スローライフおじさん気まぐれダイアリー

このページはタイトルは「ダイアリー」ですが、日記ではありません。
気が向いた時に適当な記事を掲載しているだけですから、テーマに一貫性はなく、広範囲でバラバラです。
「多趣味」と言えば聞こえはいいのですが、何にでも興味と好奇心を持つ性質ゆえに趣味を一点に絞る事ができないのです。
で、こんな自己満足だけの珍妙なページが出来上がってしまいました。
記事の掲載日付け順序はページの下が古く、上へ行くほど新しくなります。
ではどうぞごゆっくり。
小さい写真は左クリックで拡大できま


2016年 11月1日         HONDAモンキーのリメイク    
この小さなバイクも購入から18年経過した。
これまでエンジン、ミッション、駆動系どれもノントラブルなので「無事これ名馬」と言えるだろう。
新車時は焦げ茶色だったがモンツァレッドに塗り替え、7年前の事故によるクラッシュからも蘇った
その時の記事はこちらから。
モンツァレッドはいい色でこのバイクに良く似合うが、さすがにいささか飽きてきた。
そこで一念発起して全面的に塗り替え、いくつかのパーツをクロームメッキ製に取り替える事にした。
前後フェンダーは手持ち品があったがメッキのヘッドライトとサイドカバーは新品を手に入れた。
フロントキャリアはステンレス製の既製品を買えばいいが、リアキャリアはそうはいかない。
やはり現行品同様に自作する事にした・・・今より少し大きいほうがいいだろう。
ついでにタイヤとバッテリーも新品に取り替える事にしたが、こればかりは廃品の処分に困るのでバイク
屋さんに頼む以外にない。
フロントフォーク、スイングアーム、リアショック、ガソリンタンクは自分で塗り替える。
2度目の塗り替えだが、やはり根気のいる作業だ。
塗っては乾かし、塗っては乾かし、磨いては塗り、また乾かし・・・。
結果リアショック以外はなんとか及第点がもらえる程度に仕上がった。
すべてのパーツを取り付けて全体を眺めた時イメージどうり、いやイメージ以上にすっきりして満足。
メッキパーツを選んだのは大正解だった・・・モンキーにメッキは良く似合う。(・・・と思う)
次はオールメッキに変身させようか、金かかるから止めとこうか。
とにかく今回のリメイク作戦はこれにて完了。
 
左から前後フェンダー、サイドカバー、ヘッドライトそして自作のリアキャリアボックス 下地処理、下塗り2回、中研ぎ、上塗り3回、仕上げ研ぎ、最終クリア塗装を経て三日間かけて
仕上げた主要パーツ。写真ではわかりにくいが素人丸出しの部分もある・・・まあいいか。
たかが原付、
されど原付。
赤猿から黄猿に変身。


2015年 8月8日         提灯台製作、奉納    
祇園神社の総代代表から提灯台を作ってくれ、と頼まれた。
お祭りの時、神社の拝殿前へ置いて提灯を下げて飾るものだ。
確かに無いよりあったほうがお祭りらしい華やかさがあるだろう。
本職に頼めば立派なものができるだろうが、見てビックリするような見積もり金額になるはずだ。
私ならその心配はない。
問題はその形状と寸法をどう決めるか?だが、横山神社に同じものがあったのを思い出した。
歴史の古い横山神社の提灯台はいつ頃作られたものか、わからないが時代は変わっても形は変わら
ないはずだ。
材料は節のない白木材でなければならないが、桧でこれだけの材料をそろえるにはホームセンターで
は無理だろう。
で、近くのホームセンターを何軒か廻った結果、「米ヒバ」という白木材を使う事にした。
桧のような木目はないが、1個の節もなく神社に似合うだろう。
製作は思っていたほど簡単ではなかった。
特に柱と十字型のベースの接合は、シンプルな外観にしなければいけないのでむつかしいところだ。
補強材を使えば強度は出るが、見た目は悪い。
結局、φ10mmのステンレスボルトと70mmのコーススレッドで裏から固定した。
これで蹴飛ばされても大丈夫。
右下の写真は祇園神社例大祭の当日、拝殿前に置いて提灯を下げてみたところ。
評判は上々、子供神輿とともにお祭りの主役みたいに見える。
角材を十字に組んだベース 屋根を作っているところ。部材の角度調整が難しい。 ベースと柱を接合し、腕木も取り付けた 祇園神社例大祭当日


2014年 12月3日             はやぶさ君 ふたたび一人旅へ。   
あのはやぶさ君がまたもや宇宙へ冒険の旅に出た。
前回の記事「続・はやぶさ君」はこちらから、前々回の記事「はやぶさ君」はこちらから。
何を隠そう(隠す必要もないが・・・)私は大のはやぶさファンなのだ。
はやぶさ2と呼ばれる二代目のはやぶさ君は12月3日に種子島から打ち上げられ、予定の
軌道に乗った・・・とにかくめでたしめでたし。
過去の記事にも記載したように初代はやぶさ君は故障と想定外のトラブルに悩まされながらも
奇跡的に地球へ帰ってこられた・・・・あれから丸4年。
今度は国民から絶大な支持を得て技術陣は日本の最新テクノロジーを結集し、エンジンの強
化やサンプル採取の方法を改良し、より安全に、より確実に地球へ帰ってこられるように知恵
を絞った。
はやぶさ君は今度はどこへ行くの? 
目指すは3億キロ離れた小惑星「1998SF36」だ。
では往復6億キロ?かと言うとそうではない・・・相手も動いているから全行程は52億キロに
なるそうだ。
何をしに行くの? 
目的は前回と同じ、小惑星の砂や土を採取して地球へ持ち帰るのだ
お目当ての小惑星には有機物がある可能性があり、生命の根源と言えるアミノ酸があるかも
しれないから。
どうやってサンプルを取るの? 
小惑星の上空から砲弾を発射して大きな穴をあけて、そこへ着陸して地中のサンプルを取る。
表面は風化しているから地下の物質のほうが宇宙誕生当時に近いサンプルが得られる。
いつ着いて、いつ帰ってくるの?
2018年の夏ごろ、つまり片道3年半かかる予定。
帰ってくるのは2020年の末ごろの予定だから東京オリンピックが終わってからだ。
一人旅は淋しいだろうけど日本国民が応援している。
何よりも俺がついているぞ!がんばれはやぶさ君、無事帰ってこいよ。


2014年 11月9日         MITOYO DREAMCAR FESTA 2014    
三豊市高瀬町のメインストリートと商店街の一部の道路を閉鎖して「夢のクルマ」が並べられた。
あいにくの雨模様だが人手は上々。
写真でしか見たことないようなスーパースポーツカーが約40台勢ぞろいした。
フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェなど新車価格を合計したら大体15億円くらいになるらしい。
世の中にはとんでもない金持ちがいるもんだ。
それにしてもどれでもいいから一度乗ってみたいもんだ。
助手席じゃなく運転席(コクピット)に・・・。
国産の一般的な高出力スポーツタイプのクルマは発進から100km/hに達するのに6秒から8秒要する。
ここに集まったクルマたちはスーパースポーツの名に恥じない性能を誇っている。
わずか3秒で100km/hに達するのもいるらしいからまるでジェット機、いやロケット並みだな。
日頃でかい顔して走っているベンツやアウディもこの日ばかりは出番なし!
ただ珍しいクルマを並べるだけじゃなく、空き店舗には臨時のショップも出店していた。
これも町おこしに貢献するのかも知れない。
郊外の大型店舗に集中する人達を昔ながらの小売店が並ぶひなびた商店街へ呼び戻すのは容易
ではないのだ。
今回のようなイベントを毎年実施してもすぐ飽きられるだろう。
じゃあどうすりゃいいのか?
誰か教えてくれ!
普段閑散とした商店街に
往年の名車が並んだ。
手前はジャガーEtype。

向こう側はポルシェ。
そのむこうはロータス。
本日の最高価格車。
ランボルギーニ アベンタドール。
五千万円らしい。

一台いかが?
ずらり並んだフェラーリ。
どれも一台で家が一軒建つ。
見事な造形美。
国産車とはスーパースポーツカーに対する歴史の差を感じる。
鮮やかなイタリアンレッド。
本日の後姿No1。
グッドデザイン賞をあげたい。

フェラーリ512TRです。
排気音が腹に響く。

本日唯一の国産スーパーポーツカー。
光岡オロチ。
ここで見られるとは思っていなかった・・・ラッキー!
現役を退いたF1マシン!
これは一般公道を走れないのでこんな所に展示してある。
排気音はジェット機みたい。


2014年 8月1日             2014高瀬空射矢まつり Final     
2002年に始まったこのまつりも13回目の今年でFinalとなるそうな。
         (2010年の記事はこちらからリンクしてます→2010高瀬空射矢まつり
なんでか?
ひとことで言えば要するに人手不足らしい。
予算は自治体や地元企業から何とか確保できているが、まつりの計画を立て、それを実行するだけ
人材がそろわず肝心の実行委員長も引き受ける人がいない。
今年は5月中旬になってもまつりの日程どころか、開催そのものが危ぶまれていた。
がその後、少数の市会議員さんが奔走して実行委員会を立ち上げて何とか開催にこぎつけた。
このまつりは元をたどれば昔から行われていた祇園神社例大祭の縁日が「高瀬お茶まつり」になり
2002年に高知のよさこいまつりを模範モデルとしてスタートしたものだ。
その結果どこの地方にもある単なる「よさこい模倣まつり」となり、目新しさもなく、地方色もないまつりに
なってしまった。そこで今年をFinalとして来年からはまつりの名称と形態を見直して再出発しよう、という
計画らしい。
どれだけ実行委員が集まるのか?
実行委員長を引き受ける人がいるのか?
目新しくて地方色豊かなまつりとはどんなまつりなのか?
昔の祇園神社の縁日にもどる事ができるのか?
祇園神社の総代として来年が楽しみでもあり不安でもある。
相変らず閑散とした祇園神社 この地方には珍しい太鼓台 各踊り子連は独自の振り付けを考えているそうだが私にはどれも同じに見えてしまう。


2013年12月10日              たまには道具の整理を。    
普段の工作によく使う道具はすぐ手の届く位置に置いておきたい。
ペンチ、ハサミ、ナイフ、ブレードなど切る道具。
鉛筆、マーカーなど筆記具。
ドリルビット、錐など孔明け工具。
メジャー、スケール、ノギスなど測る道具。
ドライバーなど廻す道具ほか電卓、用紙類。
などなど比較的小さな道具類は離れた道具箱に入れておくと不便でしょうがない。
だからつい手元へ置くようになり、結局左下の写真みたいにテンコモリ状態になった。
ん〜、これ以上収納できん。
まあ暇つぶしの工作としては丁度いいからこの際引き出し収納ユニットを作る事にした。
大きいほど収納力アップになるが、工作台上のスペースが狭くなるのは困る。
で、幅30cmに決めた・・・引き出しは5段でそれぞれ高さを変える。
特別むつかしい作り方をしたわけではないが、引き出しの前板を透明アクリル板にしたのが特徴。
こうすれば中身がある程度見える。
前より便利になったし、これで刃物類も錆びにくくなるだろう。(自画自賛)
  before 雑然と工作台の上を占領している。 集成材で本体を作り、引き出し受けを取り付ける。 引き出し作りの最中・・・ここが一番手間のかかるところじゃ。    完 成(^o^) 収納してみた・・・まだまだ入るがな。


2013年9月26日      平成2年型レガシィ・ツーリングワゴン2000VZ
23年間乗り続けたこの車もついに手放す時がきた。
去年の冬からオートマチックミッションの調子が悪くなり、10分くらい暖気運転しないとまともに
ってくれなくなってしまった。
ただし冬以外の季節は何事もなかったかのように調子良く走ってくれる。
修理できなくはないが十万、二十万の費用をかけてたとえ一時的に復活しても年齢が年齢な
のでいつまでもつかは誰にもわからないし、保障もない。
23年前、初めてこの車を運転した時の鮮烈な印象は昨日の事のように良く覚えている。
パワフルなエンジン、四輪駆動による類い稀なる直進安定性、固めのサスペンション、国産車
は珍しいシンプルで流麗なデザイン・・・どれもが自分の好みにぴったりマッチし、飽きる事
なく今日まで乗り続けてきた。
できる事ならいつまでも乗っていたいが、事ここに及んでは是非もなし・・・新車に乗り換えざる
を得ない。
9月26日最後の日の朝、洗車して室内も綺麗に掃除してから代理店まで乗って行き新車に
乗って帰ったが、新車に乗れる嬉しさより古い車を手放す淋しさのほうが強い
LEGACY FOREVER!永年勤続の感謝状がわりにここに写真を掲載する。
23年前、平成2年には確か「踊るポンポコリン」というコミカルな唄がはやっていた。


2013年 6月19日           絵馬掛けの作り替え
近くの神社に天満宮がある。
天満宮とは言うまでもなく学問の神様がおわす。
だから「成績向上」「合格祈願」などを絵馬に書き込み、これを絵馬掛けに下げて祈願するのだが、これは日本人特有の神仏混淆の象徴みたいなものだと
思う。
お悔やみ事はお寺へ、願い事は神社へ、という勝手な解釈だが日本人は私も含めてこれを不自然だと思わないひとが多い。
しかし外国人には到底理解できないようだ・・・結婚式は教会で挙げるカップルも少なくないから日本人の信仰心など理解できるはずもない。
それはともかく神社、天満宮に絵馬掛けは不可欠なんだが、近くの天満宮の絵馬掛けは木が腐って触っただけでも倒れそうになっている。(左下の写真)
じゃ作り替えようや」という話になり、当然の如く私にその役目が廻ってきた。
本職さんに頼めば立派なものができるだろうが、そんな予算はない。
壊すのは簡単だった・・・片手で引っ張っただけであっけなく崩れた・・・あとは来年一月のどんど焼きの時にしめ縄と一緒に燃やすだけだ。
木工には大した手間はかからない・・・柱と横桟と屋根板を加工し、組み立てれば出来上がり。
屋根板には防腐剤を塗っておく・・・数年に一回塗り替えれば30年くらいは持つだろう。
コンクリート基礎は念入りに深くて大きいものにした。
まあ風速40mくらい十分耐えられるはずだ。
私も絵馬に「家内安全」「交通安全」「無病息災」「金運祈願」と欲張って4つも願い事を書いて下げておいた・・・ご利益ありますように。


2013年 4月3日             伊吹島の猫     
観音寺から渡し船、ん?連絡船?いや定期船か・・・とにかくそれに乗って20分くらいで伊吹島に着く。
この島はイリコの産地で有名だ。
味のいいイリコを作るには、漁船で獲ってから如何に早く加工乾燥するか、にかかっているらしい。
だからどの漁船も大馬力のエンジンを搭載していて、モーターボート並みのスピードで加工場まで獲物
を運ぶそうだ。あいにく今はシーズン外なので、そんなドキュメント番組みたいなシーンは見られなかった。
だから港には猫一匹いない。
今日の目的は島巡りではなく「猫撮り」だからあてが外れた・・・と思いながら歩き始めると、いるいる。
人馴れしているので脅かさない限り逃げない・・・路地裏にはもっといるだろう。
急な坂道ばっかりで疲れたニャ〜。でも又行くとしよう。
一番目の猫。
「イラッシャ〜イ」
二番めの猫。
これは仔猫。
連れて帰ろうか。
三番目の猫。
いかにも気持ちよさそう。
二番めの子猫を三番目の猫がいじめている・・・・・ではなくてじゃれあっているだけ。 ぬくい春の陽差し。
こっちまで眠くなりそう。
頭ナデナデ。
喉ゴロゴロ。
四番目の猫。
病気か?年のせいか?
誰か病院つれてけよ。
五番目の猫。
二番めと似ているが額のトラ模様が少し違う。
六番目の猫。
警戒態勢だ。
「オッサン、どっから来た」
七番目と八番目の猫。
上と似ているがずっと離れた場所で写したもの。
九番目の猫。
メタボリック症候群。
十番目の猫。
「オッサン、コンチハ〜」
「ヨォ、ええ天気やな〜」


2013年 2月9日             メジロ       
この時季の庭の花は山茶花くらいしか咲いていない。
が、メジロはこの山茶花の蜜が大好きでどこからか二羽飛んでくる。
スズメのように群れ飛ぶことはなく、必ず二羽でやってくる・・・つがいなのか、このあたりを縄張りとして仕切っているのかもしれない。
毎年ミカンをプレゼントしてやっているが、今年はそのお返しとして写真を写させてもらおう、イヤとは言わないだろう。
ミカンを半分に切り、適当に木に突き刺しておくとまず一羽がつつき始める。
もう一羽は場所が空くまで少し離れて見ていて一緒につつこうとはしない・・・メジロにも厳しい上下関係があるのかもしれない。
そこで餌場を二箇所にしたら問題は解決した。
「あのうちへ行ったらうまいミカンがあるぞ!」なんて噂がクチコミで広がって群れでやってきたらどうしよう。
ミカンを備蓄しておかねば・・・。
どっかにエサはないか。 ミカン見つけたぞ! ん、こりゃうまい。 二匹分セット。 カメラ目線。 もうすぐ春か。


2013年 1月20日           ジョウビタキ        
近くの山の中腹にある神社でカラフルな野鳥を見つけた。
ひと目見てジョウビタキだと分かった・・・黒と銀と橙色のこの鳥は前々から狙っていた鳥だ。
と言っても獲ってヤキトリにするつもりはない、ただ単に写真に撮りたいだけだ。
ジョウビタキは冬に日本へやってくる渡り鳥で大きさは雀くらい、里山や公園で時々見かける、オスは派手で目立つがメスは薄茶色で地味なので冬枯れの
山に溶け込んでしまう
今回出会ったのは運良くオスだった。
眼の中心は僅かに青みががっていて綺麗、と言うかカワイイと言うか・・・この辺で見かける野鳥としてはなかなかチャーミング。
早速最近手に入れたカメラと250mmの望遠レンズを持って勇んで出掛ける。
このレンズがあれば何とかなるだろう」との自分の企みは考えが甘かった。
雀ほど警戒心が強くなく、5mくらいまで近寄れるが、とにかく一箇所に止まっていてくれない。
カメラを構えてピントを合わせている間に「ピキッ!」と啼いて飛び立ち、止まる場所を変える。じっくりと三脚を据えて写せる相手ではなさそう。
お前の技量で撮せるものなら撮してみろ!この未熟者めが!
何とか写そうと静かに忍び寄ってシャッターを押す、また飛び去る、その繰り返しだ・・・鳥に遊ばれているみたい。
飛んでいるところを写そう、なんて神技以上だ。
どうやらこの鳥をアップで撮るには500mm以上のプロ用みたいな大砲レンズが必要なのかもしれない。
今回の使用機材:カメラ本体はニコンD7000、 レンズはシグマ18〜250mm
     ↓


2012年 11月30日           山里の秋
山里の表情をカメラで写し取るのはブラブラ歩きに限る。
クルマやバイクではつい通り過ぎてしまうような絶好の被写体を見逃してしまうから。
カメラは重くて嵩張るけど一眼レフに限る。
最近の小型デジカメの性能向上は目を見張るほどだが、宣伝文句やカタログ写真を鵜呑みにしてはいけない。
近くの人物や花を写す程度なら大差ないが、遠くのものをズームすればするほど解像度やノイズの少なさにおいて一眼レフは圧倒的な威力を発揮する。
私の6年前のわずか600万画素の一眼レフでさえ最近の1600万画素の小型カメラとの画質差は大きい。
なんでか?と言うと・・・・・・・レンズの大きさとCCD(撮像素子)の大きさがまるで違うからだ。
カッコつけるために大きなカメラを持ち歩いているのではない事を知っておいてもらいたい。
それはさておき、今年も去年並みの猛暑が続いて秋までその暑さを引きずり、何だか秋を飛び越えて冬が来たみたいだ。
それでも今年の秋も100枚ほどの山里の写真を写した。
三豊平野の山里の風情が見る人に伝わるかどうか。
 もうすぐ枯れるコスモス 黄色と緑色のファンタジー     誰も食べない柿      静寂       落葉前   山すその小さな溜池


2012年 8月16日           カメラをもらったけど・・・。
先日、ある人からカメラをもらった。
細かないきさつは省くが、もらってビックリ!・・・なんとジャバラ式のとんでもなく古そうなカメラだった。
拡大鏡で銘板の小さな文字をひとつひとつ読み取っていったが、日本語表記はまったくない・・・すべて英語だ。
経年変化で読み取れない文字もあるが、かろうじて判読できた範囲では、
1-MADE IN USA  EASTMANKODAK COMPANY ROCHESTER N.Y (製造元)
2-USE AUTOGRAPHICFIRM No.A-127 (適合フィルム番号)
3-JAN.18.1910 JAN.7.1913 (製造年月日らしい)
4-16896 (製造番号らしい)
イーストマン・コダックとは知る人ぞ知る世界でトップクラスの写真用品メーカーである。
今でこそカメラは日本製に圧倒されているが、はじめてロールフィルムやカラーフィルムを開発したメーカーとして良く知られている。
本社はアメリカのニューヨーク州ロチェスターにある。
このカメラはどうやら1910年から1913年の間に作られたようだ。
1910年は日本の元号では明治43年であり、1913年は大正2年という事になる。
見た瞬間、戦前のものだという想像はついたが、まさか100年も前のものだとは信じられないがインターネットで調べても結論は同じだった。
当時のカメラというと大きな箱みたいな形をしていて、写す人は黒い布をかぶって、片手にマグネシゥムを焚く姿を想像してしまう。
しかし、このカメラは折りたためばポケットに入るし、ロールフィルムが使えるし、現代のインスタントカメラと原理的にはなんら変わりがない事に驚かされる。
明治末期のアメリカの先端技術はここまで進んでいたのだ。
残念ながら私の知識と技術ではこのカメラを写せる状態に復元する事は到底不可能だ。
復元どころか、どうやればシャッターが切れるのかさえ分からないし、ほかにも使途不明のボタンやレバーがいくつかある。
この種のカメラの構造に詳しい人を探しだして、教えてもらうしかないだろう。
もし復元できて100年前のカメラで撮影できたらどんな色が出るのだろうか?見慣れた風景はどのように写るのだろうか?
きっと現代のデジタルカメラより遥かに魅力的な写真ができあがるに違いない。
ジャバラを折りたたんだ状態。
幅120mm
高さ63mm
奥行き29mm
ジャバラをのばした状態。
奥行き80mmになる。
上部バタフライ型レバーはフィルムを巻き上げるのだろう。
裏側。
丸い窓がファインダーらしいが何も見えない。
右の蓋がフィルム装填部。
訳のわからない四角い小窓。
その下のレバーは動くには動くが、使途不明。
覗いても何も見えない。
右側は2012年製最新のデジタルカメラ。
偶然だが大きさも重さも殆ど同じ。
100年の時を経て肩を並べた。


2012年 6月17日           お宝か?ガラクタか?
私のウチの古〜い家の古〜い机の引き出しにこんなものが眠っていた。
昭和41年(46年前)に買ったフジフィルム製の「FUJICA Half」というカメラだ。
長い間行方不明になっていたが、古い家のどこかにあるのは分かっていてもその所在を掴む
はできなかった。
それもそのはず、古い薄暗い部屋のめったに開けない引き出しの一番奥に黒い革のケースに
収まっていたから見つけ出せなかったのだ。
年代の割りにはカビもなく状態はベストだ。
この時代のカメラは電池不要だからフィルムさえセットすれば今でも写せると思う。
電池は不要だが写す為の設定はすべて人間がやらなければいけない。
距離、絞り、シャッター速度、フィルム感度、フィルム巻上げ、巻き戻し、すべて手動だ。
だから写す人の経験と知識のすべてが写真の仕上がりに反映される・・・ゴマカシはまったく
かない。
難しさと楽しさは現代のデジカメとは比べるべくもないが、これはお宝か、ガラクタか、どう思
う?
実にシンプルな後姿。 底部の小窓はフィルムカウンター。 右上のネジ孔は三脚固定用。 裏蓋をあけたらこんな感じ。
何だか懐かしい。
昔のカメラのトップ部分はすべてこうなっていた。
だから他人のカメラでも迷わず使えた。
上の小さなリングは距離合わせ。
下の大きなリングは絞り調節用。
ASAはフィルム感度設定用だがそれ以外の英数字の意味は忘れてしまった。
説明書はいまだに見つからない。
この小さなレバーはシャッター速度設定用。
300は300分の一秒という意味だ。
Bは開放、Aはフラッシュ使用。
フィルムカウンターの隣のネジは何なんだろう。
ドライバーで回すようだが・・・。
今のカメラと並べてみた。
右のデジカメよりはるかに大きく、重いがこれでも当時は小型カメラとしてもてはやされた。
今年発売されたフジフィルム製の最新モデル。
セルフタイマーとダイヤルの位置が違うだけで全体のフォルムはあまり変わっていない。値段は約10万円。


2012年4月25日           ベランダ3点セッ受注
友人が家を新築した。
2階には眺望抜群のベランダが作られている・・・うらやましい。
で、彼は「ここへテーブルとベンチを置きたい」と言う。
そりゃそうだろう・・・ここで山や海を見ながら飲む本格コーヒーはさぞかしうまいだろうからな
あ。
周りに高い建物はないし、陽当りはいいし、面積は十分だし、条件は揃っている。
かといってホームセンターで売ってるのは高いばかりでサイズが合わないし、薄っぺらだ。
そこで私の出番となり、早速大きさを打ち合わせして図面を描き起こし、製作に取り掛かった。
この種の木工は戸棚や引き出しのような紙一枚分の精度は必要ないから気が楽だ。
但し、テーブルだけは組み立て式にしなければ大きさと重さの関係で2階まで上げられない。
まあ、脚と天板をボルト止めにすれば済む事だからどうって事はない。
自分で使うものなら多少手を抜いても、仕上げが悪くても後で手直しできるがこういう場合
はそうは行かない。
100点満点でなくても90点くらいはもらいたいものだ。
出来上がって現場へセットしてみると・・・うん、なかなかいいようだ(・・・と思う)


2012年4月23日           春の高瀬川
今年の冬は天候不順というか何というか、3月下旬まで寒い日が続いて梅の花はなかなか咲かず、桜も遅いのかな?と思っていたら暖かい日が数日続くと
一斉に咲きそろった。
でもそれは「そめいよしの」だけの話であって、ほかの種類の桜は例年どうり咲いているのが植物の不可思議なところ。
所詮、開花予想なんかいい加減なものであって「想定内」とか「「想定外」なんて大自然の摂理の前には人間の知恵なんか吹けば飛ぶようなものかも。
ほかの地方の開花状況は良くわからないが、今日高瀬川周辺をブラブラ歩きしていると八重桜らしき桜が満開になっていた。
近くの人に聞くと「八重桜」だと言っていたから花の名前に間違いはないんだろうと思う。
その八重桜の近くに鉄橋があり、時折電車が通過するので何気なく写したのが下の写真。
自分でもたいした写真じゃないのはわかっているが、まあ春の高瀬川の雰囲気は見る人に伝わるんじゃないかと思う・・・伝わらない?
そこを何とか感じ取ってもらいたいものだが・・・。
[あと2週間もすれば高瀬川は堤防も桜の木も新緑一色に染まる]
アンパンマン電車を待っていたが結局来なかった 八重桜 春と初夏の境目


2012年4月 5日           とんぎり山
近くに山条山(やまじょうやま)通称とんぎり山がある。
この山については「讃岐七富士、高瀬三富士」のコーナーで記事にした事がある。
その記事はこちらから→山条山
最近、三豊市のホームページにこの山の登山道が紹介された。
地元の人達が雑木を切り開いて登りやすくしたみたいだ。
早速バイクに乗って行ってみたが、登山道とは言っても幅はかろうじて人間がすり抜けられる程度だ。
木の伐採を最小限にとどめたのだろう。
当然バイクのハンドル幅より狭いところがいくつもある。
そりゃそうだろう・・・誰もこの山をバイクで登る奴がいるなんて想定するはずないからなあ。
ここは無理せずにバイクを降りて歩いて登った。
迷わないように要所の木に目印の赤いテープを巻いてあるのは地元の人の気使いによるもの。
途中、見晴らしのいいところは一箇所しかないが、手入れされた里山歩きは気持ちがいいものだ。
とんぎり山と言われるだけあって頂上が近くなるとかなりな急勾配になり、滑り落ちそうなところはロープを張り巡らせてある。
とは言っても標高189mだから休憩する間もなく頂上に着いた。
以前に登った時は木に囲まれていた頂上も今は高い木が伐採され、眺望は180度になっていた。
下のパノラマ写真は瀬戸内海に向かって左から順に豊中町、詫間町、三野町、高瀬町、つまり三豊市北部が視野におさまる。
この日は写真としての条件が良く、望遠レンズでなくても岡山県まで写せた・・・ラッキー。
登山口 ここまでがバイクの限界 これではバイクはすり抜けられない 緑のトンネル
安全対策    地元ボランティアの皆さんに感謝 頂上
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2012年3月31日           またまたレザークラフト
前回の失敗作に懲りて、今度はデザイン画を描く事から始めた。
作るのはA4の書類ファイルが縦に入る手提げバッグ。
デザインコンセプトは「60代の男に似合う」少々ワイルドでシンプルなフォルムを目指す。
「そんなもの二千円くらいでどこにでも売ってるぞ!材料費だって安くないだろ」と言われそうだが、まったくそのとうり。
材質は丈夫なヌメ皮で、厚さは今ネットショップで手に入る最大厚さの2.0mmを選んだので五千円以上になる。
でもクラフトマンという人種はへそ曲がりなところがあって、自分で作ったものを持ちたがる・・・二千円のを買っても実用上何の支障もないが、いずれは自分の
オリジナルを作りたくなる。
そういうのをクラフトマンシップと言うらしい。
送られてきた皮を見て少々驚いた・・・直径1cmくらいの孔があいている。
ネットショップの商品説明には「天然物なので孔あきや寸法の不揃いがある場合もあります」とある。
しかたない、材料取りの段階でこの孔を避けるようにするしかない。
できるだけ無駄のないように材料を切り分ける。
そして、いつもの手順で裁断と縫い付けを進める。
強度が必要な部分はリベットを打ち付けて剥がれないようにするが、これが意外と仕上がりの見栄えが良くなる・・・プロも用いる手法だ。
但し、これくらいの厚さの皮となると孔明けも縫い付けもかなりな力仕事なので大工仕事に近くなってくる。
女性にもレザークラフトを楽しんでいる人は多いが、まずこんな厚い皮は使おうとしない・・・見ただけでギブアップするらしい。
皮の持つ特性は作るたびに少しずつ理解できるようになってきた。
要するに木材と同じで「生きている」という事だろう・・・使い込むほどに味わい深くなる。
多用途な実用品が一つ増えた。
下手なデザイン画。
でもないよりマシ?
原反を広げてみた。
孔はどうしようもない。
材料を切り分けてみた。
残りはほとんど無し。
外ポケットを縫い付けたところ。
いつもと同じ白糸を使って縫い目をアクセントとする。
全体のフォルムを左右する大事な部分。ふくらみを出すのに相変わらず苦労する。
提げ手。芯材を入れたので強度は十分なり。 全体のカタチが見えてきたぞ 両側のマチ部分。 一本の糸の両端に針を通し、裏表両面から縫い進めて行く。 完成。今日から使える。
ノートパソコンも入るし・・・。


2012年1月20日          大河ドラマ「平清盛」 
NHKの新大河ドラマ「平清盛」の放送が始まったが、何だか例年とは様子が違うみたいだ。
初回の視聴率が過去のワースト3位だったのは置いといて、放送に対して兵庫県の井戸知事が記者会見でイチャモンをつけた。
「画面が汚い、もっと華やかにして欲しい。兵庫県の観光にも悪影響を受ける」と言ったそうだ。
なんで兵庫県の知事がそんな事を言ったのか・・・平清盛が築いた福原京が現在の神戸市兵庫区にあったので、兵庫県は観光誘致を進めているから高視聴
率を期待しているのだろう。
わたしの感想は正反対。
土埃の中の筵掛けの小屋、薄汚い着物に煤で黒くなった顔、浮浪者みたいな民衆は道端で煮炊きをするから集落はいつも煙が漂っている。
画面が薄汚れて見えるのは当たり前で、綺麗なほうがおかしい。
平安時代のリアリティが画面から良く伝わってくる、いい時代考証だと思う。
最近の大河ドラマ、特に去年の「江」などは戦国時代とはとても思えない時代考証が随所に見られてウンザリした。
今年はいいぞ・・・見ていて黒澤明監督の「羅生門」を思い出すような映像だ。
いっそ思い切ってモノクロ画面にして、光の強弱とコントラストで映像美を追求してはどうだろう。
やっぱり無理か?・・・NHKだって視聴率は気にするだろうからな。
NHKの制作責任者は「どのような批判を受けようとも方針は変えない」と明言したが、それは当然だろう。
NHKは特定の観光地の為に大河ドラマを作ってるんじゃないんだからな。
兵庫県庁の広報担当には県知事の発言を批判するメールが多数寄せられているらしい。
それでも県知事は再度同じような発言をした・・・エエ加減にしなはれ。


2012年1月7日          「坂の上の雲」が終わって・・・。 
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放送が終わった。
「坂の上の雲」って何?という方々はこのページの2009年12月3日の記事をご覧あれ。
第一部が2009年11月30日に始まって5回に分けて放送され、、第二部が2010年の年末に4回、第三部は昨年年末に4回、足掛け3年の長丁場だった。
一回の放送は90分だから放送時間を合計すると約20時間という事になる。
この20時間と言う時間は長かったのか、短かったのか、観た人によって受け止め方が違うだろう。
あの長編小説を読破した人にとっては「長い間待たされたけどもう終わったのか?」と感じたのではなかろうか。
日本海海戦
最終回に放送された「日本海海戦」は日露戦争の勝敗を決めた戦いであり、この小説のクライマックスであり、視聴者がもっとも注目したシーンでもあった。
原作では日本海軍連合艦隊とロシアのバルチック艦隊の作戦行動が詳細に描かれ、各艦の動きが時系列に沿って克明に再現されていたので私はまるで
自分が戦艦「三笠」の戦闘指揮所にタイムスリップしたように錯覚するほどの臨場感と迫真力を紙面から感じたものだ
東郷平八郎長官はこの時、世界戦史に残る丁字戦法で危険を顧みず敵前回頭を決行し、敵艦隊の頭を抑えて集中砲火を浴びせて完勝した。
野球に例えるなら10対0または30対1くらいの戦いだ。
海戦だろうが陸戦だろうが、古今東西これほど一方的な勝利は無い、と後世に語り継がれるほどの戦いであった事は世界中の歴史家が認めている。
双方の戦力、火力はほぼ同等或いは日本海軍がやや不利であったにもかかわらず、なぜこのような結果に終わったのか?
それはドラマを観ただけでは理解できないだろう・・・放送時間の制限の為か、制作費の都合か分からないが視聴者に対して説得力が不足していた感は否め
ない。
知りたければ原作を読むしかない。
配役
これだけは観る人の主観に左右されるだろうが、私は特に不満を感じず、総じてはまり役が多かったと思う。
正岡子規役の香川照之は子規本人の写真にそっくりだから納得。
秋山真之役の本木雅弘も秋山好古役の安部寛も小説上のイメージに近い。
児玉源太郎を演じた高橋英樹はいかにも明治の軍人らしく、さすがと言うしかない。
ほかの番組なら主役クラスの石坂浩二、西田敏行、加藤剛、草刈正雄、江守徹といったそうそうたる俳優が次々登場してスペシャルドラマの名に恥じない配役
だ。
ただ東郷平八郎役の渡哲也がしゃべる薩摩弁は下手くそだったし、乃木希典役の柄本明はセリフがモソモソして聴き取りにくかった。
それにしてもこれだけの俳優を集めたらギャラ総額は一体いくら位なんだろう?
特殊撮影
特殊撮影の始まりは昭和30年の東宝映画「ゴジラ」だろう。
この映画は街も電車も船もすべて映画用に作られた模型だったし、ゴジラは着ぐるみだった。
時代は進み、今やCG(コンピュータグラフィクス)なくして特殊撮影はできない。
当然、このドラマにもCGが多用されている。
模型では軍艦の持つ鋼鉄の質感や主砲の砲煙、着弾時に立ち上がる水柱、目標に命中した時の爆発シーンなどの再現性に限界がある。
しかし、このドラマのCGは製作者の苦労が画面から感じ取れるほどの見事な出来栄えだったと思う。
特に連合艦隊が単縦陣で「三笠」を先頭にして一斉に敵前回頭するシーンは本物の軍艦を実写したのでは?と思わせるような迫真力があった。
こればかりは活字とは別世界であり、身動き出来ずに画面に引きずり込まれていた。
当時の敵艦との距離測定の方法や、その距離を主砲砲術長へ伝達し発射に至るまでの指揮命令系統が史実に基づいて精確に再現されていたのはさすが
NHK。
大河ドラマとは比較にならないほどの長い製作期間と巨額の制作費を投じただけの事はある・・・民放では到底真似出来ないだろうな。
日露戦争は正当防衛か?
戦争には正しい戦争も無ければ、悪い戦争も無い。
国と国が戦い、人と人が殺し合い、傷つけ合う。
「お国の為」との大義名分で庶民は徴兵されて、家族とも愛しい人とも引き裂かれ、異国の地で命を懸けて戦わなければならない。
死んでも遺骨が帰ればいい方で、国からの戦死公報の紙切れ一枚が届くだけ。
そんな戦争が「正しい戦争」などと言える訳がないし、思いたくも無い。
だが「侵略戦争」と「防衛戦争」とは次元の異なる戦争だ。
明治時代、欧米の列強諸国は例外なく帝国主義であり、弱小国を侵略し植民地化して自分の国へ富を吸い上げた。
ロシア帝国は勢力を南へ向けて中国(当時の清王朝)を喰い物にし、更に貪欲に勢力を拡大しつつあった。
朝鮮半島がロシアに植民地化されたらどうなる?
朝鮮半島の港がロシアの艦隊で埋め尽くされたらどうなる?
日本は喉元へ刃を突き付けられたのと同じ状態になる・・・伊藤博文始め日本政府も国民もこれを極度に恐れた。
黄色人種が白人国家に奴隷扱いされない為には、全身棘だらけのように武装し、どこの国にも触らせないように自己防衛するしかないのだ。
当時、帝国主義と帝国主義が正面からぶつかれば戦争以外に選択肢は無かった。
こうして日露戦争が勃発し、大きな犠牲を払って日本はロシアという凶暴な虎を北方へ追い帰した。
日本は他国の軍隊の力を借りずに自らの力で「防衛」し、自国の領土や国民には一指も触れさせなかった。
歴史を「もしも・・・」とか「・・・だったら」で語っても無意味かもしれないが、日露戦争が無かったら、日露戦争で日本が敗北していたら、その後の日本はどの
ような道を歩んだのだろう。


2011年10月28日           満水池の鮒
讃岐の国の郷土料理に「鮒のてっぱい」というものがある。
てっぱいって何だ?と言う人は先ずはこちらを→http://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/syoku/2/
昔々、交通手段は牛か馬くらいしかなかった頃は海から離れた地方は新鮮な魚が手に入りにくかった。
こんな狭い讃岐の国でも昔は流通機構が今のように発達していなかったから山沿いの地方では海の魚は貴重な食べ物だったのだ。
でもここには数え切れないほどの溜池があり、鯉や鮒などの淡水魚がいっぱい獲れた。
これを食べない手はない・・・独特の臭みをおさえた淡白な味は日本酒に良く合う。
でも若い人は鮒なんか食べるものではないと思っている人が多いようだ。
満水池は鮒の養殖場であり、鮒が良く太っているこの時期に出荷されるが、需要は年々減ってきているらしい。(理由は上のとうり)
十数年前までは何隻もの船が出て、にぎやかな水揚げ風景が見られたのだが・・・。
でも讃岐名物はうどんだけではない。
「鮒のてっぱい」もうまいし「醤油豆」もうまいのであーる。


2011年9月23日         野良猫ブルース
カメラを提げて近所をブラブラしていると時々猫を見かける。
野良猫か飼い猫なのかは良く分からない。
首輪をしてないから野良猫だ、とも限らないし、首輪をしていても迷子猫や捨てられたのもいるだろうし。
何も写さずに帰るのも面白くないので気が向けばシャッターを押す。
大抵の猫は近づけば逃げるので200mmくらいの望遠レンズで離れて写さなければうまく撮れない。
たまには右はしの写真みたいに殆ど警戒心のない奴もいるが、こんなのは珍しい。
写し慣れてくると野良猫か飼い猫か、何となく区別がつくようになって来た。
野良を本業とする連中は縄張り争いばかりやってるから傷だらけで、栄養状態が悪く毛の色艶も悪い。
今時は生ゴミを放置してあるところもないので野良猫として生きてゆくのも大変だろう。
運が悪けりゃ保健所送りになってしまうし。


2011年7月25日          夏越の大祓
夏越の大祓・・・この読み方は?
正解は「なごしのおおはらえ」だ。
夏越の大祓は【水無月の祓】とも言い、盛夏に入る旧暦六月末日頃に行われる、奈良時代以前から続いてきた由緒ある神事だ。
正月から半年間に積もった「罪汚れ」を祓い清め、人の身に降りかかる『疾病、災厄』を取り除き、『無病息災と家内安全』を祈念する。
夏越祭(なごしさい)と呼ぶ地方もあるらしいが、この神事のメインイベントは萱(ち)の輪くぐりにある。  ※現代では萱は“かや”と読む。
萱は古来より神秘的な生命力を持っている、とされている。
萱の輪作り
前日の朝早くに数名で近くの高瀬川の土手に密生している萱を刈り取りに出かける。
朝早ければ早いほど朝露を含んだ、みずみずしい萱が手に入る。
この萱で人がくぐれる大きさの輪を作るのだが、しめなわと同じでなかなか難しい・・・太さを均等にして丈夫な輪にしなければならない。
茎を切り揃え、色の悪い葉を取り除きながらベテランの指示に従って進めて行く。(下の写真参照)
お祓い
お祓いを受けるにはあらかじめ氏子各世帯に配布された紙人形(ひとがた)に家族の氏名、年齢、干支を書き入れて、身を撫で三度息を吹きかける。
できれば枕の下に敷いて寝るのが良いとされている。
祭事当日にこれを神前に納め、神官のお祓いを受ける。(この時神官はひとがたに書かれた全員の名前を読み上げてくれる)
ひとがたは後日、神官が海に流すならわしとなっているそうだ。
私はこの神社の会計係りなので参拝に来てくれた氏子からひとがたと玉串料を受け取り、神前にお供えするのが例年の役目となっている。
萱の輪くぐり
お祓いを受けた人は順次、拝殿前に作られた萱の輪くぐりを行う。
神官のあとに続いて八の字を描くように萱の輪を二度くぐる。(下の写真右はし)
こうすれば人は萱の持つ神秘的な力を授かる事ができると言う。
由来:神話 兄・蘇民将来と弟・巨旦将来
昔、北海にいた武塔の神が南海への旅をしていた。
途中日が暮れて、とある集落で一夜の宿を探した。
そこには将来という二人の兄弟が住んでいたが、兄・蘇民将来は大変貧しく、弟・巨旦将来は裕福であり屋倉が百もありおおきな家に住んでいた。
武塔の神は富める弟に一晩泊めてもらいたいと頼んだが断られた。
しかし貧しい兄は快く招き入れ、粟飯を饗してもてなし、粗末ではあるが藁で暖かい寝床をつくった。
何年かして武塔の神は旅の帰りに兄の家を訪れ、この前の恩返しをしようと言い「汝の子孫はいるか」と問うた。
兄が「私の妻と娘がおります」と答えると武塔の神は「萱の輪を腰に着けさせよ」と告げた。
まもなく集落に疫病が蔓延し大勢の村人が死んだが、萱の輪を離さなかった兄一家だけは無事であったという。
                                             釈日本紀・巻七に引用する『備後国風土記』より
   ※日本に限らずどこの国でもこのような神話は星の数ほどあるだろう。
     しかし、この神話はいくら神話とはいえ説得力不足ではなかろうか。
     武塔の神にそのような力があるなら村人全員に萱の輪を持たせておけばいいのに・・・と思ってしまう。
     こんな事を言うと信心深い人に「神様は忙しいんじゃ!」と怒られるだろうなあ。
刈り取った萱は茎を切り揃え、葉を整える。 萱を束ねて縛り、葉の中に茎を差し込んで長くして行く。 かなり長くなってきた。 ベテランKさん。
格好がさまになっている・・・さすが
輪が出来た。
直径約2m。
青竹で支柱をつくり、輪を取り付けたところ。 御幣や小幟をつけて完成。 輪くぐりの最中。


2011年4月12日           春・花ざかり
有史以来ともいえる東日本大震災で被災した地方では桜も,庭の花も,野の花も根こそぎ津波に持って行かれてしまった。
元どうりに咲くのは何年後か・・・。
当たり前に電気や水道が使え、当たり前に食べ物が手に入り、そして当たり前に春の花が咲く・・・普段何でもない事がありがたく感じる。
我が家の近くの里山周辺では今が花ざかりだ。
4月になってから天気のいい日にはカメラをさげてミニバイクにまたがり、気の向くままに200枚ほどの写真を写した。
下の写真はその中から「良さそうなの」を選らんでみたが、コンクールに出せそうなのは一枚もない・・・修行が足りん!


2011年3月25日           敷石工事
我が家の車庫前は8m×4.5mの約36uの空地になっている。
昔は土のままだったが、砂利を入れたり、一部芝生を植えたりしてなんとか見栄え良くしようと手を尽くし、近年は殆どの部分に高麗芝を植えていた。
芝は見た目にやさしく、歩く時のクッションも良く、4月頃からは青々としていて見ているだけで気持ちがいい。
しかし短所もある・・・一年中青々としているわけではなく、冬は枯れるし、夏の暑さにも弱いし、すぐ雑草が生え病気が発生し易い。。
ゴルフ場やサッカー場はそうならないように専門知識を持った人達が年中手入れをしているのであんなに綺麗なのだ。
私にはそんな専門知識はないが、何とかここまで素人なりに手入れを続けて来た・・・インターネットで調べて殺菌したり、根切りしたり、穴を明けて土中へ酸素を
送ったり・・・。
しかし、車庫前なのでクルマに踏まれたり、人が歩き廻ったりするので年月と共に土は固くなり、芝が育ちにくくなってきた。
それに追い討ちをかけるように去年の記録的猛暑で半分くらい枯れてしまった。(下左端のBefore写真)
植え替えも考えたが、そんな事してもいつかは又こんな状態になってしまうだろう。
そこで一念発起し、全面に敷石を並べる事にした・・・それも業者に頼まず一人で。
工事期限は予定なし、疲れたら休めばいいし、休んでも誰にも文句は言われない。
芝は根こそぎ剥がし、土を掘り、地面を平らにしてから30cm×60cm(厚さ約5cm、一枚25kg)のミカゲ石を並べてゆく。
石の裏側はデコボコなので水平にレベルを保つのが難しく、一枚づつ砂利や砕石で調整しなければならない。
並べただけでは安定しないので石と石の間はコンクリートを打つ・・・勿論雨が降ったときに池みたいにならないように勾配をつける。
使った石は120枚、つまり120×25Kg=3,000Kg=3トン。
ドライモルタルが30袋、砕石10袋、、工事期間約2ヶ月、人件費はゼロ。
そのかわり毎晩湿布薬のお世話になった・・・腰は痛いし、肩は凝り、腕はパンパン、体中がギシギシ言っている。
掘って山の谷へ捨てた土の量は数百Kgか・・・計るすべがない。(他人の山へ捨てたわけではないから不法投棄にはならない)
まあ、この強度なら乗用車の2台や3台置いてもびくともしないが、戦車やブルドーザは無理だろう。。
結局一部分だけ芝を残した・・・理由はこのページのタイトルと同じで、単なる気まぐれだから。
去年の夏の状態。 最初の20枚の施工が終わった。
先は長い。
作業中に雪が降り始めた。
今日はここまで
掘った土は袋に入れ、ワゴン車で山へ運ぶ。
重労働!。
やっと半分終わった。 特に固いところは電動ハツリ機の登場。 最後のコンクリートを打ち終わったところ。 最終仕上げも終わり、これで全工程完了。
あ〜疲れた。


2011年2月12日           初雪じゃ!
朝起きると外はところどころが白い・・・どうやらゆうべ少し雪が降ったようだ。
初雪じゃ・・・とは言うものの積雪何センチと呼べる程の雪でもない。
陽が昇ればすぐに溶けてしまうだろうが、最近はこの程度の雪でも積もる事自体が珍しくなってしまった。
だが、こんな少ない雪でも殺風景な冬枯れの里山には十分な雪化粧になった。
下の写真は三豊平野の七宝山(しっぽうざん)を朝日を背にして写したもの。
このようなパノラマ写真は左クリックで拡大しただけでは画面の横幅に制限されるので、さほど大きく拡大されず元画像のリアリズムが再現されない。
更に大きく、画面の縦サイズ一杯に拡大すれば撮影時にカメラのファインダーを覗いた時の迫真力と解像度がこの画面で体験できる


2011年1月26日           レザークラフト 失敗作と成功作
久しぶりのレザークラフト。
ひとつは大きめでポケットのついたトートバッグ。
大きさは幅280mm×高さ300mm×奥行き160mmと決めた。
この寸法はいい加減に決めたのではなく、ホンダモンキーの前篭にすっぽり入る大きさだ。
本体やショルダーベルトの製作は手間はかかるものの、難しい箇所はない。
しかし、ポケットのふくらみを出すのに思ったより苦労した。
1.6mmの厚い皮を水に浸して柔らかくし、木型に合わせてふくらみを出す。
こう書いてしまえば簡単なようだが、1.6mmの皮はそう簡単に言う事を聞いてくれない。
ドライヤーで乾かしては又水に浸し、木型に合わせて少しずつカタチを出す繰り返しだ。
苦労の甲斐あってやたらに丈夫で、ポケットの実用性も高い、いいものができた。
成功作と言えるだろう。
もうひとつは野性味のあるメンズショルダーバッグ。
見た目はいいがこれは完全な失敗作だ。
なにしろ皮が厚くて硬いので中身の出し入れがやりにくくてしょうがない。
財布、カードホルダー、眼鏡、メモ帳。ボールペンなどを入れて使ってみたが、一日でやめた。
欲しい人がいたらあげるつもりだが、そんな人はいそうもない・・・・とりあえずどっかへぶら下げておこう。


2010年12月28日           氏神様の正月準備
氏神様の正月準備は大掃除は勿論、新しい注連縄(しめなわ)作りと掛け替えに忙しい。
大掃除やすす払いは約20人の神社総代と近所の子供会やその父兄を総動員して行なわれる。
神社総代のメインになる大仕事が注連縄作りだ。
全部で4本必要だが1本だけ取り付け場所を変えて来年一年間使うので、新しく作るのは3本だ。
これには作り方を熟知したベテランの指導者が中心となって進める・・・私のような未熟者は「コツ」を教えてもらいながら見よう見まねで作業を手伝う。
それにしても藁束をねじりながら巻きつけて行くのはかなりな握力と持久力が必要だ。
褒めたりけなしたりし、疲れたら交代して何とか午後2時頃にはすべての作業を終えた。
あとは初詣客を待つばかり。
お賽銭を入れたら「二礼二拍手一礼」をお忘れなく
1本の孟宗竹を芯にして稲藁を巻き付けて行く。 稲藁は3束に分けて右へねじりながら順序よく巻いては絞め付けを繰り返して行く。 巻く人、押さえる人、藁を継ぎ足す人など、1本当たり最低5人がかりの作業になる。 3巻き目を巻く前の状態。
まだスキマがあいている。
すべて巻き終った状態。
はみ出た藁は綺麗に散髪する。
取り付け作業 取り付け終わった本殿前 社務所前 石段入口の鳥居 参道入口の大鳥居

 
2010年12月24日           クルマの成人式
クルマの成人式?
私のクルマ「LEGASY 2000 4WDツーリングワゴン」は平成2年12月24日に我が家にやって来た。
長男がまだ小学生だった。
この年にどんな曲がヒットしたか、調べてみると「おどるポンポコリン」「浪漫飛行」「恋唄綴り」そして今や定番と
なった山下達郎の「クリスマスイブ」などが出て来た。
あれから20年乗り続け、幾多のトラブルを克服してめでたく成人式を迎えたわけだ
今時この年式の同じ車種を見かける事もなくなったが、どんなに古くなっても恥ずかしいなんて全然思わない。
それどころか、20年間乗り続けてこの状態を保っているのは自慢したいくらいだ。
無事故だし、丹念なメンテナンスでエンジンもミッションも快調だし、外部は再塗装して鏡みたいだ・・・実際顔が映る。
誰だって金さえ出せば新車は買える・・・このクルマより走行性能も燃費も良く、安全装置の備わった、より快適なドライビングが楽しめる最新型が買える。
20年も乗ったのだからいつ新車に乗り換えてもおかしくない・・・だが逆に20年も大事に乗り続けたのだから今更乗り換えなんて、と言う思い入れもある。
クルマに寿命はあるのだろうか?人間と違って殆どの部品は交換してに蘇らせる事ができるのだが、それでも延命措置ができなくなる時がいずれやってくる
だろう。
どうしようもなくなる迄面倒を見て、大往生を遂げる日が来る迄乗り続けるつもりだ。
乗り手の寿命のほうが早かったりして・・・。
左は近くの公園の道端へクルマを停めた時の一枚。
思いがけずに冬の花がエンジンフードや窓ガラスにクッキリと映り込んでいた。
帰ってパソコンで見てみると以外と面白い写真になっていた。偶然、まぐれ、たまたま・・・。
でも成人式の記念にちょうどいいかも。


2010年12月1日           続・「はやぶさ君」 6月20日の続編
はやぶさ君が小惑星イトカワから地球へカプセルを持ち帰ってからもう半年近くになる。
普通ならこの手の話題はすぐ忘れられるし、マスコミも取り上げなくなるケースが多い。
しかし、最近になってはやぶさ君はまたまたテレビ、新聞をにぎわしている。
当初、カプセルにはイトカワの砂、石などのサンプルは入っていないのではないかと関係者はほぼ諦めていたが、微粒子が見つかったのだ。
100分の1mm〜1000分の1mmの微粒子が1500個も見つかったのだ・・・ん?そんなに小さいのか?と言ってはいけない。
これは大変な成果だ、これだけあれば分析するには十分な量だし、日本だけでなく世界各国の専門の技術者に配る事もできるらしい。
関係者は狂喜乱舞、呑めや唄えの大騒ぎ。(したかどうかは知らないが)
ニュースはこれだけでは終わらなかった。
複雑な構造のカプセル内の別の区画から、これ迄より大きな10分の1mmの微粒子(というより?)が数百個も出て来たというから驚きだ。
この大きさなら切断して分析する事も可能らしい・・・切断? どうやって? カミソリみたいな刃物で切るのか?・・・まさか。
そんな方法が素人に分かるはずもないが、マスコミがこんなに大きく取り上げるのははやぶさ君が今年一番の人気者英雄だから、だけではない。
地球以外の天体から地表面の物質を持ち帰ったのはアメリカのアポロ計画以来の事であって、無人探査機が持ち帰ったのは史上初の快挙だ。
オリンピックやアジア大会での日本の金メダル数はいつも期待はずれだが、この分野での今年の金メダルはまちがいなくはやぶさ君のものだ。
国民栄誉賞をあげたいくらいだが、良く考えるとあれは人間がもらうものだった。
で、その微粒子や砂を分析すれば何が分かるの?
それはイトカワには大気がまったく無く、宇宙誕生のビッグバンから惑星などが生まれた46億年前の姿をそのまま保っているからだ。
つまり地球上の物質からは得られない貴重な情報が得られるのだそうだ。
分析の結果が私達に理解できるかどうか、は別として何だかワクワクする。
2台目、いやはやぶさ2世の誕生が待ち遠しいのは私だけか?


2010年11月18日           テレビの前に釘付け
プロ野球
私は普段あまりプロ野球を見ない・・・しかし今年はシーズン終盤に来てからいつもの年と様子が違ってきた。
セリーグはペナントレース1位の中日がCS(クライマックスシリーズ=1〜3位のチームによる日本シリーズ出場権を決める試合)を勝ち抜いて名実共にセリーグ
のチャンピオンとなった。
が、パリーグはそうすんなり行かなかった・・・ペナントレース3位のロッテがCSで2位の西武、1位のソフトバンクに劇的に勝ち越して日本シリーズの出場権を
勝ち取ったのだ。
こうなるとパリーグの覇者はソフトバンクなのか?ロッテなのか?
ソフトバンクは長いペナントレースを最も高い勝率で戦い抜いたからペナントレース優勝チームとなる。
しかしパリーグを代表して日本シリーズに出場するのはCSという短期決戦を制したロッテなのだ。
真の覇者はどっちだ?なんとなくスッキリしないのは私だけか?
それはさておき中日ロッテの日本シリーズが始まった。
一試合ごとに勝ち負けを繰り返して、この試合に勝てば日本一になれるという第6戦はテレビの前に釘付けになってしまった。
2対2のまま7回から両チーム共1点も取れず、スコアボードはゼロのオンパレードで延長15回で規定により引き分となった。
試合時間は何と5時間43分・・・シリーズ史上最長試合となり、終わったのは日付けが変わる5分前。
「面白い試合」とか「手に汗握る大熱戦」とかではない・・・両チーム共ここという時に点が取れず、もうこの回で決着が付くだろうと思いながら見ていた私は風呂
にも入れず、寝るに寝られず、結局12時までテレビの前に釘付けになってしまった。
さらに翌日も延長戦にもつれ込み、12回にロッテが勝ち越し点を入れて日本シリーズはやっと幕引きとなった。
それにしてもペナントレース3位のチームがリーグ1位になり、更に日本一になったのだからマスコミは「下剋上」だと書きたてた。
(下剋上とは戦乱の世に家来が謀反を起こし、主君を討つ、というのが本来の意味なのだが・・・ま、いいか)
2日間で合計8時間くらい野球を見た事になる・・・あー疲れた。
女子バレーボール世界選手権
野球も面白いし、サッカーも面白い。
しかし、どちらも2時間も3時間もテレビの前にいて1点も入らず、挙句の果てに引き分け、なんてつまらない結果に終わる試合もある。
第一、野球は攻守の交代やピッチャーの交代に時間がかかり過ぎて退屈する試合もある。(オリンピックの正式種目から外れた要因のひとつかも・・・)
その代わり、いくらリードされていても9回裏2アウトからヒットやホームランで一発逆転のサヨナラ勝ち、なんてスリリングな試合もある。
じゃバレーボールは?
これは決められた点数を先に獲ったほうが勝ちだから、見ていて息つく間もないほど緊迫した試合が見られる時があって中々面白い。
今回の女子バレーボールはそんな試合が2試合も見られた。
ひとつは準決勝の対ブラジル戦だ。
私の予想では3対0か3対1でブラジルの勝ちと見た。
日本は今年8月の試合ではブラジルに勝ってはいるものの、ブラジルの実力はあんなものではない・・・ロシアと並んで世界の女王を争えるのはブラジルくらい
だろう。
ところが試合が始まってみると第1セットを日本が簡単に獲ってしまった。
まあこんな事もあるだろうと思っていたら第2セットは手に汗握る大接戦になり、35対34という女子世界バレー史上最長のラリーの応酬の結果、日本が獲った。
まさか、まさか・・・セットポイント2対0になってしまった、あと1セット獲れば日本がストレート勝ちするのだ。
もし日本にストレート負けしたら彼女達は泣きながら地球の裏側まで帰らなければならないのだ。
しかし敵もさるもの、第3セットからブラジルは隠していた牙を剥き出し始めた、というか本来の実力を発揮し始めた。
コンビネーション、サーブレシーブ、スパイク、ブロックがかみ合うようになり、日本は少しずつ引き離され、追いつけそうで追いつけない。。
そしてファイナルセットもブラジルの勢いを止められず、結局3対2で負けてしまった・・・逃がした魚は大きかった。
がっかり。
余談だがブラジルシェイラという選手は美人だ・・・もし身長2m以上の美女コンテストがあったら間違いなく彼女がナンバーワンになるだろう(と思う)
11月14日の準決勝ラウンドはロシアブラジルが決勝へ進んだので、翌日残ったアメリカ日本で3位4位を争う事になった。
勝った方が銅メダル、負ければだだの4位となってしまう。
試合前にコートに並んだ両チームの選手を見比べてその体格の差に驚いたのは私だけではないだろう。
参加24カ国中もっとも平均身長の低い日本に比べてアメリカチームは高いだけではなくみるからにパワフルなのだ。
65年前、日本はあんな国と戦争をしたのか?あ、これは少々話の筋が違う。
試合が始まると日本の選手はアメリカの高さとパワーにひるむ事なく互角に渡り合った。
フーカーという選手のスパイクは男子並みだ・・・3mくらいの高さからボールを弾丸のようなスピードでコートの真ん中に叩きつけてくる。
しかし、日本の選手は平均身長の低さを猛練習で磨いた技術でカバーした。
第1セットは失ったものの、第2セット以後は両チーム一歩も引かぬ大熱戦となり、テレビの前から離れられない。
それまで寝転んで見ていたが、起き上がり身を乗り出して「ヨシッ!」とか「いけー!」とか一人で応援をやりだした。
アメリカも必死だ・・・世界ランキング2位のアメリカが同5位の日本に負けて、銅メダルさえ取れずにどんな顔して太平洋の向こう迄帰れよう。
火花を散らす大接戦はファイナルセットへもつれ込んだ・・・こんな興奮する試合はそう滅多に見られるものではない。
しかし、ここへ来てアメリカの集中力と勝負への執念が途切れたのではないだろうか・・・私にはそう感じ取れた。
最後の最後に日本アメリカを突き放し、めでたく32年ぶりのメダルを獲得した、そしてバレーボールは高さとパワーだけのスポーツではない事を彼女たちが
証明した。
いまだに興奮から覚めていないみたいだ。



2010年11月2日           三段引き出しユニット
長い間大工仕事をしてなかった。
別に飽きてしまった訳ではないが、さしあたって作る物がなかっただけの話。
最近我が家で3台目の地デジテレビを買った。
古いアナログテレビはリサイクルの為引き取ってもらったが、その跡にはとても42インチのテレビは収まらない。
で、別の場所へ置いたら古いテレビの跡がポッカリ穴があいたように空間ができてしまった。
小さな21インチ型だったが、なくなってしまうと意外とその空間は大きく感じる。
さてどうしよう・・・何か作って穴埋め(?)しなければいかにも不自然だ。
ガラス入りの戸棚にしようか、引き出しユニットにしようか、それとも手を抜いてただの仕切りの入った箱にしようか。
しばし考えた結果、一番手間のかかる引き出しユニットを作る事にした。
大きさはスペースが決まっているから幅525×高さ400×奥行き370mmになり、変えようがない。
この大きさでは五段にすると大きい物が入らないから三段にして、一番下は大きめにしよう。
本体の主な材料はパイン集成材とファルカタ(日本名:桐)で決まり。
で、出来上がったのが左の写真。
これに1万円札をギッシリ詰め込んだら幾ら入るだろう?


2010年10月8日           道端に咲く秋の花
気が向くままにミニバイクにまたがり、トコトコとゆっくり走りながら、気に入った被写体を見つけたら止まってシャッターを押す。
今年の猛暑は当然道端の花にも影響があったみたいで、例年なら彼岸の時期に咲く彼岸花は今が花盛りだ。
コスモスも一週間くらい遅いような気がする。


2010年10月3日              「尖閣諸島」
日本列島の西端に尖閣諸島という島々がある。
昭和以前には日本人が住んでいて、鰹節工場があったらしいが、今は無人島になっている。
当然、日本固有の領土であり、それを証明する歴史的資料や文書もあり、国際的にも何の問題もない。
領土であるからにはその周辺海域は日本の領海である。
そこへ中国の漁船が入ってきて違法操業し始めた。
日本の海上保安庁の巡視船はこの漁船を取り締まろうと停船を命じたが、素直に止まればいいものを、一目散に逃げ始めた。
当然、巡視船は追いかける・・・何度も警告するがと止まろうとしない。
逃げ切れるはずもないのに、何を血迷ったか漁船は巡視船の舷側に船首から体当たりしてやっと止まった。
これが道路上なら暴走族がパトカーに追いかけられて逃げ回り、あげくのはてにパトカーに体当たりしたようなものだ。
船長は逮捕されたが、なぜか船体は拿捕される事なくほかの船員も逮捕されなかった。
この事件を知った中国政府はこれまでにない剣幕で強硬に抗議してきた。
尖閣諸島はわが国の領土である!」「船長を即刻釈放せよ!」「さもなくば報復するぞ!」と声明を発表した。
これには驚いた・・・ヤクザかチンピラの言いがかり、恐喝と同じレベルであり、まともな国の言う事ではない。
更に驚いたのは、検察は逮捕した船長を起訴もせずあっさりと釈放してしまった事だ。
これがのちに与党民主党に対し「戦後最大の外交的敗北」だと野党に責め立てられる事になる・・・責められて当然だ、誰がどう考えても無罪放免していい訳
はないだろう。
政府民主党は「政治は検察の決定に介入していない」と言うが本当なのか?検察だけでこのような政治的判断をしたのか?良くわからない。
だが、日本の政府は中国政府の脅しに怯えて「はい、すぐ釈放しますから事を荒立てないようにして下さい」と言ったのと同じ事なのだ。
日本国民の大半の人々は「屈辱」「情けない」「弱腰外交」「弱虫民主党」「舐められている」と思っただろう、「これでいいのだ」とバカボンのパパみたいな事を言
う人がどれだけいるだろうか。
中国漁船が体当たりしてくるシーンが撮影されたビデオはまだ那覇地検に保管されているので、法的には今すぐ一般公開は出来ないらしい。
船長は「私は違法な事は何もしていない」と主張し続けているが、このビデオが公開されればすべてが明らかになる。
船長が中国へ帰国してからも中国政府は日本への批判と脅しの手を緩めなかった。
東シナ海のガス田問題などがからんでいるので、中国は尖閣諸島付近を自分の縄張りとして国際社会に認めさせたいのだろう。
そんな不合理な主張が認められるわけがない・・・尖閣諸島は日米安保条約の範囲に含まれているからだ。
私は「中国」という国そのものは嫌いではない、というより好きな国のひとつだ・・・西遊記と三国志の国、日本と同じ漢字の国、そしてシルクロードの国であり、
歴史ロマンに溢れた国だ。。
しかし、共産党一党独裁の政府が支配し、民主化運動を武力で弾圧し、今回の事件を話し合いで解決しようとしない国は嫌いだ。
中国は恥を知るべきだ。


2010年9月1日              高瀬川の鉄橋で
@このホームページの「みとよ平野の四季彩」にも高瀬川の鉄橋を渡る列車の写真をいくつか掲載してある。
が、あの写真の主体は風景であって列車ではない・・・そこで残暑厳しきなか、ツバ広の帽子をかぶって「普通電車」「特急電
車」「貨物列車」を主人公とした写真を撮るべく高瀬川へでかけた。
撮影ポイントを決め、2mの脚立を立て、その上に腰掛けて時刻表とニラメッコしながら獲物が来るのをじっと待つ。
日本のJRは世界一時刻に正確と言われるはずだ・・・あらかじめ調べておいた鉄橋通過時間に僅かな狂いもなく各停の下り
電車が鉄橋へやって来た
写真は少しピンボケしているように見えるが、これはシャッター速度を1/60秒に設定して、電車のスピード感を出したからだ
A「特急」とは名ばかりではなかった・・・さすがに速い、時速120km/hくらいか。
だからシャッターチャンスを逃がさないように息を止めてファインダーに集中していなければいけない。
シャッターを押すのが一瞬遅れたら特急のノーズ部分は画面の左へはみ出していただろう。
「普通」と「特急」の写真のブレの大きさの違いは速さの違いによるものだ。
できるだけ近くで写そうとして線路のすぐ下に脚立を立てた為、通過時の風圧で脚立から落ちそうになった。
言われるまでもなく、これは「マグレ当たり」だが自分でも良く撮れたものだと思う。
10枚に1枚くらいしかHITしないだろう・・・つまり打率一割というところだな。
Bこの雄姿、鋼鉄の質感と圧倒的重量感、長い長いコンテナ車を牽引する力強さ・・・堂々たるEF型電気機関車だ。
この時代にもっとも蒸気機関車に近い雰囲気を持っているが、いくら乗りたくても、乗せてはくれないのがこの貨物列車だ
真打ち登場みたいに最後に走ってきてくれたが、シャッターチャンスがほんの一瞬速かった。
比較的速度の遅い貨物列車でさえ1秒間に15mくらい進む、次は0.3秒くらい遅くシャッターを押さなければいい写真にならな
ない。
上の特急と同じ位置で写せれば今年最高のベストショットになっただろう。
ん〜、修行が足りんなあ、カメラの性能もレンズの解像度も関係ないし。
撮影時の気合いと動体視力の問題だろう、背中の焼けるような暑さも辛抱しなければいい写真は撮れないのだろうな
これまで動く被写体は猫か鳥くらいだったが、今回初めて高速で移動する被写体の難しさを痛感した。
狙ったとうりの写真をものにするには「ゴルゴ13」なみの才能と努力が必要かもしれない。(少々おおげさ)
私のカメラにも連写機能はあるが、あれは機関銃みたいなもので「数撃ちゃ当たる」機能だから、うまく撮れても技量の向上には繋がらない。
昔のフィルムカメラの時代にプロ野球のカメラマンはバットが球に当たる瞬間を100%の確率で写し撮ったらしい。
今のデジタルカメラは高速連写が可能だから、そんな職人かたぎのカメラマンは必要とされなくなった。
だから新聞のスポーツ欄の一瞬を捉えた見事なショットを見ても感心しなくなった。


2010年8月27日           猛暑・炎暑・酷暑・残暑
例年なら八月も末になれば多少は秋の気配を感じるものだが、今年はそんな気配はない。
テレビはあいも変わらず「今日も猛暑日が予想されます」と伝えている。
35度なんか当たり前で、地方によっては38度以上も珍しくない。
熱中症で亡くなる人の数も毎日記録を更新し続けている。
太平洋高気圧が強すぎるのか、シベリアあたりの高気圧が弱すぎるのか、どちらにしても天気図に変化はなく、まだこの暑さ
が続きそうだ。
しばらくは雨らしい雨も降っていないが、幸い四国のみずがめ「早明浦ダム」の貯水率は常に100%近くを保っている。
秋の気配を感じない空 これがせめてもの救いだ。
左の写真は高い松の木に止まったクマゼミを200mm望遠レンズで捉えたもの。
この時期になるとセミの世界もクマゼミからツクツクボウシにバトンタッチする筈なのだが、今年はまだクマゼミが頑張ってる。
毎年我が家の庭ではツクツクボウシの合唱が聞けるのだが、まだ2,3匹の鳴き声しか聞いていない。
地上へ出てきたものの「あれ?クマゼミ君がいるけど、出てくるのが早過ぎたのかなあ?」なんっちゃって、遠慮してるのかも。
日が暮れるのが早くなっているのだから、秋が近づいているのは間違いないのだけど・・・。
今夜も熱帯夜か〜。
がんばってるクマゼミ 残暑もいい加減にしてザンショ。


2010年8月6日           「青い山脈」
早速、おととい届いたレンズで遠くの讃岐山脈を写しに出かけた。
場所は三豊市豊中町のとある建物の3階・・・ここは讃岐山脈の西半分が障害物なしに見通せる絶好のポイントだ。
ところが讃岐山脈はここから以外と近く、最大ズーム200mmは必要なかった。
結局80mmくらいの焦点距離で6枚写しパノラマに合成した。
200mmの真価を発揮する機会はこれから幾らでもあるだろう。
何の変哲もない写真だが、私はこれを写しながら昭和20年代の「青い山脈」という古〜い唄を想い出した。
左クリックで拡大、もう一度左クリックで更に拡大。
 
 
2010年8月4日         望遠レンズを買った
ついに買った!と言うか・・・「買ってしまった」
早い話(ゆっくり話しても同じだが)煩悩を振り払い切れずに買ってしまったのだ。
今使っている一眼レフカメラに取り付けるレンズは超広角ズーム(11−18mm)と標準ズーム
(18−55mm)と中望遠ズーム(18−135mm)の3本立てだった。
私の撮影スタイルから言えばこれで十分だと思っていた。
(というより自分に言い聞かせていた)
プロじゃないんだからこれだけあれば普通に写真は撮れるのは確かだ。
がしかし、人間の物欲とはきりがないもので、被写体の範囲が少しづつ広がり始めるのに
同期して長望遠レンズが視野にちらつき始めた。
そこでしばらく考えた。
「今のままでいいじゃないか!長望遠なんてめったに使わないのに!」
「いや、300mmとは言わないから、せめて200mmがあれば被写体の幅が広がるぞ!」
「と言っても安い買い物じゃないぞ!」などなど迷いに迷った結果、一応これで打ち止めと心に
決めて、前から気になっていたニコンVR55−200mmズームを買った。
VRとは、シャッターを押す時などにカメラが動いて写真がブレてしまうのを軽減する便利な機能の事だが、手持ちのレンズにはそんなハイテク機能は付いて
ない。
ブレをゼロにはできないが、薄暗い時や動きの速い被写体を狙う時にシャッター速度を3段分上げられるので、シーンによっては有効に働いてくれるはずだ。
今日届いたばかりなので今は欲しがっていたオモチャを与えられた子供と同じ気持ちだ。
でも今日は曇っていて、遠くの山並みがかすんで写せない・・・あした天気にな〜れ。


2010年7月25日         夏の爺神山からのパノラマ写真
このダイアリーの5月11日に爺神山からのパノラマ写真を掲載した。
新緑の季節は山や木は綺麗な緑色に写るが田んぼは田植え前なので土色にしか写らない・・・これが気に入らず、空の色もスッキリせず、ずっと気になって
いた。
が、7月24日に復讐の時はやってきた(なんとおおげさな・・・)
少し風があるため空気が澄んでいてかなり遠くの海や山が鮮明に見えるし、空は真っ青だ。
逆光にならないように太陽が後ろにくる午後2時頃に下の写真を写した。
自分では狙いどうりのいい写真が撮れたと思っている(讃岐山脈がもう少しクッキリしていれば最高だが)
望遠レンズで最大ズームにすると瀬戸大橋の一部も視野に入る。(画面中央の入道雲の左下あたり)
これは5枚の写真をデジタル合成したもので、元画像は14,000×2,300ピクセル(約30MB)という巨大サイズだから、そのままここへ掲載したら縦も横も画面
から大きくはみだして何が写っているのか判らなくなってしまう。(そのかわり人の姿まで判別できる)
画面上左クリックで拡大、もう一度左クリックで更に拡大。


2010年7月17日         2010高瀬空射矢まつり
空射矢は「そいや」と読む。
そのまま読み取れば「空に向かって矢を射る」という意味になる。
が、この地方には「そいや」と言う方言がある・・・「そうなんだよ」と言う意味だが、両方とも語呂がいいのでこうなったとか。
空射矢まつりそのものは昔からある伝統的な祭りではない。
私が物心ついた頃は祇園神社の夏の例大祭として行なわれていたのだが、時代と共に変化して今の形となった。
昔のこの祇園神社(今は高瀬天満宮とも呼ばれている)の夏祭りは境内は勿論、前の道路も露天で埋め尽くされ、にぎやかな地元の夏の風物詩となって
いた。
そして昭和50年頃高瀬町はお茶の名産地である事から「高瀬お茶祭り」が併催されるようになった。
このお祭りから「高瀬茶摘音頭」とその踊りが行なわれるようになり、婦人会だの子供会だの会社や団体が踊りに参加するようになってきた。
それでもメインは祇園神社周辺であり、車両通行止めにして流し踊りと総踊りが行なわれ、古きよき時代の雰囲気を失ってはいなかったのだ。
平成の時代になってから少しづつこの祭りの様相というか実行方法が変わっていった。
メインは祇園神社から市役所周辺に移り、踊りはそれまでののんびりしたものから若者向きのテンポが早く激しいものなった・・・・高知の「よさこい踊り」みたい
に変化したのだ。
踊りには決められた音楽を使う必要はなく、踊り子連が独自に決めた唄や音楽を使えるようになり、踊る人も見る人も楽しい夏祭りに様変わりした。
市役所前は露天が立ち並び、踊り子連や大勢の見物客で賑わい、若い人の熱気に圧倒される。
それに比べて祇園神社の静かな事・・・当番として本殿内に座っていてもたまにお賽銭をあげに来る人がいるくらいで、昔の賑わいを知る者にとっては淋しい
限りだ。
が仕方ない、あんなのんびりした茶摘音頭では若い人には受けないし、人の集まりも悪いし、祭りの存続問題にもなってくるだろう。
我が家の前も祭り提灯がズラリと下げられ、音楽が流され、踊りの列が通って家にいても祭りの雰囲気が楽しめた。
もう一度あんな時代が来ないかなあ・・・来ないだろうなあ。
神社正面(昔の賑わいはどこへ・・・) 地元自治会の獅子舞も奉納される 美女に頼まれてパチリ! 市役所前特設ステージ 香川西高前
つゆ明け直後の青空の下、香川西高前か市役所前にかけての大通りやステージでは昼3時から夜10時までにぎやかな踊りで盛り上がる


2010年7月13日         サッカー ワールドカップ
サッカーW杯南アフリカ大会はヨーロッパ勢同士の決勝でスペインが優勝し、幕を閉じた。
スペインの速いパス回しは驚異的だし、優勝チームにふさわしい守備陣がそろっている・・・全7試合で2点しか失わなかったのだから。
日本チームは一次リーグ敗退と予想する人が多い中、見事に決勝トーナメントへ勝ち上がった。
じつは私は90%以上の確率でこの結果を予想していた。
たいした根拠はないが、日本は大会前の4試合で全敗した、だからチームの状態や選手個人のコンディションはその時点で最低であり、これ以上下がる事は
ないだろうと思ったからだ。
プロ野球でもオープン戦で成績の悪かったチームが開幕後に右肩上がりに調子が上がっていくケースがよくある。
今回のW杯の日本チームの活躍はそれとよく似ていると思う。
第1戦の対カメルーン戦での本田選手の一点目のゴールによって、チームの状態は右肩上がりに上がれたのではないだろうか。
あの強いオランダ戦では負けたものの、最小失点で切り抜け、そしてデンマーク戦で3点を取れたのも大会前の4連敗があったからではないだろうか。
人間は欲が深いので、せっかく決勝トーナメントに上がったのだから、とベスト8への進出を期待した。
が、結果はご存知のとうり。
駒野選手のPK失敗は彼のせいではない・・・・彼の蹴ったボールは紙一枚いや髪の毛一本の差でクロスバーにはじかれただけだ。
PK戦になる前に一点が取れていればこうはならなかった・・・だからすべての責任は監督にある。
サッカーと野球とでは見ていてどちらが面白い?
日本では野球のほうが圧倒している・・・甲子園の高校野球も東京ドームの巨人戦も大人気だ。
どちらもTV視聴率が高い。
野球は10対0で負けていても9回裏2アウトから大逆転できる可能性がある・・・最後の最後まで勝ち負けのわからない面白さとハラハラ感がある。
サッカーには一発大逆転の可能性はない。
TVでもゴールデンアワーにJリーグが中継される事は殆どない・・・TV中継そのものが少ない。
高校のサッカー全国大会も甲子園の高校野球人気の足元にも及ばない。
サッカーは野球ほど点が入らないから見ていて退屈だと言う人が多い(野球だって1対0の試合はあるし、0対0の延長戦もあるが)。
しかし世界を見渡してみるとサッカー人気が野球を圧倒している。
ボール一個とちょとした空き地があれば練習できるし、野球よりはるかにルールが簡単だからだ。
4年に一度のW杯に世界中が熱狂する・・・野球とは比較にならない人気ぶりだ。
だからオリンピックでも野球とソフトボールは次のロンドン大会の種目から外されてしまった・・・復活する可能性は限りなく低い。
それでも日本人は野球が好きだ・・・何でだろう?


2010年6月20日             「はやぶさ君」
近頃、珍しく感動した出来事。
「はやぶさ」と言うと何を連想するだろうか。
猛禽類の「隼」か、旧陸軍戦闘機の「隼」か、それとも・・・。
今から7年前の2003年5月に、種子島から純国産で作られた小惑星探査機が搭載されたロケットが打ち上げられた。
その探査機には「はやぶさ」と名前が付けられていた。(愛称:はやぶさ君)
はやぶさ君に与えられた役目は「小惑星イトカワまで飛んで行って、一旦着陸して小石や砂などを採取して地球まで持って帰りなさいというものだ。
はやぶさ君はこの役目がいかに困難で危険なものかは打ち上げられた時点では知らなかった。
他の惑星まで無人探査機を送って着陸させ、帰還させるなんて・・・ましてその惑星の物質を持って帰る技術なんて日本以外のどこの国も持っていなかった。
この分野に独自の優秀なテクノロジーを持っている日本の技術陣といえども簡単にこの探査機が作れたわけではないだろう。
我々には想像もつかないほどの苦労の連続だっただろうと思う。
とにもかくにも打ち上げられたはやぶさ君は単身、暗く冷たい宇宙空間を「イトカワ」に向かってひとり旅を続けた。
そして2年半の片道の旅を終えて2005年11月に直径わずか500mの「イトカワ」に着陸した。
と言ってもすんなり着陸して予定どうり小石や砂が採取できたわけではなかった。
エンジンや姿勢制御装置の故障などで目的達成には困難を極めたがはやぶさ君は地球からの指示に従って孤軍奮闘した。
「イトカワ」の地表に金属球を発射して舞い上がる小石や砂をカプセルに採取する予定だったが、これがうまく行ったかどうかは指令部で確認できなかった。
あちこち傷ついた体ではやぶさ君はカプセルを抱いて「イトカワ」を離陸し、ふるさと地球への帰りの旅についた。
その帰りの旅も苦難の連続だった・・・燃料漏れ、相次ぐエンジンやバッテリーの故障で、一時行方不明になったりもした。
そのつど、指令部は知恵を絞り、はやぶさ君は地球からの指令によく応え、残された機能をやりくりして飛び続けた。
だが故障したエンジンはその出力が回復せず、打ち上げ後4年で帰還する予定が7年を要する結果となった。
そして今年6月、60億Kmもの想像を絶する長旅を終えて、満身創痍の体で死にそうになりながらもふるさとに帰り着いた。
当初の予定でははやぶさ君は「イトカワ」の小石や砂が入ったカプセルを地球上に安全に落としたあと、地球と太陽の軌道の中間くらいの位置で静止して、
ゆっくり余生を過ごせるはずだったが、そう理想的に事は進まなかった・・・そこまで飛び続ける体力が残っていなかったのだ。
カプセルははやぶさ君が大気圏へ突入したあと本体から切り離され、パラシュートを開きオーストラリアの砂漠の予定どうりの位置に軟着陸させる事に成功し
た。
大気圏突入のシーンはテレビで見た人も多いだろうが、はやぶさ君の体はまるで火葬されるように大気との摩擦で鮮光の尾を引きながら完全に燃え尽きた。
した。
このシーンはテレビで何度も放送されたから見た人も多いだろう
「それがどうしたの?」と言う人がいるかも知れないし、私のように機械を擬人化して感動した人もいるだろう。
涙を流しながらテレビを見ていた、言う人もいたらしい。
だが機械を擬人化しなければ、ただの無機的な宇宙開発のニュースに過ぎないから「へえー、すごいなあ!」と思うだけだろう。
カプセルは日本へ持ち帰られ、今の時点では神奈川県相模原市の専用設備に保管されていて、近いうちに中身の分析が始まる。
カプセルや着陸時に使ったパラシュートはいずれ一般公開されるそうだ・・・機会があれば見に行きたい。
はやぶさ君、キミは偉いのだ!
(著作権の問題があるので写真は掲載しないでおく)


2010年6月5日             雑木林に道をつける
私は自分名義の雑木林を持っている。
といっても親から相続しただけだから自慢にはならない・・・それにたかが1000平方mくらいの広さでしかないから尚更自慢にならない。。
昔、私が子供の頃より前の時代、炊事や風呂焚きの松葉や薪などの燃料はすべて山に頼った。
が、いちいち山までとりに行き、担いで帰るのは大変な仕事だ。
だからそれを山で集めて大八車に乗せ、牛に曳かせて村々を売り歩くオジサンがいたものだ。
また、近くに山がある人達は広〜い雑木林をいくつかに分けてそのうちの一区画を購入し、そこで自前で燃料を調達した。
だから昔の里山は常に手入れされていて歩きやすかったのだ。
私の父は若い頃、山に近いところに住んでいた為、そんな雑木林を持っていたので、それがそのまま私の名義になった。
その雑木林が今の時代に何の役に立つのか?家が建てられるのか?売る事はできるのか?・・・・イヤイヤ普通なら何の役にも立たない。
自動車の通れる道沿いなら固定資産価値はあるが、道端にクルマを止めて細〜い道を2,3分歩かなければ行けないし、電気も水道もないし、第一すべてが斜面
だ。
隣のそのまた隣の持ち主も諦めて放ったらかしなので周り中荒れ放題、松は枯れて雑木だけは伸び放題なので昼間でも薄暗い。
隣との境界は目印もなく、自分の領域の見当もつかないので数年前に役所の地籍図を元にしておおまかな線引きをした。
立会人も隣の地主もいないからいい加減なものだ。
でも、そうすると他人の領域に踏み込まない範囲で自分の領域だけは昔の里山の姿を取り戻したくなってきた。
ベンチを置いて上にシートを張って休む所を作り、気が向いた時に出かけてジャマな木を切り、枝を落とし、枯れて倒れた木を燃やして手入れを続けていった。
こんな作業もやり初めてみると結構楽しいものだ・・・見えなかった空が見え始め、陽当たりが良くなり、見通しもしだいに良くなってきた。(下の左はしの写真
ここへ歩いて登り易いように道をつけよう、と思い立った・・・道といっても細くていいから人が安全に歩ける程度の単なる山道だ。
気が向いた時に出かけて鍬とショベルで斜面を削り、少しずつ上へ向けて道を延ばしていった。
雑木林だから掘れば木の根が縦横に這っていて思うように仕事がはかどらず、重労働だ。
せっかく道をつけるのだからそれらしく見せる為に写真のような柵を取り付ける。
柵の材料はその辺に無数に生えている木を利用するから材料費はタダ。
黒の防腐剤を塗ったらかなりそれらしくなってきた。
だが、まだ始まったばかりだから尾根筋まで完成させるには数十mある・・・先は遠いなあ。


2010年5月17日             金剛寺の山野草
快晴の或る日に同級生3人で連れ立って高知県にある山野草で有名(?)な「金剛寺」へ行ってきた。
私の目的は山野草を見るだけでなく、自分のカメラで小さな花をどこまで写し込めるか、に興味があったから。
高知自動車道を南下し、大豊ICで降りて国道439号線を紺碧の吉野川に沿って西へ向かう。
そのまま行けば早明浦ダムに行き着くが、その少し手前を標識に従って右折すると山の中腹みたいなところに「金剛寺」がある。
一見何の変哲もない寺だが一歩境内に入ると所せましと山野草が植えられていて、その種類の多さに圧倒される。
しかも私みたいな見物客の為に一本づつ名札がつけられていて、いかに大事に育てられているか、がよくわかる。
同行者のうちの一人は野草のホームページを開いているほどのマニアなので夢中でカメラのシャッターを押しているが、私にはどれが珍しく貴重なのか、
さっぱりわからない。
おまけに私が持って行ったカメラは焦点距離18-135mmのズームレンズ付き一眼レフなので残念ながら直径数mmの小さな花が写せるほど接写できない。
こんな時はおおげさな一眼レフより小型でも接写のできるカメラのほうがよほど有利だ・・・接写レンズを持っていれば別だが。
そんな訳でここへ掲載できる程の写真は写せなかったので、同行のマニアから元画像を拝借して以下に掲載する事にした。(写し慣れているのでアングルが
いい)
それにしても帰りに立ち寄った吉野川沿いのレストランはこんな山奥には不釣合いなほど雰囲気が良く、眺望も良く、もう一度行ってみたいと思っている。
うさぎのしっぽ オドリコソウ ヒメキランソウ フッカケスミレ ヒメイズイ
シコクカッコウソウ オオバマイズルソウ ワスレナグサ エンコウソウ タツナミソウ


2010年5月11日             新緑の爺神山へ登る
爺神山は最も身近な里山なので一人で時々登るが、良く考えてみると新緑の季節に登った記憶がない。
そこで天気のいい日を選び、カメラ片手に登ってみた。
標高は227mだが、登山口は中腹にあるので実際に登る高さはその三分の二くらいだ。
登るのに危険はないが、頂上は砕石跡の崖になっているので足元に注意が必要だ。
クネクネした曲がりが35箇所くらいあるが、20分くらいで頂上に立てる。
眺望は抜群で、360度が見渡せ、瀬戸内海、岡山県、讃岐山脈、四国山脈まで一望できる。
山に慣れた人は来たルートの反対側の岩場を下ってみるのも面白い。
爺神山遠景 登山口前の新築大師堂 ここから登り始める 爺神山特有の岩盤 道端に咲いた小さな花−1
道端に咲いた小さな花−2 急峻な登りがしばらく続く 新緑のトンネル。気持ちいい 頂上の標識 北側に瀬戸内海を望む
左はしにトンギリ山、遠方中央左から貴峰山、天霧山、火上山、中山、大麻山そして讃岐山脈へ続く。鬼ケ臼山、朝日山、傾山も見える。左半分は詫間町と三野町、右半分が高瀬町
中央に高瀬川が細い線のように見える。 中央から少し左のふたこぶラクダみたいな山が葛山(横山神社がある)。 右下の木の枝の向こうにJR高瀬駅がある。
(このパノラマ写真は通常の4:3の画像5枚をデジタル合成、連結したものです。左クリックで拡大してさらに見やすい大きさに調節して下さい。


2010年5月7日             庭の花
たまには自分の家の庭の花を写そうと思い立った。
私には花を植えたり育てたりする趣味はない。
元気いっぱい咲いていて被写体になりそうな花もあれば、盛りを過ぎてしおれてしまった花もある。
20枚ほど写した中から比較的元気そうなのを8枚選んでみた。


2010年4月27日            道端の花
私は特に花が好きなわけではないし、その名前もほんのわずかしかわからない。
だが道端や民家の庭先に咲いている花に眼を奪われて、ついシャッターを押す事がある。
それらの殆どは花に詳しい人がみれば珍しくもない花であり、ここへ掲載するほどのものではないと思うが、このページに彩りを添える為に掲載する。
すべて自宅から半径2km以内のものだ。
菜の花やチューリップくらいなら私でも分かるが、あなたはいくつ分かる?


2010年4月8日            さくら・さくら
さくら前線北上中、いま四国地方の「そめいよしの」はどこもほぼ満開状態だ。
この時期はカメラマニアや写真好きな人達は桜のある風景を求め、いい写真を写そうと、西に東に忙しい。
仕事を持っている人は休日でなければ動けないし、天候に恵まれた日の8分咲きから散りぎわまでの数日間が勝負どころになる。
モタモタしていると散ってしまうので天気予報が気になって仕方がない。。
幸い今年は天候に恵まれ、抜けるような青空を背景にした桜を写す事ができた。
それはいいのだが、4月5日から8日までの4日間で100枚近い桜の写真を写したものの、このダイアリーに掲載できるような写真は十数枚しかなかった。
「そめいよしの」という桜は天気のいい日は光を反射して白っぽく写るが、曇りの日はピンクが濃く写るので露出設定が難しい被写体だ。
写すのが難しい上に修行が足りないからコンテストに応募できるようないい写真は一枚も撮れなかった・・・毎年の事だが。
朝日山を背景に・・・ 爺神山から高瀬町中央部を見る 満水池−1 満水池−2
満水池−3 不動の滝 二宮の桃と桜 延寿寺−1
延寿寺−2 爺神山の桜と菜の花 高瀬川の一本桜 桜と観音寺行き電車


2010年3月18日            木製ベンチを造る
車庫の前に置いてあった木製ベンチの一部が腐り始めた。
防腐剤は塗ってはあったが、あんなものは気休め程度のものだから長い間使っていれば腐っても仕方がない。
腐った部分だけを取り替えて全体を塗り替える事も出来なくはないが、屋根のないところへ置いてあるのであちこちくたびれてきている。
いつごろ造ったものかも忘れてしまったが、造るときにかなり手を抜いたので木が反ったりゆがんだりして見栄えが悪くなってきたのだ。
面倒くさいが、車庫前の人目につきやすい位置にあるので、この際、思い切って造り替える事にした。
造り替える以上は前より強く、大きく、、カッコイイものにしないとやる意味がない。
材料集め
簡単な縮尺十分の一の寸法図を描いてから材料を集め始めた。
幸い、手元に3寸五分角(105mm×105mm)の角材が大量にあった。
家を建てるときに柱に使うものであり、使えなくなった中途半端な寸法の材料を材木屋さんからもらったものだ。
但し、短い寸法のものばかりなので座板にしか使えそうにない・・・普通、座板には角材は使わないが、出来上がってみると面白い味が出るかもしれない。
座板の枠や背もたれは新しい材料を買う事にした・・・といっても全部で5,500円くらい。
防腐剤
これは値段も効果もピンからキリまである。
安くて効果抜群なのは昔からあるコールタールだが、これは不透明で真っ黒に仕上がり、木目が出ないので使う場所によってはデメリットのほうが大きい。
かといってキシラデコールなどの透明防腐剤は木目が出て仕上がりは綺麗だし、いろんな色が選べるメリットはあるが、防腐効果のほどは甚だ疑わしい。
何を使うか、あれこれ考えたが、今回はいつも使っている油性透明防腐剤を使う事にした。
宣伝文句ほどの防腐効果がないのはわかっているが、在庫が2リッターほどあるから別な種類の防腐剤を買うのはもったいない。
座板の製作
普通のベンチは脚部に横桟を取り付けて、それに板を打ち付けて造るが、今回はまったく違う。
コンクリートブロックを台座にしてその上に枠板を組み、座板(角材)を乗せて行く自己流だ。
寸法切りに間違いさえなければ、いとも簡単な作業だ。
座板に角材を使ったのは結果的に成功だった・・・重量があるので、座った時の安定感というか、すわり心地がなかなかいい。
座板と枠板の材料一式 防腐剤を塗る 組み立て、取り付け 座板部分が完成
背もたれと肘掛けの製作
座板だけでもベンチとして役には立つが、どうせやるなら背もたれも肘掛けも付けよう、と欲がでてきた。
耐久性を持たせる為に、重くなるのは承知の上でできるだけ分厚い材料を選ぶ。
シンプルな外観にしようとしたら下の写真のようになった。
横幅2m、奥行き45cmの重量級ベンチの完成だ・・・ただ、重すぎて一人では動かせない。
出来上がったのを見て近所の人が座りに来て、その出来栄えと座り心地を褒めてくれた。(お世辞だとしても嬉しいもんだ)
出来上がった背もたれ板 背もたれ板の取り付け 肘掛けの取り付け これで全体が完成


2010年2月24日         飼い猫の死
このページは“猫シリーズ第6弾”「残った一匹も・・・」の続編ですので、先にそちらを見てからこのページへ戻って下さい”
“猫シリーズ第6弾”へはこちらから
飼い猫は家から出さず、異性の猫と接触させなければ、仔猫が生まれる心配はない。
だが、グーは家の中だろうと外だろうと出入りは自由にさせていた・・・家の中だけで飼うのは何かと問題が多いし、自由にさせておくのが猫らしいと思ったから
だ。
だから仔猫をつくる可能性はおおいにあった。
「雄猫なんだから、そこらの野良猫や近所の猫と仔猫を作ったって放っときゃいいじゃないか」と言う人もいるだろうが、もし我が家の縁の下や近くで仔猫が生ま
れたとしたら、あなたならどうする?
仔猫を捨てるのに何の抵抗感も罪悪感も感じない人もいるだろうし、何匹でも飼える恵まれた環境にいる人もいるだろう。
仔猫の繁殖が目的で猫を飼っている人達は仔猫の誕生を喜ぶだろう。
そんな人は少数派であり、大抵の人は(私も含めて)産まれてきた仔猫をどうするか、に頭を悩ますだろう。
しかし、去勢(避妊)手術さえしておけばその心配はなくなる。
そう思ってグーに去勢手術を受けさせようと思い、近くにある二つの動物病院へ電話で問い合わせてみた。
A院は血液検査を含めて手術一式15,000円、B院は血液検査は別で手術費のみで10,500円だと言われた。
A院では過去に骨折の手術もしてもらったし、膀胱や尿道の治療もしてもらっていた。
しかし、B院では膀胱炎の治療を安い治療費で、しかも短期間で直してくれたから信頼していたのでB院で手術してもらう事に決めた。
シロウトの悲しさで、手術前の血液検査がどれほど重要な検査なのか、知らなかったし、ろくに調べもしなかった。
2月19日
午前11時頃、クルマに乗るのを嫌がるグーを無理やりB院へ連れて行き、全身麻酔の承諾書にサインして、あとは医師にまかせてグーを預けて帰った。
当然、その時点では何の心配もしてなかった・・・生きるか死ぬかの大手術じゃあるまいし、誰だって去勢手術くらいで余計な心配はしないだろう。
が、6時間後B院へ迎えに行ったところ、「実は・・・亡くなってしまったんです、すべて私の責任です、何とも申し訳ありません・・・」と告げられたのだ。
グーは段ボール箱の中で息絶え、冷たくなりつつあった。
手術後、麻酔からは覚めたものの、そのあと元の心肺機能を回復するだけの体力がなかったとか、あるいは持病の腎臓や横隔膜の病気が回復を妨げたとか、
医師から状況説明を受けてもシロウトにはとても理解できない。
ひとつだけ理解できたのは事前に血液検査をしていれば、手術しなかった可能性があったという事実だ。
どのような説明をされても、なぜグーが死ななければならなかったのか、どうしても私には納得できない。
医師は一切弁解せず、自分のミスと責任を全面的に認め、謝罪の言葉を繰り返したが、それでも私は医師を責めた。
「この猫の内臓は正常ではない事を先生も承知していたはずなのに、なぜ検査もせずに手術なんかしたんですか!」と責めずにはいられなかった
「手術前のグーにもどしてくれ!」と、できもしない事を言いたかった
しばらくは感情を抑える事ができなかった、がしかしそれもしだいにむなしくなってきた・・・グーはもう死んでしまったのだ。
硬直しかけたグーの体を撫でてやりながら、私は安易に手術を受けさせた事と、このB院を選んだ事を悔やんだ。
ほかの病院ならこんな結果にならなかったかもしれない。
血液検査さえしていれば、たとえ同じような状況に陥っても助けられたかもしれないし、全身麻酔や手術に耐えられないのが前もってわかったかもしれない。
僅かな危険性でもあるのなら手術なんか受けさせなかったのに・・・。
私は後悔の念とグーに対する申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ひと晩、うちで寝かせて、次の日に去年死んだ兄弟猫の隣へ埋めてお墓を作り、線香を手向けた・・・グーの供養として精一杯の事をしたつもりだが・・・。


2010年2月8日         がらにもなくボランティア
大きな災害が起きた時、現地で被災者の手助けをしたり、行政に協力するのもボランティアだし、道端や公園や駅で清掃奉仕をするのもボランティアだ。
そういう私も最近ボランティアをした。
私の住む地区(新名地区)には氏神様があるが、この氏神様は小高い山の中腹にあり、本殿までに数十段の石段を登るようになっている。
それはそれで由緒ある神社らしくていいのだが、石段の両側には雑木や笹、雑草が生い茂り、枯れ木は倒れたまま放置されて、まるで神社らしい荘厳さがな
い。
私が子供の頃はもっと開放的で明るい神社だったのだ。
では、その神社には清掃や手入れをする世話人はいないのか?誰も清掃しないのか?というとそんな事はない。
各自治会代表の世話人も総代もいるし、毎月一回ずつ当番の自治会世話人が清掃している。
それならいつも綺麗か、というとそうでもない・・・確かに石段や境内は掃き清められているが、それ以外の場所には人手が足りなくて手を付けられないので
いつも薄暗く、雑然としている
この神社の自治会総代である私は、この神社の風景を子供の頃の風景に近づけたかった。
元どうりにするのは到底不可能なので、少しでも昔の風景に近づけたかった。
ひとつの方法として神社総会で問題提起して協力者を集めて実行する、という方法がある。
だが私は世話人としても総代としても新参者なので発言力は非常に弱く、ほかの人達に協力をお願いできるような立場にないのだ。
そこで神社総代のMさんに相談したら、実行そのものに対しては否定はされなかった。
かといって「それはいい、早速進めよう」との積極的な返事ももらえなかった。
だったら一人でやってみよう・・・何日、何十日かかろうと誰からも文句は言われないし、誰にも頼まなくていい・・・よしマイペースでやってみよう、と決めた。
私はこういった山仕事は嫌いではない・・・というより好きなほうだ。
自分名義の雑木林で楽しみながら枝打ちしたり、下草刈りしたり、雑木の間引きをしたりしている。
それに私は有り余るほどの時間を持っているのだ。
正月を過ぎてから本格的に手入れを始めた・・・といっても朝から晩までこんな重労働はできない。
水筒持参でせいぜい午前中の2,3時間がいいところだ。
おまけに右手親指の状態が完全でないので、鉈で枝打ちするとショックが伝わり少々やりにくい。
いくらジャマな木でも太い木は切れないから、おもに太さ10cm以下くらいの細い木だけを切り、延びた笹や雑草を刈り取る。
切り取ったものはその場に放置しておくわけには行かないので、窪地に運んで枝打ちして土に帰れるようにしておいた。
いちいち日記にしているわけではないからどれだけの時間を要したのか、覚えていないが、雨の日以外の気が向いた日に20回くらいは神社へ通ったように思
う。
結果、石段の両側は見違えるように明るく、綺麗になった。(自画自賛)
お参りに行って、自分で手入れした参道を登るのは清々しく、気分爽快、これまでの疲れを忘れてしまう。
ボランティアとはこういうものなのだろう。
これでいいのだ。                                                                                                 
神社正面から写す。大木や雑木に覆われて本殿が見えなくなってしまっている。鳥居があるから、かろうじて神社だとわかる。 作業後の参道。作業前は石垣の一部が雑草などで隠れていた。突き当たりの右に本殿がある。作業前の写真は撮り忘れた。 今回使った道具一式。手入れ良好、切れ味抜群。

    
2010年1月28日         <モンキー修復第2部 組立の巻>
フロントフォークとガソリンタンクの塗装も終わり、交換部品もすべて調達し終わり、組み立て段階に入った。
が、せっかく修復するのだからできるところまで分解してみようと、主な部品を外してフレームとエンジンだけの状態にしてみた。
こうすれば普段メンテナンスできない部分まで錆落としや部分塗装などの手入れができる。
外した部品をすべて並べて写真を撮ったのはいいけれど、思ったより点数が多く、自分の手だけで元どうりにできるかどうか、いささか不安になってきた。
まあ、時間は有り余るほどあるんだから、焦らず、慎重に、外した逆の順序で組み立てていけばいいのだ・・・が、事はそう簡単には進まなかった。
配線の位置を間違えた為、せっかく取り付けたフロントフォークを外してやり直したり、部品の取り付け順序を間違えて30分くらい考え込んだり・・・
こんな事にならないように、あらかじめ複雑な部分を写真に撮っておいたのだが、結局何の役にも立たなかった。
挙句の果てにサイドカバーのはめ込みが浅かった為、テスト走行中に風圧で吹っ飛んで傷だらけになった。
たかがちっちゃな50ccのモンキーだが、部品点数は1200ccの大型バイクと大差ないのだから、それ相応の集中力が必要だ、ということだろう。
結局、私の組み立ての技量はシロウトそのものという事になる。
ただ、プロの手を借りなくても走れる状態まで修復できたのだから、100点満点中の70点くらいかな?いや80点にしておこう。
何はともあれ、ホンダモンキーは自分の手で生き返らせる事ができたのだからこれで良しとしよう・・・ひと仕事終わりだ。
フレームにエンジンブロックがぶら下がった状態・・黙ってるとバイクに見えない。 これから組み立てる部品を全部集めた状態。 ホントに走れるようになるんかいな? フロント廻りから組み立て始める。       作業着だけはプロ並みだって?そりゃそうだろう、プロからもらったんだから。 一応バイクらしい姿に・・・。
でもまだ半分の仕上がり。
ホイルにタイヤを組み付ける。          回転バランスに気を使う。 これで90%くらい完成。あとは細かな部品の取り付けと調整を残すのみ。 完成写真


2010年1月20日         <モンキー修復第1部 塗装の巻>
モンキーといっても生きた猿ではない、HONDA MONKEY  つまりバイクの話だ。
モンキーは去年の10月17日の事故で前部がクラッシュし、動けないまま我が家の車庫に置いてあるが、ぼちぼち修理復元しなければならない。
修理費は事故相手の対物保険から事故車の損傷の程度に応じて保険屋さんが支払ってくれる。
保険屋さんは結果的には「事故車は全損である」とみなしてくれて、評価額15万円が支払われる事になった
私は交通違反はしていないし、相手の一旦停止違反が事故原因だから、15万円全額支払われるかと思ったが、そうではなかった
交差点内の事故は事故を起こした人が100%の責任を負うわけではなく、起こされたほうにもなにがしかの責任割合が生ずるので過失相殺で少々減額されるらし
い。
ややこしい計算やいきさつは省くが、結局13万円程度に落ち着いた。
これに思い切って十数万円プラスして新車のモンキーを買うのもひとつの手だが、それをすれば事故車の修理費と部品代が別途必要となる。
色違いのモンキーを2台持つのもマニアックで悪くはないが、これはいろんな意味で問題を起こす事になってしまう。
台数が増えるとそれだけ維持費も増えるし、その他の問題があれやこれやと・・・。
退院後、バイクの損傷程度をよ〜く見てみると、損傷の程度はプロでなければ手に負えないほどひどくはないと思えた。
よし!部品を買って自分で直せる部分だけ直してみよう・・・部品代は5万円以下だろうからあとの8万円は自分自身の修理手間賃になるのだ。
(これは保険金詐欺でもなんでもない合法的手段なので誤解なきよう)
右手の親指の動きはまだ十分ではなく、力が入りにくいが、リハビリをしながらも何とか軽作業はできるので、簡単なところから修理を始める事にした。
一番損傷が大きいのはフロントフォークガソリンタンクだ・・・原型をとどめてはいるものの、ゆがんだり、凹んだりして、乗り手と同じく入院を要する重傷と言え
る。
自分で板金修理出来なくはないが、私の未熟な技術では仕上がりが不細工になるので両方共取り替える事にした。
どちらも3年ほど前にイメージチェンジしようと中古品を買ってきてモンツァレッドに塗り替えて取り付けてあったものなので、オリジナル品は保管してあった。
このオリジナル品の色は新車時の焦げ茶色だが、完全無傷なので色さえ塗り替えれば使える・・・つまりこのふたつの部品代はタダで済むのだ。
ヘッドライトリング、ウインカー、バックミラーなどは新品にする・・・ついでに劣化したバッテリーと磨り減ったタイヤも新品にする事にした。
バックミラーは型の違う予備の新品があったので、部品代はしめて3万3000円ほどに収まったのだ。
ちなみに再塗装に使った塗料はそのへんのホームセンターで売っている一本二百円のスプレー塗料ではなく、れっきとしたHONDA純正の鮮やかなモンツァレッド
なのである・・・値段は10倍くらいだがまるで発色が違う。
オリジナル状態のフロントフォークとガソリンタンク。塗り替えるのが惜しいほどきれいな状態。 HONDAマークの立体エンブレムをスクレパーで強引に剥ぎ取る。右手親指に力が入らないからやたら時間がかかる。 余計なものを剥がして裸にしたところ。塗料が付着してはいけないところにはマスキングテープを貼っておく。(240番のサンドペーパー掛けをしたあと)
下地のシルバー塗料を吹き付ける。乾いては塗り、乾いては塗りしてムラをおさえるのだ。気温の低い時期なのでこの作業だけで3日を要した。 下地が完全に乾燥したらモンツァレッドを3層に吹き付ける。これだけは手を抜かず丁寧に。 トップコートを塗り、顔が映るまで研磨剤で磨き上げる。これで完成。


2010年1月15、16日            「真鈴峠」と「三頭越」
1月12日前後から日本列島は強い冬型気圧配置となり、この四国にも冬将軍がやってきた。
平地でも雪花が散るくらいだから、讃岐山脈一体は一晩でうっすらと雪化粧に装われた。
こうなると私はじっとしていられない・・・何を隠そう(隠す必要もないが)実は私は雪景色が大好き
なのだ。
普段の冬の讃岐山脈は薄茶色の木々に覆われていて、写真のテーマとしての魅力はあまりな
い。
が、雪によってそれが絶好の被写体に変身するからコタツでゴロゴロしている場合ではないの
だ。
15日はまんのう町琴南地区の真鈴(ますず)峠へ向かって一人で出かけた。
讃岐山脈のふもとの国道438号線は除雪されていて路肩以外に雪はないが、県境へ向かう
県道に入ると路面の白い部分が増え、しかも登るにつれて積雪はしだいに深くなってきた。
が、都合のいい事に前を走る中型トラックが融雪剤(塩化カルシウム)を路面にバラ撒きながら
走っている。
真鈴峠への林道入口 こりゃあいい・・・これなら安全だぞ・・・このまま後をついて行くことにした。
といっても、それは県道を右折する林道分岐点までの事だった。(写真左上)
ここからは林道大川真鈴線であり、簡易除雪しかされておらず、対向車とすれ違うスペースもな
い。
いかに雪に強い四輪駆動車とはいえ、タイヤはノーマルなのであえて冒険をおかさず、長靴に履
き替えて歩く事にした。
が、歩き始めてから疲れるほどの距離を進むまでもなく真鈴峠らしいところに着いた。
二万五千分の一の地図と照らし合わせると、左の写真の付近がどうもそれらしいのだが、標識も
なく確認しようがない。
地元の人に聞こうか、と思ったが付近には民家もなく、歩いている人も山仕事をしている人もいな
い。
春になればバイクでもう一度来てみる事にしよう。
今はマイナーな峠であり、殆ど対向車もないが、江戸時代はメジャーな峠だったのだろう。
古い地図がないので何とも言えないが、現代とは少し別なルートだったのかも知れない。
それを確かめたいが、今のところその手段がないのが残念だ。
真鈴峠付近(初夏の真鈴峠へはコチラから) 真鈴峠の名前の由来はわからないが、ちんから峠と良く似たいい響きだと思う。
翌日16日は昨日と同じく一人で琴南地区の三頭(さんとう)越へでかけた。
国道438号線を南下し、徳島県との県境の三頭トンネルに入る直前に右折すればそこが登山口だが、クルマは国道
横の駐車スペースに置き、久保谷橋を渡って登山道に入る。
右の写真のような標識があるが、三頭越は春と秋にも来た事があるので迷うほどの道ではない
登山道らしいのは最初の100mくらいだけで、そこから先は道らしい道はなくなり、深い雪に覆われた沢伝いに登る。
そこらじゅうに崖崩れの跡があり、道が途切れるので何度もジャブジャブと沢を渡らなければ進めない。
こんな時は長靴にかなうものはない・・・高い皮の登山靴なんか水がしみ込んで何の役にも立たないだろう。
このルートは山登りというより、沢登りと言ったほうが正しいかも知れない・・・大きな岩を避けながら登り続けると一
時間もしないうちに三頭大権現と金比羅大権現の鳥居のある見晴らしのいい場所に出た・・・ここが三頭越だ。
この鳥居をくぐると、そこからは徳島県になる。(右は真鈴峠へ、左は寒風越、竜王峠を経て竜王山に至る)
こんな沢の中をなるべく歩き易いルートを探しながら進む。流れの一部は凍りついている 大きなイノシシ君の足跡。延々と続く。どっかで隠れてじっとこちらを見ているのかも。 見た目は平坦だが雪の下は大きな石がゴロゴロしていているので捻挫しないように注意。 いくつか小さな滝があるが、、そのほとんどはツララが下がっている。気温-3℃。
石を積み重ねて作ったみちしるべ。 不思議な石垣。小屋かお堂が建っていた跡かもしれない。 あの大きな鳥居の向こうが徳島県になる。このあたりの積雪量は約20cm。 ここが三頭越。標高は800m。高校総体の山岳競技コースとして使われる。
“猪
正直言って猪は怖い・・・人が襲われ、怪我をしたり、最悪の場合命を落とす事もある。
山にはイノブタもいるが、彼らに牙はなく、気性も比較的おとなしい。
だが本物の野生の猪には立派な牙があり、気性は激しく、自分の縄張りに侵入した人間を敵とみなして攻撃する場合があるらしい。
大人より大きな猪の牙にかかったら、素手ではとても防ぎきれない。
基本的には夜行性動物であり、昼間は尾根あたりでおとなしくしているようだが、餌の少ないこの季節は昼間でも人里近くに現れる。
たまたま機嫌の悪い猪にばったり出くわしたらどうすればいいか・・・とりあえずは太い樹によじ登るしかない、という人もいる。
「それより常に2m以上の長い木の棒をもって歩け」と言う人もいる・・・野生動物は自分より長くて大きい物を避ける性質があるらしい。
だから、いざとなったらその棒を必死で振り回すせば、撃退できると言う。
この山に限らずここ数年、どこの里山でも猪の足跡を頻繁に見かけるが、その姿を眼にした経験はない・・・一度野生の猪をこの眼で見てみたい好奇心はあるが、
といって誰しも怪我はしたくないし・・・。
今度怪我したら「バイクの次はイノシシかい!、ええ加減にしとかんと次は命を落とすぞ!」と言われるだろうなあ、多分。


2010年1月7日            最近のテレビって・・・。
昨年末に新しいテレビを買った。
地デジフルハイビョンの37インチだが、パソコンみたいにHDD(ハードディスクドライブ)内蔵なので録画するのにビデオテープもDVDも必要ない。
実際に使ってみて、録画再生は宣伝文句どうりに大変簡単迅速であり、デジタル技術の進歩の速さに驚いた。
録画したい番組を画面上の番組表からで選んで予約ボタンを押すだけ・・・幼稚園児にもできるのではないか、と思うほどだ。
それは便利でいいのだがその反面、操作や設定変更の説明がやたらに不親切なのだ。
ついこのあいだまで取説(取り扱い説明書)というものは一冊の書類として本体に付属していた。
それらしきものはあるにはあるが、従来の取説とは別物の薄っぺらい書類であって、操作作方法や各種設定変更や用語の意味は説明されていない。
そういう説明は「電子説明書をご覧下さい」とある。
電子説明書」とはリモコンの?マークのボタンを押せばテレビ画面に表示されるらしい。
珍しいので、面白半分に色々画面の設定を変えてみる。
そのうち「画質調整」のなかの「バックライト」の調整と「ピクチャー」の調整とはどこがどう違うのか?がわからなくなった。
早速取説をめくってみるが、そんな用語解説はどこにも載っていない。
やはり「電子説明書」を開いてしらべるしかないようだ。
ところが、これがむつかしいのなんの・・・・あっちこっちそれらしいボタンを押すが一向にヒットしない。
諦めかけたころにやっと見つけた。
?マークボタン→数字ボタン301→矢印ボタン→映像メニューをお好みに調整する→決定ボタン→矢印ボタン→調整内容を詳しく見る→決定ボタンこれでやっ
目的の用語解説のページにたどり着く事ができた。
ここまで8段階のリモコン操作が必要なのだ・・・すべてのメーカーがこうなのかどうかは知らないが、このテレビは日本を代表する電器メーカーのものなのだ。
バックライト」とはお好みに合わせて見やすい明るさに、「ピクチャー」とは部屋の明るさに合わせた濃淡、明るさに、だそうだ。
デジタル機器の扱いには多少慣れているつもりの私でもこれほど難しい操作が、果たしてお年寄りやアナログ人間にできるのか?
従来の取説だったら目次か索引を見て目的のページを開く事ができるが、今時のテレビはそれができない。
画質調整や音質調整だけでもパソコンなみの操作が要求されるのだ・・・ネットワーク機器なんか接続しても自分に操作できるのか?
携帯電話みたいな分厚い取説も困りものだが、こんな取説を作った責任者の顔が見てみたいものだ・・・テレビみたいな四角い顔だったりして・・・。


2009年12月3日            小説 「坂の上の雲
NHKテレビで司馬遼太郎原作のスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放映が始まった。
私にしてみれば「ついに始まったか!」と言うほうが当たっている。。
歴史小説ファン、司馬遼太郎ファンなら知らない人はいないほどの歴史に残る名作である。
なぜ名作なのか?
読めばわかる!・・・・と言ってしまえば身もふたもない。
全八巻のこの長編小説には明治の日本人の生きざまと考え方が見事に描写されている。
主人公は俳人「正岡子規」陸軍軍人「秋山好古」そしてその弟、海軍軍人「秋山真之」であり、
小説の主な舞台は明治37年から38年にかけて日本とロシアとの間で戦われた日露戦争である。
だがこの小説は最後まで読めば、単に戦争を賛美した小説ではない事がよく理解できる。
私はかなり前に読破したが、読み始めると途中でやめられず、時間のたつのも忘れてこの小説の
壮大な歴史ロマンの世界に引き込まれてしまった。
日清戦争から日露戦争に至る国内外の情勢と時代背景、そしてその時代に生きた三人の主人公
乃木希典、大山巌、児玉源太郎、東郷平八郎、伊藤博文達が未曾有の国難にどのように対
処したのか。徴兵された兵士達は異国の地で故郷やいとしい人を想いながら、どのように戦い、ど
「坂の上の雲」全八巻 のような死に方をしたのか。一般国民はこの戦争にどのように協力し、どのような生活を強いられた
のか。指導者はどうやってこの戦争を終わらせたのか、これらが本編に凝縮されている。
この大作が映像化されると聞いた時、私は楽しみより不安を感じた。
あの旅順港封鎖作戦、203高地攻防戦、奉天の大会戦そしてクライマックスの日本海海戦
を一体どのような手法で映像化しようとしているのだろうか?
小説の世界のあの息を呑むような迫真力が小さなテレビ画面に忠実に再現できるのだろうか
中途半端な映像なら見ないほうがいいんじゃないだろうか?
司馬遼太郎の作品は「国盗り物語」「竜馬が行く」を始めとして随分映像化されてきたが、彼は生前
この小説だけは映像化しようとしなかった。
そんな事をすれば原作のイメージが崩れてしまうと思ったのか、技術的に到底不可能だと思ったの
か、どちらかだろうと思う。
司馬ファンの私は始まったばかりの番組を何となく不安を感じながら見ている。
期待はずれに終わらなければいいのだが。
この小説の題名の意味はすでに読み終えた人はおわかりだろうが、そうでない人は二年後にわか
るだろう。
今回第一部を放送し、次の第二部は来年の年末、第三部はその次の2011年の年末の放送とな
このような関連本が多数出版されている るらしい・・・「楽しみはあとへとっておけ」と言う事か?


2009年11月21日            大坊市(だいぼういち)
三豊市三野町に本門寺という日蓮宗の大きなお寺がある。
このお寺の境内で毎年この時期に大坊市という市が開かれる。
昔、このあたりは下高瀬(しもたかせ)村だったので、この市は大坊市ではなく「たかせいち」と呼んで親しまれた。
50代以上の人達にとっては「たかせいち」と呼ぶほうがよほど馴染み深い。
数百年前から続いているらしいが、私が子供のころは物を売るだけの露天の市ではなく、うどん屋、芝居小屋、見世物小屋、サーカスまで軒をつらねていた。
娯楽の少ない時代だったから市が始まると昼夜を問わず一張羅を着た老若男女がおしかけ、今の混雑した歩行者天国みたいなにぎわいだった。
子供にとってこんなに楽しい場所はなく、休みの日は僅かな小遣いを大事にポケットに入れて朝から晩まで遊び廻ったものだ
私の祖母の家がすぐ近くだったので泊り込みで遊びに行った思い出がある。
が、時代は変わって客の数は激減し、それに伴って露天商も減り、休日でさえ下の写真のような状態となった。
昔の大坊市のにぎやかさを知っている人達にしてみれば淋しい限りではあるが、廃止される事なく続けられているだけで喜ぶべきかもしれない。
上の刃物屋さんと雑貨屋さんだけは昔から必ずこの場所に店を開く。ホームセンターにはないものが並んでいる。竹で編んだザルや篭は種類も多く、ここでしか手に入らない。 天気のいい休日だが参道は閑散としている。


2009年11月10日         レザークラフト作品
黒シボ皮で一眼レフカメラ用のケースを作ってみた。
昔のカメラと違って、凹凸が多く、やたらにボタン類が多い。
おまけに背面の液晶モニター部分は大きく開かなければならない。
出来上がったのは側面だけをカバーする部分ケースみたいなもの。
シボ皮は滑りにくく、手触り感は抜群。
ショルダーベルトもおなじ材料で作ったので見た目もなかなかのもの。
もっともシンプルなデザインのトートバッグであり、蓋もポケットもない。
カメラ、レンズ、フィルター、三脚などを放り込んで気軽に使う目的で作ったもの。
大きさは幅280mm×高さ230mm×奥行き110mm。
材料は厚さ1.6mmのヌメ皮を使った。
表面は薄茶色に僅かにオレンジ色がかった染色がされている、どちらかというとナチュラル系の色。
シンプルゆえに型取りは難しくないが、すべて手縫いなので縫い合わせに殆どの時間を費やした。
自然素材なので色ムラや小さな傷は致し方ないところ、むしろ味わいがある、とも言える。


2009年10月17日              ああ・・・バイクに乗れなくなった!!
事故
今日(10月17日)は宿直明けだが朝から快晴だ。
だから家の中で寝転んでいる場合ではないのだ・・・で、近場に写真の題材はないか、とうろついてみる事にした。
この季節はあちこちでコスモスや皇帝ダリアが咲き誇っているはずだ・・・よし、今日の被写体はこのふたつにテーマを絞ってみよう。
ホンダモンキーのフロントバスケットにカメラ2台とレンズ3本をバッグに入れて町内をグルグル廻った・・・・が、めぼしい被写体がない!。
枯れたコスモスを写してもしょうがないから、諦めて交通量の少ない県道を選んで自宅へ向かった・・・が、それが間違いの元となった。
地元でも有名な危険な交差点を通過する時、不覚にも一旦停止違反の軽四乗用車の右側面に激突してしまった。
眼一杯急ブレーキを掛けたが、私が軽四を視認した時は激突の0.2秒前であり、到底止まれない・・・その結果バイクは3mくらい飛ばされ、私は受身を取る暇もな
仰向けにアスファルトに叩きつけられてしまった。
救急車
幸い頭や内臓にはダメージを受けなかったが、右手親指を脱臼し、脚や肘に裂傷を負い、救急車で病院直送となった。
救急車がこれほど乗り心地が悪い乗り物だとは知らなかった・・・ピーポーピーポーとうるさいし(運んでもらって文句を言うのも筋違いだが)
最初は「救急車なんかおおげさな・・・」と思っていたし、手当てさえ終われば自力で帰れる、と軽く考えていたが、医師には「即入院!」を告げられた。
「そ、そんなあ!・・・ちゃんと歩けるし、首も頭も何ともないし・・・」と精一杯の抵抗を試みるが医師の意思は石のように堅い。
右手はギブスでガチガチに固められ、脚の大きめの裂傷は縫合され、傷の影響で熱は出るし、重病人さながらにベッドに張り付けになったのだ。
ただでさえマズイ病院食は左手でフォークで食べなければいけないし、髭剃りも歯磨きも顔洗いも、携帯電話さえ左手だ。
手の十本の指のなかで右手の親指が一番大事だっちゅう事実を思い知らされた。
入院生活って・・・
朝六時検温、七時朝食、十時回診、昼十二時昼食、そして夕食はなんと五時なのだ・・・みんな
仕事をしている時間帯に夕食を食べたら朝まで検温、血圧測定以外何もする事がない。
一日一回傷の消毒はしてくれるが、こんなのは自分でもできるほど簡単なもの
・・・テレビなんか面白くないし、唯一楽しいのは同病相哀れむ入院患者との取りとめのない世
間話と話好きな看護師さんとの会話、そして一杯百円のコーヒータイムくらい。
あとは病室の白い天井を見てボケーッとしているしかないのだ・・・知り合いや同級生に電話や
メールをしてみるが、誰もが私の話に付き合えるほど暇な訳がない。
おまけに食事はこの近辺で有名なほどマズイ(量も少ない。味は刑務所よりマシらしいが・・・)
入院したのが土曜日だったので医師からは「週末は通院できないから入院しといたほうが安心
でしょ」と言われていた
3人部屋。隣の人がカーテンを閉めるのでは外が見えない。 だから週明けには退院か、と思っていたがとんでもない・・・レントゲンだのCTだのMRIだとかの
写真を前に専門用語を並べ立てて入院継続の必要性を説明された。
交通事故の保険で入院した患者は診療報酬が通常事故より有利だから、簡単に開放しないの
だ。
そうなると私は重要な用件が気になり始めた。
11月1日(日曜日)は小学校の同窓会の日なのだ。
しかも、それは自分自身で企画し、案内状を発送し、すでに会場も手配済みで出席者のメンバ
も決まっていて、あとは当日を迎えるだけになっていたのに・・・。
看護師長さんに外出許可を申請したら「同窓会?冠婚葬祭でもないのに許可できません!」
と冷たいお言葉。
「それなら退院させて下さい」と言ったらそばにいた院長先生が「脚の傷は良くなっているから、
今後毎日通院できるなら退院してもいいでしょう」と暖かいお言葉。
で、10月30日にめでたく釈放された・・・やれやれ。
午前7時傾山(かたぶきやま)から昇る朝日(病院3階から撮影) (そのうち怪我が良くなれば事故でクラッシュしたモンキーの修理復元の記事を掲載する予定)


2009年10月1日         レザークラフトを始める
元来、「物を作る」という作業が好きな性分で、これまで色々なものを作ってきたが、最近レザークラフトをやり始めた。
レザークラフトとはその言葉どうりレザー(革)で身の回りのさまざまな品物を作る手工芸的作業であり、あちこちでレザークラフト教室も開かれている。
勿論、専用の道具が必要なので最初にある程度道具をそろえなければならない
基本的には「裁断」「穴あけ」「縫製」の三工程であり、それぞれに寸法の異なる道具が必要になる
上の写真以外にも接着剤、針、麻糸、仕上材などが必要だが、カービング(彫刻)をしない限りこれだけあれば何でも作れる。
但し、これだけの道具を一度に揃えたのではなくて、一部はずっと前から持っていた物もある。
レザークラフトの極意は木工と同じで、いかに正確に切り、いかに正確に穴を開けるかに尽きるようだ。
見よう見まねで製作した作品は次の機会に掲載する。


2009年9月19日        YAMAHA YZ250の組み立て
先日、ヤフーオークションでYAMAHA YZ250の1/6プラモデルが出品されているのを見つけ、さっそく落札した。
このモデルは発売からかなりな年月が経過しているので、もう手に入らないだろうと諦めかけていたところだった。
YZ250はYAMAHAが1973年に発売した市販モトクロッサーであり、「空飛ぶサスペンション」と言われるモノクロスサスペンションを装備した画期的マシンである。
その当時、私はYAMAHA MX250に乗っていたが、友人が購入したこのニューマシンに試乗した時の印象は今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
通常オートバイは競技用であろうと公道用であろうと、リアサスペンションは二本と決まっていたが、その常識を覆して一本サス(モノサス)のマシンが登場したの
だ。
そのサスの衝撃吸収能力はMX250とは別次元の能力を有していて、まるで自分の技量が数段上がったように錯覚するほどだった。
ジャンプもギャップもコーナーも実にスムーズであり、32馬力のパワフルなエンジンは弾けるような排気音を発して乗る人を魅了してやまなかったのだ。
このモデルを組み立てていると若かりし頃に野原で仲間と競い合った頃を思い出し、複雑な工程も楽しみながら、そして懐かしみながら進める事ができた。
外箱、保存状態は上々 パーツはすべて未開封 組み上がったフレーム エンジンを構成する
パーツ。全部で18点。
左のパーツを組み立てたエンジンユニット
エキゾースト系のパーツ フレームにエンジンを載せ、排気管、モノクロスサスを取り付ける。 フェンダー、タンクなどの製作中
フロントフォークとハンドルと前後フェンダーを取り付ける シートを取り付けると完成、またがって走りたくなる。排気音が聞こえてきそうだ。


2009年8月1日        Nikon-D40 ファインダー改造記
ほとんどのデジタル一眼レフカメラはほかのコンパクトなデジタルカメラと違って、ファインダーを覗いて構図を決めるようにできている。
ファインダーが見易いかどうかはそのカメラのファインダー倍率によって決まる。
初級機は0.75倍くらいだが上級機になると0.95倍くらいになる。勿論高倍率のほうが見易いのだ。
私のD40はどちらかというと初級機なので倍率は0.80倍でしかない。
これをなんとか上級機なみの倍率にする方法はないのか?・・・・ファインダーそのものを交換する事はできないがマグニファイアーなら何とかなりそうだ。
ニコンのアクセサリーカタログを調べてみるとマグニファイニングアイピースDK-21M(倍率1.17倍)というものを見つけた。
これだけでは物足りないので社外品のアングルファインダー(倍率2.5倍と1.25倍切り替え式)を探し出し、両方購入した。
マグニファイニングアイピースを分解してみた。
レンズ2枚構成だ。
右端の接眼目当てはアングルファインダーの取り付けにジャマなので強引に外してしまう。
中国製アングルファインダー。
尼康は中国語でニコン。
各メーカーのファインダーに取り付けられるようにアダプターが付属している。

アングルファインダーにマグニファイニングアイピースをとりつけたところ。
ピッタリとは行かなかったので少し溝をヤスリで削った。
取り付け位置の微調整をして完成。
不要なときはワンタッチで取り外せる。
見た感じの倍率は0.95倍を超えているようだ。
お金と手間を掛けただけの効果は十分に得られた。
                      (と思っている)