半世紀を経てもなお〜〜善光寺白馬電鉄
長野県下には謎の鉄道がいくつかある。謎、と呼ぶといささか強すぎる語感はあるかもしれない。要するに何故そのような鉄道が成立しえたのか、現代から見ると判じがたいのである。その代表例として、下記の5鉄道を挙げよう。
・善光寺白馬電鉄(南長野−裾花口 7.4km)
・布引電気鉄道(小諸−島川原 7.4km)
・上田温泉電軌(後の上田交通)西丸子線(下之郷−西丸子 8.6km)
・池田鉄道(安曇追分−北池田 6.9km)
・佐久諏訪電気鉄道(未成)
いずれも大正末期〜昭和初期にかけて成立し、しかも早々に廃止されたという点が共通している。西丸子線は戦後まで残ったが、それにしても廃止時期は早かった。
これら3鉄道は、需要の太宗をいずこに求めたのか、理解することが難しい。より端的にいえば、鉄道企業としての合理性を見出すことは至難である。鉄道で運ばなければならないほどの客貨があったかといえば、答はおそらく否であろう。
しかし、茨城鉄道→茨城交通茨城線の項でおぼろげながら見えてきたように、大正末期〜昭和初期に開業した鉄道においては、企業合理性が追求されていない形跡がある。企業経営としての利益というよりむしろ、それ以外のなにかを実現しようとした気配がある。
茨城鉄道の場合、公共事業としての救世済民が図られていたことが、社史の行間に浮き出ていた。しかし、社史に明確な記述はなく、上記を「事実」として認定できるほど確度が高い根拠は今のところ存在しない。遺憾ながら、以上の考えは未だ推測にとどまらざるをえないのである。
正史が編まれていてなお、この状況である。まして、短命に終わり社史を残せなかった鉄道では、検証は不可能に近い。
善光寺白馬電鉄の場合は、どうであろうか。沿線の人口は少なく、しかも急峻な谷あいで後背地も薄く、鉄道営業に成算があったとは考えにくい状況である。してみるとやはり、企業合理性とは別の目的が置かれていたと、考えても決して無理はないといえる。
しかし、検証は無理だと、現時点では諦めている。会社じたいは今日も存続しているが、鉄道部門事実上の廃止から半世紀を経ており、当時を記憶する方は既に会社を辞しているであろうし、記録も多くは廃棄されているに違いない。
だから今は、善光寺白馬電鉄の痕跡を追うことにより、その企図を推し量るべく努めてみたい。廃止から半世紀も経ったとは思えないほど、痕跡はなお明瞭である。企業合理性を超越するほどの壮図があったればこそ、などと考えると楽しくなってくるではないか。
第1章 会社名
第2章 駅
第3章 橋梁
第4章 トンネル
第5章 路盤
執筆備忘録
本稿の執筆:平成13(2001)年初夏〜晩夏
平成14(2002)年初夏
平成18(2006)年初夏(一部修正)
参考文献
(01)『信州の廃線紀行』(小林宇一郎・黒澤眞一監修)より
「善光寺白馬電鉄」駒沢秀行
(02)HP『Rail & Bikes』より
「鉄観音再び」(柏熊秀雄)(http://hkuma.com/)
(03)『鉄道未成線を歩く<国鉄編>』(森口誠之)
(04)『鉄道廃線跡を歩くT』(宮脇俊三編)より
「善光寺白馬電鉄【南長野−裾花口】」(柳澤美樹子)