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日鉱旭ヶ丘B団地はA団地よりも遅れて建設された従業員住宅で敷地面積も規模
も大きい。バス停へのアクセスがよく食料雑貨品店が敷地内にあり,A団地の住民にしてみれば羨ましかったのではなかろうか。私の思い過ごしかもしれない
が,A団地とB団地の住民の気質が違っていたように思う。アパート敷地内での公用語は茨城弁。
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国
道7号線旧釈迦内住宅前のバス停付近から日鉱旭ヶ丘住宅
(通称B団地)跡に向かう。バス停の名前は「二ツ森」に変わっている。荒れたアスファルト路面と更新されずに錆びた標識のポールがここから先の状態を静
かに語る。この道の右手にはかつて低湿地
が広がっていたが今は埋め立てられている。おそらくこの辺り一面は古くは萩長森裏にある天然記念物の芝谷地のような低湿地だったと推定される。でなければ
羽州街道をわざわざ萩長森西の猫の額のような土地に通す必然性がない。 |
| 国
道から50mほど進入しパーマ屋跡を通過,今もど
なたか住んでいる様子。さらに奥へと進む。 |
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こ
の位置からすぐ左を見るとかつて「日鉱ストア」という食料雑貨スーパーと団地住民のための集会所があった。
冬になると屋根から1〜2mほどの氷柱がぶら下がり,よく折って落としたものだ。 |
| さ
らに進んでかつて両側に団地が聳えていた辺り。左手に3棟,右手に2棟あった。現在は雑草だらけの荒れ地で当時の遺構は確認できない。草が枯れてから再度
探索しよう。 |
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上
の写真の道路をつき当たると右手(北側)にはかつて選鉱場へと繋がる道が残っている。この道に沿って2本のパイプが
鉱山からこの団地の端まで走り地中に
消えていた。あれが花岡の滝ノ沢沈殿池に鉱滓を送る流送パイプだったのだろうか。この道路を選鉱場に向かって進むと右手に松村組という会社があった。日鉱
の下
請けとして土木作業等
を担当していたのだと思う。 |
| 来
た道を振り返り,ススキが生い茂る
こんもりとした部分,ここがかつてB団地の遊び場だった場所。砂場とブランコ等があり,A団地のそれと違って
面積も広
く,野球などもできるほどだった。B団地は敷地も広く,戸数も多かった。 |
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