
2010年3月4日
ここのところ旅日誌を書くことなく、怠惰な日々を送っていました。
更新をしなかったということは、言葉を変えると、この間私の思考は全く機能していなかったことになります。
しかし昨晩、早めに床についた私は、とても不思議な夢を見ました。
それにより、再び思考が機能し始めたようです。
文字と映像に音声まで加わった映画のような夢。
その内容は、何がどうしたのか、未だかつて行ったことも見たことも無い礼拝堂のような所を訪れるものでした。
入り口は意外なほど慎ましやかで、小さな木製の扉には、簡素な樫のプレイトと鉄製の蝶番が2つ付いており、入り口のアーチには、何かの花びらが刻まれていました。
石造りの古い礼拝堂の内部は薄暗く、暗闇に目が慣れるまでの間、私は何も見ることが出来ませんでした。
次第に薄暗い内部が見えてきて、私は石柱や石壁の至る所に、数多くのマソニックのシンボル記号が刻まれているのに気付きました。
それらは、私の知っているフリーメーソンのコンパスと曲尺の記号や、ダビデの星にピラミッド、占星術の星座、動物の角、植物、薔薇、テンプル騎士団の正十字、キリスト教の十字架などなど。
そして普通なら祭壇がある突き当りの場所には、複雑な紋様が刻まれた2本の石柱が立っていました。
それを見た時、私は夢の中で、もう40年以上前にニューヨークで知り会った老人の話を思い出しました。
“世界中の多くのフリーメイソンのロッジには、神聖な空間に2本の石柱が立っている。
その石柱は、ソロモンの神殿の頂上に立てられていたものを正確にコピーしたものなんだ。
左側に立つ柱は、「ポアズ」や「職人の柱」と言われ、右側の柱は、「ヤキン」や「徒弟の柱」と言われている”
と、老人は話していました。
左の柱には、縦線が彫られているのに対し、右の柱には、細密な花模様が螺旋に刻まれているのだとか。
老人はさらに、
“テンプル騎士団がソロモン神殿を正確に模倣して、神殿西側の壁や方形の小さな聖なる部屋を再現したんだ。
それにより世界中にあるフリーメイソンのロッジの内部に、2本の石柱が置かれるようになったと言う人も多い”
とも言っていました。そして、
“フリーメイソンの基本的階位である徒弟、職人、親方は、初期テンプル騎士団に由来していると考えられていることから、テンプル騎士団が現代フリーメイソンの起源説として広く信じられるようになったんだよ”
と教えてくれたのです。
その時老人は、もう1つのフリーメイソン起源説といわれている薔薇十字団についても話してくれました。
“薔薇十字団の起源には幾つもの説があるのだけれど、その中で一般的なものは、紀元後46年にアレクサンドリアの賢人オルムスが、使徒マルコムによってイニシエイトを受けてキリスト教徒に改宗し、キリスト教の教えと古代エジプトの教えを融合させ、さらに古代ギリシャの学者たちの間で注目されていた東方の知恵グノーシス主義と一体化させたことを契機に、知識信仰主義ともいえる運動を作り上げたことに起因すると言われているんだ。
以来その運動は歴史に見え隠れし、現代まで続けられているんだよ。
十字と薔薇のシンボルは、古くから存在してきたんだ”
私は、思い出した老人の話から、夢の中で今現在、テンプル騎士団と薔薇十字団の象徴記号が刻まれた空間に立っていることを実感したのです。
考えれば考えるほど、奇怪な夢でした。
記憶が消滅する前に、この夢物語をもっと書いておきたいのですが、怠惰な私にそれだけの気力を持続出来るものかどうかは分かりません。
2010年1月23日
フリーメイソンの内部で古代の知恵の源とされている伝説の「エノクの書」は、数千年前に失われてしまったと伝えられています。
この「エノクの書」が、旧約聖書から削除されたエノク書を意味しているのかどうかは、門外漢の私には知る由もありません。
賢者エノクは、ヘルメス・トリスメギスという三重に偉大なヘルメスの名で知られており、神々の書記で、芸術と科学の支配者として広く認知されている人物だそうです。
また、エノクという名前は、旧約聖書の中のメトセラの父親の名前としても知られ、長生きの一族なのだとか。
もう何十年も前に、ニューヨークのマソニック・サプライの老人から、聖書から削除されたと言われているものを可能な限り復活させた「失われた聖書」という、マソニックが出版した本を頂いたことがありました。
残念ながら現在は手元になく、カナダのトロント在住のある人物が所持しています。
確かその本を頂いた時、マソニック・サプライの老人が、現代でもエノクの名前と知恵を継承する賢者が存在しているといったようなミステリアスな話をしていました。
真偽はともかく、幾つになってもロマンを禁じえない話です。
それと前後して、その老人から、アフリカのマリ共和国のサハラ砂漠にあるティンブツクーという名前の都市に関して記された「失われた古代の黄金王国」という本も頂きました。
この本も同じく、マソニックによって出版されたものです。
この王国に関する歴史的な記述は、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの旅行記の中にも見出すことが出来るそうです。
この記録からの影響かどうかは知りませんが、17世紀から?世紀頃にかけて、多くのヨーロッパ人トレジャー・ハンターたちがこの地を訪れたそうです。
彼らは、ティンブツクーに点在していた古代の遺跡や、サハラの先住民族ドゴン族の墳墓や宗教施設の中に、古代フェニキアの富が隠されていると信じ、宝探しのためにそれらを破壊してしまったのだとか。
事実、現代ではこれらの地域一帯に、無残に破壊された数多くの遺跡を見ることが出来ます。
テンプル騎士団が聖地の神殿から持ち帰ったという富の伝説が、貪欲なトレジャー・ハンターたちを駆り立て、サハラ砂漠に残る古代文明の貴重な遺跡や遺物を無残にも破壊してしまったのですから、恐ろしい話です。
20世紀初頭ごろまでの考古学者や探検家の多くは、一皮剥けばトレジャー・ハンターだったようです。
映画のインディー・ジョーンズのように、古代の富を探して世界各地で活躍していたのでしょうが、迷惑な話です。
フリーメイソンの神話や、マソニックの内部で語られている古代ギリシャの神秘学派の教えや、古代エジプトの神官たちの話や秘儀などを、古代の思想や哲学として学習することよりも、隠された、あるいは失われた財宝を捜し求める手段としてしか理解出来ない人たちがこの世に一人でも存在する限り、古代の密儀や知恵が明らかにされることは無いのかもしれません。
マソニック・サプライの老人がある時、創造神はこの世界のファンダメンタルな真実を暗号化し、我々人間にメッセージを残していると語ってくれたことがあります。
また、世界や宇宙の成り立ちを、数学的に表したものも沢山あるのだと言っていました。
例えば、多くの植物の雌しべや花びらには、フィボナッチ数列が見られ、世界で一番難解なリーマンの数式という素数の数列の中に存在する、ある規則的な法則には、宇宙誕生の秘密を解く鍵が隠されているのだとか。
“物理学や数学や幾何学など、研究分野が細分化されていることに懐疑心を抱くことが、すべての始まりだ”という老人の話を、ふと思い出してしまいました。
2009年9月7日
ツタンカーメンの黄金のマスクは、広く世界に知られていますが、発見者は、
“棺の中にあった豪華な副葬品の数々よりも、遺体の胸の上にあった茶色に変色し枯れた小さな花輪に勝る美しいものはなかった”
と話していたそうです。
その花輪を目にした時、彼は幾千年の時を超えた人間の優しさと、愛する人を失った大きな悲しみを感じ、涙を禁じえなかったといいます。
あるフランス人の考古学者は、スペインの先史時代の壁画の発掘現場で、
“夢見る考古学者は何一つ発見することは出来ないが、ロマンティストであることは必須条件だ。夢見ることとロマンティストであることは、異なるのだ”
と言っています。
また、今は亡きイギリス人の考古学者は、イラクの砂漠に張られたテントの中で、酒瓶を片手にほろ酔い気分で、
“この足元の砂を掘れば遺跡があることが分かっていても、掘り起こさないのも考古学を愛する者の見識だ”
と語ったとか。
どこかの国のエジプト学者と古典的な考古学徒との間には、大きな溝というか違いがあるのかもしれません。
トレジャーハンターと違って、考古学者は何よりも子供のような興味と、好奇心に満ち溢れるロマンティストのようです。
弔いの花について、日本の騎馬民族渡来説で一斉を風靡した東大の名誉教授は、生前、中央アジアの騎馬民族は死んでも墳墓を草原には残さず、一陣の風と共に人生を完結させていたのだと語っていたそうです。
老教授の話す騎馬民族は、いつでも草原の輝きをもって、ロマンに満ち満ちていたとか。
彼に対する学問的評価はまちまちですが、私は、あるとき彼が語った考古学的貴重な発見の話と、先に触れたツタンカーメンの墓を発見した考古学者の弔いの花輪の話とオーバーラップして思い出してしまいます。
それは、モンゴルの草原で偶然発見された騎馬民族の墓を調査した時、人骨とともに墓の中から大量の花粉が検出されたという話です。
勇壮な騎馬民族の戦士が戦いで命を落とし、草原に葬られた時、仲間たちが草原に咲き乱れる名も無き草花を彼の遺骸に手向けた痕跡が、大量の花粉として発見されたのだとか。
同じように、日本の縄文遺跡から発見される人骨の周辺の土からも花粉が検出されており、埋葬の儀礼として、大切な人を失った家族や友人たちが手向けた弔い花だということが明らかになっているそうです。
1991年に第一次湾岸戦争が始まり、日本の自衛隊の掃海艇を現地に送るかどうか大騒ぎしていた頃、縄文時代についての研究者M・S氏は、縄文遺跡から発掘される人骨には、戦の傷跡が一切見当たらないと語っていました。
それに反して、弥生時代の墳墓から発掘される人骨は、頭骸骨が割れていたり孔が開いていたり、首や手足の骨が切断されていたり、矢尻や武器と思われる鉄片が骨に刺さったりした状態で、数多く発見されているのだそうです。
それらの事実から、縄文時代には争いが無かったと考えられ、弥生時代の人々によって、我が国に争いの文化がもたらされたのではないだろうかという自説を熱く語っていたとか。
また同氏は、ある講演会で、
“政治家や権力者たちが口を揃えて民主主義のためだとか、正義のためなどと言い始めた時は、いつの時代でも危険な時代の始まりだったのだから、今こそ私たち一人一人が、日本の先史時代には、西暦後の歴史よりも更にその幾十倍もの長い間、戦の無い社会が、文明が存在していたということを思い起こさなければいけない”
と警鐘を鳴らしていたそうです。
しかし同氏の講演直後から、我が国は、いや世界は、泥流のような歴史の土石流に襲われ、知恵や見識や良識は一瞬に呑み込まれ、濁流は現在にまで至っています。
正義を唱え、世界の邪悪なテロ集団と戦う聖戦など、本来なら有り得ません。
現在テロ集団とレッテルを貼られた人たちの中には、20世紀にはゲリラと呼ばれていた、少数で大規模な軍事力に抵抗する民族主義者が多く含まれているのです。
ヴェトナム戦争中にヴェトコンと呼ばれていたヴェトナム民族解放戦線は、アメリカを帝国主義者と罵しり、国内から駆逐するための戦いを長い期間続けていたのです。
そんな彼らも、現代ならば、世界の悪の権化、世界のならず者として、有無を言わさず世界の大儀という不条理の前に曝されていたかもしれません。
正義の側にいる人たちも、悪とレッテルを貼られた側にいる人たちも、いずれも同じ人間なのです。
最愛の人が、友人が、子供たちが、傷つき死んでいくのが戦です。
死者を前に悲しみにくれる時、手向けの花を供える時、過去にも同じ悲しみを味わった人たちが沢山いたことを思い起こし、時を越えて自分自身とシンクロさせてみて下さい。
そして、憎むべき敵の人々とも、同じ感情を共有しているということを考えてみて下さい。
辛いことですが、あなたに悲しみをもたらした側にもまた、あなたと同じように悲嘆にくれ、亡骸に弔いの花を捧げる人たちがいることを。
敵と味方が悲しみを共有出来た時、初めて“友愛”という曖昧な言葉の意味が明確になるのかもしれません。
2009年7月1日
古代エジプト人と現代のエジプト人との間には、何一つ共通項は見当たりません。
つまり、同系統の人種ではないということのようです。
古代のエジプト人たちは、自らをケメト(黒)と称していたようだと、ケンブリッジのキングス・カレジの学長エドモンド・リーチ氏は語っていたそうです。
彼らがどのような人たちだったのか、昔から多くの研究者が研究を重ねて来ても未だ結論には至ってないようです。
あるエジプト考古学者などは、古代エジプト人を安易に現代のエジプト人の先祖と称しているようですが、それ自体なんらかの確証があっての話ではないようです。
インダス文明のインド人や黄河文明の北方中国人、メソポタミア文明のイラク人(?)と同じように考えた上でのことなのでしょう。
一体どんな人たちなのかという興味はさておき、彼らが大ピラミッドの建設にあたって、そのアイデアはもとより、正確な角度と面積をどのように計算したのでしょう。
そうした知識を何ゆえに持ち得ていたのでしょう。
大ピラミッド群を王の墳墓だという規定の元に研究者たちが議論を続けているようですが、誰の墳墓だとか、ミイラや財宝などという興味が優先し過ぎて、物事の核心がどこかに行ってしまっているような印象を強く受けてしまいます。
数十年も前になりますか、日本テレビの創立記念特別番組として、現在も活躍中の学者が日本の大手建設会社の協力を得て、現代の最先端建築技術をもってエジプトに現代のピラミッド建設を試みる実験をしたことがありました。
その結果は、ミニチュアにも満たない小さな規模のピラミッドだったにもかかわらず、石材を数段積み上げた段階で、重圧のために石材が微塵に破裂してしまい、基底部からわずかの石組みさえ行う事が出来なかったようです。
壮大な実験は大失敗に終わり、エジプト政府から実験の残骸である石材の速やかな撤去を求められてしまったとか。
問題は石積み上の重力計算ばかりでなく、重力拡散の計算式や建築法が現代でも全く不明。
しかも建設当初には、大ピラミッドの表面は一部の隙間もなく張られた石灰石の化粧版で、完全に覆われていたといいます。
日本のピラミッド再現チームは、建設に大型ヘリコプターを活用しても全くその方法論が解からず、建築工学の知識を駆使しても、世界の英知を結集しても実現不可能という判断を下していた英国エジプト学会の冷笑を買ってしまったそうです。
古代エジプトの歴史学者ヘロドトスは、彼のエジプト旅行記の中に、“大ピラミッドの各側面の面積は、ピラミッドの高さの平方に等しい”という記録を残しています。
古代エジプト人によると、大ピラミッドの底辺の長さは、地球を360度に分割したその分数に対応しているのだとか。
この考え方は、現代では古代エジプトやバビロンに由来すると考えられ、一年の日数に基づいたものだと理解されているそうです。
余談になりますが、一般に世界最古のピラミッドと信じられているサッカラの階段ピラミッドは、マソニックの兄弟でエジプトに造詣の深い人たちの間では、ピラミッドの中で最も新しいものと言われており、古代エジプトで最古の建造物はスフィンクスで、最古のピラミッドは大ピラミッドになるそうです。
最古と信じられている稚拙なピラミッド群は、すべて大ピラミッド群を模倣して建築手法が不明のまま試行錯誤し、何とか創り上げた後代の建築になるのだとか。
真偽の程は不明ですが、“稚拙な形だから古い”という考え方は、長い文明を考える時には、百害あって一利なしの喩え通りとなってしまうようです。
単に稚拙だから古いという思い込みは、戒められなければいけません。“ヒエログリフは絵文字だから、エジプト文明は稚拙だ”などと判断してはいけないようです。
シャンポリオンによって解読されたロゼッタ石碑文で、すべてのヒエログリフが解読されたと思い込みがちですが、現代解読出来ているものは2割にも満たないそうです。
研究すればするほど、稚拙な絵文字ではなく未来永劫にまで伝達可能であるべく作り上げられた、普遍的な文字記号の可能性が高いのだとか。
ヒエログリフは、コンピューター世代にも対応する最先端の高級言語ではないのかという仮設を唱えている研究者もいるそうです。
2009年6月22日
前回の日誌にピタゴラスの名が登場しましたが、いつだったか老人がこのピタゴラスについて、また様々な図形の意味するもの、そしてピラミッドの役割などについて教えてくれたことがありました。
私は老人の奇想天外な話を聞くまで、古代ギリシャの幾何学者ピタゴラスについては、子供の頃に学校で習ったピタゴラスの定理以外に何も知りませんでした。
22年間エジプトに滞在していたピタゴラスは、メンフィスの神官と共に18年間古代の知恵について研究し、残りの4年間をエジプトのある場所で秘密の奥義について学んだそうです。
その後、ペルシャの征服者カンピュセスに伴ってバビロンを訪れ、最終的にはイタリアで学校を開き、幾何学を広めたのだとか。
ピタゴラスは、幾何学と空間には唯一絶対なる存在のメッセージが隠されており、五角形は争いを表し、六線星形は宇宙の六つの方角を示し、二重正方形は宇宙の調和の象徴∴になるのだと語っていたそうです。
老人は、“アメリカ国防総省の建物の形も五角形であることは、面白い類似だ”と笑っていました。
老人の語るところによると、ピタゴラスの教えはマソニックの内部で、神聖な三角形、清廉を表す正方形、自由意志を示す五線星形、調和を示す六線星形などという意味をもって語り継がれているのだとか。
定規が正確さを、木槌が意志を表しているとも話していましたが、どれも初めて聞くものばかりでした。
老人は次に、エジプトのピラミッドに関する話をしてくれました。
ギザの3大ピラミッドは、北東から南西に斜めの線を描くように位置しています。
カイロ市に隣接している大ピラミッドは、ギリシャ人からケオプスと呼ばれていたクフ王のものであり、古代のギリシャ人たちは2番目に大きいピラミッドをカフラー王のものと言い、一番小さいピラミッドはメンカフラー王によって建設されたといわれているそうです。
現代のエジプト学者や考古学者の中には、ピラミッドが正確に磁石の北を指し示しているばかりか、占星術で基本宮のアリエス、キャンサー、リーブラ、カプリコルヌスの4宮とも一致していることから、古代エジプトの神官や技師たちは、天文学や測量の高度な知識を持っていたに違いないと言う人たちもいるとか。
またある人たちは、大ピラミッドと隣接する二つの小型のピラミッドは、その影のパターンが羅針儀の役割を持っているとか、ピラミッドの頂と影の関係に測量器具の方向を決める機能があると唱えているのだそうです。
これらの話は、古代ギリシャのデオドロス・シクロスの説に論拠を求めることが出来るのだそうです。
さらにマソニックの兄弟たちの中には、大ピラミッドは黄金文明の知恵を伝えるタイムカプセルだとか、宇宙を支配する唯一絶対の存在の知恵を凝縮し暗号化された宝箱だという人もいるそうです。
その兄弟たちは、大ピラミッド建設に利用された石材一つ一つの高さや長さや奥行き、積み上げられた総段数や高さや底辺の長さ、斜面の長さなどすべての数値に暗号化された神のメッセージが隠されていると信じ、古代から語り継がれてきた神話を真摯に研究しているのだとか。
次回からは、タイムカプセル、暗号化されたメッセージについて、老人からの伝聞の一端について紹介していこうと考えております。
2009年6月2日
古代フリーメイソンの精神を引き継ぐ兄弟たちが捜し求めている知恵とは、科学の心(科学的な合理性を重んじる心)なのだと聞きます。
例えば、ピタゴラスはこれを幾何学の中に反映させ、プラトンは哲学に、そしてソロモンは律法に持ち込んだと考えられているようです。
しかし古代フリーメイソンのいう科学を知る上で、これらの話はほんの一部で氷山の一角にも値しないものであり、古代の賢者たちの名前にもかかわらず、真理の一側面にしか過ぎないのだとか。
フリーメイソンこそがピラミッドやゴシック建築の技術者であり、工学の学者そのものだという話も聞いたことがありますが、その真偽については一切分かりません。
いずれにしても、古来のフリーメイソンは、科学を探求する学者であり続けてきたのだそうです。
フリーメイソンの紋章の中に、神(God)、神の英知(gnosis)、あるいは幾何学(geometry)の“G”という文字があることを考えれば、秘密結社フリーメイソンとは世に言われている政治的な陰謀集団というよりも、古代から語り継がれてきた科学の信奉者集団なのかもしれません。
そこで思い当たるのが、ダビンチ・コードの作者の次なる映画「天使と悪魔」。
トム・ハンクス主演で日本でも公開されていますが、今回は科学を信奉する集団イルミナティが登場するようです。
これらとフリーメイソンとが混合し、誤解されてしまいそうな話のようですが、映画はあくまでもフィクションですから、映画から得た知識を基にフリーメイソンについて語るのは、“群盲象を評す”ということになりかねません。
フリーメイソンには多くの秘密(学ばなければならない知恵と知識)が存在し、兄弟たちは階位が一段階上がるたびに、それらの意味をひとつずつ学んで行かなければならず、その道は気が遠くなるほど険しく長いと聞きます。
さて、話を戻しましょう。
マソニックの兄弟たちを堅く結び付けているものもまた、科学の心だと聞きます。
そして彼らは共通して、古から語り続けられて来た知恵に対する敬意と、過去の世界に真実を再発見しようという意欲があるのだとか。
“君に一つヒントをあげよう。
聖ベルナールが神とは何かと自問自答した末、「神とは、長さ、高さ、幅、深さである」という答えを得たという話がある。
なぜマソニックにとって科学が最重要なのかということを考える上で、聖ベルナールの言葉を忘れてはいけない。
いついかなる時も、彼の語る神についての言葉を大切なキーワードとして考えなさい”
これは、例の夢の老人が私に教えてくれたことです。
またある時、
“黄金の文明から銀の文明、そして青銅、鉄と続いてきた世界を、いつの時代にも内部から崩壊させてきたのが、「文字の妄信者」である人類優位主義者たちであることを忘れてはいけない。
そして、なぜ人類が幾何学を持つに至ったのか、科学を持ち得たのかという根本的問題を考えることは、社会的秩序、権力の正当性、徳を重んじる社会に対する背信行為であり、反逆者の証となってしまうことも覚悟しなければならない。
また兄弟たちは、国家や国民の記憶を歴史としてきた社会に、大いなる疑問を抱き続けなければいけない。
最も重要なことは、市民の記憶に立脚した歴史観を自己の内部に宿し、古からの普遍的価値に基づく視座を確立することだ”
とも話していました。
さらに、
“歴史の垢、塵に深く埋没してしまった過去の世界の真理を、日常生活の中から注意深く探り出す努力を怠ることは許されない。
そして、その普遍の灯火の存在について確信し、その灯火に向かって迷うことなく歩み続けることこそが、人間一人一人に架せられた自由を守る義務を果たす術であることを認識しなければならない。
善き人となることに持ち得た能力を浪費してはいけない。
社会の善き人たちの言葉を拝聴している時間は無いのだから。
オカルトやまやかしと指差されても、「宇宙の真理」の存在を確信し、古代の賢者グノーシスたちから、多くの隠された知恵を学ばなければならない。
それこそが真に兄弟たちに求められていることだ”
という話も、確かに一昔前に聞いた覚えがあります。
世の中の森羅万象の不思議さに、子供のように純粋な目を持ち、そして驚嘆し、感動していくことこそが真摯な態度なのかもしれません。
すでに社会に浸りきった俗物の私が、雲を掴むような彼の話を素直に受け止めることなど不可能なのかもしれませんが……。
2009年5月24日
台風を契機にこのところ停電が頻繁に起こり、ジェネレーターもオーバーワークのようです。
昨夜は、いつになく長い間暗闇が続き、ローソクの炎の揺らぎを眺めておりました。
一昔前の話になりますが、f分の1の揺らぎが人間の感覚にもたらす癒しの効果などということが話題となり、多くのテレビCMで取り上げられた時期がありました。
このf分の1が私の曖昧な記憶を揺り起こし、その結果、“ピタゴラスの定理”とか、“フィボナッチ数列”などいくつかの言葉を記憶の奥底から引き出してしまいました。
しかし、一度は覚えたことがあるから記憶していたのでしょうが、どんなものであったか何一つ思い出せません。
老化現象が顕著になったのではと心配になりながら、電気が復活し明るい世界に戻ったところで、直ちにインターネット検索を試みました。
最初にフィボナッチ数列※を調べ、見慣れぬ数式が羅列された画面にしばし固まってしまいましたが、気を取り直して文字の部分だけを拾い読みし、何とか意味を把握することが出来た次第です。
※フィボナッチ数(Fibonacci number)とは、イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチ(ピサのレオナルド)にちなんで名付けられた数であり、n番目のフィボナッチ数をFnで表すと、
F0=0、F1=1
Fn+2=Fn+Fn+1(n > 0)
で定義される。
この数列はフィボナッチ数列と呼ばれ、最初の数項は0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13,
21, 34, 55, 89, 144, 233, 377, 610, 987,…である。
定義より、どの項もその前の2つの項の和となっている。(ウィキペディアフリー百科事典より)
その結果、突然“黄金比”だの“1.618”だの“オウムガイの螺旋”だのという言葉まで頭の中を駆け巡り始め、いくつかのサイトを閲覧させて頂くに至りました。
あるサイトで、“オウムガイの巻き方にはフィボナッチ係数があてはまり、黄金比の1.618が確認出来るという古来からの言い伝えは伝説でしかなく、根拠はない“といった執筆者の私見が紹介されていました。
またその中で、“数学者の秋山氏が言い伝えの正しさを証明する根拠としたオウムガイは、その切断方法が正確でなく、黄金比をアプローチするために斜めに切断したこじ付けにすぎない”と異議を唱えた一節を目にしました。
その瞬間、私の内部にある変化が起こり、今まですっかり忘れていた、あの老人の声が脳裏に響き渡ったのです。
しばらくご無沙汰していた不思議な老人の声は、いつものように聞き手の私の理解力のキャパシティを無視して話し続けました。
“伝説は伝説で何の根拠も無く、現代の科学こそが万能であり、事実こそが真実だと浅薄な知識を妄信する多くの人たち。
現代の賢者たちの話はさておき、なぜそんな伝説が古来から言い伝えられてきたのかという疑問を持つことこそが重要なんだよ。
現代科学と共通する記号や数が伝説の中に僅かでも含まれていると、やれ数値が矛盾しているとか、単なる偶然だなどと稚拙な話になってしまう。
神といえば宗教しか思い浮かばず、神秘的などと言えば直ちにオカルトと烙印を押したがる多くの人たちに、異議を唱えたり反論したりすることなど一切不必要。
私の話を聞いている君などは、疑いなく変人、異端者になり、馬鹿な老人、果ては狂人と指差されるのがおち。
君に出来る事はただ一つだけ。狂人であることを誇りに、ひたすら普遍的価値を信仰さえしていれば十分。
社会から善き人と褒められる事を求めず、自ら善き人になる努力を否定し、社会に迎合する事を戒め、社会の塵と罵られるような人生を生きていけばいいんだ。
白いエプロンを身に付けて兄弟たちとパレードすることや、安易な慈善を社会に施して自らを救済することなどを一切否定し、ひそやかに生活していれば良いだけなんだ”
と、例の激しい口調で語り続ける老人。
老人の話は、やがて彼の持論というか、古から伝承されてきた記憶に関する内容へと変わっていきました。
“過去人類が辿って来た4つの文明を認識し、その始まりであった黄金の文明期の普遍的価値観をファンダメンタル・ユニットとして学び、思考することを一瞬たりとも怠ってはいけない。
知恵の源である賢者エノクの書、つまりは三重に偉大なヘルメスという名前でも崇められているヘルメス・トリスメギストスに学び、神々の書記にして芸術と科学の支配者と共に、世界を再建し、調和を回復し、黄金期の文明を取り戻さなければいけない。
その力はエジプトにあることを信じ、我々は「混沌から秩序」をスローガンに、初源に立ち返る努力を心がけなければいけないんだ“
老人の言葉を信じ、これからしばらくの間、古の賢者たちについて話を進めて行きたいと思います。
神話や伝説の類であり、ともすればオカルトだと指差されてしまいそうな話にも、これから1〜2回に渡って触れていかなければならなくなってしまったようです。
2009年2月4日
検査入院中、44代アメリカ合衆国大統領の就任式のテレビ中継を見ました。
静かで落ち着いたオバマ大統領の就任演説は、変化を求める多くの人々に深い感銘を与えたとか。
毎度の事ですが、アメリカ大統領の演説は翌朝には日本の各新聞でも全文が紹介され、ある英会話教室では演説原稿をテキストに公開レッスンが始められるなど、様々な方面にまで影響を及ぼすようです。
国会においても、麻生総理の所信表明の内容がアメリカ大統領の就任演説と比較され、“内容が無い。軽い。感動を受けない。無意味”などという酷評が、テレビの報道番組を駆け巡っています。
オバマ大統領の就任演説を巡る話題は、ここしばらくは尽きることがなさそうです。
このようにオバマ大統領の言葉は、世界中の人々にまで影響を与えたようですが、私もその中のひとりです。
彼の言葉が引き金となり、世界の関心とは全く無縁のことではありましたが、私は、幾度と無くこの旅日誌に登場したあの老人から聞いたある話を思い出してしまいました。
かつて1ドル紙幣に描かれている“ピラミッドと目”についてお話したことがありましたが、これから書くのは、老人から聞いたこの“ピラミッドと目”の違った意味についての話です。
多くのフリーメイソン研究者や愛好者の間では、世界のフリーメイソン・ロッジで見ることの出来るこのマークと同一のものが1ドル札に記されているという認識ですが、老人の話は少々異なっていました。
あの“ピラミッドと目”は、1ドル札のデザインとして用いられたマークである以前に、アメリカ合衆国の国璽(その国家を代表する印)として選ばれたものであり、マーク自体が国璽の一部なのだそうです。
そして、この国璽のデザインをルーズベルト大統領に強く推したのは、副大統領のヘンリー・ウォーレスだったと老人は語っていました。
では、なぜヘンリー・ウォーレスは、世界のフリーメイソン・ロッジで見ることの出来るこのマークと同一のものを国璽のデザインとして取り入れたのでしょうか。
老人は、“ピラミッドは、上方にある究極の啓示の源へ向けての集束を意味する神秘のシンボル。三角形の中の目は、トリナクリアと呼ばれている”というようなことを言っていました。
“意味は知りませんが、フリーメイソンの象徴であることには違いないんでしょう?”
と言う私に、彼は、
“本当は、イルミナティの象徴だと言う人たちもいるんだよ”
と説明を始めました。
そういった人たちは、あのマークを“輝くデルタ”と呼び、啓示に従って恐れることなく歩んでいくことへの願望を意味し、その中の目は、万物を見透かせるイルミナティの力を示していると信じているのだそうです。
またアンシェント・マソニックの人たちは、意味は同じながら、あの目を“キングヒラムの目”と呼んでいるのだとか。
イルミナティの研究者だけではなく、アンシェント・マソニックの人たちも同じように、輝く三角形は啓示の象徴だと言い、同時にギリシャ文字のデルタの象徴でもあると言っているそうです。
“数学でデルタの意味するものは、変化とか推移になるんだけど、国璽が表しているのは、人が啓示に満ちた世界へ到達するために、知恵を得たいという願望なんだ”
と、老人はまるで、私にではなく自分自身へ向けて語りかけているかのようでした。
また、この“人が啓示に満ちた世界へ到達するために、知恵を得たいという願望”を、“新世界秩序”という人もいるのだそうです。
国璽の中に記されている“ノウス・オルド・セクロラム”というラテン語は、“新世紀秩序(ニュー・セキューラー・オーダー)”と訳すことも出来、セキューラーには“非宗教的な”という意味もあるのだとか。
“その隣に英語で記された「われらは神を信じる」という言葉と矛盾するんだが、イルミナティやアンシェント・マソニックはすでに消滅したと言われているのだから、彼らに詳細を聞くことも出来ないしね”
と笑っていた老人の姿が懐かしく思い出されます。
老人によると、副大統領のヘンリー・ウォーレスはフリーメイソンで高位の階級に属し、イルミナティにも属していたという話もあるのだそうですが、彼が会員だったのか、ただ思想的な影響を受けていただけなのかは誰にも分らないとのことでした。
フランクリン・D・ルーズベルト大統領に、“ノウス・オルド・セクロラム”=“ニューディール”と教えたのもウォーレスだったそうです。
ルーズベルト大統領は、この“ピラミッドと目”を含む1ドル札のデザインを発行の前に公にすることなく、フリーメイソンの同志だった副大統領のヘンリー・ウォーレスと二人だけの秘密にして財務省に印刷の指示を出したのだとか。
なぜ私が1ドル札の国璽に纏わる話を、オバマ大統領の就任演説を契機に思い出してしまったのか、もう皆様にはお分かり頂けたことでしょう。
そこで皆様には、是非ともオバマ大統領の就任演説の全文をお読み頂くことをお勧め致します。
その際に、先に触れた老人の話を思い出して頂ければ、一般的認識とは一味違った意味をお感じになれるのではないかと思います。
オバマ大統領が選挙戦を通じて国民に呼びかけていた“CHANGE”は、変革や変化を意味する言葉ですが、老人流に解釈すれば、未来に変化を求めるのではなく、原点回帰を意味していると言えます。
よってオバマ大統領の唱える“CHANGE”は、アメリカ再建のために新たな変化を追及するというよりも、ルーズベルト大統領の唱えた“建国の理想に立ち返えろう”という精神を意味しているのかもしれません。
1ドル札の誕生は、1ドル銀貨が紙幣に切り替えられたというだけではなく、普遍的価値のファンダメンタルへの回帰を意図し、その象徴として1ドル銀貨を紙幣に“CHANGE=変化”させたのではないでしょうか。
1ドル札に記された国璽の中には、建国の高邁な理想がすべて内包されており、オバマ大統領の演説にもまた、この1ドル札に込められた古代の知恵への熱い想いが表れているように思えてなりません。
余談になりますが、アメリカでは1ドル札を“Green Note”という習慣があります。
ルーズベルトの“ニューディール”と、オバマ大統領の掲げる“グリーン・ニューディール”。
なにかしら不思議な符合を感じられてしまいます。
もうひとつ余談ですが、何の脈絡もなく私の記憶の扉が開かれてしまい、マーガレット・マナリン・ミッチェルが1936年にマクシミリアン出版から初出版した“風と共に去りぬ”の一説が頭に浮かんで来ました。
“風と共に去りぬ”は、オバマ大統領が敬愛するリンカーン大統領時代の南北戦争を背景とした長編小説です。
この作品の中に“フリーメイソンの会堂は残っています。商店も幾らかは残っています。しかし商店街や鉄道沿線やファイヴ・ポイントなどは消失し全滅です”と、フランクがアトランタを逃れた一家の婦人たちに、北軍侵攻後のアトランタの街の様子を説明する場面がありました。
アメリカ合衆国44代大統領の就任演説の内容は、“必要な時に、必要なものは理解出来るのだから、その時の到来を待っていればいい”と言っていた老人の言葉を思い起こしてしまうような出来事でした。
2008年11月4日
メンバーになって1年でマスター・メイソンになられたという優秀な方にお会いした時の話になります。
“こんな話を知っていますか?”と、その方は、街のあちこちにあるフライドチキンのチェーン店の前に飾られている創立者の人形について、面白い話を紹介してくれました。
昔、阪神タイガースが日本シリーズで優勝した時、道頓堀に投げ込まれてしまったものもありましたが、その人形も含めすべての人形のジャケットの襟元には、ロータリークラブのインターナショナルの徽章と、フリーメイソンの高いヒエラルキーを示すシュライン(神殿)の徽章が付いているのだそうです。
いろいろなフリーメイソン研究者やフリークたちの話の中で、一度も耳にしたことがなかったので驚いてしまいました。
その出来事の後、例の人形を見つけたので、近くに寄って確かめてみたことがありますが、確かに胸にはクレセントと半月刀のマークが付いていました。
フリーメイソンの秘密といっては、誰と誰がメンバーだったなどと好んで語られている中、街の至る所にフリーメイソンのシュラインの徽章を付けた人形が立っているのですから、秘密好きの人たちにはあまり聞きたくない話になるのかもしれません。
情報の稀少性が秘密たる所以なのですから、あからさまになっていたのでは価値も半減してしまうのでしょうか。
今度フライドチキン店の前に立っている人形を見つけたら、人形の襟章にもちょっと目を向けてみられることをお勧めします。
それほどにフリーメイソンのメンバーであることが公になっているのですから、自分がメンバーだと言う方がいらっしゃっても、決しておかしなことではありません。
但し、自分自身がメンバーであることを明かすのは許されても、他の方のことについて口外することは許されていないのだとか。
したがって、“自分も、あの人も……”などと語る方がいらしたら、軽く聞き流しておくのが賢明なようです。
お節介の片棒を担ぐのは、愚かなことですから。
話は少々変わりますが、エジプト市内にオープンしたフライドチキン店の前にも、創立者の人形が飾られているそうです。
この店のオーナーは、人形の目線の先とスフィンクスの視線が一直線に繋がるように配慮して、店舗の開設地を選定したのだそうです。
なぜスフィンクスの視線の先に店を開設したかったのか、その訳を聞いた者は誰もいないそうなので、オーナーだけが知る高度な秘密ということになるのでしょう。
私には分かりませんが、その意味について推測してみるのも大切なことなのかもしれません。
2008年10月27日
私が師と仰ぐ彼の話自体が大人向きの神話でしかないことは、今まで何度も言ってきましたが、それをことさら強調したかった訳ではありません。
ただ、目くじらを立てておとぎ話の真偽について論議したところで、何も始まらないということをお分かり頂きたかったからです。
世の中には、マソニックやフリーメイソンの神話や秘密が無数にありますが、その中の一つにもならない話ばかりで申し訳なくなってしまいます。
先日、UFOが登場する元90階位だったという自称?キリスト教伝道師の暴露話が、アメリカのイエロー・ペーパーで紹介されていたという話を耳にしました。
本当に多種多様な話があるものです。悪魔教やイルミナティー(光?)という専門的研究者の方々に良く知られた団体もあれば、国際政治や世界経済を陰で操るユダヤの秘密結社など、バラエティーに富んだ内容の話が盛り沢山で、ミステリー・ファンには飽きることがない永遠のテーマかもしれません。
私の話も、壊れきった人物に心酔してしまった哀れな爺さんの世迷言。
何が真実で何が秘密かなどと詮索するレベルに達した話ではないのです。
18世紀のフランスで、薔薇十字団こそがフリーメイソンの始祖?というテーマで、フリーメイソン研究者が大論争を行ったという話があるそうです。
この論争中、論者の1人が作成した400頁に及ぶ研究論文を、どういう理由かは不明ですが、対立する論者が90頁も破り捨ててしまったのだとか。
その結果、謎は謎のまま現代に残されたと言う人もいます。
中世ドイツでは、ストーンメイソンのユニオン的色彩が強い初期活動も、後に古代ギリシャの超神秘主義学派からの影響を受けた人々の手で、古代ギリシャに源を置く古典主義へと変化していったのだとか。
それに対しフランスでは、ドイツ的経緯を経ることなく、初期から極めて政治的な色合いが強かったそうです。
ローマ教皇との対峙から階級制を否定し、王政を廃止して共和制に移行することを提唱したフランス革命の急先鋒がフリーメイソンだったという話は有名です。
こうした政治的活動を支えるために多くの財源が求められ、こうした活動が更なる多くの神話を世に排出する原因となってしまったのかもしれません。
当時の社会状況から、フリーメイソンは危険分子の秘密結社で、豊かな経済力に任せて社会を混乱に陥れ、世界に君臨することを意図した悪意ある組織であるという認識が、王侯貴族の間では一般的だったようです。
王政派にとって共和制という考えは許しがたい危険思想であり、熾烈なフリーメイソン狩りや弾圧が行われたとか。
作品の内容が危険思想だと信じたオーストリア国王は、モーツアルトが共和制支持者原作の“歌劇フィガロの結婚”を上演することに難色を示したという話も現代に伝わっています。
また19世紀後半には、ヨーロッパやロシアなどの多くの国で、“フリーメイソンはテロリスト”というレッテルが貼られたのだそうです。
2008年9月7日
(2008年8月31日の続き)
ファウストの後半部分には、ゲーテとドイツのフリーメイソンとの関わりと考えられる箇所が沢山あります。
天文博士
不思議な力によって、ずいぶんがっしりした
古代の神殿がここにあらわれてきた。
むかし天を支えたアトラスのように、
円柱が沢山列をなして立っている
二本だけでも大きな建物をささえるくらいだから、
これなら十分、石の重みにもたえられよう。
建築師
これがいわゆる古代様式ですかい、褒められませんね。
ぶざまで重苦しいとでも評しますかね。
生硬なものを高貴といい、不器用なものを雄大と称するんです。
私の好きなのは無限に上へ昇ろうとする狭い柱です。
尖頭迫持の天井は精神をたかめてくれます。
そうした建築こそわれわれには一番ありがたいんです
という“騎士の間”での場面もそうです。
ゲーテは若い頃、シュトラースブルクにあるゴシック様式の大聖堂を見て、ゴシック建築を賛美したそうですが、その頃のゴシック様式の建築に対する印象を、ファウストの中で軽薄な建築師の台詞として用いたのではないでしょうか。
なぜならその後ゲーテは、晩年までゴシック様式を野蛮であるとして嫌い、もっぱら古代様式に傾倒していたと思われるからです。
ファウストの作中には、ゲーテがアテネやローマのパンテオンのような古代建築を思い浮かべながら創作したと思われる箇所が多くあります。
ドイツ国内で社会的関心を集めていたゴシック様式の大聖堂に聳える尖頭に畏敬の念を持っていた若年時のゲーテは、それらの建造物がストーン・メイソン(石工組合)の手によるものと知り、それによってフリーメイソンと出会うことになったのかもしれません。
アイルランドやスコットランドから、石の加工技術や古代ピタゴラス学派から伝承されていた建築技術の知恵を携えて、フリーメイソンがドイツの北方森林地帯に渡来して来たという事実が、若いゲーテの興味を引いたのでしょうか。
ゲーテの作品の中に出て来る、“ゴシック建築物の平面図が十字の形をしている”という表現や、彼が終生持論としていた“自由とは、人から与えられたものでは価値が無く、自分自身の手で作り出すもの”という言葉などから、ドイツのフリーメイソンとの関わりを感じてしまいます。
しかしドイツのフリーメイソンとの関わりを端緒に、ゲーテは北方ヨーロッパの文化と南欧の文化が融合した事実などについても学び始め、古代ギリシャの学問の体系を修得する中で、アンシェント・メイソンの世界に足を踏み入れていったのかもしれません。
その後の様々な作品の中では、北ヨーロッパ的中世キリスト教社会を暗さの象徴、古代より繋がる文化を明るさの象徴として、ドイツで確立したゴシック様式と、南欧を経由して渡来したビザンチン様式を対照しています。
こういったことからして、ゲーテはこの時期にはすでに、ゴシック様式から古代様式に傾倒していたと思われます。
ゲーテがアンシェント・メイソンの世界に足を踏み入れていたことを思わせる事柄として、1829年3月23日のエッカーマンの記録に、ゲーテが建築芸術は凝固した音楽であると発言したとあります。
また、先ほど引用したファウストの天文博士と建築師とのやり取りの後に、
円い柱も、その上の三条の飾り(※)も鳴り響きます。
まるで神殿全体が歌っているかと思うほどです。
※長押の中層の帯状装飾フリーズについている飾りのことで、アテネのパンテオンのようなドリック様式の建築特有のもの。
という場面もあります。
これらから、ゲーテがピタゴラス学派の提唱した建築学に関する考え方や、オクターブ理論(ピタゴラス学派が提唱した音楽理論で、1オクターブ間の音の周波数は2倍になり、物理学的に完全に調和して響く音程という考え方)についての造詣を深めていたことが窺えます。
数学的差異があるものはすべて音韻を響かせるから、完全な建造物はすべて完全な音楽となり、天空の音楽にも通じるというピタゴラス学派の学説を、ゲーテはファウストの中で紹介しているのです。
この事実からして、ゲーテはアンシェント・マソニックに通じた人物だったのではないでしょうか。
若い頃はゴシック建築を賛美し、その後長い間ゴシック様式を野蛮であるとして古代様式に傾倒していたゲーテが、再びゴシック様式を認めるようになったのは、晩年、亡くなる前の僅かな間だったそうです。
アンシェント・マソニックもフリーメイソンも同一であるという考えに至ったからなのかもしれません。
2008年8月31日
エジプトのアレクサンドリア・スクールや東方のグノーシスなど、古代から受け継がれた学問や知恵を基礎にして新ピタゴラス学派や新プラトン学派が生まれたことは、今まで度々触れてきました。
アンシェント・マソニックの中には、ゲーテ(1749〜1832)が新ピタゴラス学派や新プラトン学派の超神秘主義から多くの影響を受けたことにより、ドイツ古典主義が確立されたと信じている人も多いと聞いたことがあります。
ゲーテの作品の節々に、アンシェント・メイソンやドイツのフリーメイソンに関連した記述を容易に見付け出すことが出来るそうですが、モーツアルトに比べゲーテの話は、あまり聞くことのないここだけの話ということになってしまうようです。
私は過去にもこのHPでゲーテについて触れてきましたが、いずれも師と仰ぐ人物からの又聞きでしかなく、学問的に検証されたものではありません。
しかし、昔からの言い伝えには、それなりの意味や意図があるものと考えれば、この話も荒唐無稽な笑い話と即座に断定することは出来ないのかもしれません。
いずれにしても、暑い夏の夜に眠れぬ貴方へ贈る、古から漏れ伝えられてきたおとぎ話であることに変わりはありません。
そんな訳で、今回もまた私の師の話してくれたおとぎ話にお付き合い下さい。
ゲーテとアレクサンドリア・スクールやアンシェント・マソニックとドイツのフリーメイソンの関わりについて聞き、驚いて目を丸くしている私を無視するように、彼は、
“ゲーテほど自己の精神的成長の過程や変遷を、ありのまま素直に作品に反映させた人は少ない。ゲーテの色彩論や代表作ファウストを常に身近に置き、生涯を通して幾度と無くランダムに読んでいれば、君にもいずれ何の前触れも無く突然その時が訪れ、氷が融けるようにごく自然に分かる日が来るよ”
と言うのでした。
そして、旧約聖書について彼が語ってくれた時と同じように、
“分かろうとして読んではいけない。君の理解力は、君の僅かな知識の範囲に限定されたもの。ゲーテの真意とは全く無縁でしかない”
と、逸る私に釘を刺したのです。
文字の意味を脈絡無く羅列して、“うーん難解だ”と自己満足してしまうだけだと言われてしまったのですから救われません。
ただ眺めていればいいと言われた時から現在まで、光陰矢の如く四半世紀もの時が過ぎ去ってしまいました。
未だに“その時”は訪れませんし、絶えず身近に本を置いてもいなかったのですが、最近になって無性にゲーテが気になるようになり、ついファウストを買い求めてしまいました。
それ以来、この本を開く機会が日ごとに増えて来たことは事実です。
(次回に続く)
2008年8月24日
フリーメイソンに多くの神話や伝説があるように、マソニックに関する話題にも事欠かない状況に、
“どうも世の中の多くの人たちは、マソニックと聞くと黒魔術やオカルト集団と決め付けてしまうようだ”
と、遥か昔に消滅してしまった文明に思いを馳せるような眼差しで、室内に飾られた品々を眺めながら、彼が私にそう語ってくれたことがありました。
私は先日、彼を思い出しながら、 “マソニック”というキーワードでインターネット検索してみました。
するとそこには、マソニックという名の付いた健康器具や健康食品などのサイトが羅列していました。
この現実を彼が見たら、はたしてどうコメントするのか興味あるところですが、残念ながらもうそれを聞くことは出来ません。
さて、以前私がマスターメイソンの方にお会いする機会があった際、“マソニックとは簡単にいうと、アメリカ建国以前にすでにアメリカに住んでいたフリーメイソンの方々が組織していたロッジの一つで、現在では、古い伝統的儀式を重んじる古典形式主義とでも呼べそうな活動を行っている人たちのことだ”という話をして頂きました。
アメリカ建国に功労のあった55人委員会とは無縁のフリーメイソンということになるのでしょう。
マソニックの集会の際には、テーブルの上に髑髏や裁判官の持つ木槌が置かれ、参加者はエプロンをしており、イニシエーションの儀式には剣まで登場すると聞きますが、こういったおどろおどろしいマソニックの印象が、伝統芸能的なイメージを強めているのかもしれません。
特に政治的経済的活動を担う人々、いわば社会の勝ち組のエリート集団や、軍人や警察官の会員が多く、どこか選民的な雰囲気を漂わしている現代のフリーメイソン。
もはやマソニックとは、回顧主義でノスタルジックな年寄りクラブといった意味しかないのかもしれません。
この旅日誌は、あくまで古い知人で師と仰ぐ人から聞いた話が中心の極めてプライベートなものであり、なんら権威も資格もない“歴史に夢を見るロマンティスト”である彼からの伝聞です。
したがって、古代ギリシャや近世ヨーロッパ、古代アルメニアやペルシャなど世界各地の旅人が、旅先で出会った“不思議な老人”や神官から聞いた話をまとめたものなどとはレベルが違い、全くの茶飲み話でしかありません。
私がかつて耳にしたことのある話を元に、知りうる語彙を脈絡無く結びつけただけの勝手気ままなもので、暑い夏の夜に眠れぬ貴方へ送る古から漏れ伝えられてきたおとぎ話なのです。
当HPは、決してフリーメイソンやマソニックを誹謗中傷するものではなく、古代のロマンに憧れた“年寄りの恋文”にすぎませんので、そうご理解の上、寛容に受け止めて頂ければ幸いです。
2008年8月17日
アンシェント・マソニックを語る上で大きなウエイトを占めているのは、アレクサンドリア・スクールに関する話題です。
アレクサンドリア文庫が消失した後も、アレクサンドリア・スクールはマソニックの世界で生き続けているそうです。
1516年にイギリスのトーマス・モア(1475〜1535)がユートピアを出版したことは、広く知られています。
ギリシャの哲学者プラトンが、祖父のクリティアスから聞いたという大きな島について書き記した“アトランティス”という物語がありますが、アンシェント・マソニックの間では、トーマス・モアの“ユートピア”は、アレクサンドリア・スクール在学中にそれを基にして書き上げられたものだと言われているそうです。
プラトンの祖父クリティアスがギリシャの7賢人の1人ソロンから聞いたアトランティスの話は、ソロンがエジプトのナイル河口の町サイスで、神殿の神官から聞いたものだそうです。
当時サイスの神殿には、世界各地で起きた古代の様々な事件についての膨大な記録パピルス文書が保存されており、ソロンはそこで紀元前1万2千年に滅んだとされるアトランティスの話をはじめ、様々な古代の出来事について学びました。
そして、この膨大なパピルス文書をより良い環境で保存していくためのアレクサンドリア文庫と、それらを学ぶためのアレクサンドリア・スクールを設立したそうです。
このアレクサンドリア・スクールの存在と膨大な過去の記録と知恵を、時代を超えて伝承し続けることが、アンシェント・マソニックの重要な使命になっているのだとか。
紀元前の遥か昔から現代に、そして未来に生き続けるアレクサンドリア・スクールなどという話は信じがたいことですが、16世紀初頭にトーマス・モアが入学する際に900問にも及ぶ試験を受けたことが、19世紀末に書かれたフリーメイソンの歴史書の中でも紹介されています。
また驚くことに、カエサルによって焼失したはずの膨大なパピルス文書の大半が、今も世界のどこかに密やかに保存され続けているという話もあります。
それらの人類の貴重な遺産は、決められた時、決められた場所で、太古に定められた3人の人物が会し、それぞれの持つ3本の鍵によって秘密の扉が開け放たれることで日の目を見るのだそうです。
世界各地に分散しているという3本の鍵は、お互いに全く面識が無く、鍵の意味も一切分からない者たちによって、時代を超えて受け継がれているのだとか。
気の遠くなるような話ですが、こうした神話は、アンシェント・マソニックの世界では昔から語り継がれているそうです。
マソニックにとってもフリーメイソンにとっても大切なシュラインは世界各地にありますが、アンシェント・マソニックの人たちは、サンフランシスコのシュラインとスコットランドのシュラインをより重要視していると聞きます。
なぜなら、この二つのシュラインこそが、現代のアレクサンドリア・スクールに通じる狭き門と信じているからだとか……!?
2008年8月12日
彼は、マソニックの起源を知りたいという私を、ロマンに溢れた壮大な古代史の世界に導いてくれました。
古代のギリシャの哲学の系譜と、古代オリエントやエジプトとの関わりについて、大学や研究機関では知り得ないことを、懇切丁寧に教授してくれたのです。
はたして彼の語ってくれた内容が、フリーメイソンやマソニックの世界でどれほどのものかは知りませんし、また知り得る術もありません。
しかし私にとって、何よりも尊く貴重なものであることに違いはありません。
彼は、
“まずは、アレクサンドロス大王の遠征の話から始めよう。それが一番だから”
と語り始めました。
若きアレクサンドロス大王のインドへの遠征が、古代の哲学や社会思想史に与えた影響は大きく、マソニックの源流の一端を担ったことも否定出来ない事実だそうです。
インダス文明からの数学の概念や科学技術に関する知識、バビロニアやペルシャの宗教、またインドで誕生した仏教に、中央アジアで発展したゾロアスター教やマニ教、そして遠くツングースのシャーマンの知恵なども含めて、多くの思想や知恵がアレクサンドロス大王の遠征によってギリシャ国内にもたらされました。
それらの情報は、新たな学問を誘発し、当時のギリシャの哲学者たちを魅了したそうです。
その結果多くの学者が誕生し、新たな思想体系を生み出す契機となったといわれているとか。
その一方、多くの学者や学生の間で、エジプトのアレクサンドリア・スクールに留学することがブームになっていたといいます。
アレクサンドリア・スクールは、アレクサンドリア文庫を有する当時の世界の最高研究機関で、50〜70万巻に及ぶパピルス文書を収蔵していたそうです。
現代で言えば、国連にCIAの機能を併設したような、世界の知識と情報の集積基地だったのかもしれません。
アレクサンドリア文庫の建設は、アレクサンドロス大王の7人の親衛武将のひとりプトレマイオス1世ソテールによって着手され、紀元前3世紀に完成し、後にローマのカエサル軍によって焼き払われてしまったといわれています。
アレクサンドリア・スクールに留学した学生たちは、エジプトの神官たちによって天文学や占星術、幾何学や建築学、医術、歴史、バカラ、論理学など、数多くの学問や知恵を修得しました。
そこで伝授された知恵や学問はグノーシスと融合して、新ピタゴラス学派と新プラトン学派と呼ばれる超神秘主義を生み出し、ギリシャ国内で急速に発展したそうです。
これらの運動がユダヤの思想体系に深く関わり、ユダヤ教を生み出したのだとか。
この間の出来事がランダムに語り継がれたことで、ある人たちは、ソロモン神殿の建設に関わった大棟梁ヒラムを始祖と語り、またある人たちは、ピタゴラスこそ始祖であると熱く語るなどといった状況になったそうです。
中世には、新ピタゴラス学派や新プラトン学派の超神秘主義が錬金術や魔術に変化し、オカルト的な起源説まで生まれました。
その後、十字軍のテンプル騎士団がエルサレムのソロモン神殿を奪還した話をもとにした起源説、ストーンメイソンが起源という説なども生まれ、フリーメイソン創立神話は、多種多様な方面から華やかに増幅されているそうです。
現代でも尚、ダビンチコードなどのフィクションが新たに加わり、さらなるロマンを生み続けています。
“過去の著名人の誰がメンバーだったとか、あの事件の黒幕はなどという興味関心を煽り上げる社会風潮は、今も昔も変わりないのかもしれないね”
という言葉で、マソニックの起源に関する彼の話は終わりました。
神話は神話。戻りえぬ歴史の彼方に厚いベールに覆われて存在し、兄弟たちの記憶の中で生きていれば良いことなのかもしれません。
そして、信じるあるいは信じたい神話こそが、それぞれの人にとっての起源であることに間違いは無く、最も正しいことなのかもしれません。
2008年8月7日
マソニック・サプライと名が付いた彼の店には、フリーメイソンのマークの付いたリングやピンがショーケースに並び、壁には幾種類もの中世の騎士の紋章のようなものが飾られていました。
本屋かと思えるほど多くの書籍が棚に並び、飾りテーブルの上には髑髏や剣が置かれ、何かしらおどろおどろしい雰囲気が店内に漂っていたことを憶えています。
学生時代には社会人類学者の卵としてオリエンタルの古代史を学んでいた私でしたが、この雰囲気と彼の話に魅了されてしまったことで、それまでの知識は見事に飛び散り、木っ端微塵に破壊されてしまいました。
彼の語ってくれる荒唐無稽とも思える話は、そんな馬鹿な、と一概には否定出来ない、しかしあまりにも社会一般の認識とかけ離れた内容で、ただただ驚きの連続でした。
気が付けば彼の話にどんどん引き込まれており、それまで私が抱いていたフリーメイソンに対する何かしら胡散臭いイメージも一掃されていました。
それ以来私は、現在に至るまで、彼の語ってくれるアンシェント・マソニックの世界の虜となってしまったのです。
彼の存在は、いつでもどこにいても私の中で生き続け、消え失せたことは一度としてありません。
同時に私は、彼との出会いによって未知の世界に導かれたものの、これまでにフリーメイソンに入ろうとも、入りたいとも思ったことはありません。
しかし、彼の語ってくれたアンシェント・マソニックの世界を絶えず身近に感じ、それを心の支えとして今までの人生を送って来たことは事実です。
彼はいつも“マソニックもフリーメイソンも同根だよ。多くの認識が世の中には存在しているが、どれが正しくてどれが正統だなどと言うことは誰にも出来ない”と語っていました。
また、フリーメイソンやマソニックという言葉に興味を抱いた瞬間から、その言葉の意味は、その人の資質に帰属するものとなり、すべてが正統と言えるものになるというのが彼の自説でした。
年齢だけでなく考えも稚拙だった私は、彼の説を詭弁だと決め付け、かなり長い間食い下がったものです。
猜疑心に満ち溢れ、知り得た僅かばかりの知識を振りかざし、彼に悪態をついてしまったことも度々。
私は、当時を思い起こす度に、穴があったら入りたい心境に苛まれています。
2008年7月30日
この旅日誌を2月25日以来、書くことが出来ませんでした。
書くべき話題が無かったことも理由の一つですが、書くことが出来なかったというのも正直なところです。
先日、私が師と仰いでいた老人が、光の元へと旅立っていきました。
マンハッタンの五番街でマソニックのサプライショップを営んでいたこの老人は、イタリア系アメリカ人で、旅立ちの瞬間まで、小柄な体全体から多くのエネルギーを発散し続けていました。
彼との出会いは、70年代の中頃になります。
ある出来事が原因で道を見失い、失意のどん底で私が右往左往していた時のことでした。
私と同世代の学生たちで賑わうニューヨーク大学裏手のワシントン広場でのこと。
ベンチに座っていた私の隣に無言で座り込んだ中年のおじさんが、ランチボックスを開いて、微笑みながらサンドイッチを私の目前に差し出し、“食べなさい”と目で語りかけてくれました。
私が遠慮すると、おじさんは、
“人間の一生は短いもの。若者には遠慮している無駄な時間はないんだよ”
と、暗い顔の私をからかうように笑い出したのです。
私はこの瞬間、魔術にでもかかってしまった様におじさんの差し出すサンドイッチに手を伸ばし、長年来の知人に見せるような笑顔を見せていました。
人生、不思議なことはあるものです。
その時の話の内容は、特に覚えていません。
何も話さなかったのかもしれません。
別れ際に彼は、一枚の名刺を私に手渡すと、無言でいたずらっぽくウインクして去って行きました。
彼との出会いから3年後、財布の中にあった彼の名刺を目にした私は、考えることも思い出に浸ることも無く、極自然に、決められてでもいたかのように彼を訪ねました。
通りすがりの私のことなど覚えているはずも無いと考えていたのですが、
“私の手作りサンドイッチは美味しかったかい?”
と、昨日出会ったばかりの様に迎えてくれたのです。
驚いて固まったままの私を解きほぐすように、彼は簡易椅子と小さなテーブルが置かれた店の奥へと招き入れてくれました。
自己紹介をすることも、されることもないまま、何故か私が抱え込んでいた問題を解くためのヒントを無造作に話し出し、“おや誰か来たようだ。またいつでもいらっしゃい”という言葉でその日の話は終わりました。
その後、何が何だか分からぬままに、磁石にでも引き付けられる様に彼との付き合いが始まり、そしていつの間にか彼のことを師と仰ぐようになっていました。
そんな関係は、私が還暦を2年も過ぎた年まで続いたのです。
しかし、多くのことを学び、多くの示唆を受け続けて来たにもかかわらず、私が師について知っていることといえば、初対面の時に手渡された名刺に書かれた内容のみ。
年齢も経歴も一切分からないまま、私は勝手に師と敬い続けて来ました。
これからしばらくの間、夢の中の老人ではなく、現実に存在した老人から学んだことについて、思いつくままに話して行こうと考えています。
週に一度程度の更新を予定はしているのですが、予定はあくまで予定ですのであしからず。
2008年2月25日
英国のイングランド地方の昔話にこんなお話があります。
とある田舎の村に、庭に一本のりんごの木があるみすぼらしい家があり、そこには貧しい青年が住んでいました。
その青年は、ある日の夜に不思議な夢を見ました。
夢の中に登場した老人に、
“ロンドンに行き、ロンドン橋の袂で待っていれば、貴方の人生を変える出来事が起こる”
と言われたのです。
朝早く目覚めた青年は、さっそくロンドン橋へ行き、橋の袂でじっと待ちました。
しかし、夕方になっても何も起こりません。
青年が諦めかけた時、一日中橋の袂に座り込んでいる青年を訝しく思って眺めていたという、近くの古本屋の主人が話しかけてきました。
“君は一日中、そこで何をしているんだい?”
青年は、昨晩見た夢の話をしました。すると、
“そういえば私も、昨晩不思議な夢を見たよ。どこかの田舎でりんごの木がある崩れかけた家を探し、りんごの木の下を掘れって老人に言われたんだ”
と古本屋の主人が言うのです。青年は、
“自分の家も崩れかけていて、庭にはりんごの木がある”
と言いました。
“では、帰ったらりんごの木の下を是非掘ってみなさい”
主人の言葉に従い、青年は急いで家に帰ってりんごの木の下を掘りました。
するとりんごの木の下から、古代ローマの黄金のコインがいっぱい入った箱が出て来たのです。
青年は、掘り出した黄金で、何よりも先に村の中に立派な教会を建設しました。
後に村人が、貧しかった青年の功績を称えて、彼の銅像を教会の側に立てました。
銅像の立つ台座には、“夢は黄金に変わる”と記されたプレートが組み込まれているそうです。
このお話は、文字で記された物語ではなく、多くの語り部たちによって、口伝で現代まで受け継がれて来たものだそうです。
現代の語り部の1人が、
“文字で伝えられたお話は、時代と共に多くの意味を生み、膨大な解釈が出来てしまう。その解釈がいつの間にか一人歩きして、物語の真のメッセージはどこかに消え失せてしまい、真意とは無縁の異質なお話になってしまう”
と言っていました。
言葉を伝える語り部人の背後には、歴史の中の膨大な人の繋がりがあり、望めば誰でもそれを感じ取れるのだそうです。
人間は、“大きなものの一部になりたい”という願望を持っており、その思いは人間すべてに共通したものだとか。
しかし、その“大きなもの”を文字で伝えたために、多くの意味が出来てしまいました。
“大きなもの”が文字そのものだったり、社会や国家だったり、宗教だったり、富や財力だったりと、気が付けば人間の数ほどの認識が出来上がってしまったそうです。
“大きなもの”とは、歴史の中で繋がっている人たちの作り上げて来た宝だというのは、生涯旅をして暮らす人たちの知恵なのだと、その語り部が教えてくれました。
2008年2月22日
初夢の話が終わったばかりですが、またもや気になる夢を見てしまいましたので書き留めておこうと思います。
フリーメイソンに入会したいというある青年の、ヤフー掲示板への書き込みを見ていた私は、
“俺も若かったら、会員になってみたかったなぁ”
と独り呟きました。すると、
“何を馬鹿なこと言ってるんだ。フリーメイソンに入会するのに、年齢制限なんてありはしないよ”
と、突然またあの老人が背後から声を掛けてきたのです。
私は、老人に驚くというよりも、その答えに甘い期待を抱いてしまいました。
しかしそんな私の心を見透かしたように、
“いまさら会員になってどうしようというんだい”
と、突き放すような老人の口ぶりに止めを刺されてしまいました。
しどろもどろの私を無視して、
“会員の証の指輪やピンを、嬉しそうに知人に見せたくなったのかい? 君のささやかな自己顕示欲に火がついてしまったらしい”
と、老人は首を左右に振っています。
“すべてを失い命一つになっても、まだ欲や見栄からは解放されないようだね。一笑に伏す価値もないよ。あーそうか、あまりの貧困に根を上げて、いい年をしてフリーメイソンの噂にでも救いを求めたくなったのかな?”
さすがにここまで言われると、私も黙ってはいられません。
“厚かましく現れては好き勝手な事ばかり言って、全くいい気なもんだ。少しは遠慮したり、人の気持ちを思いやったりするような優しさはないんですか。いい年をして!”
と反撃を試みたのですが、無駄な抵抗でした。
“フリーメイソンの会員になって、今まで私から得た知恵や知識をひけらかしたいのならやればいい。まだ君は、古から約束されたということの意味や怖さを理解出来てはいないようだね”
それを聞いて、私は言葉もありませんでした。
老人の話す“必然”や“約束されたその時”、そして“神殿建設”という意味の分からない言葉の前では、私は少年の頃に逆戻りしてしまうようです。
いくら悪態を吐いてみても、還暦を過ぎた男が素直な子供のようになり、金縛り状態になってしまうのです。
“君のすべき事は、トーマス・モアのいうユートピアが自分自身の中にあるということを学び、一生涯かけて心の中に神殿を建設しなければならい”と老人に言われる度に、魔術でもかけられたように深々と頭を下げてしまいます。
“命が限られた人間には、途中下車をして群れをなしている暇はない”という老人のこの一言は、私にとって何よりも厳しい戒めのになったようです。
再び夢の中で老人と接したことで、先人の指し示す灯火と啓示を手がかりに、自分自身の心の中に神殿を築き上げなければならないという使命の重さを感じています。
目的が達成されるまで、私は1人、荒野を彷徨い続けなければいけないようです。
2008年2月16日
一体どれだけの間、不思議な夢が続いたのかは分かりません。寝ている間中、夢を見続けたような気もしますし、ほんの一瞬だけ見た夢のような気もしています。
人間は死の直前、数秒間で自分自身の一生を振り返るという話を聞いたことがありますが、大脳の神秘はどこまでいっても分かることのない“ネバー・エンディング・ストーリー”になるようです。
老人は、マソニックの兄弟だったというドイツ人の児童文学者、ミハエル・エンデの作品について語り始めていました。
時間泥棒と勇敢に戦うモモの話や、いじめられっ子の少年が学校帰りに同級生の嫌がらせから逃れて、偶然飛び込んだ小さな古本屋の老人から“ネバー・エンディング・ストーリー”という古い革表紙の立派な装丁の本を借り受けたことから始まるファンタジーは、世界の子供たちばかりか多くの大人たちをも魅了しました。
晩年のエンデは、イタリアの小さな村で日本人の夫人と暮らしながら、世界の子供たちへ沢山の作品を書いたといいます。
彼の作品は児童文学といっても、アンシエント・メイソンの考え方や思想を伝える示唆に富んだ沢山の寓話が散りばめられているそうです。
エンデの作品は、未来を担う子供たちや兄弟たちへの贈り物でもあると老人は語ってくれました。
ボーイスカウトの三本指の敬礼が意味する“思い”や“願い”と同様に、エンデは古代から綿々と送り繋がれて来た珠玉の知恵を物語という小さな笹船に乗せ、未来の兄弟たちへの恋文としたのだそうです。
私自身お恥ずかしい話ですが、ネバー・エンディング・ストーリーを映画で見たことがあるだけで、エンデの作品など一度も読んだことはありませんでした。
老人の話を聞いて慌ててネットで入手した本を読み始め、現在虜になってしまい貪るように読んでいます。
人間社会の持つ普遍的な価値についての話や真の自由の意味、そして普遍的な価値を狙う泥棒たちの存在など、学ばなければいけないことの多さに驚愕し、目から鱗が落ちるような気持ちと、押しつぶされそうな重圧を全身で感じながら毎日を過ごしています。
経済的価値が普遍的価値を凌駕し、兄弟たちが経済価値に偏重していく傾向を憂いたエンデは、失われていくファンタジア王国への自らの思いを、嘆き悲しむ大きな岩人間たちの姿に託したのかもしれません。
無の闇がファンタジア王国を飲み込んでしまうのを防ぐために立ち上がった少年と、物語の中の少年アルタイユが、助け合い協力してファンタジアを守る物語を、フリーメイソンの兄弟たちが知っている寓話に置き換えながら読み進めば、普遍的価値を伝える新たな真実に容易に出会うことが出来るかもしれません。
同様に、ガリバー旅行記やオズの魔法使い、アーサー王の物語などの中からも、古からの教えを汲み取ることが可能だとか。
2008年1月24日以降、私の初夢について書き記して参りましたが、初夢の話はここで終わりです。
“フリーメイソンという固有名詞やそれに関係した印がなくても、誰かに教わらなくても、貴方自身の直観や貴方の身に起こる啓示から、貴方が木の葉に隠れた宝物を森の中から見つけ出すことを期待している”
と言い残して去って行った夢の中の老人が、現在も私の身近にいるように感じられてなりません。
2008年2月8日
昨年5月18日にこの“西から東への旅人のへそまがり日誌”で、12世紀のペルシャの詩人であり科学者、数学者だったオマカヤムについて触れました。
翻訳された彼の詩集は、日本国内でも入手可能です。
私の曖昧な記憶では正式な書名や出版元について具体的にご紹介することは出来ませんが、何とか酔歌集という書名だったように思います。こうして話しているうちに、岩波の文庫本だったような気がしてきました。
確か厚さが6ミリ程度の薄い本だったような気がします。
この日誌を書き終わるまでに、正式な書名を思い出すことが出来ればいいのですが、思い出すことが出来なかった時には、隠居者の戯言と大目に見て下さい。
夢に出て来た老人は、この人物についても話をしてくれました。
老人は、彼の詩集の中に収められている多くの詩歌が、フリーメイソンの精神に深く関わっているというのです。
オマカヤムは、ヨーロッパで開花したフリーメイソンの神話時代に於ける重要人物でもあり、彼の酔歌は、李白や杜甫の詩歌と違って極めて哲学的で、志を同じくする後世の人たちへのメッセージと思われる内容を多く含んでいるそうです。
また、古代ギリシャ語の“知る者”を意味するグノーシスを研究する人たちの間でも、彼はキーパーソンとなっているとか。
そして老人は、
“君が世界中の大都市を訪れた時、彼の名前がついたレストランを発見したら、是非その店に入ってみなさい。そして、店に入ったらすぐに振り返り、入り口のドアの上部を見なさい。君はきっと、アメリカの1ドル紙幣に印されている、ピラミッドの上で輝く目を見出すだろう”
とも言いました。
テンプル騎士団やドイツのストーンメイソンとは違った、フリーメイソンに関する歴史の流れを感じることが出来るそうです。
そこで、何故12世紀のペルシャの詩人とフリーメイソンの印である目が結びつくのかを考えてみなさいというのが、老人からの示唆でした。
次いで老人は、16世紀のイギリスの思想家、哲学者フランシス・ベーコン卿について話し始めました。
私も昨年の7月31日の日誌で彼について触れたことがあっただけに、どんな話なのかと興味津々でした。
驚いたことに、彼はシェークスピアについて語り出したのです。
ベーコン卿とシェークスピアが同一人物であるという説があるのは周知のことと思いますが、同一かどうかはどうでもいいことで、問題はシェークスピアの戯曲の大半には、フリーメイソンのプリンシプルを理解する上での大切な寓話が含まれていることを知らなければならないというのが老人の主題でした。
“何処にそのような内容が記されているのかと思うのなら、自分自身で作品を読み、精査しなさい。悲劇を悲劇として読むのではなく、悲劇は喜劇として、喜劇は悲劇として読んでみるといい。社会的認識とは正反対の悲劇性と喜劇性の中から普遍的価値を見出して初めて、フリーメイソンの精神を正しく後世に伝えることが出来るんだ”
という老人の教えによると、この作業をすることによって、昔から名作といわれて伝承されている逸話や童話、古今東西の文学作品の中から、大切なメッセージを読み取る技術を身に付けることが出来るそうです。
2008年2月2日
モーツアルトやハイドンについてはよく耳にするのですが、ベートーベンについての話は一度も聞いたことがありません。
フリーメイソンとは無関係だったのでしょうか?
どの書物も資料も、研究者からの話も含めて、フリーメイソンとの関わりについて触れたものを私は未だ知りません。
しかし夢の中の老人は、
“彼も兄弟だったんだ”
と言うのです。
気になる話だけに、私は老人に証を求めて食い下がったのですが、彼から得られたものは意味不明な含み笑いだけでした。
しばらくして、疑問に満ち満ちた顔の私を見ていた老人は、
“人の書いたものや噂を信じて、それを事実だと言い張る君たちは、ここらでじっくり私の話について考えてみてはどうかね?“
と、ある助言をくれました。
自分自身で学び、自らの判断で納得のいく答えを探してみる必要があると言うのです。
“ヒントは、第九の歓喜の歌。彼の作品と彼に纏わる逸話、彼自身の手になる文書や書簡類を、社会的に自明とされているなどというノイズに惑わされることなく、子供のような素直さで眺めて見ることから始めてみたら?”
というのが老人からの助言でした。
すべての秘密は広く一般に公表されていて、特別な研究書や資料などは一切不要。
ありふれた何の価値も無いようなものの中にこそ真実は姿を隠しているということを理解した上で取り組めば、難しい問題はなく容易に求める答えを得ることが出来、“これはフリーメイソンだ”とか“ここにサインやマークが印されている”などという話こそ疑って見る必要があるそうです。
“当然、私の話も十分に疑ってとりくまなければならない。何事も自分自身の目で見て、自らの感受性で、素直な直観を大切にしていかなければならない。理解していくためには、より一層の注意深さが必要になるのだ。世の中のノイズに支配され、人の話やメディアの情報を論拠としてしか語れず、そこにしか信憑性を裏付ける根拠を置くことしか出来ないのでは話にならない。人の賛同や賛意がなければ自信が持てないような自分とは決別して、そのような話には耳を貸さない勇気が必要なんだ”
と話す老人は、自分だけ納得出来れば良いことで、他の人の同意を得るために取り組む問題ではないのだからと念を押しました。
フリーメイソンを知りたいという興味や関心ではなく、その精神に触れたいという突き上げるような熱情が全身から湧き出して来た時には、努力しなくても多くの偶然が身近で起こり、気が付けば必要な資料や文献に関する情報が手に入っているそうです。
“だから何も心配ないんだ”
と、老人は極めて無責任な口ぶりでした。
また老人は、ベートーベンがドイツ人だからという訳ではないのでしょうが、ゲーテのファウストにもフリーメイソンの精神について理解する上で大切な記述がいたるところに散りばめられていると言っていました。
是非皆様にも、一読されることをお勧めします。
読んでも何も感じなければ、まだその時が訪れていないだけのことで、作品を十分に堪能すればよく、決して無駄にはならないそうです。
作品に触れ、心に残る文章や思想に遭遇した時には、記憶しようとせずに、感銘を、感動したことだけを記憶しておけば、その時が訪れた時に必然として、放置しておいた感銘や感動から先の段階への道筋が始まり、次の理解の段階にごく自然に導かれるのだとか。
これらは、あくまでも夢の中の話ですので信憑性はゼロですが、ベートーベンやゲーテと今まで聞いたことも無いような人物の名前に接し、いささか当惑してしまいました。
2008年1月29日
モーツアルトの歌劇“魔笛”がフリーメイソンの入会の儀式をテーマに作られたことは、世界中のフリーメイソン愛好家なら誰でも知っている話です。
モーツアルトは、フリーメイソンの秘密を曝露してしまったために、フリーメイソンの手によって殺されたという話も、今でもなお誠しやかに語られているそうです。
こうした話は、誰が言い出したのか不明のままにどんどん伝播され、いつの間にか自明の話になってしまうのが世のならい。
魔笛のどの部分が門外不出の秘密になるのかも分からぬままに、フリーメイソンの秘密を外部に漏らすと殺されるという話だけが肥大化してしまったようです。
歴史的に著名な人物の不慮の死は、何から何まで、“あの人は、フリーメイソンの掟を破ったために処刑されたんだ”ということになってしまうようですが、この手の話の大半は、ナチに支配されていたドイツとその占領地や、同盟国だった日本で、軍部によって捏造されたプロパガンダ用の話題だったと聞きます。
それらを裏付けるように、フリーメイソンの秘密や陰謀を曝露するといった話は、ドイツや日本に限定されているそうです。
私はいつも、モーツアルトの伝説を聞く度に素朴な疑問を抱いてしまいます。
その疑問とは、何故、モーツアルトが魔笛で入会の儀式の秘密を曝露してしまったのかということです。
歌劇を書き上げる際に話題に事欠き、苦し紛れに秘密とされていることを利用してしまったのでしょうか。
あるいは、何らかの社会的使命感に駆られてのことだったのでしょうか。
それとも、モーツアルトの悪戯心の所産だったのでしょうか。
いずれも動機としての十分な説明にはなっていないような気がします。
私の疑問に答えるように、今年の初夢に登場した老人は、
“彼について考え始めた君は、作品を良く聞き、学び、その努力を通してモーツアルトの真意を探る正しい道筋の方向性を理解しなければいけない。君がそのような疑問を抱いたということは、彼は何を伝えようとしているのか? 何を語りかけてきているのか? 何のために? といった問題について考える必要性、必然性が君にあるということを知らせる啓示になるんだ”
と話してくれました。
“フリーメイソンの何たるかを知りたいという欲求が芽生えたり、疑問を抱いたりした時には、物事の表面に散りばめられた固有名詞や記号、サインなどに惑わされること無く、恋文に秘められたメッセージや伝えようとしている秘密、真実について考えなさい。正しくメッセージを受けとめることが出来たら、次は新たな受け手にそれを伝えていく努力をしなければならないのも、初めから決められていたこと。ノイズに惑わされる事無く、時代を超越した知恵や真理について、一人静かに黙考しなければならない”というのが、老人の教えでした。
2008年1月24日
世の中には、多くの文学書や童話、寓話が存在します。
一概に文学といっても、日本文学、フランス文学、ロシア文学、英米文学など多くのジャンルがあります。
一昔前のようにわざわざ図書館に出向かなくとも、書店に行かなくても、現在ではネット上で簡単に、古今東西の著名な作家の作品に接する事が出来ます。
しかしそのような作品の中には、作家の知名度が一人歩きしていたり、作品名の知名度だけが高かったりするものも多いようです。
有名な作品を前に、作家名や作品名は聞いたことがあっても読んだことは無く、内容までは良く知らないという人も多いのではないでしょうか。
そうではあるにしても、全世界で取り沙汰されている作品なのですから、ある意味では脅威的なことかもしれません。
このような現象が起こっているその訳を知ることは出来ませんが、読まれようが読まれまいが、名作、名著という評価は世界中に流布され、一人歩きしているのです。
話は変わりますが、フリーメイソン関連の出版物の多さにも驚かされてしまいます。
大半がフリーメイソンについての謎や秘密、陰謀などといった興味本位の曝露物のようです。
しかし中には、フリーメイソンの中世精神史的観点からの真面目な研究書などもあるとか。歴史的な人物の人名を並べ立て、組織の正当性や秘めた力の強大さを顕示しているものや、妙に微細な儀式の式次第について紹介したものなど、玉石混交といったところのようです。
小説の話題を事実として崇め立ててしまったものなど、とにかく謎に満ち満ちたフリーメイソンへの興味は、尽きることはないようです。
真にフリーメイソンの何たるかを知りたければ、評論家や謎解き専門のミステリー作家のいうフリーメイソンについての膨大な知識だけで、限られた大脳の記憶機能を支配されてしまわないことかもしれません。
皆様ご存知のロシア文学を代表する作家であるドストエスキーが、彼の最晩年の長編小説“カラマーゾフの兄弟”の中で、19世紀後半のロシア社会におけるフリーメイソンについて触れています。
ドストエフスキーがフリーメイソンの会員だったのかどうかは知る由もありませんが、第5章5節“大審問官”で、
“兄さんは、フリーメイソンのメンバーになっていたのだろうか?”
といった弟イワンの言葉があります。
しかしそれだけではなく、彼はこの作品を通して、古代ギリシャの幾何学や新プラトン主義、新ピタゴラス主義の精神などについても多くのことを語っています。
“フリーメイソン”という固有名詞を探り漁るだけではなく、心に響いた言葉や文章を大切にしていくことも必要なのではないでしょうか。
私は、世界の文学書や童話や時代を超えて語り継がれている寓話の中に、もっと多くのフリーメイソンを理解する上での鍵となる内容が満ち溢れているような気がしてなりません。
遅ればせながら私の初夢には、
“至るところに先達の知恵や志、若者たちに贈られた時代を超越した恋文がある”
と話す老人が登場しました。
これからしばらくの間、この老人の話すことについてご紹介していきたいと思います。
(当HP“Gの恋文”の中に掲載している“Time Traveler ―時の旅人―の序章と終章をご一読頂けると幸いです)
2007年12月13日
以前、友人から聞いた古道具屋の店頭に飾られた指輪にまつわる話をご紹介したことがありますが、先日アメリカ海軍とフリーメイソンのマークが刻み込まれた米海軍将校用の指輪が、希望価格十数万円でネットオークションにかけられていました。
売主のコメントとして、未使用で希少価値の高いフリーメイソン・リングとあり、すでに幾人かの人が価格の競り合いをしているようでした。
昔は、未使用のリングが市場に出回るなど、全くといっていいほどありませんでした。
ところが最近日本国内では、フリーメイソンのマーク自体がルイヴュトンなどと同様のブランド・マークとしてそれなりの価値を持ち、一人歩きを始めてしまったようです。
すべてがコピー商品というか、元々オリジナルなど存在していないのがフリーメイソン・グッズ。
このフリーメイソン人気は、詐欺商品天国を誘発してしまってもおかしくないほど、年々歳々鰻登りに高まっています。
使い古してマークが摩滅してしまった古いリングが骨董商の取り扱い品目になっていた時代は過ぎ去り、“フリーメイソンの身分証明書ID”などが誠しやかにネットオークションの人気商品になってしまうようなことも起こりえる状況にあるのかもしれません。
メンバー以外に真偽を判定出来ないのですから、悪徳業者が作りたい放題となってしまう可能性もあるのです。
他人事ながら、このような横行を許し、人類の歴史と伝統そのものが簡単に冒涜されてしまうことなど、あってはならないと思います。
古くから通信販売で偽物の学位のディプロマが出回っていましたが、今はPCを使用して作られたCIAやFBIの偽IDが20〜30ドルで売られているのですから、そのうちにフリーメイソン偽アイテムも登場するかもしれません。
もしかしたら、もうすでにそうなっているのがフリーメイソン・リングなのかもしれません。
生涯をかけてフリーメイソンのメンバーであることに誇りを持ち続けた数多くの無名の人たち。
死亡した時の唯一の財産が古いリング1つだけだったという人たちの存在に何も感じない人が、フリーメイソン・フリークばかりか、現代のメンバーの中にも存在しているとしたら悲しいことです。
このようなことを考えていたせいか、先日私はフリーメイソン・リングに関する夢を見ました。
スコットランド儀礼の階位を表す双頭の鷲のリングが人格を持っており、リングが私に自身の回想録を語ってくれるというものでした。
すでに鷲のマークも32の数字も摩滅してしまい、何のリングなのかも分からなくなっていた彼は、フリーメイソンのメンバーで彼のパートナーだった友人の指に初めてはめられた時から、パートナーが死亡するまでの経緯を教えてくれました。
古いリングの彼がパートナーに抱いた愛情と懐かしさ、そして尊敬の念。
また、彼がパートナーと共にあった幸せな時代と、経済価値最優先となっていった不幸な時代。
そして最晩年、パートナーが古リングに語ったマソニックの精神。
古いリングは、
“もう誰も真の自由や友愛、平等について考えることもなくなった。現代の社会にとって、生産性のある価値を生み出さないものなど無用の長物となってしまったのだ”
と言いました。
そして長い長い回想録の最後に、
“私に刻まれた鷲のマークをいとおしげに撫でてくれた友人の指の感触が、私の唯一の財産になってしまった”
と呟きました。
ここで私の夢は終わりです。
2007年11月27日
ドイツのストーンメイソンと、北イタリアからバルト海沿岸一帯に移住したビザンチンの芸術家たちとの関わりについては、あまり一般的には語られていないようです。
イギリスから伝えらたれたという石切の技術や、建築に必要な幾何学の知識と同様に、ゴシック建築様式は、ビザンチンの装飾技術抜きには誕生し得なかったと言えるほど重要な役割を果たしたという研究者たちも多いのだとか。
ビザンチンの芸術家たちは、エルベ川の東に居住していたという歴史的な記録が残っているのですが、彼らがイタリア全土で活動していたことも周知の事実です。
ローマ帝国が高度な文明をさらに発展させるためにその影響力を拡大し始めた頃、イタリア第一の部族だったビザンチンの芸術家たちは、地方の豪族から依頼を受け、多くの砦を建設していました。
従来の丸太小屋の粗末な砦が、彼らの進んだ建築技術とそのスタイルで、石造りの城郭に変わって行ったそうです。
彼らの活動は、南部イタリアから北部イタリア、そしてバルト語の支配地にまで及びましたが、それはローマ帝国に対する反発を示すことでもありました。
このことも、彼らがローマ帝国の軍事力から逃れてドイツ国内に移住した理由のひとつになるのだそうです。
ドイツへ移動する過程で当時イタリア中に存在していた古代遺跡を訪れ、それらから多くのインスピレーションを受けた彼らの建築技術とそのスタイルは、さらに進化を遂げました。
ビザンチンの芸術家たちは、ドイツ国内で建築に携わり始めていた多くの僧侶たちにそれらを伝え、彼らの活動に大いに資したそうです。
またビザンチンの芸術家たちが、ドイツ各地で建設され始めていた女子修道会の建設者に加わったということも明らかになっているそうです。
ビザンチンの芸術家たちと深く関わりを持ったこの僧たちこそが、フリーメイソンの始まりであるという19世紀の学者もいるのだとか。
またこれらの学者たちは、以降のフリーメイソンの組織や運営方法なども、このドイツの建築に携わった僧侶たちの組織から生み出されたものだと言っていたそうです。
イギリスからもたらされた建築用の石材の切り出し技術と、統一されたサイズの石材を用いた建築理論、ビザンチンの芸術家がもたらした古代から伝承されてきたローマの建築装飾技術、そしてどこまでも空に向かって延びた塔を生み出したドイツの修道院建設技術者たちのアイデア。
それらが歴史の中のある時期に出会い融合した結果、フリーメイソンの基礎が作られたという考えには、それなりの説得力が備わっているのかもしれません。
余談ですが、フリーメイソンのメンバーたちは、ヨーロッパ各地に残る建造物を見るだけで、フリーメイソンが関わった建造物かどうかを瞬時に見分ける事が出来るという話もあるようです。
2007年11月12日
ふと、ドイツのフリーメイソンの起源について考えてしまいました。
6世紀ごろから9世紀ごろの出来事に関する問題は、フリーメイソン研究者達の間では興味の対象外となるようです。
それは、わくわく心躍るような秘密めいた謎とは、あまり関係がないと考える方々が多いためなのかもしれません。
やはり、近世以降の肥大化し複雑な様相を見せ出したフリーメイソンこそが、興味関心の的となるからなのでしょう。
10世紀以前の問題など、組織の秘密を隠し世の中を欺瞞するためのカモフラージュで、取るに足らない無意味なことになってしまうのかもしれません。
ドイツのフリーメイソンが辿った近世以降の隆盛は、初期的活動があったからこそだなどという当たり前の話では、“何を言ってるんだ、そんな事はどうでもいいんだよ”というお叱りの言葉が聞こえてくる錯覚に襲われてしまいます。
しかしどうも私には、近世よりもそれ以前の起源に関する神話時代の方が、魅力ある問題になってしまうのですから致し方のないことです。
ローマ帝国の衰亡の危機にヨーロッパ全土が混乱し、社会構造に急激な変化が見られ出した頃、ドイツ全土はもとよりヨーロッパの多くの都市で建築ラッシュの潮流が湧き上がりました。
その熱気が高騰の極みに達したこの時期をストーンメイソンの始まりとする考えが社会的に認知されているようで、各地にストーンメイソンのギルドが誕生したといいます。
都市と都市を結ぶ昔からの街道沿いの崖の高みには、数えきれないほどの封建領主の居城が築かれ、都市には教会の尖塔が聳え立ったとか。
またドイツでの建築ラッシュの先駆けは、原始の森林地帯にあった平和で静かな湖の周縁部に、多くの修道院や女子修道会の施設や聖堂が建築され始めた事にあったという話もあります。
イギリスから分離したアイルランドやイギリスの島礁部から移り住んだ多くの敬虔な原始キリスト教徒が、森林地帯奥地の未開の地にまで積極的に分け入り、ローマ帝国に敵対したままで恭順していなかった諸部族とコンタクトをとっていったといいます。
これらの人たちが、アイルランドの石の加工技術と、古代ギリシャのピタゴラス学派の幾何学に基づく建築学を同時にもたらしたとか。
その数学と建築学の総合的な知識で武装したメイソンたちが、後に森林地帯から出て、ドイツ全土で沸き上がった建築ラッシュを支えたという話もあります。
この建築ラッシュに乗じて大きな力を蓄えたメイソンたちが、各地で幾何学の知識と石材加工技術を伝えるギルトを作り上げたということになるのだそうです。
大聖堂の屋上に聳える尖塔がドイツのストーンメイソンの象徴だという人たちもいれば、ドイツにフリーメイソンがいなければゴシック建築は地上に誕生していなかっただろうという人たちも多いと聞きます。
私事で申し訳ないのですが、プリンスとビショップや皇帝と自由都市の永遠の反目という、中世の政治的問題がフリーメイソンの起源に直結していると考えることには疑問を抱いてしまいます。
話としては面白いのですが……。
2007年11月3日
私の住む町には、多くのフリーメイソンの会員が居住しています。
多くが海軍を退役した軍人で、年に数回近くのビーチに旗やサインの横断幕を飾り立てて、例会なのか親睦会なのかは分かりませんが、かなりの年齢のアメリカ人が集い、BBQパーティーを楽しんでいる光景を見かけます。
秘密めいた組織の代表のように思われている秘密結社フリーメイソンのイメージとはかけ離れた、明るくおおらかな老人たちの姿を見ていると、“日本での認識は一体何なの?”と、日本の秘密結社評論家やフリーメイソンに関した専門家諸氏に尋ねたくなってしまいます。
楽しそうな彼らの姿からは、日本で噂されているようなイメージは微塵も感じることが出来ません。
“鈍感だから”と言われればそれまでですが、気のいい爺さんやその家族、はしゃぐ子供たちから受ける印象は健康的そのもので、暗さや秘密めいたものなど皆無なのですから。
また彼らは、町の記念日などのパレードにも10人乗りの自転車や装飾過多の古い軍払い下げのジープを連ねて毎回のように参加し、パレードの名物となっています。
フリーメイソンの大きなシンボルが付いた旗、合衆国国旗及び4軍の旗、フィリピンの国旗などを掲げ、パレードの先頭を歩いているメンバーの晴れがましい顔を見るにつけ、“騙されているんだよ。彼らは巧妙だから簡単に素顔なんか見せるもんか”と語るいかにも不健康そうな日本国内のフリーメイソン通と実際のメンバーの間に、大きな溝というか壁が存在しているように感じられてしまいます。
自称専門家たちがいう石の門と秘密めいた高い城壁に守られている禁断の秘密とは、一体どんなものなのでしょう?
専門家諸氏の話に、歴史的ミステリーや大いなるロマンを感じてしまうのは、私だけではないでしょう。
オカルト集団や国際陰謀団、世界制覇を目指すユダヤの秘密集団、そしてダビンチ・コードが話題になった後は、キリストの秘密を守り続けるテンプル騎士団や、女性コミック作家たちの発想を大いに膨らませてくれる薔薇十字騎士団など、枚挙に遑が無いほど数多くのフリーメイソン説があるようですが、それらを単純に大人のファンタジーと片付けてしまうのも、なんだか惜しいような気がします。
中世ヨーロッパの石工組合ギルドや、古代イスラエルにおけるソロモン神殿建設の大棟梁ヒラムの話、エジプトのピラミッド・ミステリーなども加えると、それこそ人類史の陰になってしまった多くの事柄すべてが、フリーメイソンの陰謀に結びついてしまうのかもしれません。
日本の専門家たちは、19世紀末のドイツの神秘学者で哲学者だったルドルフシュタイナーを、現代にオカルト的教育機関を残した教祖として祭り上げ、ドイツの人智学派を錬金術集団としてしまったようですが、何から何までフリーメイソンの偉大な力のなせる技としてしまったことを考えると、こうした社会の邪悪説を語る専門家たちこそが、本当のフリーメイソンなのでは? と疑いたくなってしまいます。
私のように頭脳に限りがある者には、“一体どこで勉強して来るのか”と、その探究心や向学心や膨大な知識に謎を感じてしまいます。
社会的な鬱憤や閉塞した人生から逃避する手段や、自己顕示欲を満足させるためだけの付け焼き刃的話で、密やかな歴史ミステリー・ファンの夢を砕いて欲しくはないものです。
2007年10月21日
日本に帰国した際、秋の番組改編期恒例の“歴史のロマンスペシャル”という特番を見る機会がありました。
内容は、阿波の徳島にある剣山にソロモンの財宝が隠されているというもので、赤城山の徳川埋蔵金と同じように雲を掴むようなお話でした。
今までに幾度となく見てきた埋蔵金スペシャル同様、“あったら良いな”といった程度の淡い夢物語。
逼塞しがちな日常生活からの逃避願望を、少しは満足させてくれた一服の清涼剤でした。
現在イスラエル政府は、古代イスラエルから消えた謎の支族について、国費を使って調査をしているのだそうです。
“消えた支族”を捜し求めて、世界中で長年の調査が実施行されてきた成果として、近年ミャンマーの山岳少数民族の1つが消えた支族の末裔だったと判明し、約8百名程の人たちがイスラエルに帰還したとか。
また、ブラック・ジュウと呼ばれているアフリカからの帰還者たちなどについての話も聞いた事がありましたので、その支族の1つが日本に渡来し、ソロモンの秘宝を守り続けているに違いないという内容にも、そう違和感もありません。
前駐日イスラエル大使の仮説を元に構成した番組内容でしたので、マニヤや狂信的な眉唾ものの与太話とは、一味も二味も違った印象を受けることが出来ました。
前駐日イスラエル大使は、失われた謎の支族を捜し求めている学者でもあるそうです。
ムー大陸だのミュー大陸だのといった謎の文明が太平洋に存在していたという話と同様に、日本にも昔から、東北の津軽(?)地方のある山村に、ピラミッドやキリストの弟なる人物の墓があるという話があるそうです。
東北の山村に伝わる盆踊りの歌は、その歌詞の意味を誰も知らないまま伝承されていたそうですが、この村を訪れたイスラエルの学者が、謎の歌詞はヘブライ語であると判断したといいます。
このような話は日本各地に山ほど存在していて、古代ミステリーが好きな人たちを魅了し続けているのだそうです。
事の真偽は分かりませんが、江戸時代の儒学者林大学や博物学者(?)の平賀源内も、謎の古代日本について語っている云々という話もあるようです。
天皇家や秦一族は、古代イスラエルの消え支族だったなどという話もあるとか。
そして第二次世界大戦の最中、ユダヤと天皇家は親戚になるという話が日本軍の国内向けプロパガンダとして活用されたと聞きます。
さらに京都やその他の地方にある神社の瓦屋根には、ダビデの紋章(?)篭目文様を見ることが出来るそうです。
前駐日イスラエル大使は、“お祭りの神輿は、聖櫃を担いで移動させていた名残で、ワッショイやエイヤサなどの言葉は、担ぐという意味のヘブライ語になる”と言い、その他にも多くの言葉が同じ意味で使われているとも語っていました。
さらにヘブライ文字と日本のカタカナ文字の類似点を挙げ、何かしらの関係の存在を知る上での手がかりになると確信しているとか。
徳島の剣山のダビデ伝説は戦前から存在し、敗戦後アメリカの進駐軍の調査隊が剣山一体の調査を始めて間もなく、朝鮮戦争の勃発とマッカーサー将軍の占領軍総司令官解任で、調査が不完全なまま放置され現在に至っているのだそうです。
剣山中腹に存在する鍾乳洞の精査が今後の課題とか。
もしかしたらソロモン伝説はさておき、日本からも謎の支族の末裔として多くの人がイスラエルに帰還することになるかも!?
しかし古代のミステリーは、フリーメイソンの起源同様、霧の中にあってこそ魅力的なのかもしれませんね。
2007年10月4日
初期的ドイツのストーンメイソンの記録に、度々ジャーニーマンという存在が顔を出します。
あえて日本語にするならば、旅する人というところでしょうか。
ドイツ国内の各地に派生した肉屋さんやパン屋さんなど、一般市民生活に必要不可欠な各種のギルドが出来上がった頃の話です。
この当時のフリーメイソンは、ストーンメイソンに限られていた訳ではなく、クラフトマンに代表されるマイスター制度などをも含んだ労働組合的色彩が強かったようです。
当時のフリーメイソンの主な仕事は、職人と親方や雇用者と労働者間に生ずる賃金や契約上の諸問題を調停することであり、時には消費者である市民とギルド間に生ずる値上げ問題なども調整していたようです。
こうした各種ギルドには、親方と弟子という関係以外にジャーニーマンなる特別な存在がありました。
その実態についての具体的説明はなく、各都市を自由に往来し、自らの職業に関係した職種の親方宅に逗留していた人たちだと言われていますが、何かしらムーミン谷のスナフキンや、ボヘミヤンの吟遊詩人を連想してしまいます。
あるいは、江戸時代の無宿渡世人的な印象でしょうか。
各地の親分を訪ね、“おひけーなすって!”から始まる口上を披露し、一宿一飯に預かりながら旅で生計を立てていた“旅人さん”のようでもあるのです。
各地の出来事を伝え、新しい技術に関す情報を伝播していたというのが、フリーランス職人のジャーニーマンだったようです。
時に大掛かりな普請や仕事に関わっている親方に協力して、仕事をこなしていたのかもしれません。
ジャーニーマンに関する旅の心得帖的記録が現存していますが、滞在先での身の処し方や食事の作法、徒弟との人間関係のあり方、もし滞在先に妙齢な女性がいた場合の女性に恥をかかさない誘い方等など、微に入り細に渡るまで事細かに解説しているのですから驚いてしまいます。
こうしたジャーニーマンの存在がフリーメイソンの歴史の中でどのように変貌し、どのような役割を担って来たのかは不明ですが、明らかにドイツのフリーメイソンの歴史の中では特別な存在であったことは事実のようです。
このジャーニーマンがイギリスやフランスのフリーメイソンの歴史上に顔を出す事は、ほとんど無いように思われます。
極めて哲学的色彩が強く、近代には船首組合的な活動に代表されるイギリスや、神秘主義的で政治的な発展を辿ったフランスなどのフリーメイソンの歴史と比べ、ドイツの初期フリーメイソンは、かなり庶民的な存在だったのかもしれません。
その半面、後にジャーニーマン的存在が許されなくなるほどタイトで超神秘主義的な組織に変貌して行ったのも、まさにドイツ的と言えそうです。
2007年8月17日
古代ローマのイングランド遠征軍の記録に、ドルイド僧侶の記述があるとか。
18世紀には、シーザーのガリヤ戦記の中にもストーンメイソンについての記述が残されているというアメリカの学者もいたそうです。
イギリスにグランドロッジが開設された1717年当時のフリーメイソン起源説に対する統一見解には否定的な人も多く、フリーメイソンの起源についての真相究明は、時代を超えて今もなお活発に行なわれているようです。
建国時にアメリカ国内に持ち込まれたフリーメイソンの財宝を、アメリカ人親子が3代に渡ってようやく探し当てたという話が、“ナショナルトレジャー”というタイトルで映画化されたことで、新たなフリーメイソンの財宝探しを加熱し、ブームに火を点けてしまったとか。
宝探しには、経済的富と政治的力を獲得したいという欲望から歴史的ロマンへの興味まで、様々な理由が存在しているようです。
メンバーになれれば一生をかけても手にすることの出来ない程の富を入手出来、それを元手に壮大なマネーゲームを展開出来るという淡い期待を胸に入会して来る人たちも多いと聞きます。
テンプル騎士の持つ強大な経済力を背景にした活動が世の中に銀行を生む礎になったという説が、テンプル騎士団起源説を裏付ける重要な論拠になっているという話をかつて耳にしたことがあります。
“だから経済の中心はロンドンのザ・シティなんだ。シティは特別区になっていて、英国の女王陛下でさえここを訪れる時には、警護がロンドン警視庁管轄からシティの警察組織に引き継がれるんだ”
とか、
“12年に一度、ザ・シティに世界中のフリーメイソンが結集し、英国王室も参加して一大行事が開かれるんだよ”
という話をする人も多いそうです。
“米国通貨の1ドル紙幣にピラミッドの上で輝く目が描かれ、新しい価値の創造とかいうラテン語が記されたシールがあるのは、世界の政治経済がテンプル騎士団の富によって生み出された証拠になるんだ”
という話も良く聞きます。
フリーメイソンの時代時代で見せる顔の多さから、どれが信憑性ある話なのかを推測することは困難です。
中には、首を捻りたくなってしまうものも多々あります。
こうしたことを背景に素人なりに情報を整理してみると、フリーメイソンは世界的経済力、世界的政治力を支配する秘密の集団、守護者という考えをテンプル騎士団起源説が支えており、その一方で、錬金術から中世の神秘主義、古代の超神秘学を背景とする流れがあるようです。
神殿建設という話題は世界を支配する流れを正当化すると同時に、古代の超神秘主義、エジプトの知恵、古代の幾何学を起源とする流れをも正当化するための重要な論拠になっているようです。
それぞれの起源説は、納得出来るような証拠を用いた論理の展開がなされているようなのですが、“なぜ? どうして? 何のため?”という最も稚拙な質問を投げかけると、不確実な期待や理想論や功利主義をサポートするための手段でしかないような論拠に思えてしまいます。
歴史を遡る事は、未来の行き着く先を探るのと同じように不可能な事となってしまうのでしょうか?
2007年8月6日
テンプル騎士団をフリーメイソンの起源とする考えは、古くから存在しているようです。
テンプル騎士団は、聖地巡礼をする旅人たちを警護するために結成されたという説や、聖地奪還の十字軍団の中から選び抜かれたエリート集団、つまり現在のデルタフォース的な対ゲリラ特殊部隊説があります。
このテンプル騎士団とフリーメイソンを結びつけた逸話の存在によって、テンプル騎士団をフリーメイソンの起源とする説が、多くの人々を魅了して支持されてきたと指摘する人たちもいるようです。
その逸話とは、エルサレムに入城したテンプル騎士団の真の目的が、ソロモン神殿から財宝とソロモンの遺骸を奪うことだったというものです。
後にテンプル騎士団が莫大な財力を持つに至ったことが、この話に信憑性をもたらしたようです。
さらにその財力を背景に、急激に規模が拡大されていくことに危機感を抱いたフランス国王とローマ教皇が、テンプル騎士団の解体を試み、壊滅状態に追い込んだという話が付加されたために、現代まで広く語られて来たようです。
話は飛びますが、13という数はユダを意味することから、多くの13に纏わる不吉な話が生み出されて来ました。
そのひとつとして、前世紀にシカゴのマフィアが大量虐殺されたのが13日の金曜日だったために、“13日の金曜日は不吉な事が起きる日”として語られるようになったとも言われています。
しかし19世紀末までは、13日の金曜日の朝にテンプル騎士団の騎士たちが反逆者として突然逮捕されたことに由来したものだと語られていたそうです。
テンプル騎士団のほとんどが虐殺されてしまったことから、ソロモン神殿にあったはずの聖櫃や聖杯や莫大な財宝が忽然と消え失せてしまった謎は、さらなるミステリーを生み続けているようです。
この財宝を現代もなお秘密裏に守り通しているのがフリーメイソンだと固く信じる人たちが多いことも、テンプル騎士団をフリーメイソンの起源とする説が有力なものとなっている理由なのかもしれません。
また、その富の運用の一翼を担いたいという理由から、なんとしてもメンバーになりたいと願っている人たちが世界中に数多く存在しているということも、それらの信憑性を高めている要因となっているのかもしれません。
昔知りえたある老人が、
“フリーメイソンは、秘密の富に群がり集まってくる人たちを排除したり、審査したり、警戒するために動いたりはしなくていいんだ”
と話してくれたことがあります。不思議そうな私に、
“心配しなくてもいいんだ。
それらの人々は、同じ興味の兄弟たちと群れをなし、同じ平面を回り続けているだけで、結構楽しく自らの興味を満足させているんだ。
彼らは壊れたディスク、壊れたレコード的人生で満足出来る人たち。
そんな気分にしてくれるのもフリーメイソンなんだよ。
入会して弟子になり親方になるのに、本来は資格試験などでなれるものではなかったんだよ。
その準備が出来ると、自分の意志とは無関係に、予期していない時に、予期しない人物から突然告げられるものだったんだ。”
と皮肉そうな笑みを浮かべ、
“フリーメイソンは懐が深いから、こんな話だってあるんだよ”
と、実際に彼の身に起きた事件について話をしてくれました。
それは老人が若かった頃、彼がフリーメーソンに入会したという証明書や記録やその他一切の記念品を、とても親しくしていた人物が持ち去ってしまったというものでした。
その人物は、今も異国で老人の名前で兄弟として生きているそうです。
“唯一にして絶対なる存在の前では、紙切れなど何の意味もないんだよ。
「私は、信じる。何故ならば、信じたいから」という言葉に優るものはないからね。
その時すべてを無くしたことも必然と考えた私は、友人を探すことをせず、以来ずっと石の門とは無縁の人間になり生活して来たんだ。”
と、語ってくれた老人。
不思議なことにあれから30年以上も時間が経ったというのに、今でも老人は昔のように私に話し掛けてくれ、私の問いにも答えてくれます。
老人は永遠の命をもつ者のように、私の記憶の中に脈々と生き続けているのです。
2007年7月31日
ドイツの大昔の話をしましたが、次はイギリスのフリーメイソンの起源や歴史についていくつか書いてみようと思います。
ストーンヘンジやドルイド伝説にフリーメイソンの源をおく考えもありますが、こうした伝説とは一味違うものに、フランシス・ベーコン卿が1624年に発表したとされる“ニューアトランティス”という本があるそうです。
“ニューアトランティス”は、1627年にアンドレイによって発表され、ベーコン卿がその序文を書いたという説が最近では有力だそうですが、それによると、フリーメイソンは失われたアトランティス文明に起源があるとされているそうです。
また、古代の神話時代の思想と化学の結婚という考えをフリーメイソンの歴史認識の一頁に加えた人として、ベーコン卿の存在を評価する考えもあるとか。
後に薔薇十字騎士団とこの認識が一体化して、新たな認識が生まれたという考えも派生したそうです。
さらに、船乗り達の話すソロモンの家の存在が“ニューアトランティス”に厚みを加え、新たな起源説を生んだという人たちもいるとか。
その他にもフリーメイソンの起源説には様々なものがあり、アレクサンダー大王の遠征によって古代バビロンや古代インドにおける北方系遊牧民の祈祷師たちの存在が明らかになり、それをフリーメイソンの起源としたギリシャの超神秘主義者ピタゴラス学派や新プラトン学派が重要な位置を占める考え方、アトランティスや古代エジプトを結ぶ考え方、ソロモンの神殿に纏わるキングヒラム説、大棟梁ヒラム説など多種多様です。
ゴシック建築が歴史上に現れるまで、ドイツではほとんどの記録が口伝されていたため、文字による記録がそれほど残されてはいませんが、イギリスでは古代ギリシャ哲学の研究のお陰で、フリーメイソンの古代起因説を含めて多くの説が、古代ラテン語や古代ギリシャ語などの文字によって残されているそうです。
このようにイギリスのフリーメイソンの起源や歴史には数多くの説がありますが、1717年のグランドロッジの開設を境に太古から続いたフリーメイソンの神話時代が終焉し、起源や歴史に関する諸説に対する統一見解がなされたと聞きます。
それ以前も1599年にスコットランドのロッジで記された議事録をはじめ多くの記録が現存しているそうですが、各ロッジ間での統一がなされておらず、古代の延長線上にあった歴史的エポックにしか過ぎないという認識が一般的なものになったようです。
2007年7月26日
旅人が荷物を持って目前に迫った急坂を登るときには、荷物を引きずって登りなさい。
しかし、その時の引き綱は短めにしなければなりません。
なぜなら綱を長めにしていたら、盗賊などに荷物を奪われやすくなるからです。
また下りる時、荷を貴方の後ろに引きながら下りたら、盗賊たちにかなりの重さの荷と思われとしまいますし、荷を先に滑り落としながら下りれば、貴重品が入った荷物と思われてしまいますので、賢明な旅人ならば荷物を背負って下ることでしょう。
しかし川や湖の水を飲む時には、荷物を背負ったまま飲んではいけません。
なぜなら、背負った荷の重さで水の中に落ちて溺れてしまうからです。
そして降ろした荷は、必ず身近に置かなければなりません。
遠くに置いてしまうと盗まれてしまうからです。
といった具合に、事細かに旅の教訓を書いた文書が、ドイツのストーンメイソンの歴史的文書の中に残されているそうです。
昔は旅人を狙った旅商人たちによる略奪も多く、小銭や荷物や衣類だけでなく、命さえも奪われかねなかったそうですが、そんな状況から我が身や持ち物を守るための教えもあるようです。
馬に乗った裕福そうな商人に“貴方の着ている粗末なコートと狐の毛皮を取り替えませんか?”と割のいい交渉を持ちかけられたら、丁寧に商人の申し出を断り、それでもなお交換を迫られた時には、先に相手の毛皮を受け取り、自分のコートは後から投げて渡すようにしなければなりません。
そして、毛皮を手にしたら品定めなどせず、直ちにそこから立ち去らなければなりません。
そうすれば貴方は商人から命を守ることが出来るだけではなく、商人の毛皮も手に入れることが出来るでしょう。
なぜなら商人は粗末なコートが欲しいのではなく、コートの中に幾らかのお金が入っているだろうと考えているからです。
貴方が先にコートを渡してしまうと、毛皮と交換する前に馬で逃げて行ってしまいます。
また、交換したらすぐにその場から逃げなければ、貴方のコートの中にお金が入っていないことに気付いた商人が追いかけて来て、毛皮を取り戻すだけではなく、貴方の命まで奪ってしまうからです。
中世にはこのような災難を回避する方法を教え、注意を喚起していたフリーメイソンのロッジにも、近世になると階級や職業によるセクト化がおこり、優位性や覇権を争う戦いが頻発し、様相が一変してしまったようです。
同業者組合的な色合いが強く、労使間に起きる問題解決を主に行なっていたロッジでも、時代の変遷や社会の発展にともなって、人間社会の持つドロドロした欲望と権力、そして富を奪い合うという醜い姿に変化してしまいました。
自分たちを狼と名乗ったロッジの出現が発端となって、あれはウサギだとか、いや狐だとかと呼び合い、あたかもアニマルキングダムのような様相を呈した時期もあったようです。
覇権争いの激化に伴ない、暗殺リストや武器リストなどを作成していた人たちもいたとか。
2人以上の人間が住む社会では仕方の無いことなのかもしれませんが、悲しいことに富や覇権の誘惑に負け、欲望を克服出来なかったという事例も沢山残されているそうです。
この時期に起きたことの一面だけがクローズアップされ、後の世まで語り継がれることになり、陰謀説や秘密のテロ組織、世界制覇を狙う邪悪な秘密組織などといわれる原因となってしまったことは、否定出来ない事実のようです。
以前旅日誌にも書きましたが、フリーメイソンに関する噂話を完全否定することが出来ないのは、このような理由もあるからです。
2007年7月18日
1日中、激しい風雨。
毎日3〜4回は訪れる停電にうんざりして、まだ始まったばかりだというのに早くも雨期が終わることを願いながらロウソクの炎を眺めていると、昔、私がある老人から聞いたドイツの旅する職人たちの話を思い出してしまいます。
それは、古いヨーロッパに伝わるお伽噺のたぐいで、まあ、大人のファンタジーとでもいうようなものです。
クローゼットの奥に魔法の国があるという話もあれば、魔法の国と現実の社会を往来することが出来る老学者の話、遠く異郷を旅する旅人への戒めや教訓を含んだ物語などバラエティーに富んでいます。
それらのお話は、いつも老学者や賢人のところに偶然迷い込んで来た人が主人公となる形式を踏襲しており、老人は決まって同じ話題から話し始めます。
“貴方は、貴方の弟子や兄弟たちの前では愚鈍を装わなければなりません。
無用な混乱に巻き込まれないためにも、そうしなければいけないのです。
貴方は、弟子や兄弟たちから信頼や賞賛の言葉を受けるために親方になったのではないのです。
貴方自身の顕示欲や虚栄心が引き起こす災いの炎から、ただ1人で自らの身を守らなければならないのです。
貴方は、貴方自身が未来社会を担う兄弟たちのためにあるということを忘れてはいけません。
貴方の知恵や才覚や器量は、彼らのものなのです。貴方は、時代を超える伝承者なのですから”
という意味不明の話が枕となって、何の説明もないままに話が始まり、
“貴方が信じようが信じまいが、お伽の国の宝物は、貴方を含めて誰もが知っている聖堂のような所に隠されているのです。
その宝は3つの鍵で守られ、いつの時代にあっても営々と、人知れず3人の人たちの手で守り抜かれ、3人の鍵持つ人たちは、広い世界にそれぞれの存在を知ることなくそれぞれの持つ鍵を守っているのです。
そして決められた時、決められた人の手に3つの鍵は集まってくるのです”
という何か謎めいた言葉で終わるのです。
こうした不思議な話を初めて聞いたのは、私が30代になった直後の頃でした。その時、
“私と貴方との出会いは、周りの人には偶然極まりないことでも、当事者には必然なのです。
世界が金の文明に輝いていた昔から、決められていたことなのです。
貴方のDNAが書き込まれた時には、今日の出会いが書き込まれていたのです”
と言われ、面食らったものです。
“今、分かろうとしても無駄なことです。
貴方にその時が来れば、私と貴方との出会いや、今日、私が話したお伽噺の意味を理解出来ることでしょう。
それまでは、年寄りの暇つぶしに付き合ってやっている程度の話でいいのです。
ただ、今日のことを記憶の片隅に残しているだけで十分”
と言われたことが蘇り、雨期の暇つぶしの好材料になっているのですから可笑しなものです。
炎の揺らぎに身を任せ、漂い、心落ち着かせている毎日、退屈はしないものです。
若い時には逸る気持ちを抑え、愚鈍に徹し、誰からも警戒心や競争心を抱かれることなく、目立たぬ存在になりきることが、大義に生きる者に求められている資質なのだとか。
自らの欲望を制し克服した時、まだ見たことのない新たな広がりが目前に広がるのだそうです?
2007年7月15日
人間の能力には驚かされてしまうことが度々あります。
かつて一度だけ目にしたり耳にしたりしたことのある事柄を、まるでそれを記憶するために多くの時間を割いて学習したかのように、鮮明に記憶しているのです。
前回、旅人が旅立つ前の儀式についての教えをお話ししたのですが、これが契機となって、私もまた大昔の旅する職人たちの教えや教訓、そして戒めなどについて多くのことを思い出してしまいました。
今日は、それらのほんの一部なのですが、現代のビジネスマンたちにも通用するものではないかと思われる幾つかを紹介してみようと思います。
中世ドイツでは、各種のギルドに所属するマイスターになる前の職人や熟練工たちが、自分の技術を磨き広め、また新たな技術や知識の習得の為にヨーロッパ各地を旅していたそうです。
旅する渡り職人たちのこうした活動によって、最新の技術やそれに伴なった情報が、ヨーロッパ各地に伝播したといいます。
旅をした職人は石工だけではなく、飾り職人や大工にカーペット職人、仕立て屋もいれば肉屋に馬車を作る人たちなど、およそ考えられる職種の職人たちが旅をしていたそうです。
この職人たちの習慣は中世に始まったものではなく、古くはソロモン神殿が建造された時代にも、わずか15歳で石工の親方になるためギリシャに旅をして、建築と彫刻を高名な哲学者で科学者だったピタゴラスに学び、大棟梁ヒラムのような職人となったという記録が今に残されているそうです。
このように、高名な師匠の門を叩くために旅をした、いわば留学生とも言える人たちも多かったといいます。
教えの中には、初めて訪れる土地での処世術も含まれていたようです。
例えば、“お前は、どこから来たのか”と尋ねられたなら、本当のことは言わずにその町から1日、2日の所にある町の名を答えなさい。あまりに遠方からの旅人だと知ると、警戒され多くの災いが自分自身の身に降りかかるからと教えています。
また親方の前では、決して自分の能力を誇示してはならないという教えもあります。
それは、親方の元で働く同僚仲間たちの妬みを買うことになるからといいます。
また、目をかけてくれた親方にも、自分の座を奪われるのではという不必要な猜疑心を抱かせることになってしまうからです。
そして、自分の旅の荷物と道具類の入った行李を、他の職人たちと同じように壁に掛けてはいけないという教えもあります。
たくさんの食料が入っていて床に置けないのではという考えを同僚たちに抱かせてしまうからです。
さり気なく道具棚の下に置いておけば、親方の道具も自分の行李も盗まれることは無いでしょうと教えています。
さらに、朝目覚めても同僚たちより早く床を出てはいけないという教えもあります。
同僚たちが起き出し、寝坊を咎められる程度に遅く起きるのが良く、何を置いても如才なく立ち居振舞い、人の注目を浴びるような事をしてはならないというのです。
旅人は異郷にあって、食事にしても仕事にしても、非の打ち所の無いような人間を演じてはいけないそうなのです。
一時の自己顕示欲に刈られた軽率な行動を慎まなければ身を滅ぼすということを、多くの例を並べて戒めています。
辺りを見渡し、弟子たちの中で愚鈍なる人の少しだけ上に自分の身を置き、不器用で誠実な職人になりきることが出来ない職人に大成はないとまで言い切っているのです。
旅人の目的は、親方に認めてもらうことではく、その親方の技術をいち早く習得し、速やかに次の地へと旅立つことだと教え、親方の関心を引くような行動を厳禁としています。
現代のビジネスマンも、自己の才能に溺れ同僚仲間たちの反感を買うようでは、いかに上司の信任を得てもそれは一時的なものでしかありません。
上司から自分の地位を脅かす存在と疑られれば、転職しか自己救済の道はなくなってしまいます。
いつの時代でも、虚栄心に顕示欲、そして才に溺れた行動は戒めなければならないようです。
個を貫くことも徒党を組むことも、同じように注意しなければいけないようです。
富と名声を求める二人以上の人間がいる社会でのこと、いずれにしても簡単な問題ではなさそうです。
2007年7月8日
ここのところ、なぜか分からないのですが、心の落ち着かない日々が続いていました。
季節の変わり目には決まってこんな気分になるものなのですが、どうやら今年の胸騒ぎは他に原因があったのかもしれません。
何となく鬱状態にあった私は、以前耳にしたある話を思い起こしました。
その話は、17世紀の産業革命よりもはるか以前の、初期ルネッサンスの頃のものになります。
その当時、ヨーロッパ圏内を旅する人々はもとより、遠く東の国々を目指した旅人も沢山いたそうです。
その旅人の中には、多くの戒めを守る人たちも含まれていました。
その人たちは旅立ちにあたり、町の城門で3枚の鳥の羽を吹き飛ばしたそうですが、それには以下のような教えがありました。
1枚の羽は右に飛び、やがて再び城壁を越えて城内に戻ってしまいます。
町で貴方の恋人や大切な人でも待っているのでしょうか。
貴方は右に飛んだ羽について行くと、城内に戻ってしまうことになるでしょう。
しかしそこには、悪い石工仲間たちが待ち受けています。
彼らが石材をしっかりとロープに結ばなかったため、石材は不幸にも貴方の上に落下し、貴方は首の骨を折って死んでしまうことになるでしょう。
だから右に飛んだ羽を追ってはなりません。
もう1枚の羽は左に飛んで行き、満々と水をたたえた池へと向かいます。
貴方はその羽について行くと、中央ヨーロッパの旅人が持つ石のように硬いチーズか、ドイツで呼ばれている石臼が水の中に転がって行くのを目にするでしょう。
それを追うように飛んで行く羽にしたがって、貴方も水の中に飛び込みますが、羽は貴方の後方に着水してしまいます。
慌てて追いかけようとした貴方は、池の深みに入り溺れ死んでしまうでしょう。
だから左に飛んだ羽も追ってはなりません。
貴方は、真っ直ぐ正面に飛んで行く3枚目の羽について行かなければならないのです。
私的な野望や欲望を満たすために、進路を誤ってはいけません。
このお話を思い出したことで、心が落ち着かなかった私もしばしの安らぎを取り戻すことが出来ました。
いつでも敵は身近におり、ゲーテのファウストに出てくるメフィストの囁く声に耳を貸してはいけないようです。
2007年6月23日
人類は長い歴史の中で、多くの過ちを犯して来たのかもしれません。
“人類の犯した最大の罪は、未来の社会が今よりも進化し優れているものと信じて行動して来たことだ”と断言する人類学者がイギリスにいます。
彼は自信を持って、未来の人間は我々よりもはるかに劣化していると言うのです。
古代の哲人や輝ける文明を担った人々が、人類の進化を信じて疑わなかったことが、そもそもの大きな過ちだったことになるとか。
私の古い友人が、ポート・アレクサンドリアの市街地を海上から眺めながら、
“人類の歴史は、金の文明、銀の文明、青銅の文明を経て、現代の鉄の文明へという4つの文明を経験して来ているんだ”
という全く聞いたこともないような話をしてくれたことがありました。
彼の話もまた、一番古い金の文明が最も優れていて、順次劣化した文明になっているというものでした。
その際、彼はその話を検証するように、土地柄から古代エジプトの神聖文字(ヒエログリフ・象形文字)を例にとって説明してくれたことを、四半世紀以上経った今も鮮明に記憶しています。
“誰も皆、古代の人は幼稚な絵文字で記録することしか出来なかったんだと言い、それを疑おうとしない。
蛇の絵や人の姿、手や足といった文字を稚拙だと言うんだ。
しかし、少し考えてみてくれ。数千年過ぎた今でも、書き残した当時の人と同じに蛇は蛇、鳥は鳥として認識出来る。
そのことを知っていたからこそ、未来へのメッセージに絵文字を使い、特別な神聖文字として扱ったことが分かるだろう。
どんなに時間が経過しても、絵と数字と音のオクターブ以外に不変であり続けることが出来るものはないんだ。
そんな彼らであっても、未来に贈ったメッセージの受け取り手を、自分たちよりも進化した人たちだと思い込んでいたんだから、救われないよ。
多くの時間を無駄にして来たんだ、我々人類は……”
といった話でした。
今このことを思い起こしている私が手にしているのは、神聖文字で書かれたパピルスのCODEX(写本)の写真。
シャンポリオンによって解読された神聖文字は、今現在発見されているすべての文書の僅か数パーセントという現実を前に、神聖文字によって書き贈られた真のメッセージは何だったのかと思いを巡らせてみることしか出来ません。
“もしかしたら、神聖文字こそが最も優れたコンピュータ言語になるのでは?”などといった思いつきも、一概には笑えない話です。
未来を眺めているベクトルを過去の優れた文明へ向けた時が、すべての始まりの時なのかもしれません。
2007年6月16日
古代のピュタゴラス学派は、星の運行に秩序を見出し、その秩序の中に調和音階と同じ比例があることに気付いたと言います。
以来彼らは、活動する諸天球の体系をハルモニアーと呼び、ハルモニアーを統一された全体を組立てること、つまり調和という意味で用いたのだそうです。
ピュタゴラス学派が語る天球の音楽は耳には聞こえませんが、天球の音楽の中に生まれるハルモニアーは、天体の秩序という事実を物語っていて、統一された全体を意味する理想化された表現法の一つと言えるのかもしれません。
中世のドイツに生まれたと言われているストーン・メイソンが造り出したゴシック建築も、ハルモニアーを追求したものだと言う人々も多いそうです。
つまり、完成されたゴシック建築法で建設された初期ゴシック建造物は、天体や天球の中にあるハルモニアーの思想を、音楽という方法論ではなく建築物として三次元的に表現したものだと考えることも出来るのだそうです。
真偽の程は、専門家に任せておくに限ります。
ここで、ある出来事について紹介してみようと思います。
1984年のことでした。
名前は失念してしまいましたが、広島県中部山脈の過疎化が進むある村にあった創立100年近い小学校が、翌年の春で閉鎖されることになったとテレビで報道されました。
校庭に生えていた欅の大木が切り倒され、子供たちが倒された古木の切り株を眺めながら何か記念になるものはないかと考えていた時、先生がこの大木の年輪で音楽を作ろうということを提案したそうです。
“年輪で音楽を作る?”
初めてその話を聞いた時、だれも意味が分からなかったと言います。
狐につままれたような子供たちを前に、“数学的差異があるものならば、すべて音に変えられる”という話をした先生は、子供たち全員に年輪と年輪の間を1つずつ丁寧に計るよう指示しました。
そして先生は、
“ギリシャの哲人ピュタゴラスは、村の鍛冶屋さんが打つ鎚音を聞いていて、ドレミファの音階を発見したんだ。だから年輪のメロディーからも何か発見出来るかも?”
と、その年輪と年輪の間隔のデータをピュタゴラス学派のオクターブ理論に基づき、PCの音楽ソフトで音に変換していったそうです。
その結果、子供たちと先生は、これまで誰も聞いたことが無いような調和のとれたメロディーを聞くことが出来たといいます。
この話はここで終わりになってしまい、世の中の学識経験者たちの興味を引くことはなかったようです。
そればかりか、教育委員会の面々や同じ学校の先生たちであっても同じことでした。
木の年輪の中からメロディーを取り出した子供たちは、現在もう立派な大人です。
先生も定年が近い年齢になっていることでしょう。
彼らは、ピュタゴラス学派のいう天球のハルモ二アーを自然の中に発見したに違いないと私は思うのですが、そんな大それたことに繋がる発見だったかもしれないとは、誰も考えなかったようです。
この出来事から今までに、多くの時間が経過してしまいました。
四半世紀前は、まだその時ではなかったのかもしれません。
しかし世紀も変わった今、私が身のほども考えずにフリーメイソンの方々に向けてこの話をご披露したのは、偶然ではなく必然であると考えております。
フリーメイソンは歴史の中で、天球の音楽やゴシック建築を世に顕現させて来ました。
しかし、私たち人間が時間の経過と共に記憶の中に埋没させ忘れてしまった重大な問題については、未解決のまま放置した状態と言えるのかもしれません。
子供たちの試みは壮大なハルモニアーの存在を明らかにする鍵だったと考えれば、今こそ自然のハルモニアーの音楽を具現化出来る時が到来したと言えるのかもしれません。
高名な音楽家や社会的知名度に拘束されず、フリーメイソン的英知をもって選ばれた約束された人たちを世界に求め、結集することが実現の第一歩。
貧しい人たちへの援助だけが社会貢献ではないのではありませんか?
歴史や伝統文化を継承し、兄弟愛を大切にすることと同じく、古代から継承されて来た知恵を顕在化し、知識を反映した試みを1つ1つ検証していくことも、フリーメイソンの大切な責任のように思えてなりません。
天体の壮大なハルモニアー“天球の音楽”を説いたピュタゴラス学派、その精神を継承し、幾何学の知識で満ち満ちていたドイツのストーンメイソンがゴシック建築を生み出し、そして今、自然のハルモニアーの中に隠れた壮大なシンフォニー“風と水と命あるものすべての賛歌”が生み出される時なのかもしれません。
また、ゴシック建築の図面そのものを数学的差異と考えれば、この差異の中にも音楽的ハルモニアーを見出すことが出来るように思います。
自然界は、数学的差異に満ちています。
いつの日か実現されて欲しいものです。
フリーメイソンには多くの秘密が存在しているという話をよく耳にしますが、こうした試みこそが秘密であり、鍵の無い扉を開く方法や秘密を解く鍵なのかもしれません。
こういった思いに駈られ、もしかしたら失われたソロモンの指輪を発見出来るのではなどと考えてみるのも楽しいことです。
個人に帰属してしまった感性や芸術性を排除し、“風が野山を吹き抜ける音楽”、“川や海の音楽”、そして“夜空に輝く星たちが奏でる天球の音楽”など、自然界が有するファンダメンタルな数学的差異から作り上げられた“ハルモニアー”こそが、万人に共通して認識出来る天球の音楽となるのかもしれません。
これもまた、未来の社会の守り手たちに送る大切なメッセージのような気がしております。
“精神の絶対なる自由”は、多くの荒唐無稽な考えをも包括するものではないのでしょうか。
生意気なことを申してしまいましたが、南国の島ボケ漂流者の見た白日夢とお聞き流し、お許し頂ければさいわいです。
2007年6月6日
GのつぶやきNo.1―ドン・キホーテが集うサロン―で、“鎖で繋がれたアヒル”という新聞が30年以上も前にパリで出版されていたことに触れ、“潰れたのかなあ? 今はどうなっているんだろう?”といったことを書いたのは、今年2月9日のことでした。
あれから4ヶ月後のNHK国際チャンネルで、カナール・アンシエネ(鎖で繋がれたアヒル)というパリの新聞社が、シラク大統領(選挙前だったので)を公金横領で告発したというニュースが大きく報道されたのを見ました。
私が知っていた新聞“鎖で繋がれたアヒル”は、タブロイド版の不定期出版で手作り4Pの新聞だったのですが、現在は立派な新聞となってパリの空の下で生き続けていたようです。
この新聞の消息が気になっていたものですから、ニュースでその存在と詳細を知ることが出来て嬉しかった訳ですが、それ以上に、気になっていたことの答えが見つかったことに驚いてしまいました。
偶然はなくすべてが必然だという私の口癖を証明してくれたような出来事に、1人で興奮して冬眠から目覚めた熊のように室内をグルグル歩き回ってしまいました。
最近こうしたことが、度々私の身近に起こります。
偶然にしては起こる頻度が高いので、少々気になっています。
世の中には不思議なことが沢山あるものです。
私の若い頃、
“真に望んでさえいれば、貴方に分かる時が来たら、答えは必然と見つけられるものです。その答えは、案外貴方の身近な所にあるものです”
と、知り合いの老人が話してくれたことがありました。
その時でした。彼が謎々のような話をしてくれたのです。
“若い友よ、歳若い兄弟よ、理解しようとしてはいけません。いくら努力してもその時が、理解する時が貴方に訪れなければ、貴方が手に出来るものは、満足したという充足感と自分自身の努力に心地よい疲労を覚えるだけなのです。それを、理解したと錯覚するだけでしかないのです”
意味不明のまま何十年も経過した今、私は、老人から勧められたある書物の中にあった記述を、突然何の前触れも無く思い出してしまいました。
それは、ヘルメス・トリスメギストスの一節でした。
正しい訳文ではありませんが、思い出した範囲で紹介してみようと思います。
ある時私は、存在するものについて瞑想していたのです。
私の意識は覚醒し、体の感覚は麻痺したようになっていました。
その時、表現出来ないほど巨大な誰かが、私の傍にいることを直観したのです。
その存在は、私の名を呼び、こう言ったのです。
“おまえは何を聞き、何を見たいのか、思考によって何を理解して学び、知りたいのか?”
私はその問いに、
“あなたはどなたですか?”
彼は言いました。
“私はポイマンドレース、絶対の力たるものである。私はお前の望むところを知り、どこにあってもおまえとともにある”
私は言いました。
“私は存在するものを学び、理解し、神を知りたいのです”
と、それに対して彼は答えてくれました。
“おまえの理性に、学びたいものをしっかりと留めおくがよい。そうすれば、その時がおまえに訪れた時、私はおまえにそれを教えよう”
というものでした。
不思議なことが頻繁に起こり出したことは、扉が開く前触れなのか、啓示なのか、あるいは単なる自惚れなのかは分かりませんが、若い時の疑問が、還暦を過ぎて氷が溶けるようにごく自然に当たり前に解けるというのも事実です。
時計に目を向けると、いつでも計ったように3が3つ並んだり、5が3つ並んでいたり、ぞろ目に無意識に目が行ってしまうというのもかなり問題です。
テレビの電源を入れると、見たかったニュースや知りたかったことをいつでも見ることが出来るのですから、すでに私のボケの症状が進行しているのか、不安になってしまうこともあります。
※ Gのkoibumiの“Time Traveler:序章”も参照して下さい。
2007年5月28日
昨夜、フリーメイソンの歴史に関する海外の出版物について、Googleブック検索してみました。
すると“the history of freemasonry”というキーワードでのヒット数は、驚いたことに2957件もありました。
それらの中にはamazon.comなどで販売されているものもあり、デジタル書籍ですと価格も大幅に安くなっているのでさらに驚かされた次第です。
$17位から高くても$150程度で、$25から$50といったところが主流でした。
ロバート・フレーク・ゴールドの手で1882年から1887年までの間に出版されたというフリーメイソンの歴史全6冊のうち5冊(5ページ?)の写真もGoogleブック検索で紹介されていましたが、詳しい内容の記載も無い上に発行年にも怪しい点がありました。
理由は不明なのですが、発行以来一度として一般公開されていないのですから仕方がありません。
1887年に同じくゴールドによって全3冊に再編集された“The History of Freemasonry”という本が6冊の代わりに出版され、そして10年後の1898年にアルバート・マッケイも全く同じタイトルの書籍を発表したようです。
現在、ゴールドの3冊はオリジナル本のCDコピーが、そしてアルバート・マッケイの書籍については、“History of Freemasonry”という復刻版(?)や、それを元に編纂されたと思われる様々な書籍が電子ブックなどでも入手出来ます。
それらすべての元となったのは、ロバート・フレーク・ゴールドの“The History
of Freemasonry全6冊”であったにもかかわらず、ゴールドがこれを一般公開しなかったため、現在ではアルバート・マッケイの書籍が最古のフリーメイソンの歴史書として認識されているというのも皮肉なものです。
著作権法で知的所有権が保護される制度がなかったとはいえ、100年以上も前に、我こそがフリーメイソンの権威だとして知識の切り売りを図り、生活の糧を得、蓄財していたのかと考えると、驚きとともになにかしら物悲しくなってしまいます。
ここを出発点に電報ゲームが始められ、原本の正誤を確認する術も無いまま、フリーメイソンについて語った人ごとに新たな認識が生み出され、それが100年以上も続いてきたのですから、作り上げられてきたイリュージョンがとんでもないモンスターに成長していても少しも可笑しくはありません。
その結果、日本国内での出版物の主たる内容が一挙に陰謀集団やオカルト集団、そして世界を操る陰の権力組織と飛躍してしまってもしょうがないのかもしれません。
真実という名の下に流布される誤報や虚報は、世の中に与える影響力の大きさだけでは済まされない、犯罪ともいえるほど愚かしい問題になってしまいます。
興味が原動力となって生み出されてきたイリュージョンは、生み出した側だけの責任という訳でもありません。
かといって、的確な情報を開示してこなかった当事者に非がある訳でもありません。
また、未知なる物を素材に専門家気取りでいる人たちを容認してきたマスメディアに責任があるというのでもないのです。
きっと正確な情報が公開されていたところで、やはり誤報や虚報は生み出されていたに違いありません。
こうした愚かな人間の性ともいえる習性を考慮した上で、伝えなければならない真実を最小のリスクで未来の社会の守り手に送り届ける方法手段として、秘密主義的且つ神秘主義的なスタイルが堅持されているのかもしれません。
何はともあれ、いつの時代、いつの場合にも、人間と真実の間には見ることの出来ないレンガの壁が存在しているようです。
この空気のようなレンガを透して真実を知るためには、カエサルでもなく、創造主でもなく、それらを超越した絶対なる宇宙的存在に対する畏怖心と信仰心を持ち、弛まぬ自己研鑽にしか術はないのかもしれません。
実態を知れば知るほど、容易ではない求道者の道に驚いてしまうかもしれません。
“それじゃ楽しくなんかないじゃん”という言葉が聞こえて来るような気がするのと同じように、ある種のファンダメンタリストの逆鱗を買ってしまうかもしれません。
しかし、老人の世迷言、ボケ老人の妄想とお笑い頂き、お聞き流し下さい。
2007年5月18日
12世紀のペルシャに、オマ カヤムという詩人であり科学者だった人がいたそうです。
彼は、歌っています。
地の中心から、7つの門を抜けて
私は昇り、土星の王座にすわる
私は道すがら多くの結び目を解いてきた
しかし一番の難物、人の運命という結び目だけはそうもいかなかった
私には鍵の見つからない扉があった、
私には見透かすことの出来ないヴェールがあった、
ほんの僅かの間、私と君の噂話があったのだが………
いつの間にか、君のことも私のことも、もう話は聞かない
謎のような歌ですが、読み解くには幾つかの約束事があるそうです。
“旅や道”という言葉には、“魂の上昇”という意味が含まれており、また人は“魂の上方への旅立ちに際して、衣服を脱ぎ捨て、結び目を解き、絆を解く”と言われています。
古い詩や歌、文学上の作品にこれらの表現があれば、それには魂の有り様を指した秘儀参入に纏わる記録の側面があるそうです。
古代のミトラス教の秘儀には、7つの門を通過させる儀式があったと言います。
この門は、7つの惑星を表していたそうです。
またイシスの秘儀では、7回あるいは12回に及ぶ扮装を脱ぎ去る再生の儀式が行なわれていたと聞きます。
こうした文学上の約束事がたくさん存在する古代の記録には、それ自体に難解なパズルとしての側面があったようです。
“沈黙の鍵は、見過ごされる”とか。
“未来の守り手になるための儀式”はすでに形骸化してしまい、転生の疑似体験は、個人的な精神の高ぶりを助長するだけの演出過剰な通過儀礼になってしまったと聞きます。
真偽の程は分かりえませんが、そうなっていることも必然と考えれば、その意味自体に“沈黙の鍵”の意味があるのかもしれません。
静寂の中で平穏を感じ、安らぎを味わっていても、時に私は、未来の恋人に熱い想いを伝えたいと小さな笹舟を折り、恋文を乗せ、悠久の彼方に送り出したくなってみたり、今いる未知なる友に便りを出したいという想いに駈られ、直観というかあるいは啓示なのか、強い衝動にかられたりすることがあります。
―新しい衣に身を包み、旅立つまだ見ぬ友への便り―
多くの兄弟たちは、それぞれに違った想いやもくろみで、再生の旅を始めるそうです。
再生、転生には、百人百様の理解法があり、どれも正しいことであると聞きます。
しかし、偽りのない兄弟たちの想いに応じて未知なる門戸が開かれることはあっても、それ以上の門の扉は開くことがないそうです。
私利私欲、名誉心それぞれの想いに応じて適切な処遇を受け、想いやもくろみが充足されているような心地よいイリュージョンを満喫出来るのも事実だそうです。
フリーメイソンのメンバーには、精神の自由を神と契約し、光の下での平等と、コスモス的な同胞兄弟愛が存在している以外、正しい道やより良いメンバーになるための方法はなく、そのためのマニュアルもないと聞きます。
すべてが自己責任に任されているそうです。
故に、己の想いを独善の中に置かないことこそが肝要になるのだとか。
ただひたすら、約束された時に神殿建設のための完全な石材となることを目指して、自らを高め研鑚することも一つの方法かもしれません。
新たな旅立ちが静寂かつ平穏でありますよう、南の島よりお祈りしております。
偶然ではなく、すべてが必然であることを願って……。
2007年5月8日
“夢を見なければ、本物に出会える”
考古学者の言葉だそうです。
期待や願望を捨て、黙々と自分にかせられた役割を果たしていくことが、目的に出会える唯一の方法と説いているとか。
夢を見れば当然のように失望し、夢が続くとやがて絶望に変わり、自分自身のご都合主義的論旨の展開を試みることになるのだそうです。
“小さい頭で捻くり出した自己正当化の詭弁で、何百万年も積み重ねられてきた人類史を捉えるなど出来るはずもないことで、それが分からない者は、自分の愚かさと傲慢さを才能と錯誤した人生を送ればいい”
という、口の悪い気難しい老考古学者もいるそうです。
遺跡の発掘とは、膨大な時間とエネルギーをかけた文献作業と資料作りを行い、それを元に推論をアプローチして仮説を立て、発掘というフィールド作業を行い、その仮説を論証していくという気が遠くなるようなものだそうです。
遺跡を1つ発見しても、それは膨大な歴史の一点を撫で回して人類の足跡を論じるようなもので、いい喩えではありませんが、中国の“群盲、象を撫でる”に等しいとか。
現存している儀式やサイン、独自の記号、広く語り続がれて来た歴史的エピソードを通してフリーメイソンの起源や歴史を推し量ることは、“群盲、像を撫でる”ことにもならず、大きな布で作られたマントの一つの織り目にもならない微小なことかもしれません。
矮小な一事で全体を覗けるほど、歴史を知ることは容易ではありません。
フリーメイソン・フリークの夢を砕く訳ではありませんが、出土した小さなテラコッタの破片から、かつての完全な姿形を思い浮かべることは不可能です。
錬金術や中世の神秘主義についての造詣が深くとも、実像は透明なレンガの壁の向こうにしか見えないものです。
学習し理解していくということは、膨大な階段を一段ずつ登り詰めて行くことです。
フランシス・ベーコン卿とアリストテレス学派の結びつきを明らかにしたところで、同じことでしかありません。
エンドレスなステップを夢みることなく坦々と登って行くことが、私たちに出来る唯一のことなのかもしれません。
2007年5月1日
世界の七不思議ではありませんが、理解不能なことが身の回りには沢山あるものです。
19世紀末、ドイツの民俗学者レヴィは、世界の少数民族や先住民たちを対象に、数詞の概念についてフィールド調査をしたそうです。
その結果、どうしたことか世界中のどの部族にも3までの共通した認識が存在していたといます。
そればかりか、3以上を“一杯”や“沢山”と表現することについても、一つの例外もなかったそうです。
狩や猟の訓練の存在は、どの部族にも共通していたものでしたが、これといった教育システムは存在していなかったといいます。
他部族との交流が全く無く、同族であってもそれぞれが孤立した環境で生活をしていて、集落ごとにそれぞれが言語を持っていたにもかかわらず、3までの数詞をそれぞれが所有していたこの事実から、レヴィは、3までの数詞の概念は、地球上のすべての人間が所有する共通した認識だという考えを学界に発表したそうです。
その際に彼は、人間は同根から生まれた同一説という仮説を立てたのですが、当時の社会ではあまりに突飛な考えだとして一笑に伏されてしまったそうです。
なぜ人は、教育を受けなくても3までの認識を共有しているのでしょう。
ふと考えると、たしかに不思議なことです。
これと似たような話になりますが、どうして神の国が空の彼方にあり、人間が死ぬと空の星になると無意識に感じているのでしょう。
逸話を知らなくても、教育されたことがなくても、宗教的プロパガンダを受けたこともなくても、未開といわれている人たちにも共通した考えが実際に存在しています。
天国は天上にあり、地獄は地下にあると考えているのは、私たちだけではないのです。
マリ共和国のサハラ砂漠の周縁部に住むドゴン族も、ナンビアの砂漠の民コイサンマンも、オーストラリアのアボリジニも、アメリカ先住民も、シベリアに住むギリアークも、皆同じ認識を所有しているといます。
そればかりか、アマゾンの先住民もパプア・ニューギニアの先住民も、地上に暮らすすべての人が持つ共通した認識なのだそうです。
難しいことは分かりませんが、何かしら人類に共通した起源説という重大な問題が隠されているような気がしてなりません。
全宇宙の創造主と、人間や自然、闇と光を創造した創造神とは、違う存在であるという話を聞いたことがあります。
我々人間を創造した神と、全宇宙の創造主とが同一ではないとすれば、私たち人間は何を信じ、何を心の拠所とすればいいのでしょう。
時間が許すならば、マニ教の経典や、“知る者”という意味のグノーシス主義、ヘルメス文書、ピタゴラス学派の天球の音楽など、じっくりと学んでみたいものが沢山あります。
膨大なアレクサンドリアのパピルスに記されたcodexや死海文書など、きりがありません。
私もせめて夢の中だけでも、“知る者”グノーシスになってみたいものです。
2007年4月22日
フリーメイソンの歴史は、古代にまで遡れるものの、全体像は暗雲に遮られ隠れたままのようです。
古代の壮大なロマンは、かろうじて人間の用いる文字というベール越しに垣間見ることが出来るに止まっています。
薄いベールとはいえ、その全体像を把握することは現代まで出来ず、推測する以外に方法はないようです。
古代から多くの文学者の手に委ねられてきたフリーメイソンについての記録は、彼らの手で幾つもの物語を生み出し、それらが歴史の流れの中で多種多様な話に変容し、どれもが真実として現代にまで伝えられています。
“どれも真実であり、事実を物語っているのだが、問題は文字という軽薄な記録手段で書き残されてしまったことかもしれない”というのは、ある歴史学者の言葉ですが、そのお陰でどの話も不完全で枝葉末節なものばかりとなってしまったのかもしれません。
それらの数多くの話が織り上げたフリーメイソンに纏わる話は、人の興味を刺激し、奇怪なものだけが強調され、俗悪な暴露好きたちの餌食になってしまったのだとか。
タングルしてしまった数多くの物語は、時代時代の文学者の手を経て、更に新しい話を生み続けているのだという人もいます。
フリーメイソンの歴史に纏わる話は、歴史的記録というよりもその時々の文学者たちの才能が生み出した物語としてとらえた方がいいのかもしれないという研究者もいるのだとか。
さらに、フリーメイソンを理解するひとつの方法として、現在広く認識されているフリーメイソンの起源に関する諸説をひとつずつ丹念に否定する作業を行なうことで、初めて暗雲の彼方の真理を垣間見ることが出来るのかもしれないという乱暴な考え方もあるそうです。
それは、石工組合説、テンプル騎士団説、バラ十字団説、ピタゴラス説、プラトン説、フェニキアの王ヒラム説、ソロモンの神殿建設の大棟梁ヒラム説、ドルイド説、エジプト説、ユダヤ教説、古代キリスト教説、アトランティス説、エイリアン説などの多くの説をまずは全否定し、頭をゼロにリセットしてから、人類の歴史や文明や宗教という最も基礎的な知識を充足させる作業から取り組み、“人はどこから来て、どこへ向かうのか?”という大テーマについての思索にふけることが、すべての謎を解く鍵になるのかもしれないという考えなのだそうです。
気の遠くなるような話ですが、決して乱暴な話ではないのかもしれません。
人類が長い歴史の中で守り通し、密かに伝え続けてきたものを、一足飛びに分かろうとする安易な考えを持つのも人情なのでしょうが、謎解きが好きだから、知りたいからといった覗き見趣味のような好奇心が、多くの偏見を生み出してきた要因の1つになっているとも考えられるのではないでしょうか。
“謙虚な気持ち、いや素直な直観力で、なぜ? と自問自答していくことが大切”とは、「直観の勧め」を書いたアメリカ人女性作家の言葉らしいのですが、重みのある指摘かもしれません。
ある老人が、“知る準備が出来た人ならば、望めば熟した果実が枝から離れ落ちるように、自然に当たり前のこととして扉は開かれる”と言っているのを聞いたことがあります。
謎を解く意味は、インディジョーンズの世界の宝捜しでもなく、世界の陰謀集団を暴いて糾弾することでもないようです。
フリーメイソンの起源を知るには、受験には不必要だった古代の西洋史を新たな気持ちで学び始めるといった迂遠に感じられる道程が、実は一番の近道になるのかもしれませんね。
いずれにしても、物事を面白おかしく捉える前に、私たち今に生きている者は、歴史と先人たちの足跡に最大級の敬意を持って接していかなければなりません。
2007年4月14日
私の生まれた1946年の前年は、第二次世界大戦が終結した年ですが、同時に考古学の世界、取り分け宗教史学界において、エジプトのナグ・ハマディからグノーシスの聖典の完全な文庫が発見されたという画期的な出来事があった年でもあるのだそうです。
それまでにも20世紀初頭から中後期に至るまで、世界各地でcodexの発見が相次いでいました。
20世紀に入ってすぐに中国西域のトルファンからマニ教の文書が出土したり、1930年頃にはエジプトのファイユームでコプト語のマニ教文書の一部が発掘されたりしたそうです。
それからしばらくして、イスラエルで死海文書も発見されました。
これらの考古学的資料に加えるべきものに、マンダ教の文書があるとか。
これは、長い間世界から忘れ去さられていたにもかかわらず、人知れず生きていたマンダ教宗派に接触を試みた研究者たちの努力が、19世紀後半から現在まで続けられて来た結果、成し得た業績なのだそうです。
少しずつ世界に発表されて来たこのcodexは、紀元前1世紀から約500年間に西方世界で起きた精神的革新運動と、その運動が挫折するまでの過程を明らかにする上で、基礎となる重要な資料なのだそうです。
多くの考古学的発見は、考古学者による発掘の他に、全くの偶然に羊飼いや農夫たちの宝探しのおかげで発見されたものが多いと聞きます。
そして不思議なことに、発見が過去にプログラムされていたように、研究に必要不可欠なものが、必要とされる時に世界各地で発見され、研究者の元に集まって来るのだそうです。
過去に約束されていたような発見が、19世紀後半から現在まで続いているといいます。
そして21世紀前半には、長い間人類史上謎とされて来た多くの物事が明らかになったとか。
20世紀初頭のアメリカの霊能力者エドガー・スノーは、“決められた時に、予め決められた人の手で秘密の扉が開けられ、人類は新しいステージに立つ”と語っていたそうですが、笑い話のような彼の話を裏付けるような発見が、実際に世界各地で起こっており、膨大なパピルス文書の解読や研究で多くの事柄が証明され、全く新たな遺跡が発掘されるなど、考古学的発見が相次いでいると聞きます。
こうした現象を、“歴史の不思議。タイムカプセルの開かれる時が間近なのかもしれない”という高名な宇宙物理学者もいれば、“ト−ラ(旧約聖書)には、歴史の中で起こり得るすべての出来事が暗号化されて記録されている”と発表し、世界を驚かせたイスラエルの旧約聖書研究家もいるそうです。
考古学や精神運動史や古代の秘儀宗教とフリーメイソンがどう繋がるのか、あるいは全く無縁なのかは知りませんが、スキャンダラスな話だけのフリーメイソンではなく、歴史的な神秘のベール越しに垣間見るというロマンに興ずるのも必要なことかもしれません。
とかく世知辛い世の中、ぎくしゃくしながら過ごすよりも、心の自由を謳歌することも大切なのではないでしょうか。
シュリーマンのトロイ遺跡発見の直接的契機となったのが、旧約聖書だったとか。
歴史の旅の案内書として旧約聖書を読むの楽しいものです。
2007年4月8日
正月以来、久しぶりに不思議で意味不明の夢を見てしまいました。
1972年、私は友人のアルメニア人に連れられて、あるレストランに行ったことがありました。
地下にあるレストランの細い階段をちょうど降り終えた時、振り返った彼が背後の階段の一番上、入り口の上部にある“三角形と目”の印を指さし、“覚えているかい?”と私に尋ねたのです。
そのレストランは、“オマー カヤム”という名だったと記憶しています。
その時だったと思うのですが、彼は世界中どこへ行ってもこれと同じ名前のレストランがあり、あの印を見ることが出来ると話してくれました。
そのことが、何の前触れもなく唐突に夢に出て来たのです。
オマー カヤムとは12世紀のペルシャの詩人であり大科学者だそうですが、私はこの説明を彼から直に聞いたのか、あるいは夢の中で聞いた話だったのかは判然としません。
夢の中では、何の脈絡もなくイシスの秘儀参入者のための儀式の話になっていました。
参入者は、7つの扮装を着たり脱いだりしなければならず、それは長い時間続き、時々苦痛を伴うこともあったとか。
この儀式は、秘儀参入者の再生を意味するもので、再生、変身、変容という用語は、これらの儀式を背景として作り出され、秘儀宗教の言語の一部になったなどという話でした。
夢の中で、私はそれらが何のことだかさっぱり分からず、ただオロオロとしているだけ。
その時、彼が言ったのか他の誰かが言ったのかははっきりしませんが、
“あなたの理性に、知りたいこと、学びたいことをしっかりと留め置きなさい。その時が来れば、あなたは新たな世界の広がりを目にし、その時、あなたはすべてを知るでしょう”
という声が聞こえたのです。
突然そう言われても、どう対処しどう理解すればよいのかさらに当惑してしまいました。すると、
“解かろうとしないのが、人に出来るただ一つのことです”
と言うのです。
夢は続き、7つの門だの12だの、土星の王座に旅、鍵の見つからない扉だのという言葉を耳にしたのですが、かろうじてこれらの用語を記憶するだけで精一杯でした。
狐に摘ままれたような不思議な気分で目覚めたのですが、どうも気になってしまい、旅日誌に書き残しておこうと考えたのです。
何がどうこうという訳ではないのですが、こんな夢を見る私自身、言い知れない不安と怖さに襲われ、押し潰されてしまいそうな気がしてなりません。
2007年4月2日
私が“西から東への旅人のへそまがり日誌”を始めた時に、西と東についての説明をしていなかったことを今頃になって気付きました。
話が前後してしまいますことをお許し下さい。
ここで用いている西と東は、現在の西洋や東洋といったものではなく、大昔のヘレニズム時代にアレクサンダー大王が東方征服を試みた時期(紀元前334年から323年当時)の図版における西と東です。
西とは、エーゲ海を中心とするギリシャ世界のことであり、東とはエジプトからインドの辺境までの古代オリエント文明を意味しております。
マソニックの歴史を考える際、アレクサンダー大王によって当時の西と東が統一された、いわば古代史の転換期におけるグノーシス主義の存在と、その影響について考える必要があると思ったことから、こうして西と東の意味にこだわった訳です。
しかし、軽はずみにも旅日誌のタイトルに使ってしまいましたが、悲しいことにグノーシスという言葉を知っているだけの私には、全く歯が立たない問題でした。
新しい試みとして旅日誌を書き始めるにあたり、ヘレニズム時代の西方と東方それぞれの役割、ヘレニズム思想の中核を担ったであろうバビロニアの宗教、古代ペルシャのゾロアスター教がバビロニアに与えた影響などについて考え、自分なりの見解を見出せればなどと大それたことを計画していたのですが、残念ながら浅学非才の身では“門前の小僧、習わぬ経を読む”といった芸当も出来ず、実現不可能だったようです。
これらについて理解出来れば、古代アレクサンドリアでのユダヤ教哲学の成立、東方秘儀宗教の普及と精神的秘儀宗教へ発展した経緯、古代キリスト教が成立した過程、グノーシス運動が活発化した社会背景などについても考えを発展させていくことが出来たかもしれません。
出来ることなら、古代の超越的哲学が新ピタゴラス主義や新プラトン主義へと発展した経緯までたどり着きたかったのですが……。
このような状況ですので、今後も右往左往しながら思いつくままの気軽な旅日誌ということになると思いますが、よかったら是非お付き合い下さい。
2007年2月16日
お金を借りても利子がつかないどころか担保や返済すら不要であり、職員のすべてが余暇を利用したボランティアという現実離れした銀行など、この世に存在しない絵空事と考えるのが当たり前の社会にあっては、理解しがたいことかもしれません。
銀行業務に必要な場所や備品、事務用品に至るまでの一切が寄付で賄われているのですから、益々信じられない話になってしまいます。
しかしドイツでは、思想家で神秘主義者だったルドルフ・シュタイナーの社会三層理論を基本にした社会造りという壮大な計画が、全土で各種繰り広げられているそうなのです。
利子や返金を必要としないユニークな銀行も、その一環です。
銀行といっていいのかどうかは分かりませんが、銀行と自ら言っているのですから、私も“相互扶助の銀行”ということにして説明を試みてみます。
この銀行は、資産家が財産を銀行に投資し、資産の管理と相互扶助を前提とした運用を任せ、出資の見返りとして出資者の死後、お墓の代わりに出資者の名前がついた森や林を作ってもらうという条件で成り立っているといいます(“Gの恋文”の中の“左目の世界―11章―”で紹介しています)。
この投資という形で援助された資金の運用にあたり、金銭的利益を生むものへの投資は一切行なってはいけないという鉄則が存在しています。
投資というよりは援助といった方が良さそうに思うのですが、援助ではなく投資なのだそうです。
この言葉の差は、私などには同じような印象しか受けないのですが、援助集めをビジネスにしている人たちと、相互扶助を実現することを試みている人たちを混同しないため、そして従事する人たちの心の中に優越感や自己欺瞞や甘えが生まれる要素を払拭するためにも、言葉を厳密に使い分けているのだとか。
援助そのもので生計を立てる人たちや、援助集めを仕事にしている人たちが、善意の人と見なされてしまう社会的風潮を完全に排除し、真の相互扶助の実現を目指して努力しているのだそうです。
墓の代わりに出資者の名前がついた森や林を作ることを条件に出資されたお金は、半年ごとに選ばれるボランティア16人のベアラーによって管理され、融資希望者が提出した事業展開計画、主旨、目的、将来への展望、計画に従事するスタッフのクオリフィケーションなどの書類を元に、そのベアラーたちが融資先を検討します。
審査の際に厳密に調査されるのは、利潤を上げた場合の資本の運用計画ですが、利潤を上げることなく回転して行く内容が最も理想的な事業とされ、ベアラー全員の同意が得られなければ融資は実現しないのだそうです。
この銀行から融資を受けている事業体のひとつに、精神的、肉体的ハンディキャップの人たちが協力し合って有機栽培の農場や畜産業を経営している事業体があります。
そこで収穫した小麦でパンを焼き、生肉だけではなくミルクやバターやチーズなどの乳製品やソーセージなどの加工品を作り、それらを購入希望者に配送しているそうですが、製品の購入希望者は増加の一途を辿っているといいます。
健常者でこの事業に参加出来るのは、懲役拒否の見返りに2年間の奉仕活動が義務付けられた若者や微罪の犯罪者、無給で技術指導に携わっている引退した職人さんたちなどだそうです。
仕事は障害に応じて振り分けられ、収益は均等に分配されているその事業体を支えているのは、この健常者のボランティアと“相互扶助の銀行”、そして製品の購入希望者であり、慈善事業団体や支援団体などは一切関与していません。
彼らは自らの力で一般社会人よりもいい給料を手にしているだけではなく、各種作業に応じてマイスターを養成し、その分野では誰にも引けを取らない立派なマイスターを数多く輩出しているそうです。
善意だけで行なわれる援助行為ではなく、相互に扶助し合える関係の樹立から試みられる社会では、利潤追求だけのビジネスを否定し、経済の友愛実現のために数多くの試みが行なわれている事実もあるのだそうです。
あるハンディキャップの青年が、
“援助されることに、拭い去れない屈辱を感じている”
と言っていましたが、私は彼のその言葉に、相互扶助が実現した社会の必要性を強く感じてしまいました。
他人の不幸の上に胡座をかくような、欺瞞に満ち満ちた援助行為が溢れる社会で、ドイツで行なわれているような経済の友愛の実現もまた、フリーメイソンの一部の人たちが行なっている活動なのかもしれません。
2007年2月12日
インターネットショップやオークションで、フリーメイソンのリングや時計、マークの入ったピンなどを扱っているのを見かけることがあります。
フリーメイソンの指輪や時計を持ち、自分もメンバーだと誇示してみたい人が多いのか、マニアが多いのか、いずれにしてもかなり高額で取引されているようです。
昔は、欧米の大きい町のアンティーク・ショップに行けば、必ずといってほどフリーメイソンのリングやタイピン、カフスボタンなどが、ガラスのショーケースの中に無造作に置いてあったものです。
ライターやシガー・ケースなども、極まれに見かけたことを記憶しています。
私は以前、これらの品物がなぜ店に並んでいるのかを、知人に聞いてみたことがあります。
すると彼は、
“まずはこの話をしなければ、君の疑問に答えることは出来ないんだよ”
といい、“右手で行なった援助行為は、左手に分からないようにしなければいけない。援助者は相互扶助を前提に、援助行為の正当性を吟味しなければいけない”という考えに共鳴し、それを実践している人たちについての話を始めました。
この意味は、
“苦しんでいる人たちに援助することで、良いことをした自分に満足したり、良い行いをすることで自分を救済しようとしたりすることは、厳しく戒めなければいけない。援助する者とそれを受ける者の関係は平等であるため、援助をする者は、援助を受けた者がそれをステップに援助する立場へと変わりうる可能性に対して援助し、援助を受けた者は、自らが援助する立場へとなるよう努力しなければならない”
というもので、弱い者の上に立つことで、無意識のうちに優越感を得てしまっているのが人間であるがゆえ、援助する者は、常にその正当性を問い続けなければならないのだそうです。
このような考えを重んじているフリーメイソンの多くは、死後に墓を作らないのだとか。
なぜなら、人間の欲望の象徴である墓を作らないことで、人間の弱さから来るおごりや虚栄心、自己顕示欲などと決別するためなのだそうです。
そのような人たちは、自分がフリーメイソンの会員であることを身近のだれにも明かさず、秘密にしていることも多いといいます。
一切の係累を絶つことを良しとし、死後もお墓や墓石どころか生きた痕跡すら残さず、友人や知人たちの記憶の中に存在するだけで、いずれ消滅してしまうのですから徹底したものです。
自分自身がこの世に存在したことを自らの手で消し去ってしまうのですから、現世に少しでも未練を残したり、自己顕示欲があったりしたのでは、到底出来ないことだと思います。
彼らの多くは、晩年を老人ホームや単身アパートで過ごし、生活しているコミュニティーのリーダーや管理者、地区の教会などに、死後の事務処理を依頼し、所有物の処分を一任しているのだそうです。
所有物をオークションにかけて、売り上げから埋葬費用などの必要経費を差し引き、残ったお金は、“右手で行なった援助行為は、左手に分からないようにしなければいけない。援助者は相互扶助を前提に、援助行為の正当性を吟味しなければいけない”という考えの元、有意義に活用してもらうためです。
世襲制を厳密に否定している人たちにとっては、極当たり前のことなのでしょう。
富や財産に捕らわれない人生を送って来た彼らの所有物は、衣類や食器類などの生活必需品以外は、書籍や家具、時計やリングといった程度。
それらの中に、フリーメイソンのシンボルが入ったリングや時計などのグッズが含まれており、教会やコミュニティー・センターで行なわれるオークションを通して市場に出るのだとか。
オークションに参加する個人や業者はたくさんいて、そこで入手した品々がアンティーク・ショップに並ぶのだそうです。
時には、スコティッシュ儀礼のリングなども含まれているようで、それらがインターネット市場まで行き着き、高値の品として取引きされているのかもしれません。
これらの話を聞いた時、私は、
“守らなければいけないフリーメイソンの秘密の規則とは、このことなのですか?”
と、知人に尋ねてしまいました。
すると知人は、私の素朴な疑問に大きな声で笑い出し、
“好みの問題だよ。同じフリーメイソンの中でも何でも程々にという人たちもいれば、ストイックに考えている人たちもいて、そうしなければいけないというものではないんだよ。単に、歴史観や人生観、価値観の問題でしかないのだから、フリーメイソンの中にもいろんな考えの人たちがいて当たり前”
と言い、その例として、好んで自分の墓石にフリーメイソンのマークを刻んだり、自分の家の外壁に大きなマークを描いたり、フリーメイソンのグッズで身を飾ったりしている人たちもいて、それも個人の価値観のひとつであることを補足説明してくれました。
インターネット検索で“フリーメイソン”というキーワードを入れると、インターネットショップやオークションに登録された数多くのフリーメイソングッズが並ぶ今日、これも相互扶助を前提とした行為のひとつ……?
2007年2月7日
神の言葉や神との契約、神を敬い崇める人間の言葉や態度、人生、歴史とバラエティに富んだ内容が凝縮しているのが旧約聖書と思っている方は多いと思われます。
また、読もうとしたのだけれども、回りくどい表現や話があっちこっちと飛ぶので分かり難いという理由で読破することを断念した人も多いのかもしれません。
本来聖書は、物語の粗筋がたどれるように編纂されたものではありませんので、そのことを理解しないとなかなか取っ付きにくいものですし、ありがたい神様の教えを手っ取り早く入手しようとしても、読者の期待には答えてくれません。
しかし、イマジネーション豊かに読める方には、素晴らしい知恵の宝庫になったり、シュリーマンがトロイの遺跡を発掘したように、考古学上の貴重な資料になったりすることにもなりうるものなのです。
新約聖書は、キリストの生涯の行動記録や弟子たちがどのように教えを述べ伝えたかを伝える、今風にいえばドキュメンタリーのテキストとしての側面が強い内容のために、旧約聖書よりも遥かに読みやすいかもしれません。
また、ヨハネの黙示録やヨハネによる福音書のように、謎に満ちた内容に興味を引かれるかもしれません。
旧約聖書はユダヤ教の聖典トーラであることから、新約聖書を聖典とするキリスト教徒の中には、旧約聖書について話題にするのさえ忌み嫌う極端な人たちもいるとか。
聖櫃に納められた十戒と混同している人も多いそうです。
初めから現在の旧約聖書の内容構成であったと思われている方も多いかもしれませんが、3千年間には紆余曲折があり、削除された部分も多いそうです。
エノク書や死海文書は有名ですが、それ以外にもたくさんの個所が削除されて現在の構成になっているのだそうです。
それを裏付けるような“聖書から削除された記述”という出版物が、ニューヨークのフリーメイソン・グローセリーショップで販売されています。
人名録やフリーメイソンの百科事典、歴史上著名なメンバーについて紹介している書籍、儀式の式次第について書かれた小冊子などと一緒に販売されているそうです。
この本を読むと、時代と共に聖書も権力と妥協し続けて来たことが分かるといいます。
フリーメイソンの社会では、このように聖書から削除されたり洩れ落ちたりしたものについての記録もしっかりと伝承されているのだそうです。
世の中には、聖書をテキストにしたトレジャーハンターがたくさん存在していると聞きます。
スピルバークのインディー・ジョーンズもそうした人の話で、奇想天外な空想の話ではなく、ストーリー構成に旧約聖書が活用された事例の1つだそうです。
また、エゼキエル書にイマジネーションを膨らました未知との遭遇も、映像化する上で旧約聖書の記述が大いに活用されたという人たちもいるといいます。
さらにフリーメイソンの祖に纏わる神話といわれているダビデ王やソロモン王、ヒラムについての記述も、サムエル記や列王記や歴代誌の中に見出すことが出来るのだそうです。
こういうところに、フリーメイソンがユダヤ教と一体視されたりカトリックとの関係が取り沙汰されたりする原因があるのかもしれません。
どういう組み合わせも可能なジグソーパズルなのですが、貴重な人類の記録を密やかに伝承する人たちの存在について考えてみることも、時には必要なことかもしれません。
2007年2月3日
ヨーロッパ史のある時期フリーメイソンは、時の権力者である王たちの手で錬金術師のレッテルを貼られ、危険思想の持ち主として魔女狩りの対象になったことがあるそうです。
この時代のフリーメイソンは、金を普遍的価値の象徴とする思想家、普遍的価値の求道者であり、権力構造にとっては最も危険な思想の信奉者であるとみなされたからです。
現代社会でも同じことなのでしょうが、昔はもっと簡単に反社会的で反神的な危険思想の持ち主の異端者として、社会からの抹殺されたのだそうです。
フリーメイソンの会員を、金を練りだす悪魔の術を使うペテン師、錬金術師と決め付けてしまったのですから迷惑な話です。
本物の金には、表面についた傷さえも美しい文様に変えてしまうほどの力があり、地中にあるいは海中にあっても、本来の輝きを失うことなく生き続けている金属なのだそうです。
古代社会では、富の象徴は金ではなく銀だったと聞きます。
金は神への捧げ物、献上品として崇められることはあっても、人間の欲望の対象物ではなかったそうです。
しかし人の王たちが神の座を侵した時から、金は富の象徴に変わったといいます。
この時、金だけではなく文字もまた、神の占有物から王たちの独占物となってしまったとか。
人がバベルの塔の建築を試みる以前とそれ以後の世界は、全く異なる世界だという話を聞いたことがあります。
文字そのものを神格化し、宗教という衣で着飾らせ、人間の手で生み出された文字は、皮肉にも人間を翻弄し、今では文字そのものが絶対なる価値となり、人間の喜びも幸せも悲しみさえも、文字の範疇のものになってしまったといいます。
しかし現在でも、“どんなに文字そのものが強大になっても、社会がどんなに変革しても、文字は神のもの。言葉は人間に許されたコミュニケーション手段”というバベルの塔建築以前の普遍的な価値を守り通している人たちが生き延びているそうです。
いつの時代にも、何の連絡も連帯もないままに、一握りの人たちが世界各地に存在しているとか。
私たちが望み意識さえすれば誰の手にも届く所で、その人たちは密やかに、平凡に、静かに、普通の生活をしているのだそうです。
誰も気にも止めない普通の人たちだからこそ、権力者たちに妨害されて途絶えてしまうこともなく、普遍的価値を伝承することが出来ているのかもしれません。
“イエスは野にある”とか“わたしがメシアだ”などという人々の言葉に惑わされてはいけないと、イエスの言葉として聖書に記されています。
朝、無花果の実が静かに熟して落ちるように、変化は何の前触れもなく訪れるものです。
だからこそ注意深く観察しなければいけないという教えは、キリスト教徒だけのものではないはずです。
真実を求め、知恵を愛する目を持つ人たちすべてに向けられたメッセージなのかもしれません。
2007年1月31日
人類史には、不明で不可思議なことがたくさんあります。
直立猿人が旧石器を使うまでにはどのような経緯があったのか、はたして猿人が人類の祖先になるのかなど、最も基本的な問題は、深い霧のヴェールに包まれたままです。
20世紀初頭にアメリカの霊能者エドガー・ケイシーが、“エジプトのスフィンクスの下に太陽の船が隠されている”と予言し、その予言通り1980年代に巨大なファラオの船がスフィンクスの下部から発見され、世界的話題になったことがありました。
エドガー・ケイシーは、“21世紀には、ナイル川とスフィンクスの間から、人類の歴史を解き明かす鍵となるパピルス文書や人類の至宝が発見される”と予言していますが、果たしてどうなるものか、期待しているのは私一人ではないでしょう。
クフ王の巨大ピラミッドとスフィンクスは、世界の不思議が大好きな人々の関心の的ですが、その興味の大半は、誰が何のために造ったのかという点に絞られてしまいます。
大ピラミッドの底辺の周囲は、円周率を知らなければ割り出せない数値なのだそうですが、その大ピラミッドの周囲と先端までの距離が、地球の赤道から北極点までの距離を縮尺したものであることから、建設当時の優れた地球物理の水準を後世に残すために、記念建築物として巨大ピラミッドを建設したという説や、大ピラミッドとそれに寄り添うように並ぶ小ピラミッド群が、夜空に輝くイシスとオリシスの配置と全く同じであることから生まれた天文台説。
その他にも、古代の宗教儀式に使用された秘密の神殿説や宇宙人説、アトランティス文明の遺産説など様々なものがあり、“フリーメイソンがそれらに関係しているのでは?”などともささやかれているようです。
どの説も古代のミステリー・ファンを魅了する興味深い話ばかりです。
しかしそんな中、身を乗り出して、
“誰がピラミッドを造ったのかなど、全く問題じゃないんだ。問題は、3の概念をどうした経緯で入手したのか、あるいは誰が伝えたのかということだよ。どんな経緯で手に入れた知識なのかを解明せずに、後世に残された遺構や遺物をいくら撫で回しても、何ら問題は解決しないんだ!”
と、日頃の冷静さを忘れ、少々興奮気味に語ってくれた人がいました。
人類が経験した農業革命より昔に、ルバロア革命(GのつぶやきNo.1参照)があったということを発表したフランスの文化人類学者レヴィ・ストロースについて以前私もご紹介しましたが、遥かそれ以前に“3の革命”が存在したのではないかというのです。
“3の革命”とは、人類が横穴の住居から平地に出て竪穴式住居に住み始めたという事実こそが、その後の人類発展の基礎となった出来事だという考えなのだそうですが、世の中に存在するすべての建造物や立体のファンダメンタル・ユニットは、幾何学の概念である3になり、この認識がない限り、人類はいかなる構造物も作り出せなかったと断言出来るのだそうです。
3の認識がなければ、竪穴式住居をはじめ、スフィンクスや大ピラミッド、世界各地に建造された神殿など、何一つ作り出すことは出来なかっただろうといいます。
また“3の革命”以前、つまり人類が洞窟の横穴式住居に住んでいた時には、すべてが2次元の世界でしかなく、岩に壁画が描かれた時代には、どの遺跡からも3次元的産物は発見されていないそうです。
こう説明されると、なるほどと思いたくなってしまうから可笑しなものです。
3の概念の謎を解く鍵は、幾何学の祖ギリシャのピタゴラスにあると確信し、アレクサンドリア留学時代のピタゴラスについて研究している学者も多いと聞きます。
“人類の歴史を解き明かす鍵が見つかるのは21世紀”というエドガー・ケイシーの言葉は信じるにしても、話を一挙にフリーメイソンにまで飛躍させるのには、かなり無理があるようです。
2007年1月22日
紀元前213年から212年にかけて、中国で大変な暴挙が行われました。
焚書坑儒として現代まで伝えられている事件です。
紀元前213年に焚書が行われました。
焚書とは、秦を除く六国の史書をこの世から消滅させてしまう目的で、博士の官職にある者以外が所有する“詩”“書”“百家”の書物を、秦の始皇帝の命でことごとく破壊し消去した事件になります。
さらに、街中で“詩”“書”を語り合ったり、過去のことを持ち出して話をしたりすると、政治批判をした者として処刑されたといいます。
坑儒とは、翌年の紀元前212年に行われた儒学の取り締まりで、“史記”によると、儒学者460余人が生き埋めにされた事件です。
1960年代中期には紅衛兵によって、中国国内で焚書坑儒に類似した事件が中国全土で繰り広げられたことは記憶に新しいことです。
エジプトのアレキサンドリアに世界の知識を結集する壮大な規模の図書館が完成したのは、紀元前3世紀のことでした。
これは、アレキサンドロス大王の親衛武将の1人だったプトレマイオス1世ソテールによって建設が始められたといいます。
その蔵書量はパピルスで70万巻に及ぶとも言われており、当時の社会では知のデータベースとして世界第一の規模を誇っていたそうです。
アレキサンドリア文庫の消滅についてはいろいろな説があるようですが、そのひとつに、紀元後3世紀頃カエサルの手で焼かれてしまったという説もあります。
過去の人類史と文明に関する記録や知恵に関する記録は、闇の中に消え去ってしまったのです。
アレキサンドリア文庫の消滅も中国の焚書坑儒も、その時の支配者が己の権力の正当性や絶対性を堅持し、未来永劫までその威光を伝えたいという願望から引き起こされた事件です。
過去の価値ある宝物である智の記録を、その野望を阻害するものという理由だけで破壊してしまったのです。
全世界の人類にとって、いかなる金銀財宝でも贖うことの出来ない大変な損失だったにも関わらず、簡単に破壊行為が実行されてしまったのですから、人の欲望の前には、理性などは何ら意味をなさないようです。
老人の死を図書館の喪失として惜しむ人たちが中央アジアの少数民族の中にいるそうですが、カエサルや秦の始皇帝の愚挙によって喪失してしまったものの大きさを思うと、悔やんでも悔やみきれません。
しかしフリーメイソンの神話の中には、アレキサンドリア文庫に収められていた50万巻に及ぶパピルスの大半は、焼失を免れて無傷のまま後世に残されたという言い伝えがあるそうです。
人間に欲望をコントロールすることが出来るだけの理性と品性が備わった時まで、権力の亡者たちの欲望に満ち満ちた手からそれらを守るために、安全な場所に隠されたとされています。
宝が隠された時、その場所とその扉を開く人、開く時期が決められたそうです。
その時になれば約束された人がその場所に行き、石の扉を開くのだそうです。
何かインディージョーンズの“失われた聖櫃”のような、ロマンに満ちた話です。
有名な死海文書が、銅製の巻物入れに入れられて無傷の状態で発見されたという事実もあるのですから、約束された人の手で無事に人類の至宝が蘇ることを願いたくなってしまいます。
子供騙しの話だとか単なる迷信に過ぎないなど、事の真偽は人の数ほどもあるのでしょうが、それらと同様に、子供のような無邪気さで心待ちにする人がいてもいいはずです。
人間すべてが限られた時間の中で、喧喧諤諤しても意味ないこと。
せめて楽しくなるようなことを考えてもいいのではないでしょうか。
2007年1月16日
昨年末、日本国内でシュタイナーズ・スクールの開設が文部科学省によって承認されたという報道がありました。
今までもシュタイナーズ・スクールという名称の学校はあったのですが、大半が不登校児童のための私塾的なフリースクールでしかありませんでした。
今回、それが正式な学校として承認されたそうです。
しかし、シュタイナーズ・スクールの特長ともいえる時間割のないカリキュラムで、生徒一人一人の能力に合わせた教育法が考慮され、児童の才能を開発していこうという考え方は、日本の教育のあり方とは正反対の関係になってしまいますので、政府は“今後この点については、時間をかけて調整していかなければならない”と発表しています。
このような状況では、理想的な教育環境が生まれて来るとは考え難いことです。
シュタイナーズ・スクールでは、子供たちに音楽を聞かせ、体が自由に反応して動き出すことをダンスとし、そこから自己を認識させていくという授業があるそうです。
教師に教わったダンスを覚えるのではなく、自己表現することによってしっかりと自我を確立した上で、集団や社会とのあり方を教えていくことを大前提にした教育法だそうです。
そのため個人個人への教育法が異なって当然、違わなければファシズム化していく危険性があるとして、注意深く指導方法が吟味されているとか。
横並びを是とし、自己主張しすぎることを我がままとして戒め、集団化を目標とした日本の教育法は、国や社会にとって有意義で価値ある人材を輩出していくための教育といえるのかもしれません。
フリーメイソン的自由と現代社会の教育システムにおける自由とでは大きな違いがあると思われますので、世の指導層たちが、フリーメイソン的ともいえるシュタイナーズ教育によって、自由を履き違えた異端児が生み出されてしまうのではと危惧しても致し方ないことです。
フリードマンが“集団の中の孤独”という著書の中で紹介している“籠の中の自由と、籠の外の自由“という考え方が、両者の社会と個人のあり方についての立場を整理したものではないかと思います。
日本の教育論が、社会や国家が規定した枠組みの中で得られる自由を真の自由とする考え方なのに対し、フリーメイソンのいう“人間には人為的に作り上げられた社会の枠組みの外にある自由を求める権利があり、これが真の自由だ”という考え方は、永遠の矛盾ということになるのかもしれません。
シュタイナーが提唱した“個人の自由を尊重した教育方法から生み出された個人が、集団化した状態を便宜的に社会とし、その社会の集合体を国とする”という考え方によると、真の自由を持つ人たちによって作り上げられた理想社会が、社会三層理論になるのかもしれません(ひとりぼっちのエルダーズ・ヴィレッジNo.1“三つの要素”以下いくつかのテーマで簡単な紹介をしていますのでご参照下さい)。
哲学的に使用された言葉の読み方が同一だからといって、社会科学的、政治学的な用語と混同していたのでは、世に存在する理想論のすべてが反社会的危険思想になってしまうことでしょう。
“人間は心の中に真の自由を持ち、絶えず真理の灯火を求め続けていく”というフリーメイソン的発想法は、あまりにも単純すぎる健康的な考え方のため、これが逆に怪しまれ、“裏がある、何かを隠している”という陰謀説や憶測を他出させることになってしまったのかもしれません。
人間は心の中で自由に独自の理想や夢を持つことが出来、これは大切なことであり、だれにも犯されることのない尊重されるべき権利だという考えは、素晴らしいことではありませんか。
2007年1月6日
16世紀のイギリスには、ウイリアム・シェイクスピアやフランシス・ベーコンが存在していました。
シェイクスピアはご存知の通り戯曲作家で、フランシス・ベーコンは英国ばかりかヨーロッパを代表するほどの思想家であり哲学者です。
フランシス・ベーコンの名前は知られていても、何をした人かは専門家のみぞ知るといった不思議な人物ですが、このベーコンとシェイクスピアを同一人物とする説を唱える人たちがいます。
またベーコンの研究者の間では、異端的な考えではなく支持者も多いのだと聞いています。
私は何十年か前に、この説の支持者はアンシエント・マソニックの人たちに多いという話を聞き、その時にシェイクスピアの戯曲の読み方を教えてもらったことを覚えています。
簡単に言うと、広く一般に認知されている話の全く逆の読み方をしてみると、意外なメッセージを読み取ることが出来、それはフランシス・ベーコンの思想そのものになるという話だったと思います。
例えば悲劇と理解されている戯曲は、古来変わることの無い人間の愚かさを伝える可笑しい話になってしまうというものでした。
逆に喜劇と理解されている戯曲の大半が、人間の持つ性ともいえる苦悩を伝えている内容になるのだそうです。
人間の悲しみや苦しみを“喜劇“とし、人間の愚かさを“悲劇”として逆説的に表現することで、喜劇は喜劇として悲劇は悲劇としてそのまま伝えられ、その枠を捻じ曲げられることはほとんどありません。
そうすることで、戯曲に秘められた逆説的“真意”が時代と共に変異してしまうことを避け、無傷のまま後世に伝えようとしたのだそうです。
またそれと同時に、時代と共に変化していく言葉に惑わされることなく永久的に“真意”を伝えていくために、死語となっていた古い言葉を蘇らせ、それに新しい概念を持たせることで、当時一般的だった言葉の持つイメージを排除しようとしたのだと聞きました。
未来に伝えなければならないメッセージは、正しく正確に伝えるための多くの配慮がなされていると言います。
“フランシス・ベーコンは、シェイクスピアとなって自分なりのマソニック精神の理解法を戯曲という姿に変えて後世に伝えようとしたのだ”という考え方を支持する人たちがいるように、これと同じような発想で後世に送り継がれたメッセージがたくさんあるそうです。
ミハエル・エンデのネヴァーエンデイングストーリーや、シュタイナーの社会三層理論や教育論なども同じ思想から書かれたものと聞きます。
事の真偽は専門家に任せて、いつの時代にも語り継がれるお話があることだけは確かなようです。
古代から人類の持ち得たコミュニケーション記号でいかなる時代においても変わらないものは、数字、音、絵記号だけだそうです。
これも、オクターブ理論を確立したピタゴラスの話がフリーメイソンの起源に登場してくる由縁なのかもしれません。
フリーメイソンが記号を多用するも、情報や精神を正確に伝えるための知恵によるものなのかもしれませんね。
2007年1月3日
元旦にヴィエナからのニューイヤー・コンサートをテレビで楽しむのが、1977年以来続いている私の恒例行事です。
世界中どこにいても、一度も見逃したことはありません。
1976年秋、東南アジアの混沌から逃れるように、秩序あるヨーロッパで暮らし始めました。新しい生活の第一歩は、ロンドンからでした。
サウスケンジントンのフラット3階の自室で迎えた新年を一人で祝おうと、ミルクバーで買って来た惣菜と数種類のチーズ、ワインのマグナム瓶を出窓に並べ、外の景色を眺めながらグラスを真紅のワインで満たし、グラス越しに真冬のプライベート・ガーデンを見ては乾期真っ盛りのインドシナを思い、あまりにも違う景色に、“これがヨーロッパだ。歴史と伝統に裏打ちされた秩序ある街並みと、人々の暮らしの素晴らしさ!”と、感動さえ覚えながら一人の宴会を楽しんでいました。
“音楽がないのは、寂しいね“とTVを見る事にして、BBC1にチャネルを合わせた時でした。
ここ何年も耳にしたことがなかったクラッシック・コンサートの、軽快で清々しい響きに驚きを覚えてしまいました。
インドシナでの5年間に及ぶ生活のBGMになっていたのは、大音量のロックだけだっただけに、クラシック・コンサートがやけに新鮮に感じられたのです。
それまでクラッシックは一番縁がなかった音楽で眠気しか覚えなかった私ですが、ロンドンという街のマジックか、ワインを飲むのも忘れて聞き入ってしまいました。
そして、指揮者とウィーンフィルのメンバーと観客が一体となって新年を祝い、ニューイヤー・コンサートを謳歌している様子を眺めながら、いつしか私の中にある言葉が心地よさを伴って蘇っていました。
それは、インドシナにいる時に嫌というほど耳にし、嫌悪感で吐き気さえ覚えていた“自由と民主主義”という言葉。
ウィーンフィルのメンバーの表情や演奏スタイルには、緊張感というのか、“失敗は許されない。失敗したらどうしよう”といった悲愴感や恐怖など全くなく、それどころかコンサートの最後の曲では、指揮者が客席に向かってタクトを振り、聴衆が指揮者に合わせて手拍子を始め、小さく手拍子をしたり大きく手拍子をしたりと、会場のみんなが一体となってコンサートを楽しんでいたのです。
クラッシック自体全く知識もなく、偏見に満ち満ちていた私にとって、その光景は鮮烈なものでした。
“これこそが、本当の民主主義だ! そして、本当の意味での自由がある!”と感動してしまったのです。
この経験から“自由と民主主義”という言葉への思い込みや偏見は消え失せ、新たな価値を持つものとして私の中に刻まれました。
以来現在に至るまで、私とニューイヤー・コンサートの付き合いは続いており、“真の自由”を考える度に1977年元旦の感動が鮮烈に蘇って来ます。
指揮者ロリン・マゼールを知ったのもこの時でした。
2006年12月22日
今朝は、夢現にモーツアルトの作品を聞きながら目覚めました。
私は夢を振り返りながら、一体どうしたことかとベッドの中で考え込んでしまいました。
私はクロバト・ノアール姿で、柄にもなくヴィエナにある楽友会ホールで毎年新年に開催されるニュー・イヤー・コンサートの会場にいたのです。
会場全体が多くの生花で飾り付けされ、一段と華やいでいました。
軽やかなヨハンシュトラウスのポルカから始まるはずのコンサートが、コンダクターの振り下ろしたタクトに合わせて、なぜかウィーンフィルのメンバーが躊躇なくモーツアルトの曲を奏で始めました。
それも、“フリーメイソンのための葬送の音楽”K471で始まったのです。
皆、至極当然といった表情で聞いているではありませんか。
動揺したのは私一人らしく、誰もがモーツアルトの小品に聞き入っていました。
指揮者は、ロリン・マゼールでした。
年の瀬に、新年のお祝いのコンサートで、葬送の音楽を聞いているという不思議な夢を見たものです。
私は、あることを思い出していました。
かつて“ロビンソン・クルーソー的生活術No.1”というコーナーで、“帰納法的な人生の過ごし方”についてご紹介したことがあります。
それは、死を大前提に人生を帰納法的に生きるという考え方が、合理的な人生の過ごし方ではないでしょうかといった内容でした。
全くの思いつきに過ぎませんが、私は、“葬送の音楽から始まる一年というのがあってもいいかな”などと一人で納得してしまいました。
ハイドンの招きでロンドンを訪れたモーツアルトは、ロンドン滞在中にハイドンの導きでイニシエートを受け、兄弟になったという話が語り継がれています。
これを契機に、モーツアルトはフリーメイソンのために、数多くの作品を残したことは周知の事実です。
また、入会の儀式をテーマに、歌劇“魔笛”を書き上げたことも有名な話です。
私に音楽的素養や知識があったなら、もっと含蓄に富んだ作品の夢を見られたのでしょうが、残念ながら私の夢見たものは、新年に葬送の音楽を聞いていたというものでした。
夢占いからするとどんなことになるのか分かりませんが、良い夢、悪い夢と一喜一憂する年でもないですし、見た夢さえも必然と考えれば、いつかその意味を理解出来る時も来るのではないでしょうか。
夢に見たという事実だけを記憶しておけば、必ずその意味が分かる時が来るという言葉に身を任せてみるのも一興です。
2006年12月17日
以前にもお話した話題ですが、オーパーツなる説明不可能な考古学的発掘品は、世界に数え切れないほど存在しています。
大英博物館やルーブルの地下倉庫はもとより、ドイツやカイロの博物館、エルサレム、レバノン、シリアの博物館、そして戦火でその姿をなくしたバグダッドやカブール博物館など、日本も含めて大量の不可思議な発掘品が、封印されたまましまい込まれています。
いつか分かる時が訪れ、その意味や価値が分かる時まで、“博物館の倉庫”という名の遺跡に眠り続けているのです。
未来のインディージョーンズは、世界の博物館巡りをする人たちすべてになっているのかもしれません。
中南米のチリには、水晶製のドクロが存在していて、その製法については水晶を溶かし鋳型に流し込まなければ出来得ないほどの精巧なものといいます。
勿論、現代の科学技術をしても理解不能なのだそうです。
また、北アメリカのどこかにはエメラルドのプレートがあり、その製法もこれまた不明とか。
イラク戦争で今どうなっているかは分かりませんが、バグダッドの北西部数十キロの遺跡から、大量のコールタールで一杯になったアンフォラの素焼きの壺が大量に発見されましたが、色々と調べた結果、それが大掛かりな蓄電池であったことが分かったそうです。
また、イタリアの海綿採りの潜水夫が海中から拾い上げた海綿の付いた石が、ぜんまいや歯車の化石だこともあります。
地中海からは、このように冗談のような遺物が発見されており、こうしたことが発端となって、水中考古学なる新分野開拓が始まったという話を聞いたこことがあります。
レバノンの遺跡からは、紀元前5千年の頃のものと思われる金属製の斧が発見され、それを大英博物館で見たことがあります。
それは、切り口が完全な円形の金属製パイプの先端部分に、リベットで固定された異種の金属の刃が取り付けられた斧で、腐食することなく保存されていました。
斧が発見された遺跡と同じ場所から発掘された素焼きの稚拙な器や土器の破片とともに、金属製の斧が展示されていて、何かしら奇妙な印象を受けたことを覚えています。
インカのクスコには、剃刀の刃一枚も入らないほどの精巧さで造られた石組みの壁がありますが、現在でもそれを街全体で利用し、石組みを基礎とする住居を建てて生活しているそうです。
誰がどんな方法で完璧な石組みを作り上げたのかは、現在もなお不明のままです。
エジプトのピラミッドはあまりに有名ですが、これらの技術はアトランティスから伝わったものだと主張する人たちもいます。
デニケンのように、“チャリオッツ オブ ゴッド(神の二輪戦車)”という本の中で、オーパーツと宇宙人を結びつけて話を展開した人もいます。
ナスカの地上絵に対する宇宙人説も手伝って、彼の説は一挙に全世界に広まり支持者を増やしました。
フリーメイソンはアトランティスの知識の継承者だという人たちもいれば、フリーメイソンを宇宙人の手先という人たちもいます。
謎解き大好きな人たちの手で、楽しい話に変化してきたのかもしれません。
現在の文明以前に存在した文明に光をあてるという動きが考古学会に生まれつつあることから、宇宙人よりもまだアトランティス説の方が健康的な考え方かもしれません。
“パパゲーノを前に、子供たち3人の歌声”が聞こえます。
貧困を除けば、心静かな年末です。
私もしばし、あわただしい師走の世の中から離れ、空想の旅にでも出掛けてみることにしようと思います。
2006年12月6日
“聖書の暗号”という本が話題になったことがあります。
イスラエルのルビン首相が暗殺されて間もない頃の話です。
世界的に話題になり、日本国内でもベストセラーになった本です。
ユダヤ教では、旧約聖書の文字がすべて数字に置き換えられるという話を聞いたことがあります。
ヘブライ語の旧約聖書を章も文意も関係なく一定の文字数で均一に並べ変え、一定の法則で調べていくと、縦であったり斜めであったり、1文字おきだったり2文字おきだったり、人名や時期、場所、出来事などが集中して示されている部分があるそうです。
この本は、過去に起きた大事件や戦争、暗殺など、すべてが旧約聖書に記載されていたという内容だったと記憶しているのですが、定かではありません。
サポーティング・エビデンスとして、ケネディー大統領の暗殺やレーガン大統領の狙撃事件など、一般的に良く知られている事件を用いて、その信憑性について紹介していました。
確かに人名を中心にするように、日時、時間、事件名が散りばめられているのでした。
しかし、起こった出来事の説明にはなっていたのですが、膨大なヘブライ語の中から事件を事前に読み取り、予知することが出来るという部分については曖昧だったようでした。
3千年前に編纂された聖書の中に、未来を予言する記述が隠されているという話は、神がすべてを計画し実行されたということからして、あっても不思議ではありません。
それなのに、事件や出来事を事後追認しか出来ないというのは、人間の不完全性のためなのかもしれません。
こんなお話をお聞きになったことはありませんか?
南インドの小さい村に、地球上で生まれ死んでいったすべての人の記録が保存されているというのです。
私は若い頃、ゴア滞在中にこの話を聞き、幾人かの人たちと共にこの村を訪れたことがありました。
しかし、通訳を通して語られた話の内容があまりにも強烈すぎて、私は悪い夢を見てしまったということで一件落着させてしまいました。
その後この出来事は封印し、私の記憶の奥に仕舞い込んでいたのですが、海岸で知り合った一人の韓国人青年によって明るみに引き出されてしまったのです。
“私は、来年の2月には、また南インドに行きます。行かなければならないのです”
という青年の唐突な話に、
“大変ですね。長いんですか、あちらには?”
私は、近年急激な成長を見せているインドのIT産業とIT先進国韓国を勝手に結び付け、暫くの間、頓珍漢な話をしていたようでした。
しかし、さすが儒教の国、老人に恥をかかさないように気配りをしてくれた彼は、
“私は占い師なんです”
とピントの狂った老人に理解させる努力してくれました。
“えっ!? 占いをしてるんですか?”
私は、間違いを取り作るように咄嗟に、
“南インドには面白い所がありますよ。行かれてみては?”
と、35年以上も封印し、記憶していたのすら忘れていたことを口にしていました。
“名前と指紋をとるだけで、前世やら何から何まで言い当てられてしまう所があるんですよ! 信じられます?”
すると彼は、驚きもせず、
“そこに行くんです”
と、いとも簡単に答えてくれたのです。
数ヶ月前にも行って来たという彼の話では、南インドの小さな村の端にある粗末なニッパ椰子の葉で葺いたバラックの小屋は、私が訪れた当時のままの様子。
厳かな雰囲気もなく、特別な儀式があるでもなく、小さな村の役場といった感じだったという私の感想を聞いた彼は、
“現在も同じですよ。あそこに行くと、時間が止まっているように感じられるんです”
と答えてくれました。
名前と指紋があれば十分で、国籍も生年月日も血液型も何もかも一切不要なのです。
名前を書いて指紋を取り、しばらく待っていると、事務員風のおじさんが大きな木の葉を束にしたようなものを小脇に抱えてやって来ました。
木の葉には、小さな文字(タミール語らしいのですが、私には分かりません)が書かれており、彼は事務的にその木の葉の束を眺めながら、私の名前に続いて生年月日やこれまでの経緯などを話し始めました。
驚いている私など意に介さず、私の両親の名前や両親の死亡日時、死因などまで淡々と話すのです。
一通り話し終えると、
“ここからの話は、貴方が望めばお話しますがどうしますか?”
と、自分の死ぬ日と死因について聞きたいかどうかたずねられました。
私は、あまりのことに絶句してしまったのを覚えています。
さすがにそれはご遠慮申し上げて、
“おいくらですか?”
とお礼を伺うと、
“何もいりません。私たちは、地球上の人すべての記録を維持管理し、次の世代へと伝えることだけが使命なのです”
と言い残し、彼は例の葉っぱを抱えて行ってしまいました。
“そんな馬鹿なことがあるものか”とお思いの方は多いことでしょう。
しかし、夢や幻にしても、私が体験したことと韓国の青年が体験したことは同じようなものです。
何でもありの世界ですから、こんなことがあっても不思議ではないのかもしれません。
後悔しているというほどのものでもありませんが、私も今は、記憶の封印などすることなく、75歳で亡くなると言われた韓国人青年のように、得心が行くまで何度でも訪れてみればよかったかなとも思っております。
ト−ラの暗号にしろ、インドの出来事にしろ、人知を超えたところでは、壮大な計画の下に人が生まれ、死んでいるのかもしれません。
2006年11月16日
数年前にアメリカで製作された、ニコラス・ケージ主演の“ナショナル・トレジャー”という映画があります。
ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
映画の最後に、“これは実話に基づいて製作されたものです”というような説明が、タイトルの下に小さな字で書かれていましたがお気付きになりましたか?
ある家族が三代に渡ってフリーメイソンの宝を捜し求め、ついに発見したという内容の映画でしたが、捜し求めたのが事実だったのか、発見した国家的宝物も含めて事実だったのかは、私には分かりませんでした。
日本では、こんな内容の映画など考えられもしないことかもしれません。
この映画には、国家規模や国際的な野望に陰謀といった要素が加わっていないため、日本人にとっては信憑性に欠けた話にしかならないようです。
こんなミステリーファンのために、面白い話がありますのでご紹介してみたいと思います。
英国の貴族だったカーナボ−ン卿は、ツタンカーメンの財宝を発見した人たちの支援者として有名な人です。
また、発見に携わった人たちが“ファラオの呪い?”で次々と死んでいった中、天寿を全うした唯一の人としても有名です。
しかし、彼がフリーメイソンのメンバーだったことはあまり知られてはいません。
私が皆様にお話したいことは、彼がフリーメイソンのメンバーだったということではありません。
また、発見されたファラオの財宝を大英博物館に寄贈したことでもありません。
私は、私財を投げ打ってファラオの墳墓の発見に従事し、発見後は遺物のすべてを寄贈したとして賞賛された、カーナボン卿という人物についてお伝えしたいのです。
彼の死後、朽ち果てた屋敷を取り壊して新しく立て替えるという話が70年代の終わり頃に起こり、80年代に入って計画が実現されることになりました。
取り壊しが始まったという話題自体は国際的ニュースになるほどの話ではなかったのですが、取り壊した書斎の壁の中からツタンカーメンの財宝の一部である高価な貴金属や宝飾品が数多く発見されたというのですから、大変なニュースとなって世界中を駆けめぐりました。
それ以来、居間の壁や厨房、寝室の壁などから財宝が発見される度に、次から次に報道されたのですが、死者を辱める行為であるとして報道のあり方が批判された後、発見された財宝がエジプト政府に返却されたとか、されなかったとかいうニュースを最後に、話は断ち切れてしまいました。
どんなに高潔な人でも、完全であることは難しいようです。
だからこそ、自己の欲望から逸脱し、完全な神殿建設の石材になるために、生涯をかけた努力が必要なのかもしれません。
イエスが“どうすれば天国に行けるのか?”と聞かれた時、“持てるものをすべて捨て去りなさい。カエサルの物はカエサルに、神のものは神に返しなさい。それが出来なければ、ラクダが針の穴を通るよりも天国の門を通ることは難しい”とお話になったそうですが、神殿建設の石材となることは、ラクダが針の穴を通るより何倍も難しいことなのかもしれません。
欲望を捨て去ることは、命を捨てるよりも難しそうです。
富に執着する人よりも、街で娼婦となっている人たちの方が、天国の門に近い所にいるそうです。
ところで、ミステリー大好きという貴方は、カーナボン卿が隠したファラオの財宝とマソニックをどう結びつけたお話にするのでしょう。
ぜひともお話をお聞かせ下さい。
2006年11月11日
“シュメール文明の世界最古の物語”は、現代の資源戦争とも取れる内容のお話だったように記憶しています。
シュメール文明の遺跡といえば、遺構はありませんし、おびただしい円形土章が発掘されているにすぎません。
円形の粘土板に書かれていた内容は、農作物にかける税高を算出した記録でした。
正確な畑の計測値を基に高度な幾何学を駆使して、畑の作付面積を算出し、そこから収穫された農作物に対して課税していた記録、今で言う確定申告書のようなものだったのです。
研究者の間でも長い間、発掘物の大半が計算記録として認識されていました。
シュメール文明期には、すでに高度な度な幾何学が一般的に活用されていたという事実に驚き、研究の方向も当時の幾何学のレベルや、課税状況から社会構造を推定し、文明の規模を推測するということだけに偏向していたようです。
しかしやがて、円形土章の解読が進み、円形土章の中に物語まで記録されていたことが分かって来たのです。
これまで古代遺跡から発見されたものは、王権を強固なものとするための記録や、シャーマンの記憶していた建国の神話などでしたので、物語が記録されているなどと考える者はだれもおらず、解読不能な土章として放置されたままだったのです。
この円形土章に書かれた物語が、便宜的に“世界最古の物語”として紹介されたということを聞いたことがあります。
現代の考古学者たちにとって強烈な刺激となった“世界最古の物語”は、研究の幅を広げ、考古学的常識の絶対性に大きな疑問符を持つきっかけとなったとか。
古代の記録は王権擁護や宗教的意味合いの強いものでしかないという思い込みの枠の絶対性が揺らいだのですから、物語の発見は画期的なことだったそうです。
このことが契機となって、それまでは無価値・無意味として無視され続けて来た多くの研究が活発に行われ始めたそうです。
その結果、それまでオリエンタル考古学会では口にするのもはばかられた“ウル文明”についての研究も、若い研究者たちの手で始まったそうです。
伝説でしかなかった“ウル文明”が、シュメール文明よりも遥かに古い時代に実在していたことが検証されて現在では定説となり、研究者も増えて来ているといいます。
“ウル”は正三角形という意味でもあると聞いています。
“正三角形の文明ウル”とは、一体どんな文明だったのかは、まだ全容が把握出来てはいないそうです。
私たちが全容を知るには、もうしばらく待たなければならないようですが、研究の途中経過はその都度発表されています。
私が記憶しているもので興味ある発表は、旧約聖書の創世記に出て来るノアの箱舟と全く同じ内容の洪水伝説が発見されたというものでした。
旧約聖書が編纂されたのは約3,000年前ですが、ウルは少なくとも12,000年前の文明と言われています。
旧約聖書編纂当時、ギリシャとエジプトから影響を受けていたイスラエルは、聖書編纂にあたりエジプトとギリシャに学者を派遣し協力を仰いだそうです。
ですから、創世記の内容に、過去に存在した文明の残した記録などを積極的に活用したと考えても間違いではないでしょう。
何らかの理由で消滅した文明の記録を全部保存していたというアレキサンドリア文庫は、カエサルの手で消失させられたといいます。
しかしここで、想像力を膨らませてファンタジーの世界で遊んでみてはいかがですか。
消失したはずの記録、パピルスに書き記された膨大な智の集積が実は存在しているという空想に浸ると、多くのイメージが生まれて来るはずです。
フリーメイソンのいうソロモン神殿建設の大棟梁ヒラムと、世界の知恵の宝庫アレキサンドリア文庫は、約束の時まで神が隠され、時が満ちれば約束された人の手で開け放たれるなどと考えてみるのも、世知辛い世の中を生き延びる知恵かもしれませんね。
2006年11月1日
ヨハネの黙示録の中に、“悪魔の印は666”という記述があります。
カバラ的に考えると、6+6+6は18になり、18の1と8を足すと9になります。
これに対して、“神の数は3”という考え方があります。
3+3+3も9になり、悪魔の印と同じ9になるのです。
これについては、様々な考え方があるようです。
ダビデの星は、上向きの三角形は金で下向きの三角形が銀で出来ており、それらは編み込むように絡まって組み合わされていますが、金の三角形は神の絶対性を表し、333すなわち9の象徴になるそうです。
そして銀の三角形は666、すなわち人の印になるという話を聞いたことがあります。
それは、旧約聖書の創世記にある“神は御自分にかたどって人を創造された”という記述を象徴したものが、金と銀の三角形を組み合わせたダビデの星なのだという話でした。
金の三角形は、完全にして絶対普遍なるものを表し、銀の三角形は、神をかたどって創造された人の不完全さを表しているのだそうです。
悪魔とは、特別な存在でもなければ形あるものでもなく、銀が黒く腐食していくように光輝く金から遠ざかっていく人間そのものなのだということでした。
言い換えれば、腐食した銀、すなわち人間こそが悪魔の本質なのだということになるらしいのです。
私が若い頃、“俺は神にも、悪魔にさえも見捨てられた存在だ”など言って悪ぶっていた頃の話です。
“この世で三角形がファンダメンタルユニットとならない構造物は存在しない”という考えを、ある人たちはピタゴラスの時代から信じ続けているそうです。
三角形が万物のファンダメンタルユニットになるというところから、神の数は3ということになったのでしょうか?
インドから渡来したという数字も、3を公理とする考え方が存在しないと、絶対に1という数は生まれて来ません。
数は3から始まったという考えも、古くから伝わっているそうです。
3には何か特別な意味が、あるいは謎があるのかもしれません。
小説ダビンチコードが話題になると、いつの間にかダビンチコードと一緒にフリーメイソンが一人歩きしてしまうというのも、情報過多で情報不足という現代が生み出した新たなイリュージョンになるのかもしれません。
“幽霊の正体見たり枯れ尾花”であっても、想像力にまかせて夢を膨らませることは、いくつになっても楽しいということでしょうか。
2006年10月30日
19世紀末、インドに駐屯していたイギリス陸軍の将校だったチャーチワードが、休暇の際に訪れたチベットのラマ教寺院で、高僧から地下にある経蔵を案内され、かつて太平洋にあったというムー大陸の存在を示す古文書と、ムー人が書き残したという粘土版を見せられたそうです。
現代まで伝えられてきたムー大陸の話は、アトランティス伝説にも似た感じがします。
ラマ教の僧侶とエジプトの神官という違いはあるものの、どこか似通った話です。
このムー大陸は、お伽話だという説もありますが、真面目な研究者たちの間で話題になったことも否定出来ない事実です。
京大人文研究所の教授今西氏は、戦前、若き研究者としてポナペの遺跡調査を行い、海に沈んだ文明に思いを馳せたそうです。
また、東大の地球物理学者竹内均氏のように、大胆にも南極こそが海に沈んだアトランティスではないかという仮説を発表した方もいらっしゃいますが、現時点では証明の術もないままになっています。
鹿児島大学の教授が、与那国の海底から壮大な神殿遺跡を発見したと発表し、確かに太平洋には沈んだ文明があったことに間違いないと発言しています。
しかしそれに対し、東大の考古学者たちは、自然の造形であり遺跡などではないと一笑に伏して取り合いません。
学者間の軋轢もあるのでしょうが、もっとおおらかに夢のある話を膨らませてみることも、学者だからこそ必要なのではないでしょうか。
山川原人という巨人の骨格が発見されたり、西方信仰であるといわれているニナイカナイ伝説があったりする沖縄は、従来の考古学でははかりしれない謎に満ち満ちているのかもしれません。
一方向を見据えているイースター島のモヤイ像、環太平洋諸国から数多く発見されている縄文式土器に類似した土器類の存在、石に刻まれたフェニキア文字、解読不能といわれているイースター島から発見されたロンゴロンゴ文字など、不思議なことはたくさんあります。
その最たるものに、イスタンブールにあるソフィア寺院に収納されているという羊皮紙に書かれた地中海や南極の地図があります。
観測衛星も飛行機もなかった15世紀よりも以前に、現在のテクノロジーを駆使して描いた南極の地図よりも詳しく精密に描かれた地図が存在していたなど信じたくない気持ちも分かりますし、悪い冗談だと言いたくなることも十分理解出来ますが、否定出来ないものが存在している以上、子供のような疑問を抱いてみてもいいのではないでしょうか。
ナスカの地上絵を宇宙人と結びつけたスイスのホテルのオーナーだったデニケン氏のように、学説や研究の伝統や歴史を無視した発想も必要なのかもしれません。
考古学には、コロンブスの卵が至る所にごろごろしているのですから。
アレキサンドリアには消滅した人類の文明に関する記録が存在したというのですから、もしかしたら古代フェニキアの航海術も、古代のいずれかの文明に書き記された正確無比な地図に裏付けられているのかもしれません。
自由な発想こそが、本質の扉を開く鍵なのかもしれないのです。
2006年10月21日
旧約聖書とユダヤ教のトーラは同一のもので、編纂されたのは今から3,000年以上も前のことになるそうです。
フリーメイソン関係のピンやステッカー、記念品、各種儀式用のエプロンや剣などの品々があるショップに行くと、フリーメイソンの百科事典や歴史上の兄弟たちが載っている人名辞典、モーツアルトがフリーメイソンのために作曲した譜面を紹介している本、各種儀式ごとに式次第や必要な品々を掲載しているマニュアルなどが並ぶ書架の片隅に、歴史の中で聖書から削除されてしまった部分について書かれている本があります。
この本の中には、ユダヤ教、歴代の王たち、ローマ帝国、キリスト教各派などと聖書の間で起こった摩擦のために、不適切という理由で削除を余儀なくされた個所が紹介されています。
それを読むと、こんなにもたくさん削除された部分があるのかと驚かされてしまいます。
エノク書などは有名な話ですが、唯一絶対の神の言葉を編纂したはずの旧約聖書が、こんなにも人の都合で削除され、改ざんされている事実を目の当たりにすると、神の教えを宗教にしてはいけないと聖書の中に書き記されていることの意味も理解出来るような気がします。
マソニックでは、いかなる環境下でも“普遍なるもの”への敬意と“普遍であること”を守り通すための知恵を秘密としてきていると聞いたことがあります。
予断になりますが、現代の宗教戦争といわれているキリスト教とイスラム教の関係は、アブラハムとイシュマルの兄弟から始まったものです。
また、ユダヤ教は旧約聖書を信奉する宗教になります。
これらの宗教はルーツが同じなだけに、憎しみがより一層深いものとなってしまうのでしょう。
唯一絶対のはずの旧約聖書が、人の数ほどの解釈を生み出してきた最大の理由は、普遍とは程遠い功利主義者が、自己の正当性を主張するためだけの目的で意味付けした空疎な言語を、私たちが無意識に唯一絶対と信じて疑わないことにあるのかもしれません。
そう考えると、一般市民が本能的に普遍であるものへの憧れや畏敬の念を持つことは、自然なことであると言えそうです。
時々の王たちが躍起になって駆逐しようとした危険思想とは、普遍であることへの恐れが生み出した幻影なのかもしれません。
2006年10月17日
フリーメイソンの起源に関して、アトランティス文明の伝承者説というものがあるそうです。
アトランティスという名称は知っているのですが、海に沈んでしまった古代文明とか、ユートピアの島とかいう話を聞いたことがある程度の知識でしかありません。
アトランティス文明についてちょっとWebサイトで調べてみると、古代ギリシャの哲学者プラトンの書いた“ティマイオス”と“クリティオス”という2冊の本の中に、アトランティスという大きな島の話が出てくるそうなのですが、これがアトランティス伝説の始まりのようです。
プラトンは祖父のクリテイアスから、アトランティスはヘラクレスの柱、ジブラルタル海峡の外にあったという話を聞いたそうです。
その祖父のクリテイアスは、ギリシャの7賢人の1人であるソロンから聞いたといいます。
そしてそのソロンは、エジプトを旅した時、ナイル河口にあったサイスという町で、サイスの神殿の神官からこの話を聞いたそうです。
当時サイスの神殿には、古代からの様々な出来事についての記録が保存されており、この記録の中に、アトランティスが海に沈んだのは9000年前のことだったと記されていたとか。
ソロンは神官から、その事実とアトランティス文明の素晴らしさを聞かされたのだそうです。
今から約12000年前の話になるそうです。
最新の年代測定法による調査報告書によると、エジプトにスフィンクスが造られたのは、ちょうどアトランティス文明が消滅した時と符合するという話を、ケンブリッジのエジプト考古学者から聞いたことがあります。
スフィンクスは誰が何のために建造した物なのかが不明なので、消失したアトランティス文明と結びつけることで、歴史に華やかさを加えることが出来たのだとか。
今では、エジプト文明、インダス文明、黄河文明、チグリス・ユーフラテス文明よりも遥か昔に、スケールの大きな文明がいくつも存在していたのではという考え方が、考古学者の間では自明なことになっているそうです。
どこでフリーメイソンとアトランティス文明が絡んでくるのかは分かりませんが、12000年以前にも進化した文明が存在していたということなのでしょう。
約束された時が来れば、世界中の博物館に収納されているオーパーツの意味が明らかになると言われているように、フリーメイソンとアトランティス文明の関係も、その時が訪れるまで不明のままなのかもしれません。
2006年10月12日
フリーメイソンは、完成された友愛団体ではないそうです。
なぜなら、たえず進化し成長しているからだという話を聞いたことがあります。
ある人は、フリーメイソンに哲学的背景は存在してはいなかったし、たんなる友愛サロン以上の意味はなかったと語っています。
しかしドイツの神秘学者シュタイナーのように、フリーメイソンと関わったことで、独自の理論を構築した人もいます。
また、フリーメイソンの中には、理想の社会を実際に実現しようと新しい国造りに奔走した人たちもいれば、マフィアと結託してイタリア政府のスキャンダルを引き起こした人もたちもいたそうです。
フリーメイソンがアトランティス文明を守っているという話を信ずる人もいれば、フリーメイソンはピタゴラス学派から始まると唱える人もいるそうです。
西欧神秘主義を信奉する人たちからは、フリーメイソンが錬金術師だったという話も聞いたことがあります。
早い話、フリーメイソンとは人の数だけの認識があり、何でもありといったところなのかもしれません。
先日、ネットサーフィンを楽しんでいた時、“フリーメイソンってなに?”という掲示板に目が止まり、覗いてみました。
いろいろ楽しい話で一杯の掲示板に、中国にはフリーメイソンはいなかったという書き見込みを見て驚いてしまいました。
中国には、歴史的に有名なフリーメイソンのロッジがたくさんあるからです。
1911年の辛亥革命時、孫文を助けて起ち上がった人たちの中には、フリーメイソンの兄弟がたくさんいたという話です。
洪們治民党、哥老会、興中会、その他にも上海で陸上交通に従事する人たちの連合だったホンパンに属したロッジ。
それに水上交通の団体だったチンパン系など、世界に分布していたその各種華僑のための相互扶助団体の大半は、フリーメイソンのロッジだったといいます。
清朝政府打倒を支えた人たちの大半もフリーメイソンで、精神的、経済的、肉体的な支援に従事したそうです。
だからといって、革命集団として認識することは的外れになると話す華僑の人たちもいます。
その意味、価値、認識は別として、中国的フリーメイソンも歴史の中で存在していたことは事実です。
2006年10月9日
古代フェニキアは、小国ながら、優れた航海術でその名を世界に認めさせ高い評価を得ました。
ソロモン王以前から、フェニキアは地中海ばかりか世界の海を股にかけ活躍していました。
国連のエカフェ内には、古代フェニキア文字が刻まれた石の分布を調査し、岩刻文字の解読を試みる研究部会が設けられていますが、古代フェニキアの船団が残した足跡は世界中にあり、南北アメリカ大陸はもとより島国日本の各地からも発見の報告が寄せられているそうです。
青森の三内丸山遺跡や瀬戸内海の宮島からも、大量に古代フェニキア文字の刻まれた石が出土しているとか。
また、ソロモンの神殿建設のため、古代フェニキア船団がレバノン杉をイスラエルまで海上輸送したという記録も旧約聖書に記されています。
ミケーネの遺跡やアレクサンドリアの海中遺跡やマルタ島には、古代フェニキア船団の絵が描かれた陶器が多く残され、ミケーネ島の宮殿遺跡からはさらに見事な壁画が発見されたとか。
神殿建設の棟梁ヒラムがフリーメイソンの始祖とされているそうですが、その棟梁を派遣したフェニキア王ヒラムの存在も忘れてはなりません。
古代フェニキアの船団が残した足跡から、このフェニキア王ヒラムの存在を再検証してみる必要があるのではないでしょうか?
なぜなら、石工組合から始まったフリーメイソンのGロッジが世界中にあることは周知の事実ですが、フリーメイソンは船舶とも深い関係があり、石工の棟梁ヒラムの存在だけでは説明がつかないこともあるような気がするからです。
ロンドン市以内の一角に、英国王によって承認された自由都市“The City”という特別区がありますが、この特別区“The
City”は、世界の海でユニオンジャックを掲げて活躍する船舶の組合のために作られました。
それ以来、自由諸国の商船ならば、客船や貨物船を問わず船自体をグランドロッジとし、船長がロッジマスターとなりました。
例えばQE2に乗ると、船内の新聞が毎朝配られるそうなのですが、その新聞に“何々デッキで何時からフリーメイソンの会合が開かれます”というニュースが船長の名で告知されるといいます。
それはノルウェーの船であろうがフランスの船であろうが、どこの客船でも同じなのだそうです。
時代の流れの中で、“The City”は、世界の金融の中心という側面が一般的となり、現在のような国際金融センターとなりましたが、現在でも船はロッジであり、船長がロッジマスターであることは変わりありません。
現代の船舶は、古代フェニキア船団の航海術をもとに航行しており、船舶の組合として設立された“The
City”は、現在の金融センター。
その存在は、まさにフェニキア船団の長であり、神殿建設時の大蔵大臣でもあった古代フェニキアの王ヒラム自身とも言えそうです。
ということは、事の真偽は別として、古代フェニキアの航海術の継承者であり富の管理者を象徴する王ヒラムこそが、フリーメイソンの始祖と考えることも出来るのではないでしょうか。
神殿建設のためには、完全な石材やレバノン杉、それに多額の金が必要です。
いつの時代でも神殿建設に必要となるものを、ソロモン王のために働いたヒラム王のように準備しておくことが必要と考え、ヒラム王をその精神的シンボルとしたフリーメイソンが誕生したと仮定してみても、決して間違いではないような気がします。
2006年10月7日
フリーメイソンのシンボルの中で一般的に広く認知されているのは、コンパスと曲尺の間にGの文字が記されたものだと思います。
コンパスは自らを計測するためのもので、曲尺は金のように普遍の価値基準を象徴しているのだと聞いたことがあります。
人は神の神殿を建てるための石材であり、絶えずこの曲尺を基準に自己を計測し、完全な長方形の石材となるように一生をかけて研磨し続け、完成させなければならないことを意味しているそうです。
シンボルの持つこのような意味と、フリーメイソンに石工組合が参入した事実が混ざり合って、いつの間にかストーンメイソン起源説が生まれたのかもしれません。
Gの意味のについては、God(神)、Gala had(高潔な騎士)、Gemstone(宝石の原石)、Genius(天才)、Geometry(幾何学)、Gold(金)、Gravity(重力)、Genesis(創世記、起源)、Grade(階級)など、人によって様々な認識があるようです。
ただし、多くのファンダメンタルな用語が含まれていることは確かなようです。
私が36年前の出来事を今頃になって理解することが出来たように(2006年10月6日の日誌参照)、Gの意味も時が来れば目から鱗が落ちるように、あっという間に理解出来てしまうのかもしれません。
そんな馬鹿な話と思うのも、それもありかなと感じるのも、一笑に伏すのも、その人の好みの問題。
ミハエル・エンデのように、子供のような素直さで自己の人生を見つめるか、シュタイナーのように、子供の持つ無限の可能性に問題を託すか、これもまた好みの問題です。
人生に正解や正論はなく、人の数ほどの正論と正解があってもいいのではないでしょうか。
ヨハネによる福音書は、
“初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった”
という記述から始まります。記述はさらに、
“言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の中に命があった。命は人間を照らす光りであった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった”
と続きます。
人間はこの記述を考えようとしなかった結果、長い年月の間に言葉と文字を持ち得たのは、世のすべての生物の中で我々だけだと信じて疑わなくなってしまいました。
本当に言葉と文字は、人間のものだったのでしょうか?
旧約聖書や新約聖書の中で、しばしば言葉と文字は神のものという記述を見出せます。
人間が“神の言と字”を自分たちのものと錯誤した時から、言葉よりも文字が偏重されるようになり、その時々の王たちは自分の都合のいいように、聖書や書物などの意味や概念を書き直すことを繰り返してきたのかもしれません。
それにより、歴史そのものも書き換えられて伝承されている可能性もあるのです。
しかし、金、音階、数字、そして絵記号だけは、未来永劫変わることがありません。
フリーメイソンが謎の秘密結社といわれる由縁の一つが、独自の不思議な記号をたくさん持っているからだという話があります。
シェークスピアが手垢にまみれた言葉を避け、メッセージをより正確に伝えるために、当時死語となっていた文字の中に言葉を探したという逸話を聞いたことがあります。
これと同じようにフリーメイソンも、だれかの意思で書き換えられることのないように独自の普遍的シンボル記号を作り出すことで、その真理の灯りを守り抜いて来たのかもしれません。
そしてどの時代においても、この普遍的シンボル記号とその伝承者が密やかに存在することにより、現代そして未来へとフリーメイソンの真理が受け継がれ続けるのかもしれません。
伝承者自らがその内容を喧伝することは、単に混乱と危険を招くだけです。
数々の魅力的なミステリーやロマンが生み出されたのは、こうした沈黙が主な原因となっているのかもしれません。
これは人類分の一の考え方です。
2006年10月6日
昔の話になりますが、ベイルートにマソニックの高位のヒエラルキーを持つ知り合いがいて、分からない言葉で色々話してくたことがあります。
なぜかその頃の思い出が、最近よく私の脳裏を掠めます。
その時彼は、私にアラブ語やシリア語そしてフランス語などで意味不明の話をしてくれました。
言葉の分からない私は、何のことだかさっぱりだったのですが、最近になって氷が溶けるようにベイルートでの話の内容が理解出来てしまい驚いています。
“私は、神の神殿のためのカーペット職人です”と、初対面の私に自己紹介してくれた彼は、次のように言ったのでした。
“私の話す言葉を今理解出来なくとも、分かる時が来れば、貴方は何の努力をしなくてもすべてを明瞭に理解することが出来るでしょう。ただ私たちが、今日この日にここで集い、語り合ったという事実のみを記憶し続ければいいのです。世の中には、多くの書物が溢れています。その中から答えを求めても、何も出ては来ないでしょう。分かろう、理解しようと努力しないで下さい。毎日を注意深く過ごしていればいいのです。また貴方は、人生を通して抱いた疑問や興味についても同じように、理解する努力をせず、抱いた疑問をしっかりと記憶し続ければいいのです”
確かに今現在、私は36年前の出来事を昨日のことのように鮮やかに蘇らせ、外国語だったにも関わらず、母国語のように理解することが出来ます。
狐に摘ままれたような話なのですが、私も彼と同じように、“理解しようとしないで下さい”と皆様に言っておきたいと思います。
老人の見た白日夢なのですから。
この時彼が話してくれた興味ある話は、折々このHPでご紹介していきたいと思います。
2006年10月4日
ノアの箱舟がアララット山に近づいた時、飛ばした鳩が小枝をくわえて戻ったことで、陸地が近いことを知ったという記述が創世記の中にあります。
また、カイロ市内からルクソールに向かう途中に、名も無く忘れ去られたような崩れた遺跡があります。
立ち止まる車などは皆無に近い所です。
捻くれ者の私は崩れた石柱が気になり、車を止めて小休憩をとったことがあります。
数本の崩れかかった石柱が真っ青な空に延び、石の梁が残っていることに気付き、何とはなしに見上げていました。
そこには、一部欠け落ちたヒエログリフと4羽の鳩のレリーフが彫られていました。
つたない知識で何とか読もうとしたのですが、手に負えませんでした。
そこで同行した知人に頼んでみると、彼は、
“よき知らせを、東、西、南、北へ飛ばした”
と読んでくれたのですが、
“よき知らせを受け取ったのか送ったのかが、はっきりしないんだ”
と言葉を繋いだのでした。
古代社会から通信連絡の手段として鳩を用いていたようです。
東西南北がNEWSの語源になったことは聞いていたのですが、具体的に鳩が使われていた記述があることに、少なからず驚いてしまいました。
フリーメイソンの各ロッジで開かれる例会の席でロッジマスターが、
“Any Good News? How about North?”
と順に聞いていくという話を聞いたことがありますが、私はその時、フリーメイソンもまたある時代には世界の情報が集まる所だったのだろうと漠然とした思いに浸りました。
古代社会の神殿は、情報集積基地の側面を有していたのかもしれません。
情報を集積管理することは、権力者の大きな必要要素です。
こうしたことから、フリーメイソンのシュラインにもいつしか王たちが恐怖を感じるようになり、“やれ錬金術師だ。やれ黒魔術の集団だ”などとレッテルを貼り付けて、弾圧に次ぐ弾圧を繰り返したのかもしれません。
金は普遍の象徴。物事の根本的価値基準。
“金以外の普遍な価値基準を探すと、それは音と絵になるのだ”という話があるように、普遍の価値を求めるフリーメイソンたちが“金”について頻繁に口にしていたことからして、錬金術師の詐欺師だといった誹謗中傷も説得力を持ったのかもしれません。
“世界の歴史は、約1万2千年頃に金の文明が起こり、次いで銀の文明、青銅の文明、そして今は鉄の文明の終わりである”という考えがあり、次こそ金の文明に立ち返る時だと唱える人たちもますが、具体的にどうすればよいのかだれも知らないようです。
“マソニックは、焼失したはずの世界の英知を納めたアレキサンドリア文庫を、約束された時まで大切に守り通している”だの、“世界の富を隠し持っている”だのと真顔で語る人も多い世の中ですから、アメリカの霊能力者エドガー・ケイシーのように、“スフィンクスとナイルとの間には、人類の歴史を書き記したパピルスと財宝が埋まっていて、それらははるか昔に決められた時に、決められた人の手で開かれる”などといった話があってもおかしくはありません。
それらがマソニックの不透明なイメージとあいまって、現代のような神話が生まれたのかもしれません。