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写真撮影2006年9月24日,10月9日
写真はクリックで拡大します
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二
ツ森の立石商店前から学校に向かう。
立石商店から少し進んで振り返る。かつて田舎には似つかわしくない巨大な4階建ての白
亜のアパートが林立していた,
今では見る影もない。立石商店は昭和39年6月に開店している。立石商店によるとA団地の最初の棟(最も南側のA-3)が建ったのは同年11月だったとの
こと。 |
地
盤沈下のために松峰地区の住民が一
時的に移り住んだかつての松峰住宅付近。自転車に乗って遊ぶ小学生を発見,おそらく釈迦内小学校の生徒だろ
う,この取
材中に遊んでいる子供をみかけたのはこれだけ。日曜日なのにこれだけ。かつてあれほど多くの子供らで溢れていたのは真に幻か。
私が転校してきた昭和44年頃,この付近は未舗装路であった。
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100m
ほど進んで右手に見える家屋,このマンサード屋根,懐かしくないですか,昔のままの姿。釈迦内小学校認定重要文化財に指定してもよい。是非壊さないで残し
ておいて欲しい。 |
| 学
校に向くと見え
る数本の杉の木の下に相染神社がある。道を隔てた向かい
にはかつて釈迦内保育園(昭和32年5月1日設置,昭和25年開館の旧釈迦内公民館)があったが,
今は跡地が駐車場として利用されている。さらに隣は大館二中の
野球部御用達畠山理容店,別に坊主刈り専門というわけで
はない。元気なおばさんは健在ですが,仕事は次世代にまかせています。 |
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か
つての大館二中の校門,今は釈迦内小学校の入口前,杉
の木の部分には馬の神
を祀る
相染神社がある,大館郷土博物館の豊田氏によると,安政5年(1858年)頃成立した「郷村史略」に,釈迦内村の社地に「相善」とあり,これが相染神社を
表していると考えられ,校歌にも謳われている「相染台」はこの相染神社に由来すると推察されるとのこと。 |
かつてここには板子石の山神社に負けない高さ
20〜30mはあろうかという巨大な二本の欅が枝葉を広げていた。おそらくは電線に接触して危険だとかそんな安易な理由からだと推察しているが,ある日
ばっさり
と切られ,北側の木は切り株すら撤去されてしまった。地名の由来なる相染神社を抱き,深い歴史と神々し包容力を感じさせる欅だった。伐採直後の切り株を見
たときの脱
力感と寂しさは今でも忘れない。 写真は
10歳の私と5歳の妹が北側の木の隣りに残る古い切り株の上で撮影したもの。実はこの神社のすぐ北側にあるN家を借家として賃貸していたことが
あり,その時のものである。後方に二中の旧木造校舎が見える。母によるとN家は代々この神
社を守っているという。
写真右隅に『FUJICOLOR 11
72』の刻印があり,この写真が1972年11月の
ものであることが分かる。少なくともこの時まではこの欅は存在していた。残念ながら写真では北側の木の幹の太さが分か
らないが,二人が上がった枯株と同じくらいの太さがあった。 |
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細
いほうの南側の欅の根の上に座る父と妹。細い方の木ですらこの根の太さである。いかに大きな欅であったかが想像できるだろう。 |
| 2006
年10月9日時点,上の写真とほぼ同じ位置から撮影した南側の欅の朽ちた切り株,あな悲し。僅かな人数の周辺住民の生活の便宜はこの木の歴史よりも重かっ
たのであろうか。生物界の頂点であることを誇示せんとする人間の傲慢のなせる所業,といっては言い過ぎだろうか。 |
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