団塊世代の定年退職後のライフスタイルを考える
団塊世代のための暮らし方海外編
ひとりぼっちのエルダーズ・ヴィレッジ
理想郷、終の棲家、理想的なリタイアメント・ビレッジ(リタイアメント・ハウス)を考えていくコーナー、“ひとりぼっちのエルダーズ・ヴィレッジ”です。
No.1

世界中には高齢者を対象とした施設や、退職者のためのコミュニティが数多く存在しています。
フロリダにあるサン・シティ、オーランドにあるゴールド・タウン、アリゾナのホット・スプリングス、メルボルン郊外のジロングにあるリタイアメント・ヴィレッジ等は、すでに20年以上の歴史を持つ老舗ともいえるコミュニティです。
それぞれのコミュニティは、理念と明確な思想を持っており、過度なサービスよりも快適に暮らすための生活環境を整えるという、最も基本的なことに重点を置いています。
リゾートホテルのようなオプションサービスのためのコストがない分、低価格で利用できます。
自分自身の生活スタイルが確立されてさえいれば、何の不自由なく暮らせることでしょう。
言葉の問題よりも、明確な生活スタイルを築くことの方がよっぽど重要なことに気づくはずです。
近年日本においても、ゴールドコースト、マレーシア、タイ、フィリピン、少数ですがヴェトナム、スリランカ、スペイン等に、日本独自のきめこまやかなサービスを盛り込んだ、日本語で暮らせるコミュニティが、猛烈な勢いで出現してきています。
私のような者には、無縁な話です。
そこに入るための費用は、マンションを買うのに等しく、生活費も必ずしも安いとは限りません。
こんな夢のような素晴らしい施設は、私には高嶺の花です。
資金がなくて、どこのコミュニティにも入れない私は、開き直ってこんな私でも利用できる“ひとりだけのエルダーズ・ヴィレッジ”をこのホームページ上で設立し、“終のすみか”を模索してみようと思い立ちました。
大人の絵本、おとぎ話を展開していこうと考えています。
引かれ者の小唄とお聞き流しください。
もし気が向きましたら、あなた自身のエルダーズ・ヴィレッジを作り上げてみることをお勧めします。
ひとりぼっちの旅立ち
トーマス・モアのユートピア(1516年出版)や、プラトンのいうアトランティス(古代エジプトの神官から聞いた、消滅してしまった文明)、沖縄の民話に出てくる西方の理想郷ニライ・カナイや失われた地平線の中に出てくるシャングリラ等、多くの理想郷を歴史の中やお話の中に見出すことが出来ます。
自分自身にとっての理想郷とは、いったいどんな所なのか考えてみたところ、情けない話ですが、理想郷という言葉以外に何ひとつ思い浮かんではきませんでした。
ということは、私には理想郷は不必要? だから何も思い浮かばないのか? と少し落ち込んでしまいました。
それならばもっと具体的に、どんなところに住みたいのか? どんな生活をしたいのか? と考えてみました。
いい所とは、高額な土地の豪華な屋敷。いい生活とは、運転手付きの高級車に乗り、リッチな食事にリッチな服装。好きなだけお金が使えて、将来の不安など全くない暮らし。
そんなイメージしか描けない自分の物理的欲求に驚くと同時に、物欲の前に木っ端微塵になってしまっている、私の精神的理想の低さに悲しくなってしまいました。

人のいう理想郷は理解出来ても、いざ自分にとっての理想郷を考えるとなると、なかなか思い描けないものです。
何も出てこないのが普通なのかもしれません。
分けてあげたいほどの自由な時間を持っている私は、ひとつひとつ段階を追って考えていくことにしました。
この間の試行錯誤については、追々このホームページでご紹介していきたいと思っています。
私の理想郷を思い描く試みは、私にひとつの考えを示唆してくれました。
“私の理想郷は、私の体の中にある”という考え方です。
私は、人間の体はひとつの国家であり、ひとつの都市でもあり、ひとつのコミュニティでもあるのではないかと考えました。
人間のすべてを管理している脳は、国家でいう政府。
情報の伝達を司っている神経系統は、電話やインターネットや郵便。
体中に血液を送り出す心臓は、エネルギーを送り出す電気会社やガス会社。
血管は、交通網。体中の細胞が、ひとりひとりの住民。
細胞の集合体が体であるように、住民の集合体が都市になる。
そう仮定すれば、人間の生理機能の中に理想の社会構造が組み込まれており、自分の体を解析することで、コミュニティや都市や国家の模範となる完全なモデルを展開出来るのではないかと思ったのです。
ちょっと強引で無理のある発想かもしれませんが、人間のような都市を思い描ければ、その先に理想郷が見えてくるのではないかと甘い期待を抱いてしまった次第です。
しかし、そう簡単にはいかないものです。
すべてを置き換えて考えてみるには、今のところかなり無理があります。
人間にとっての肺は、都市に置き換えると何になるのでしょう?
人間が呼吸するように都市が呼吸するとしたらどういうことなのでしょうか?
人間が誕生するということは、都市が新たに誕生することなのでしょうか?
人が老いるということは、都市にとって何を意味するのでしょうか?
古い歴史のある都市になることなのでしょうか?
それとも成熟することで、ユートピアやアトランティスに近付いていくことなのでしょうか?
矛盾に満ちた私の考えから理想郷を見出すには、まだまだ時間がかかりそうです。
私だけのエルダーズ・ヴィレッジを求めて、私は今、第一歩を踏み出したばかりです。
これは同時に、私にとっての理想郷を求める旅でもあるのです。
はたしてどのようなヴィレッジが、バーチャルな世界で構築出来るのか、それとも単なる夢で終わってしまうのか、今のところ私にも分かりません。
自らの終のすみかとなりうるエルダーズ・ヴィレッジが、せめてこのホームページ上でだけでも実現出来る事を願って、考え、悩み、楽しんでいこうと思っております。
奨学金?
今日はどうした事か、昼食後から夕方まで私には無関係となってしまった退職金の事を考えながら過してしまいました。
退職金とは企業や組織、団体から個人に支払われる長年の貢献に対する感謝の意を含めた慰労金?
あるいは貢献度に順じて支払われる報奨金?
それとも老齢化し即戦力としての価値を失った者に支払われる手切れ金?
その置かれた立場、環境、個人的思考の違いで多くの理解方法がある事とは思うのですが、こんなふうには思えないものでしょうか?
退職金とは無縁になった今、思いついたことですので気軽にお聞き流しください。
退職するまで給料という名目で受給し続けてきたものは、労働への対価ではなく、専門知識を身に付け、あるいは専門技術を習得するために支給されてきた奨学金だったと考える事は出来ないものでしょうか?
そう考える事が出来れば、奨学金の給付が終わる時(退職時)、リタイアした瞬間から、それまで何十年にも渡って受給し続けてきた奨学金に対する返済の義務が派生するはずです。
それにも関わらず、社会は義務の履行を求めるどころか、奨学金を支払い続けてきたという事実すら忘れてしまい、あるいはそうとは認識出来ずにいます。
それどころか、戦力にならないから、生産性が低いから、組織を若返らす必要があるから、お荷物だからと思いつくかぎりの詭弁を並べ、退職者に対する態度の正当性や妥当性を立証しようと躍起になっています。
奨学金を給付しておきながら、返済を求めるという当然の権利を放棄してしまう社会に小首を傾げたくなってしまいます。
自らその権利を放棄してしまったにも関わらず、団塊世代が定年を迎える2007年から、大幅な労働力不足や熟練した技術者の喪失を危惧し始めた企業は、深刻な社会問題、社会全体に関わる一大事だと騒ぎ出し、右往左往し始めています。
それどころか“2007年問題”とネーミングまでしてしまった姿には、呆れるのを通り越して可笑しいどころか悲しさを感じてしまいます。
企業努力で多くのマイスターを育て上げたにも関わらず、目先の利潤と利害だけに目を奪われてしまい、マイスターを活用し戦力化していくソフトウェアーを持ちえなかった愚かさに気がつきもしないでいる人達に失望を禁じえません。
社会もまた、マイスターの称号とキャリアを持つ人達をどう遇すればいいのか、どう活用する事が社会にとって有益なのかといった、人材活用ソフトウェアーについて考えることすらありませんでした。
こうした社会環境から生み出された退職者、シニア、老人といった“イメージ”に、律儀に合わせる努力をする必要はないはずです。
考えてもみてください。老人大学や老人クラブ、生きがいを与えるためのプログラムに高齢者対策などとは、失礼な話ではありませんか。
退職者は社会のお荷物予備軍であるとは、誰が言い出したことなのでしょう。
我が耳を疑いたくなるような話が渦巻き、一人歩きしている社会とは一体何なのでしょう。
ところで、ここで冷静になって、退職するまで組織から給料という名目で貰い続けてきたものが、労働の対価ではなく奨学金だったとしたら、個人は一体どういうことになるのでしょう。
奨学金の給付が終わる時(退職時)から、何らかの義務が派生し、その義務を果たさなければならなくなります。
これまでに習得した知識や技術は、本来、企業や社会に帰属するべきものになりますから、何らかの形で還元しなければならなくなります。
考え方にもよりますが、個人は、社会に対して個人であると同時に、長年に渡り習得してきた専門知識と専門技術、そして培ってきた膨大な経験を持った1つのデータベースとして捉える事が出来るのではないでしょうか。
だとしたら、それはかけがえのない世界に一つだけの“知恵のデータベース”と成り得るのでは?
それぞれが個々に機能すると同時に、社会がそれを集合させることで、人類初めての“知恵と知識のライブラリー”を創り上げることが可能となるかもしれません。
人生が終わる時まで、私たちの“データベース”“ライブラリー”を利用し続ける人々のために奉仕し続ける事が、本来の社会的責務なのではないのでしょうか?
中央アジアの人たちは、“自分たちの村に住む老人1人の死は1つの図書館の消滅”と捉えています。
若者たちは、老人の知識を自らのためばかりではなく、未来への知恵の担い手となるために、老人の知恵を学び習得しようと真剣に努力しているという話を耳にした事があります。
夢のような話ではありませんか。
残念ながら現在の日本では、退職者は老人と規定され、社会のお荷物としか認識されていません。
事実、老人対策等の発想すべてが福祉という概念だけで捉えられています。
本来、退職者に課せられた責務は、死ぬ瞬間まで未来への知恵の担い手、バトンランナーを育て上げることではないでしょうか。
となると、老人の問題は、福祉ではなく教育の概念で語られるべきものとなるでしょう。
退職者を遇することは、老人クラブや老人大学等と銘打った保育園の子供たちをあやすようなカリキュラムで、一時凌ぎの暇の潰し方を教えることではないように思われます。
“社会挙げて取り組むべき課題とは、老人の立場で問題を考え、優しさの溢れた社会を構築していくことである”
などと、ピントがボケた話に明け暮れている昨今、私たちは社会の優しさに感謝して、可愛げのある老人として邪魔にならないように静かにしていなければならないのでしょうか?
いくら任意に0点を設定出来る(ロビンソン・クルーソー的時間認識の勧め参照)といっても、社会から保育園児の年齢にまで遡ることを強要されたのではたまりません。
自分だけの時間認識についてお勧めしたのは、こうした社会的認識風潮に合わせて生きるのではなく、本来の使命である“社会のデータベース”、“知恵の宝庫”になって生きることの重要性をご理解頂きたかったからです。
知恵に基づく生活こそが最も大切だということを、お分かり頂きたかったからなのです。
こうした環境の整ったコミュニティーが、私の求める理想郷の基本理念になるのかもしれません。
この考えを具体化するための運営ノウハウが完備された社会の構築が、理想郷に近づく一歩ではないかと思います。
ご意見、考える上でのヒントなど頂ければ、さらに考えを先へ進ませられるような気がしております。
お叱りはもとより、お気軽に感想などいただければ幸せです。
ジグザグ
私の理想郷を描く努力は、まだ何も始まってはいません。
今日からボチボチ考えていこうと思い立ち、朝からPCの前に陣取り“さあ!”と構えてみてたものの、やっぱり何も思い浮かんではきません。
“こんな時もあるさ。ならば……”とばかりに、得意の手抜きで昼食、夕飯2回分の米を研ぎ、一度に炊く準備を済ませました。
夜は冷や飯と決め、“後はラーメンでも豚肉でも充分に食料はあるし”と一日の食事の準備を済ませ、再度長期戦に備えてみました。
食事の準備をしている時、ふと“将来、もし車椅子暮らしになったら……”と考えてしまいました。
そうなったら、このシンクとガス台では何も出来なくなってしまいます。
位置が高すぎるのです。
年齢、体力、体型に合わせて垂直に移動出来るキッチン用品はあるのでしょうか? 高価? どこに頼めばいいの?
などと、今まで考えてもみなかったことが急に気になりました。
これが引き金となって、
“そうだ! 漠然とした観念論ではなく、より現実に即した実現可能な理想郷を描いてみよう!”
と思い立ちました。理想郷という全体像から取り組もうとしたのでは、あまりにも漠然としていて夢物語になってしまいます。
一向に先に進めなくなってしまった私は、まずは理想的な生活環境、つまり私自身の“終の棲家”について思い描いてみることにしました。
小林一茶は晩年、終の棲家はこうありたいと、5坪程の家を建て最後の時を迎えたと聞きます。
方丈の庵を終の棲家とした兼好法師の話も有名です。
また、ちょっと違うかもしれませんが利休の荒壁の茶室など、多くの人たちが人生の最終ステージについて思いを巡らしてきました。
面積が狭いことを除いて、それらに共通点は見られないように思うのですが、どなたかご存知なら是非ご教授いただければ幸いです。
何はともあれ、私自身にとっての終の棲家のイメージを膨らませていくことから手がけていかなければなりません。
その上で、終の棲家に関する定義というか条件というか、いずれにしても考えを進めていくための何らかの約束事を明らかにしていかなければと考えています。
最初は経済的条件、制約を無視して自由に考えていきたいと思います。
私に必要な住まいの広さはどの程度?
広い方が良いのでしょうか?
あるいは最小の面積で隠者の庵というものでいいのでしょうか?
来客のことを考慮してある程度の広さが必要でしょうか?
と色々な欲望が出てくるものです。
この乱雑な欲望に、それぞれ対応していたのではたまりません。
何よりも先に、これらの交通整理が必要なようです。
交通整理をする上で最低限の規範を設定して取り組んでいこうと思います。
私の場合、最低限の規範として、最後の瞬間まで自立した暮らしを営んでいくことが前提となります。
一人で管理可能な面積ということになりますから、自ずから広さは規定されてしまいます。
しかしそれでも、足腰が立つうちと車椅子での生活、寝たきりになったらと、その都度設備や広さを合わせていたのではたまりません。
今日の食事のように、予め準備しておくことは出来ないものでしょうか。
“こうなればこう使える。最悪でもこう対処出来る。だから最初からこうしておこう”
などということが出来るのかは分かりませんが、必要なことのようです。
こうして考え始めてみて、いささかうんざりしてしまいました。
“寝たきりの生活のことまで考えるなんて縁起でもない!”と思いつつ、
“いよいよその時が近づいたのか……”と覚悟を装ってみたり、
“そういえば今から思うと、やっぱり虫の知らせだったんだね。変だと思ったんだよね。突然あんなこと始めたんだから”
などといった他人の噂を想像してみたり。
私の理想郷を考えていく試みが、結果的に雀たちの暇潰しの話題を提供していることになるのかと思うとたまりません。
その反面、“人権費の安い国ならプライベート・ヘルパーでも雇えば何とかなるさ”と、雇う金もないのに脳天気なことを考え、まったく困ったものです。
深く考えずに成り行きで事を始めてしまったことに、すっかり困惑してしまっているというのが本音です。
毎度のことですが、長い前置きとなってしまいました。
どうも問題にダイレクトに入れないのも歳せいかもしれません。
前置きが長くなるということは、それだけ課題が多いということであり、正直なところ最後まで前置きで終わってしまう可能性もあります。
次回からは、気を取り直してノイズを排除し、話を少しでも進めていきたいと思います。
基本コンセプトは頭骸骨!?
やっと終の棲家のコンセプトが出来ました。
それは、人間の“頭骸骨”です。
といってもドクロのような家を造りたいというのではありません。
人間の頭の中を思わせるような家や部屋という意味です。
ちょっと分かりにくいかもしれません。
上手い説明かどうかは分かりませんが、東洋に“大宇宙を極めれば、すなわち小宇宙。小宇宙を極めれば、すなわち大宇宙に通ずる”という考え方があるそうです。
“大宇宙を知りたければ、自分自身の脳を知ればよい。すなわち人間の脳を極めれば、大宇宙を極めることになる”という意味の話らしいのです。
この話の真偽は別として、面白い考え方だと思います。
そこで部屋や家を頭骸骨とすると、その中で生活をする私自身は、“脳”といえるかもしれません。
この荒唐無稽な考えを基本コンセプトに、頭骸骨のような部屋や家を考えていく作業に着手したいと思います。
私の思い描いた頭骸骨(家)のサイズは、日本風の建築の尺度を用いて3間×5軒とし、15坪程(約49.5平米)の樫フローリングを施したワンフロアーになります。
必要な生活空間と、それを自分一人で管理することを考慮した結果、このくらいのサイズが最適だと判断しました。
2坪のキッチンと3坪のバス・ルーム(トイレ付)。
10坪の寝室とダイニング・リビング。
バス・ルーム以外は壁で仕切らないスタジオ・タイプの部屋。
高さ調節可能なシステム・キッチン。
埋め込みスタイルのバス・タブ。
床は段差のないバリア・フリー。
万が一車椅子の生活になっても困らないように、収納はすべて低い位置に設置し、キッチンを含めて吊り棚などの高い位置の収納は一切取り付けません。
使用可能な壁面に腰高のキャビネットを取り付け、手摺り代わりになる仕様にします。
ベットの両サイドにキャビネットと同じ高さの箪笥を2個置き、サイドテーブル兼用にします。
キッチン、バス・ルームには、温水給湯器と大型の換気扇を設置。
窓は人間の目と同様2つにし、東側と南側に設置します。
玄関とバス・ルームのドアは広めにし、バス・ルームやキッチン、ベッドサイドなどすべての場所に、車椅子が入り込めるだけのスペースを確保します。
ベッドは、セミ・ダブルで電動リクライニング式とします。
リビングと寝室の間は、腰高キャビネットとブラインドで間仕切りし、自由に取り外せる状態にしておきます。
エアコンは2基設置。照明はキッチンとバス・ルームを除いて、テーブル・スタンドの間接照明と読書灯だけにします。
リビングには、厚手の天板を使ったフランス田舎風農民家具のテーブルを置き、それを食卓や事務机兼用に使用していけるようにすることで、無駄な家具を排除した機能的な生活空間を実現していきます。
外部設備として、大型貯水タンクと太陽熱温水器を設置します。
また、ソーラーパネルによる太陽熱発電なども、南の島の太陽エネルギーを最大限利用出来る試みかもしれません。
人間の脳は、その人の持つ人となりや専門知識、知恵などが満ち溢れたデータベースといえるかもしれません。
それは、古代エジプトのアレクサンドリア文庫やヘブライの神殿にも勝るとも劣らないものではないでしょうか。
その中核である脳(人間)を保護し、収納するものが頭骸骨(家)なのですから、家に人を招くことは脳の中に招き入れることと同じになります。
家の中に満ち溢れる豊かな知恵があれば、装飾品などがなくても十分に客をもてなすことが出来るのではないでしょうか。
人間の思考は宇宙のように広大なものですから、無駄を省いた極端に簡素な空間でも、訪れてくれた人を広大無辺な小宇宙へと誘い、幽玄の世界を持って供することが出来ることでしょう。
以上が、荒削りですが私の終の棲家の概要です。
これをさらに発展させることが、理想郷を描き出すことにつながるのではないかと思っています。
結いの心
頭骸骨を基本コンセプトにすることは前回お話ししましたが、ヤドカリの貝殻について大雑把に話しただけのようなものです。
今回は、そのヤドカリがどんな環境に生息し、どんな生態なのかについてお話ししていきたいと思います。
人という文字について考えてみて下さい。
人間は単独では生きられず、人と人とがお互いに寄り添って生きていくものだと聞いたことがあります。
故に相互扶助、補完関係が成立する環境が、私の理想郷の絶対条件になります。
日本の農山村では、いまだに生命共同体的色合いを残した所が多いと聞きます。
その代表的なものに、合掌造りの家で有名な白川郷の“結いの制度”があります。
これは、茅葺屋根の補修や葺き替えのための相互扶助制度であり、集落を維持存続していくために必要不可欠な知恵と聞きます。
都会ではすでに失われてしまった精神と思われがちですが、お祭りをはじめ地域の年中行事や自治会の運営などのように、“結いの精神”はその姿を変えて維持存続されてきています。
私の終の棲家がある理想郷もまた、“結いの精神”が生きているコミュニュティーでなければと考えています。
海外生活、海外移住といっても、お金だけあればいいというものではありません。
人間が“棲み付く”ということは、単に不動産を購入しさえすれば済むという問題でもないのです。
まずは、貴方が死亡した時に、どうしてほしいのかから考えていかなければなりません。
貴方は、あるいはご家族は、貴方の死後の処理をどうして欲しいのですか?
お墓は日本にとお考えでしたら、その時の準備はお済みですか?
もし不動産を購入しているのなら、それらの資産の処理法はお考えですか?
現地での埋葬を簡単に考えるわけにはいきません。残されたご家族の方は、死亡届けをどこに提出し、どんな事務手続きが必要なのかお調べですか?
万が一、私のように天涯孤独だったら、どうすればいいのかお調べですか?
海外に移住するにあたり、貴方自身が死亡後の処理を明確にしておくことで、そこで生活するスタンスも確立されることでしょう。
経済的に余裕があれば逃げ帰ることも可能ですが、そうでなければそれなりの覚悟が必要だということです。
“老後の生活は、自然の中でのんびり好きなことをして過ごそう”と思う男性軍に、“ハーブ栽培にパン作り、趣味のパッチワークを存分に楽しもう”と草原の我が家のようなカントリーライフを夢見る女性軍。
どちらにしても、それを実現するための経済的問題にしか目を向けず、憧れの田舎暮らしに邁進してしまいがちです。
日本国内の話になりますが、理想のイメージを描いて移住したものの、まず最初に直面するのが、その土地土地に根付いた生活習慣と自分のライフスタイルの違いによって生じる壁です。
定住するに当たっての仁義や、冠婚葬祭における田舎の村落共同体の礼儀などを欠いてしまうと、なかなか受け入れてはもらえないでしょう。
かといって、よそ者がすんなりと田舎の礼儀作法を身に付けることも困難であるに違いありません。
自らが率先して知る努力をし、住民として認められなければ、どんなに素晴らしい棲家を手にしたところで、結局は田舎の地域社会に馴染めずギブアップしてしまうことになってしまいます。
田舎の人たちとの人間関係につまずいて、田舎暮らしを断念した話も実際よく耳にします。
都会で生活していた者にとって、田舎の村落共同体に溶け込むことは大変な作業かもしれませんが、相互扶助、補完関係が成立するための知恵である“結いの精神”を理解しさえすれば、“自分はみんなのために、みんなは自分のために”という人間関係が築けるかもしれません。
海外移住においては、日本の田舎のような問題はありませんが、どこの国にしても今までの生活習慣とは異なる土地で暮らすことになる訳ですから、確立した自己がないと淋しい思いをすることになります。
ですから事前に十分な調査をしておくことはもとより、納得いくまでのトライアルが必要でしょう。
アメリカのフロンティア時代に世界各国から移住してきた人々が、協力し合ってひとつの町を作り上げていったようなコミュニティーが私の理想郷になります。
まさに“結いの精神”の根付いた、知恵の息づく町で一生を終わりたいというのが私の願いだからです。
そして、私が死んだらおしまいでは困ります。いつまでも住む人がいる限り継続し、発展していって欲しいからです。
そこに住み着いた人たちが、生活習慣に立脚した独自の文化を育み、歴史を刻んでいって欲しいのです。
住人つまりコミュ二ティーのメンバーが死亡した際には、そこで葬儀が行われ、そこの墓地に葬られ、そこの人々の手で墓地が管理されるような理想郷になればいいと思っています。
非干渉を大前提とした異文化の融合が実現される場所が、私にとっての理想郷です。
“向こう三軒両隣”という言葉がありますが、6軒をファンダメンタル・ユニットとしたコミュニティーの成立が理想です。
次回は、これらをもっと詳しく話すと同時に、コミュニティーの構成メンバーなどについてお話していきたいと思っています。
6世帯をファンダメンタルとすることは前回少し触れましたが、なぜそうなるのかとお思いの方も多いことでしょう。
今回は、この事から話を進めていきたいと思います。
ドイツのガルミッシュは、第二次大戦直後の1946年頃から、世界に先駆けて地中海に面したカンヌをモデルに山のリゾート地化計画に着手したと聞いた事があります。
この計画の狙いは、ヨーロッパ各地からリタイアした老人を集め、中核とする都市計画を実現させようというものだったそうです。
計画当初、老人だけの都市になる事を避けるためのプラン作りに、多くの時間が費やされたとか。
長い議論の末に採択された計画は、経済力の無い若者(芸術家のたまご)を老人と一緒に集めるというものだったといいます。
老人1人に対して2人の若者という組み合わせを最小の単位にしたそうです。
介護が必要になった老人には、最低でも2名の介護者が必要という考えからだったといいます。
つまり老夫妻に対して4名の若者、合計6名を基本に計画が練られていきました。
この計画で新たに集められる人たちの3分の1が老人。3分の2が若者という人口構成がマスタープランになり、現在でもなおその方針で実行されているとか。
老人のための都市をコンセプトに展開されたこの街は、日本でも近年話題になってきたバリアフリーが、住宅をはじめ街中に施された世界で一番歴史のある都市ということになります。
この都市での生活を希望する老人には、若い芸術家の食費の扶助と住宅の提供を条件にしました。
勿論行政体から両者に補助をすることで計画が遂行されたと聞きます。
長い目で見た老人対策を中核にした都市計画は、リタイアした人々の個々の経済力が集約されたことで財政が潤い、現在ではヨーロッパでも有数の豊かな都市のひとつに数えられています。
6世帯という数は、この計画の骨組みを私の理想郷に取り込んでいきたいと考えたからなのです。
しかし現在の経済環境から考えて、1対2の人口構成は無理な話になります。
出来るだけ低価格で実現可能な計画となると、6世帯で1ないし2名の若者を扶助するのがやっとというところではないかと考えました。
ですから、どうしても各世帯間の相互扶助が必要となり、これが理想郷での生活の第一の条件になる訳です。
出来れば各戸2階建て住居で1階を高齢者層の居住区とし、必要性が生じた際には、介護という役務提供を条件に2階部分を若者に無償提供出来れば理想的な人口構成になるのですが……。
考えて見る価値はあると思います。
既存の高齢者および予備軍を対象としたヴィレッジが、きめこまやかなソフトウェアを基本に運営されているとは思えません。
それどころか高齢者の不安を必要以上に駆り立て、それを満足させる事をサービスと言っているのではないのでしょうか?
いかなる問題も経済の法則だけで対応するシステムを、ソフトウェアを完備しているというような意味で使っているのかもしれません。
そこに住む人たちの依存心に答えるのではなく、それぞれの人が暮らしの中で培ってきた歴史や専門特性を考慮して、それらを発揮し活用出来るようなコミュニティーを創造し提供していく考え方と展開法こそが、本当の意味でのソフトウェアなのではないのでしょうか?
なおかつ、コミュ二ティーのメンバーがお互いに啓蒙・啓発していけるような運営方法こそがソフトウェアではないのでしょうか?
老人や予備軍に対して使われているソフトウェアという言葉は、単なる施設のハードウェアやアコモデーションのマニュアルとして使われているとしか思えません。
同様に現在、社会福祉という概念の枠組みの中でのみ老人問題が語られているように思われます。
しかも、定年退職者は社会にとってのお荷物とでも言わんばかりの社会風潮があります。
なぜ人間は死ぬ瞬間まで光り輝いていることが許されないのでしょう。
社会にとって生産性が低い者は不必要という考え方は、17世紀の産業革命に始まり20世紀後半には用済みとなった古い歴史的価値観にすぎません。
時代は今や、量より質が求められているのです。
成熟した人が住む都市、心ひかれる言葉です。熟成した人たちが住む都市とは、老人だけが住む都市という意味ではないでしょう。
熟成した人たちと、その過程にある人達から赤ちゃんまでを含み、熟成することを目指して生活していく事が出来る社会を意味する言葉なのではないでしょうか。
南の島のガルミッシュが、私の理想郷の基礎的骨組みになります。
次回から社会構造と社会的機能、運営システムなどを中心に机上のプランを展開していきたいと思っております。
小さな小さな理想郷ですが、夢は大きく持ちたいものです。
前回、ガルミッシュについてお話ししましたが、なにもドイツの都市に似せたコミュニティーが私の理想郷ということではありません。
なぜ6世帯をファンダメンタルな社会単位としたかについてお話しする上で便利だったからです。
それに1950年以前に老人一人を介護するには、最低でも若者2人の手が必要という、老人介護をコンセプトに取り入れた人に優しい都市計画を立案し、実現させていった創造性に驚いてしまったからです。
そこで、経済的に苦しい私でも老後を過ごすことが出来る便利な場所が、理想郷的コミュニティーといった短絡的な考えを止めることにしました。
そして超ミニ都市計画の立案が、理想郷探しの最短距離と考え、便宜的に“南の島のガルミッシュ”というタイトルを付けてしまった訳です。
人に優しく、発展性が期待出来、未来に繋がるプランを考えていくことが必要になります。
基本的な考え方は、社会は三つの要素から構成されているというものです。
第1は、帰属社会システムとリンクしたコミュニティー内部に於ける“精神の自由”。
第2はコミュニティー内部での“法の下での平等”。
第3は、コミュニティー内部での“経済の友愛・相互扶助”という三つの考え方です。
簡単にいえば“自由、平等、博愛”というフランス国旗の精神と同様ということが出来ます。
少しだけ違うところは、“神から与えられたものが自由”という一般的な考え方に対し、私の理想郷では、“人間は、生ある限り自由であり続けることを神と契約している”という考え方です。
人間は、いかなる場合でもこの契約を守り通す義務があるというものです。
つまり人間は、神に対して自由を守る義務を負っていると同時に、光の前で平等であるという権利も有しています。
神の前で光りを望めば、誰でも平等に光が与えられるのです。
ステンドグラスを思い浮かべてみて下さい。
ステンドグラスは、聖書の教えを広く伝えるため作り出されたと一般的にいわれています。
しかし、先ほど人間は光の前で平等と言いましたが、この考えを伝えるために意図的に造り出されたものがステンドグラスではないかというのが私の自論になります。
ステンドグラスは、それに描かれたテーマや規模、年代が重要視されていますが、私にはそれらは重要ではなく、本来の目的は“平等”の意味を伝えるためのものだったと思えてなりません。
どんな絵柄であっても、光りの前でしか本来の美しさを発揮出来ないのがステンドグラスなのです。
フレーム全体は社会全体を象徴し、どんなに小さなピースでも、主たる絵柄部分のピースであっても、それらの価値は同等であることを意味しているのではないでしょうか?
つまり、背景でもキリストの目の部分でも、すべてが光りの前では等価値なのです。
どこのどんなピースが一つ欠けただけでも、意味をなさなくなるものが社会なのではないでしょうか。
私の理想郷で暮らす人々は、それぞれの社会経験や社会的地位、経済力などを一切重要視せず、すべてがステンドグラスを形作るピースのように同等・同価値でなければならないと考えています。
博愛・友愛とは、自分を愛するように他の人も愛さなければならないという意味と理解しています。
これは、人が人に対する前提条件のような気がしてなりません。
私の理想郷における博愛・友愛の意味は、以前にお話した“結いの精神”に基づく相互扶助ということになります。
“自由、平等、博愛”が確立された社会こそが、最も重要な理想郷の条件と考えます。
この三つの社会構成要素は、どれ一つ欠いても成立しない考え方になります。
次回は、なぜ基本要素が三つなのかを説明し、社会的機能などについてお話ししていきたいと考えています。
3から始まる理想郷
スフィンクスのなぞなぞに、“最初は4、次は2、そして最後は3になるものは何か?”という問題があります。
4は赤ちゃん、2は成人、3は社会のリーダーや指導者である杖をついた老人、つまり“人間”が答えになります。
また、3の概念は、すべての形あるものを作り上げているファンダメンタル・ユニットであり、幾何学は3から始まったものといわれています。
聖書の中にも、神の数は3という記述があります。
社会人類学においても、人間にとって数の始まりは3と考えられています。
1を数学的に証明しょうとすると、2の概念つまり1と1というプラトニックな関係の定義が必要となります。
そして、その1と1を包括する概念、つまりファンダメンタル・ユニットとする3の公理がないと1を規定することも定義することも証明することも出来ません。
古代エジプトの神聖文字ヒエログリフに、杖をついた老人の文字がありますが、異国、外国の賢者の意味として用いられているそうです。
無理なこじ付けになりますが、私の理想郷そして終の棲家があるエルダーズ・ヴィレッジは、3をファンダメンタル・ユニットとするコミュニティーであるべきだと考えました。
社会から引退した老人が暮らす場所ではなく、スフィンクスのなぞなぞがいう3を象徴する人達、杖をついたヒエログリフが意味する賢者を中心としたコミュニティーをイメージした結果なのです。
3の概念は重要な考え方であり、特別な意味を持つ神秘数であるという事実は、未来に向かって書かれた古代からのメッセージであり、未来への贈り物として神話や伝説などと姿や形を変えながら言い伝えられてきたのではないでしょうか?
またまた私の独断と偏見、思い込みの強い性格は、このような妄想を生み出してしまいました。
古代からの恋文という思い込みは、古代社会の理想だった“精神の自由、法の下での平等、そして博愛(友愛)”という三つの考え方が、エルダーズ・ヴィエレッジの基礎・基盤でなければという何の脈絡もない考えを生み出しました。
こんなにいい加減な考えから始まった私の構想なのですが、ファンダメンタル・ユニットである3を考えの中心とする必要性を、歴史の中から感じ取ったのは嘘偽りのないことです。
言い訳になりますが、“時には直観に従うのも必要なこと。それもありだな”とご容赦いただければ幸いです。
老人の人生経験や伝承すべき事柄など、すべてを貴重なデータ・ベースと考えた賢人の知恵を尊ぶ社会の構想は、老人を頂点とする社会の創出を意味しており、だれもが精神の自由を堅持し、何者にも隷属することなく、自然の摂理の下で平等に暮らすためのものです。
個の、個のための、個による社会的利潤の追求ではなく、隣人の、隣人のための、隣人による経済のシステム・相互扶助が自然に行われる社会の実現を、3をファンダメンタル・ユニットとして構築していこうという試みが、本計画の意図するものであり目指すことなのです。
経済の友愛
理想郷の理念は“精神の自由、法の下の平等、経済の友愛”であるというお話をすでにしましたが、この理念に基づく社会構造について話を進めていくことにします。
“自由と平等”の独自の見解については説明してきましたが、“経済の友愛”についてはまだ充分な説明をしてはいませんでした。
これからこの言葉の意味することについて触れていきたいと思います。
理想郷の構成メンバーは、事業を始めるとか、富を蓄財するとか、独占所有するなどといった考えや行動を厳しく排除しなければなりません。
何か原始共産制や共産主義、全体主義的印象を持たれる方がいるかもしれませんが、全くと言っていいほど違うものなのです。
説明をするためにいいたとえがないかと考えてみたところ、流通システムを逆転させた考え方に近いような気がします。
これまた首を捻りたくなるような話ですが、流通システムの出発点を企業・工場とするのではなく消費者とするという考え方です。
つまり消費者から流通システムが始まるべきというドイツのコンシューマーズ・ユニオンの理念を借りて説明することが出来るかもしれません。
全体的なイメージを伝えるより良い方法として、幾つかの架空のエピソードをモデルに話を進めていこうと思います。
パン屋さんと住民の話
フィリピンの田舎では、日本で食べていたようなパンを入手することが困難です。
近所のパン屋で手に入るものは、今まで慣れ親しんできた味とは程遠いものであり、その味にこだわろうとすると、マニラまで買い物に出なくてはならなくなります。
そんな背景を持つエルダーズ・ヴィレッジで暮らしていたある人が、何とかして美味しいパンを食べたいと言い出しました。
住民たちは、その欲求をコミュニティー全体の欲求として考えてみることにしました。
美味しいパンを食べたいという思いは、このまま放置すればパンがケーキに変わり、やがてすべてのアイテムについてない物探しにエスカレートしていくことでしょう。
ない物ねだりで1日が過ぎてしまうことになってはたまりません。
ストレスのない世界を求めていたはずなのに些細な事が原因となって、やはり日本の方がいいという話になってしまうかもしれません。
さて、ここで問題です。あなたならどうしますか?
以下の選択肢の中から選んで下さい。なかったらあなたのアイディアをご紹介下さい。
今後の参考にさせて頂きたいので、よろしくお願いします。
1. ない物を欲しがるのはわがままと判断し、郷に入れば郷に従うことの重要性を説くことで全体の和を保ち、海外での暮らしの基本姿勢を根気強く説明し理解してもらう。
2. 配送料金を払ってマニラからの宅配を可能にする。経済格差からして、配送料金を上乗せしても日本より安価で入手可能となる。
このシステムを構築することで、新鮮で清潔な魚や肉、日本並みの野菜、調味料、嗜好品と何でも入手可能な環境を作り上げていく。
3. 現地で入手可能な類似したものを開発、発見していくことで需要に対応する。
この作業を通して現地社会への順応も促進させていくことが出来る。
4. 田舎でのパン作りやケーキ作りを夢みていた人、あるいは家庭内で実現させていた人が住民の中にいたので、パンが必要な人々で経費、謝礼を分担し、コミュニティー内部で希望を実現させていく。
5. 住民の個人的ネットワークを活用して、パン作りの指導者探しを試みていくことを手始めに、パン作りの技術ボランティアを全国的に広く求めていく。
やむなく協力者が全く得られなかった場合は、インターネットを活用して住民自らがパン作りの学習をして指導体制を構築していく。
と同時に、居住地に隣接するエリア内の既存のパン屋や駄菓子屋さん、もしくは一般希望者を集めて技術指導していくことで、時間がかかっても日本並みのパンが一般市場に供給出来るようにしていく。
この最初の市場になる住民たち(コミュニティー)は、住民それぞれの過去の経験や知識を活用し経営的な指導や助力を行い、市場の拡大と経営の安定化に協力していく。
指導者探しや経費の算出、受講者の募集、設備や什器備品などの初期的投資(無償供与ではなく有償)が必要かどうかの判断など、実現までに多くのステップを刻んでいく気の長い計画になる。
しかし、このプロジェクトに対するコミュニティーへの代償は、美味しいパンを買うことが出来るようになるだけ。
コミュニティーは、資本家、経営者、あるいはボランティアではない。
協力した代償としてパンを無償で入手したり、割引してもらうこともない。
ただの消費者となるのがコミュニティーの立場である。
さて、あなたはどれを選びますか?
お分かりのこととは思いますが、わたしの選択は5番です。
“どこが逆転の流通システムだ?”“何が経済の友愛だ!”とお叱りを受けるかもしれなせんが、今後もこのスタイルで話を進めていくことで理解の深化促進を図っていきたいと思います。
経済の友愛 2
美味しいパン屋さんの話は前回しましたが、今日はさらに話を先に進めていこうと思います。
パン屋さんと同じシステムで、新鮮で清潔な野菜や海産物、食肉などを手軽に入手出来るようになるかもしれません。
農業の経験者、知識の保有者の協力があれば、土作りから取り組むことが出来、美味しい有機野菜栽培農家を地元に定着させることが可能になるでしょう。
また、地元の零細漁民を対象とした技術指導を行える指導者を確保するとともに、小規模でも冷凍・冷蔵施設が作れれば、新鮮で清潔な海産物の入手も可能となるでしょう。
冷凍・冷蔵設備を漁民とエルダーズ・ヴィレッジの住民で共有することで、お互いの経済的負担を軽減することも可能となります。
初期的な段階では、複数の大型クーラーボックスを所有するところから着手してみるだけでも進歩かもしれません。
釣った魚の鮮度を保つために必要な沖絞めの技法や、バンカに冷蔵クーラーを常備させる必要性などを指導するだけでも、現在の状況から飛躍的進歩が見られることでしょう。
専門家ではなくとも、それなりの知識を持つ釣り好きの協力が得られれば実現可能ではないかと思います。
将来的には、地元の有機野菜栽培農家や零細漁民が望めば、彼ら自身のユニオンを組織することも出来るでしょう。
ことの次第では、保冷車を所有し、大都市の市場をターゲットとした事業展開も夢ではありません。
エルダーズ・ヴィレッジのメンバーは、単に物価が安いから移住して来たというだけではなく、地元社会とコラボティブすることで、そこに住み着くことが必然となる手段を考えていかなければならないのではと思います。
指導してやるだの、ボランティアとして救ってやるだのといった、高所から見下すような意識で地元と接触していたのでは何も始まりません。
そこに住み着きコミュニティーの一員となったことが、地元社会の発展につながり、変革の触媒となれば理想的ではないでしょうか。
そのためにも、それぞれの社会経験や専門知識を積極的に活用することを心掛け、それを生かしていくことも海外で生活する意義のひとつかもしれません。
地元民との交流を図るために富裕層と飯を共にしたり、可哀想といっては施しをしたりしても、そこの住民になれた訳ではありません。
人様の土地に住み着くということは、そんなことでは済まされないのです。
共にあり、共に栄え、共存共栄する社会を実現させていくためには、メンバー一人一人が最期の瞬間まで光り輝き続けなければならないでしょう。
そして、地元に確かな足跡を残し、よりよい社会の実現に寄与しうる若い担い手を育てていくことこそが、海外で第ニの人生を過ごす意味のひとつなのかもしれません。
まずは慎ましく謙虚に、“自分に何が出来るのか? 何をしてみたいのか?”を真摯に考えることから始めてみるのもいいかもしれません。
何かしら抹香臭い話になってしまいましたが、折角の海外生活を、
“物価が安かった、面白かった、でも肌が合わなかった、結局馴染めなかった”
で済ましたくはないものだと、私自身そう思っております。(2005.9.2)
フィリピン流ハウジング・ゲーム
色々な話をして来ましたが、そろそろ具体的な話をしていかなければなりません。いくら仮想の話でも、単に夢物語ではつまらないものです。資金が無いという一点を除いて、すべての条件が満たされているぐらいの具体性があった方が、何となく楽しくなります。そんな訳で、今後イニシャル・キャピタル、オペレーション・コストを含めた、具体性を持ったブルー・プランの作成を試みていきたいと思います。
考えを進める上で、まずプロジェクト全体の規模を規定していくことから着手していこうと思います。
プロジェクト展開試案
予定地
フィリピン国ルソン島中部。元米国海軍スービック基地が在った地区に隣接する場所。
建設地の条件
1. 地価がまだ他の地区と比較して安価であること。
2. 市街地に隣接し、尚且つ治安がよく静かであること。
3. 病院等の施設が充実した地に隣接していること。
4. ナショナル・ハイウェイから100メートル以内に所在していること。
5. 風光明媚なビーチに隣接していること。
6. 敷地内に水道以外の井戸などの水源があること。
7. 電気、電話、ケーブルTV等のライフラインを完備していること。
8. 下水、汚水処理のための下水道があること。
9. 誘導路等が完備されていて、新たな工事などを必要としないこと。
10. 近隣の生活環境がよく、生活に利便な施設が近隣にあること。
11. 敷地内外に段差が無く平地であること。
(予算を無視して、出来る限りの条件を設定してみました。)
建設規模
1. 坪程度のバリア・フリーのワンルーム、スタディオ・タイプの平屋6棟が建設可能な敷地。約600平米。
2 .付帯施設1棟。庭、車椅子での生活に利便なフットパス等の共有スペースを完備。
3. 共同の貯水タンクを敷地内に設置
設備
1. 発電用ジェネレーター一基。
2. ソーラー発電用パネルと太陽熱温水器を各戸に配置。
3. 各戸にクーラー、高さ調節可能システム・キッチン、バリアフリー・バス、トイレを設置。
4. 各戸室内に脱着可能な手摺り、リフト等の補強工事と器具を配備。
5. リクライニング・ベッド2台とナース・コール・システムを配備。
費用総額
1. 土地購入費 600平米 450万ペソ
2. 建築費 約15坪 450万ペソ (6棟分)
3. 設備 100万ペソ
4. 共有部分建設費 100万ペソ
5. 予備費、その他諸費用 100万ペソ
概算合計 1,200万ペソ
1戸平均 200万ペソ
(何でも有りのフィリピン。概算200万ペソも、約50%を加えた300万ペソ程度を上限とする余裕か覚悟が必要かもしれません。)
建築工事方法
日本のように、工務店や建築業者にお任せで工事を行う場合、予定した期間と予算が大幅に増加するので、個人あるいはエルダーズ・ビレッジのような小規模建設工事の場合は、自分自身で管理していくことが安価に上げる必要条件になるようです。
基本設計から、大工、左官はもとより、配水配電工事等の一切の必要工事を手配、管理しなければならず、一人工務店を覚悟しなければなりません。
一人だけのエルダーズ・ビレッジの場合のように、格安の予算で上質なものをと考えるなら、現地の人々のように直接管理システムを取るより仕方のないことです。
例えば、大工の日当は約300ペソが相場なのですが、これに、食事とタバコなどの嗜好品を支給することが条件になるようです。
約束の工期よりはるかに遅延してしまうのが普通で、2倍程度の遅れで完成させるだけでも、大変な労力と神経を費やすのが常識だそうです。
工期は大概の場合、最低3ヶ月はかかります。
人から聞き出した工事期間が、そのまま自分にも適応されるとは限りません。
施主は、厳しく管理しつつ人心を把握していく、つまり飴と鞭の上手い使い分けが必要になります。
最近は、都市部などで諸外国並みの建設工法が普及し始め、建て売なども一般的になってきたようですが、田舎や地方都市では、まだまだ旧態通りの方法が主流とか。
約30年前、日本の地方で家を建てる時とよく似たものらしいです。
ちなみに、200万ペソの予算で家を建てたいと思ったら、50万ペソで話をスタートします。
この時点で大工側は、100万ペソから始める仕事だと認識するそうです。
工事が始まったら、なるべく儲けたい大工たちと、なるべく出費を抑えたい施主との間で、激しい凌ぎ合いが起こるとか。
こんな施主の努力の結果、何とか予定工期の2倍で完成し、予算は大工側の見積もりの2倍程度、つまり200万ペソになるそうです。
これでもうまくいった方で、施主の能力によっては建築途中で予算が尽き、そのまま放置されてしまうことも多々あるとか。
したがって、予算の50%程度の予備費を予め用意しておくのが、安全かつ有利に交渉を進める秘策だそうです。
(とにかく忍耐強く慎重に、事に当たらなければならないと言います。人生最大のイベントだけに、人生を懸けた一世一代の交渉をしなければならないのが、どうやらフィリピン流ハウジング・ゲームの楽しみ方のようです。)
思いつくままに書き出してしまいましたが、いずれはしっかりしたものになっていくよう努力していきますので、気長に事の成り行きをお楽しみください。
エルダーズ・ヴィレッジ思案その1
前回は、フィリピン国内でのハウジングゲームについて触れましたが、その後、貴重なご意見やアイディアを頂きました。
今日はこれをご紹介し、基本計画に取り込む方向性について考えてみたいと思います。
本計画のスタンスについての再確認
不動産業者、ディベロッパーあるいは旅行業やホテル業など各種の事業体が、団塊世代をマーケットに多種多様なバラエティに富んだ魅力ある商品を開発し提示してくれています。
まずはロングスティから取り組み、納得出来たら海外移住と懇切丁寧な対応ぶりです。
それを利用出来る経済力のある方々は、何の苦労もなくリタイア後の暮らしを海外で実現させることが可能でしょう。
充実したプログラムで木目細やかなサービスが受けられるのですから、喜ばしいかぎりです。
私が仮想空間で夢物語の展開を試みているのは、こうした専門家や業者の方々の計画に、苦言を呈してみたいなどという大それた考えに基づくものではありません。
提供されている商品を考慮出来るだけの経済力や蓄えのない私のようなものでも、海外でのリタイア後の暮らしが可能かどうか、ない知恵を絞ってみようというものです。
暇を持て余した末の戯言でしかありません。
国際的なネットワーク実現の可能性
将来的に世界各地で、同じようなコンセプトのヴィレッジが誕生していった場合の話になります。
世界各地のヴィレッジ間に相互扶助の関係が樹立出来たら、より広範な展開が可能になり、人生の幅も広がるのではないかと考えました。
世界各地に存在しているYHやYMCAのような存在になれれば、あるいはそういう志向性を持つ存在になりえれば、いずれかのヴィレッジのメンバーであれば世界中に我が家が出来ることになり、安価に旅行が可能となります。
ヴィレッジ・メンバーがそれぞれに世界的ネットワークを組めば、これらは簡単に実現してしまうものです。
運営のための規則や規約等などは、計画と同時進行で出来上がっていけばよいこと。
利潤追求の事業体ではないのですから、極めて単純で簡単な個々間の取り決めが基本となって作られていけばいいのです。
自立した事業体という意識が、それぞれに確立されていればいいのです。
ヴィレッジ間での交流が生まれることで、ただ単に老後の生活の場でしかなかったヴィレッジが、ポジティブな活動の場になりえるのです。
違う国で生活する人たちが、お互いにホームスティなどをし合うことで、ロングスティが安価に、そして手軽に出来るようになるのですから、ゆっくり時間をかけた旅が出来ることになります。
海外の遺跡発掘調査に参加したり、1〜2ヶ月ぐらいかけてルーブルや大英博物館に通ってみたりと、いろいろな楽しみ方が出来ることでしょう。
リタイアを契機に、余生ではない本当の意味での人生を送ることが出来るようになるのではないでしょうか?
わくわくするようなイベントや各種の連携した活動を思い浮かべてみませんか?
アイディアが生まれましたら、是非お知らせ下さい。お願い致します。
シンクタンク機能の可能性

ネットワーク展開の一例になりますが、偶然ヴィレッジ・メンバーとなった人々の専門や、経験、経歴、興味、趣味を集約することが可能であれば、そこにはどの研究シンクタンクよりも現場に精通したスキルフルな活動集団、知恵のデータベースを出現させることが出来てしまいます。
頭でっかちな既存の事業体や大手企業には決して真似の出来ない、独自のシンクタンクとして機能し、存在しえるのではないでしょうか?
長年働いてきた経験や実績に対する価値の再構築を試み、リファインし、単なる情報ではなく高度にセグメントされたインテリジェンスの提供を可能にする知恵のデータベースは、未来に向けた次世代の担い手たちに贈る知の遺産となることでしょう。
エルダーズ・ヴィレッジは、営利活動ではなく生存のための活動なのです。
利潤第一主義の経済活動ではなく“経済の友愛”を具現化し、知の共有財産を武器に、リタイア後の新たなライフスタイルを生み出すことも可能なのではないでしょうか?
若者のような夢やまったくリアリティのない世迷言とお笑いになった後、ちょっと考えてみてください。
何ら難しいことではありません。
マンションの自治会に参加するような面倒くささがハードルになるだけで、参加してしまえば実現可能なものなのです。
シンクタンクとして地元の大学や教育機関などと連携することも出来、人材発掘、人材教育などと多くのことが試みられるのではないでしょうか。
老人専用の吹き溜まりではなく、未来に向かって開かれた“場”として地元に根ざしたヴィレッジの幕開けを実現出来るかもしれません。(2005.12.23)
エルダーズ・ヴィレッジ思案その2
国際的なネットワークとシンクタンク機能を兼ね備えたエルダーズ・ヴィレッジが出来たら、次はもう一段階上の可能性について考えてみたいと思います。
今、アメリカ国内で話題になっている高齢者のホームと大学が同列で共存するという計画を例にして、我がエルダーズ・ヴィレッジに大学と共存していく為の方法論はあるのだろうかということを考察していくことにします。
その前に大学との共存、そして同列の意味について少し説明しておきたいと思います。
現段階ではミシシッピ−州立大学が、キャンパス内に卒業生、元教授、大学関係者を対象としたホームを建設し、老齢学部を設けて居住者が望めば学部にも入学出来、単科だけの受講も出来るというプロジェクトに取り組んでいます。
ニューヨーク州立大は、キャンパス内でロングビーチホームという名称の施設を運営しています。
まだ数は少ないのですが、老人を学生として扱い、老人の収容施設ではなく、大学の独身寮と住宅という形でキャンパスを開放し、入居者を募集することが全米各地の大学で検討されているといいます。
このような形態こそが大学との共存であり、同列を意味していると考えます。
しかしこれは、アメリカでの話です。
民意も国情も違う東南アジア各国での大学とエルダーズ・ヴィレッジの共存など可能なのでしょうか?
エルダーズ・ヴィレッジの可能性
ヴィレッジ実現のためには、安価な土地と住宅が第一の条件になります。
確かに直線的、二次元的思考法ではこれしか思い当たりません。
しかしここで、変幻自在な三次元的思考方法でネットワークについて考えてみると、面白い程に多くの組み合わせが可能となり、問題解決の方法が複数出てくるのです。
例えば、安心して信頼することが出来る土地の入手について考えると、フィリピンでは外国人の不動産の取得はマンションに限定されています。
よってフィリピン人と結婚して、伴侶の名義で土地や建物を購入するのが一般的といわれています。
現地の人とパートナーシップを結んで、会社を設立する方法もありますが、個人ベースのエルダーズ・ヴィレッジでは無理なことです。
フィリピン在住が長い“ココナツさん”からの指摘で、その困難さを知ることになったのですが(ゲスト・ブック参照)、他の東南アジア各地でも何かと制約が多そうで、そう簡単にはいかないものらしいです。
そこで立体的にネットワークを捉えてみると、“風が吹くと、桶屋が儲かる”的話になるのかもしれませんが、苦肉の策かあるいは名案なのか、一つの考え方がクローズアップされてきます。
それは、現地の大学などの教育機関と協力関係を樹立し、展開してみてはどうかというものです。
メンバー各自がUS$30,000を大学などに寄付する見返りに、キャンパス内に住居を提供して貰うのです。
約US$10,000を住居関連の経費とし、バランスを日本人向けケア専門の介護師養成コース設立運営基金として活用していくという考えです。
あるいはアメリカのように老齢学部を設置し、若い学生たちと生活を共有し、共存共栄する関係を樹立していく方法論を地域別の条件、環境からアプローチしていくことを模索するための資金として、実現のための研究に費やしていこうという考えなのです。
現在、日本国内の医療機関では、介護師不足を解消するために人件費の安価な国から人材をリクルートし、現場で養成していく計画が進んでいるようです。
展開の方法論はまちまちですが、各地で試み始められていることは事実のようです。
この風潮が日本政府を動かし、老人介護専門の人材確保のために、アジア各国、特にフィリピン政府との間で具体的に受け入れについての打ち合わせが開始されたと聞きます。
現在のところ10万人規模での労働者受け入れを日本に要求しているフィリピン政府と、年間400人規模での実施を主張する日本政府が対峙していると聞きます。
現在、両者間の差は大きいのですが、計画が実施される日はそう遠くないでしょう。
人件費の低さと国際語である英語を話す人口が世界第3位というフィリピンだからこそ、実現可能な計画と言えるでしょう。
フィリピン政府が率先して労働力を世界各地に提供している事実からしても、他の国に比べて有利になりそうです。
今まではエンターテイナーが主流だったフィリピンから日本への労働者は、今後、介護師に代わってくるのかもしれません。
アメリカ全土の病院はもとより、香港、シンガポール、台湾、韓国、更に中東、EU各国では、フィリピンからの介護師、家事手伝いが定着していることから、日本国内でも介護師を手始めとしたケア専門の人材の受け入れが実現しそうです。
このような事情を背景にすると、エルダーズ・ヴィレッジと大学との共存共栄の関係樹立は、決して夢物語ではありません。
日本政府がフィリピン政府に提示している条件は、フィリピン国内で2年以上の実務経験を持つ者、もしくは介護師の国家資格保有者であるということです。
日本国内では、受け入れ病院ごとに日本語と介護師のための教育を行いながら、同時進行で一年間の現場実習を受けさせます。
研修生は1年目に語学の資格を獲得し、2年目に国家資格を獲得出来た場合、永住権を取得する権利が認められるそうですが、正確な話ではないので確認が必要です。
いずれにしても日本人による芸能プロダクションではなく、介護師養成と派遣業が主流になる日が来ることでしょう。
その一端をエルダーズ・ヴィレッジが担いながら、自分たち自身で生活の場と機会を創出していければ最高なのですが、夢は夢物語の範囲を出ないからこそ楽しいのかもしれません。(2006.1.3)
エルダーズ・ヴィレッジ思案その3
まだまだマスタープランには程遠いものですが、霧の中におぼろげながらその輪郭が見えてきたというのが現在の状況でしょうか。
思いつくままにランダムに書きなぐってきた夢の断片の組み合わせが出来てきて、ジグソーパズルのピースのような様相を呈してきました。
今までお付き合い頂いた忍耐力のある皆様にも、どんなジグソーパズルなのかを確かめるまでもう少しの間、南の島の脳天気な暇人にお付き合い頂ければ幸いです。
さて、前置きはこの辺にして、早速見えて来たものが何なのかについてご説明していきたいと思います。
生存を賭けた大学の挑戦
日本国内の大学は、進学希望者の増加そして高学歴志向の社会的ニーズに合わせて、団塊世代以降、規模の拡大に邁進して来ました。
しかし皮肉なことに現在は、社会の少子化が問題になり始めたばかりか、すでに定員割れの大学が続々と出て来ています。
ご存知の通り、行政からの扶助の相次ぐ削減のため、破産してしまった大学すらあります。
どの大学でも生き延びるためのサバイバル術を模索して、右往左往しているようです。
ある大学では、プロゴルファーやプロ野球選手の養成を目的に新しい学部を新設したり、コーチや講師、教授陣に著名人を配置したりして、何とか厳しい現実を克服しようと大変な努力をしている所もあるそうです。
またある大学では、医学的治療法に“笑い”を取り入れ、喜劇界とのコラボレーションを試みているそうです。
そして、その医学的効果について研究実験をしていくために、新しい学部を開設しようとしているとか。
いずれの大学でも、入学金に授業料という基礎的な財源の確保が急務の課題と聞いています。
財源確保のために広大な郊外型キャンパス内にゴルフコースを設け、学生と一般に公開して安定した経営を目指す計画があるというのも理解出来ます。
しかし大学の持つ特色とは、アイドルタレントや売れ筋の新商品開発とは訳が違い、付け刃で対処、創出出来るものではないように思います。
前回触れたアメリカの大学での試みや社会的実験プログラムは、こうした日本国内の事情と比較して、大いに参考になるのではないでしょうか?
アメリカの大学では、まず第一に社会との関係論を明確にした上で、そこから導き出されたプロジェクトの意味や意義を考察することから計画が進められるそうです。
前回もちょっと触れましたが、ある大学では、社会的な老人ケアと介護の問題を踏まえて老齢学部の開設し、それらを一体化して対処する試みがなされているそうです。
広大なキャンパス内に老人専用の住宅や寮を設け、学生と対等な相互扶助関係を確立し、共同生活の実現のための方法論を模索しています。
老齢者と学生を寮で同室にしたり、老齢者の住居の一室を学生に当てたりして運用されているそうです。
“ひとりぼっちのエルダーズ・ヴィレッジ”の理想像について以前ご紹介した時、老齢者1人に対し若者2人が携われる、3人を1組とした社会構造について私の夢を語りました。
アメリカの大学の試みは、その理想に一歩近づく考え方のように思います。
よろしかったら“南の島のガルミッシュ”もご覧下さい。
私は老齢者と若者の間で、同等な相互扶助関係が樹立されることが最も大切だと考えております。
老齢者は社会の余り者や厄介者とする社会的風潮に、大いなる疑問を抱いています。
老齢者は社会に対し、若者に対し、大いなる経験と知恵をもとに指導力を発揮し、同等な関係を維持していくも可能ではないかと考えます。
私の住む南の島や日本国内のような経済優先の社会では、残念ながらまだまだ実現の可能性は極めて低いように思われます。
しかし夢を抱いて、次回から老齢学部の概要や、老人問題解決の方法論などについてご紹介していこうと思います。(2006.1.13)
エルダーズ・ヴィレッジ思案その4
老齢学部の概要
ミシガン大学のユニークな老齢学部について、ご紹介してみたいと思います。
老齢学部という名称から、日本の老人大学を連想する方も多いかもしれません。
しかし、学部設立の趣旨やカリキュラムなどが全く違うのです。
日本の老人大学は、老齢者の肉体的、精神的退化を遅らす目的で考案されたカリキュラムを主体とする、行政指導の地域行事といえます。
老齢者を日中に限定して家族から預かる保護施設、いわば老人の保育園(?)的色合いが強いもののようです。
これに対し、ミシガン大学の老齢学部は正真正銘の学部で、一般の専門学部の学生同様、単位取得が義務付けられています。
当然、単位取得のために講義を受講しなければなりません。
唯一、一般の学生と異なる点は、終身学生でいられるということです。
一般教養の授業を受講することも、自分自身に余裕があれば可能であり、講義もゼミも、一般学生と同じクラスで受講します。
ただアルツハイマーや認知症に関する講座だけは、老齢学部の学生対象に設けられたものと聞きます。
老齢学部の学生の多くが強い関心を持つこれらの講座は、病気の特徴を正しく理解し、ただ漠然と恐れるだけではなく、将来発病したとしても病気の進行度合いを自ら正しく認識していくために開設されました。
また病気を正しく理解することで、少しでも進行速度を遅らせることが出来るのではないかという仮説を実証するためでもあります。
実験対象者になることを承諾した学生だけではなく、老齢学部の学生ならだれでも受講出来るそうです。
この講座を受講しているある老夫婦は、婦人が既に認知症と診断されているそうですが、夫婦で受講することで閉鎖的になりがちな生活に変化を与え、病気の進行を遅らせる努力をしているそうです。
こうしたケースはまだ数少ない事例ですが、将来的には何らかの新たな可能性を生み出す鍵になるのではと、専門家の間で期待されているとか。
大学まで通学することで一般学生との交流が生まれ、さらに受講し学習することで生活に緊張感が生まれるらしく、この刺激が病状の進行を遅らせることに効果的に作用しているようだと、大学の研究者が語っているそうです。
ここで老齢学部の特徴をよく物語っている、哲学のゼミを担当するある教授の話をご紹介したいと思います。
一般学生6人のゼミに1人の老齢学部の学生が参加したことで、それまでの沈滞していたゼミの雰囲気が一転し、いい意味での緊張感が生まれ、学生たちの専門に向き合う態度に大きな変化が見られるようになったそうです。
それまでは知識の習得だけが目的となってしまっていたゼミが、老齢学部の学生の参加で、“なぜ学ぶのか? 何のために学ぶのか?”という最も基本的問題について語り合う場となっていきました。
観念的で極めて儀礼的に通り過ぎていただけのテーマが、実は最も重要であることを学生自らが認識し始めたのです。
なぜかと言うと、教授と学生だけの関係だったゼミに老齢学部の学生が加わったことで、学生、教授、老齢者の3世代が存在することになったからです。
ゼミ内で何を試みても、いくらディベートをしても、これまでは教える者と学ぶ者の関係しか存在しえませんでした。
それが3世代になった瞬間から劇的に変化し始め、知識に老齢者の経験が加味されたことで、ゼミのテーマにリアリティが生まれたのです。
卒業するための通過点として認識され、論文のテーマ探しや論文作成の技術取得の場でしかなかったゼミ、そして大学そのものが、古代ギリシャのように、知識だけではなく知恵も学ぶ場へと変化していったのだそうです。
老齢者が、なぜもう一度学ぼうとするのかという理由は、観念的な功利主義一辺の学生の頭を破壊するのに十分な刺激だったとか。
“大学が、経済活動の第一線から引退した老人たちの暇つぶしの場や、介護施設として利用されたのでは困ります。学生は、介護師ではないのですから。”と語る大学関係者の言葉。
老齢者の甘えを満足させる場ではなく、共に学ぶ者が世代を超えて一堂に会する場であることが、大学本来の存在意義なのかもしれません。
古代において大学とは、“真理を求める旅人が集う場”と認識されていたとか。
真理の灯火の前では教授も学生もなく、ひたむきな探究心を持つ者すべてに開かれていたそうです。
古代からのメッセージには多くの示唆に富むものがあり、よく古代エジプトの象形文字に含まれた知恵が取り沙汰されます。
その中に杖をついた老人の文字記号がありますが、賢者を意味している文字記号だそうです。
また、神秘数3を表しているともいわれています。
ちょっと強引ではありますが、この杖をつく老人の文字記号は、もしかして3世代が集う知の殿堂、つまり老齢学部を有する大学を意味しているのかもしれません。(2006.1.22)
エルダーズ・ヴィレッジ思案その5
アダルトスクールに学ぶ
前回までアメリカにおける大学の挑戦について少しだけご紹介してきましたが、今回は地域コミュニティー単位で取り組まれているイギリスのプロジェクトについてご紹介したいと思います。
私がこの“ひとりぼっちのエルダーズ・ヴィレッジ”を始めた当初、夢や希望を語りながら、自らの“終の棲家”を考えていこうというのが一つの目論みでした。
始めてみてすぐに分かったことなのですが、“老後の生活を経済格差のあるアジアの国で”という海外生活や移住を勧める各種情報の大半は、“熟年市場”攻略のために生み出された“商品”でした。
いずれも不動産業者やホテル業者、リゾート開発業者に旅行業者などが主導した、安い生活費が目玉の高齢者向けリゾート物件ばかりだったのです。
さらに経済的余裕のある人にはオーストラリアを勧め、それ以上の経済力を持つ人たちには、アメリカやスペインをというような実態が見えて来てしまいました。
私のような経済力も何もない者には垂涎の的で、手も足も出ないものだったのです。
こうした事情から、“経済難民”でも海外生活や終の棲家探しは出来るはずと、無謀な挑戦を始めてしまったのです。
ああでもない、こうでもないと右往左往している今までの有様は、パッチワークのようなHPの内容からもお分かり頂けることでしょう。
私の理想郷は、安価な住宅を入手することでも、利便で安心な生活環境を手に入れることでもありません。
大切なことは理想郷の理念であり、生きるためのソフトウェアーなのです。
この私の理想郷を考える上で、イギリスの“アダルトスクール”についてもご紹介したかったのです。
アダルトスクールとは、コミュニティー毎に存在しているパブリックスクールを核として、イギリス全土で展開されている社会教育プログラムの総称です。
ここではこのアダルトスクールが、高齢者対策としても機能しているということについて話を進めていきたいと思います。
日本の定時制高校と職業訓練所を合わせ、さらに単科大学の特徴をも兼ね備えたようなアダルトスクールは、平日は夜間、週末には昼間の時間帯に開催されている自由な学校だそうです。
学生は高齢者に限定したものではなく、同一のコミュニティーに居住していれば、子供以外ならだれでも入学出来るといいます。
学費は無料で、教材などは地域の企業によって支援されているとか。
講師はすべて同じコミュニティーの住人で、学校の教師もいれば各分野の専門家もおり、コースによっては卒業生が講師を努めているそうです。
イギリスの社会教育プログラムには、この他にも外国人のコミュニティーメンバーを支援するための、英語教師による家庭訪問プログラムなどユニークなものが多いと聞いています。
これらも、地域住民のボランティアで運営されていると聞きます。
行政指導ではなく、地域と住民が一体となって実施されているこの社会教育プログラムは、財政難だった政府を助けようと、市民自らの発案で実施されたのが始まりだったそうです。
市民社会が成熟しているからこそ可能だったことかもしれません。
単身で生活する高齢者がコミュニティー内に住んでいた場合は、同一コミュニティーの居住者によってアダルトスクールへの参加が呼びかけられるそうです。
年齢、体力、生活内容、本人の希望などが考慮された後に、あくまでも1人で生活することを尊重した受講プログラムが検討されると聞きます。
日本のように、高齢者の一人暮らしのサポートとして、訪問ヘルパーを派遣するような社会システムではないそうです。
火事になったら大変だからとガスやヒーターの使用を制限したり、3食ともお弁当が配給されたりと、一見行き届いたサービスのような印象を受けますが、これはあくまでも日本的特徴です。
体力的に1人での生活が困難な場合でなければ、イギリス人ジョンブルたちは、一方的な親切を極端に嫌悪するといいます。
行政の管理下で事細かなにケアされることを、“政府の捕虜になる”と言う高齢者も多いそうです。
こうした親切、優しさに反発する人が多いイギリスでは、アダルトスクールが人的ネットワークを活用して、近隣のミルクバーにセンター的役割を担わせ、隣近所の住民たちをも巻き込んで、自発的な相互扶助的サポートを行っているそうです。
このシステムのお陰で、孤独死する高齢者の数が激減したといいます。
孤独で単調になりがちな生活を社交的なものに変えることで、日々の生活に活力が出てきた高齢者たちが、積極的に社会復帰した話を多く聞きます。
何よりもアダルトスクールの成果は、現代版“落語の長屋”のような人間関係を出現させたことかもしれません。
“八つぁんや熊さんにご隠居さん”の暮す世界には、現代のような高齢者問題はなかったはずです。
ここで幾つかのコースについて触れながら、アダルトスクールの全体像をお伝えしていこうと思います。
1.パン職人による職人養成講座
この講座はパン職人養成講座で、半世紀の経験を持つ65歳の現役パン屋さんが始めた講座だそうです。
日本のカルチャースクールのパン講座と大きく違うのは、対象がいかに高齢者であっても職人養成が主目的のため、暇つぶしや趣味で受講することは出来ないということです。
1年間の技術指導と、パン屋での実地研修が義務付けられているとか。
年齢的に問題なく体力的に講座受講が可能な人ならば、だれでも受講出来るそうなので、受講希望者は多いと聞いています。
日本のように何歳以下などという条件はなく、講師とアドミニストレーション・スタッフによる面接で決まるのだそうです。
パン工房には多岐にわたって仕事があるために、希望者の大半が受講許可になるようです。
卒業後は、講師の経営するパン屋かミルクバー(小さな工房を持つ食料雑貨店)へ、ヘルパーとして社会復帰します。
ロンドン市のSW7にあるケンジントン地区では、卒業者の有志が集まって独立し、高齢者によるパン工房と店舗の経営を始めたケースもあると聞きます。
オールドファッションの手造りパンは、高齢者が自分たちの子供時代に各家庭で焼いていたパンを復活させたもので、人気が高く若い年代の顧客も定着して繁盛しているとか。
2.家具職人の主催する家具補修職人養成講座
この講座はコミュニティー内に住む家具職人が、パン職人養成講座に触発されて、自分も何かが出来るのではと考えた結果誕生したそうです。
当時、古い家具の補修や椅子の張替えなど、根気のいる地味な仕事は、若者には嫌われていました。
そこで、家具補修職人の仕事は、引退した高齢者が最適だと考えたのだそうです。
その考えは的中し、1970年頃には、全国的な広がりを持った人気講座になっていたようです。
椅子の張替えは、布製、皮製、ラタン製等、種類によって技術も異なるため、それぞれに専門家を養成しても人材が不足気味だったといいます。
家具の補修は、一般家具の染みや焼け焦げの補修から、アンティーク家具の補修法まで幅広く教えるのだそうです。
この講座の卒業者は補修専門の技術者として独立したり、アンティークショップに就職したり出来るため、就職率が高く人気の的になっているとか。
余談ですが、家具補修職人養成講座の内容が英国放送BBCテレビの人気番組となり、シリーズ化されているそうです。
この他にも、ガーデニング講座やアンティーク鑑定者養成講座もBBCで番組化され、全国を巡回するほどの人気番組になったといいます。
3.育児コンサルタント養成講座
これは育児経験のある高齢者が、若い世代の母親に対する専門的アドバイザーになるための講座です。
この育児コンサルタント養成講座も、アダルトスクールの名物講座になったといいます。
講座の卒業生の大半が、デパートやスーパーマーケット、市内の育児専門店などでのショッピング・アドバイザーとして採用されたそうです。
特殊なケースでは、ラジオの育児相談室という番組のパーソナリティーとなった人や、本を出版した人もいるそうです。
アダルトスクールは、高齢者救済のためのものではなく、社会的ニーズの高い職種における人材の発掘と養成を目的に運営されているプログラムだそうです。
このプログラムは結果的に、高齢者問題を解決するために多くの成果をあげたそうですが、それはあくまでもプログラムに付帯した副次的なものでしかありませんでした。
高齢者だからこそ出来る職種の講座と、雇用者側の理解と協力があってこそ成立したものといいます。
ここで重要なことは、アダルトスクールの主催者にも雇用者側にも、“施しの救済事業”といった意識が介在していなかったからこそ出来得たものだといいます。
やはり、“親離れが出来ている市民が暮す成熟した社会”でなければ無理なのでしょうか?(2006.1.27)
エルダーズ・ヴィレッジ思案その6
幽霊の実態
今回は、高齢化社会問題をはじめ日本で重大な社会的問題として取り沙汰されている事柄が、いったいどんなものなのか視野を広げて世界的視点から見ていきたいと思います。
日本で大阪万博が開催された当時、社会保障の先進国スウェーデンでは、高齢者の自殺者が増え大きな社会問題となっていました。
その頃のイギリスでは、長年の経済停滞のため、与党だった労働党の影が薄くなっていたように思われます。
町には若い失業者が溢れ、毎週支給される50ポンド程の失業手当だけで生活する人たちが急激に増加し始めていました。
高学歴があっても職がないという深刻な状況に直面していたのです。
そうした社会事情を反映して、若者たちの間では、空き家になったフラットを不法占拠して生活する“スクワッティング”が流行していました。
ロンドン市が進める市街化再開発のため、老朽化したフラットを新しい集合住宅に建て替えるという計画に反対した若者たちが、空き家になっていた取り壊し予定の建物を不法占拠したのです。
スクワッティングとは、そんな若者たちのコミュニティを指す言葉です。
チャーチル首相の孫にあたる女性もこの不法占拠生活者だったため、当時、世界的に注目されました。
今ならホームレスの不法占拠事件として簡単に処理されてしまう問題ですが、この頃は若い有能な人たちが、歴史的建造物を保存しようとして始めた一種の社会運動として位置付けられ理解されていました。
世界的に広がったヒッピー運動の、終末的現象の一つだったのかもしれません。
日本が現在直面している社会問題について考える時、なぜかこの話が思い出されてしまいます。
日本が抱えている多くの問題は、すでに先進国が経験し、乗り越えてきた問題と同質ではないかと思われるからです。
先進諸国では過去の出来事となってしまった問題を、日本では、自然に派生した問題のように捉えているのではないのでしょうか?
今度も政府主導で、正しく誘導して貰えばいいという無責任な思いが多くの妄想(?)を生み出し、それが脅迫観念となって大騒ぎしているだけの話なのかもしれません。
2007年問題などは、そのいい例です。
“幽霊の正体見たり枯れ尾花”となってしまう話題でなければいいのですが……。
先進国の定義が経済的問題だけなら、日本は間違いなく先進国になります。
しかし社会の成熟を基準とする考え方だと、残念ながら未だに後進国で途上国のようです。
社会の高齢化や少子化、フリーターやニートの急増など、どれ一つを取っても多くの先進国が過去に通過してきた問題なのです。
日本では少子化の大きな原因に晩婚があり、世界的問題と考えられていますが、すでに晩婚傾向にあるフランスでは昨年の出生率が増加し、今後もこの傾向が続いていくと考えられているそうです。
フランスの歴史学者も、“15世紀においても現代同様、晩婚だったにも関わらず出生率は増加していた”と語っています。
またこの歴史学者は、“少子化の問題は、社会に原因がある場合に起こる人類的な現象で、動物的本能が現代社会は子育てには不向きと判断して人口抑制の警鐘をならしているために起こる”とも言っています。
ニートやフリーターの問題なども、同じような社会現象が1960年代後半からの1970年代の後半頃に、イギリス社会で問題となっていました。
またスウェーデンなどの北欧諸国の社会保障制度先進国では、すでに1960年代には“高齢者の心のケア”が社会全体の問題と認識されていたそうです。
私たち日本人も、少しばかり視点を変えて見る必要があるのかもしれません。
今のようなステレオタイプな捉え方は、最も危険なことかもしれません。
変幻自在で自由な視点からの見直し作業が、必要になるのではないでしょうか。(2006.1.31)
エルダーズ・ヴィレッジ思案その7
言葉の分類
現在、私たちが暮らす社会では、私たちに関連した言葉が数多く乱れ飛んでいます。
それらの言葉の大半が、意味や概念が曖昧なままに根拠のないイメージが形成され、私たちとは無縁のところで勝手に歩き回っているような気がしてなりません。
私たちは情報過多でありながら、情報不足という不思議な現象に陥っているのかもしれません。
そして、そのことに何一つ疑問を感じない程慣れてしまい、気がついたらすっかり不感症になっていたようです。
今ここで実体感のないこれらの言葉について出所を明らかにした上で、自分なりに捉え直してみる必要性を強く感じてしまいました。
問題に取り組んでみてすぐに、私たちに関する言葉が思いつくだけでもこんなに沢山あったのかと、あらためて驚いてしまいました。
その言葉をひとつひとつ注意深く見ていくと、それぞれの言葉が幾つかのグループに分けられるように感じられました。
具体的な調査分析の手法についての知識はありませんので、あくまでも直観的で主観的な印象にしかすぎません。
しかし、それぞれの言葉に共通した、ある特徴に気付くことが出来ました。
その特徴とは、情報伝達経路にあったのです。
言葉がどこで生まれ、どういう経路で私たちに到達したかについて、推論することが出来るということです。
その経路について考えを進めると、更にその背景が見えて来るような気がしました。
それぞれの言葉は、当初どのような意味で使用されていたのでしょう。
また、どのような経路を辿った言葉なのでしょう。
そう考えて行くと、どの過程でどんな意味や意図を持つ言葉として使用され、どのような効果を持つ言葉に変化していったのかなどについて、言葉の出所によって大雑把なグループ分けが可能となります。
医療分野の言葉群
“認知症、生活習慣病、心筋梗塞、脳梗塞、リューマチ、白内障、etc.”
行政用語として使用されてきた言葉群
“老人医療保険、高齢化社会、ヘルパー、デイサービス、老人医療、少子高齢化問題、若者の年金離れ、老人大学、生涯教育、寝たきり老人、etc.”
マスコミ媒体が媒介したことで、一般社会に普及し定着してきた言葉群
“一人暮らし、孤独死、団塊世代、2007年問題、定年延期、再就職、熟年、中高年、シニア、リタイア”
広告代理店やマーケッティング会社を発生源とする言葉群
“第二の人生、老後(シニア、リタイア後)の人生設計、終身年金型保険、癌保険、リタイアメント(ハウス、ヴィレッジ)、ロングスティ、移住、老後の田舎暮らし、etc.”
これらの言葉の中には、各分野で重複使用されていてなかなか簡単に出所を判別出来ないものも多いようです。
しかし下記のように、言葉の伝達経路によって大別してみることで出所を推測出来ます。
医療、行政、マスコミを出所とする言葉→メディア媒体→受け手(社会構成員)
広告代理店・マーケッティングを出所とする言葉→メディア媒体・広告宣伝活動→受け手(消費者)
医療、行政、マスコミの用語が、メディアを媒体として社会一般に普及し定着した経路と、広告代理店やマーケッティング会社のクリエイティブスタッフやコピーライターによって捻り出された用語が、メディアを媒体として広告宣伝活動を行うことで社会一般に普及し定着した経路の2系統に分けることが出来るようです。
しかしいずれの場合にも、メディアの関与が必要不可欠なようです。(2006.2.12)
生み出されたイリュージョン
例えば“熟年”という言葉が中高年を意味していることは、いまや自明となっていますが、この言葉が一般に定着したのは、1990年代に入ってからだったと思います。
しかし1980年には、一部の広告代理店内部でマーケッティング用語としてすでに使われていたそうです。
21世紀は“熟年市場”の時代と予測した広告代理店は、クライアント企業に積極的に働きかけ、熟年向けの新製品を開発していきました。
この新製品の販売戦略が展開される過程で、広告代理店内部の業界用語だった“熟年”という言葉が、洗練された都会派でお洒落な中年を指すクリエイティブな広告キャッチとして、新たなイメージをともなったヴィジュアル記号となり、急速に社会に定着していったそうです。
1987年頃になると、この言葉は意味や定義などを飛び越えて、熟年という語感だけで一人歩きし始めました。
初期的なヴィジュアル記号は無視され、高額所得者を意味する言葉として重宝されたといいます。
そして“高額所得者→経済的富有層→高い購買力→高額商品”の連想ゲームを生み出し、1990年代初頭には、不動産(投資物件、別荘、セカンド・ハウス、マンションから戸建、億ション)や、レジャー商品(個人海外旅行、長期滞在型旅行商品、豪華客船クルーズ)など、中高年市場を対象とした広告情報がメディアを占領してしまいました。
その結果、“熟年”“シニア”“豊かな第二の人生”などといった言葉が、既成の事実として社会に定着し浸透してしまったといいます。
バブル崩壊後、“熟年市場”をターゲットに高額商品を主に取り扱っていた不動産業者やレジャー開発業者は、“定年退職者→退職金→年金→老後に備えた預貯金→潜在的に高い購買力→新商品”という図式を考え出し、次のターゲットを“定年退職者”に切り替えました。
バブル時代は投資物件として売り出していたリゾート地の土地や別荘に、今度は“退職後の人生設計”“豊かな老後”などという新らたな冠を付けて新商品としてしまったのです。
その後も定年退職者市場へ向けた様々なキャッチコピーが生み出され、“ゆとり”“癒し”“バリアフリー”“スローライフ“などの言葉が定着していくことになったのです。
もともとは、ファーストフードの人気に脅威を感じたイタリアの農民とレストラン業者が、自らの生存をかけた戦いのスローガンとして用いた“スローライフ”という言葉に、“ガーデニング”や“カントリーライフ”のイメージを加味して、日本流の商品販売キャッチコピーを生み出したのです。
つまり、“海外で過ごすシニアライフ、まずはロングスティから”などと銘打った不動産とも旅行商品ともいえるような商品も、バブル期の商品群が衣を変えただけのものでしかないのです。
経済的富裕層には、ヨーロッパやアメリカ(ハワイ)やカナダを勧め、次いでオーストラリアやマレーシア。生活費の安さを全面に押し出した低額物件として、東南アジア諸国を紹介しているようですが、低額といっても基準となるのは日本国内の有料老人ホームの価格設定です。
安心出来る老後の生活費は、最低でも夫婦で6千万円とか数千万円とかいわれているそうですが、その算出基準は、“平均的退職金に預貯金や資産を合計するとこのぐらいはあるだろう”という一方的な思惑から生まれたとしか言いようがないほど曖昧なものです。
“熟年市場”の豪華なイメージを、“定年退職市場”向けのイメージにすりかえたにすぎません。
価格は、その時代と客層を反映しているだけなのです。
広告宣伝活動によってキーワードとなる言葉を社会一般に急速に浸透させ、市場環境を醸成することにより、その言葉のイリュージョンまで形成されてしまったことを見落とすことは出来ません。
“中高年向け”“シニア向け”などという言葉には、年齢的な意味と同時に、何らかの意図を持ってそのキャッチコピーを用いている人たちの都合で出来上がったイメージも含まれています。
私たちはそのイリュージョンに支配されている場合も多いのです。
そんな人たちが生み出した言葉を疑うこともせず、私たちは無条件にそれに従い、そうなのだと思い込み、追従したような生活をしているだけなのかもしれません。(2006.2.13)
“老人”というイメージの一人歩き
明らかに市場攻略のために開発された商品を軸として使用される言葉が、私たち世代を支配しているような気がしてなりません。
こうした呪縛から開放された状態で、自分の年齢や気力、そして体力や好奇心などについて、若かった時と比較してみる必要がありそうです。
なぜならば、私自身が未だに“赤いちゃんちゃんこ”を着ている姿など想像も出来ないからです。
そればかりか、どうしても実年齢を実感出来ないのです。
“退職したらどうしよう?“とか“60歳を過ぎても働けるか?”などと、50歳を過ぎた頃から考えてはいたのですが、いざ60歳目前になった今、どうも実感が湧いてきません。
社会の中でどう中高年を演じればいいかについて、本人不在のまますでにシナリオが出来上がっていたようなのです。
選択肢はどの老人を演じるかしかなく、違った役柄は許されないのです。
役柄が自分とは無関係に規定されていることに不自然さを強く感じるばかりか、少なからず憤りを覚えてしまいます。
“気が若いから”とか“気持ちは分かる”などといわれること自体、全く他人事のまやかしでしかないのです。
“戸惑うのは最初だけ。すぐに慣れるから”などと慰められても困ってしまうのです。
自分が専門としてきた分野に関する知識も経験も、長年培ってきた知恵も、一瞬にして無価値になってしまうのです。
60歳の誕生日を境に慣れ親しんできたOSが、老人の仲間入りを理由に剥奪され、破壊されてしまうのです。
そして支給されるのは、8〜16ビットのPCとベーシック言語だけなのです。
“やる気があればMSDOSにだって挑戦出来るんだ”と丸め込まれてしまうのですからたまったもんではありません。
拒否権がないのは辛いことです。
破壊や没収を逃れることが出来たとしても、リセットされるのが関の山。
還暦を過ぎたら、今現在にすら戻ることが許されないのかもしれません。
いずれにしても、静かに穏やかに、社会に迷惑をかけない可愛げのある老人を演じることに没頭しなければいけないということでしょうか。
既成の中高年や退職者のイメージを一掃した上で、社会的経済効率を重視した社会構造の産物について、当事者の立場から再吟味しなければいけないようです。
“老人は生産向上に寄与出来ない社会のお荷物”という社会的評価に疑問符を投げかけてみて、それから社会に帰順しても遅くはないはずです。
老人は自立出来ないのでしょうか?
老人は若者に迷惑をかけるだけのお荷物なのでしょうか?
老人は偽善に甘んじ、偽善者たらんとする人たちを満足させるだけの可愛そうな存在なのでしょうか?
定年退職者が連れ立って事業を始めると、マスコミの絶好な取材対象として、社会的から“よい子バッチ”がもらえるだけの存在なのでしょううか?
きりがないほど多くの疑問が湧き出てきます。
こんな訳で、私のエルダーズ・ヴィレッジは、既製品を排除して自分の身の丈にあった納得のいくものでなければならないのです。
前回、“幽霊の正体見たり枯れ尾花”について話しましたが、今回は期せずして続編になったようです。
この問題を自分なりに納得した上で、退職者が社会生活するためのソフトウェアーを考えていくことにより、“理想郷、理想の終の棲家”に到達出来るような気がします。
人類の歴史が続く限り、時間は無限です。焦らずのんびりと取り組んでいきたいテーマです。(2006.2.15)
ドイツでの試み
朝日新聞(3月24日)第8面の国際のページに、8段組みで大きく“多世代共生住宅”というの記事が掲載されていました。
ワルトブルク(ドイツ南部)での子育て家族と高齢世帯の交流を紹介した、能登智彦記者の報告記事でした。
“ワイワイと過ごせ幸せ”という老人の声をリードコピーに、“ユング・ウント・アルト”という名の多世代共生型マンションでの、ある日の生活風景描写から始まり、次いで運営管理体制に触れ、孤独を解消出来たという老人の話や、こうしたコミュニティーが全国に現在200ヶ所もあり、国の補助でさらにその枠は拡大していくといった内容でした。
少子高齢化が進むドイツで、その対応策の1つとして新しく生まれたのが“多世代共生住宅”であるという記事ではありましたが、聞くところによると、ドイツの多世代共生住宅の歴史は古くからあったそうです。
なんでも、19世紀末には構想が出来上がっていたのだとか。
その先駆けとなったのが、山の街ガルミッシュキルテンパルテン市だったそうです。
第二次世界大戦後しばらくして人口が減少し、市政府の維持管理が難しくなっていた時、必要に駈られて急遽新しい都市造り計画が立案されたといいます。
その際、将来高齢者が増加することを予測して、“多世代共生住宅”を街造りのコンセプトにしたそうです。
一人の老人を介護するには2名の若者の力が必要になるという考えは、ドイツでは昔からある考え方だそうで、それが基本となって計画が進められたそうです。
経済力のない若者や芸術家の卵たち、学生や若いカップルを対象に、老人の介護を条件に募集し、無償で住まいを提供するものだったといいます。
計画当初は、若い労働力と老人の持つ経済力のコラボレーション的発想で、疑似家族(Gの恋文:World of Left Eye 8章後半参照)を募集したのだそうです。
お互いに理想的な生活を享受出来る環境を求めて努力した結果、人口配分も年齢構成も理想的となり、老人たちと若者たちの双方にとって、経済的、精神的、肉体的にも、負担の少ない条件で生活出来る上、街全体が老人介護施設という側面を持った街へと変わっていったと聞きます。
若者が結婚し子供が生まれると、子育てに老人が協力し、子育ての知恵を若者に授けるといったことが自然派生的に起こり、完全な形の相互扶助社会が作り上げられていったのだそうです。
こうしたガルミッシュ型の街造りは、障害者や高齢者に優しいバリアフリーを街中に実現し、ドイツ国内でも未来を先取りした福祉モデル都市として広く認識されているそうです。
市政府は疑似家族に対し、経済的支援はもとより、新しい住民同士の組み合わせを斡旋する窓口の運営や、社会生活を円滑に送るための手助けをするソーシャル・ディレクターをコミュニティーごとに派遣するなどして、住民と行政の協力関係を発展させていると聞きます。
しかし人間社会のことですので、実際には多くの問題点や改良点が存在し、気難しくなる老人と若者間で起こるトラブルも多く、運営上の苦労は絶えないというのが現状といったところだそうです。(2007.4.25)
団塊世代のための暮らし方 海外編
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