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商人留(あきひとどめ)は歴史のある地区だが羽州街道筋から外れている。古く鹿角方面から津軽を目指す場合,大館,板子石,釈迦内を通る羽州街道以外に芦田子から獅子ヶ森の東側を越えて商人留を通り白沢に抜ける道を 利用する手段もあった。この道を天下道といい,今でも大館市の住所名として残っている。

商人留方面からの通学路の解説は諸般の都合により7号線上からスタート。 かつての釈迦内住宅前の停留所付近から南に進む。サフジ理容店は今でも営業している。国道を挟んで向かい側にあった栗盛商店(昭和29年創業)は店をたたんでいる。

商人留は三浦姓と貝森姓が多い。大館市の電話帳(2007年9月-2008年8月版)には73世帯の貝森家が登録されていて,商人留地区を含む釈迦内地区に42世帯,そのうち半数の21世帯が純粋に商人留地区に分布している。商人留は数十世帯程度の小さな地区で,全体の約2/3が三浦姓,残りの約1/3が貝森姓で占められている。大館市に隣接する北秋田市や鹿角市に貝森姓はなく,また大館市においても商人留地区以外には集中性はなく,大館市の貝森姓は商人留地区の由来であるとみてまず間違いないだろう。

東京都在住で釈迦内小学校同期生の貝森K君からの情報によると(彼は青森県出身で,大館市に貝森という姓があるのを知って驚いたという)神戸にも貝森という名字が多いという情報があり,また彼は新潟でも印鑑屋で貝森の印鑑が並んで販売されていたのを見たことがあるという。つまり貝森という姓は確かに珍しいが大館市に限定した特殊な姓ではないということである。
北を向くと城ヶ森の秀麗が7号線を吸い込んでいる。

この道は明治20年頃にできた新道で,かつては道の両側に松並木があったというが,その痕跡を探し出すことができない。
浅井畳屋前を右折し二ツ森集落へ入る。この道も古い地図にはない。下記にある釈迦内住宅の建築にともなって昭和20年代後半に造られたものらしい。写真の道路の奥に見えるベージュの建物付近に二ツ森集落の遊び場があった。その付近から道は軽く左に曲がる
この付近はかつて戸建ての公営住宅が建ち並び,釈迦内住宅と呼ばれていた。『大館市北秋田郡自治百年史』によると,『昭和27年3月31日,相染町公営住宅15戸,二ッ森住宅5戸竣工。事業費4,611,000円』さ らに『昭和28年12月24日,二ッ森公営住宅15戸完成』とあり,かなり古いものであることが分かる。

 そしてこの写真の家,実は私,小学校1年生の時に京都府から転校してきて何度も住居 を変えたが,この家に住んでいたことがある。中学校1年頃から高校3年まで,すでに26年も前のこと。
築50年以上の家屋が当時と殆ど変わらない状態で残っている。ここを通たびに懐かしい思いと同時にこの家が変わらずに残っていることに対して驚きを感じていた。私が取材しているとき偶然この家に現在住んいる方と話をすることができた。「実は私,昔この家に住んでいたんですよ」というとなんと持ち主の方は私のことを知っていて,17年前から住んでいることを教えてくれた。

参考文献
『大館市北秋田郡自治百年史』昭和42年 発行者;北秋田郡町村会
ここから立石商店までの間の道は南側に生け垣があるため冬に路上の雪が融け難く,氷雪の轍が長く残っていた。
旧羽州街道との合流点(立石商店前) から20mほど手前で北に向かう道がある。日鉱住宅の主にB団地に住んでいる生徒が通学路として利用していた。
昭和29年6月開店の立石商店。現在も営業を続けています。
旧羽州街道にぶつかる立石商店前三叉路。夜,正面の杉林の闇は怖かった。

取材日2006年9月24日

二ツ森〜学校
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