り山笠を髣髴とさせるもので、かつての栄華がしのばれます。最近山笠復活の話もあったのですが、残念ながらまとまりませんでした。竹並の須賀神社にも山笠図がありますが、こちらの方は明治十二年の文字がはっきりと残っています。現在の山笠に見られるスダレや幟旗は描かれておらず、当時の島郷の山笠は、博多の飾り山笠と同じ岩山だったようです。 |
笠松神社の山笠図![]() |
須賀神社の山笠図![]() |
八剣神社![]() 小敷の八剣神社では昭和50 年頃までは山笠が出ていたそ うですが、詳しい事はわから ないそうです。 |
須賀神社(稲国)![]() 稲国の須賀神社でもかつて は岩山が出ていたそうです。 戦時中も休まず出ていたそ うですが、戦後は1度出たきり で途絶えてしまったそうです。 |
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昭和10年頃の稲国須賀神社の山笠。 博多の飾り山笠と同型の岩山で、地区の人達の手作りによる物でした。この大きな山笠を宮入りしていたのには驚かされます。竹並や道岸の山笠とは同系の物ですが、バレンが飾られておらず、より博多の山笠に近い形状のようです。 |