今日は母の日だ。実家に帰ろうか。昨日から体調が良くない。喉がいがらっぽい。身体がだるい。熱はなさそうだが、外出したくない。義理の叔父が一昨日亡くなった。香典を立て替えてもらっているので、支払わないといけないのだが。でも、外出したくない。不義理なことなのかな。その叔父は癌でもう長くはないと、聞いていた。その家族の従兄弟とは冠婚葬祭等の行事の時に会う程度で、ほとんど付き合いはない。病人を看病した経験がないので、家族の苦労は計れない。普段の生活状態はどうだったか。母の日、父の日はお祝いをしていたのだろうか。誕生日の日は、お祝いをしていたのだろうか。家族の行事はなんなのだろう。子供がいて、育てる親がいて毎日寝食をともにして何十年かを過ごす。血でつながっているから、家族なのか。例えば、全くの他人同士では成り立たないのか。家族は子供がいて、育ての親がいて、おじいさんおばあさんがいて。
情が潜在意識で確立されれば、毎日ともに暮らして、違和感がなければ家族なのだろう。だって、夫婦はもとは赤の他人だったのだから。ペットも家族になる。家に象徴されると言ってもいいが、何か個々の人格が寄りかかることができる柱のようなものが、その2人以上の人の中にあることが、大事なのではないか。それは、相手ではない、子供でもペットでもない。家族の空間にできる目に見えない大樹のようなものかな。そんな気がする。
いがみ合っていても、不満をもっていても、喧嘩をしていても家に帰ってくる。家を求めているのかな。恋人同士や愛人関係にある人は、家族になる場合もあるが、ほとんどは成り立たないと思う。もし、家族になってしまうとすると、もともとの家を出なければならないから想像を絶するエネルギーがいるはずだ。おそらく二つの家族を人は持てない。持つことが出来ない。持ってしまうことも出来ない。何れかを選択するか、合併するかだ。精神は、一人の人間に一つしかない人格とは違う心のよりどころだと思う。それは、多分最も大事なものかもしれない。精神崩壊、精神分裂は、それをなくしてしまったり、2つ以上持とうとしたために起きるのではないか。人がともに過ごして少しずつ芽が吹き、伸びて太くなっていく。家族の中にしか芽生えない、しかし、大きく太くなっていけば、家族を包み込むほどになれば、その木は、つまり精神は他の家族の精神にふれあい、さらに地域や国家にまで、発展していく物なのかもしれない。
従兄弟の家族は大黒柱を亡くし悲しみの中にある。しかし、家族が育てた精神は亡くなっていないはずだ。