讃岐の国(香川県)には「讃岐七富士」と呼ばれる山がある。

東から白山(しらやま203m)六ツ目山(むつめやま316m)伽藍山(がらんやま216m)高鉢山(たかは

ちやま512m)飯野山(いいのやま422m)爺神山(とかみやま227m)江甫山(つくもざん153m)の七つ

の山だ。

川県の地図を開けばその位置を知るのは難しくない。

この狭い讃岐平野には七富士以外にもお椀を伏せたような、オニギリみたいな、とんがり帽子みた

いなミニ富士山がそこらじゅうに鎮座している。

この地で生まれ育った私みたいな人間には見慣れた当たり前な里山の風景だが、他国の人には

珍しいようで「おとぎばなしの山みたいで、見ていると何だかホッとする」らしい。

これらの山々は昔は火山だと考えられていたようだが、その後の調査で「メサ型地形」であって

火山ではない事が証明された・・・・と林巍(はやしたかし)先生がその著書に書いておられた。

   “むかーしむかしの事じゃった。

    讃岐の国の西のほうに三野郡と豊田郡があってのう。

     その二つが一緒になって三豊郡になったそうじゃ。

      今では「平成の大合併」とやらで三豊市になっとるがの。”

その三豊市に高瀬町があり、「高瀬三富士」がある。

「そんなもん地元のわしでも知らんがのう」と言われるだろうが、それもその筈、私が勝手に決めた

から知らんのは当たり前じゃ。

爺神山に加え山条山(やまじょうやま189m)傾山(かたぶきやま286m)を高瀬三富士としている。

               山条山爺神山付近の航空写真】

 【お断り】私は車やオートバイは操縦できるが、飛行機もヘリコプターも操縦できないので航空写 

  真は写せない。この写真は高瀬町の町制五十周年記念に発行されたものをデジカメで接写し

  て、色調やコントラストを調整し、文字を入れた。「無断複製禁止」と書かれてないので著作権

  侵害にはならない。

爺神山はかつては高瀬町の象徴とも言われ、高瀬富士として唄にもなった。

家から近いので子供の頃には友達とターザンごっこをしながら何度も登った。

頂上には爺神城跡の礎石がゴロゴロしていたのを覚えている。

爺神城は詫間弾正の居城であったが、天正の戦国時代に土佐の覇王、長曾我部元親の軍門に

下った。

   「爺神」は古い文献資料には「兎上」としるされている。

   一体いつから、なぜ爺さんの神になったのか・・・・・・知っている人がいたら教えてもらいたい。

予讃線の車窓に、まるで額に飾られた絵画のように写った優美な山も昭和三十年代に砕石事業

が始まり、この山の悲劇もこの時始まった。

山は毎日正午のサイレンの合図と共にダイナマイトで破壊され、削られて二十数年の間に南面は

見るも無残な山容に変貌し、胸を張って「高瀬の象徴」と言えなくなった。

爆破の大音響と岩が崩れ落ちる音は私には山が悲鳴をあげているように聞こえた。

地権者が同意し、売却したのだから誰にも砕石を阻止できなかったのは理解できるし、高度成長

時代の道路整備や建設事業に砕石が欠かせない資材であったのも理解できる。

しかし我が家の庭から眺めていた堂々たる山が三分の一ほどかじられたオニギリみたいな姿になり

果てたのは残念でならない。

詳しい事情は知らないが砕石事業は停止され、これ以上山がかじられる心配がなくなったのがせ

めてもの救いだと思っている。

町議会で「爺神山の景観を何とかしようじゃないか」と発言した議員さんがいたらしいが、そんな予

算がある訳もなく、あそこ迄破壊した自然はもう元には戻らない。

南面の写真をここへ掲載するのは山がかわいそうなので、西面の写真を見てもらいたい。

砕石前は頂上がもっと綺麗に尖がっていた。

 

            

            

この山の中腹を一周する道があり、ミニ八十八ヶ所

その道の途中に地元有志が建てた大師堂があり、

としてお地蔵さんが祀られている。

頂上へはこのお堂の裏から登れる。

昔は人一人が通れる程度だったが、今は車で廻れ

信心深い真言宗の方々は南無大師遍照金剛を

る。一周約1,700mだ。

 唱えながら登ろう。(この写真は建て替え前のもの)

             

            

ここが登山口。

こんな急坂のつづら折れが35箇所続く。

わかりにくい位置にあるので地元でも知らない人が多い。

子供の頃にはこんな道は無かった筈だが。

         下の写真は爺神山中腹から見た高瀬町中央部

                  下の写真は山条山の北面

 

きれいな左右対称の通称とんぎり山。

登山道はないので登るには薮コギしかない。

山は低いが、かなりハードで薮が深く、倒木だらけなので典型的な薮コギ装備が必要になる。

軽い工事用ヘルメット、保護メガネ、顔面を守るタオル、皮手袋、破れても気にならない服装、靴

は編み上げ靴がベストだが長靴でもいい。

高価で重い登山靴は何の役にも立たないし、ジャージやセーターや軍手はバラにひっかかる。

何人かで先頭を交替しながら進めば一時間程度で頂上に立てる。

 

                    【傾山付近の航空写真】

 

 

 

登山口は山の真南にある。

(真南とは航空写真の下方向にあたる)

この登山口は普段は猪よけの為のネットやフェ

ンスが張られているが、人間の侵入を防ぐのが

目的ではないから通る時は周りを見渡して猪が

いないのを確認してから通ろう。

(彼らは利口だから一緒に通り抜けようと待っているのだ)

 

この山の登りは少々きつい。

登山口から頂上まで登り一辺倒で平坦部が全然なく、かなりな急傾斜が続く。

くの字に登るのではなく、まっすぐ登るのだから息が切れるが30分ほどで頂上に立てる。

頂上は灌木が生い茂って展望は悪いが、良く言えば自然林のままの状態が保たれている。

くだりは登ってきたルートを引き返してもいいが、遠廻り覚悟で真北へ降りるルートもある。

 

傾山(かたぶきやま)の名前の由来にはふたつの説がある。

ひとつは見る方向によっては山が傾いているように見えるからという説。

もうひとつは昔、大男がこの山と隣の朝日山を持ち上げようとして、この山だけが上がらず、腹を

立てた大男が山を蹴飛ばしたら傾いたという説。

そういえばこの山は一部が大きく凹んでいる。(航空写真の茶色い部分)

この凹みが大男が蹴った跡だろうと私は思っている。