大夕張鉄道を歩く





 筆者は平成元(1989)年、つまり18年前に夕張を訪れている。三菱石炭鉱業大夕張鉄道(以下大夕張鉄道)はさらにその 2年前の昭和62(1987)年 7月21日に全廃されてはいた。しかし、南大夕張鉱はまだ稼働していて、さびしさが伴っていたものの街には相応の動きがあった。

 それから18年の時が経った。国内の石炭産業はほぼ全滅した。夕張市に至っては巨額の負債を抱え財政が完全に破綻し、財政再建団体になってしまった。夕張は、良くも悪くも全国から注目される土地になった。

 筆者は既にいちおうの答を持っている。基幹産業を失った街がそのままの形で存続するのは不可能である、と。夕張においては、新たな基幹産業を観光に求めたものの、打つ手の多くが悪手となり、詰んでしまったものと思われる。当事者に悪意はなかったかもしれない。しかしながら、結果だけを見れば、大失敗に終わった責任を問われてしかるべきであろう。

 では、どうすれば良かったのか。あまりにも仮定が多く、賢しらな後知恵であげつらうことに意味があるかどうか、自信がないところだ。本稿では敢えて「見てある記」の体裁で、あたかも「見たまま・感じたまま」を記す形を採ることにする。自分なりの「答」の明示は避けておくとしても、その断片は散りばめておこうと思っている。読者諸賢の参考に資すれば幸いである。



キ1
南大夕張に保存されているキ1





そのT       清水沢あたり

そのU      清水沢−遠幌間

そのV        遠幌あたり

そのW     遠幌−南大夕張間

そのX      南大夕張駅構内

そのY   シューパロダムサイト

そのZ      シューパロ湖畔

その[       明石町あたり

その\      千年町と大夕張

その]       続・南大夕張





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執筆備忘録

訪問:平成19(2007)年盛夏

執筆:平成19(2007)年秋