団塊世代のための暮らし方海外編 ひとりぼっちのエルダーズ・ヴィレッジ Gのつぶやき 静かな幕開け(ゲストブック)

団塊世代の定年退職後のライフスタイルを考える

団塊世代のための暮らし方海外編

ロビンソン・クルーソー的生活術

海外生活の心構えや英語習得術、格安海外生活術を紹介するコーナー、“ロビンソン・クルーソー的生活術”です。

No.1

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ロビンソン・クルーソー的海外生活術とは、単に海外での貧乏で質素な生活を提唱するものではありません。
荒海を漂流したロビンソン・クルーソーが、知恵と勇気、そして快適さを求める意欲によって無人島での生活を築き上げたように、独自の時間認識を持ち、人生の原価計算をすることで、快適な生活の場を築き上げていこうとするものです。
より快適な生活をするために知恵を駆使して、だれにも頼ることなく、淋しさを感じることもなく、旅行者ではないれっきとした生活者として滞在して頂きたいという願いから名付けられたものです。

 

生意気なようですが、“日本の常識は世界の非常識”ということをご承知おきください。
快適で楽しい海外生活をして頂きたいという願いから、失礼を承知でこのような話題から取り上げさせて頂きました。

ヨーロッパでもアメリカでもオーストラリアでもアジアでも、どこで暮らすにしても、生活者としての自覚が必要です。
住む国によっては経済格差の恩恵で、日本国内よりも格安の生活を謳歌出来ます。
だからといって、滞在する国の経済環境を無視したような金銭感覚で生活をするのはどうかと思います。
あなたがそこの住民になった時点で、あなたは特別な存在ではなくなります。
あなたは、そこの支配者でも指導者でも、侵略者でもないのですから。
現地の経済価値を尊重した生活を営むことが、平和に過ごすための重要な手段といえるかもしれません。

あなたの思いとまわりの思いは、決して同じではないことをご理解ください。
無愛想に見えたからといって、“友好的じゃない”などと早まって勝手な解釈をしないことです。
逆に友好的だからといって、みんながみんな“いい人”という訳でもないのです。
それは、海外でも日本国内でも同じことです。
人間関係のいざこざの原因は以外にシンプルなもので、自分の意識ひとつで解決出来る場合も多いのです。
自分の意志をはっきり示すことは、国際的には当たり前のことで、決して失礼なことではありません。
また、自分なりの解釈で勝手に行動し、自分の価値観で人を判断してしまったばかりに、“あれだけ親切にしてやったのに、裏切られた!”などと思ってしまいがちですが、これは、曖昧の美学を尊重してきた、日本人特有の考え方といえるかもしれません。
相手の対応に勝手な願望を抱いてしまったり、相手の気持ちを自分なりに斟酌したりすることは、単に余計な心配事を増やしているにすぎません。

 

ロビンソン・クルーソー的時間認識の勧め

まず、あなたが誕生した時も死亡する時も、会社に入った時も退職する時も、そして現在も、あなたは絶えず左図の0点にいて、微動だにしていないという時間認識を持つことをお勧めします。

左図のY軸は時間軸、つまり時計やカレンダーで認識する時間、1分1秒や1日1年を示しています。
これは個人にも関わりの深い時間の認識です。
それに対して個人とはまったく無関係に、社会の権力者の作り出した時間が、X軸として存在していることを認識してください。
X軸の時間の経過は、その時々の権力者たちの都合で早めたり遅くしたり自由自在に操られています。
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、オイルショックからバブル崩壊までの社会的時間の経過と、バブル崩壊後からスローライフが提唱されている現在までの社会的時間の経過を比較してみてください。
Y軸のように、時間は常に一定速度で経過していくはずなのに、何となく速度が違っていたような気がしませんか?
その時間認識がX軸つまり歴史軸です。
そして、歴史軸上の時間の経過を記録したものが歴史年表ということになります。
一見、個人にも関わりがあるように思われがちですが、実際には一個人とは全く無関係な次元で時が経過しています。
歴史年表は、その時々に歴史を塗り替えていった人たちが作り上げた、その人たちだけの時間だからです。
“歴史は繰り返される”という言葉を耳にすることがありますが、X軸の時間は、早まったり遅くなったりするだけでなく、時をさかのぼる事だってあるのです。

私たちは無意識のうちに、X軸とY軸の両方の概念を踏まえたZ軸を、個人の人生と錯覚させられて生きているのかもしれません。
その方が、歴史を操る権力者にとって好都合だからです。
私たちは、Z軸上のマイナス方向に誕生点があり、プラス方向にいつか訪れる死亡点を設定して、その間を常にプラス方向に移行しているように思ってしまうのです。
今現在が0点であり、昨日はすでに過去で明日は未来だと……。
でも、思い出してみてください。
10年前のあなたは、その時マイナス10年の地点にいましたか?
10年前のあなたは、その時もやはり“今、自分は0点にいる”と認識していたはずです。
これは、これから先のあなたにも、確実にあてはまることなのです。
そう考えられれば、X軸もY軸もZ軸も、自分の人生を考えるうえでは、全く不要であると思えることでしょう。

この考え方は、あなたがあなたの望む年齢にいつでも存在していることを意味しています。そう思いませんか?
あなたの心の中に存在している、“定年退職者”“老人”“老後”という社会的レッテルを排除してしまいましょう。
勇気をもって、“団塊の世代”というラベルも一緒に……。
ロビンソン・クルーソー的生活を享受し、人生が終わる時まで輝き続けるためにも、社会的時間に隷属するのではなく“独自の時間認識”を持つことをお勧めします。

(参考文献)
Time Traveler −時の旅人−
World of Left Eye −左目の世界−Vol.1
Thomas Shen著

命の原価計算の勧め

私事になりますが、大病のために懐がすってんてんになってしまった時、私にとって1ヶ月に必要な絶対的支出がはたしていくらなのかを再検討しなければならなくなりました。
再就職したくても心臓病とあっては何でもいいという訳にはいかない上に、この就職難のご時世です。
収入を得る道もなくなってしまった私は、残りわずかとなった残金の範囲で生き続け、なくなったときが人生の終わりの時と考え、その時が来たら自らの手で幕をひくしかないと覚悟しました。
そんな私が再検討した絶対的支出に、将来安心して暮らすための積み立て金や、いくつもの生命保険料の支払いを含むことなど、到底無理な話でした。
しかし、どうしても必要となる家賃、光熱費、食費、医療費、健康保険料だけに無理やり絞り込んでみても、物価の高い日本ではそう長くはもたないという現実に直面してしまったのです。
ちょうどそんな時です。
夕食の時に見ていたテレビが、偶然にも“物価の安いアジアで老後の生活を過ごす”という内容の番組でした。
目から鱗が落ちる思いで、食い入るように見入ってしまいました。
自ら幕をひく覚悟をしたとはいえ、出来ることなら先延ばしにしたいと思ってしまうものです。
“溺れるものは藁をも掴む”といった心境で、その時から私の生存をかけた海外生活の道を探す努力が始まったのです。

歩き出した新たな道は、容易なものではありませんでした。
海外での生活を考えたとき、真っ先に浮かんできたのは、言葉に対する不安や生活文化の違いに馴染めるかなどという精神的な問題でした。
今から思えば、随分無駄な時間を過ごしてしまいました。
ふと冷静になって考えてみた時、私には精神的問題に頓着している余裕など全くなく、物理的問題から解決していくしか方法はなかったことに気づきました。
何よりも先に、自分自身の中の意識改革をするべきだったのです。
自分にとって何が最も重要なのかを考慮した結果、言葉の不安をはじめ、どの国が治安がいいかといったことよりも、“日本から比較的安く行けて、物価の安いところはどこか?”ということが最優先事項であると判断しました。
そう結論付けたことで、必然的に優先事項が決まり、自分の意識改革が出来たのです。
おかしな話ですが、この期に及んで“あの国じゃぁ……”といった社会的体裁にこだわっていた自分自身に愛想を尽かしてしまいました。
私の置かれた立場は、優先順位を決めてみたものの、最優先事項以下の付加価値を望むこと等許されない危機的状況でした。

私が心臓手術を受ける前、たまたまこの国を訪れたことがありました。
その時の印象が、まさに“日本から比較的安く行けて、物価の安いところ”で、さらに“ビーチが美しい”というものでした。
私は、それだけの理由でこの場所で暮らすことを決意しました。
旅立ち当日までの心の逡巡は、いつかご紹介しようと思いますが、今回は話を本題に移して、私の海外生活の現状をお話していきたいと思います。

ここに移り住む時、日本で家を探し当ててから来た訳ではありませんでした。
到着後、とりあえず安いホテルをとり、12日間かけてホテルの従業員やおみやげを売り歩く人など様々な人たちから、出来る限りの賃貸情報を掻き集めました。
最初は、“物好きな金持ちの日本人”と思われたようで、大邸宅の情報しか入ってきませんでした。
情けないような気もしましたが、私の言う“金がないから、もっと小さくて安いところしか借りれない”というのがどのくらいのレベルなのか、現地の人たちになかなか理解してはもらえませんでした。
やっとの思いで意志が通じ、その後は情報提供者が親身になって、一緒に家を見に行ってくれたり案内してくれたり、値段の交渉までやってくれました。
彼らの協力のおかげで、今の生活があると言えるでしょう。
この間に経験したことからはっきりとした予算を決めて生活のレベルを決定した上で家探しをするのが理想です。
時間がかかったというのも、現地の賃貸料、生活費等に関する情報がなかったため、自分から予算を伝えて探してもらうことが出来ませんでした。
このため、家探しに思ったよりも時間がかかってしまいました。
なるべく多くの現地情報を集め、自分自身に必要不可欠な支出項目を正確に把握しておくことで、生活設計が容易になると同時に、家探しも楽になるのではないかと思います。

私の例をそのまま生かせるかどうかは、その人個人の生活設計に関わるので何ともいえませんが、参考としてご紹介します。

家が見つかるまでの12日間にかかった支出総額       約 44,000円
入居時の支出
入居時の保証金(家賃1ヵ月分)と家賃(約 16,000円)
 家賃に含まれるもの(エアコンを含む家具一式と水道代)
 電気およびプロパンガス代は別
約 32,000円
電話設置にかかった費用(市内通話のみ使用可能な契約)
 
約 3,200円
ケーブルテレビ契約料金
 テレビ購入代金
約  3,200円
約 12,300円
生活必需品(基礎調味料などの食品および生活雑貨) 約  5,000円
総合計 約 55,700円
月々にかかる生活費の目安
家賃 約16,000円
1ヶ月の電話料金(一律定額) 約 1,400円
1ヶ月のケーブルテレビ受信料 約 1,300円
プロパンガス(1ヶ月あたりに換算) 約  400円
電気料金 約 5,000円
洗濯代 約 1,400円
飲料水 約  200円
食料品(嗜好品も含む) 約 6,000円
交通費(レジャーも含む) 約 2,000円
外食等の娯楽費 約 6,000円
総合計A 約39,700円





(注)現地通過を円に換算するため、“約”を表記しています。
なお、念のためにお知らせしておきますが、上写真の竹製家屋は我が家ではありません。
私は長期滞在用ホテルに住んでます。

年間に必要な経費
VISA代 約 30,500円
1年オープンの航空チケット代(年1回の出国義務あり) 約 100,000円
総合計 約 130,500円
月割りに換算(総合計÷12ヶ月)B 約 10,875円

A+B
約40,000円+約11,000円≒51,000円
大雑把に言って約60,000円もあれば私の場合は十分です。


簡潔な収支報告書 2005年9月

簡潔な収支報告書 (単位ペソ)
項  目 月  額 年  額 備  考
家  賃 8,000 96,000  
電  気 2,200 26,400 1KwあたりP6.73
電  話 700 8,400  
T  V 650 7,800  
ガ  ス 350 1,400 1ボンベP435
食  費 2,500 30,000  
洗  濯 500 6,000  
雑  費 100 12,000  
娯  楽 100 12,000  
査証更新 - 20,000  
航空運賃 - 50,000  
緊急予備費 - 100,000  
合 計(ペソ) 15,100 370,000
円 換算(円) 30,200 740,000 1ペソ=2円

 月平均 約30,833ペソ ≒ 61,666円


この国の1日あたりの労働最低賃金は、約500円だと聞いたことがあります。
これはあくまでもたてまえで、実際はもっと安いとか。
これを基準に、現地の一般的生活水準と今の私の生活を比較すると、これでも十分豊かな生活を送っていることになります。
事実、表示した半分の生活費でも生活可能なのです。
逆にこれ以上の出費が可能なら、さらに贅沢な生活が出来るでしょう。
上を向いたらきりがないのは、どこにいても同じです。
どのくらいの出費で、どの程度の生活を送るのか、それを各自で明白にしておく必要があります。

上記した表の参考として、今の私の生活がどのようなものなのか、簡単に説明しておきます。
リハビリを兼ねて、午前中はプール(無料)で泳ぎ、午後は1日おきにビリヤード(近所に1ゲーム約20円でプレイ出来るところがある)を楽しんでいます。
近くのビーチまでは5分とかからないので、早起きした日は朝の散歩に出かけたり、ちょっと先のビーチまで足をのばして、浜辺でバーベキューを楽しんだりしています。
週に1回は、食料品や雑貨などを購入するため、市場へ出向きます。(食事制限があるため、自炊を基本としています。)
1週間分の食費や雑費は、約1,500円程度です。(市場までの交通費は、往復約35円)
米1Kgは、約50円。季節にもよりますが、約100円もあれば南国のフルーツ(パイナップルやマンゴー、パパイヤ等)が1キロ単位で買えます。
野菜は毎回、200円分くらい購入しています。
現地の缶ビール350mlが1缶50円弱です。
このような単調な生活ですが、なぜか1日が早く過ぎていきます。

インフレで変わった最近の生活費―2006年1月現在―

諸物価高騰で私の生活内容特に食費に変化がおきてきました。そこで、私自身のためにも最近の生活状況を振り返って見ようと思います。

1ヶ月の住居費や光熱費その他
項目 金額(ペソ) 備考
家賃 8500 2006年よりP500値上がり

電気

1321 単価上昇のため節約 1KwあたりP7.3
ガス 540 1ボンベP540
電話 680  
ケーブルテレビ 650  
インターネットカード 100  
携帯電話カード 600  
交通費 100  
ビザ代 1534 年間P18400÷12ヶ月
航空券 11667 年間28万円÷12ヶ月(P1=2円で算出)

小計

25692  
1ヶ月の食費詳細
項目 金額(ペソ) 備考
飲料水 24 12リットル
144 6キログラム
豚肉 150 1キログラム
鮮魚 100  
缶詰 40 4個
マカロニ 72 1キログラム
ビーフン 25 500グラム
インスタント麺 40 8個
パンシット(生麺) 40 4個
パンデレモン(パン) 150 15袋
お菓子 100  
インスタントコーヒー 50  
ミルクパウダー 40  
サプリメント 150  
白菜 40  
キャベツ 40  
カンコン(空芯菜) 20  
ミックス野菜 20  
バター 20  
ガーリック 10  
チリ 10  
生姜 10  
果物 100  
ソーダ飲料 100  
オイスターソース 30  
醤油 5  
トウバンジャン 20  
オイル 30  
ごま油 25  
コーンスターチ 10  
5  
胡椒 5  
カレー粉 5  
スパイス 5  
砂糖 15  
小麦粉 35  
スープストック 60  
マンゴージャム 50  
小計 1795  
1ヶ月の生活雑貨詳細
項目 金額(ペソ) 備考
トイレットペーパー 30  
シャンプー 75  
石鹸 25  
髭剃り替え刃 150  
蚊取り線香 15  
殺虫剤 230  
小計 525  


    合 計       28012ペソ

1年オープンの航空券と年間3往復の航空券に、ビザ代を含めた月平均経費合計。
私の場合、健康上の理由から3ヶ月に一度帰国しなければならないので、その分の経費が余分にかかります。(2006.2.5)

帰納法的な人生の過ごし方

自分自身のための時計を持つことと、自分自身の値踏み(?)絶対的支出を把握することについてお勧めしてきましたが、次は“帰納法的な人生の過ごし方”についてお勧めしてみようと思います。
耳慣れない言葉かもしれませんが、生まれてから死ぬまでという時間の経過に順じた考え方に対して、死から現在までの生き方という逆行した考え方を意味する言葉です。
私が勝手にそう名付けただけのことなのですが、病気をするまでは“死”という言葉は、はるか彼方にあるという以上の意味を持っていませんでした。
しかし手術を契機に、“死”を起点に物事を見たり考えたりするようになっている自分に気づき、驚いてしまいました。
帰納法的に時間をとらえることで、今、何が本当に必要なのかを比較的簡単に導き出せるようになりました。

南の島暮らしを始めてみると、この考え方は何かにつけ効力を発揮し、ロビンソン・クルーソー的生活術には欠かせないファンダメンタルな問題であると思うようになりました。
前記の“ロビンソン・クルーソー的時間認識”と“命の原価計算”の勧め同様に、この“帰納法的な人生の過ごし方”についてもご意見を頂ければと思っております。
いずれ死ぬといった漠然とした認識ではなく、必ず訪れる死と真正面から対峙してみて初めて分かった事が沢山あります。
一度にはご紹介出来ませんので、何回かに分けてご紹介していきたいと思います。
泣き言になりますが、文章の中身に集中する以前に、キーボード操作で悪戦苦闘している状態ですので気長にお付き合いください。

死から出発する考え方を一口で言いますと、先ほども少し触れましたが、“今、何をしなければならないのか? 何が必要なのか?”という問題に無駄なく到達出来る術といえるかもしれません。
演繹的に考えていた時には、問題に到達するまでの試行錯誤を問題と錯誤していたことが多かったように思います。
課題をアプローチするまでに疲れ果て、この間の疲れを心地良く感じ、よく考えたと満足し、時には苦しみを哲学的などと取り違いし、苦悩する自分自身に美しささえ感じていたことも度々あったような気がします。
今では、必要な課題や対処しなければならない問題に、時間的にもエネルギー的にも無駄なく、短時間で到達出来るようになっています。
悠久と思えた時間に限りがあり、有効に使える時間となるとさらに短いことを自覚してしまうと、無駄の出来るような状態にないことを実感しました。
それにともなって帰納法的考え方で時間をとらえなおすと、充実した生活を送るようになり、短いと思われていた時間に不思議とゆとりが出てきました。
若い時に気がついていればもっと計画的な人生が送れたのでは? などと無駄な事を考えなくても済む様になれたのですから成長したものです。
今までの人生の中での積み残しの問題は何なのか? 残された問題は? 課題は? と順序立てて考えられるほど論理的にステップを刻めるのですから驚きです。

前置きが長くなりましたが、本題に入ろうと思います。
まず始めに演繹的人生を総括しておくことにします。
私にとっての総括ですので、誤解のないようにお断りしておきます。
これまでの人生は、必然でしかない“死”を過剰に恐れるあまり、それから逃れるための人生でしかなかった様に思えてしまいます。
なぜ、“このくらいは貯蓄がないと安心して老後の暮らしが成り立たない”とか、“死ぬまでには「自分の家」を持たなければ!”、“健康になる為ならば、死など怖くない!”などと、今から思うとなんて馬鹿げた考えに捕らわれていたのでしょう。
笑い話のようなものを求める日々を積み重ねる事が、正しく模範的人生の歩み方だと思い込んでいたようです。
社会的倫理観や道徳、富を求めることの必要性、正当性、それを求め続けるのに必要かつ有効な“教育”を、この歳に至るまで狂信してきた自分が恥ずかしくなってしまいました。
何も脅えることも恐れることもないのです。
そんな暇があったら、もっと楽しくて有意義なことを考えていれば良いのです。
しかし、この為には自分にとって有意義とは何なのか? 楽しいことの意味は? 定義は? などを自らの手で明らかにしなければいけません。
少しばかり問題のように思えますが、“こんな時、幸せだ”と判断したあなたの判断基準について考えてみることをお勧めします。
その判断は、あなた自身の考えですか? あなたを取り巻く社会の判断ではありませんか? あるいは身近な人々の反応を判断基準と取り違えていませんか? もしそうだとしたら、あなたが初冬の縁側やベランダに出来た陽だまりで、ほんのりとのんびりした気分になれた時をイメージしてみてはいかがでしょう。
幸せな時とは、まさにこんな感じかもしれません。
何かにエキサイトした時とは違うように思われるのですが、いかがでしょう?
ちょっと酷で異常に思うかもしれませんが、自分が死ぬ時のことを心穏やかに想像してみてください。
その時、自分の人生を振り返って、何を楽しかったと思い、何を幸せだったと思うのか……。
今は漠然としていても仕方ないかもしれませんが、それこそが自分自身の判断基準となることだけは忘れないことだと思います。
ちょっと視点を変えて“帰納法的な人生の過ごし方”を考えてみることで、意外な自分を見出せるかもしれません。

財産目録?

雨期に入って行動範囲が狭まり、挙句の果てにほとんど芋虫状態が続いていたため、“ロビンソン・クルーソー的生活術”の更新が疎かになってしまいました。
再開するにあたり、私の財産目録と過去1年間の生活実態についてお話していこうと思います。
危機的状況にある私のような経済難民でも無理をせず、日本にいたときよりも豊かな食生活であるばかりでなく、精神的にもゆとりある生活が出来るということをご理解頂きたいからです。

ここに漂着した時、GAPのリュックに詰め込んだジーンズとTシャツ、靴下と下着類、それに洗面用具が主な荷物でした。
最もかさばったのが、3か月分の心臓の薬。1日17錠服用しなければならないため、3か月分となると結構な量です。
靴は、履いていた黒の革靴のみ。
パスポートと1年オープンのエアチケット、1年分の生活費50万円を持ち、唯一の耐久消費財ともいえる旧型のノート型パソコン(友人から譲り受けたもの)を抱えてやって来ました。

マニラ到着後市内で1泊し、翌朝、流しのタクシードライバーを相手に情報収集した末、P1,500でここまで辿り着きました。
一歩間違えばどうなっていたことやら……。
しかし背水の陣ともなると、人間、言葉以外の迫力というか気合というか、とにかく意思は通じてしまいました。
こうした状態から、私の漂流生活が始まったのです。
その後の話は、既に“命の原価計算の勧め”で簡単に紹介させて頂いております。

この1年間で私の持ち物は、P89の紳士用サンダル、フィリピン製ジーンズや半ズボンなどと徐々に増えてまいりました。
一年を通して室内では上半身裸で過ごし、買い物などの外出の時だけ、Tシャツを着てサンダルを履きます。
外出と言っても雨期になると極端に減ってしまい、年間で100回程度だったでしょうか。
お陰で、安物の紳士用サンダルが1年以上もちました。
しかし残念ながら、後半は外に置きっぱなしにしていたために、先日盗難に合ってしまいました。
既に履き潰してよれよれだったサンダルでも、持って行くだけの価値があったことに少々驚くと同時に、上には上がいるものだと感心しています。
現在は、P50のビーチサンダルを愛用しています。
履いていた革靴は、3ヶ月に1回履くだけとなってしまいました。
当然のことですが、靴下も同様です。

今から思うと、日本にいたとき“あれもなければ、これもなければ……”と言っていた自分自身に、一人恥じ入っています。
授かった命と生き延びる知恵さえあれば、どこでも豊かな暮らしが出来るものです。
上を見る必要も、下を見る必要も全くないのです。
忘れていましたが、私はテレビを持っているのです。これが一番高価な買い物でした。

今後、ロビンソン・クルーソーの生活術では、海外極貧生活の様子を紹介していきたいと思います。
十分な情報ではありませんが、どのガイドブックを見ても掲載されていない生活情報満載ですのでお楽しみに!(2005.9.27)

食から始まる漂流生活

ロビンソン・クルーソー的生活術の根幹をなすものが、日々の食生活になります。
そこで今回は、私の食生活を紹介することで何かのお役に立てばと考えております。

設備
水道、シンク、調理台、ガス台、食器棚、冷蔵庫、フライパン(フィリピンスタイル2)、炊飯用鍋2、煮物用鍋2、やかん

食器類
大皿1、ナイフ、スプーン、フォーク各2、スープ用平皿2、コーヒーカップ3、ティースプーン3

買い足した物
プラスティック製食器水切り籠1、御飯用茶碗2、箸一膳、キッチンナイフ1、水道蛇口用フィター

以上が、私の食生活を支えてくれている黒子たちになります。
住み着いた当初は、“電子レンジがあれば……。せめてオーブントースターでもいいから”などと考えたり、ジューサーがあれば美味しいフルーツジュースが毎日飲めるとか、オイルカットのためにもテフロン加工のフライパンが必要だとか考えていたのですが、いまだに何もありません。
ないと言うより、それほど必要性を感じなくなったのです。
フルーツをジュースにする手間を考えたら、そのまま食べた方が簡単で美味しいし、ここの電気代の高騰を考えると、電子レンジがあっても節約のため使用頻度は減ってしまうだろうというのがロビンソン・クルーソー的生活術。
こんな具合で、何もいらなかったのです。

基礎調味料
塩、胡椒、砂糖、調理油、ガラムマサラ、シナモン、グローブ、ナツメグ、ターメリック、カレーパウダー、オイスターソース、醤油、トーバンジャン、胡麻油、チリパウダー、コーンスターチ、小麦粉

常備基礎食品
米4キロ、飲料水12リットル、コーンビーフ2、トマトペースト1、ツナ缶2、チーズ、バター、インスタントコーヒー、ミルクパウダー

これだけあれば、生活には何も支障ありません。
食料品は、毎週1回、買い物に出かけ調達してきます。

毎週決まって購入するのが、
牛乳1リットル、パスタ500グラム、台湾産ビーフン1パック、フィリピン産インスタントラーメン2個、クラッカー、ナッツ類、キャンディー、中華麺と刻み野菜のセット。

野菜は週によって異なりますが、
キャベツ、白菜、モヤシ、青菜(ちんげん菜や空芯菜など)、玉ねぎ、人参、トマト、ジャガイモ、かぼちゃ、ナス、ゴーヤ、きゅうり、ニンニク、生姜、チリ(鷹の爪)などの中から選択。

果物は季節のものを購入。
週によって鶏、豚、魚などを1キロ

酒、タバコ等の嗜好品がいらないので、毎週平均千円程度の買い物です。

今後、これらを駆使して生み出される、豊かなロビンソン・クルーソー的料理レシピを紹介していきたいと考えております。(2005.10.2)

漂流者の生活風景

私の洗面具一式は、3枚刃髭剃りと友人が生活を案じて買い揃えてくれた歯ブラシと歯磨きチューブ、爪切り。
バス用品はラベンダーの香りのシャンプーとパパイヤ石鹸。
バスタオル2枚にハンドタオル3枚。
ローションや整髪剤、クリーム類は皆無。
室内用ビーチサンダル1足と外用ビーチサンダル1足。
これまた友人から貰った、耳で計る体温計。
はさみと大型計算機。老眼鏡3個、拡大鏡1個。
日本出発直前に露天の古道具屋さんから偶然貰った、15センチ程の木彫りの恵比須様と大黒様。
薬入れとして使用しているGODIVAの空き缶に、ペン立てと小物入れの空き缶数個。
扇風機にテレビ。ノート型パソコン。インテリア用イカットの織物と大きい日本の風呂敷。
数個の大きいラタンのバスケット。写真立て。辞書2冊。
キリスト教徒ではないのですが、新旧約聖書が1冊。
最後に釣竿とリール。
ざっとこんなところが、私の生活必需品とインテリア用品になります。
私はこれで、極めて快適な生活を送っています。
青い空に綺麗な海。椰子の木に美味しい果物。のんびりした生活。
可笑しな話ですが、お金以外は何でもあります。

漂着直後は、どう暮らせばいいのかかなり動揺してしまいましたが、少しずつ落ち着きを取り戻して来るにしたがって、不思議なことに殺風景だった部屋が、雰囲気のある豊かな空間に変化していました。
南の島のマジックかと思いたくなってしまうほどです。
テーブルの上に盛り飾られた南国の果物が見せるカラフルな華やぎ、芳醇な香り、それらはどんなに高価な置き物にも絵画にも優っています。
こうした表情豊かな南国の雰囲気に囲まれて暮らしていると、豊かさの意味が分かってきたような気がして満足している昨今です。

自分自身の自信なさや、それが原因の不安。
その不安を紛らわすために、豊かなインテリア用品や美術品など、多くの品々に囲まれていなければ安堵できなかった弱さ。
自分の弱点と対峙したことで、私は、本物の価値の持つ意味を少し理解出来るようになったのかもしれません。
その時から、私の生活は殺風景なものから一転して華やいだものに変わりました。
海岸で手にした貝殻や、流木、ビンの破片など、どれをとっても美しいものばかり。
毎日が美の発見の喜びに満ち満ちています。
放蕩な人生の末に手に入れることが出来た宝物です。
私は、宝物に囲まれて暮らしていける現在の生活に満足するどころか、感謝しています。
これらの宝物は、どんなに事前に計画しても手に入るものではありません。
十分に考えた後は、真面目に怠け者になることも必要かもしれません。
お勧めします。(2005.10.5)

月1回の贅沢メニュー

ある日の夕食

鶏1羽を丸ごと、少々多めの水で15分ほど茹でます。
茹でたスープは残しておきます。
茹で上がった鶏の胸肉を、肉が熱いうちに裂きます。
残りは、約4回分に小分けして冷凍します。
カップ1杯の米をよく洗い、水を切っておきます。
アーモンドを2つに割り、軽くバターで炒めます。
米と炒めたアーモンドに、米と同量の鶏を茹でた時のスープを加え、塩、胡椒、チリパウダーで味付けし、5分ほど強火で炊きます。
蓋を取ってかき回した後、バターを適量加えてさらに弱火で10分炊くとアーモンドライスの出来上がりです。
この半分をお皿に盛り付け、ライスを覆い隠すように、先ほど裂いた鶏肉を飾ります。
最後に、微塵切りのパセリを全体にふりかけて完成です。
栗やグリーンピースの炊き込み御飯もどきの料理ですが、なかなか美味です。
スープは、鶏の茹で汁に塩、胡椒を加えたチキンのクリアスープ。
残りのアーモンドライスは、スープを加え、刻んだ玉ねぎ1個と一緒に煮込んで、翌日のお昼用のリゾットにします。

私の場合、塩は1日0.7mg、カロリーは1,800Kcalと食事制限がある関係上、チリを多様することで塩分を調整したり、鶏を茹でることで脂肪を抑えたりと大変なのですが、毎食色々と考えるのも楽しいものです。
鶏1羽を4回に分けて使いますので、1羽120ペソの鶏肉は、1回当たり30ペソということになります。
ローストアーモンドが1袋27ペソ。
お米は1kg当たり24ペソなので、1回が約5ペソ。
バター、塩、胡椒、チリ、パセリなどを合わせて、1回分が約10ペソ。果物10ペソ。
合計で約164円ということになります。
これが、ある日の私の晩御飯で、なかなか手の込んだ料理の一つです。
通常は、毎食50円ぐらいが平均になります。

ある日のデザート? 食後のおやつ?

食パン2枚を使ったフレンチトースト。
材料は、卵1個、ミルク50ml、バター大さじ3、砂糖大さじ2になります。
ボールに卵とミルクを入れて、よくスクランブルした中に食パンを浸します。
熱したフィリピン風フライパンにバター大さじ3を加えて弱火にし、バターが焦げないように温度を調節しながら、半分に切ったパンを焼きます。
両面にこんがりと焼き色がついたら皿に移して、シナモンパウダーをふりかけます。
シロップは、ブラウンシュガー大さじ2〜3を少量の水に溶いて沸騰させたものを、メープルシロップ代わりにします。
バナナ1本を、縦に二つ割りしたものを添えると出来上がりです。
シロップ代わりに野生の蜂蜜を使うこともありますし、バナナの代わりに、季節の果物やアイスクリームをトッピングすることもあります。
脂肪分や糖分が多く高カロリーなので、これを食べられるのは、せいぜい月1回と言ったところです。(2005.10.8)

死の作法

現在、私のようにフィリピンに住んでいらっしゃる方や、将来居住をお考えの方は多いと思います。
その中には、奥様あるいはご主人の出身地がフィリピンである方も多いのではないでしょうか。
私のようなフィリピン国内に頼るべき伝手のない漂着者には、羨ましい限りです。
伴侶が欲しいという訳ではなく、満が一の場合などを考えると、孤立無援では不安が一杯になってしまいます。
生活費が安いだけでは済まされないことが、山ほどあるのです。
例えば、健康面での緊急の事態を想定して、フィリピンの知人に、いろいろとお願いしておくことが必要なのでしょうか。
あるいは日本国内の知人に対して、予めいろいろと依頼しておかなければならないことになるのでしょうか。
その時のためにシュミレーションが必要なのか、あるいは自分なりのマニュアルを完備しておかなければならないのかなどと考え込んでしまいます。
フィリピンで死亡したときのことなど考えると、不安以上に戸惑いを覚えてしまいます。
死亡届や戸籍の抹消届け、埋葬許可などの手続きは、大使館の領事部が管轄なのでしょうか。
国内と一緒なのか、あるいは国外の場合には特別な手続が必要になるのかなどと知らないことばかりです。
フィリピンで埋葬して欲しい時にはどうすればいいのでしょう? 死亡届けは? 墓地は? 葬儀の手配は?
可笑しな話ですが、死者に身元保証人のような人の存在が必要なのでしようか?
葬儀や墓所、墓石など費用は、最低でどのくらいになるのでしょう?
葬儀も墓石も何もいらない私のような場合はどうなる?
フィリピンの場合、埋葬に関する特別な既定があるのかなどと、調べていかなければなりません。

帰納法的人生などと言いながら、肝心の死後の処理については今まで放置たままでした。
.海外での一人暮らしなどと自分では悦に入っていたのですが、どう暮らすかの前に大前提となる“死の作法”について、はっきりとした計画を立てておかなければなりません。
孤立無援といっても、元気なうちはインターネットを通して多くの人たちと知り合える時代ですし、今後も貧乏一人暮らしのパイオニアとでも自己規定して生きていくことは出来ますが、死だけはどうすることも出来ません。
海外での生活に関する書籍や情報は沢山ありますが、こうした基本的問題について分かり易く紹介しているものもあるのかどうか、勉強不足のせいで分かりません。
出来るだけ早い時期に、正確な情報をお伝え出来るよう努力してまいります。
皆様方からの情報やご教授を頂けることを期待しております。
お互いに事後処理についてはっきり知っておきたいものです。(2005.11.2)

針のない時計を持つのがロビンソン・クルーソー

時間には、自分時間と他人時間があるといいます。
自分時間とは、自分自身に裁量権のある時間。
つまり自由な時間であり、他人時間とは自分以外のもの、他者に支配権、管理権があるものを言うそうです。
物事の計画を成功させるためには、自分時間を多く持つことが計画を成功させるための秘訣になるそうです。
一般的な社会生活を送っていれば、社会との関わりや他者との関係において、自分の時間に固執することは困難になります。
だからこそ、計画を成功させることが困難になるのかもしれません。
いくら成否を握る鍵と言っても、気の弱い私のような小心者には出来ないことになってしまいます。
知人から約束の時間を聞かれても、“いつでもいいです”とか、“暇ですから貴方の都合に合わせます”などと言っていたのでは、どうにもならないものかもしれません。
あれほど自分の自由な時間を渇望していたのにもかかわらず、いざ退職し持て余すほどの時間を手に入れると、どうすればいいのか分からず固まってしまうものです。
自分と他者の2つだけだと思っていた時間が、なぜか自己と他者を包括する社会的時間があることに気が付き、愕然としてしまうものです。
何もすることがないからテレビでも見ようと思いスイッチを入れた瞬間、社会的時間の奴隷になってしまいます。
そして自分時間も管理出来ないどころか、孫悟空のように必死に逃げて、世界の果てまで逃げたつもりでいても、結局のところ社会的時間の枠組みからは一歩も踏み出ていない自分自身に直面し、大きなため息をついてしまいます。
退職前には考えもしなかった時間が、今となっては最大の問題として現れ当惑しているのですから、私事とは言え救いようもありません。

退職者には、時間の管理が一番難しいことなのかもしれません。
NY市警の退職警官を対象に、引退後の生活を考えるセミナーが毎年定期的に開催されていると聞きます。
規則正しい仕事に就いていた人ほど、退職後の時間管理が難しく、そのため多くの自殺者が出ているとか。
その対策として、NYPDの退職者セミナーでは、空白の時計に針を書き込むことで時間を自己管理する訓練を1週間かけてするそうです。
決められた時間に従い考えることなく過ごせばよかった生活が、退職を機に一転してしまうのですから、当惑してしまうのも無理のない話かもしれません。
“針のない時計に自分で針を書き入れて予定を立てていくなんて、子供でもあるまいし”などと笑ってはいられないようです。
私を含め、老後を海外で、あるいはセミリタイア後の生活を国外でと考えていらっしゃる方には、他人事と言う訳にはいかないかもしれません。
1日の、1週間の、あるいは1ヶ月分の予定を立てることは、なかなか難しいものです。
他者時間からの開放も束の間、次いで社会的時間との折り合いをつけてから自分時間と対峙が始まる訳です。
自分時間と錯誤していたものが消えうせると、空っぽな自分時間に気がつくものです。
自分自身で単調な生活にめりはりをつけ、楽しく日々を送ることは、改めて言うまでもなく大変なことです。
楽しいことばかりのような海外生活の裏に隠された厳しい自己管理という現実に、目を瞑ることは出来ないものです。
人から羨ましがられるような生活の裏には、水鳥の例え話のように、水中で水をかく足の動きを止めることは出来ません。
退職前から経済的問題に対する対策を立て、老後のあるいはリタイヤ後の計画をするのと同じウェイトで、空白の時計に針を書き込む訓練をしておくことをお勧めいたします。
訓練なくして一長一短には出来ないものです。
目に見えない抽象的問題と誤解されそうですが、観念的理解でしかなかった自己管理に直面すると、笑い事では済まされなくなってしまうものです。
人生にリアリティを感じて初めて知る問題かもしれません。
ちょっと生意気な話をしてしまいましたが、フィリピンの暑さに免じてお許し下さい。(2005.12.4)

私、もう病気止めました

“お前もそろそろ心臓病を止めろよ!”
クリスマス直前に、元米国海兵隊の高級将校だったという私の知人から、突然こんなことを言われてしまいました。
一体全体どうしたことかと目を白黒させていた私に向かってさらに、
“もういい加減にしろ、たくさんだよ!”
と言うのです。
自力で止められるものならとっくに止めているのにと思いながら、彼の無茶な話に取り合わず、
“どうしたんですか? 今日はご機嫌が悪いみたいですね”
と言葉をかけた私を無視して、訳の分からないことを言い続けました。
“人間誰でも死ぬんだ。分かりきったことだよ。それなのに何が病気だ、笑わせるな! そんな暇があったら、他にすることがたくさんあるだろう。せっかく拾った余生なのに、病気を隠れ蓑にした人生の敵前逃亡はもう止めてくれ。お前を見てるとむかむかしてくる!”
病気が治ったのならたしかにそうなのですが、敵前逃亡者なんてあまりの言い様に、私も理性をなくしてしまい、
“あんたに言われる筋合いはないよ! 何が分かるって言うんだ、失礼な!”
と、何年かぶりに言葉を荒げてしまいました。
“何も分からんよ、俺には。でも、お前より多くの人の生き死を見てきたことだけは確かなこと。敵でも味方でも、彼らのことを考えると、せっかくまだ生きてるっていうのに何が心臓病だ! 何が規則正しい食生活だ! 死んだやつらに申し訳ないよ!”
せっかく拾った命、私は大切にすることの意味を間違って理解していると言うのです。
偉そうなことを口走っていても、何も分かっていないと言うのです。
ただ何もせずに長生きすることだけが、命を長らえたことの意味ではないというのが彼の考え。
“病気のことも手術のことも、お前を知る者ならだれだって知っている。その中に逃げ込んで病人を装う暇があったら、生きている間に出来ることを真面目に探し、出来ることから黙ってやれ。そうすることが、生き延びた者に架せられた義務であり責任だ。”
と言われてしまいました。
気が付いてみると、私はあまりにも心配されることに慣れきってしまっていたようです。
それに行動そのものが、死ぬことへの恐怖から生まれた言い訳で満たされていたようです。
元軍人の彼には、それが許せない生き様だったのです。

私は、昨年11月11日の米国退役軍人記念日のことを思い出しました。
日頃あまり飲んでいる姿を見かけたことはなかったのですが、その時の彼はかなり飲んでいたようでした。
彼は聞いてもいないのに、“国家のため、民主主義のため、社会の正義のため、自由のためなどという多種多様な大儀名文を、政治家や社会が与えてくれても、人殺し、殺人者である事実からは逃げられない”と語り始めたかと思うと、“海兵隊か、カッコいいな”と言った私の言葉にうんざりしたような表情で、“話しても分からないこと。知らないことが一番。知っても不幸になるだけから……”と、この話を中断してしまいました。
そしておもむろに、司馬遼太郎の“峠”について語り始めたのです。
米国人の彼が日本の小説について語ったことに、驚きと嬉しさを感じたことを覚えています。

彼は、“軍人も侍も同じかもしれない。自らに言い訳をせず、死の瞬間までをも冷静に見つめることが出来るように、たえず自己を鍛練しておかなければいけない”と感じ、この本を通して朱子学の教えを知ったのだそうです。
彼は、河合継之助が戦闘で負傷した夜、部下に陣屋の庭先に焚き火を焚かせ、死んだ後はその火で自らを焼くように命じると、自分が焼かれる焚き火を、息を引き取るまでまんじりともせずに見入っていたという記述に、感動し流れ落ちる涙を止めることが出来なかったとか。
ヴェトナム戦争から始まり退役するまで、世界中の戦争の現場を渡り歩いてきた彼は、生き延びてしまったことを恥じと思い続け、生きていることが死んだ人たちに申し訳ないと、幾度となく自殺を試みたのですが、それでもなぜか生き延びてしまったそうです。
こうした命がけの葛藤の末、死ぬまで生き続けることの必要性を感じたといいます。
生き延びてしまったことは、どうすることも出来ない事実。
この現実と直面することで、自らの生き方や進むべき道が見つかったそうです。
それ以来彼は、自分の歩いて来た血塗られた道や、拭うことの出来ない血で染まった手から逃亡することを止め、自分自身を殺人者として明確に認識し、最後の審判の時にも有罪である自分自身を偽ることなく神の前で申告出来るように、自分自身を鍛錬することを始めたそうです。
たしかこの話をしてくれた時も、彼が私に向かって“病気を口実に、現実から逃げるな!”と言ってくれたことを思い出しました。

こうした彼だからこそ、私の女々しい生き様が許せなかったのかもしれません。
偶然知り合っただけの私に、間違った生き方をストレートに指摘してくれた彼に、私は言葉にならない感謝の念と敬意を抱いています。
侍たちが自らの精神的バックボーンとしていた朱子学の教えを、すでに1年以上も前に、南の島で元米国軍人から聞いていたことを思い出し、大いに自分自身の生き様に恥じ入ってしまいました。
今後私は、心臓病という隠れ蓑を捨て、生き延びたからこそ出来ることを捜し求め、死の瞬間まで自分自身を客体視出来るように鍛錬していかなければなりません。(2005.12.19)

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