ベンツと言えばメルセデス。メルセデス(Mercedez)と言えばメルセス(Merced)の複数形。
というわけでここは履靴メルセス修道会に関するコーナーです。はは。
母校の関係者にあまり見つかりたくないので(冒涜的なことを書く可能性もあるし)こんな訳のわからんタイトルにしてしまいました。
メルセス会は1218年に聖ペドロ・ノラスコ(ペトルス・ノラスクス)によってスペインで創立された修道会です。
ドン・フアン物語の原点である「セビーリャの色事師と石の招客」をはじめ、宗教的モラルを扱った戯曲を書いたティルソ・デ・モリーナもメルセス会士でした。
ところで「履靴」ってなに?
私にもあまり詳しいことは分かりません。(読み方もよく分からん。「りか」でせうか)が、カルメル会においてアビラの聖女テレサが創設した改革派のカルメル会では靴を履かずサンダル履きだったので、跣足(せんそく)カルメル会と呼ばれました。それに対して従来のカルメル会は履靴派と呼ばれました。
メルセス会においても17世紀初頭に改革運動が起こり、跣足派と履靴派に分かれました。
要するに、同じ修道会の中に履靴派と跣足派がある場合、前者は保守派、後者は改革派とみなされると考えてよいのではないかと思います。
私が中学、高校を過ごした母校はミッション系の女子校で、その母体はメルセス会でした。(履靴派か跣足派かは分かりませんが・・・)
授業のたびに、担任が教室に入ってくるのを瞑想しつつ待つ、という特殊なシステム(みんな守っちゃいなかったが・・・)。
「友のために命を捨てるほど大きな愛はない」「あなたがたは一人一人がかけがえのないユニークな存在である」など卒業生ならみな覚えている耳タコのきまり文句の朝礼。
卒業してから何年もたってからたまに訪れていますが、未だにあそこでは時代が止まっているかのような印象を受けます。
が、正面玄関の脇に立っていたやや尖った顔のマリア像は嫌いではなかった・・・
「お御堂」と呼ばれる部屋の壁に掛かっていたリアルな彩色木造彫刻のキリスト磔刑像も、校舎内の到るところに飾られていたエル・グレコ、モラーレス、ゴヤ、ミケランジェロの名作のポスターも・・・
いつしかスルバランが好きになり、美術史への道を選択し、カトリック教徒にまでなってしまいました。
こんなはずではなかった・・・いやいや、母校の恩恵をあふれんばかりに受けております。ちょっとはフォローしとかんと。
今思えば、母校の校舎内にスルバランの絵がほとんどなかったのは不思議です。(静物画くらいはあったかも)実はスルバランほどメルセス会と密接に関わっている画家はないのですから。
朝礼での耳タコ言葉「友のために命を捨てるほど大きな愛はない」の精神は、ペドロ・ノラスコによるメルセス会創設の動機が、異教徒の捕虜になったキリスト教徒を解放し、場合によっては修道士がその身代わりとなることだったという史実によります。
創設者ペドロ・ノラスコが列聖されたのは1628年でした。
列聖はその修道会内ではある程度事前に分かっているものらしく、セビーリャの履靴メルセス会修道院は、列聖の大イベントに備えてそれに先立ちスルバランにペドロ・ノラスコ伝を含む連作を依頼しました。
この連作によってスルバランはセビーリャで名声を得、市議会から招聘されてセビーリャに移住するという栄誉を与えられることになります。
その後、マドリードに招かれ、「王の画家」の称号を得たスルバランですが、晩年の記録によると、彼の最も有名な作品はやはりこのメルセス会連作であったようです。
ところで、このセビーリャの履靴メルセス会修道院は、現在はセビーリャ県立美術館となっており、スルバランはもちろん、カーノ、ムリーリョ、バルデス・レアールなど、セビーリャ派の画家、彫刻家の作品を豊富に展示しています。
私のお気に入りの美術館です。 |