留萠まで各駅停車【番外補遺】――北海道の悩み
■敵は「時代の趨勢」だけではない
前稿で筆者は「石炭産業を失ったのは時代の趨勢としても」と記した。書いた瞬間にも若干の違和感が伴ったが、原稿をアップロードした後に筆足らずであると気づいた。以下、補遺の代わりに読み進めてほしい。
北海道はかつて石炭産業で賑わったことで知られている。留萠線沿線では、恵比島から留萠鉄道、留萠から天塩炭礦鉄道が分岐していた。留萠鉄道沿線には浅野雨龍炭鉱・九州鉱山太刀別炭鉱・明治鉱業昭和炭鉱など、天塩炭礦鉄道沿線には北炭天塩炭礦・天鉄住吉炭礦・新生炭礦小平蘂炭礦など複数の炭鉱が所在していた。


北炭天塩炭礦ホッパー跡
天塩炭礦鉄道達布駅跡上流に所在・平成19(2007)年撮影
地質調査所「5萬分の1地質図幅説明書――達布」には天塩炭礦鉄道沿線炭礦の規模が記述されている。曰く、北炭天塩炭礦 700名で月産4,000ton、天鉄住吉炭礦 200名で月産5,500ton、新生炭礦小平蘂炭礦60名で月産1,400ton。留萠鉄道沿線炭鉱の規模を示す正確な資料は未発見だが、北空知広域水道企業団は「今はホロピリ湖となっている浅野地区には、最盛期の昭和30年代に約 5千人もの人が住んでいました」と伝えている。更に上流の太刀別・昭和地区を含めれば、留萠鉄道沿線には万人規模の人口があったと考えられる。
昔日を回顧するわけではない、現実逃避するわけでもない。思考実験として、ここでは敢えて大胆な仮定を置く。
今日もなお北海道の石炭産業が隆盛で採炭量が伸び続けていると仮定したら?
日本で石炭産業が隆盛を保ち、今日でも採炭量が伸び続けているならば、コンテナ以外は衰退し切った鉄道貨物の様相が変わっていた可能性はある。しかしながら、産業が振興していても、交通もまた連動して繁盛するとは限らない。

今も動態に近い状態の留萠鉄道クラウス15号
現在はほろしん温泉ほたる館(旧幌新駅から約700m上流)に保存
沼田町ふるさと資料館で保存当時の平成19(2007)年撮影
留萠鉄道・天塩炭礦鉄道廃止から約半世紀の時を経て、日本では労働集約型産業は全く廃れてしまった。かつて労働集約型であった産業であっても、機械化を進め、労働者数を可能な限り抑えている。今日では状況が更に深度化し、労働者を集めることじたいが難事となっているのは、拙志学館で何度も記事にしたとおりだ。
つまり、北海道で、そして留萠線沿線で今日、石炭産業が隆盛を極めていたとしても、必要な労働者数は激減しているはずだ。たとえ雨龍・太刀別・昭和全ての炭鉱が存続していても、それぞれ数十名のオペレーター(機械操作者)で回し切ってしまうのではないか。表現を変えれば、日本で生き残っている産業とは、かような変革を経てきたものばかりといえよう。
すなわち、雨龍・太刀別・昭和全ての炭鉱が今日も採炭を続けていたとしても、労働者とその家族を含む人口は百人〜千人規模に落ちこんでいる可能性が高い。留萠鉄道が存続していても、岩手開発鉄道のように貨物営業のみ残し、旅客営業は廃止に至っている可能性さえ指摘できる。
現実の旧留萠鉄道沿線は今では無人の地に等しく、幌新ダム・沼田ダムは人間の刻んだ痕跡を平らかな水面に覆い隠した。それゆえ空しい仮定に思えるかもしれない。……否、実は仮定どころではない。北海道が全体で抱える、今日の苦悩そのものなのだ。

留萠鉄道から茨城交通に移籍したキハ2004(奥)・2005(手前)
現在はいずれも引退・茨城交通湊線時代の那珂湊で平成19(2007)年撮影
以上まで述べてきた労働事情は、他の産業にもそのまま置き換えられる。農業・林業・水産業などの第一次産業は特にそうだ。それぞれの産業とも、経営に厳しい面はあっても、産業そのものが消える予兆があるわけではない。しかしながら、各産業を支える労働者数は減少の一途をたどっている。それでは、旅客の交通量は増えようがないのだ。
夏に留萠を訪れた後、留萠出身のある先輩からこんな話を聞いた。
「留萠(引用者中:市街の意?)の漁師は今では五軒しかないってよ」
一事が万事、万事が一事。今の日本では、数少ない人間がそれぞれの産業を支えている。北海道の場合、第三次産業が発達している札幌都市圏を除き、経済規模と人口が必ずしも一致しない。地域経済にとってはそれでも支障しないが、交通現象は人口と相関するから「経済が元気でも交通量が少ない」という事態はおおいにありえる。
留萠線の苦境は、沿線地域の経済活動が堅固でも交通量が伴わないという、北海道全体の構造的問題に巻きこまれている面もある。前稿において筆者は、国鉄→北海道旅客鉄道の無為無策を批判した。北海道の構造的問題と一鉄道会社の無為無策、どちらが重いかといえば一般的には前者であろう。しかしながら、構造的問題の存在に気づかず(あるいは無視し)、無為無策どころか悪手を連発してきた北海道旅客鉄道には、批判される余地が山ほどにあると評するべきである。
【留萠線留萠−増毛間営業最終日に記す】
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