函館市電の今日と将来
函館市電の旧世代車を代表する530
函館市電、というと衰勢の坂を下り続けているかの如き印象が伴う。昭和53(1978)年にガス会社前−五稜郭駅前が、平成 4(1992)年には函館駅前−ガス会社前−五稜郭公園前及び松風町−栄町−宝来町間が廃止になっている。特に松風町−栄町−宝来町間の末期はさびしいもので、電車は毎時 1本程度の運行しかなく、明らかに需要が消えている系統を辛うじて維持しているだけにすぎなかった。
平成 4年の部分廃止は、一般論でいえば函館市電全廃の一段階であったろう。しかし、意外にも函館市電の健闘はここから始まるのである。
函館市電の旧世代車のなかでも近代的な719&724
函館市付近の地理は函館山を頂点として扇が開いたようなかたちをしている。函館駅前付近は扇の要に位置しており、両側を海にはさまれた狭隘な地形で、ここに業務及び行政機能が集中している。函館市が「港町」という一語で説明できた時代には、函館駅前付近が函館という都市の核であった。函館駅前から周縁に展開していく函館市電の路線網は、その意味でたいへん合理的なものであった。最末期にはさびれきっていた松風町−栄町−宝来町間でさえ、当時には「函館副都心」を結ぶ路線であったのだ。
東京都から移籍し未だ健在の1006
しかし、函館市は別の発展を遂げていく。函館市民にとって、函館駅前は必ずしも便利な場所ではなかった。扇の要であるがゆえに開発余地が乏しく、しかも道路網は束ねられ渋滞をどうしても避けられない。香港のような超高度開発ができれば違う姿もあったかもしれなかったが、現実には低層低密住宅地のスプロール化が進んだのであった。その状況のなかで、新しい都心として発展したのが五稜郭公園付近である。
函館市全景+路線図
五稜郭公園前付近は主に商業地として発展した。要するに、函館市民にとっての便利な場所として、新たな都心に育ったのである。函館駅前付近は業務・行政中心、五稜郭公園前付近は商業中心、それぞれ違う特徴を持つ街になった。
更新車711とササラ電車
そのため、平成 4(1992)年以降も残った函館市電の路線には、以下に示すような利用者流動があり、経営を成り立たせるだけの需要を下支えした。
谷地頭・どっく前←→函館駅前←→五稜郭公園前←→湯の川
湯の川方面から電車に乗ってみればすぐわかるが、車内は立客が出るほど混雑することも多く、しかも五稜郭公園前でかなり入れ替わる。混んだ状態は函館駅前まで続き、ここで再び利用者が入れ替わる。函館駅前以南は観光客の利用が多い区間だ。
広告塗装が派手な721
逆にいえば、今まで廃止になった区間にさほど需要はなかった。五稜郭駅前は今日でも閑散としており、業務・行政・商業いずれの集積もない。ガス会社回りの区間は、五稜郭公園前−函館駅前間を通過する需要をとりこめた可能性もあるが、しかし線は細かった。港湾都市としての機能が後退し、函館駅前付近の業務中心が弱ってくれば、栄町回り区間が衰微するのも当然である。
近代車2002とハイカラ號39
函館市電にとっての幸運は、残存区間に需要があった点に尽きる。主要区間に太い需要があり、しかも短距離利用中心で客単価が高いことは、路面電車を安定経営するうえでの重要な基盤となっている。
「スーパー北斗」塗装が格好良い3001
とはいえ、今後の発展を期しがたいのは苦しい。路線網を拡張しようにも、函館都市圏のスプロール展開はすさまじく、函館駅前どころか五稜郭公園前さえ空洞化が進んでいる。都市圏外縁であるはずの産業道路沿いにロードサイドショップほかさまざまな拠点が立地し、利用者の流動は錯綜している。
「エア・ドゥ」塗装が今日を象徴する8003
そんな状況を反映して、バス路線網の極端な複雑さはよそ者に簡単に理解できるレベルではない。そのような状況下では、軌道系交通が新たに成立しうる路線を見出しにくい。現状ではせいぜい五稜郭公園前−亀田支所間くらいで、これとても郊外からのバス路線が集約されているから成り立っている面があり、市電単独での経営は難しい。函館空港への延伸はさらに厳しく、特定時間帯に発着便が集中している現状は、軌道系交通機関導入がなじむとは思えない。
近代車どうしの交換3004&8008
詰まるところ、函館市電は現状の路線網で安定的に、だが将来の発展を望めないままで、経営を続けていくしかなさそうだ。新車導入や車両更新は進んでおり、昭和世代の車体にあたる機会は少ないのだが、だからといって近代車が真に近代的な接客設備を備えているとはいいにくい。ステップがあるという時点で既に、バリアフリーとはいえないだろう。
部分低床車8101と810
都市圏全体の開発のあり方、接客設備の社会的ニーズの変化。これらは函館市電の自助努力を大きく超えるものであって、如何ともしがたい面があることは確かである。しかし、これらに対応できなければ交通機関として淘汰されていくことも免れえない。函館市電が将来も発展していくためには、足りない要素があまりにも多いように見受けられる。今日も安定的な太い需要を抱える函館市電はどこまで耐え、機会を待つことが出来るだろうか。
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執筆備忘録
撮影・訪問:平成17〜18(2005〜2006)年
執筆:平成18(2006)年夏