宮沢賢治作品における「肉食の罪」  大島丈志 

 宮沢賢治が動物を食することに罪の意識を感じ菜食主義の立場をとっていたことは、彼に関する様々な伝記に記されている。いつごろから賢治が菜食主義者となったのかは明らかではないが、盛岡高等農林学校研究生時代、賢治22歳(大正7年)の時点では宿泊した宿で精進料理を出してもらっている(大正7年12月30日 宮沢政次郎あて書簡より)。このことから、研究生時代には既に賢治が菜食主義を始めていたことが分かる。
 ただ賢治は、動物を一切口にしなかったわけではなかった。大正10年8月11日関徳弥宛の書簡には、東京に一人で生活していた際、「感情があまり冬のやうな工合になってしまって燃えるやうな生理的の衝動なんか感じないやうに思はれたので、こんな事では一人の心をも理解し兼ねる」と思い一ヶ月あまり豚の脂や塩鱈の干物などを食べたこと、その結果感情も変わらず体調が思わしくなくなりまた菜食主義に戻した、と書き記されている。この書簡から分かるように、宮沢賢治は自らを変えるために肉食を行うこともあった。だがそれは変化への欲求によるものであって、基本的に菜食主義を優先させていたと考えるのに間違いはないであろう。ただ単純な菜食主義者とは言い切れないのである。
 では、賢治の作品においては、彼の菜食主義の基本となっている動物を殺し食すこと、「肉食の罪」はどのように描かれているのであろうか。
 「肉食の罪」としてすぐに思い浮かぶのは大正11年から12年の「二十六夜」「ビヂテリアン大祭」という二つの作品である。
 「二十六夜」は大正11年・12年頃の執筆と推定される賢治の生前未発表作品である。この作品は、擬人化された梟の宗教集団にまつわるある三日間の出来事を描いている。物語は出来事の順で追っていくと、次のようになる。
 旧暦の6月24日の晩、梟の坊さんは梟の肉食がいかに罪深いことであるかなどを説く「梟鵄守護章」(キョウシクゴショウ)という経の説教をしている。次の25日の明け方、説教を真剣に聞いていておとなしいいい子の穂吉が朝日で目がくらんだところを人間の子供に捕まえられてしまう。さらに26日、穂吉は子供に戯れで足を折られて瀕死になっている。復讐にいきり立つ梟達を坊さんが止め説教を始める。すると二十六夜の月から三人の立派な人(菩薩)が出現し、穂吉は笑ったまま息がなくなったのであった。
 これが「二十六夜」のあらすじであるわけだが、中でも特に重要なのは坊さんの説教である。第一夜ではもともと雀であった疾翔大力(捨身菩薩)が自分を犠牲として飢饉で飢えた親子を救い、その功徳によって仏に出会い、菩薩になった経緯が語られる。問題はその後である。第二夜、第三夜では梟が夜陰にまぎれて雀やひわなどの小鳥をとることが悪業として批判される。第三夜などでは「悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂に竟ることなし(中略)一度梟身を尽して又新に梟身を得。審に諸の患難を被りて、又尽くることなし」と梟の「肉食の罪」がたとえ死んでも消えないことが説教されている。
 そもそも仏典において梟は成長すると親まで食らう罪深い鳥(「開目抄」)としてかかれており、悪虫の一つ(『法華経』「譬喩品 第三」)に数えられてしまう存在である。賢治作品にはしばしば仏典中の悪虫が重要なキャラクターとして登場する。悪虫について考察するのも興味深いテーマではあるが話がずれるので先に進もう。
 なぜあえて仏典で悪虫と呼ばれる肉食の梟を主人公にしなければならなかったのだろうか。仮にこれが梟ではなく人間の話ならば、説教を受けた人々は坊さんの説教を聞いて菜食主義者になり罪を軽減するという道がある。しかし、もともと肉食の梟に肉食を禁じては、彼らに全く出口を与えないことになってしまうのではないか。面白いことに、講釈をしている梟の坊さんは唯一、菜食主義鳥となっているらしい。しかし、この坊さんですら「あゝ罪業のこのからだ、夜毎夜毎の夢とては、同じく夜〔叉〕の業をなす」と述べており、やはり「肉食の罪」からは完全に解放されていないようである。
 梟が苦しめらる理由の一つとして、あえて梟を使用し、逃げ場を与えず糾弾することによって、「肉食の罪」を強調して表現しているということが考えられよう。つまり「二十六夜」とは、罪深い梟の存在を使い仏教の「不殺生」(いかなる生き物も殺傷しないこと)を説く物語だということも出来よう。そこまでして、賢治は「肉食の罪」を描かなければならなかったのであり、彼の中で非常に真剣なテーマであったと言うことが出来る。
 ただ「二十六夜」を「肉食の罪」「不殺生」を説く作品とするには腑に落ちない点が二つある。
 一つはなぜ穂吉の死に際して菩薩が出現し穂吉が救われたのかということである。穂吉が坊さんのように菜食主義鳥となったとはどこにもかかれていない。また疾翔大力のように自らの命を犠牲にして他の生命を救ったわけではない。
 二つ目は梟の坊さんが説教をするときに、必ず汽車が通りかかり、説教が中断されてしまうことである。この時、汽車のごとんごとんという音は説教を中断させるだけではない。第三夜では説教を聞いて泣く梟に影響を与える。彼らは汽車が通りかかると泣きながらも「汽車の赤い明るいならんだ窓のことを考へるのでした」となる。「肉食の罪」を主張するために梟を出口なしの状態に追い込み、真面目に説教を聞いた穂吉が救われる物語にもかかわらず、汽車の音が説教を中断させ、それだけではなく「明るいならんだ窓」が梟の心に侵入してしまい、一瞬ではあるが彼らの意識を奪ってしまうのである。つまり作品の中に、真剣に「肉食の罪」を説く流れと、それを中断し、奪ってしまう流れが並列しているのである。
 物語は穂吉が月から現れた三人の菩薩に迎えられるように息を引き取ることで締めくくりとなっているようだが、最後に「そして汽車の音がまた聞えて来ました」という一文が存在している。真剣さが評価される一方で、それを犯すものが同居してなんとも不安定な終わり方となっているのである。
 この問題については、人間界における「肉食の罪」について書かれた「ビヂテリアン大祭」について触れた上で再度考察しよう。
 「ビヂテリアン大祭」は「二十六夜」と同時期か、それより少しあと、大正12年頃執筆されたと考えられている。題名からも分かるように、ビヂテリアン、菜食主義者のお祭りを中心とした物語である。
 ビヂテリアン大祭においては、主に対話の形式で話が進んでいく。主催者の狙い通り確かに菜食主義者が反菜食主義者を理論的に破り、菜食主義の正当性が認められている。ここで仏教徒である主人公の「私」は、「いくら物の命をとらない、自分ばかりさっぱりしてゐると云ったところで、実際にほかの動物が辛くては、何にもならない。結局はほかの動物がかあいさうだからたべないのだ」「なるべく植物をとり、動物を殺さないやうにしなければならない、くれぐれも自分一人気持ちをさっぱりすることにばかりかゝはって、大切の精神を忘れてはいけない」とし、仏教徒としてあらゆる動物の生命を考え出来うる限り動物は食べないと自分の立場についての説明を行う。さらに「私」は異教派に反駁するために壇上に立ち「畢竟は愛である。あらゆる生物に対する愛である。どうしてそれを殺して食べることが当然のことであろう」また「我々のまはりの生物はみな永い間の親子兄弟である。異教の諸氏はこの考えをあまり真剣で恐ろしいと思ふだらう。恐ろしいまでこの世界は真剣な世界なのだ」と勢いよく述べる。拍手が起こり異端教側は意気消沈する。
 しかし、ではこの作品で菜食主義の正当性が認められ、「肉食の罪」からの解放が高らかに謳われハッピーエンドとなったか、といえばそれは否である。菜食主義者としてのみ賢治を評価しようとする考察ではこの部分にたいする言及が抜けてしまっていることが多いが、この作品の終結部分では、異教徒派の主張の全てが祭りを盛り上げるためのお芝居であったことが明らかになる。そして次のような「私」の独白をもって作品が閉じられる。

 けれども私はあんまりこのあっけなさにぼんやりしてしまひました。あんまりぼんやりしましたので愉快なビヂテリアン大祭の幻想はもうこわれました。どうかあとの所はみなさんで活動写真のおしまゐのありふれた舞踏か何かを使ってご勝手にご完成をねがふしだいであります。

 この投げやりで、予定調和に対する破壊的な結論はなんなのであろうか。「肉食の罪」のような存在に関わるテーマにこのような結論を使用されると、不謹慎とすら感じてしまう。
 「二十六夜」の汽車の音に見られたように、ここでもまた、「肉食の罪」を真剣に説く中に、それを打ち壊し、しらけさせてしまう要素が侵入してきているのである。
 では、「肉食の罪」を説くはずの作品中に、それを破壊してしまう要素の入っていることを、どう考えればよいのだろうか。

 一つの理由としては、作者宮沢賢治がある一つの教えのみを正しいと主張する文学作品を作ることを嫌ったという可能性である。賢治が法華経の熱烈な信者であったことは確かであるが、仏教団体の刊行している雑誌に散文作品を投稿した形跡は見られない。むしろ『赤い鳥』といった一般的な雑誌へ散文の投稿を試みている。賢治は晩年の「雨ニモマケズ手帳」に「断ジテ/教化ノ考タルベカラズ!」と載せている。それ故、ある一つの教えが全面的に正しいものとする結末を避けたと考えられるのである。
 しかし、「二十六夜」や「ビヂテリアン大祭」において、穂吉や「私」のように「肉食の罪」について真剣なる者と、汽車の音に気を奪われてしまう者、議論自体が演技であったことに拍手をしてしまう者というように、そこまで真剣になりきれないものが存在するということを考えるならば、二作品からはより深い意味が見出せるのではないか。
 確かに作品の中で「肉食の罪」は論理的に語られ理解可能な一貫した主張である。そしてそれを真剣に考えることが評価されるべきであるという見解にも異論はないだろう。しかし、人々の「肉食の罪」に対する反応は本当にそれだけなのだろうか。「肉食の罪」は良く理解できるが、現実的に梟は肉を食わねばならぬし、汽車の音に気が散ってしまう。ビヂテリアンの主張は非常に正しいがその正しさにはカラクリが存在していた。また作者賢治自身にしても、他人の心を理解しようと考えたとき、肉食を必要としたことがあった。そこには、社会の中で生きる個が抱えざるを得ない矛盾を見ることが出来るのではないか。
 「肉食の罪」は主張としては真剣なものである。しかし、現実は単純なものではなく、必ずそこに雑音が入らざるを得ないという考え方である。言い方を変えるならば個が社会の中で生きようと考えるとき、必ず個は社会の多様な見解の影響を受けて、それを自らの中に抱え込み、それゆえに矛盾した存在とならざるを得ないという発想である
 ここに賢治作品の人間不信や過剰な自意識、結局結論を出すことのできない理想という狂気のような闇を見ることは可能である。ただし、闇があるからこそ、賢治作品は単純な説教にとどまらず、現実世界を多面的にうつし出すことで読み手を揺さぶるような作品足りえているのではないだろうか。
 二作品に登場するような、真剣な人物が社会のなかでどう生きるかということは賢治作品の中で何べんも問われていく。「雨ニモマケズ手帳」の手帳名となった「雨ニモマケズ」では「ミンナニ/デクノボート/ヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフ/モノニ/ワタシハ/ナリタイ」と書かれている。ここには「デクノボー」のような、まっすぐで真剣な存在になりたいという願いがあり、逆に言えば、みんなの中で「デクノボー」にはなりきれていない自分がうたわれているのである。
 「肉食の罪」にまつわる個と社会との矛盾、または個自身の内部の矛盾は賢治のその他の作品でも頻繁に扱われていく。「よだかの星」「銀河鉄道の夜」などは正面からこのテーマに取り組んでいる。
 悩みとまよいの中から何が生まれてきたのか、賢治作品はかくも刺激的である。
 本稿は、大島丈志「宮沢賢治作品における「肉食の罪」から見えるもの」(『成田山仏教図書館報』 復刊72)に加筆訂正をしたものである。

 

戻る