| スローライフおじさんの気まぐれダイアリー |
| このページはタイトルは「ダイアリー」ですが、日記ではありません。 |
| 気が向いた時に適当な記事を掲載しているだけですから、テーマに一貫性はなく、広範囲でバラバラです。 |
| 「多趣味」と言えば聞こえはいいのですが、何にでも興味と好奇心を持つ性質ゆえに趣味を一点に絞る事ができないのです。 |
| で、こんな自己満足だけの珍妙なページが出来上がってしまいました。 |
| 記事の掲載日付け順序はページの下が古く、上へ行くほど新しくなります。 |
| ではどうぞごゆっくり。 |
| 2016年 11月1日 |
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この小さなバイクも購入から18年経過した。 | ||||
| これまでエンジン、ミッション、駆動系どれもノントラブルなので「無事これ名馬」と言えるだろう。 | |||||
| 新車時は焦げ茶色だったがモンツァレッドに塗り替え、7年前の事故によるクラッシュからも蘇った。 | |||||
| その時の記事はこちらから。 | |||||
| モンツァレッドはいい色でこのバイクに良く似合うが、さすがにいささか飽きてきた。 | |||||
| そこで一念発起して全面的に塗り替え、いくつかのパーツをクロームメッキ製に取り替える事にした。 | |||||
| 前後フェンダーは手持ち品があったがメッキのヘッドライトとサイドカバーは新品を手に入れた。 | |||||
| フロントキャリアはステンレス製の既製品を買えばいいが、リアキャリアはそうはいかない。 | |||||
| やはり現行品同様に自作する事にした・・・今より少し大きいほうがいいだろう。 | |||||
| ついでにタイヤとバッテリーも新品に取り替える事にしたが、こればかりは廃品の処分に困るのでバイク | |||||
| 屋さんに頼む以外にない。 | |||||
| フロントフォーク、スイングアーム、リアショック、ガソリンタンクは自分で塗り替える。 | |||||
| 2度目の塗り替えだが、やはり根気のいる作業だ。 | |||||
| 塗っては乾かし、塗っては乾かし、磨いては塗り、また乾かし・・・。 | |||||
| 結果リアショック以外はなんとか及第点がもらえる程度に仕上がった。 | |||||
| すべてのパーツを取り付けて全体を眺めた時イメージどうり、いやイメージ以上にすっきりして満足。 | |||||
| メッキパーツを選んだのは大正解だった・・・モンキーにメッキは良く似合う。(・・・と思う) | |||||
| 次はオールメッキに変身させようか、金かかるから止めとこうか。 | |||||
| とにかく今回のリメイク作戦はこれにて完了。 | |||||
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| 左から前後フェンダー、サイドカバー、ヘッドライトそして自作のリアキャリアボックス。 | 下地処理、下塗り2回、中研ぎ、上塗り3回、仕上げ研ぎ、最終クリア塗装を経て三日間かけて 仕上げた主要パーツ。写真ではわかりにくいが素人丸出しの部分もある・・・まあいいか。 |
たかが原付、 されど原付。 赤猿から黄猿に変身。 |
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| 2014年 12月3日 はやぶさ君 ふたたび一人旅へ。 | ||||
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あのはやぶさ君がまたもや宇宙へ冒険の旅に出た。 | |||
| 前回の記事「続・はやぶさ君」はこちらから、前々回の記事「はやぶさ君」はこちらから。 | ||||
| 何を隠そう(隠す必要もないが・・・)私は大のはやぶさファンなのだ。 | ||||
| はやぶさ2と呼ばれる二代目のはやぶさ君は12月3日に種子島から打ち上げられ、予定の | ||||
| 軌道に乗った・・・とにかくめでたしめでたし。 | ||||
| 過去の記事にも記載したように初代はやぶさ君は故障と想定外のトラブルに悩まされながらも | ||||
| 奇跡的に地球へ帰ってこられた・・・・あれから丸4年。 | ||||
| 今度は国民から絶大な支持を得て技術陣は日本の最新テクノロジーを結集し、エンジンの強 | ||||
| 化やサンプル採取の方法を改良し、より安全に、より確実に地球へ帰ってこられるように知恵 | ||||
| を絞った。 | ||||
| はやぶさ君は今度はどこへ行くの? | ||||
| 目指すは3億キロ離れた小惑星「1998SF36」だ。 | ||||
| では往復6億キロ?かと言うとそうではない・・・相手も動いているから全行程は52億キロに | ||||
| なるそうだ。 | ||||
| 何をしに行くの? | ||||
| 目的は前回と同じ、小惑星の砂や土を採取して地球へ持ち帰るのだ。 | ||||
| お目当ての小惑星には有機物がある可能性があり、生命の根源と言えるアミノ酸があるかも | ||||
| しれないから。 | ||||
| どうやってサンプルを取るの? | ||||
| 小惑星の上空から砲弾を発射して大きな穴をあけて、そこへ着陸して地中のサンプルを取る。 | ||||
| 表面は風化しているから地下の物質のほうが宇宙誕生当時に近いサンプルが得られる。 | ||||
| いつ着いて、いつ帰ってくるの? | ||||
| 2018年の夏ごろ、つまり片道3年半かかる予定。 | ||||
| 帰ってくるのは2020年の末ごろの予定だから東京オリンピックが終わってからだ。 | ||||
| 一人旅は淋しいだろうけど日本国民が応援している。 | ||||
| 何よりも俺がついているぞ!がんばれはやぶさ君、無事帰ってこいよ。 | ||||
| 2014年 8月1日 2014高瀬空射矢まつり Final | |||||
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2002年に始まったこのまつりも13回目の今年でFinalとなるそうな。 | ||||
| (2010年の記事はこちらからリンクしてます→2010高瀬空射矢まつり) | |||||
| なんでか? | |||||
| ひとことで言えば要するに人手不足らしい。 | |||||
| 予算は自治体や地元企業から何とか確保できているが、まつりの計画を立て、それを実行するだけの | |||||
| 人材がそろわず肝心の実行委員長も引き受ける人がいない。 | |||||
| 今年は5月中旬になってもまつりの日程どころか、開催そのものが危ぶまれていた。 | |||||
| がその後、少数の市会議員さんが奔走して実行委員会を立ち上げて何とか開催にこぎつけた。 | |||||
| このまつりは元をたどれば昔から行われていた祇園神社例大祭の縁日が「高瀬お茶まつり」になり、 | |||||
| 2002年に高知のよさこいまつりを模範モデルとしてスタートしたものだ。 | |||||
| その結果どこの地方にもある単なる「よさこい模倣まつり」となり、目新しさもなく、地方色もないまつりに | |||||
| なってしまった。そこで今年をFinalとして来年からはまつりの名称と形態を見直して再出発しよう、という | |||||
| 計画らしい。 | |||||
| どれだけ実行委員が集まるのか? | |||||
| 実行委員長を引き受ける人がいるのか? | |||||
| 目新しくて地方色豊かなまつりとはどんなまつりなのか? | |||||
| 昔の祇園神社の縁日にもどる事ができるのか? | |||||
| 祇園神社の総代として来年が楽しみでもあり不安でもある。 | |||||
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| 相変らず閑散とした祇園神社 | この地方には珍しい太鼓台 | 各踊り子連は独自の振り付けを考えているそうだが私にはどれも同じに見えてしまう。 |
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| 2013年9月26日 平成2年型レガシィ・ツーリングワゴン2000VZ | |
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23年間乗り続けたこの車もついに手放す時がきた。 |
| 去年の冬からオートマチックミッションの調子が悪くなり、10分くらい暖気運転しないとまともに | |
| 走ってくれなくなってしまった。 | |
| ただし冬以外の季節は何事もなかったかのように調子良く走ってくれる。 | |
| 修理できなくはないが十万、二十万の費用をかけてたとえ一時的に復活しても年齢が年齢な |
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| のでいつまでもつかは誰にもわからないし、保障もない。 | |
| 23年前、初めてこの車を運転した時の鮮烈な印象は昨日の事のように良く覚えている。 | |
| パワフルなエンジン、四輪駆動による類い稀なる直進安定性、固めのサスペンション、国産車 | |
| には珍しいシンプルで流麗なデザイン・・・どれもが自分の好みにぴったりマッチし、飽きる事 | |
| なく今日まで乗り続けてきた。 | |
| できる事ならいつまでも乗っていたいが、事ここに及んでは是非もなし・・・新車に乗り換えざる | |
| を得ない。 | |
| 9月26日最後の日の朝、洗車して室内も綺麗に掃除してから代理店まで乗って行き新車に | |
| 乗って帰ったが、新車に乗れる嬉しさより古い車を手放す淋しさのほうが強い。 | |
| LEGACY FOREVER!永年勤続の感謝状がわりにここに写真を掲載する。 | |
| 23年前、平成2年には確か「踊るポンポコリン」というコミカルな唄がはやっていた。 | |
| 2013年 1月20日 ジョウビタキ | |||||
| 近くの山の中腹にある神社でカラフルな野鳥を見つけた。 | |||||
| ひと目見てジョウビタキだと分かった・・・黒と銀と橙色のこの鳥は前々から狙っていた鳥だ。 | |||||
| と言っても獲ってヤキトリにするつもりはない、ただ単に写真に撮りたいだけだ。 | |||||
| ジョウビタキは冬に日本へやってくる渡り鳥で大きさは雀くらい、里山や公園で時々見かける、オスは派手で目立つがメスは薄茶色で地味なので冬枯れの | |||||
| 山に溶け込んでしまう。 | |||||
| 今回出会ったのは運良くオスだった。 | |||||
| 眼の中心は僅かに青みががっていて綺麗、と言うかカワイイと言うか・・・この辺で見かける野鳥としてはなかなかチャーミング。 | |||||
| 早速最近手に入れたカメラと250mmの望遠レンズを持って勇んで出掛ける。 | |||||
| 「このレンズがあれば何とかなるだろう」との自分の企みは考えが甘かった。 | |||||
| 雀ほど警戒心が強くなく、5mくらいまで近寄れるが、とにかく一箇所に止まっていてくれない。 | |||||
| カメラを構えてピントを合わせている間に「ピキッ!」と啼いて飛び立ち、止まる場所を変える。じっくりと三脚を据えて写せる相手ではなさそう。 | |||||
| 「お前の技量で撮せるものなら撮してみろ!この未熟者めが!」 | |||||
| 何とか写そうと静かに忍び寄ってシャッターを押す、また飛び去る、その繰り返しだ・・・鳥に遊ばれているみたい。 | |||||
| 飛んでいるところを写そう、なんて神技以上だ。 | |||||
| どうやらこの鳥をアップで撮るには500mm以上のプロ用みたいな大砲レンズが必要なのかもしれない。 | |||||
| 今回の使用機材:カメラ本体はニコンD7000、 レンズはシグマ18〜250mm | |||||
| ↓ | |||||
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| 2012年 8月16日 カメラをもらったけど・・・。 | ||||
| 先日、ある人からカメラをもらった。 | ||||
| 細かないきさつは省くが、もらってビックリ!・・・なんとジャバラ式のとんでもなく古そうなカメラだった。 | ||||
| 拡大鏡で銘板の小さな文字をひとつひとつ読み取っていったが、日本語表記はまったくない・・・すべて英語だ。 | ||||
| 経年変化で読み取れない文字もあるが、かろうじて判読できた範囲では、 | ||||
| 1-MADE IN USA EASTMANKODAK COMPANY ROCHESTER N.Y (製造元) | ||||
| 2-USE AUTOGRAPHICFIRM No.A-127 (適合フィルム番号) | ||||
| 3-JAN.18.1910 JAN.7.1913 (製造年月日らしい) | ||||
| 4-16896 (製造番号らしい) | ||||
| イーストマン・コダックとは知る人ぞ知る世界でトップクラスの写真用品メーカーである。 | ||||
| 今でこそカメラは日本製に圧倒されているが、はじめてロールフィルムやカラーフィルムを開発したメーカーとして良く知られている。 | ||||
| 本社はアメリカのニューヨーク州ロチェスターにある。 | ||||
| このカメラはどうやら1910年から1913年の間に作られたようだ。 | ||||
| 1910年は日本の元号では明治43年であり、1913年は大正2年という事になる。 | ||||
| 見た瞬間、戦前のものだという想像はついたが、まさか100年も前のものだとは信じられないがインターネットで調べても結論は同じだった。 | ||||
| 当時のカメラというと大きな箱みたいな形をしていて、写す人は黒い布をかぶって、片手にマグネシゥムを焚く姿を想像してしまう。 | ||||
| しかし、このカメラは折りたためばポケットに入るし、ロールフィルムが使えるし、現代のインスタントカメラと原理的にはなんら変わりがない事に驚かされる。 | ||||
| 明治末期のアメリカの先端技術はここまで進んでいたのだ。 | ||||
| 残念ながら私の知識と技術ではこのカメラを写せる状態に復元する事は到底不可能だ。 | ||||
| 復元どころか、どうやればシャッターが切れるのかさえ分からないし、ほかにも使途不明のボタンやレバーがいくつかある。 | ||||
| この種のカメラの構造に詳しい人を探しだして、教えてもらうしかないだろう。 | ||||
| もし復元できて100年前のカメラで撮影できたらどんな色が出るのだろうか?見慣れた風景はどのように写るのだろうか? | ||||
| きっと現代のデジタルカメラより遥かに魅力的な写真ができあがるに違いない。 | ||||
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| ジャバラを折りたたんだ状態。 幅120mm 高さ63mm 奥行き29mm |
ジャバラをのばした状態。 奥行き80mmになる。 上部バタフライ型レバーはフィルムを巻き上げるのだろう。 |
裏側。 丸い窓がファインダーらしいが何も見えない。 右の蓋がフィルム装填部。 |
訳のわからない四角い小窓。 その下のレバーは動くには動くが、使途不明。 覗いても何も見えない。 |
右側は2012年製最新のデジタルカメラ。 偶然だが大きさも重さも殆ど同じ。 100年の時を経て肩を並べた。 |
| 2012年 6月17日 お宝か?ガラクタか? | ||||
| 私のウチの古〜い家の古〜い机の引き出しにこんなものが眠っていた。 | ||||
| 昭和41年(46年前)に買ったフジフィルム製の「FUJICA Half」というカメラだ。 | ||||
| 長い間行方不明になっていたが、古い家のどこかにあるのは分かっていてもその所在を掴む | ||||
| 事はできなかった。 | ||||
| それもそのはず、古い薄暗い部屋のめったに開けない引き出しの一番奥に黒い革のケースに | ||||
| 収まっていたから見つけ出せなかったのだ。 | ||||
| 年代の割りにはカビもなく状態はベストだ。 | ||||
| この時代のカメラは電池不要だからフィルムさえセットすれば今でも写せると思う。 | ||||
| 電池は不要だが写す為の設定はすべて人間がやらなければいけない。 | ||||
| 距離、絞り、シャッター速度、フィルム感度、フィルム巻上げ、巻き戻し、すべて手動だ。 | ||||
| だから写す人の経験と知識のすべてが写真の仕上がりに反映される・・・ゴマカシはまったく効 | ||||
| かない。 | ||||
| 難しさと楽しさは現代のデジカメとは比べるべくもないが、これはお宝か、ガラクタか、どう思 | ||||
| う? | ||||
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| 実にシンプルな後姿。 | 底部の小窓はフィルムカウンター。 右上のネジ孔は三脚固定用。 | 裏蓋をあけたらこんな感じ。 何だか懐かしい。 |
昔のカメラのトップ部分はすべてこうなっていた。 だから他人のカメラでも迷わず使えた。 |
上の小さなリングは距離合わせ。 下の大きなリングは絞り調節用。 |
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| ASAはフィルム感度設定用だがそれ以外の英数字の意味は忘れてしまった。 説明書はいまだに見つからない。 |
この小さなレバーはシャッター速度設定用。 300は300分の一秒という意味だ。 Bは開放、Aはフラッシュ使用。 |
フィルムカウンターの隣のネジは何なんだろう。 ドライバーで回すようだが・・・。 |
今のカメラと並べてみた。 右のデジカメよりはるかに大きく、重いがこれでも当時は小型カメラとしてもてはやされた。 |
今年発売されたフジフィルム製の最新モデル。 セルフタイマーとダイヤルの位置が違うだけで全体のフォルムはあまり変わっていない。値段は約10万円。 |
| 2012年4月 5日 とんぎり山 | ||||||
| 近くに山条山(やまじょうやま)通称とんぎり山がある。 | ||||||
| この山については「讃岐七富士、高瀬三富士」のコーナーで記事にした事がある。 | ||||||
| その記事はこちらから→山条山 | ||||||
| 最近、三豊市のホームページにこの山の登山道が紹介された。 | ||||||
| 地元の人達が雑木を切り開いて登りやすくしたみたいだ。 | ||||||
| 早速バイクに乗って行ってみたが、登山道とは言っても幅はかろうじて人間がすり抜けられる程度だ。 | ||||||
| 木の伐採を最小限にとどめたのだろう。 | ||||||
| 当然バイクのハンドル幅より狭いところがいくつもある。 | ||||||
| そりゃそうだろう・・・誰もこの山をバイクで登る奴がいるなんて想定するはずないからなあ。 | ||||||
| ここは無理せずにバイクを降りて歩いて登った。 | ||||||
| 迷わないように要所の木に目印の赤いテープを巻いてあるのは地元の人の気使いによるもの。 | ||||||
| 途中、見晴らしのいいところは一箇所しかないが、手入れされた里山歩きは気持ちがいいものだ。 | ||||||
| とんぎり山と言われるだけあって頂上が近くなるとかなりな急勾配になり、滑り落ちそうなところはロープを張り巡らせてある。 | ||||||
| とは言っても標高189mだから休憩する間もなく頂上に着いた。 | ||||||
| 以前に登った時は木に囲まれていた頂上も今は高い木が伐採され、眺望は180度になっていた。 | ||||||
| 下のパノラマ写真は瀬戸内海に向かって左から順に豊中町、詫間町、三野町、高瀬町、つまり三豊市北部が視野におさまる。 | ||||||
| この日は写真としての条件が良く、望遠レンズでなくても岡山県まで写せた・・・ラッキー。 | ||||||
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| 登山口 | ここまでがバイクの限界 | これではバイクはすり抜けられない | 緑のトンネル | |||
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| 安全対策 地元ボランティアの皆さんに感謝 | 頂上 | |||||
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| 左クリックで拡大、もう一度左クリックでさらに拡大。お試しを。 | ||||||
| 2012年1月20日 大河ドラマ「平清盛」 | |||||
| NHKの新大河ドラマ「平清盛」の放送が始まったが、何だか例年とは様子が違うみたいだ。 | |||||
| 初回の視聴率が過去のワースト3位だったのは置いといて、放送に対して兵庫県の井戸知事が記者会見でイチャモンをつけた。 | |||||
| 「画面が汚い、もっと華やかにして欲しい。兵庫県の観光にも悪影響を受ける」と言ったそうだ。 | |||||
| なんで兵庫県の知事がそんな事を言ったのか・・・平清盛が築いた福原京が現在の神戸市兵庫区にあったので、兵庫県は観光誘致を進めているから高視聴 | |||||
| 率を期待しているのだろう。 | |||||
| わたしの感想は正反対。 | |||||
| 土埃の中の筵掛けの小屋、薄汚い着物に煤で黒くなった顔、浮浪者みたいな民衆は道端で煮炊きをするから集落はいつも煙が漂っている。 | |||||
| 画面が薄汚れて見えるのは当たり前で、綺麗なほうがおかしい。 | |||||
| 平安時代のリアリティが画面から良く伝わってくる、いい時代考証だと思う。 | |||||
| 最近の大河ドラマ、特に去年の「江」などは戦国時代とはとても思えない時代考証が随所に見られてウンザリした。 | |||||
| 今年はいいぞ・・・見ていて黒澤明監督の「羅生門」を思い出すような映像だ。 | |||||
| いっそ思い切ってモノクロ画面にして、光の強弱とコントラストで映像美を追求してはどうだろう。 | |||||
| やっぱり無理か?・・・NHKだって視聴率は気にするだろうからな。 | |||||
| NHKの制作責任者は「どのような批判を受けようとも方針は変えない」と明言したが、それは当然だろう。 | |||||
| NHKは特定の観光地の為に大河ドラマを作ってるんじゃないんだからな。 | |||||
| 兵庫県庁の広報担当には県知事の発言を批判するメールが多数寄せられているらしい。 | |||||
| それでも県知事は再度同じような発言をした・・・エエ加減にしなはれ。 |
| 2012年1月7日 「坂の上の雲」が終わって・・・。 | |||||
| NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放送が終わった。 | |||||
| 「坂の上の雲」って何?という方々はこのページの2009年12月3日の記事をご覧あれ。 | |||||
| 第一部が2009年11月30日に始まって5回に分けて放送され、、第二部が2010年の年末に4回、第三部は昨年年末に4回、足掛け3年の長丁場だった。 | |||||
| 一回の放送は90分だから放送時間を合計すると約20時間という事になる。 | |||||
| この20時間と言う時間は長かったのか、短かったのか、観た人によって受け止め方が違うだろう。 | |||||
| あの長編小説を読破した人にとっては「長い間待たされたけどもう終わったのか?」と感じたのではなかろうか。 | |||||
| 日本海海戦 | |||||
| 最終回に放送された「日本海海戦」は日露戦争の勝敗を決めた戦いであり、この小説のクライマックスであり、視聴者がもっとも注目したシーンでもあった。 | |||||
| 原作では日本海軍連合艦隊とロシアのバルチック艦隊の作戦行動が詳細に描かれ、各艦の動きが時系列に沿って克明に再現されていたので私はまるで | |||||
| 自分が戦艦「三笠」の戦闘指揮所にタイムスリップしたように錯覚するほどの臨場感と迫真力を紙面から感じたものだ。 | |||||
| 東郷平八郎長官はこの時、世界戦史に残る丁字戦法で危険を顧みず敵前回頭を決行し、敵艦隊の頭を抑えて集中砲火を浴びせて完勝した。 | |||||
| 野球に例えるなら10対0または30対1くらいの戦いだ。 | |||||
| 海戦だろうが陸戦だろうが、古今東西これほど一方的な勝利は無い、と後世に語り継がれるほどの戦いであった事は世界中の歴史家が認めている。 | |||||
| 双方の戦力、火力はほぼ同等或いは日本海軍がやや不利であったにもかかわらず、なぜこのような結果に終わったのか? | |||||
| それはドラマを観ただけでは理解できないだろう・・・放送時間の制限の為か、制作費の都合か分からないが視聴者に対して説得力が不足していた感は否め | |||||
| ない。 | |||||
| 知りたければ原作を読むしかない。 | |||||
| 配役 | |||||
| これだけは観る人の主観に左右されるだろうが、私は特に不満を感じず、総じてはまり役が多かったと思う。 | |||||
| 正岡子規役の香川照之は子規本人の写真にそっくりだから納得。 | |||||
| 秋山真之役の本木雅弘も秋山好古役の安部寛も小説上のイメージに近い。 | |||||
| 児玉源太郎を演じた高橋英樹はいかにも明治の軍人らしく、さすがと言うしかない。 | |||||
| ほかの番組なら主役クラスの石坂浩二、西田敏行、加藤剛、草刈正雄、江守徹といったそうそうたる俳優が次々登場してスペシャルドラマの名に恥じない配役 | |||||
| だ。 | |||||
| ただ東郷平八郎役の渡哲也がしゃべる薩摩弁は下手くそだったし、乃木希典役の柄本明はセリフがモソモソして聴き取りにくかった。 | |||||
| それにしてもこれだけの俳優を集めたらギャラ総額は一体いくら位なんだろう? | |||||
| 特殊撮影 | |||||
| 特殊撮影の始まりは昭和30年の東宝映画「ゴジラ」だろう。 | |||||
| この映画は街も電車も船もすべて映画用に作られた模型だったし、ゴジラは着ぐるみだった。 | |||||
| 時代は進み、今やCG(コンピュータグラフィクス)なくして特殊撮影はできない。 | |||||
| 当然、このドラマにもCGが多用されている。 | |||||
| 模型では軍艦の持つ鋼鉄の質感や主砲の砲煙、着弾時に立ち上がる水柱、目標に命中した時の爆発シーンなどの再現性に限界がある。 | |||||
| しかし、このドラマのCGは製作者の苦労が画面から感じ取れるほどの見事な出来栄えだったと思う。 | |||||
| 特に連合艦隊が単縦陣で「三笠」を先頭にして一斉に敵前回頭するシーンは本物の軍艦を実写したのでは?と思わせるような迫真力があった。 | |||||
| こればかりは活字とは別世界であり、身動き出来ずに画面に引きずり込まれていた。 | |||||
| 当時の敵艦との距離測定の方法や、その距離を主砲砲術長へ伝達し発射に至るまでの指揮命令系統が史実に基づいて精確に再現されていたのはさすが | |||||
| NHK。 | |||||
| 大河ドラマとは比較にならないほどの長い製作期間と巨額の制作費を投じただけの事はある・・・民放では到底真似出来ないだろうな。 | |||||
| 日露戦争は正当防衛か? | |||||
| 戦争には正しい戦争も無ければ、悪い戦争も無い。 | |||||
| 国と国が戦い、人と人が殺し合い、傷つけ合う。 | |||||
| 「お国の為」との大義名分で庶民は徴兵されて、家族とも愛しい人とも引き裂かれ、異国の地で命を懸けて戦わなければならない。 | |||||
| 死んでも遺骨が帰ればいい方で、国からの戦死公報の紙切れ一枚が届くだけ。 | |||||
| そんな戦争が「正しい戦争」などと言える訳がないし、思いたくも無い。 | |||||
| だが「侵略戦争」と「防衛戦争」とは次元の異なる戦争だ。 | |||||
| 明治時代、欧米の列強諸国は例外なく帝国主義であり、弱小国を侵略し植民地化して自分の国へ富を吸い上げた。 | |||||
| ロシア帝国は勢力を南へ向けて中国(当時の清王朝)を喰い物にし、更に貪欲に勢力を拡大しつつあった。 | |||||
| 朝鮮半島がロシアに植民地化されたらどうなる? | |||||
| 朝鮮半島の港がロシアの艦隊で埋め尽くされたらどうなる? | |||||
| 日本は喉元へ刃を突き付けられたのと同じ状態になる・・・伊藤博文始め日本政府も国民もこれを極度に恐れた。 | |||||
| 黄色人種が白人国家に奴隷扱いされない為には、全身棘だらけのように武装し、どこの国にも触らせないように自己防衛するしかないのだ。 | |||||
| 当時、帝国主義と帝国主義が正面からぶつかれば戦争以外に選択肢は無かった。 | |||||
| こうして日露戦争が勃発し、大きな犠牲を払って日本はロシアという凶暴な虎を北方へ追い帰した。 | |||||
| 日本は他国の軍隊の力を借りずに自らの力で「防衛」し、自国の領土や国民には一指も触れさせなかった。 | |||||
| 歴史を「もしも・・・」とか「・・・だったら」で語っても無意味かもしれないが、日露戦争が無かったら、日露戦争で日本が敗北していたら、その後の日本はどの | |||||
| ような道を歩んだのだろう。 |
| 2011年10月28日 満水池の鮒 | |||||
| 讃岐の国の郷土料理に「鮒のてっぱい」というものがある。 | |||||
| てっぱいって何だ?と言う人は先ずはこちらを→http://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/syoku/2/ | |||||
| 昔々、交通手段は牛か馬くらいしかなかった頃は海から離れた地方は新鮮な魚が手に入りにくかった。 | |||||
| こんな狭い讃岐の国でも昔は流通機構が今のように発達していなかったから山沿いの地方では海の魚は貴重な食べ物だったのだ。 | |||||
| でもここには数え切れないほどの溜池があり、鯉や鮒などの淡水魚がいっぱい獲れた。 | |||||
| これを食べない手はない・・・独特の臭みをおさえた淡白な味は日本酒に良く合う。 | |||||
| でも若い人は鮒なんか食べるものではないと思っている人が多いようだ。 | |||||
| 満水池は鮒の養殖場であり、鮒が良く太っているこの時期に出荷されるが、需要は年々減ってきているらしい。(理由は上のとうり) | |||||
| 十数年前までは何隻もの船が出て、にぎやかな水揚げ風景が見られたのだが・・・。 | |||||
| でも讃岐名物はうどんだけではない。 | |||||
| 「鮒のてっぱい」もうまいし「醤油豆」もうまいのであーる。 | |||||
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左は近くの公園の道端へクルマを停めた時の一枚。 |
| 思いがけずに冬の花がエンジンフードや窓ガラスにクッキリと映り込んでいた。 | |
| 帰ってパソコンで見てみると以外と面白い写真になっていた。偶然、まぐれ、たまたま・・・。 | |
| でも成人式の記念にちょうどいいかも。 |
| 2010年12月1日 続・「はやぶさ君」 6月20日の続編 |
| はやぶさ君が小惑星イトカワから地球へカプセルを持ち帰ってからもう半年近くになる。 |
| 普通ならこの手の話題はすぐ忘れられるし、マスコミも取り上げなくなるケースが多い。 |
| しかし、最近になってはやぶさ君はまたまたテレビ、新聞をにぎわしている。 |
| 当初、カプセルにはイトカワの砂、石などのサンプルは入っていないのではないかと関係者はほぼ諦めていたが、微粒子が見つかったのだ。 |
| 100分の1mm〜1000分の1mmの微粒子が1500個も見つかったのだ・・・ん?そんなに小さいのか?と言ってはいけない。 |
| これは大変な成果だ、これだけあれば分析するには十分な量だし、日本だけでなく世界各国の専門の技術者に配る事もできるらしい。 |
| 関係者は狂喜乱舞、呑めや唄えの大騒ぎ。(したかどうかは知らないが) |
| ニュースはこれだけでは終わらなかった。 |
| 複雑な構造のカプセル内の別の区画から、これ迄より大きな10分の1mmの微粒子(というより砂?)が数百個も出て来たというから驚きだ。 |
| この大きさなら切断して分析する事も可能らしい・・・切断? どうやって? カミソリみたいな刃物で切るのか?・・・まさか。 |
| そんな方法が素人に分かるはずもないが、マスコミがこんなに大きく取り上げるのははやぶさ君が今年一番の人気者で英雄だから、だけではない。 |
| 地球以外の天体から地表面の物質を持ち帰ったのはアメリカのアポロ計画以来の事であって、無人探査機が持ち帰ったのは史上初の快挙だ。 |
| オリンピックやアジア大会での日本の金メダル数はいつも期待はずれだが、この分野での今年の金メダルはまちがいなくはやぶさ君のものだ。 |
| 国民栄誉賞をあげたいくらいだが、良く考えるとあれは人間がもらうものだった。 |
| で、その微粒子や砂を分析すれば何が分かるの? |
| それはイトカワには大気がまったく無く、宇宙誕生のビッグバンから惑星などが生まれた46億年前の姿をそのまま保っているからだ。 |
| つまり地球上の物質からは得られない貴重な情報が得られるのだそうだ。 |
| 分析の結果が私達に理解できるかどうか、は別として何だかワクワクする。 |
| 2台目、いやはやぶさ2世の誕生が待ち遠しいのは私だけか? |
| 2010年11月18日 テレビの前に釘付け |
| プロ野球 |
| 私は普段あまりプロ野球を見ない・・・しかし今年はシーズン終盤に来てからいつもの年と様子が違ってきた。 |
| セリーグはペナントレース1位の中日がCS(クライマックスシリーズ=1〜3位のチームによる日本シリーズ出場権を決める試合)を勝ち抜いて名実共にセリーグ |
| のチャンピオンとなった。 |
| が、パリーグはそうすんなり行かなかった・・・ペナントレース3位のロッテがCSで2位の西武、1位のソフトバンクに劇的に勝ち越して日本シリーズの出場権を |
| 勝ち取ったのだ。 |
| こうなるとパリーグの覇者はソフトバンクなのか?ロッテなのか? |
| ソフトバンクは長いペナントレースを最も高い勝率で戦い抜いたからペナントレース優勝チームとなる。 |
| しかしパリーグを代表して日本シリーズに出場するのはCSという短期決戦を制したロッテなのだ。 |
| 真の覇者はどっちだ?なんとなくスッキリしないのは私だけか? |
| それはさておき中日対ロッテの日本シリーズが始まった。 |
| 一試合ごとに勝ち負けを繰り返して、この試合に勝てば日本一になれるという第6戦はテレビの前に釘付けになってしまった。 |
| 2対2のまま7回から両チーム共1点も取れず、スコアボードはゼロのオンパレードで延長15回で規定により引き分となった。 |
| 試合時間は何と5時間43分・・・シリーズ史上最長試合となり、終わったのは日付けが変わる5分前。 |
| 「面白い試合」とか「手に汗握る大熱戦」とかではない・・・両チーム共ここという時に点が取れず、もうこの回で決着が付くだろうと思いながら見ていた私は風呂 |
| にも入れず、寝るに寝られず、結局12時までテレビの前に釘付けになってしまった。 |
| さらに翌日も延長戦にもつれ込み、12回にロッテが勝ち越し点を入れて日本シリーズはやっと幕引きとなった。 |
| それにしてもペナントレース3位のチームがリーグ1位になり、更に日本一になったのだからマスコミは「下剋上」だと書きたてた。 |
| (下剋上とは戦乱の世に家来が謀反を起こし、主君を討つ、というのが本来の意味なのだが・・・ま、いいか) |
| 2日間で合計8時間くらい野球を見た事になる・・・あー疲れた。 |
| 女子バレーボール世界選手権 |
| 野球も面白いし、サッカーも面白い。 |
| しかし、どちらも2時間も3時間もテレビの前にいて1点も入らず、挙句の果てに引き分け、なんてつまらない結果に終わる試合もある。 |
| 第一、野球は攻守の交代やピッチャーの交代に時間がかかり過ぎて退屈する試合もある。(オリンピックの正式種目から外れた要因のひとつかも・・・) |
| その代わり、いくらリードされていても9回裏2アウトからヒットやホームランで一発逆転のサヨナラ勝ち、なんてスリリングな試合もある。 |
| じゃバレーボールは? |
| これは決められた点数を先に獲ったほうが勝ちだから、見ていて息つく間もないほど緊迫した試合が見られる時があって中々面白い。 |
| 今回の女子バレーボールはそんな試合が2試合も見られた。 |
| ひとつは準決勝の対ブラジル戦だ。 |
| 私の予想では3対0か3対1でブラジルの勝ちと見た。 |
| 日本は今年8月の試合ではブラジルに勝ってはいるものの、ブラジルの実力はあんなものではない・・・ロシアと並んで世界の女王を争えるのはブラジルくらい |
| だろう。 |
| ところが試合が始まってみると第1セットを日本が簡単に獲ってしまった。 |
| まあこんな事もあるだろうと思っていたら第2セットは手に汗握る大接戦になり、35対34という女子世界バレー史上最長のラリーの応酬の結果、日本が獲った。 |
| まさか、まさか・・・セットポイント2対0になってしまった、あと1セット獲れば日本がストレート勝ちするのだ。 |
| もし日本にストレート負けしたら彼女達は泣きながら地球の裏側まで帰らなければならないのだ。 |
| しかし敵もさるもの、第3セットからブラジルは隠していた牙を剥き出し始めた、というか本来の実力を発揮し始めた。 |
| コンビネーション、サーブレシーブ、スパイク、ブロックがかみ合うようになり、日本は少しずつ引き離され、追いつけそうで追いつけない。。 |
| そしてファイナルセットもブラジルの勢いを止められず、結局3対2で負けてしまった・・・逃がした魚は大きかった。 |
| がっかり。 |
| 余談だがブラジルのシェイラという選手は美人だ・・・もし身長2m以上の美女コンテストがあったら間違いなく彼女がナンバーワンになるだろう(と思う) |
| 11月14日の準決勝ラウンドはロシアとブラジルが決勝へ進んだので、翌日残ったアメリカと日本で3位4位を争う事になった。 |
| 勝った方が銅メダル、負ければだだの4位となってしまう。 |
| 試合前にコートに並んだ両チームの選手を見比べてその体格の差に驚いたのは私だけではないだろう。 |
| 参加24カ国中もっとも平均身長の低い日本に比べてアメリカチームは高いだけではなくみるからにパワフルなのだ。 |
| 65年前、日本はあんな国と戦争をしたのか?あ、これは少々話の筋が違う。 |
| 試合が始まると日本の選手はアメリカの高さとパワーにひるむ事なく互角に渡り合った。 |
| フーカーという選手のスパイクは男子並みだ・・・3mくらいの高さからボールを弾丸のようなスピードでコートの真ん中に叩きつけてくる。 |
| しかし、日本の選手は平均身長の低さを猛練習で磨いた技術でカバーした。 |
| 第1セットは失ったものの、第2セット以後は両チーム一歩も引かぬ大熱戦となり、テレビの前から離れられない。 |
| それまで寝転んで見ていたが、起き上がり身を乗り出して「ヨシッ!」とか「いけー!」とか一人で応援をやりだした。 |
| アメリカも必死だ・・・世界ランキング2位のアメリカが同5位の日本に負けて、銅メダルさえ取れずにどんな顔して太平洋の向こう迄帰れよう。 |
| 火花を散らす大接戦はファイナルセットへもつれ込んだ・・・こんな興奮する試合はそう滅多に見られるものではない。 |
| しかし、ここへ来てアメリカの集中力と勝負への執念が途切れたのではないだろうか・・・私にはそう感じ取れた。 |
| 最後の最後に日本はアメリカを突き放し、めでたく32年ぶりのメダルを獲得した、そしてバレーボールは高さとパワーだけのスポーツではない事を彼女たちが |
| 証明した。 |
| いまだに興奮から覚めていないみたいだ。 |
| 2010年10月8日 道端に咲く秋の花 | |||||||
| 気が向くままにミニバイクにまたがり、トコトコとゆっくり走りながら、気に入った被写体を見つけたら止まってシャッターを押す。 | |||||||
| 今年の猛暑は当然道端の花にも影響があったみたいで、例年なら彼岸の時期に咲く彼岸花は今が花盛りだ。 | |||||||
| コスモスも一週間くらい遅いような気がする。 | |||||||
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| 2010年10月3日 「尖閣諸島」 |
| 日本列島の西端に尖閣諸島という島々がある。 |
| 昭和以前には日本人が住んでいて、鰹節工場があったらしいが、今は無人島になっている。 |
| 当然、日本固有の領土であり、それを証明する歴史的資料や文書もあり、国際的にも何の問題もない。 |
| 領土であるからにはその周辺海域は日本の領海である。 |
| そこへ中国の漁船が入ってきて違法操業し始めた。 |
| 日本の海上保安庁の巡視船はこの漁船を取り締まろうと停船を命じたが、素直に止まればいいものを、一目散に逃げ始めた。 |
| 当然、巡視船は追いかける・・・何度も警告するがと止まろうとしない。 |
| 逃げ切れるはずもないのに、何を血迷ったか漁船は巡視船の舷側に船首から体当たりしてやっと止まった。 |
| これが道路上なら暴走族がパトカーに追いかけられて逃げ回り、あげくのはてにパトカーに体当たりしたようなものだ。 |
| 船長は逮捕されたが、なぜか船体は拿捕される事なくほかの船員も逮捕されなかった。 |
| この事件を知った中国政府はこれまでにない剣幕で強硬に抗議してきた。 |
| 「尖閣諸島はわが国の領土である!」「船長を即刻釈放せよ!」「さもなくば報復するぞ!」と声明を発表した。 |
| これには驚いた・・・ヤクザかチンピラの言いがかり、恐喝と同じレベルであり、まともな国の言う事ではない。 |
| 更に驚いたのは、検察は逮捕した船長を起訴もせずあっさりと釈放してしまった事だ。 |
| これがのちに与党民主党に対し「戦後最大の外交的敗北」だと野党に責め立てられる事になる・・・責められて当然だ、誰がどう考えても無罪放免していい訳 |
| はないだろう。 |
| 政府民主党は「政治は検察の決定に介入していない」と言うが本当なのか?検察だけでこのような政治的判断をしたのか?良くわからない。 |
| だが、日本の政府は中国政府の脅しに怯えて「はい、すぐ釈放しますから事を荒立てないようにして下さい」と言ったのと同じ事なのだ。 |
| 日本国民の大半の人々は「屈辱」「情けない」「弱腰外交」「弱虫民主党」「舐められている」と思っただろう、「これでいいのだ」とバカボンのパパみたいな事を言 |
| う人がどれだけいるだろうか。 |
| 中国漁船が体当たりしてくるシーンが撮影されたビデオはまだ那覇地検に保管されているので、法的には今すぐ一般公開は出来ないらしい。 |
| 船長は「私は違法な事は何もしていない」と主張し続けているが、このビデオが公開されればすべてが明らかになる。 |
| 船長が中国へ帰国してからも中国政府は日本への批判と脅しの手を緩めなかった。 |
| 東シナ海のガス田問題などがからんでいるので、中国は尖閣諸島付近を自分の縄張りとして国際社会に認めさせたいのだろう。 |
| そんな不合理な主張が認められるわけがない・・・尖閣諸島は日米安保条約の範囲に含まれているからだ。 |
| 私は「中国」という国そのものは嫌いではない、というより好きな国のひとつだ・・・西遊記と三国志の国、日本と同じ漢字の国、そしてシルクロードの国であり、 |
| 歴史ロマンに溢れた国だ。。 |
| しかし、共産党一党独裁の政府が支配し、民主化運動を武力で弾圧し、今回の事件を話し合いで解決しようとしない国は嫌いだ。 |
| 中国は恥を知るべきだ。 |
| 2010年8月4日 望遠レンズを買った! | |
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ついに買った!と言うか・・・「買ってしまった」 |
| 早い話(ゆっくり話しても同じだが)煩悩を振り払い切れずに買ってしまったのだ。 | |
| 今使っている一眼レフカメラに取り付けるレンズは超広角ズーム(11−18mm)と標準ズーム |
|
| (18−55mm)と中望遠ズーム(18−135mm)の3本立てだった。 | |
| 私の撮影スタイルから言えばこれで十分だと思っていた。 | |
| (というより自分に言い聞かせていた) | |
| プロじゃないんだからこれだけあれば普通に写真は撮れるのは確かだ。 | |
| がしかし、人間の物欲とはきりがないもので、被写体の範囲が少しづつ広がり始めるのに | |
| 同期して長望遠レンズが視野にちらつき始めた。 | |
| そこでしばらく考えた。 | |
| 「今のままでいいじゃないか!長望遠なんてめったに使わないのに!」 | |
| 「いや、300mmとは言わないから、せめて200mmがあれば被写体の幅が広がるぞ!」 | |
| 「と言っても安い買い物じゃないぞ!」などなど迷いに迷った結果、一応これで打ち止めと心に | |
| 決めて、前から気になっていたニコンVR55−200mmズームを買った。 | |
| VRとは、シャッターを押す時などにカメラが動いて写真がブレてしまうのを軽減する便利な機能の事だが、手持ちのレンズにはそんなハイテク機能は付いて | |
| ない。 | |
| ブレをゼロにはできないが、薄暗い時や動きの速い被写体を狙う時にシャッター速度を3段分上げられるので、シーンによっては有効に働いてくれるはずだ。 | |
| 今日届いたばかりなので今は欲しがっていたオモチャを与えられた子供と同じ気持ちだ。 | |
| でも今日は曇っていて、遠くの山並みがかすんで写せない・・・あした天気にな〜れ。 | |
| 2010年7月17日 2010高瀬空射矢まつり | ||||
| 空射矢は「そいや」と読む。 | ||||
| そのまま読み取れば「空に向かって矢を射る」という意味になる。 | ||||
| が、この地方には「そいや」と言う方言がある・・・「そうなんだよ」と言う意味だが、両方とも語呂がいいのでこうなったとか。 | ||||
| 空射矢まつりそのものは昔からある伝統的な祭りではない。 | ||||
| 私が物心ついた頃は祇園神社の夏の例大祭として行なわれていたのだが、時代と共に変化して今の形となった。 | ||||
| 昔のこの祇園神社(今は高瀬天満宮とも呼ばれている)の夏祭りは境内は勿論、前の道路も露天で埋め尽くされ、にぎやかな地元の夏の風物詩となって | ||||
| いた。 | ||||
| そして昭和50年頃高瀬町はお茶の名産地である事から「高瀬お茶祭り」が併催されるようになった。 | ||||
| このお祭りから「高瀬茶摘音頭」とその踊りが行なわれるようになり、婦人会だの子供会だの会社や団体が踊りに参加するようになってきた。 | ||||
| それでもメインは祇園神社周辺であり、車両通行止めにして流し踊りと総踊りが行なわれ、古きよき時代の雰囲気を失ってはいなかったのだ。 | ||||
| 平成の時代になってから少しづつこの祭りの様相というか実行方法が変わっていった。 | ||||
| メインは祇園神社から市役所周辺に移り、踊りはそれまでののんびりしたものから若者向きのテンポが早く激しいものなった・・・・高知の「よさこい踊り」みたい | ||||
| に変化したのだ。 | ||||
| 踊りには決められた音楽を使う必要はなく、踊り子連が独自に決めた唄や音楽を使えるようになり、踊る人も見る人も楽しい夏祭りに様変わりした。 | ||||
| 市役所前は露天が立ち並び、踊り子連や大勢の見物客で賑わい、若い人の熱気に圧倒される。 | ||||
| それに比べて祇園神社の静かな事・・・当番として本殿内に座っていてもたまにお賽銭をあげに来る人がいるくらいで、昔の賑わいを知る者にとっては淋しい | ||||
| 限りだ。 | ||||
| が仕方ない、あんなのんびりした茶摘音頭では若い人には受けないし、人の集まりも悪いし、祭りの存続問題にもなってくるだろう。 | ||||
| 我が家の前も祭り提灯がズラリと下げられ、音楽が流され、踊りの列が通って家にいても祭りの雰囲気が楽しめた。 | ||||
| もう一度あんな時代が来ないかなあ・・・来ないだろうなあ。 | ||||
| 神社正面(昔の賑わいはどこへ・・・) | 地元自治会の獅子舞も奉納される | 美女に頼まれてパチリ! | 市役所前特設ステージ | 香川西高前 |
| つゆ明け直後の青空の下、香川西高前から市役所前にかけての大通りやステージでは昼3時から夜10時までにぎやかな踊りで盛り上がる | ||||
| 2010年7月13日 サッカー ワールドカップ |
| サッカーW杯南アフリカ大会はヨーロッパ勢同士の決勝でスペインが優勝し、幕を閉じた。 |
| スペインの速いパス回しは驚異的だし、優勝チームにふさわしい守備陣がそろっている・・・全7試合で2点しか失わなかったのだから。 |
| 日本チームは一次リーグ敗退と予想する人が多い中、見事に決勝トーナメントへ勝ち上がった。 |
| じつは私は90%以上の確率でこの結果を予想していた。 |
| たいした根拠はないが、日本は大会前の4試合で全敗した、だからチームの状態や選手個人のコンディションはその時点で最低であり、これ以上下がる事は |
| ないだろうと思ったからだ。 |
| プロ野球でもオープン戦で成績の悪かったチームが開幕後に右肩上がりに調子が上がっていくケースがよくある。 |
| 今回のW杯の日本チームの活躍はそれとよく似ていると思う。 |
| 第1戦の対カメルーン戦での本田選手の一点目のゴールによって、チームの状態は右肩上がりに上がれたのではないだろうか。 |
| あの強いオランダ戦では負けたものの、最小失点で切り抜け、そしてデンマーク戦で3点を取れたのも大会前の4連敗があったからではないだろうか。 |
| 人間は欲が深いので、せっかく決勝トーナメントに上がったのだから、とベスト8への進出を期待した。 |
| が、結果はご存知のとうり。 |
| 駒野選手のPK失敗は彼のせいではない・・・・彼の蹴ったボールは紙一枚いや髪の毛一本の差でクロスバーにはじかれただけだ。 |
| PK戦になる前に一点が取れていればこうはならなかった・・・だからすべての責任は監督にある。 |
| サッカーと野球とでは見ていてどちらが面白い? |
| 日本では野球のほうが圧倒している・・・甲子園の高校野球も東京ドームの巨人戦も大人気だ。 |
| どちらもTV視聴率が高い。 |
| 野球は10対0で負けていても9回裏2アウトから大逆転できる可能性がある・・・最後の最後まで勝ち負けのわからない面白さとハラハラ感がある。 |
| サッカーには一発大逆転の可能性はない。 |
| TVでもゴールデンアワーにJリーグが中継される事は殆どない・・・TV中継そのものが少ない。 |
| 高校のサッカー全国大会も甲子園の高校野球人気の足元にも及ばない。 |
| サッカーは野球ほど点が入らないから見ていて退屈だと言う人が多い(野球だって1対0の試合はあるし、0対0の延長戦もあるが)。 |
| しかし世界を見渡してみるとサッカー人気が野球を圧倒している。 |
| ボール一個とちょとした空き地があれば練習できるし、野球よりはるかにルールが簡単だからだ。 |
| 4年に一度のW杯に世界中が熱狂する・・・野球とは比較にならない人気ぶりだ。 |
| だからオリンピックでも野球とソフトボールは次のロンドン大会の種目から外されてしまった・・・復活する可能性は限りなく低い。 |
| それでも日本人は野球が好きだ・・・何でだろう? |
| 2010年6月20日 「はやぶさ君」 |
| 近頃、珍しく感動した出来事。 |
| 「はやぶさ」と言うと何を連想するだろうか。 |
| 猛禽類の「隼」か、旧陸軍戦闘機の「隼」か、それとも・・・。 |
| 今から7年前の2003年5月に、種子島から純国産で作られた小惑星探査機が搭載されたロケットが打ち上げられた。 |
| その探査機には「はやぶさ」と名前が付けられていた。(愛称:はやぶさ君) |
| はやぶさ君に与えられた役目は「小惑星イトカワまで飛んで行って、一旦着陸して小石や砂などを採取して地球まで持って帰りなさい」というものだ。 |
| はやぶさ君はこの役目がいかに困難で危険なものかは打ち上げられた時点では知らなかった。 |
| 他の惑星まで無人探査機を送って着陸させ、帰還させるなんて・・・ましてその惑星の物質を持って帰る技術なんて日本以外のどこの国も持っていなかった。 |
| この分野に独自の優秀なテクノロジーを持っている日本の技術陣といえども簡単にこの探査機が作れたわけではないだろう。 |
| 我々には想像もつかないほどの苦労の連続だっただろうと思う。 |
| とにもかくにも打ち上げられたはやぶさ君は単身、暗く冷たい宇宙空間を「イトカワ」に向かってひとり旅を続けた。 |
| そして2年半の片道の旅を終えて2005年11月に直径わずか500mの「イトカワ」に着陸した。 |
| と言ってもすんなり着陸して予定どうり小石や砂が採取できたわけではなかった。 |
| エンジンや姿勢制御装置の故障などで目的達成には困難を極めたがはやぶさ君は地球からの指示に従って孤軍奮闘した。 |
| 「イトカワ」の地表に金属球を発射して舞い上がる小石や砂をカプセルに採取する予定だったが、これがうまく行ったかどうかは指令部で確認できなかった。 |
| あちこち傷ついた体ではやぶさ君はカプセルを抱いて「イトカワ」を離陸し、ふるさと地球への帰りの旅についた。 |
| その帰りの旅も苦難の連続だった・・・燃料漏れ、相次ぐエンジンやバッテリーの故障で、一時行方不明になったりもした。 |
| そのつど、指令部は知恵を絞り、はやぶさ君は地球からの指令によく応え、残された機能をやりくりして飛び続けた。 |
| だが故障したエンジンはその出力が回復せず、打ち上げ後4年で帰還する予定が7年を要する結果となった。 |
| そして今年6月、60億Kmもの想像を絶する長旅を終えて、満身創痍の体で死にそうになりながらもふるさとに帰り着いた。 |
| 当初の予定でははやぶさ君は「イトカワ」の小石や砂が入ったカプセルを地球上に安全に落としたあと、地球と太陽の軌道の中間くらいの位置で静止して、 |
| ゆっくり余生を過ごせるはずだったが、そう理想的に事は進まなかった・・・そこまで飛び続ける体力が残っていなかったのだ。 |
| カプセルははやぶさ君が大気圏へ突入したあと本体から切り離され、パラシュートを開きオーストラリアの砂漠の予定どうりの位置に軟着陸させる事に成功し |
| た。 |
| 大気圏突入のシーンはテレビで見た人も多いだろうが、はやぶさ君の体はまるで火葬されるように大気との摩擦で鮮光の尾を引きながら完全に燃え尽きた。 |
| した。 |
| このシーンはテレビで何度も放送されたから見た人も多いだろう。 |
| 「それがどうしたの?」と言う人がいるかも知れないし、私のように機械を擬人化して感動した人もいるだろう。 |
| 涙を流しながらテレビを見ていた、言う人もいたらしい。 |
| だが機械を擬人化しなければ、ただの無機的な宇宙開発のニュースに過ぎないから「へえー、すごいなあ!」と思うだけだろう。 |
| カプセルは日本へ持ち帰られ、今の時点では神奈川県相模原市の専用設備に保管されていて、近いうちに中身の分析が始まる。 |
| カプセルや着陸時に使ったパラシュートはいずれ一般公開されるそうだ・・・機会があれば見に行きたい。 |
| はやぶさ君、キミは偉いのだ! |
| (著作権の問題があるので写真は掲載しないでおく) |
| 2010年5月7日 庭の花 | |||
| たまには自分の家の庭の花を写そうと思い立った。 | |||
| 私には花を植えたり育てたりする趣味はない。 | |||
| 元気いっぱい咲いていて被写体になりそうな花もあれば、盛りを過ぎてしおれてしまった花もある。 | |||
| 20枚ほど写した中から比較的元気そうなのを8枚選んでみた。 | |||
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| 2010年4月8日 さくら・さくら |
| さくら前線北上中、いま四国地方の「そめいよしの」はどこもほぼ満開状態だ。 |
| この時期はカメラマニアや写真好きな人達は桜のある風景を求め、いい写真を写そうと、西に東に忙しい。 |
| 仕事を持っている人は休日でなければ動けないし、天候に恵まれた日の8分咲きから散りぎわまでの数日間が勝負どころになる。 |
| モタモタしていると散ってしまうので天気予報が気になって仕方がない。。 |
| 幸い今年は天候に恵まれ、抜けるような青空を背景にした桜を写す事ができた。 |
| それはいいのだが、4月5日から8日までの4日間で100枚近い桜の写真を写したものの、このダイアリーに掲載できるような写真は十数枚しかなかった。 |
| 「そめいよしの」という桜は天気のいい日は光を反射して白っぽく写るが、曇りの日はピンクが濃く写るので露出設定が難しい被写体だ。 |
| 写すのが難しい上に修行が足りないからコンテストに応募できるようないい写真は一枚も撮れなかった・・・毎年の事だが。 |
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| 朝日山を背景に・・・ | 爺神山から高瀬町中央部を見る | 満水池−1 | 満水池−2 |
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| 満水池−3 | 不動の滝 | 二宮の桃と桜 | 延寿寺−1 |
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| 延寿寺−2 | 爺神山の桜と菜の花 | 高瀬川の一本桜 | 桜と観音寺行き電車 |
| 2010年3月18日 木製ベンチを造る |
| 車庫の前に置いてあった木製ベンチの一部が腐り始めた。 |
| 防腐剤は塗ってはあったが、あんなものは気休め程度のものだから長い間使っていれば腐っても仕方がない。 |
| 腐った部分だけを取り替えて全体を塗り替える事も出来なくはないが、屋根のないところへ置いてあるのであちこちくたびれてきている。 |
| いつごろ造ったものかも忘れてしまったが、造るときにかなり手を抜いたので木が反ったりゆがんだりして見栄えが悪くなってきたのだ。 |
| 面倒くさいが、車庫前の人目につきやすい位置にあるので、この際、思い切って造り替える事にした。 |
| 造り替える以上は前より強く、大きく、、カッコイイものにしないとやる意味がない。 |
| 材料集め |
| 簡単な縮尺十分の一の寸法図を描いてから材料を集め始めた。 |
| 幸い、手元に3寸五分角(105mm×105mm)の角材が大量にあった。 |
| 家を建てるときに柱に使うものであり、使えなくなった中途半端な寸法の材料を材木屋さんからもらったものだ。 |
| 但し、短い寸法のものばかりなので座板にしか使えそうにない・・・普通、座板には角材は使わないが、出来上がってみると面白い味が出るかもしれない。 |
| 座板の枠や背もたれは新しい材料を買う事にした・・・といっても全部で5,500円くらい。 |
| 防腐剤 |
| これは値段も効果もピンからキリまである。 |
| 安くて効果抜群なのは昔からあるコールタールだが、これは不透明で真っ黒に仕上がり、木目が出ないので使う場所によってはデメリットのほうが大きい。 |
| かといってキシラデコールなどの透明防腐剤は木目が出て仕上がりは綺麗だし、いろんな色が選べるメリットはあるが、防腐効果のほどは甚だ疑わしい。 |
| 何を使うか、あれこれ考えたが、今回はいつも使っている油性透明防腐剤を使う事にした。 |
| 宣伝文句ほどの防腐効果がないのはわかっているが、在庫が2リッターほどあるから別な種類の防腐剤を買うのはもったいない。 |
| 座板の製作 |
| 普通のベンチは脚部に横桟を取り付けて、それに板を打ち付けて造るが、今回はまったく違う。 |
| コンクリートブロックを台座にしてその上に枠板を組み、座板(角材)を乗せて行く自己流だ。 |
| 寸法切りに間違いさえなければ、いとも簡単な作業だ。 |
| 座板に角材を使ったのは結果的に成功だった・・・重量があるので、座った時の安定感というか、すわり心地がなかなかいい。 |
| 座板と枠板の材料一式 | 防腐剤を塗る | 組み立て、取り付け | 座板部分が完成 |
| 背もたれと肘掛けの製作 |
| 座板だけでもベンチとして役には立つが、どうせやるなら背もたれも肘掛けも付けよう、と欲がでてきた。 |
| 耐久性を持たせる為に、重くなるのは承知の上でできるだけ分厚い材料を選ぶ。 |
| シンプルな外観にしようとしたら下の写真のようになった。 |
| 横幅2m、奥行き45cmの重量級ベンチの完成だ・・・ただ、重すぎて一人では動かせない。 |
| 出来上がったのを見て近所の人が座りに来て、その出来栄えと座り心地を褒めてくれた。(お世辞だとしても嬉しいもんだ) |
| 出来上がった背もたれ板 | 背もたれ板の取り付け | 肘掛けの取り付け | これで全体が完成 |
| 2010年2月24日 飼い猫の死 |
| このページは“猫シリーズ第6弾”「残った一匹も・・・」の続編ですので、先にそちらを見てからこのページへ戻って下さい” |
| “猫シリーズ第6弾”へはこちらから |
| 飼い猫は家から出さず、異性の猫と接触させなければ、仔猫が生まれる心配はない。 |
| だが、グーは家の中だろうと外だろうと出入りは自由にさせていた・・・家の中だけで飼うのは何かと問題が多いし、自由にさせておくのが猫らしいと思ったから |
| だ。 |
| だから仔猫をつくる可能性はおおいにあった。 |
| 「雄猫なんだから、そこらの野良猫や近所の猫と仔猫を作ったって放っときゃいいじゃないか」と言う人もいるだろうが、もし我が家の縁の下や近くで仔猫が生ま |
| れたとしたら、あなたならどうする? |
| 仔猫を捨てるのに何の抵抗感も罪悪感も感じない人もいるだろうし、何匹でも飼える恵まれた環境にいる人もいるだろう。 |
| 仔猫の繁殖が目的で猫を飼っている人達は仔猫の誕生を喜ぶだろう。 |
| そんな人は少数派であり、大抵の人は(私も含めて)産まれてきた仔猫をどうするか、に頭を悩ますだろう。 |
| しかし、去勢(避妊)手術さえしておけばその心配はなくなる。 |
| そう思ってグーに去勢手術を受けさせようと思い、近くにある二つの動物病院へ電話で問い合わせてみた。 |
| A院は血液検査を含めて手術一式15,000円、B院は血液検査は別で手術費のみで10,500円だと言われた。 |
| A院では過去に骨折の手術もしてもらったし、膀胱や尿道の治療もしてもらっていた。 |
| しかし、B院では膀胱炎の治療を安い治療費で、しかも短期間で直してくれたから信頼していたのでB院で手術してもらう事に決めた。 |
| シロウトの悲しさで、手術前の血液検査がどれほど重要な検査なのか、知らなかったし、ろくに調べもしなかった。 |
| 2月19日 |
| 午前11時頃、クルマに乗るのを嫌がるグーを無理やりB院へ連れて行き、全身麻酔の承諾書にサインして、あとは医師にまかせてグーを預けて帰った。 |
| 当然、その時点では何の心配もしてなかった・・・生きるか死ぬかの大手術じゃあるまいし、誰だって去勢手術くらいで余計な心配はしないだろう。 |
| が、6時間後B院へ迎えに行ったところ、「実は・・・亡くなってしまったんです、すべて私の責任です、何とも申し訳ありません・・・」と告げられたのだ。 |
| グーは段ボール箱の中で息絶え、冷たくなりつつあった。 |
| 手術後、麻酔からは覚めたものの、そのあと元の心肺機能を回復するだけの体力がなかったとか、あるいは持病の腎臓や横隔膜の病気が回復を妨げたとか、 |
| 医師から状況説明を受けてもシロウトにはとても理解できない。 |
| ひとつだけ理解できたのは事前に血液検査をしていれば、手術しなかった可能性があったという事実だ。 |
| どのような説明をされても、なぜグーが死ななければならなかったのか、どうしても私には納得できない。 |
| 医師は一切弁解せず、自分のミスと責任を全面的に認め、謝罪の言葉を繰り返したが、それでも私は医師を責めた。 |
| 「この猫の内臓は正常ではない事を先生も承知していたはずなのに、なぜ検査もせずに手術なんかしたんですか!」と責めずにはいられなかった。 |
| 「手術前のグーにもどしてくれ!」と、できもしない事を言いたかった。 |
| しばらくは感情を抑える事ができなかった、がしかしそれもしだいにむなしくなってきた・・・グーはもう死んでしまったのだ。 |
| 硬直しかけたグーの体を撫でてやりながら、私は安易に手術を受けさせた事と、このB院を選んだ事を悔やんだ。 |
| ほかの病院ならこんな結果にならなかったかもしれない。 |
| 血液検査さえしていれば、たとえ同じような状況に陥っても助けられたかもしれないし、全身麻酔や手術に耐えられないのが前もってわかったかもしれない。 |
| 僅かな危険性でもあるのなら手術なんか受けさせなかったのに・・・。 |
| 私は後悔の念とグーに対する申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 |
| ひと晩、うちで寝かせて、次の日に去年死んだ兄弟猫の隣へ埋めてお墓を作り、線香を手向けた・・・グーの供養として精一杯の事をしたつもりだが・・・。 |
| 2010年2月8日 がらにもなくボランティア |
| 大きな災害が起きた時、現地で被災者の手助けをしたり、行政に協力するのもボランティアだし、道端や公園や駅で清掃奉仕をするのもボランティアだ。 |
| そういう私も最近ボランティアをした。 |
| 私の住む地区(新名地区)には氏神様があるが、この氏神様は小高い山の中腹にあり、本殿までに数十段の石段を登るようになっている。 |
| それはそれで由緒ある神社らしくていいのだが、石段の両側には雑木や笹、雑草が生い茂り、枯れ木は倒れたまま放置されて、まるで神社らしい荘厳さがな |
| い。 |
| 私が子供の頃はもっと開放的で明るい神社だったのだ。 |
| では、その神社には清掃や手入れをする世話人はいないのか?誰も清掃しないのか?というとそんな事はない。 |
| 各自治会代表の世話人も総代もいるし、毎月一回ずつ当番の自治会世話人が清掃している。 |
| それならいつも綺麗か、というとそうでもない・・・確かに石段や境内は掃き清められているが、それ以外の場所には人手が足りなくて手を付けられないので |
| いつも薄暗く、雑然としている。 |
| この神社の自治会総代である私は、この神社の風景を子供の頃の風景に近づけたかった。 |
| 元どうりにするのは到底不可能なので、少しでも昔の風景に近づけたかった。 |
| ひとつの方法として神社総会で問題提起して協力者を集めて実行する、という方法がある。 |
| だが私は世話人としても総代としても新参者なので発言力は非常に弱く、ほかの人達に協力をお願いできるような立場にないのだ。 |
| そこで神社総代のMさんに相談したら、実行そのものに対しては否定はされなかった。 |
| かといって「それはいい、早速進めよう」との積極的な返事ももらえなかった。 |
| だったら一人でやってみよう・・・何日、何十日かかろうと誰からも文句は言われないし、誰にも頼まなくていい・・・よしマイペースでやってみよう、と決めた。 |
| 私はこういった山仕事は嫌いではない・・・というより好きなほうだ。 |
| 自分名義の雑木林で楽しみながら枝打ちしたり、下草刈りしたり、雑木の間引きをしたりしている。 |
| それに私は有り余るほどの時間を持っているのだ。 |
| 正月を過ぎてから本格的に手入れを始めた・・・といっても朝から晩までこんな重労働はできない。 |
| 水筒持参でせいぜい午前中の2,3時間がいいところだ。 |
| おまけに右手親指の状態が完全でないので、鉈で枝打ちするとショックが伝わり少々やりにくい。 |
| いくらジャマな木でも太い木は切れないから、おもに太さ10cm以下くらいの細い木だけを切り、延びた笹や雑草を刈り取る。 |
| 切り取ったものはその場に放置しておくわけには行かないので、窪地に運んで枝打ちして土に帰れるようにしておいた。 |
| いちいち日記にしているわけではないからどれだけの時間を要したのか、覚えていないが、雨の日以外の気が向いた日に20回くらいは神社へ通ったように思 |
| う。 |
| 結果、石段の両側は見違えるように明るく、綺麗になった。(自画自賛) |
| お参りに行って、自分で手入れした参道を登るのは清々しく、気分爽快、これまでの疲れを忘れてしまう。 |
| ボランティアとはこういうものなのだろう。 |
| これでいいのだ。 |
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| 神社正面から写す。大木や雑木に覆われて本殿が見えなくなってしまっている。鳥居があるから、かろうじて神社だとわかる。 | 作業後の参道。作業前は石垣の一部が雑草などで隠れていた。突き当たりの右に本殿がある。作業前の写真は撮り忘れた。 | 今回使った道具一式。手入れ良好、切れ味抜群。 |
| 2010年1月28日 <モンキー修復第2部 組立の巻> | |||
| フロントフォークとガソリンタンクの塗装も終わり、交換部品もすべて調達し終わり、組み立て段階に入った。 | |||
| が、せっかく修復するのだからできるところまで分解してみようと、主な部品を外してフレームとエンジンだけの状態にしてみた。 | |||
| こうすれば普段メンテナンスできない部分まで錆落としや部分塗装などの手入れができる。 | |||
| 外した部品をすべて並べて写真を撮ったのはいいけれど、思ったより点数が多く、自分の手だけで元どうりにできるかどうか、いささか不安になってきた。 | |||
| まあ、時間は有り余るほどあるんだから、焦らず、慎重に、外した逆の順序で組み立てていけばいいのだ・・・が、事はそう簡単には進まなかった。 | |||
| 配線の位置を間違えた為、せっかく取り付けたフロントフォークを外してやり直したり、部品の取り付け順序を間違えて30分くらい考え込んだり・・・。 | |||
| こんな事にならないように、あらかじめ複雑な部分を写真に撮っておいたのだが、結局何の役にも立たなかった。 | |||
| 挙句の果てにサイドカバーのはめ込みが浅かった為、テスト走行中に風圧で吹っ飛んで傷だらけになった。 | |||
| たかがちっちゃな50ccのモンキーだが、部品点数は1200ccの大型バイクと大差ないのだから、それ相応の集中力が必要だ、ということだろう。 | |||
| 結局、私の組み立ての技量はシロウトそのものという事になる。 | |||
| ただ、プロの手を借りなくても走れる状態まで修復できたのだから、100点満点中の70点くらいかな?いや80点にしておこう。 | |||
| 何はともあれ、ホンダモンキーは自分の手で生き返らせる事ができたのだからこれで良しとしよう・・・ひと仕事終わりだ。 | |||
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| フレームにエンジンブロックがぶら下がった状態・・・黙ってるとバイクに見えない。 | これから組み立てる部品を全部集めた状態。 ホントに走れるようになるんかいな? | フロント廻りから組み立て始める。 作業着だけはプロ並みだって?そりゃそうだろう、プロからもらったんだから。 | 一応バイクらしい姿に・・・。 でもまだ半分の仕上がり。 |
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| ホイルにタイヤを組み付ける。 回転バランスに気を使う。 | これで90%くらい完成。あとは細かな部品の取り付けと調整を残すのみ。 | 完成写真 | |
| 2010年1月20日 <モンキー修復第1部 塗装の巻> | ||||
| モンキーといっても生きた猿ではない、HONDA MONKEY つまりバイクの話だ。 | ||||
| モンキーは去年の10月17日の事故で前部がクラッシュし、動けないまま我が家の車庫に置いてあるが、ぼちぼち修理復元しなければならない。 | ||||
| 修理費は事故相手の対物保険から事故車の損傷の程度に応じて保険屋さんが支払ってくれる。 | ||||
| 保険屋さんは結果的には「事故車は全損である」とみなしてくれて、評価額15万円が支払われる事になった | ||||
| 私は交通違反はしていないし、相手の一旦停止違反が事故原因だから、15万円全額支払われるかと思ったが、そうではなかった。 | ||||
| 交差点内の事故は事故を起こした人が100%の責任を負うわけではなく、起こされたほうにもなにがしかの責任割合が生ずるので過失相殺で少々減額されるらし | ||||
| い。 | ||||
| ややこしい計算やいきさつは省くが、結局13万円程度に落ち着いた。 | ||||
| これに思い切って十数万円プラスして新車のモンキーを買うのもひとつの手だが、それをすれば事故車の修理費と部品代が別途必要となる。 | ||||
| 色違いのモンキーを2台持つのもマニアックで悪くはないが、これはいろんな意味で問題を起こす事になってしまう。 | ||||
| 台数が増えるとそれだけ維持費も増えるし、その他の問題があれやこれやと・・・。 | ||||
| 退院後、バイクの損傷程度をよ〜く見てみると、損傷の程度はプロでなければ手に負えないほどひどくはないと思えた。 | ||||
| よし!部品を買って自分で直せる部分だけ直してみよう・・・部品代は5万円以下だろうからあとの8万円は自分自身の修理手間賃になるのだ。 | ||||
| (これは保険金詐欺でもなんでもない合法的手段なので誤解なきよう) | ||||
| 右手の親指の動きはまだ十分ではなく、力が入りにくいが、リハビリをしながらも何とか軽作業はできるので、簡単なところから修理を始める事にした。 | ||||
| 一番損傷が大きいのはフロントフォークとガソリンタンクだ・・・原型をとどめてはいるものの、ゆがんだり、凹んだりして、乗り手と同じく入院を要する重傷と言え | ||||
| る。 | ||||
| 自分で板金修理出来なくはないが、私の未熟な技術では仕上がりが不細工になるので両方共取り替える事にした。 | ||||
| どちらも3年ほど前にイメージチェンジしようと中古品を買ってきてモンツァレッドに塗り替えて取り付けてあったものなので、オリジナル品は保管してあった。 | ||||
| このオリジナル品の色は新車時の焦げ茶色だが、完全無傷なので色さえ塗り替えれば使える・・・つまりこのふたつの部品代はタダで済むのだ。 | ||||
| ヘッドライトリング、ウインカー、バックミラーなどは新品にする・・・ついでに劣化したバッテリーと磨り減ったタイヤも新品にする事にした。 | ||||
| バックミラーは型の違う予備の新品があったので、部品代はしめて3万3000円ほどに収まったのだ。 | ||||
| ちなみに再塗装に使った塗料はそのへんのホームセンターで売っている一本二百円のスプレー塗料ではなく、れっきとしたHONDA純正の鮮やかなモンツァレッド | ||||
| なのである・・・値段は10倍くらいだがまるで発色が違う。 |
| オリジナル状態のフロントフォークとガソリンタンク。塗り替えるのが惜しいほどきれいな状態。 | HONDAマークの立体エンブレムをスクレパーで強引に剥ぎ取る。右手親指に力が入らないからやたら時間がかかる。 | 余計なものを剥がして裸にしたところ。塗料が付着してはいけないところにはマスキングテープを貼っておく。(240番のサンドペーパー掛けをしたあと) |
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| 下地のシルバー塗料を吹き付ける。乾いては塗り、乾いては塗りしてムラをおさえるのだ。気温の低い時期なのでこの作業だけで3日を要した。 | 下地が完全に乾燥したらモンツァレッドを3層に吹き付ける。これだけは手を抜かず丁寧に。 | トップコートを塗り、顔が映るまで研磨剤で磨き上げる。これで完成。 | |
| 2010年1月15、16日 「真鈴峠」と「三頭越」 | |
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1月12日前後から日本列島は強い冬型気圧配置となり、この四国にも冬将軍がやってきた。 |
| 平地でも雪花が散るくらいだから、讃岐山脈一体は一晩でうっすらと雪化粧に装われた。 | |
| こうなると私はじっとしていられない・・・何を隠そう(隠す必要もないが)実は私は雪景色が大好き | |
| なのだ。 | |
| 普段の冬の讃岐山脈は薄茶色の木々に覆われていて、写真のテーマとしての魅力はあまりな | |
| い。 | |
| が、雪によってそれが絶好の被写体に変身するからコタツでゴロゴロしている場合ではないの | |
| だ。 | |
| 15日はまんのう町琴南地区の真鈴(ますず)峠へ向かって一人で出かけた。 | |
| 讃岐山脈のふもとの国道438号線は除雪されていて路肩以外に雪はないが、県境へ向かう | |
| 県道に入ると路面の白い部分が増え、しかも登るにつれて積雪はしだいに深くなってきた。 | |
| が、都合のいい事に前を走る中型トラックが融雪剤(塩化カルシウム)を路面にバラ撒きながら | |
| 走っている。 | |
| 真鈴峠への林道入口 | こりゃあいい・・・これなら安全だぞ・・・このまま後をついて行くことにした。 |
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といっても、それは県道を右折する林道分岐点までの事だった。(写真左上) |
| ここからは林道大川真鈴線であり、簡易除雪しかされておらず、対向車とすれ違うスペースもな | |
| い。 | |
| いかに雪に強い四輪駆動車とはいえ、タイヤはノーマルなのであえて冒険をおかさず、長靴に履 | |
| き替えて歩く事にした。 | |
| が、歩き始めてから疲れるほどの距離を進むまでもなく真鈴峠らしいところに着いた。 | |
| 二万五千分の一の地図と照らし合わせると、左の写真の付近がどうもそれらしいのだが、標識も | |
| なく確認しようがない。 | |
| 地元の人に聞こうか、と思ったが付近には民家もなく、歩いている人も山仕事をしている人もいな | |
| い。 | |
| 春になればバイクでもう一度来てみる事にしよう。 | |
| 今はマイナーな峠であり、殆ど対向車もないが、江戸時代はメジャーな峠だったのだろう。 | |
| 古い地図がないので何とも言えないが、現代とは少し別なルートだったのかも知れない。 | |
| それを確かめたいが、今のところその手段がないのが残念だ。 | |
| 真鈴峠付近(初夏の真鈴峠へはコチラから) | 真鈴峠の名前の由来はわからないが、ちんから峠と良く似たいい響きだと思う。 |
| “猪” |
| 正直言って猪は怖い・・・人が襲われ、怪我をしたり、最悪の場合命を落とす事もある。 |
| 山にはイノブタもいるが、彼らに牙はなく、気性も比較的おとなしい。 |
| だが本物の野生の猪には立派な牙があり、気性は激しく、自分の縄張りに侵入した人間を敵とみなして攻撃する場合があるらしい。 |
| 大人より大きな猪の牙にかかったら、素手ではとても防ぎきれない。 |
| 基本的には夜行性動物であり、昼間は尾根あたりでおとなしくしているようだが、餌の少ないこの季節は昼間でも人里近くに現れる。 |
| たまたま機嫌の悪い猪にばったり出くわしたらどうすればいいか・・・とりあえずは太い樹によじ登るしかない、という人もいる。 |
| 「それより常に2m以上の長い木の棒をもって歩け」と言う人もいる・・・野生動物は自分より長くて大きい物を避ける性質があるらしい。 |
| だから、いざとなったらその棒を必死で振り回すせば、撃退できると言う。 |
| この山に限らずここ数年、どこの里山でも猪の足跡を頻繁に見かけるが、その姿を眼にした経験はない・・・一度野生の猪をこの眼で見てみたい好奇心はあるが、 |
| といって誰しも怪我はしたくないし・・・。 |
| 今度怪我したら「バイクの次はイノシシかい!、ええ加減にしとかんと次は命を落とすぞ!」と言われるだろうなあ、多分。 |
| 2010年1月7日 最近のテレビって・・・。 |
| 昨年末に新しいテレビを買った。 |
| 地デジフルハイビョンの37インチだが、パソコンみたいにHDD(ハードディスクドライブ)内蔵なので録画するのにビデオテープもDVDも必要ない。 |
| 実際に使ってみて、録画再生は宣伝文句どうりに大変簡単迅速であり、デジタル技術の進歩の速さに驚いた。 |
| 録画したい番組を画面上の番組表からで選んで予約ボタンを押すだけ・・・幼稚園児にもできるのではないか、と思うほどだ。 |
| それは便利でいいのだがその反面、操作や設定変更の説明がやたらに不親切なのだ。 |
| ついこのあいだまで取説(取り扱い説明書)というものは一冊の書類として本体に付属していた。 |
| それらしきものはあるにはあるが、従来の取説とは別物の薄っぺらい書類であって、操作作方法や各種設定変更や用語の意味は説明されていない。 |
| そういう説明は「電子説明書をご覧下さい」とある。 |
| 「電子説明書」とはリモコンの?マークのボタンを押せばテレビ画面に表示されるらしい。 |
| 珍しいので、面白半分に色々画面の設定を変えてみる。 |
| そのうち「画質調整」のなかの「バックライト」の調整と「ピクチャー」の調整とはどこがどう違うのか?がわからなくなった。 |
| 早速取説をめくってみるが、そんな用語解説はどこにも載っていない。 |
| やはり「電子説明書」を開いてしらべるしかないようだ。 |
| ところが、これがむつかしいのなんの・・・・あっちこっちそれらしいボタンを押すが一向にヒットしない。 |
| 諦めかけたころにやっと見つけた。 |
| ?マークボタン→数字ボタン301→矢印ボタン→映像メニューをお好みに調整する→決定ボタン→矢印ボタン→調整内容を詳しく見る→決定ボタン→これでやっ |
| と目的の用語解説のページにたどり着く事ができた。 |
| ここまで8段階のリモコン操作が必要なのだ・・・すべてのメーカーがこうなのかどうかは知らないが、このテレビは日本を代表する電器メーカーのものなのだ。 |
| 「バックライト」とはお好みに合わせて見やすい明るさに、「ピクチャー」とは部屋の明るさに合わせた濃淡、明るさに、だそうだ。 |
| デジタル機器の扱いには多少慣れているつもりの私でもこれほど難しい操作が、果たしてお年寄りやアナログ人間にできるのか? |
| 従来の取説だったら目次か索引を見て目的のページを開く事ができるが、今時のテレビはそれができない。 |
| 画質調整や音質調整だけでもパソコンなみの操作が要求されるのだ・・・ネットワーク機器なんか接続しても自分に操作できるのか? |
| 携帯電話みたいな分厚い取説も困りものだが、こんな取説を作った責任者の顔が見てみたいものだ・・・テレビみたいな四角い顔だったりして・・・。 |
| 2009年12月3日 小説 「坂の上の雲」 |
| 2009年11月21日 大坊市(だいぼういち) |
| 三豊市三野町に本門寺という日蓮宗の大きなお寺がある。 |
| このお寺の境内で毎年この時期に大坊市という市が開かれる。 |
| 昔、このあたりは下高瀬(しもたかせ)村だったので、この市は大坊市ではなく「たかせいち」と呼んで親しまれた。 |
| 50代以上の人達にとっては「たかせいち」と呼ぶほうがよほど馴染み深い。 |
| 数百年前から続いているらしいが、私が子供のころは物を売るだけの露天の市ではなく、うどん屋、芝居小屋、見世物小屋、サーカスまで軒をつらねていた。 |
| 娯楽の少ない時代だったから市が始まると昼夜を問わず一張羅を着た老若男女がおしかけ、今の混雑した歩行者天国みたいなにぎわいだった。 |
| 子供にとってこんなに楽しい場所はなく、休みの日は僅かな小遣いを大事にポケットに入れて朝から晩まで遊び廻ったものだ。 |
| 私の祖母の家がすぐ近くだったので泊り込みで遊びに行った思い出がある。 |
| が、時代は変わって客の数は激減し、それに伴って露天商も減り、休日でさえ下の写真のような状態となった。 |
| 昔の大坊市のにぎやかさを知っている人達にしてみれば淋しい限りではあるが、廃止される事なく続けられているだけで喜ぶべきかもしれない。 |
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| 上の刃物屋さんと雑貨屋さんだけは昔から必ずこの場所に店を開く。ホームセンターにはないものが並んでいる。竹で編んだザルや篭は種類も多く、ここでしか手に入らない。 | 天気のいい休日だが参道は閑散としている。 |
| 2009年11月10日 レザークラフト作品 |
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黒シボ皮で一眼レフカメラ用のケースを作ってみた。 |
| 昔のカメラと違って、凹凸が多く、やたらにボタン類が多い。 | |||
| おまけに背面の液晶モニター部分は大きく開かなければならない。 | |||
| 出来上がったのは側面だけをカバーする部分ケースみたいなもの。 | |||
| シボ皮は滑りにくく、手触り感は抜群。 | |||
| ショルダーベルトもおなじ材料で作ったので見た目もなかなかのもの。 |
| 2009年10月17日 ああ・・・バイクに乗れなくなった!! |
| 事故 |
| 今日(10月17日)は宿直明けだが朝から快晴だ。 |
| だから家の中で寝転んでいる場合ではないのだ・・・で、近場に写真の題材はないか、とうろついてみる事にした。 |
| この季節はあちこちでコスモスや皇帝ダリアが咲き誇っているはずだ・・・よし、今日の被写体はこのふたつにテーマを絞ってみよう。 |
| ホンダモンキーのフロントバスケットにカメラ2台とレンズ3本をバッグに入れて町内をグルグル廻った・・・・が、めぼしい被写体がない!。 |
| 枯れたコスモスを写してもしょうがないから、諦めて交通量の少ない県道を選んで自宅へ向かった・・・が、それが間違いの元となった。 |
| 地元でも有名な危険な交差点を通過する時、不覚にも一旦停止違反の軽四乗用車の右側面に激突してしまった。 |
| 眼一杯急ブレーキを掛けたが、私が軽四を視認した時は激突の0.2秒前であり、到底止まれない・・・その結果バイクは3mくらい飛ばされ、私は受身を取る暇もな |
| く仰向けにアスファルトに叩きつけられてしまった。 |
| 救急車 |
| 幸い頭や内臓にはダメージを受けなかったが、右手親指を脱臼し、脚や肘に裂傷を負い、救急車で病院直送となった。 |
| 救急車がこれほど乗り心地が悪い乗り物だとは知らなかった・・・ピーポーピーポーとうるさいし(運んでもらって文句を言うのも筋違いだが) |
| 最初は「救急車なんかおおげさな・・・」と思っていたし、手当てさえ終われば自力で帰れる、と軽く考えていたが、医師には「即入院!」を告げられた。 |
| 「そ、そんなあ!・・・ちゃんと歩けるし、首も頭も何ともないし・・・」と精一杯の抵抗を試みるが医師の意思は石のように堅い。 |
| 右手はギブスでガチガチに固められ、脚の大きめの裂傷は縫合され、傷の影響で熱は出るし、重病人さながらにベッドに張り付けになったのだ。 |
| ただでさえマズイ病院食は左手でフォークで食べなければいけないし、髭剃りも歯磨きも顔洗いも、携帯電話さえ左手だ。 |
| 手の十本の指のなかで右手の親指が一番大事だっちゅう事実を思い知らされた。 |
| 2009年10月1日 レザークラフトを始める |
| 元来、「物を作る」という作業が好きな性分で、これまで色々なものを作ってきたが、最近レザークラフトをやり始めた。 |
| レザークラフトとはその言葉どうりレザー(革)で身の回りのさまざまな品物を作る手工芸的作業であり、あちこちでレザークラフト教室も開かれている。 |
| 勿論、専用の道具が必要なので最初にある程度道具をそろえなければならない |
| 基本的には「裁断」「穴あけ」「縫製」の三工程であり、それぞれに寸法の異なる道具が必要になる。 |
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| 上の写真以外にも接着剤、針、麻糸、仕上材などが必要だが、カービング(彫刻)をしない限りこれだけあれば何でも作れる。 |
| 但し、これだけの道具を一度に揃えたのではなくて、一部はずっと前から持っていた物もある。 |
| レザークラフトの極意は木工と同じで、いかに正確に切り、いかに正確に穴を開けるかに尽きるようだ。 |
| 見よう見まねで製作した作品は次の機会に掲載する。 |
| 2009年9月19日 YAMAHA YZ250の組み立て | ||||
| 先日、ヤフーオークションでYAMAHA YZ250の1/6プラモデルが出品されているのを見つけ、さっそく落札した。 | ||||
| このモデルは発売からかなりな年月が経過しているので、もう手に入らないだろうと諦めかけていたところだった。 | ||||
| YZ250はYAMAHAが1973年に発売した市販モトクロッサーであり、「空飛ぶサスペンション」と言われるモノクロスサスペンションを装備した画期的マシンである。 | ||||
| その当時、私はYAMAHA MX250に乗っていたが、友人が購入したこのニューマシンに試乗した時の印象は今も鮮明に脳裏に焼き付いている。 | ||||
| 通常オートバイは競技用であろうと公道用であろうと、リアサスペンションは二本と決まっていたが、その常識を覆して一本サス(モノサス)のマシンが登場したの | ||||
| だ。 | ||||
| そのサスの衝撃吸収能力はMX250とは別次元の能力を有していて、まるで自分の技量が数段上がったように錯覚するほどだった。 | ||||
| ジャンプもギャップもコーナーも実にスムーズであり、32馬力のパワフルなエンジンは弾けるような排気音を発して乗る人を魅了してやまなかったのだ。 | ||||
| このモデルを組み立てていると若かりし頃に野原で仲間と競い合った頃を思い出し、複雑な工程も楽しみながら、そして懐かしみながら進める事ができた。 |
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| 外箱、保存状態は上々 | パーツはすべて未開封 | 組み上がったフレーム | エンジンを構成する パーツ。全部で18点。 |
左のパーツを組み立てたエンジンユニット |
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| エキゾースト系のパーツ | フレームにエンジンを載せ、排気管、モノクロスサスを取り付ける。 | フェンダー、タンクなどの製作中 |
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| フロントフォークとハンドルと前後フェンダーを取り付ける | シートを取り付けると完成、またがって走りたくなる。排気音が聞こえてきそうだ。 |
| 2009年8月1日 Nikon-D40 ファインダー改造記 |
| ほとんどのデジタル一眼レフカメラはほかのコンパクトなデジタルカメラと違って、ファインダーを覗いて構図を決めるようにできている。 |
| ファインダーが見易いかどうかはそのカメラのファインダー倍率によって決まる。 |
| 初級機は0.75倍くらいだが上級機になると0.95倍くらいになる。勿論高倍率のほうが見易いのだ。 |
| 私のD40はどちらかというと初級機なので倍率は0.80倍でしかない。 |
| これをなんとか上級機なみの倍率にする方法はないのか?・・・・ファインダーそのものを交換する事はできないがマグニファイアーなら何とかなりそうだ。 |
| ニコンのアクセサリーカタログを調べてみるとマグニファイニングアイピースDK-21M(倍率1.17倍)というものを見つけた。 |
| これだけでは物足りないので社外品のアングルファインダー(倍率2.5倍と1.25倍切り替え式)を探し出し、両方購入した。 |
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| マグニファイニングアイピースを分解してみた。 レンズ2枚構成だ。 右端の接眼目当てはアングルファインダーの取り付けにジャマなので強引に外してしまう。 |
中国製アングルファインダー。 尼康は中国語でニコン。 各メーカーのファインダーに取り付けられるようにアダプターが付属している。 |
アングルファインダーにマグニファイニングアイピースをとりつけたところ。 ピッタリとは行かなかったので少し溝をヤスリで削った。 |
取り付け位置の微調整をして完成。 不要なときはワンタッチで取り外せる。 見た感じの倍率は0.95倍を超えているようだ。 お金と手間を掛けただけの効果は十分に得られた。 (と思っている) |
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