伏線が活きなかった?〜〜函館本線七飯−大沼間








|
幻の大函電鉄大野駅
大函電鉄とは函館海岸町と大野本郷(現在の鹿島橋付近)間に急行電 平成11年10月
大野町教育委員会 |
事業の発起時期から推察すれば、軽便鉄道法公布後の「鉄道投資ブーム」の一環として数えられる計画でもあり、筆者仮説による「救世済民」事業である可能性も指摘できる。そのいずれであるにせよ、函館平野内で完結するローカル鉄道を目指していた、とは考えにくいところである。
事業が発起された大正14(1925)年という年が実に怪しく、これは改正鉄道敷設法公布のわずか 3年後である。同法別表 129には「渡島国上磯より木古内を経て江差に至る鉄道」がうたわれており、函館と江差を結ぶ街道(現国道 227号に相当)沿線に立地する大野としてはこれを看過できず、対抗するために大函電鉄を発起したのではないか、という想像も生まれる。
ただし、中山峠が厳しい険路であることは過去の記事にも記したとおりで、大野までの計画でさえ未成に終わった結果を踏まえれば、たとえ江差に至る遠大な構想を蔵していたとしても、実現は不可能であっただろう。それにしても、大野が函館−江差間の街道沿いに立地しているという事実の重みは、決して軽くはない。
■江差への支線構想があった?
話を函館本線に戻そう。以上までの事実を勘案すると、函館本線が渡島大野を経由したのは、ひょっとして江差への支線を分岐する構想があったからではないか、という連想が働いてくる。

参考文献
(01)「私鉄史ハンドブック」(和久田康雄)
(02)「鉄道要覧」(運輸省鉄道局監修)
執筆備忘録
訪問:平成17(2005)〜19(2007)年
執筆:平成20(2008)年夏