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日鉱旭ヶ丘A団地,立石商店の店主の証言によると,住宅の最初の棟が建ったのはこのA団地,最初の棟であるA3棟は昭和39年11月に完成したという。ここに住んでいた人達は釈迦内鉱山の開山初期から就労されているとみてよいのではないだろうか。私自身の印象だが,A団地は
B団地に較べて
個性の強い人間が多かったように思う。何故かは分からないが。
旧羽州街道のササキ理容室前から北に向かって眺めたA団地跡。写真の主幹道が旧羽州街道,右折すると旧西川商店前を経由してB団地跡地へと向かう。某社の白い社屋が跡地の南側半分を占めている。かつてここには白亜の高層アパート(?)が5棟屹立していた。隔世の感がある。
上の写真の道を100mほど前身し, 右(東)に向かって撮影。広い草地は最も北側の棟の跡地。きれいにならされていて,痕跡を探すことが困難。
上 の写真の砂利道をスギ林のそばまで進む。ここはかつて遊び場があった場所。ブランコ,滑り台,砂場,ジャングルジムなどの遊具が あり,休日などは遊ぶ子供で賑やかだった。
さらに右に軽くカーブしながら砂利道 を進み,緑の外壁の家屋を確認。ここが
西川商店跡
,この緑の壁がかつては店の玄関であった。店の前の道はB団地へと続く。(取材後の2007年,この西川商店跡も取り壊されている)
上の写真の撮影位置から北側を向くとこのような景色,
鉄網フェンスの向こう側がかつて団地の建っていた部分。
右 の杉林の前が遊び場跡。鉄製のフェン スと街灯,これがわずかに残された団地の遺構。
旧西川商店前の道をB団地側に進んでみる。道はすでに途中で実用路ではない状態で近くの人が車庫代わりに使っている。徒歩やマウンテンバイクなら雑草をかき分けて通行可能か。萩長森を左前方に見ながらゆるやかに左へと向かうこの道の曲がり具合,記憶に残っているだろうか。
取材日2006年9月24日
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